建国記念の日〔Wikipedia〕
建国記念の日(けんこくきねんのひ)は、日本の国民の祝日の一つで、日本の建国記念日。日付は2月11日。
「建国記念の日」と定められた2月11日は、かつての祝祭日のひとつ、紀元節であった。紀元節は、『日本書紀』が伝える初代天皇である神武天皇即位の日として、1872年(明治5年)に制定された[1]。この祝祭日は、1948年(昭和23年)に制定された国民の祝日に関する法律附則2項で、「休日ニ關スル件」(昭和2年勅令第25号)が廃止されたことに伴い、廃止された。
紀元節復活に向けた動きは、1951年(昭和26年)頃から見られ、1957年(昭和32年)2月13日には、自由民主党の衆議院議員らによる議員立法として「建国記念日」制定に関する法案が提出された。しかし、当時野党第1党の日本社会党が保守政党の反動的行為であるとして反対した為[3]、衆議院では可決されたものの、参議院では審議未了廃案となった。
その後、「建国記念日」の設置を定める法案は、9回の提出と廃案を繰り返すも、成立には至らなかった。結局、名称に「の」を挿入した「建国記念の日」として“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるようにし、具体的な日付の決定に当たっては各界の有識者から組織される審議会に諮問するなどの修正を行い、社会党も妥協。1966年(昭和41年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案は成立した。



■ 紀元前660年に日本は建国されたと主張する人びとの中から生まれたモンスターが支える安倍政権 「櫻井ジャーナル(2014.2.11)」より
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 2月11日は「建国記念の日」だという。1966年に祝日法が改訂され、祝日に加えられたのである。ポツダム宣言の受諾を決め、同盟通信の海外向け放送で降伏の意思を連合国側へ伝えた8月10日でも、「玉音放送」とか「終戦勅語」と呼ばれる放送があった8月15日でも、政府全権の重光葵と軍全権の梅津美治郎が降伏文書に調印した9月2日でも、また「日本国との平和条約」に吉田茂らが調印した9月8日でもない。「紀元節」を「建国記念の日」と言い換えたのだ。
 この「紀元節」が定められたのは1873年10月のこと。『日本書紀』を引っ張り出し、神武天皇が即位した日を割り出し、1872年12月には1月29日だと決められたという。
 ところが、1月29日では旧暦(太陰暦)の1月1日になってしまい、「旧正月を祝う日」だと考える人が多くなり、日付を変えることになったようだ。妹が徳川家茂(第14代将軍)と結婚していた孝明天皇が1867年1月30日に死亡しているので、紀元節と孝明天皇の命日が近いことも日付変更の一因になったとも言われている。

(※ 以下略、詳細はブログ記事で)

★ 安倍首相メッセージ全文=建国記念日関係 「時事ドットコム(2014.2.10)」より
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 11日の「建国記念の日」を迎えるに当たり、安倍晋三首相が発表したメッセージは次の通り。
 「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨により、法律によって設けられた国民の祝日です。
+ 続き
この祝日は、国民一人ひとりが、わが国の今日の繁栄の礎を営々と築き上げたいにしえからの先人の努力に思いをはせ、さらなる国の発展を誓う、誠に意義深い日であると考え、私から国民の皆さまに向けてメッセージをお届けすることといたしました。
 古来、「瑞穂の国」と呼ばれてきたように、私たち日本人には、田畑を共に耕し、水を分かち合い、乏しきは補い合って、五穀豊穣(ほうじょう)を祈り、美しい田園と麗しい社会を築いてきた豊かな伝統があります。
 また、わが国は四季のある美しい自然に恵まれ、それらを生かした諸外国に誇れる素晴らしい文化を育ててきました。
 長い歴史の中で、幾たびか災害や戦争などの試練も経験しましたが、国民一人ひとりのたゆまぬ努力により今日の平和で豊かな国を築き上げ、普遍的自由と、民主主義と、人権を重んじる国柄を育ててきました。
 このような先人の努力に深く敬意を表すとともに、この平和と繁栄をさらに発展させ、次の世代も安心して暮らせるよう引き継いでいくことはわれわれに課せられた責務であります。
 十年先、百年先の未来を開く改革と、未来を担う人材の育成を進め、同時に、国際的な諸課題に対して積極的な役割を果たし、世界の平和と安定を実現していく「誇りある日本」としていくことが、先人からわれわれに託された使命であろうと考えます。
 「建国記念の日」を迎えるに当たり、私は、改めて、私たちの愛する国、日本を、より美しい、誇りある国にしていく責任を痛感し、決意を新たにしています。
 国民の皆さまにおかれても、「建国記念の日」が、わが国のこれまでの歩みを振り返りつつ先人の努力に感謝し、自信と誇りを持てる未来に向けて日本の繁栄を希求する機会となることを切に希望いたします。
 内閣総理大臣 安倍晋三(2014/02/10-17:59)

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★ 首相 建国記念メッセージ「右傾化ととる人がおかしい」官房長官 「防災情報【ハザードラボ】(2014.2.10)」より
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 安倍晋三首相は10日、明日の「建国記念の日」にむけたメッセージを初めて発表したが、これについて菅義偉官房長官は10日午後の記者会見で、記者から「また政権右傾化などの批判を受けるおそれはないか?」と質問されたのに対し、「祝日で決まっているものについて、祝日の主旨に基づいて、総理大臣がメッセージを出すことが、どうしてそういうことに取られるか、取る方の人がまったくおかしいと私は思う」と述べた。
 同会見ではさらに記者から「国民主権を考えると、国家というものを前面に出すということはいかがなものか?という見方もあるが」と問われ、「それはまったく当たらないと思う。建国記念日というのは、国会で決めて祝日になっている。そこについて一国の総理大臣がお祝いのメッセージを出すことが、まさに民主主義じゃないでしょうか」ときっぱりと反論。
 この安倍首相のメッセージでは、「国際的な諸課題に対して積極的な役割を果たし、世界の平和と安定を実現していく『誇りある日本』としていくことが、先人から我々に託された使命」などとして、「積極的平和主義」に言及している。

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★ 建国記念の日、賛否双方が集会 「佐賀新聞(2014.2.11)」より
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 「建国記念の日」の11日、佐賀県内では奉祝、反対派それぞれが集会を開く。東アジアの各国でナショナリズムが高まり、安倍晋三政権が憲法改正を前面に掲げる中、国のあり方を考える一日となる。
 日本会議県本部などは午後1時半から、佐賀市文化会館で奉祝式典を開く。松浦光修・皇学館大教授が「甦(よみがえ)れ日本! 天皇陛下の祈りと建国の理想」と題して講演。武雄、唐津、鳥栖の3市でも奉祝式典や講演がある。
 一方、革新系の県平和委員会などは午前10時から、佐賀市のメートプラザで紀元節復活の反対集会を開く。長野暹(すすむ)・佐賀大名誉教授が「世界から孤立する安倍政権」と題して講演する。
 労組などでつくる県平和運動センターは午前9時半から、佐賀市など県内9地区で反対集会を開き、街宣やチラシ配布で護憲を訴える。


■ 祝 建国記念日 「BBの覚醒記録(2014.2.11)」より
(※ 前後略、詳細はブログ記事で)
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ダボス会議における安部首相に関するニュースが日本の報道では
ネガティブなものが多く、気になりながら都知事選にかまけて
安部首相の海外報道における絶賛評価については触れそびれて
いました。(同行の財界人の絶賛は記事にした記憶がありますが)

安部総理に関しては再三述べているように、是々非々で称揚すべき点、
批判すべき点、双方書いてきています。ベストではないが、現在の選択肢の
中では最大ベターであろうとも。

以下、英国ファイナンシャル・タイムズの安部総理絶賛記事です。靖国参拝に関しても、とても理解の行き届いた英国人の小論文を見かけたのですが、どこだったか・・・・・
読んだ方いらしたら、教えてください。理路整然、本来なら日本の官僚が書くべき
小論文でした。

アメリカも英国並みのフェアさを身につけて欲しいものです。
原爆投下や大空襲の非戦闘員を赤ん坊まで大殺戮した事実は隠しても
消えるわけではなく、また日本人は韓国人や中国人のように、それがあるから
有効が不可能だとも言わないし、謝罪と賠償を求めるわけでもありません。

前説が思わぬ長さになりました。

以下、一部転載文です。



■ 建国記念日と建国記念の日の違い?日本には存在しない? 「流行とか気になる記事(2014.120)」より
(※ 前略)
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ちょっとややこしくなってしまって申し訳ありません。
つまり各国の様に、2月11日に
建国にまつわる由来が確定していない、ということです。

なぜなら神武天皇は神話であって
歴史学上では、存在していないとされているからです。
紀元前660年と言えば、まだ縄文時代ですし・・・

なので2月11日を、「建国した日!」
と、断定することができずに
「建国という事象を記念する日にしよう」
となって建国記念の日になったんですね。

そうなるとタイトルの様に、日本には明確な建国記念日が
存在しないという事になるので、ちょっと寂しいですね。

〝の”が入るだけで、意味合いがまったく変わってくる。
日本語って奥が深いな~と感じました(-_-)










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最終更新:2014年02月12日 11:39