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■ 真珠湾攻撃で零戦隊を率いた指揮官が語り遺した「日本人不信」の理由 「現代ビジネス:神立 尚紀 カメラマン・ノンフィクション作家(202.12.8)」より
「あれが犬死にだったというのか」
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私の手元に、古ぼけた書類の束がある。「軍機」の朱印が押された『機密第一次發進部隊命令作第一號』に始まり、計162頁にわたって真珠湾攻撃の作戦実施計画を詳細に記した、旧日本海軍の最高機密文書。――本来、世に出るはずのなかったこの極秘文書を保管していたのは、当時、空母「赤城」第八分隊長(戦闘機)で、79年前、昭和16(1941)年12月8日の真珠湾攻撃では第二次発進部隊制空隊(零戦隊)指揮官として、零戦35機を率いて出撃した進藤三郎大尉(のち少佐。1911-2000)である。

(※mono....長文につき中ほどは大幅に略、詳細はサイト記事で)
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つくづく嫌になった日本人の変わり身の早さ

(※mono....略)

批判する相手(=陸海軍)が消滅して、身に危険のおよぶ心配がなくなってからの軍部批判の大合唱は、進藤さんには、時流におもねる卑怯な自己保身の術としか思えなかった。「卑怯者」は、いわゆる「進歩的文化人」や「戦後民主主義者」と呼ばれる者のなかに多くいて、敗戦にうちひしがれた世相に乗って世論をリードしていた。

「私は、自分はこれからの時代に生きてゆくべき人間ではないような気がしました。『生き残った』のではなく、『死に損なってしまった』という意識の方が強かった。自決することを考えましたが、あいにく武装解除されたので拳銃を持っていない。生命を絶つ方法をあれこれ考えているうち、終戦直前、生まれたばかりの長男に会いに疎開先の庄原へ行ったとき、差し出した人差指を小さな手で無心に握ってきた感触が甦り、死ねなくなってしまった。われながら情けない気がしました」

(※mono....略)
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あるとき、進藤さんに、

「人生を振り返って、どのような感慨をお持ちですか」

と聞いてみたことがある。進藤さんは即座に、

「むなしい人生でしたね」

と答えた。

「戦争中、誠心誠意働いて、真剣に戦って、そのことにいささかの悔いもありませんが、一生懸命やってきたことが戦後、馬鹿みたいに言われてきて。‥‥‥つまらん人生でしたね」

――進藤さんが亡くなって20年が過ぎたが、この言葉は、ずっと私の胸に棘のように刺さったままだ。


■ もし日本に責任があるとすれば、戦争に敗れたことである 「縦椅子のブログ(2019年2月 4日)」より
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ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

関岡英之『帝国陸軍、知られざる地政学戦略、見果てぬ「防共回廊」』(祥伝社新書)

本書は『帝国陸軍、見果てぬ「防共回廊」』(祥伝社)の改訂増補版である。

ウィグルの動きなど、最新情報が相当量、加筆されている。

下記は、『帝国陸軍、見果てぬ「防共回廊」』(祥伝社)が出た直後の評者(宮崎)の書評である。

不都合なことが多い所為か正史からきれいさっぱりと消された事実が存在した。

それが、最近公開された機密文書、公電から徐々に明らかにされ「近現代史の空間にぽっかり空いた穴を埋めた」。

戦前の大日本帝国の壮大な秘密工作、すなわち支那包囲網の構築、ユーラシア戦略、その希有壮大な全貌が、ようやく明らかにされた。

ーー

しかし本書は過去に出された大陸浪人伝や馬賊物語、日本人の侠客まがいの血湧き肉躍る冒険譚とは、まったく性格が異なる。

馬賊になった日本人・小日向白朗や野中進一郎等の活躍は、大日本帝国のユーラシア戦略とは無関係であった。

(※mono....中略、詳細はサイト記事で)
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しかし戦後の支配者となった在日・反日勢力は、教育界、言論・メディアを支配することで、「護憲、東京裁判史観、侮日」を日本人に強制することに成功した。

それゆえ現代日本人の多くが、大日本帝国が侵略戦争をしかけたと思い込んでいる。

しかも、日本の反日メディアは、いまもそのように言い続けている。

それで、いきなりこの本を読んでも、当時の日本が置かれていた国際環境や政治環境(リアル・ポリティックス)を理解できないだろう。

(※mono....中ほど大幅に略)
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だが全ては太平洋戦線における作戦の齟齬、物量補給路の切断、兵站の維持不能などによって敗戦に追い込まれ、日本の夢ははかなく消えた。

満州族、蒙古族、ウィグル、チベットの民が、以後どれほど苦しみ、いまも支那共産党帝国の圧政に苦しんでいるか。

もし日本に責任があるとすれば、戦争に敗れたことである。



■ パクリ指摘コメントを紹介します。アマゾンからです。 「帝国政府声明文 「戦勝国は日本だった」(2017.5.22)」より
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ヘンリー・パクリ・ストークス(ストール=窃盗)の本に寄せられたパクリ指摘コメントを紹介します。アマゾンからです。
皆さんも書き込みましょう!

※どなたの著作からの引用か、その著作にはちゃんと明記されていますか?もしされていなければ、剽窃に当たる行為ですね。学術やジャーナリズムでも、剽窃は本来最も恥ずべき行為なのですが、堂々とやっているとなれば法的措置を講じるべきかと。安濃豊氏の本の内容とそっくりですね。
※この本は安濃豊博士のブログと書籍からの剽窃であることは他のレビュアーも指摘されていることですが、表彰されるなら安濃博士であろうと思われます。

※小林よしのり、井上和彦、田母神俊雄、水間正憲、石平、黄文雄、馬渕睦夫は戦勝国が日本であったとは一言も言ってない。ましてやアジア解放宣言が書かれた帝国政府声明を発掘したのは安濃博士であり、彼らではない。帝国政府声明文を根拠にアジア解放は先付けであり、後付けではないと主張したのは安濃博士が初めてである。ヘンリーストークスとハート出版は日本戦勝国論を剽窃したわけだ。

※帝国政府声明文の発窟いらいアジア解放 大東亜共栄圏構想の実現(asean)
核兵器を使えない兵器にした、まさに戦争目的を達征したのは、日本である。と
安濃博士は一寛して、主張されています。
ぜひ、冷静に動画をみていただき、論文もダウンロードされて、ください。

(※mono....以下略、詳細はブログ記事で)




■ 「大東亞戰爭は日本が勝った」外国人から覚醒を促す感動の一冊 日本人よ、洗脳から目覚めよ 「zakzak(2017.5.1)」より
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★ヘンリー・S・ストークス(著) 藤田裕行訳・構成『英国人ジャーナリストヘンリー・ストークスが語る「世界史の中の日本」 大東亞戰爭は日本が勝った』(ハート出版・1600円+税)

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 先の大戦を「太平洋戦争」と呼んではいけない。日本人に対するアメリカの洗脳が生んだ言葉だからだ。あくまで「大東亜戦争」であり、しかも日本は勝った--日本人よ、洗脳から目覚めよ! 著者ヘンリー・ストークス氏は訴えている。

 英フィナンシャル・タイムズ、ザ・タイムズ、米ニューヨーク・タイムズの各東京支局長を歴任したジャーナリストである同氏は、世界史を俯瞰(ふかん)して眺めることで、大東亜戦争の真実にたどり着いた。

 同氏によれば、大東亜戦争とは、世界の民族が平等で共に栄えるという「八紘一宇(はっこういちう)」を掲げて、日本が植民地支配に苦しんでいたアジアを解放するために戦った大義ある戦争だったという。黒船来航で開国、明治維新を断行、富国強兵に突進したのは、日本の植民地化をまぬかれるための自衛策にほかならない。そして、日露戦争でロシアの野望を砕き、やがて日英同盟を結んだ英国と相対することとなった。植民地の最大の宗主国だったからだ。そして、英国と戦った大東亜戦争に日本は勝った…。

 同氏も英国人として、日本が英国に勝った事実を初めは受け入れ難かったという。だが、世界史を西欧側からばかりでなく大きなスパンでみると、大英帝国を滅ぼしたのは日本だったということに気づいたという。

 当時のアジアを支配した英国はじめ列強の人種差別と迫害の実態。アメリカもスペイン戦争の結果、手に入れたフィリピンでは暴虐の限りを尽くした。手を汚したのはマッカーサー父子だった。

 日本の大東亜戦争は、それら虐げられた国々の希望の戦いでもあった。結果は、日本は敗れ、国土は焦土と化した。だが、もっと苛烈を極めたのは、GHQ(連合国軍総司令部)による歴史のねじ曲げ工作だ。原爆投下やそれを上回る民間人を殺傷した東京大空襲は戦争犯罪と著者は断罪する。そうした批判を封じ込めるために、東京裁判は行われ、日本の侵略を裁く必要があったのだと。

 GHQの洗脳で日本国民にはいまも先の大戦に対する原罪意識がぬぐえない。いまこそ目覚めて、日本の悠久の歴史と大東亜戦争の真実を知るべきだ。外国人から覚醒を促す感動の書である。


香港で破られた「白人の優越」

.香港は、東洋の真珠として知られていた。広さは四二三平方キロ。商業の中心地である香港島と、九龍、新界、周辺の島々からなり、香港島にある大英帝国支配の象徴であるビクトリア・ピークは標高約四〇〇メートル、頂上から、湾や、周囲の島々を一望することができる。

イギリスが香港に触手を伸ばしたのは、アヘン戦争の後の一八四二年だった。一八九八年に、新界を獲得し、守りを固めた。日本軍進攻前の香港の人口は一七〇万人で、一万四〇〇〇人の白人と、七五〇〇人のインド人が住んでいた。裕福だったのは白人で、中国人はアメリカニグロ南部の黒人同様に、人種差別のもとで、絶望的な窮状を強いられていた。

ところが、日本軍が一九四一年十二月に進攻すると、「英領支那」の白人支配層を組み伏せてしまった。

(※mono.--中略、詳細はブログ記事で)
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イギリスが香港を領有してからおよそ一世紀が経過した一九四一年十二月に、日本軍が香港を占領し、まるで聖書の「黙示録の予言」と、「最後の審判」が同時に起こったかのように、大多数の住民によって熱狂的に迎えられた背景には、人種差別があった。

ある評論家は、「イギリスにとって、軍事的な敗北より、心理的な打撃のほうが大きかった」と、語った。特にシンガポールの陥落は、ジンギスカンの騎馬隊が七世紀以上も前に、ウィーンの城門まで迫った時以来、「アジア人が、大英帝国に与えた最大の衝撃」だった。「白人の優越」という城塞が、あっけなく破られたのだつた。

それは、戦いに敗れたというだけではなかった。白人が有色人種との戦闘で敗北したという事実は、白人に天から付与されたと信じられてきた続治権や、精神の優越までがずたずたにされ、失われたことを意味した。その喪失感は、言いようのないものだった。

イアン・モリソンは、戦争が激しくなると、「極東で白人が持っていた特権は、もはや過去みちのものとなり、元に還ることはない。白人は自らの行く途を、人種とか、肌の色とか、海軍力よへの信仰に拠らずに、各人の能カと資質によって選択せねばならない」と、説いた。

白人は自分たちが有色人種に対して犯してきた罪によって、罰せられる時が到来したことにおび震え上がっただけでなく、新しい人種秩序の中で、最下層に落とされるのではないか、と怯えた。

(※mono.--中略)
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イギリスは、日本軍による白人に対する「残虐行為」が明らかになると、「ほとんどの中国人が、そのことに関心を示さない」「中国人は日本軍がそのような行為に及んだのは、白人をはずかしひそ辱めて、アジアから追放するためだと思って、むしろ密かに喜んでいる」という、報告を受けていた。

白人側が使った人種差別の宣伝とは

ところが、事実を捻じ曲げて、「日本軍がアジア人に対して、ありとあらゆる『残虐行為』プロパガンダに及んでいる」という、宣伝が行なわれた。日本軍が白人に対して「残虐行為」を行なっていると報告すると、かえって「アジア人のために戦う日本」のイメージを広めかねなかったからだった。

白人と有色人種が平等だという戦後になってからの人種政策や「白人の優越」が否定されることは、日本軍の進攻によってすでに戦時中から明らかになっていた。

(※mono.--中略)
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アメリカもイギリスも、日本の「人種戦争」に、どのように対応すべきか戸惑った。日本の人種政策と一線を画さなければならなかったが、同時に自ら実行してきた人種差別を緩和しなければならなかった。

イギリスは大西洋憲章によって民主主義を高揚したかたわら、アジアやアフリカの植民地では、民主主義を否定していた。特にイギリスは戦時中に起こった人種の地位の大転換に、当惑した。ひとつの対応法は、沈黙を守ることだった。中東でもパレスチナ間題に直面したが、肌の色や人種のような問題に、できるだけ触れないようにした。

結局、大英帝国に対する人種戦争の衝撃が白日の下に晒され、沈黙を続けることができなくなった。さらに事態を複雑にしたのは、第二次世界大戦前に人種差別主義がもたらした罪が、ほとんど問題とされなかったことだった。帝国主義を非難していた評論家さえ、人種差別には批判の眼を向けなかった。

(※mono.--中略)
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日本は自衛のために戦った

一八五三年に、マシュー・C・ペリー提督が浦賀にやってきた。日本の二世紀以上に及ぶ鎖国が、破られた。これは、衝撃的な出来事だった。ペリーは上陸すると、背が高い屈強な黒人奴隷を二人伴って行進した。歴史的な舞台に、黒人に一役を担わせた。日本人は蒸気船にも驚いたが、久しぶりに見た黒人に、興味津々だった。

なぜ、ペリーが黒人を連れていたのか。理由はわからない。日本人を黒人のように奴隷にし得ることを、示したかったのかもしれない。理由が何であれ、この黒船襲来が、人類史上に輝く偉業である「明治維新」をもたらし、「白人の優越」を断固拒否する、アジア人の先進国家が建設される道筋をひらいた
(※mono.--赤字はmonosepia)
(※mono.--ココまでが著書の引用。以下ブログ主のコメント。)

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中国の株式市場が不安定なようですが、今年は中国経済の崩壊が世界経済に大きな影響をもたらすだろう。中東もサウジとイランが国交を断絶しましたが、アメリカの後退によって中東の勢力図が変わろうとしている。アメリカが後退した空白は日本が埋めるべきなのでしょうが、大東亜戦争でアメリカに敗れた事で犯罪国家とされてしまった。

アメリカでは「太平洋戦争」と呼ばれていますが、日本は日米戦争では敗れたが、大東亜戦争では東南アジアの占領地域はほとんど維持されていた。アメリカの植民地だったフィリピンは奪還されたが、イギリスやフランスやオランダの植民地では宗主国は奪還することが出来なかった。だから日本は3勝1敗であり、英仏蘭は本当は敗戦国だ。

(※mono.--中略)
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中国にとっては香港は大英帝国の植民地支配の象徴であり、中国をイギリスの植民地から解放したのは日本であり、その事を中国の歴史では教えていないようだ。むしろ香港でも中国人に対して日本軍は残虐な事を行ったと教えている。満州にいるロシア軍を追い払ったのも日本軍ですが、中国人はその事を忘れている。

毛沢東や蒋介石が日本軍に寛大だったのは中国からイギリス軍やロシア軍を追い払ったのは日本軍であったからだ。フィリピンからもアメリカ軍を追い払いましたが、マッカーサーはフィリピン人にアメリカ軍は日本軍よりも強い事を見せ付ける必要からフィリピンを奪還した。

(※mono.--中略)

しかし戦後70年も経てば、冷静な分析も出来るようになり、それは「人種戦争」と言う本を読んでみれば、アメリカでも歴史の見直しが行われている。しかしこの本の著者が黒人の大学教授であり、戦時中においても黒人はアメリカ軍の中でも警戒された存在であり、黒人の将校は大戦末期になるまで存在しなかった。

戦後になってもアメリカは人種差別の総本山であり、「白人の優越」は50年代の映画を見ても明らかだ。白人のジョン・ウェインによってインディアンがバタバタと殺されている映画がある。オーストラリアでもアボリジニは狩猟の対象であり「駆除」される存在だった。

大戦中では日本人はサルの仲間の類人猿とされてポスターなどに描かれた。白人たちが有色人種をサルの仲間とみなしていた事は知られたくない真実であり、それを変えたのは大東亜戦争における日本人の戦いだ。しかしこのような見方はアメリカでは受け入れられない事実である。


■ マイケルが”Voice”でアジア解放論を明言した 「帝国政府声明文 安濃豊-戦勝国は日本だった(2015.11.26)」より
(※mono.--記事はブログページの中ほどから始まる)
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マイケルが月刊誌”Voice”に論文を投稿し、慰安婦を否定すると同時に、大東亜戦争によりシンガポールが陥落し、植民地の独立は約束されたと記述しました。私もアジア解放論をマイケルのFBに英文で何度も投稿してきましたがその甲斐がありました。

マイケルは大東亜戦争こそアジア独立のきっかけになったと認めているわけだが、さて東京既存保守論壇はどうするのでしょうね。

渡辺昇一さん、櫻井よしこさん、水島さん、藤岡さん、保坂さん、西部さん、西尾さん、どうしますか?君たちはアジア解放史観を明言していませんよね。また、白人に先越されましたね。

恥ずかしー!

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)


■ アジアの「慰安婦」を徹底追跡! マイケル・ヨン現地ルポ〔『Voice』 2015年12月号〕 「iRONNA」より
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マイケル・ヨン (ジャーナリスト)

 もしいままで日本に関して積み上げられてきたウソを1カ所に集めて燃やしたら、真っ黒な煙が太陽を覆ってしまうにちがいない。

 過去数年にわたり、われわれは日本、米国、フィリピン、タイ、ミャンマー、オーストラリア、インドネシア、直近でマレーシアを含む数々の国で「慰安婦」問題の調査を続けてきた。

 上記の8カ国に加え、私は10年以上をアジアで過ごし、21カ国を訪問してきた。われわれのサンプリングと調査は決して小規模なものではないが、完全だというつもりもない。

 現在の調査の目標は単純明快である。

 1、第2次世界大戦時日本の慰安婦問題の真実を追求する。

 2、現在の対日感情を正確に把握する。

 プロパガンダの専門家たちは全世界に対し、アジアのすべての国が、20万人に及ぶ「性奴隷」を誘拐したという理由で日本へ憎悪と怨恨を抱いている、と信じさせようとしている。

 われわれは、日本がいかなるかたちにおいてもその手の大規模な誘拐連行に関与していないことを知っている。真っ当な研究者とジャーナリストのあいだでは本件は完了している。

(※mono.--以下略、詳細はサイト記事で)

■ 橋下徹や福島瑞穂は、「戦争指導者糾弾決議」でも国会に提出したらどうか 「私的憂国の書(2015.8.27)」より
(※mono.--前半の橋下・福島氏関連記事略、詳細はブログ記事で。ここでは先の大戦の総括について語った部分のみ掲載)
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 日本は先の大戦を総括していないとよく聞くけれど、私はひとつの総括が、昭和28年8月の国会決議だと思っている。この「戦犯釈放を求める国会決議」は、全会一致で決議された。A、B、C級の区別なく、戦犯として処刑された方々は「法務死であって戦死者とみなす」とされた。この決議を動かした昭和27年の「戦犯の早期釈放を求める署名運動」では、当時約8580万人とされる日本の総人口のうち、約半数の4000万人が署名した。人口には子供も含まれるから、ほぼ、国民の総意と言って差し支えない。後にも先にも、国会で「戦犯」と言われた方々の処遇を決めたのは、この決議だけである。これが日本国民の総括ではないのか。

 橋下の論は、この決議とは正反対のものだ。戦争責任を一部に押し付け、国民は罪がないとするのは、ドイツのやり方と同類だが、我が国はそのやり方を取らなかった。取らなかったどころか、戦争指導者を戦犯ではないと国民の総意で決めたのだ。子の総意を覆すつもりなら、福島瑞穂や橋下徹は、「戦争指導者糾弾決議」でも国会に提出したらどうか。

 国家間の謝罪とは、金を払うということだ。その金は、すなわち我々の血税である。こういう政治家を為政者側につけたら、国民はたまったものではない。


■ 日本人が太平洋戦争を総括できなかった理由と裸の大衆 「誰かが言わねば(2014.5.26)」より
(※mono.--前半略、詳細はブログ記事で)
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太平洋戦争の総括をせずに、問題の原因を明らかにせずに今日まで来てしまいました。問題の原因を明らかにしないうちに勝手に問題が解決しているなどということはありえません。つまり、現代の日本にも同じ問題の根っこの部分は残ってしまっています。
かつて、善良で素直で漫然と生きる人達が安全な場所から勇ましいことを言い放ち、知らないうちに無謀な戦争の原因になりました。そしてこれから先にも、同じように善良で素直で漫然と生きる人達が知らないうちに無謀な出来事の原因になってしまう可能性をはらんでいます。

裸の大衆は今も、隣国の暴挙に屈するなと安全な場所から勇ましいことを言い放ちます。彼等は、現実的で不快な意見を退け、非現実的であっても心地よい意見だけを受け容れます。その延長線上には無謀な行為しかありません。そしてその結果、自分達の生活にマイナスの影響が出てしまうと、彼等は自分達こそが被害者だと思いこむのでしょう。安全な場所から勇ましいことを言いたがる人達は、いざとなったら何の役にも立ちません。それどころか彼等は最後には自分は純粋な被害者だと思い込むのです。少々教育レベルが上がっても、今のところ裸の大衆は裸のままなのです。

善良で素直で漫然と生きている裸の大衆には、自分達が社会や他人に迷惑をかけているという自覚がまったくありません。しかし間違いなく、裸の大衆は被害者ではなく加害者なのです。安全な場所から「そうだ、そうだ、もっとやれ」と無責任な態度をとっていると最終的には自分自身に災難がふりかかるのだということを理解しないかぎり、いつまでも同じ過ちを繰り返すことになります。

あなたは、どう思いますか?

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■ 右傾化する人達が根本的に分かっていない一つの事実 「誰かが言わねば(2014.3.25)」より
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太平洋戦争を全面的に総括しようとすると、どうしても納得できないことにブチあたってしまいます。

それは、なぜ敗戦国の戦争責任だけが問われて戦勝国の戦争責任が問われないのか?という話です。

太平洋戦争のアメリカ軍による日本への空爆は、最初は軍事施設や軍需工場だけをターゲットにしたものでした。しかし日本側がなかなか音をあげないために、民間人の家屋も空爆の対象に加えました。アメリカ軍は日本の木造家屋を燃やすための焼夷弾と呼ばれる爆弾をわざわざ開発しました。そうやって意図的に、非戦闘員を街ごと焼き殺した行為が罪でないとはどうしても思えません。

従軍慰安婦の話も同様です。日本軍の従軍慰安婦制度には一部で軍関係者による関与があったことは間違いないでしょうし、それはもちろん罪です。しかし第二次世界大戦当時、軍隊が性犯罪をまったく犯していない国はありません。慰安所という仕組みを作ったのは日本やドイツ等の一部の国に限られますが、慰安所を作らないかわりに兵士の強姦を見て見ぬフリで済ませていた国々には罪がないなどと言えるでしょうか?にも関わらず、戦勝国側の性犯罪について触れることはタブーとなっています。これはどう考えても公平ではありません。

右傾化しつつある人達は上記のような点に納得できないため、戦勝国側の主張をすべて受け入れるのは売国的行為であるように感じてしまいます。

しかしここにひとつ大きな事実誤認があります。

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)


■ 大東亜戦争の総括 「正統史観年表」より
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(※mono.--記事はブログを参照)














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最終更新:2021年04月11日 15:11