鋼。
自身の生まれた質感とはあまりに異なりすぎる、その存在を、彼女は当初、とても苦手としていた。
煮えたぎる音がする。
暗闇の空、湯気で白く曇る窓硝子、火のめらめらと煽る様。
おっかなびっくりの手つきで包丁を握っているのは、エプロン姿の人形の少女である。
けれどもその目線は、なかなかまな板の上には落とされず、ちらちらと窓の外を覗いていた。
「マエストロ、あの船、怖いです。動かし方もよくわからないし」
「ああ?」
表では、男の乗ってきた宇宙船が、鋭角なシルエットをさらして横たわっている。背景にある雑木林の切り株の上には、早くも若木が生えてきていた。
つまらなそうに男は頷く。
「お前、元は木だからな。使う分には金属とは相性が悪いんだろう」
「そうですねえ……」
ざく、ざく。
削り出す際に乾燥をさせて水分を飛ばしてある分、中身の詰まった人間よりも比重が小さいので、彼女の見た目よりも軽い全体重をかけないと割れないのだろう。
刀身の根元で割られた人参は、だからというわけでもないだろうが、てんで不揃いであった。
視線の先、鋼の船体は闇夜に物も言わずに鎮座している。
あ痛っ、と声がした。
反射的だったために気付かなかったが、男の声色ではないからして、自分のものだろうという事実に彼女が気付いたのは、手元を見てからのことだった。
「馬鹿」
切られる分には相性がいいんだから、よそ見をするな、と、男は慌てて立ち上がる。
「見せてみろ。傷は?」
「大丈夫、です。私、木製ですから」
我慢するように微笑んで見せた彼女の顔を、男はぶっきらぼうに目もくれない。
「だからだろう。
僕の作品を壊されたらたまったものじゃない」
「私自身にでも、ですか?」
「お前自身にでも、だ」
答えながら、歩み寄る。
手を取ると、体温と共に柔らかな手ごたえがした。脈動までも感じられそうだ。
「人がましい奴だな」
思わずぼやきながら検分する。
包丁は、どうやら人差し指の表面を削っただけのようであった。
血色まで感じ分けられそうな皮膚の質感にも関わらず、中に肉色はない。
男の目の、動きがそこで止まって、次には溜息。
「すみません」
「いいよ。これくらいなら飯を食った後で修理してやる。
船は僕が邪魔にならないところにどかしてくるから、代わりにお前は包丁の練習でもしてろ」
「ええー?
で、でも、何を切ればいいんですか?」
「知らん。頭と物は使いようだ、適当に自分で見繕え。
今度はよそ見をするなよ」
言い残して男は小屋を出る。
しゅんと肩を落とす彼女。
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「…………」
コクピットに乗り込み、操縦桿を握る男。
平淡な目付きがコンソールパネルを見、そしてそこから視線を切るようにして瞼を閉じた。
「怖いです、か」
それを告げた時の彼女の顔。
自らの手で削り出した時より生き生きと、それこそ無数の表情を浮かべる記憶の中の映像を、払い落としてスロットルを前に倒す。
震動。
翼が震え、エンジンが燃焼を始めた。
ゆっくりとターンをかけ、飛び立つことなくほんの数十秒ほども草原を走り抜けると、そこはもう島の端である。
宇宙の闇が、機首の向こうで揺らぎも見せずに漠たる様子で広がっている。
パネルに踊る、残弾0の文字。
機首の下、ひっそりと埋め込まれているのは鋼の筒。
無感動に動かない男の口元。
パネルの隅で、手も触れないのに更新を続けるデータがある。
デバッグ……廃役……殺害……運命……、
そんな文字ばかりが、情報の奔流の中にしきりと登場している。
ずっと明滅している緊急コールを、男は見もせずに電源を落とした。
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小屋に帰ると彼女は鼻歌を歌っていた。
「あ、マエストロ!
おかえりなさい、ほら、これ、どうですか?」
見せられたのは、乱切りにされたノビル。
「結構うまくなったと思いません?」
「お前は本当に不器用だな」
見本を見せてやるから、こっちに来い。
言いながらキッチンに向かう男に、わあと喜びの声を上げてついていく。
夜の草原に、終わることなく灯りが漏れる。
直に漂う、シチューの香り――――。