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米国の著作『Evolution of the Japanese, Social and Psychic』に掲載されている伊藤博文(初代・第5代・第7代・第10代の日本の首相 / 1841-1909年)の言葉



「私は、宗教そのものは日本国民の生活にはまったく不要であると考えています。科学は迷信をはるかに超えていますが、では、仏教あるいはキリスト教といった宗教とはいったい何であり、そして、迷信とは何であるのか。あるいは日本に宗教がないことが、何か日本国家に弱い面が生じる源になるとでも言うのでしょうか」

「私は、日本国民が無神論を考えることのできる自由の傾向を後悔してはおりません。あるいは、それが日本の民族的集団への危険な源泉になるとも思っておりませんし、無神論に対しての自由は日本ではほぼ普遍的なことなのです」


(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)


■ 日本も一神教になりかけた?:神様も仏様もいる国だからできること 「ダイヤモンドオンライン(2016.6.7)」より
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各方面から絶賛されたストーリー仕立ての異色の経済書に、1冊分の続編が新たに加えられた『増補版 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?』が発売され、大きな話題を呼んでいます。

その一部を紹介し好評を博している本連載。今回は、一神教の世界に取り込まれなかった唯一の先進国である日本の特殊性について考えます。
(太字は書籍でオリジナルの解説が加えられたキーワードですが、本記事では割愛しております。書籍版にてお楽しみください)

日本人が知らない、日本という国の特殊性

「さて、このように考えの違いが3つの宗教にはあって、一神教の排他性ゆえに起きてくる宗教的な主張の違いがいざこざの原因だと、一般には解釈されるわけです」

「一神教じゃない日本人にはよくわからないけど、スゴイ話ですね」

「逆に、日本がいかに特殊なのかを理解したほうがいいと私は思うのです。4回目のゼミで話したように日本は世界システムに取り込まれなかったゆえに、世界の半分の人の宗教になった一神教の世界にも取り込まれませんでした(『増補版 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?』参照)。ですから、自然の中で生まれたアニミズム、つまり古い昔の人間が持つ森の宗教、多神教の世界を残しています。そして、海外から渡来してきた弥生人と日本古来の縄文人が融合して日本人になったように、外から入ってきたものを、自分たちの文化に無理なく同化させていくのが得意なのです。例えば、お寺の中に神社があったりするじゃないですか」

「たしかに!よく考えたら変ですよね。前から不思議だったんです」

「日本人は、後から入ってきた仏教の仏様は、日本にいた神様が姿を変えたものというような感じで、新しく来た仏をもともといた神と同じ働きをするものと考えたわけです。こうして、仏様は日本の神様とケンカすることなく無理なく仲良く習合していくのです。逆に言えば、お寺に神社があるのが明治時代まで普通だったんですよ」

「なるほど、そういうわけでお寺に神社があったりするんですね」

「『クリスマスと正月が同居する日本に世界の宗教家が注目!寛容の精神に見る、宗教の本質とは』と題して、TEDで松山大耕さんという京都のお坊さんが話されていました。この方、お寺の子どもに生まれたのにカトリックの学校に行っていたそうです」

絵玲奈は思わず吹きだした。

「それ、笑えますね。あ、でも私も普通の家なので一応は仏教徒といえば仏教徒ですけど、カトリックの学校に行ってました。よく考えたら似たようなものですよね」

「でも、その話を敬虔なカトリックの国のアイルランドのB&Bで泊まったときにしたら、そこのおかみさんに“なんであなたの国はそんなことができるの?アイルランドでそんなことをしたらあなたは殺されても文句は言えないわ”と言われたそうです」

「まさに排他的な話ですね……」

「日本人はキリストの誕生日であるクリスマスをお祝いし、年末にはお寺で除夜の鐘を聞いて、そしてお正月には神社に初詣に行って、特におかしいとは思いません。日本ではこういった宗教の寛容性というのは一般的です」

「最近は、ハロウィンがすごいですよ」

「ですよね~。ハロウィンって仮装のお祭りになっていて宗教的な意味はもはやだれも理解してないし、どうでもいいって感じですよね~。

ところで、松山さんは、日本の仏教はカレーだとおっしゃっているんですが、すごく的確なたとえだと思いました」

「カレーですか?」

「仏教はインド発祥ですよね。インド発祥の上座仏教は、戒律の順守、それから経典の学習、瞑想の修業などが目的で、妻帯も肉食も許されません。でも、日本の仏教は妻帯を許されていますし、修行中はお肉・お魚を謹んで精進料理を食べますが、修行が終わってしまえば特別厳しい戒律はありません。そして、葬式仏教と蔑んで言われることがありますが、本来の仏教にはない先祖供養や、普段の生活の中での礼節を敬うといったことを重視しています」

「わかりました!カレーはカレーだけど日本のカレーはインドで生まれた本当のカレーとはぜんぜん違うってことですね」

「そう。そのとおりです。日本人は本質を失わずに自分のところの文化に合わせたものにアレンジして取り込んでいくのが得意なのです。日本の仏教は日本古来の宗教である神道の影響を受けて、日本にふさわしい形で洗練されてきたわけです。ですから、もともとブッダが始めた原始的な仏教とは実践の方法は違いますが、本質を失ったわけではなく、ブッダが唱えたすばらしい哲学と教義に基づいているというわけですね。

 松山さんは日本人の宗教観というのはBelieve in somethingではなくて、Respect for somethingもしくはRespect for othersだとおっしゃっていて、日本人の寛容性のある宗教観を世界中にシェアできれば、世界のみなさんにすばらしいアイディアを提供できると強く信じているとおっしゃっています」

「すごく納得です。だって自分のとこの神様が絶対だと言って、やられたらやり返すみたいなことをやってたら、ヤクザの抗争みたいで終わりのない泥沼ですもんね」

「そうなんですよね。前期の6回目のゼミでは“日本人がやるべきこと”をお話ししましたが(『増補版 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?』参照)、日本だけが、一神教の世界に飲み込まれなかった唯一の先進国なので、宗教的な面においても日本人が世界に示すべきことは大いにあるのです。本当に、日本のような宗教観が世界で受け入れられるとすれば、憎しみが連鎖するヤクザの抗争のような世界に終止符が打てるかもしれませんからね。

 ちなみに、松山さんはリスナーからのお悩みを、神社の神主さん、仏教のお坊さん、キリスト教の牧師さんの3名が一緒になって解決するというラジオ番組を持たれているそうです。この番組のタイトルが『8時だヨ!神さま仏さま』なんだそうです」

絵玲奈はまた、思わず吹きだした。

「それ、いいですね。こんなタイトルが許される緩い感じが最高です。日本はいい国ですね」

キリスト教の世界観は『チェーザレ』で学べ

「原理主義的な宗教があったら、神に対する冒涜だとしてラジオ局が焼き討ちになりそうなタイトルですね。結局のところ、現代の世界では日本が唯一、先進国の中で多神教を残してきたという事実が、一神教の排他的世界とは異なる世界をつくり得ていると言っていいでしょう。

 さて、一神教の排他性をいろいろとお話ししてきました。でも本質的な問題は一神教の排他性そのものではありません。最初にお話しした十字軍の例のように、権益や権力の拡大のためにキリスト教が持つ排他性が政治利用されたことなのです。ではなぜ、キリスト教は政治と結びつくことになったのでしょうか?これも歴史を振り返る必要があります。そもそも、キリスト教はローマ帝国において邪宗の扱いで、弾圧されていたわけです」

「それはどうしてですか?」

「まず、ローマ帝国はもともと多神教の国であり、自分の神様が絶対である一神教とは相いれない部分があること。そしてさきほども言ったように、キリスト教は新興宗教なので、初期に布教する対象が差別された人たちや下層の人たちだったことがあります。そういう人たちに徒党を組まれると、権力者の側としては不穏というか、コワいじゃないですか」

「たしかに。その気持ちはわかります。オウム真理教みたいなカルトだったらコワいですもんね」

「そんなキリスト教が、どういうわけかローマ帝国の国教、正式の宗教になってしまいます。不思議な話ですね。いったい何が起きたと思いますか?」

「それって、すごく謎ですよね。高校のときの世界史の授業でも、なんだかいつのまにか国教になっていて、あれって感じだったのを覚えてます。もうそのへんで頭がこんがらがって世界史が嫌になってしまいました」

「そうなんですよね。このへんの矛盾は普通に考えるとよくわからないところです。でも、キリスト教は当時の新興宗教ですから、新興宗教の勧誘のやり方を考えるとよくわかるんじゃないでしょうか」

「なんですか、新興宗教の勧誘って(笑)」
絵玲奈は、教授が唐突に変なことを言い始めたので、思わず笑ってしまった。

「新興宗教の勧誘っていうのは、要するに困っていたり、弱っていたりしている人をターゲットにするのが手っ取り早い方法だということです。

 今まで信じていた神様よりも、自分のとこの神様のほうがすばらしくて、問題解決してくれるから乗り換えましょうと勧めるわけです。信者を増やすにはどこの神様にも属していない無神論者の人を勧誘するか、すでに他の宗教を信じている人を勧誘するしかないわけですが、昔は無神論者なんていないわけですから、他の宗教を信じている人を改宗させるしかないわけです。そうすると、よほど困っている人でないと、今までの神様を捨てて新しい神様にすがらないじゃないですか」

「今までの神様に罰を当てられそうな気がしますもんね。ということは、ローマ帝国は相当に困っていたわけですね」

「そうなんです。3世紀のころのローマ帝国は外敵の来襲や経済の停滞などで衰退する過程に入って、皇帝の権威は失墜し困り果てていたのです」

「そこに付け込まれたということですか?」

「そんな感じでしょうか。それまでの先祖が異端だとして弾圧してきたにもかかわらず、困り果てて、勢力を伸ばしてきたキリスト教と、キリスト教の絶対神の力に頼らざるを得なくなったというわけです。

 キリスト教の一神教の神は絶対神ですから、ローマの多神教の神様と違ってこうあるべしと明確に方向性を示すわけです。そういう、ある意味パワフルな絶対神に守られた立場となれば、弱体化して指導力を失った皇帝の権威も取り戻せるという計算が働いたわけです」

「つまり政治が神頼みになっちゃったわけですね」

「そうなんですよね。皇帝が神の権威に依存せざるを得なくなったわけです。ここからキリスト教は政治と結びつくことになります。そして、ローマ帝国が瓦解し、戦乱と分裂が起きて政治権力が弱体化するなかで、逆にキリスト教の信仰がヨーロッパをまとめるアイデンティティになっていくわけです。300年間弾圧しても増え続けた新興宗教のキリスト教がローマ帝国を乗っ取ったといっていいかもしれません。

 ちなみに、当時のヨーロッパの人たちに国民という概念がなく、『どこの人ですか?』と聞けば、自分たちが属しているキリスト教の教区を言ったであろうと、以前のゼミでも話したのはこういうわけです。そして今でもヨーロッパの人たちは、自分たちが偉大なローマ帝国の末裔であるという意識を持っています。

 こうして、キリスト教の親分であるローマ教皇は特別な権力を有していくのです。ところが、権力を持つとありがちな話なのですが、ローマ教皇が本来の仕事である精神世界の統治ではなく、現実世界の統治の欲を出してしまうのです。その結果、信仰は腐敗し、カネと権力の拡大のために、キリスト教が持つ排他性が政治利用されることになっていくのです」

「以前のゼミでおっしゃっていた、ヨーロッパの暗黒の中世ですね」

「はい。ところで、日本人にはわかりづらいこのようなキリスト教の世界観を、わかりやすく理解できる参考書を紹介しておきましょう。『チェーザレ 破壊の創造者』というマンガです」

出た!マンガ。教授の得意技さく裂!と絵玲奈は思った。

「このマンガでは、神聖ローマ皇帝とローマ教皇の関係とか、ローマ教皇の地位を奪い合うものすごく脂っこい権力闘争の様子が描かれます。キリスト教徒がユダヤ教徒やイスラム教徒を邪宗としていて、彼らと敵対するのが当たり前……といった、キリスト教がヨーロッパ人のアイデンティティである世界観もわかりますから、勉強になりますよ。

 ちなみに主人公のチェーザレ・ボルジアは、ルネサンス期の世俗化した教皇の代表的存在であるロドリーゴ・ボルジアの息子です。カネと女に溺れた史上最悪の教皇ともいわれる父親を支えた右腕のような存在です」

「ダークヒーロー系ですね。面白そうです」

日本も一神教になりかけた?

「ちょっと脱線しますが、少しだけ。日本は多神教だっていってきましたけど、じつは、日本でも一瞬だけローマと同じように、政府が自分たちの正当性を主張するために神の権威を持ち出して、一神教にしようとしたことがあるんですよ」

「え~。ホントですか」

「ええ、ホントです。さっきお寺に神社があるのが明治時代まで普通って言ったじゃないですか。なぜ明治時代までかっていうと、明治政府が一瞬だけ一神教にしようとしたからなんです。明治政府は日本を天皇が統治者だった“神武創業のころに戻す”という復古政策だったので、天皇の正統性を神道に求めたのです。そのときに神道を国教にしようという動きが起きました。これを国家神道といいます」

「なるほど。ローマと似たような話ですね」

「明治政府は神道を国教にして国家神道をつくり、神仏分離令を出して神仏の習合を廃し、分離してしまおうとしたのです。これがエスカレートして、廃仏毀釈というお寺を壊すなどの破壊行為につながっていきました。寺院が半分以下になり、今残っていたら国宝級の建物や仏像の多数が破壊されたり売却されたりしたのです」

「一神教っぽいことが日本にもあったんですね!」

「江戸時代は神仏習合といっても、檀家制度のように江戸幕府が仏教のフランチャイズを使って民衆を支配していましたから、仏教側が圧倒的に優位にいたわけです。神道の側は、神官もお葬式を仏教でやらなければならないなど、フラストレーションがたまっていたのです。それが廃仏毀釈のような暴力的な行動として爆発する原因になったのです。

 明治政府は、お寺と神社を分けてしまおうとしただけで、お寺をつぶすところまで命令したわけではありません。しかしながらエスカレートして、結果的に日本の歴史で唯一と言ってよい宗教対立による本格的な弾圧となってしまいました。でも、このような動きは長続きせず、いつのまにか自然消滅してしまいます。

 明治政府としては最初は、開国して異国の一神教のキリスト教が入ってきて国民がキリスト教徒になったらマズい、それぐらいなら神道を国教にして日本独自の一神教にしてしまえば、天皇の正統性も主張できるし国民を統治するうえで一石二鳥だ、という考えだったようです。

 でも、そもそも民衆がぜんぜん同調しなかったのです。民衆はこれまでどおりお寺でお葬式をしましたし、キリスト教も政府の脅威になるほどの広がりになりませんでした。また、明治政府は布教するカネもノウハウもなかったようで、国家神道をうまく布教することができなかったようです。笑い話ですが、布教する人材が足りなくて、講談師や落語家がかり出されたそうですから」

「(笑)それ笑えます」

「結局のところ、神道を国教にしなければ統治できないほど困った状態に国があったわけでもなかったし、宗教を政治に持ち込まなければならないほど民度が低いわけではなかったと言えるでしょう。結局、神道を国教にすることに失敗します。そして、政治と宗教は分離するという近代的な方向へ舵を切っていくのです」

「つまり、日本には一神教の需要もなく、供給するノウハウもなかったというわけですね」

「そのとおりだと思います。第2次世界大戦後の話ですが、神風特攻をやるような国は、きっとすごい一神教のカルトな国で、国家神道にはキリスト教のような上位下達のとてつもなくがっちりした組織があるに違いないとGHQが身構えて日本にやってくるのですが、そんなものはどこにもなくてずいぶんと拍子抜けだったようです。

さて、いろいろと脱線しましたが、話を最初に戻しましょう。イスラム世界が“賢者の石”のようにされてきたことが、最終的にイスラム国のようなメチャメチャなものが生まれてきた原因だと言いました。

もうおわかりですね。こうした腐敗したキリスト教が引き起こした十字軍の話のように、経済的な利権や権力の拡大を目的とするキリスト教側が、イスラム教側を1000年にわたって“賢者の石”化してきたという怨みつらみが根源的な対立の背景というわけです」

「結局、キリスト教側が戦争に勝って、勝ち組のお金持ちになって、負け組のイスラム教側は“賢者の石”にされちゃって貧乏。その格差が問題ってことですね」

「はい、その経済格差・身分格差は異常なレベルとなっているのです。それを証明するのは、だれの目からみても異常なイスラム国に世界中の若者がこぞって参加しているという事実です。欧米の社会では差別、格差、貧困……いろいろな理由で現状に不満を持ち、絶望を感じるイスラム教徒の移民の若者が増加しているのです。社会に絶望した若者がイスラム国に希望を見出すのは、いかに世の中が歪んでしまっておかしなことになっているのかを、明確に表現しているのだと思います」

「なるほど……」

「これまでのゼミで説明したように、成長しない世界になっていることも、この問題を引き起こしている大きなカギです。成長していれば、格差があっても絶望に至るような格差にはなりません。特にヨーロッパにおいては若年労働者の失業が増え、下層に位置するイスラム系移民は大きな格差に直面しているわけです。

 逆に言えば、イスラム国はアイデンティティを失い、閉塞感をもつ若者の気持ちをうまくつかんで、欧米キリスト教国に対する敵愾心を煽るプロパガンダをしているわけです」

「でも日本にいると、イスラムは身近じゃないし、その格差や苦しみがよくわからないです」

「そうですね。日本はイスラム世界とは遠いし、日本は格差といっても欧米とイスラムのようなレベルではないですからね。う~ん、じゃあイスラムの苦しみを体感するのは難しいので、逆に勝ち組の世界の歪みを体験してそこからこの問題を考えるのはどうでしょう?」

「え~、なんだか面白そうですね」

「じゃあ、ニューヨークに行きましょう」

「え……」
絵玲奈は、あまりに唐突な話に絶句した。

「いや、無理にとは言いませんので。でも、もし可能だったら特別に面白い経験をさせてあげましょう。学生のうちにいろいろなところに行くのはいいことですよ」
と教授はいつもの口癖を言った。

「考えます……パリに行ったばかりだから、旅費とか両親に相談しないと……でも、なんでニューヨークなんですか」

「前期の4回目のゼミで言いましたが、今の覇権国つまり勝ち組の代表がアメリカで、その中心がニューヨークだからです」

「で、特別なことってなんですか?」

「クリスティーズのオークションを見学させてあげます。じつは、私は友人に見学させてもらえる約束をしているのです」

「それってこの話とどういう関係があるんですか?」
イスラムとクリスティーズがどうつながるのか、さっぱりわからずに絵玲奈は尋ねた。

「アートとテロはコインの裏表なのです」
また、教授の得意のなぞなぞが始まったと絵玲奈は思った。

日本人と宗教
◆ 海外「日本には真の自由がある」 ブッダとイエスのギャグ作品に外国人が衝撃 「パンドラの憂鬱(2015.11.24)」より
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今回は、「聖☆おにいさん」への外国人の反応です。

「聖☆おにいさん」は2006年から「モーニング・ツー」で連載中の漫画で、
世紀末を無事に越えたブッダとイエスの2人が東京・立川の安アパートをシェアし、
下界のバカンスを満喫する、という設定で描かれる日常コメディ。

今更説明不要の知名度と人気を誇る作品ではありますが、
何と言っても、作品の主人公はあのブッダであり、あのイエス。
日本人のこの宗教に対する感覚であったり距離感であったりを、
海外の方々はどう感じるのか、というのが今回のテーマなのですが、
英語タイトルで紹介される劇場アニメ用のトレーラーには、好意的な声を中心に、
日本人の宗教観への洞察など、様々な反応が寄せられていました。


かなり遅れましたがリクエストありがとうございましたm(__)m

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■ ああ、ジーザスとブッダね。ハハハ。………………エーッ!?  アメリカ

■ 面白そうなアニメだな。しっかし日本人ってヤツらは……。 アメリカ

■ キリストがショウネンジャンプ読んどる。最高だなおい! スペイン

■ これのマンガを前に読んだことあるけど、大爆笑した! 国籍不明

■ 私今混乱してる……。とりあえず観てみようかな……。 アメリカ

■ 私がアニメ化して欲しくなかったマンガの1つだ =.=  スペイン

■ これ面白そうじゃん!! ブッダもジーザスもイケてる!! タイ

■ 完全にジョークってことを頭に入れて読んだほうが良いぞ。 スペイン

■ エクセレント! マンガ版はマジで面白かった。 国籍不明

■ 日本がやりやがった。またやりたがったよ。
  10点満点中10点だろこれは。 国籍不明

(※mono.--以下略)


■ 海外から見る日本人の宗教観への理解は!?・・・ 「不死鳥!蘇る日本、未来に向けて自虐からの脱出(2015.9.26)」より
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日本人の宗教観、海外と違うけど変じゃない?米メディアが探る日本人の心根
NewSphere(2015年9月22日)
http://newsphere.jp/national/20150922-1/

お正月には神社に参り、結婚式はキリスト教の教会で挙げ、お葬式には仏教に則る。こういった、生活のなかにいくつもの宗教が混在する日本人の宗教観を、ユダヤ-キリスト教の一神教を基調とする欧米人は理解し難いと感じているようだ。その背景にあるものを、いくつかのアメリカメディアが探っている。

◆宗教が生活の一部として存在している日本
 クリスチャン・サイエンス・モニター紙(CSM)は、宗教と信仰が大部分において乖離している日本の状況について論じた記事を掲載した。同紙は、世界の宗教に関するニュースを幅広く取り上げている。

+ 引用以下に続く
 CSMはまず、調査会社WIN/Gallup Internationalが発表した信仰心に関する調査結果を引用し、日本は62%もの人が信仰はないとしているにもかかわらず、多くの人が寺社仏閣などに参拝している日本の状況を説明する。つまり、ある参拝者が述べるように「神社にお参りするのは、宗教を信じているのとは別」であり、宗教が生活の慣習の一部として存在しており、「聖と俗が分かちがたい状況にある」ということだ。

その理由の1つとして、CSMは日本人の神社へのお参りが現世利益主義的な側面が強いことを指摘する。明治神宮に飾られた絵馬には、さまざまな願いごとが書かれている。病気治癒や職場での昇進に、嵐のコンサートのチケットまで。宗教は、個人の信仰としてあるわけではなく、絵馬に書かれたように「願いごとがすべて叶いますように」と祈るためにある、というわけだ。

 またCSMは、2013年の伊勢神宮の式年遷宮の年には過去最高の1400万人もの人を集めたことに注目する。その理由として、特に若い世代での参詣者の増加について、将来への不安が背景にあるのではと推測する。伊勢神宮の神宮司庁広報課員の音羽悟氏は、20年もの不況で多くの人が目的を失い、将来について不安に感じているため「スピリチュアルな癒やし」を求めている、と同紙に述べている。

◆八百万の神でもってして異国の神を受け入れる
 米公共ラジオ放送(PRI)は、日本の土着の信仰である、八百万の神を祀る「神道」に日本人の宗教観の背景を見出している。PRIに詳細を語っているのは、東京都の渋谷に位置する金王八幡宮の田所克敏宮司。彼の言によれば、「ある日、仏陀と呼ばれる神がアジア大陸からやってきた。その後、キリストと呼ばれる神が船でやってきた。すでにいた八百万の神にもう2つ加わった、というだけのこと」。田所氏はさらに、こういった日本人の受容性の高さを、天ぷらを使って説明する。もともと天ぷらはポルトガルから伝えられたものだが、日本人は受け入れ、文化の一部としている。

 田所宮司はさらに、次のように述べる。「人々は宗教を、何を信仰しているのかという観点ではなく、儀式の観点から見ている」。つまり、「この儀式(冠婚葬祭)はどう執り行うのか」が重要であるため、子どもが生まれれば神社にお宮参りし、結婚式はキリスト教の教会で挙げながら、問われれば即座に「仏教徒」と答える状況になっている、とPRIは論ずる。

◆荒ぶる神を受け入れ、内面の糧とする日本人
 しかし、この高い受容性が別の面で発揮されているのを、別のアメリカのメディアPBS(Public Broadcasting Service)が伝えている。ケンタッキー州にあるベリア大学のジェフリー・リチー准教授が、2011年の東北大震災に見舞われた人々が見せた忍耐強さを、宗教的観点から論じている。

 宗教学の准教授で、同大学のアジア研究プログラムの責任者であるリチー氏はまず、日本の『ゴジラ』やマンガ『アキラ』に見られるように、日本人の災禍に対する考えは、日本の伝統的な宗教文化に見られるような荒ぶる神としての姿に根付いている、と述べる。そして、本居宣長の『古事記伝』に記した「神(古事記伝では「迦微」)」についての論述を引用して、日本の神は善いものも悪いものもさまざまおり、その心も行いもとりどりであり、人の小さな知恵では計り知れないものだ、とする日本人の宗教観を示した。

 だからこそ震災が起きた時に、一神教のキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の信者が持つような「震災は神の裁きなのか」という問いではなく、「震災をどう受け止めるべきなのか、震災はどう自分の内面のためにあるのか」という問いを、伝統的な宗教観をもつ日本人は抱きがちになるのではないか、とリチー准教授は問いかける。


 西洋の基準からしてみれば、信仰心がないように見え、また日本人の自覚としても宗教に対する信仰心はないとしている人でも、人智を超えたものを畏れ敬う気持ちが日本人の中にあることは、以上の3つの記事からは示されているようだ。(阿津坂光子)

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筆者考:

キリスト教徒!、〜
ユダヤ教徒!、〜
回教徒!、〜
一神教を崇拝する者には日本人が持つ宗教観などを理解できる筈がない!・・・。

米国メデイアが日本人の宗教観を理解しようと掘り下げたが、・・・如何に日本人が自然との調和(畏敬、感謝の念)が昇華して此れが日本人の宗教観となった事を日本に生まれ肌で感じなければ、理解する事は不可能である。

日本人の宗教観は日本古来の神道に根差したのであり、・・・宗教とは言えずに観念(自然との調和を優先)の世界にあるものと言える。
農耕民族、特に稲作で季節ごとの農耕作業期間内での〜、『苗つくり』⇒『雨季を待ち田園を鋤く』⇒『田植え』⇒『草取り』⇒『収穫』⇒『乾燥、脱穀、保存』と自然の暦と相談して村人が協力し合う意識が芽生えた。
村人の連帯を強固にする為に四季折々!〜、種々の行事が神社でも催され、此れは自然に対する畏敬と感謝の念に源があった。
八百万の神が神道の根源と言えて、謙譲と強調の意識が日本人の宗教観へと昇華した!と言えると、筆者は思います。

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)


■ 外国人「日本人の宗教観は理想的」 日本人の宗教観に海外から様々な声 「【海外の反応】パンドラの憂鬱(2014.12.26)」より
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映像では、「あなたの宗教は何ですか?」
という問いに対する、日本の方々の回答が紹介されています。
最初に回答しているお三方は仏教徒とお答えしていますが、
動画に映りたくないなど諸事情で映像には登場していない他の複数の方や、
これまでに同じ質問を尋ねてきた日本人の中には、
特定の宗教は信仰していないとお答えする方も多かったそうです。

しかし特定の信仰を持たないという方々も、
お盆の行事には参加し、大晦日にはお寺や神社を参拝し、
家に神棚や仏壇をおいていることが多いという点が指摘されています。

投稿者さんのお考えとして、日本では他国とは異なり、
宗教(神道と仏教)は生活様式や文化と密接に繋がりを持っているとし、
そのため、「宗教」という捉え方をしてないのでは、と仰っています。

その上で、そこまで信仰に篤くない方々に訊いた、
日常生活の中でどのように「宗教」と関わっているか、
という質問に対する回答が紹介されています。
一番目の女性は、新年とお盆には神社に行き、自宅には神棚がある、
二番目の女性は、家に仏壇はないが、大晦日には神社に参拝する、
三番目の女性は、特定の宗教は信仰していないが、家には神棚がある、
四番目の男性は、強いて言えば仏教徒で、正月にはお寺/神社に参拝する、
とそれぞれお答えになられていらっしゃいます。

海外の方々にとって大変興味深いテーマだったようで、
映像を観た外国人からは、多くのコメントが寄せられていました。


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(※mono.--以下は前後は略してあり、文中リンクも本文で確認を)

■ 日本人の宗教観は理想的だよ。
  何故あえて特定の宗教を信仰しないといけないんだ?
  神に祈ったり、その存在を信じるのはいい。
  だけどそれを実践的な宗教にする必要があるかね。
  いや、宗教を信仰してる人を否定してるわけではないんだ。
  だけど多くの戦争、侮辱、レイシズム、偏見は、
  得てして宗教が原因で起きるものだろ。 ブラジル

  インド「神道は全てを受け入れる」 天皇陛下に贈られたヒンドゥーの聖典が論争に


■ 思ったんだけど、僕らが宗教的だと思っているものは、
  彼らからすればそうではなく、伝統なのかもね。
  そういえば欧米の信仰心が薄い人でもクリスマスやイースターを祝うな。
  実際には教会とか宗教行事には行かないけど。 カナダ 

  海外「日本は本気か?」 クリスマスにKFCを食べる日本に外国人ビックリ


■ 本で何回も読んできた!
  多くの日本人は自分の宗教が何なのかはっきりとは分かってないらしい!
  なぜかって言うと、日本には神様が沢山いるから :)
  インタビューに答えてくれた人たちに感謝します! ドイツ


■ 日本人はシントウを信仰してるのかと思ってたけど、
  これを観る限り意外とそうでもないみたいね。 国籍不明

 海外「日本神話カッコ良すぎ」 イザナミとイザナギの物語に外国人感銘


■ 日本人にとって神(カミ)とは 「nippon.com(2014.2.26)」より
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God、神、カミ

Godを、日本語では「神」と訳し、カミと発音する。これが間違いのもとかもしれない。God、神、カミ、を別々のものと考えよう。

Godは、一神教の神のこと。世界で一つしかないものだから、英語の習慣で、大文字で書く。小文字でgodと書くと、あっちこっちにいる多神教の神という意味になってしまう。

漢字で神と書くと、中国語の「神」の意味になる。精神、神経という場合は、人間の精神現象という意味。神のような存在も表すが、決してランクの高い存在ではない。いちばんランクの高いものは、天とか上帝とか呼ぶことになっている。

日本古来のカミは、ひとことで言えば、自然現象を人格化したもの。『古事記』『日本書紀』に登場するカミや、神社に祀られるカミはむろんのこと、太陽や月や、風や雨や海や、大きな木や岩や、動植物も人間も、並み外れたものはみな、カミである。江戸時代の国学者・本居宣長(もとおり・のりなが)はこのように、日本のカミを定義する。彼によると、人間に「あはれ」と感動を与えるものはみな、カミなのだ。

このように考える日本人にとって、この国土は、豊かな自然に恵まれ、至るところにカミが臨在している、カミの国である。カミの国を外国語に訳して、狂信的な国粋主義の表現のように誤解されることがあるが、もともとの意味はそうしたものではない。

(※mono.--以下略、詳細はサイト記事で)


■ 日本人の宗教心 「Shoji Sugita:杉田 荘治のHP」より
/
はじめに

   日本人の宗教心については誤解がある。 それは、聡明な日本人でさえ時には、「私は無宗教です」
  と答えることがあるので、外国人は、日本人は真摯な宗教心を持っていないのではないかと誤解する
  のである。 そうではない。

   彼らは真摯な宗教心を持っており、その宗教心は民族神道あるいは民間神道といってもよかろうが、
  それが源ともなる心をもっている。 ただ、彼らが意識していないだけなのである。

   また日本人は、本質的には神も仏も同一だと考えているし、多くの日本人は人 が死 んだら仏(神)
  になると信じている。 したがって(生き仏)の宗教観も根強く残っている。

   また彼らは、あまりにも一つの宗教や宗派へ帰属する意識の強い人に対しては、一定の距離を置い
  ており、他の宗教や宗派についても寛大で、時には無関心でさえある。

   また日本人は祭りが好きである。 それは「神を供応する」心から出たもので、神とともに自分たちも楽
  しむ行事と考えている。

   ところで、都会化され、人々は孤立しがちな現代社会にあって、いかにして宗教的な救いを見出すか
  は非常に難しい問題であるが、前述したことについて順次、私の見解を述べよう。
  • 日本人の宗教心の源は民族神道であり、それが心の基となっている。
  • 日本人にとっては神も仏も、本質的には同じである。
  • 生き仏
  • 日本人は一つだけの神、一つだけの宗派を忠実に信じることには、注意深い。
  • 日本人は祭りが好きで、神とともに楽しむ。
  • 結び

   日本人の宗教心の源は民族神道であり、それがいつも心の基となっている。
















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最終更新:2019年12月10日 20:46