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■ 『君たちはどう生きるか』と格差・貧困問題に対する日本人の態度 「世に倦む日日(2017.12.21)」より
(※mono....前後略、詳細はブログ記事で。なお、行変えのほとんどない文章なので少し編集を加えた。)
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 最近、気になりながら言いそびれてることがある。それは、『君たちはどう生きるか』の格差と貧困の問題についてだ。『君たちはどう生きるか』には格差と貧困の問題が出てくる。
 そして、最近の書評や記事を見ると、いつの時代も格差と貧困があり、昔も今も変わらないテーマが取り扱われている、などと安直・無造作に書かれている。
 池上彰も「貧困や格差が社会の大きな問題であることはいまも同じです」などと垂れている。『君たちはどう生きるか』の中に格差と貧困が描かれていて、それは今の日本の現実と同じで、だから80年前に書かれたものでも新しく、読むと感動を覚えるのだなどと軽く紹介されている。
 恰も、本を売るためのキャッチコピーのように、格差と貧困という単語が並べられ、『君たちはどう生きるか』のテーマの普遍性が宣伝されている。

 私は、この言説に対して違和感を覚えてならない。この本を真面目に読んでない者の皮相的な感想だ。何が皮相的で、どこに違和感を感じるのか。
 それは、戦後の日本人が、この本で倫理教育を受け、この本で精神的主体性を育みながら、まさしく、この本に描かれてるような格差と貧困をなくすべく、誰もが豊かに暮らせる日本の経済社会を作ろうと努力し、一億総中流と呼ばれる社会を作ってきたという歴史への認識の欠如である。
 格差と貧困のない、一億総中流社会の実現は戦後日本人の理念であり、目標であり、高度成長によってそれを半ば成し得たのだった。

 『君たちはどう生きるか』の80年前の日本社会は、今と同じく格差と貧困が剥き出しの社会だ。80年前と今とは同じである。だが、その間に横たわる社会は同じではない。80年前と今とはシームレスに連続してはいない。
 80年前の格差と貧困の社会が、そのまま何も変わらず80年間続いて今に繋がっているわけではない。80年前と現在の間には、格差と貧困のない社会があり、一億総中流と呼ばれる時代があった。
 誰もが夢と希望を持って働いて貯金ができ、家庭を持ち、親よりもよい暮らしができ、自分よりも子によい暮らしを与えられる社会があった。そして、それは自然に形成されたのではなく、人間の意思によって、格差と貧困を社会から根絶しようという意思と努力によってできたのであり、その意思と努力を個々と政府に媒介した思想こそ、戦後民主主義の思想であり、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』に書かれた倫理思想だった。
 この真実を確認しなくてはならない。この社会科学的事実をオミットしてはいけない。戦後の日本人にとって社会の格差と貧困は悪であり、倫理的に懊悩する問題であり、放置したり是認していてはならず、肯定してはならず、是正や改善のために努力しなくてはいけない社会悪だった。
 底辺の底上げによって解決を図るべき問題で、そのために政策が動員されなければならなかった。『君たちはどう生きるか』は、格差と貧困の社会矛盾を憎み、それに立ち向かう精神性を涵養するための教育書だったのである。















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最終更新:2017年12月26日 14:37