■ 米国債デフォルトとは何か - 行き詰まる米国の政治と経済 「世に倦む日日(2013.10.10)」より

米国の債務上限問題は厄介で、それほど容易に打開できる問題ではない。日本のマスコミ報道やネット政談では、デフォルトを回避することは確実で、その暗黙の前提の上でオバマと共和党が政争を演じているという見方が大勢だ。これは来年の中間選挙を睨んだ両者のパフォーマンスであり、駆け引きの政局バトルゲームだから、眉間に皺を寄せて大騒ぎするほどの問題ではないという認識で軽く傍観している。経済誌も全く注意を払っていない。週刊エコノミストも、週刊東洋経済も、今週号でこの問題を記事にしておらず、無関心を決め込んでいる。私には、この過小評価と不感症こそが異常で、不気味に感じられて仕方がない。きっと、恐慌(パニック)はこんな具合に、誰もが今日と同じ明日が続くと思い、正常性バイアスの海に浸かって平穏な日常を謳歌しているときに、ある日突然起きるものなのだろう。直近の報道であるように、10/17のタイムリミットを迎える前に、4-6週間分、交渉協議の時間を確保すべく、債務上限を暫定的に引き上げるという展開もある。だが、それはあくまでモラトリアムであって、デフォルトの危機を克服する問題解決ではない。両者が衝突している争点はオバマケアの導入であり、法律どおり新年度から施行するか、1年先延ばしにするかである。その選択をめぐって二者が政治対立し、デフォルトを人質にチキンレースを演じている。

二者がチキンレースの勝敗をつけられず、デッドラインを突破したとき、人質の命は失われる運命となり、米国債デフォルトの悪夢が現実となる。人質の命(デフォルト回避)の観点から言えば、どちらの勝敗でもいいから、この政争に決着がつく必要がある。が、チキンレース状態に入った政争は、出口が見えず、妥協のシナリオを描くことができない。茶会派はオバマケアの殲滅がゴールである。両者が知恵を出しても、誰かが仲介に入っても、オバマケアをめぐる問題で玉虫色の妥協案で合意する図式はデザインできない。「可能性の芸術」の隘路を見出し得ない。どちらかが敗者になる屈辱を引き受け、白旗を上げて人質を救う決断をするしかない。デフォルトを回避するためにはその方法しか残されていない。そう観測する。それは、政治の敗者にとっては重大な打撃だ。共和党側が撤退するときは、党が分裂すると言われている。嘗て一度も、少なくともこの数十年間、米国でこのような政治危機に直面したことはなかった。だから、日本のネット雀が楽観論の軽口を叩くほどには、この問題は簡単に収束へとは向かわないのである。最初からデフォルト回避が了解された八百長試合なら、オバマが国益の損害を甘んじてAPEC・TPPを欠席するということはなかった。TPPは議長国だったのだ。開催国ブルネイから議長の地位を強引に奪い取っていた。

TPP交渉妥結のため主導権を発揮するべく、満を持してオバマが首脳会合に乗り込む必要があり、事務方(USTR)と下僕(日本政府)はその準備に奔走していたのだ。TPPは流れ、1年延期の挫折になり、交渉が纏まって協定締結へ向かう道筋は不透明になった。貿易・通商の多国間ルール策定の交渉は暗礁に乗り上げやすい。このバトルの延長に来年秋の中間選挙がある状況を考えると、米国の政権は一層内向きを強め、TPPの妥結に注ぐエネルギーを減衰させることだろう。TPPとAPECを棒に振ってまで、つまり中国封じ込めのアジア戦略の工程を犠牲にしてまで、DCに張り付かなくてはいけなかったのは、議会対策の方がずっと重要であり、この政争に勝利して人質を救出するためだった。当然の判断だ。背に腹は代えられない。事態の本当の深刻さは当事者だけが知っている。デフォルトに至ればどのような破滅に襲われるか、それを承知しているから、オバマも、米国の関係者やマスコミも、むしろポーカーフェースの態度を世界に標榜しているのである。国内の政敵である共和党にはカタストロフの恐怖を言って脅しながら、世界の耳目に対しては、ドルと米国債の信認を落とさないように、金融市場が先走りして悪いイベント・トリガーを引くことのないように、「2年前と同じですぐに決着だ」「ねじれの恒例行事だ」と安心させているのである。政治家として、米国大統領として、その二つを使い分けている。

米国債がデフォルトになるとどうなるか。大方のマスコミ報道は、リーマンショック以上の金融危機になると予想している。巨大な痙攣のような信用収縮が起こり、NYSEが大暴落し、ウォール街の大手金融企業が破綻するだろう。リーマン時に生き残って5年間に肥え太った金融企業、政府の巨額の公的資金注入で再建された金融企業、倦み飽きず投機を貪っているヘッジファンド、これらが倒産に追い込まれるだろう。米国債の金利が急騰し、ドルも暴落するだろう。米国がギリシャのようになると、そこまで表現すると、少し大袈裟な気もするが、国債の利払いが不能になり、新規発行ができなくなり、国家財政の資金調達ができなくなるのだから、原理的にはギリシャの債務危機と同じだ。マスコミの記事等を見て、どうにも危機感が小さすぎるように思うのは、米国債がまさに世界金融の基軸商品であり、全ての金融投機市場が米国債の信用をベースに回っていることが見落とされている点である。投機家(金融企業)が米国債を手放す、あるいは償還で借り換えに応じなかった場合、世界中の金融取引は麻痺して心筋梗塞状態となる。投機家は、株を売り、債券を売り、手元に現金通貨(ex.円)を残そうとし、安全な現物資産を保有確保するべく狂奔する。パニックだ。金融パニックは5年前のリーマンショック時も起きたが、このときは米国債は無傷だった。米政府はすぐに財政出動で金融企業を破綻から救い、ドル経済の金融システムを守り、収縮した信用を元どおりの規模と運動に戻した。税金の投入で金融資本市場の治癒に成功した。

2008年10月に7000億ドル(70兆円)、さらに翌年追加で4500億ドル(45兆円)注入している。問題は、おそらく次に金融危機が起こり、信用収縮によって破綻の連鎖が発生したときは、このような大規模で迅速な財政出動はできないことだ。リーマンショック時は瞬時に応急手当して、素早く適切な投薬治療ができた。今回は米国政府が特効薬である国債を発行できない。そもそも、今の問題が債務上限問題で、茶会派の主張も、オバマケア(国民皆保険)は「大きな政府」であり、国民の税金負担が増えるから、拒否で不要だと言っているのである。ドルが基軸通貨であり、魔法の杖でFRBが無限にドル札を刷れば無限に信用(金融価値)が生成されていても、米国政府が何か支出するときは、米国債を発行しなければならない。そのファイナンスの源泉は米国民の税金なのだ。米国民が額に汗して働いて納めるタックスである。そこには魔法の杖はない。ここで、政府紙幣という問題を捨象するなら、まさにマルクス的な労働価値説の契機が生きている。労働価値説的な原理の拘束性が見出される。(基軸通貨の)魔術によって宇宙空間に膨脹したようなドル経済と金融市場だが、その運動と循環を成り立たせている根本の米国債は、米国民の労働の結晶たる税金が実体(substance)なのであり、それがなければ米国債は現実の貨幣(マネー)として機能しない。マネー(貨幣)たる米国債の価値は、米国民の労働によって創出されている。税金(労働)によって弁済されなくてはいけないから、債務上限が問題になるのである。

すなわち、マネーの発行量、信用量の限界が問題にならざるを得ない。FRBがドル札を無限に刷れば弁済できるのではない。FRBが魔法で価値を生み出して、それを政府発行の紙片たる米国債と交換で政府に価値を渡しているように見えて、実は逆で、真に価値を持った米国債がFRBの金庫に入り、米国債と引き換えで政府に渡されるFRB紙幣の価値を担保しているのだ。と、そう考えることができるのではないか。とまれ、エコノミクスの理屈の世界に入りすぎた。いずれにせよ、米国政府が発行できるマネー(米国債)の量は限界に来ており、これ以上増発すると、それはマネーではなくなる。ただの紙屑になってしまう危険水準に達している。米国民が労働して弁済できない極限にまで膨脹している。かくして、米国債の信用が毀損する事態になれば、あらゆる金融資本が発行した証券が無価値になり、市場が麻痺し、ヘッジファンドの投機が潰滅することになるだろう。マンハッタン島のウォールストリートは、占拠するデモ隊によってではなく、金融資本の価値法則の貫徹と挫折によって、その増殖機能を停止することになる。無論、こうした劇的な崩壊のドラマが現実に起こる可能性は現段階では低く、実際には、少しずつ債務上限を上げ、同時に政府支出を削りという措置を小刻みに続ける推移になると思われる。オバマケアをめぐる政治抗争の結末はどうあれ、米国債デフォルトという墜落を避ける方法はそれしかない。だが、ドラスティックなクラッシュを避ければ、米国債の信用が毀損しないということにもならないはずだ。

今後、米国債発行は抑制される。それによって、もしFRBが野放図にドル紙幣を金融市場に供給し続ければ、二つのマネー(ドル/米国債)の信用バランスに異常を来し、リスクとなり、いずれ金融の機能不全を招く原因となるだろう。一方、歳出削減の方だが、具体的な数字がブルームバーグの記事に出ている。ゴールドマン・サックスの試算によると、11月だけで連邦政府の支出は1750億ドルも削減されることになるとある。ジム・オニールは、「非常に大幅な歳出カットとなるため、米経済は再びリセッションに陥る」と警告した。イメージとしては、年度予算(10月-9月)を組みながら、計画どおりに支出するのではなく、月毎、週毎、日毎の税収のフローを睨みながら、カットできる支出を切ってゆくという変則的なリアルタイム処理の予算執行の姿だろうか。そのようにして、債務上限額を少しずつ上げ、デフォルトを避けつつ、苦肉の策で債務を抑え込むという慎重運転を強いられるのだろう。しかし、経済は生きものだから、米国債の償還に大口投資家が借り換えで応じないというアクシデントが生じれば、キャッシュインに穴が空き、国債利払いに支障をきたし、米国政府のキャッシュフローは苦しくなる。オバマケアの問題が片づいても、その次は、増税問題が民主党と共和党の新たな争点として浮上するに違いない。富裕層課税の是非で対立し、「大きな政府」と「小さな政府」が中間選挙で争われる図になる。そうして、結局のところは、全世界に設営している米軍基地1000か所を減らし、軍を縮小し、米国本土に撤退せざるを得なくなるだろう。

米国は、内政の混乱と財政の行き詰まりに苦しむ、外に戦略を打って出られない普通の国になった。










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最終更新:2013年10月13日 18:09