GHQの焚書図書開封によって見えてきた昭和18年代の日本と、今の米国の認識が近づきつつあるという指摘は非常に重要なもの。
その認識の共有をもっと拡大しなければいけない。
衛藤氏がたじたじになりながら安倍政権の本音を吐露している。
西尾幹二氏のように、鋭い指摘と正論で安倍政権をまっとうに批判することで、安倍自民から本音を引き出し、かつサヨクの出番がなくなる、サヨクの出鱈目批判がよりいっそう際立ってサヨク言論が完全に死ぬということを、まさにこの番組が示しただろう。
北朝鮮危機の今こそ、軍事安全保障を基軸に、保守側、右側から、しっかり安倍政権を批判することで、サヨクに引導を渡すことができる大チャンスを手にしているのだ。
”安倍さん大好き言論人”とその信者が、安倍晋三という政治家と安倍政権の可能性を殺している。
山口氏がまるで借りてきた猫のようであった。
それは冒頭で西尾氏が正論をもって安倍首相個人と安倍政権を論理的にきちんと批判したからであり、そこにはサヨクの出鱈目な安倍批判が付け入るスキがなかったのである。
(※mono....以下略、詳細はブログ記事で)
2017/12/08 に公開
安倍政治とは何なのか、保守、リベラルは安倍政権の5年間をどのように評価しているのか、「衛藤晟一」氏、「西尾幹二」氏、「山口二郎」の討論。
ソース:プライムニュース(2017年12月7日) 反町理(フジテレビ政治部編集委員) 秋元優里(フジテレビアナウンサー) 衛藤晟一(首相補佐官、自由民主党参議院議員) 西尾幹二(評論家、電気通信大学名誉教授) 山口二郎(法政大学法学部教授)
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安倍晋三】
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保守派の大重鎮・西尾幹二氏「鬼気迫る安倍批判」の真意 「NEWSポストセブン(2017.08.28 16:00)」より
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もともと相容れぬ敵から太刀を浴びせられるより、一度は信じた相手から裏切られたほうが、傷口は深い。ついに始まった保守論客による安倍批判は、まさにそれだ。安倍政権を信じて支え、挙げ句に裏切られたことのショックは、これまでにない強烈な批判に転じて、首相に襲いかかろうとしている。
〈憲法改正をやるやると言っては出したり引っ込めたりしてきた首相に国民はすでに手抜きと保身、臆病風、闘争心の欠如を見ている。外国人も見ている。それなのに憲法改正は結局、やれそうもないという最近の党内の新たな空気の変化と首相の及び腰は、国民に対する裏切りともいうべき一大問題になり始めている〉
保身、臆病風、及び腰、裏切り……激しい言葉が並んだ痛烈な安倍批判を書いたのは、保守論客として知られる西尾幹二氏で、掲載されたのは産経新聞(8月18日付)である。
安倍首相を応援してきた保守派から批判が上がるなど、これまでなら考えられなかった。まして「新しい歴史教科書をつくる会」初代会長を務めた保守派の大重鎮である西尾氏は、かつて安倍首相に大きな期待を寄せ、5年前の第二次政権発足後には月刊誌『WiLL』に「安倍内閣の世界史的使命」という大型論文でエールを送った人物である。
その西尾氏が、「民族の生存懸けた政治議論を」と題した痛烈な安倍批判を、保守系メディアの本流である産経新聞に掲載した。
思い起こされるのは、戦後の保守論壇を率いた故・江藤淳氏が、1997年、小沢一郎氏に向けて「小沢君、水沢に帰りたまえ」と呼びかけた産経のコラムである。江藤氏は政治家としての小沢氏を高く評価していた。それゆえに党首を務めていた新進党が分裂危機を迎えた小沢氏の苦境を憂え、地元である岩手県の水沢に帰って他日を期すべきだ、と説いた。
しかし、同じ産経を舞台にした政治家への呼びかけであっても、西尾氏の筆致は箴言の域を越え、「見限った」と断じるレベルにある。
さらに西尾氏はこの9月、『保守の真贋──保守の立場から安倍信仰を否定する』(徳間書店)という著書を上梓する予定だ。そこではさらに過激な安倍政権批判が展開されている。冒頭から、北朝鮮拉致問題に対する安倍首相の姿勢をこう斬って捨てる。
〈拉致のこの悲劇を徹底的に繰り返し利用してきた政治家は安倍晋三氏だった。(中略)主役がいい格好したいばかりに舞台にあがり、巧言令色、美辞麗句を並べ、俺がやってみせると言い、いいとこ取りをして自己宣伝し、拉致に政権維持の役割の一端を担わせ、しかし実際にはやらないし、やる気もない。政治家の虚言不実行がそれまで燃え上がっていた国民感情に水をかけ、やる気をなくさせ、運動をつぶしてしまった一例である〉
憲法改正、皇室問題、国土防衛など、その後もテーマを移しながら安倍批判は続く。その表現は鬼気せまるものがある。
〈ウラが簡単に見抜かれてしまう逃げ腰の小手先戦術は、臆病なこの人の体質からきている〉
〈いつもいいとこ取りをし、ウロウロ横見ばかりして最適の選択肢を逃げる〉
そしてこう断言する。
〈安倍氏、ないし自民党は「保守」とはまったくいえない勢力だ〉
◆みんな愛想を尽かしている
西尾氏に真意を訊ねた。帰ってきた言葉は、文章以上に辛辣だった。
「私は安倍氏については、第一次安倍内閣の頃から、おしゃべりはうまいが、口が軽い、人間が軽いと思っていました。ただ、第二次政権発足時はメディアの“安倍叩き”が凄まじかったので、彼を守ろうとする意識で抑制していたし、期待もしていたんです。
ところが、彼はそうした保守派の過度な応援に甘え、憲法にしても拉致にしても皇室の皇統問題にしても、保守であればしっかり取り組むべき課題を何もやろうとしなかった。
5月3日の憲法改正案の発表には決定的に失望しました。戦力の保持を認めない9条2項をそのままにして3項で自衛隊を再定義する。これは明らかに矛盾しています。しかもその改憲すら、やれない状況になりつつある。困難というべき逼迫した軍事情勢にあり、国会でも3分の2という議席を有する今の状況で改憲をあきらめたりすれば、改憲のチャンスは半永久的に失われてしまいます。こんな事態を招いた安倍首相は万死に値する」
西尾氏の矛先は、これまで安倍批判を封じてきた保守派にも向かう。
「保守系のメディアはまったく安倍批判を載せようとしない。干されるのを恐れているのか、評論家たちもおかしいと分かっていながら批判してこなかった。しかし、本来なら保守の立場こそ、偽りの保守を名乗る安倍政権を批判しなければいけないのです。私の論文はもう保守系雑誌には載りませんが、何も恐れてなどいない。覚悟を決めて声を上げるべきなんです。
ただ、徐々にではあるが変化の兆しは生まれています。産経新聞はこの原稿を掲載しましたし、保守派の人たちが産経に載った論考を読んで“よくぞ言ってくれた”と私に率直な感想を伝えてくる。本物の保守はみな、安倍氏に愛想を尽かしています」
◆人間性に呆れている
西尾論考の波紋はまだまだ広がりそうだ。ベテランの政治部記者は言う。
「森友・加計問題で逆風が吹き荒れる中、それでも安倍政権の支持率は30~40%台に踏みとどまっていた。安倍首相は支持率を下支えしているのが、コアな保守層だと信じている。だからこそ、保守系のメディアや評論家、ネット上で安倍支持を訴える人たちの評価を一番気にしているし、保守派からの批判を一番気にしている」
その恐れている事態が現実となりつつある。安倍政権に期待が強かった分、裏切られたと感じた人たちは強力な反安倍に回る。支持基盤である保守層が離反していけば、文字通り政権の“底が抜ける”ことになってしまう。
江藤淳氏による小沢一郎氏への檄文は言葉こそ厳しかったが、それは期待の裏返しだった。現在の保守論客による安倍批判も、本音はそうではないのか。西尾氏にこう向けたところ、一笑に付された。
「いや、私には江藤さんのように叱咤激励するつもりはないですよ。単純に安倍首相の人間性に呆れ、失望しただけです」
安倍首相はもはや、下関に帰ったところで再起はできないのかもしれない。
※週刊ポスト2017年9月8日号
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