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gnewプラグインエラー「聖方位」は見つからないか、接続エラーです。



■ マザー牧場の怪:東京タワー・マザー牧場・鹿野山ゴルフクラブを経営する前田家と聖方位、真言宗神野寺 「国際情勢の分析と予測(2016.2.28)」より
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(※mono.--長文および画像多数のため、詳細はブログ記事で)






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☆ 日本史講座 第4回(前半)古代日本の聖方位 「映像配信サイト - シャンティ・フーラ(2012.1.17)」より

■ 日本人の起源(縄文・弥生・大和)北のシルクロードがもたらしたもの 「るいネット(2009.10.6)」より
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最後に、同書・同HPリンクで、
草の道の遊牧民族といったテーマ以外にも興味深いテーマがありますので、以下に列記しておきます。


★ 蘇我氏

『かくして3世紀以降、北シルクロードから渡来した人々が宗教や政治の主体となったわけだが、これらの集団の最終的代表が蘇我一族であり、
聖徳太子(で象徴される一団)であろう。

最新の諸研究が示すように、【聖徳太子】はおそらく実存の人物ではなく、実存したのはただ【蘇我氏の一団】だった可能性が高いが、個人としての聖徳太子が実際にいてもいなくても彼らが律令制、大化の改新以降の天皇制の基礎を築き、弥勒仏教を導入し、日の本や【スメラミコトの名称】を導入し、漢字やそれを用いた日本史の編纂を行ったのである。

 その日本史『天皇記』(スメラミコトノフミ)はおそらく北シルクロード自出の日本王権の正当性を述べていたものだから、六四五年の乙巳の変のクーデター後、最緊急の課題として蘇我邸が急襲され焼却されたと考える。そのことのほうが蘇我入鹿の殺害より重要であった可能性が高い。

そして聖徳太子や蘇我氏が書いた歴史に対抗して反蘇我勢力側が作らねばならなかったのが『日本書紀』と『古事記』である。

★要するに、今日に繋がる日本文化の基礎は彼ら(蘇我氏とそれに主導される一団)が築いたものだ。そして、聖方位について以外はどれも日本文化の基礎的要因だったと誰もが公式に認知しているものである。

間違いなく蘇我氏こそ日本を日本にした帝王だったのだ。
蘇我氏は北日本を土台にし、九州の王・物部氏を倒し、継体天皇に代表される北陸系の勢力(これも渡来勢力?)も抑え、全日本を統一した現実の帝王だったのだ。確かに蘇我一族宗家は乙巳の変(六四五年)で一掃された。しかし、その影響(そこまでの仕事)が日本を築き、その後の日本を大きく決定づけたことは間違いない。(p.20~21) 』

★ 聖方位

 聖方位とは、日本の著名な研究家で古代史家の【渡辺豊和教授】
(京都造形芸術大学)が最初にペルセポリスと日本の巨大前方後円墳
および主要神社、仏閣に共通する不思議な方位として発見し研究されたもので、真北から20度西に振った特別な北を持つ方位のことだ。
言うなれば、北が20度西に振れている角度である。
これを私は「聖方位」と名づけ、日本を中心にペルセポリス、バビロンなど多くの実例とその関係を研究したのが『シリウスの都 飛鳥』(たちばな出版 二〇〇五年)だ。
              • 中略---------
 聖方位は実は、冬至の深夜の太陽シリウスの位置に関係する。冬至の深夜12時が新年の始まりならば特に関係がある。シリウスは大体南南東の夜空に輝く。基本的には真南から20度ほど東に振れた角度の空にである。そのシリウスを遙拝したとすると、その背中に当たる真後ろの方角は真北から20度西に向くことになる。これが聖方位だ。日本ではあるものの真後ろに当たる角度を「後ろの正面」と言って特別視するが、それはここから来ているというのが私の説である。(p.178)

★ 日本語

『日本語はアルタイ語系と言われても一応、孤立語の性質のほうが強いということになっている。日常的ないくつかが似ているということから相互の共通性を一方的に仮定する議論はもうたくさんであろう。誤報や単語は「本質的な」ものについてだけの検討をなすべきだろう。その場合、何が本質的なのかという点についてはこれまでいかにも無勝手流の推測がなされてきた。だから、今のところここから決定的なものは引き出せないと考えるべきだ。

けれども、すでに述べたとおり、王権や宗教および聖性などに関するものは別だ。これらは特別に重要なものであり、そこにおいて日本語と北ユーラシア諸語との共通性が大きいことは逆にあまりにも無視されてきた。スメラ、アスカ、ナラ、テン、ヤマト、マホロバなどの決定的に重要な語はいずれも北ユーラシアとの繋がりを示すものではないか。そして何よりも、蘇我およびサカであろう。(p.15~16) 』


★ 古墳

『日本に突如生まれた巨大古墳の文化は、北のシルクロードどころかユーラシア草原の特定の地域に紀元前から広がっていたクルガン(巨大盛り土墓)と繋がるものであることは疑いない。(p.17) 』


★ ユダヤ

『ところで、六五七年、東部分のアシナ家は権力を失ったが、それはイステミ系ながらトンヤブグの子の兄シェグイの系統の家系であった。西にはトンヤブグの子(名前不詳、王名はイルビス Irbis)を始祖とするアシナ朝カザール王国が残った。そこから今日のハンガリー、ブルガリアが生まれ、ロシア人諸王国(公国)が大きな影響を受け、そこから今日のユダヤ人の主流・アシュケナージ・ユダヤ人の主軸が生まれた。(p.155) 』


○「古代史年表」INDEX~主な出来事編 ⇒203644


■ 聖方位と飛鳥岡本宮 「日本史の宝石箱…(2014.10.4)」より

■ 【シリウス聖方位と弥勒信仰】【寒川神社に描かれる八方位ライン】 「大摩邇(おおまに)(2013.4.23)」より

■ 飛鳥のシリウス「聖方位」と石造 「日本史の宝石箱…(2006.10.13)」より
















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最終更新:2016年03月06日 22:43