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古谷経衡
■ 湯川遥菜と古谷経衡 「「国家戦略特区」blog(2015.1.25)」より
(※mono.--前半の湯川遥菜氏関連記事はこのページでは略、詳細はブログ記事で)
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『古谷経衡のご意見を拝見して』

いわゆる自己責任論について私と同じく大いに疑問を持った方が、いらっしゃいます。ヤフーニュースのコラムが配信されました我らが古谷経衡さんです。内容としては、3割は大いに賛同しましたが、7割は全く的外れな内容であり、このような言論を垂れ流すようでは、批判せざるを得ません。

参照記事:「自己責任論」で中世に退行する日本

『同胞意識と近代国家』

古谷氏は、帝国の台湾出兵を例に、同胞意識の存在こそ近代国民国家の精神の発露であると指摘します。つまり台風で遭難し漂着した沖縄県民を惨殺した台湾に出兵し報復した事件です。このご意見は全く持ってその通りです。自己責任論を振り回す連中には、西郷従道先生の爪の垢を煎じて呑ませたいですね。

『古谷クンのトンでも理論』

全くの正論に大いに賛同するものの同意出来るのはココ迄でした。この後の古谷氏のトンでも言説については、学生時代に江戸の都市史の研究を行い論文を書いた身としては放置出来ません。先ず、古谷氏は、江戸時代や鎖国を中世の世界観と評しているのです。エッ?江戸が中世??

『江戸時代とは近代です』

日本史では、江戸時代を近世と分類していますが、西欧ではルネサンス以降の中世的な宗教の呪縛を離れた後の時代は近代となります。戦国時代の日本は、実は、武士同士の争いよりむしろ、浄土真宗などの宗教勢力と世俗の武士との闘いがメインでした。それ故、本来は、戦国時代の後の時代は近代と呼ぶべきなのです。

『近世という表現が自虐的』

ところが、日本は明治以降に西欧近代文明を受入れたのだから、江戸時代を近代とすると変だ、近代だけど、近代じゃ無い!という自虐的な理由で、戦国時代以降の社会を近世と日本では呼んでいるのです。従って、古谷氏が江戸時代の精神を中世の世界観と呼ぶのは日本史の常識を根底から覆す見解なのです。

『キリスト教を禁止の理由は同胞意識』

古谷氏は、鎖国の海外渡航の禁止を同胞意識の欠落と指摘していますが、そもそも日本が鎖国をしたのは、日本人の同胞を奴隷として平気で人身売買するキリスト教徒を為政者が怒り禁教したのが原点であり、むしろ鎖国とは、日本人が強い同胞意識を持っていた事の証なのです。

『戊辰戦争は中世の世界観とは無縁』

しかも古谷氏は、幕末の戊辰戦争を同胞意識の欠落としますが、同時期に行われた米国の南北戦争の方が圧倒的に多数の犠牲者を出しており、武士階級同士の戦闘で市民に対する殺戮のほとんど無かった戊辰戦争こそ強固な同胞意識、つまり近代化による国民国家化が江戸時代に既に達成されていた証拠なのです。

『近代国民国家だった日本』

戦国時代を経て世俗権力が宗教から自由を得た近代国家日本は、江戸時代には既に強力な同胞意識と国民国家化を達成しており、キリスト教世界との武力対立を避ける為に西欧との関係を最小限に留めていた鎖国政策を、西欧の侵略によって放棄せざるを得なくなったというのが正しい歴史認識でしょう。

『古谷氏の歴史観は典型的なサヨク史観』

古谷氏の歴史観は、恐らくサヨク的な自虐史観がベースなっているか、知識不足が原因だと思いますが、言論人として間違った歴史観をバラまくのは本当に止めて頂きたいものです。江戸時代に日本が同胞意識があったからそこ、ナショナリズムが高まり、幕末の尊王攘夷、維新へと繋がるのですから・・・

『中世の価値観はイスラム国です』

考えてみれば、イスラム社会こそ、宗教的な呪縛を乗越える事が出来ていない故に、近代化という問題が社会と深刻な軋轢を生じさせているのであり、むしろ中世の価値観に基づき行動しているのは、イスラム国の方なのです。毒を薬と云い、薬を毒というようでは、偽装転向コミンテルンと一緒ですよ。

『中世化する価値観とはグローバリズム』

古谷さんの言論は、いつも惜しいところで、道を間違えてしまうのが残念ですが、中世化というキーワードは、本ブログでも以前から用いているキーワードです。そして日本が中世化して脱国民国家化しつつあるという意見は私も同じですが、それを引き起こしているのはネオリベ・グローバリムズなのです。

『ネオリベの自己責任論が国を溶かす』

小泉政権時代のイラクでの邦人人質事件の頃から、やたらと自己責任を振りかざす自称保守が多く見られるようになりました。自己責任とはネオリベ・グローバリズム思想、新自由主義のキーワードです。貧乏になるのも自己責任。会社が倒産するのも自己責任。何でも自己責任が大好きです。

『ネオリベで解体する日本』

強い同朋意識を持つ国民国家で有れば、人々は安心して投資やビジネスを行う事が出来ます。ところが何でも自己責任のネオリベ社会では、人々は自己防衛の為にマネーを抱え込みます。企業の内部留保がここまで増えているのその証です。自己責任の名の元に国家が個人に解体されているのです。

『自由主義は過酷な中世が産み出した』

私は、自己責任のネオリベ思想のルーツを産み出したのは、中世だと考えています。ローマ帝国が崩壊した後の中世で、ビジネスをするのは完全な個人の自己責任です。その苦難を乗越えて発展した思想が、自由主義なのではないでしょうか?従って自己責任論が中世由来の価値観と繋がるのは正しいのです。

『言論封殺も一種の自己責任のテロ』

風の噂ですが、古谷氏は、彼の知人の一般人ブロガーを名誉毀損で300万円の損害賠償を求めて提訴したそうです。額は2億ドルとは差がありますが、20代のこの若者にすれば2億ドル並の脅しです。このような言論封殺は合法的な一種のテロルであり、テロ被害者への自己責任論の同じ精神の発露と危惧します。














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最終更新:2015年01月25日 21:12