+ ニュースサーチ〔中川昭一〕















鳥インフルエンザ】 / 【保守本流
■ 鳥インフルエンザに対する 中川昭一氏の見方 「我が郷は足日木の垂水のほとり(2011年01月24日 )」より
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 マスコミの寵児、東国原・元知事も去って、宮崎県では彼が立候補のころとおなじ様に、鳥インフルエンザ事案が発生している。ことは微妙な問題でもあり、情報の量と質の問題もある。ことの進展をあるていど見極めねば、真相を見測ることは困難である。とりあえず予測的にいえば、TPPの世情での話題が盛り上がっている、それとかなりリンクする部分もあると予測する。菅直人政権は内部抗争に暮れて、ほぼ機能不全である。ならば日本国の情報をいっそう混乱させるために、バイオテロによるヘタレ缶カラ菅への脅迫ともとれる。

 とりあえず、電探を行うにもそれぞれの持ち味を生かして、指向性を搾ってみれば、故・中川大兄のレポートで示された、視角が一番索敵能力が発揮出来ると、わが郷では信じている。今回は事案発端でもあり、過去の事案の再検討として、過去記事をまず挙げてみる。

マスコミが保守本流の貴公子 中川一郎を殺した
2010年02月17日
(※mono....以降、抜粋記事の羅列)
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ネットで「中川(酒)」とくぐってみれば、先の財務・金融担当大臣、中川昭一氏のこと。無くて七癖といって、人間にはそれぞれ特徴がある。酒飲みなどというのは、ごくありふれている。日本の文化は酒には寛容で、なにをしても無礼講ですますもの。それが海を渡ってつまらぬ考えが入ってきた。資本主義はタシカニ、国家の財を産むには適当なシステム。それほどまでにゼニ稼ぎが好きなのか、プロテスタント。これも建て前に違いはあるまい。中川潰しとヒラリーの来日の裏 ←この記事に女くのいち達の暗躍ぶりが詳しい。
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「高病原性鳥インフルエンザ感染経路究明チーム」http://www.maff.go.jp/j/syouan/douei/tori/t_kentoukai/pdf/h17_interim_report.pdf

上出の資料は中川氏がリードして出来たものだが、その感染経路の不可解さを、徹底的に究明している。この時から我が郷では、彼の政治家としての資質の晴明さを評価していた。これを熟読精査してみれば、茨城での鳥インフル騒動の元凶は、アメリカのワクチン関係の会社。彼らが関与していることが、強烈に予想される。

※mono....略)
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核兵器を日本が保有することの是非は、論議すべしとは彼の持論。テレビで「日本国は数ヶ月もあれば、核兵器を作ることができる」とも陳べた。原子力潜水艦のことにも言及したことがあり、政治的立場もわきまえで、それを持つとは言わないが、原子力タンカーは開発すべしとの持論を開陳していた。

IMFへの1,000億ドルの資金貸付で提供された、金額は有史以来と評価されている。

彼の功績はざっと見ただけでも膨大で、あのような形であたら若い命を散らしたことは誠にもって、残念の極みである。彼の死に関しては、我が郷でも 子猫のDNA で触れた。謀殺論もあるが、その真相はわからない。ただ言えることは、衆院選落選の原因は、マスコミのキャンペーンによる、印象操作である。これで徹底的に彼のイメージは、汚された。民主主義政治の陥穽は、この民意の浮薄を踏み破れば、どこにでも作れる。このやり方は、ヨシュア記の6章 6:5を見ればその思想的背景を凝視できる。『然して祭司等ヨベルの角を音ながくふきならして喇叭の聲なんぢらに聞ゆる時は民みな大に呼はり喊ぶべし然せばその邑の石垣崩れおちん民みな直に進て攻のぼるべしと』

日本刀の切っ先は鋭いが脆(もろ)い。

その崩れ落ちそうな心の石垣を塞ぐものが酒瓶だったのか。惜しむべきは、かれを支える力が、本当の保守本流の結束が、なかったことにある。誰彼とは言うまい。なれど、彼は真実『孤軍奮闘』だったと思われる。

小泉純一郎はたしかに、現代日本のラハブであり、我が城塞「政府自民党」を突き崩した。心に異民族の惛き情念を潜ませ、異教徒の条理を支えとして、彼は日本を売った。

その城壁をふたたび高く、堅く積もうではないか。勇敢なるべき心は何事をも成し遂げる。しかしその心のの盲いたままの民草は、城壁の内でしか活きられぬもの。本日から丁度一年前のこの日、中川昭一氏は喇叭の聲のけたたましさに、同調・振幅して城壁の頽(くずお)れるのを観た。



合縁奇縁(あいえんきえん)とは男女の縁(えにし)のことばかりではない。中川一郎氏は誠に日本国民にとっての、よい男だった。不幸にして生きた彼には逢えぬようになってしまったわけだが、ネットを彷徨えばその栄光の陰はまばゆい。{哀悼痛惜(あいとうつうせき)陰々滅々たる今年の2月は、彼の後ろ姿を忍ぶ雨。
}

中川大兄の志操を忍びつつ、その城壁をふたたび高く、堅く積もうではないか そう思われる方

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■ 中川昭一先生の名言  中川昭一先生は生きている! 「祖国創生(2017.2.26)」より
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「日本を守るために、日本人が考えておくべきこと」という本にて、中川昭一先生が東京大学五月祭で講演(二○○七年五月二十七日)された際の原稿を読むことができる。

ものの見方として、参考になることがあると考え、紹介させていただくこととした。
引用箇所内の、カッコ内表示は拙ブログ管理人が付けた要約タイトル。
 ここから引用開始 
(不断の危機意識を持続する必要性)
192頁

(※mono....中略)

(日本人は優秀族だが、もっと危機感覚に敏感になるべき。時間軸、空間軸、価値観軸という次元で何ができるか常に考えるべき。惰性は衰退を意味する)

199頁
日本の唯一の武器は技術力・人間力
時間軸・空間軸、あるいは価値判断をしっかり立てて、企業活動であろうが皆さんの勉強であろうが、日本の安全・食料・エネルギーを考えるということに、東大の諸君には関心をもち、取り組んでいただきたい。
オシム監督の言葉は面白いですね。こんなこともいっています。島国の日本には国際河川がないから水紛争がない。だから日本には危機感覚がない。サッカーにおいて危機に対する感覚がない。ミスを犯しながらプレーしなくてはならない。われわれは、つねに危機を意識してそれに対応すると。ぜひ、皆さんの知的生産活動刺激のなかで、時間軸・空間軸・価値観軸のなかで、自由に発想していただいて、日本の平和ちお安全、世界の平和と安全、貧困からの脱却に日本は何ができるのかを考えていただきたい。惰性の時代はおしまい。惰性は衰退です。
(無条件の平和、国家の発展はありえず、マンネリ化した生活を続けていると日本はダメになる)

200頁
東大全共闘と三島(由紀夫)さんは、戦後二十年続いた知識的進歩では日本はダメになるということで合意しました。安倍総理のいう戦後レジームからの脱却というのはまさにそういうことです。

(※mono....以下略)

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アラファト議長】 / 【ポロニウム210
■ アラファト議長 放射性物質ポロニウム210「暗殺」疑惑 「逝きし世の面影(2012.7.4)」より
  • 中東の衛星テレビ、アルジャジーラは3日、2004年に(死因は不明とされた)75歳で死亡したパレスチナ自治政府のアラファト議長の死因について、致死性の放射性物質ポロニウムで毒殺された可能性があると報じた。
  • アラファトの死亡(ポロニウム210での暗殺?)の2年後の2006年に起きたのがポロニウム210によるリトビネンコ暗殺事件である。
 イギリスが突然、元KGBのリトビネンコ中佐が(今回のアラファトと同じ)聞き慣れない(今まで前例が無い)ポロニウム210で暗殺されたと唐突に断定し、元同僚のルボコイ(ロシアの野党国会議員)を容疑者としてロシア政府に身柄の引渡しを要求している。

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■ アラファト議長と故・中川昭一氏 「MU(ムー)のブログ(2012.7.4)」より


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■ 中川昭一氏の暗殺説(放射性物質ボロニウム摂取か!?)) 「るいネット(2009.10.6)」より
  • 上記報道から、少なくとも26日までは元気だったことがわかる。
その後、急激に体調が悪化していったことがわかる。
風邪のような症状からはじまり、やがて動けなくなるほどに悪化していっているのだ。
 であるから、警察発表のような死因が睡眠薬使用や循環器系の持病による可能性は薄いといわざるを得ない。いや、警察はすでに分かっているかもしれない。本当の死因を、敢えて伏せているとも言える。


■ 中川昭一元大臣のお通夜 「城内実(2009年10月9日 01:47)」より
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 8日、午後1時40分頃、たまたま昼食をすませ東京の平川町の交差点を歩いていると、平沼赳夫先生の事務所のスタッフが自民党本部の近くにいらした。中川昭一先生の霊柩車が自民党本部の近くをとおるとのこと。このあと午後1時55分に第二議員会館でお迎えする予定であったが、しばし立ち止まって待っていると、棺をのせた車がゆっくりと来た。今は亡き中川昭一先生のお車にいちどう深々と頭を垂れる。車は自民党本部に入っていった。われわれは外からながめていた。
 その後私は、近くの平沼赳夫先生の事務所にスタッフのみなさんとともに赴く。そこで平沼赳夫先生とお会いする。平沼先生によると、4日の日曜日に訃報に接し中川先生の東京の自宅に急遽かけつけてご対面、その数日後にもご自宅に弔問に訪れたとのこと。さらに、本8日のお通夜と9日の葬儀にも出席する旨述べておられた。
 「選挙前に中川昭一君を軸に保守の再生を考えていただけに、残念だ。」との平沼赳夫先生の言葉が重くのしかかった。
 思うに、マスコミは例の記者会見をこれでもかと何度も何度も繰り返し放映していた。しかし、中川昭一先生がご逝去されたにもかかわらず、マスコミは中川元大臣がわが国の教育の正常化や東シナ海の油田の問題、国防及び領土問題、拉致問題について命がけで戦っていたという事実をほとんど報道しない。あの酩酊会見が行われた国際会議の場において、外国人からどのような高い評価がなされたかも一切報道しない。
 私は中川昭一先生は数少ない日本の国士だと思っている。
 私が七年前に初めて国政選挙に打って出たときに、無名の無所属の新人の城内実の応援にわざわざ地元の湖西市まで来て下さったこと、さらに当選後の最初で最後の東京における政治資金パーティーにわざわざ来て下さったことを今でも忘れない。外務省の一事務官時代にわざわざ食事に誘って下さったこともあった。本当にシャイでお酒が好きな義理人情の無頼漢であった。正真正銘のさむらいだ。まだまだ思い出はつきない。
 午後5時に麻布の善福寺にお通夜に参列した。正式には6時から開始なのにすでに大勢の方が列をなしていた。しばし御霊前に手をあわせる。
 中川昭一先生のご冥福を改めてお祈り申し上げる次第である。








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最終更新:2023年09月26日 06:48