+ ニュースサーチ〔西部邁〕










「西部邁 & 伊藤貫」の思想
自尊心、独立心、威厳 ・・・ 安全と生存より価値がある


※mono....動画を拾い出してみた。


【宮台真司】追悼『西部邁』の人生を振り返る《デイキャッチ》【※mono....重要】


【夢を紡いで #6】井上幹彦~西部邁氏の思い出 / 女流作家から見る大和撫子の強さ[桜H30/2/23]


【討論】追悼・西部邁と日本[桜H30/2/10]


【頑固亭異聞】西部邁氏の言論を振り返る[桜H30/2/6]


【夢を紡いで #3】松浦芳子~西部、三島、持丸、何倍もの密度で人生を生きた男達 / グレンデール訪問で伝えた日本の心[桜H30/2/2]


【夢を紡いで #2】最後の西部節~リベラルとかデモクラシーを有り難がりなさんな[桜H30/1/26]


2018年(平成30年)1月21日 西部邁氏自裁死

【夢を紡いで #1】西部邁~「馬鹿」を考え続けた人生[桜H30/1/19]

【平成29年 年末特別対談】西部邁氏に聞く[桜H29/12/29]


【西部邁】秋の特別対談「激動する世界、私たちは?」[桜H29/10/21]


[衆院選直前]2017/10/15放送「日本のポピュリズムーどこまで選挙を左右するのか」【激論!サンデーCROSS】


【討論!特別版】世界の今、そしてこれから-西部邁氏を囲んで[桜H29/3/18]


【特番】平成二十八年 年末特別対談 - 西部邁氏と語る[桜H28/12/29]


3/3【討論!特別版】世界の現在-西部邁氏を囲んで[桜H28/6/11]


2/3【討論!特別版】世界の現在-西部邁氏を囲んで[桜H28/6/11]


1/3【討論!特別版】世界の現在-西部邁氏を囲んで[桜H28/6/11]


【年忘れ特別対談】西部邁氏に聞く、イノベーションと民主主義崇拝[桜H27/12/30]


【新春特別対談】西部邁と大いに語る[桜H27/1/2]


【西部邁】平成26年を振り返って[桜H26/12/11]


1/3【討論!】言志復刊記念・言論最前線の現在[桜H26/4/19]



西部邁 『日本国民に告ぐ』 2014/3/9[平成26年]


【新春特別対談】西部邁氏に聞く[桜H26/1/3]



2/3【桜戦線】平成23年夏の陣・西部邁[桜H23/7/16]




【西部邁】この国の行方[桜 H21/7/30]


「リストカットに悩む女性」と「西部邁氏の自殺論(2009年)」
https://www.youtube.com/watch?v=AyrCmSIlaVI ※動画埋め込み不可


[追悼・無料放送Part2]西部邁氏:西部邁流、保守主義のすすめ【マル激トーク・オン・ディマンド 第307回(2007年2月16日[平成19年])】


西部邁 わたしと夏目漱石 1991年[平成3年]ひとを語る わたしと夏目漱石(1)、(2)

ーーーーー

西部邁「あいつ一匹(菅直人)でいいっつうなら、僕○しにいきますよ」
※mono....東日本大震災に関連して…


2011/12/06 に公開
最近気になった映画と現代映画論[桜H22/8/21]より映画「愛を読むひと」(The Reader)について西部邁氏の見解。

おならチャンネル倶楽部TV7 か月前
やはり頭が良い人の解釈は面白い。
加えて頭が良い人の解釈はコンテンツ足りえる。死んじゃったけど、西部先生の本や発言は山のように残っていて、これをオカズに酒を飲む人生も悪くない。


藤井淳9 か月前
西部先生の頭脳明晰さや魅力的な人柄が分かる動画ですね。。


auno111 年前
天才は見るところが違う。さすがです。


■ ファシスタたらんとした者:西部 邁 「読書メーター」より感想・レビュー
/
(※mono....一つだけ引用)
allSS0413
題名にファシストとあるが、その様な(全体主義的な)思想本でないので安心してほしい。保守派の論客として有名?な著者の生涯における思想をエッセイとしてまとめた本。左翼過激派から保守派になった経緯や、その保守思想の源について分かりやすく書いてある。世間に溢れている世論とかけ離れた話題が多いので初めて著者の作品を読む方は戸惑うかもしれないが、自分の頭でよく考えてほしい。天皇制と信仰についての最後の見解も理論的で分かりやすい。

ーーー
■ ファシスタたらんとした者 「Amazonレビューを参照」より
/
弥太郎さん
5つ星のうち5.0 西部邁の戦後。
2019年9月5日に日本でレビュー済み
形式: 単行本
 西部邁の自伝的評伝。

 まず、いきなり、自宅に火をつけるところから始まる。

 西部の自決後、あとを襲った藤井聡らが、西部が自決に伴い逮捕者を出したことで決別を表明し、一読者である私は鼻白んだものだが、西部は元々常軌を逸した人間だった。

 西部邁がそもそも何と戦って来たかは「虚無の構造」に詳しいが、本書はその実戦と敗北の物語と言える。

 しかしなんとまぁ、壮絶な人生であったことか!!

ーー
cherry blossoms
5つ星のうち4.0 政治哲学者の人生経路と、絶対的価値の探求
2018年4月3日に日本でレビュー済み
形式: 単行本
まず、ご冥福をお祈り申し上げます。

この本を読むと、波瀾万丈ですが、西部氏の思想の2つの方向性がうかがえます。
絶対的な価値を探求する志向と、一般人(大衆)を低く評価する志向です。

どちらも良い面を含みますが、突き詰めるとファシズムになる。
ちなみに、現代社会では、
 ・価値(理想)を追いかけ、一般人を尊重する(リベラル?)
   *私は理想はやや好きだが、社会問題にも関心があるのでこの立場です。
 ・価値に関心がなく、一般人を尊重して票を集める(保守の利益政治)
 ・価値に関心がなく、一般人を軽視・扇動して票を集める(ポピュリズム)
というパターンが多いなかで、異彩を放ちます。

けれども、西部氏にとって絶対的な価値は、マルクス主義にも、アメリカ留学で触れた自由主義にも見つからなかった。もちろん一般人を低評価するので、民主主義は疑わしい。
結局、「歴史的に形成された民族」に、拠り所を求められたのではないか。
でも、「民族」も共同体的な価値(デメリットもある)を含むとはいえ、一般人の集合体ですから、そんなに理想的ではないとも思える。歴史の長さが、文化的価値を純化するわけではない。日本の過去の、超ナショナリズムの破たんをどう認識するのか。(この本の冒頭を読むと、子ども時代は北海道なので戦死者や空襲等の被害が少なく、戦争ではなくアメリカを憎む気持ちになったように解釈できる。)もう一つの難問は、それぞれの民族が自己主張する世界で、自分の民族だけ絶対だと主張する理由が見つけにくいことです。「日本人にとっては日本民族が絶対」という論理は成り立つでしょうか。

もっと深く読むべきでしょうが、とりあえずの感想で失礼します。
西部氏にとっては、論壇を通じて、日本のナショナリズム・右傾化の進展に貢献できたので、かなり充実感のある人生だったのではないでしょうか。日本が「純粋」にならないことに、限界を感じたとしても。
そして、もし天国がイデオロギーごとに複数あるなら、その1つで歓待されておられるでしょう。



2018/02/10 に公開
◆追悼・西部邁と日本

パネリスト:
 上島嘉郎(元産経新聞社『月刊正論』編集長・ジャーナリスト)
 クライン孝子(ノンフィクション作家) ※ スカイプ出演
 佐藤健志(評論家)
 富岡幸一郎(文芸評論家・関東学院大学教授)
 西田昌司(参議院議員)
 浜崎洋介(文芸批評家)
 藤井聡(京都大学大学院教授・内閣官房参与)
 脇雅史(前参議院議員)
司会:水島総



2017/06/24 に公開
西部邁氏の新著『ファシスタたらんとした者』を引きながら、戦後日本と近代主義について語り合っていきます。

出演:
 上島嘉郎(元産経新聞社『月刊正論』編集長・ジャーナリスト)
 澤村修治(評伝作家・帝京大学非常勤講師)
 西部邁(評論家)
司会進行:水島総(日本文化チャンネル桜代表)



2014/01/25 に公開
国家像が希薄になり、自由貿易と市場原理の名の下に、時に国家主権までもが資本に侵食されかねないグローバリズムの危険性と「保守による保護主義のススメ」を唱えてきた保守系オピニオン誌「表現者」によるシンポジウム「保護主義の大切さを知れ-国家論の再建」(平成26年1月10日)の模様をお送りします。


西部邁は自殺ではなく他殺?両手を縛られ、口の中にはビンを入れられていたことが判明!


(※mono....中略)
/
ことし1月東京 大田区の多摩川で評論家の西部邁さんが、意識不明の状態で見つかりその後死亡しました。現場に遺書が残されていたことなどから警視庁は自殺とみています。

その後の調べで、西部さんは手が不自由だったにもかかわらず体と近くの木がロープで結ばれているなどの不審な点があったことから、警視庁は何者かが自殺を手助けをした疑いがあるとして捜査していました。

その結果、西部さんが出演していた東京メトロポリタンテレビジョン=TOKYO MXの番組を担当していた子会社のディレクターの窪田哲学容疑者(45)と、西部さんの知人で会社員の青山忠司容疑者(54)が手助けしたとして自殺ほう助の疑いで逮捕しました。

警視庁によりますといずれも容疑を認め、窪田容疑者は「西部先生の死生観を尊重して力になりたいと思った」などと供述しているということです。

/
捜査関係者によると、川の中で見つかった西部さんは工事現場用のハーネスを着用。そこから長さ20~30メートルのナイロン製ロープが伸び、土手の樹木に巻かれていた。体が流されないよう固定したものとみられるが、手の不自由だった西部さんが1人で作業できたのか-との疑問が呈された。

当初は溺死とみられていたが、司法解剖の結果、大量の水を飲んだような形跡はなかった。口の中にはフィルムケース大の空の瓶が入っており、死亡との関係は不明だが「人為的に入れられた可能性が高い」(捜査関係者)という。警視庁は今後、詳細な鑑定で死因を究明する方針だ。

最後の足取りも分かっていない。同居する西部さんの長女(49)によると、事件前夜は親子で東京・新宿のバーを訪れていたが、21日午前0時ごろ、西部さんが「人と会う約束がある」と言って長女を先に帰宅させた。約1時間後、長女の携帯に西部さんから着信があり、留守番電話に「ザー、ザー」という音だけが残されていたという。

(※mono....以下略)


■ 緊縛(嘱拓)殺人だった西部邁の入水自殺 「逝きし世の面影(2018年03月15日)」より
/
『西部邁さん遺体、両手緊縛 自殺ほう助事件などの疑いも…警視庁捜査』3月14日サンスポ
https://www.nikkansports.com/general/news/201803140000899.html
(※mono....ニュース記事引用略)

両手を縛られていたなら一目で殺人だと分かるのに、…いったんは自殺だと発表された右翼の論客西部 邁(にしべ すすむ)の待ち望まれた死

殺人罪の減刑類型として、人を教唆して自殺させる自殺教唆罪、人を幇助して自殺させる自殺幇助罪、人の嘱託を受けてその人を殺害する嘱託殺人罪があるが、法定刑は全て、6ヶ月以上7年以下の懲役又は禁錮と殺人罪よりも軽い。(刑法第203条)
酒のコップを握るのも苦労するほど両手は不自由だったらしいが興にのって徹夜で飲み明かすなど体力的には絶倫だった右翼の論客西部 邁(にしべ すすむ)ですが、長年連れ添った妻に先立たれたら突然気弱になり最近では世間に自殺を公言していた。しかし、両手が縛られ口にはヘアバンドなら自殺でなくて間違いなく殺人事件である。

自殺どころか丸々最初から殺人事件である。あまりにも不可解で不親切な警察(マスコミ)の2ヶ月前の発表内容
★注、
今回ロイター通信までが報じる驚きの西部 邁の緊縛殺人ですが、一番の謎は『何故、発表が今だったのか。?』である。死んだのは1月であり、その時に警察(マスコミ)は自殺と発表していた。
(※mono....ロイター検索「西部邁」

(※mono....中略)
/
今回一番不可解な点は、第一発見者が不明だが最初から腰が引けたマスコミの報道姿勢から、警察自身(兵庫県警)である可能性が非常に高いが、あまりにも早く自殺と断定して捜査を行わないなど事件の渦中の人物の死としては何とも無気味、ほぼミステリードラマのような展開である。(自殺と結論して早々と幕引きしたが、もしも第一発見者は警察なら最も不愉快な結論も考えられる)

(※mono....以下、近畿財務局職員の自殺問題にも触れているが略、詳細はサイト記事で)


■ 西部邁さん遺体、両手緊縛 自殺手助けか、警視庁捜査 「msn-news[共同通信](2018/03/15 00:08)」より
/
 1月に自殺したとされる評論家西部邁さん=当時(78)=の遺体の両手が縛られていたことが14日、捜査関係者への取材で分かった。警視庁捜査1課は、何者かが自殺を手助けした自殺ほう助事件などの疑いもあるとみて捜査している。

 西部さんは1月21日未明、行方不明になり、長男が捜索願を出した。同日朝、東京都大田区田園調布5丁目の多摩川の水中で見つかり、病院で死亡した。目立った外傷はなく溺死とみられる。河川敷には遺書があった。

 捜査関係者によると、遺体は両手が縛られ、川まで届くロープで近くの木と結び付けられていた。





★■ 【西部邁さん死去】「俺は本当に死ぬつもりなんだぞ」 妻の死から思索深め… 「産経ニュース(2018.1.21)」より
/
 「ウソじゃないぞ。俺は本当に死ぬつもりなんだぞ」-。21日に死去した西部邁さん(78)はここ数年、周囲にそう語っていた。平成26年の妻の死などによって自身の死への思索を深め、著作などでもしばしば言及していた。

 昨年12月に刊行された最後の著書「保守の真髄(しんずい)」の中で、西部さんは「自然死と呼ばれているもののほとんどは、実は偽装」だとし、その実態は「病院死」だと指摘。自身は「生の最期を他人に命令されたり弄(いじ)り回されたくない」とし「自裁死」を選択する可能性を示唆していた。

 言論人として人気を集めたきっかけは、テレビ朝日の討論番組「朝まで生テレビ!」。「保守」を思想レベルまで引き上げた知性は、左右を問わず多くの知識人の尊敬を集めた。

 知人らによると、東京・新宿で、酒を飲みながら知識人らと語り合うのが大好きだった。ケンカや後輩への説教もしばしばだったが、相手を後からなだめたり、後日、電話で酒場に誘ったり。優しさと人なつっこさもあった。たばこもこよなく愛し、「思考の道具」と言ってはばからなかった。

 親米の論客からは「反米」と批判されたが、最大の問題意識は独立の精神を失い、米国頼みになった日本人に向いていた。いつも「今の日本人は…」と憤りを語っていた。


■ 人生のけじめ 「祖国創生(2018.1.21)」より
/
西部邁が自殺したらしいとのこと。

―― 参考情報 ――――――――――

「俺は本当に死ぬつもりなんだぞ」 妻の死から思索深め…
http://www.sankei.com/life/news/180121/lif1801210036-n1.html

―――――――――――――――――



私は、読者の皆様に西部邁ついて紹介したい本はない。たくさんの本を出した批判精神旺盛な方(提言ものがほとんどない)という印象しかない。

仮に、私が、「局面局面にて政策判断することに伴う、官房長官決裁文書を想定した在野のブロガー」だとすると、西部邁は、政府機関という組織にて決裁文書が存在することを想定したことがない人に見えた。

実務に係わるというのは、局面局面で、決裁文書の内容等がイメージできることを言うのだ。

(※mono....中略)
/
そう考えるので、西部邁は、晩年、自殺を仄めかすのではなく、日本人をジャップと呼ぶ前に(産経記事参照)、「国民の道徳」を書いた行為にけじめをつけていただきたかった。

―― 参考情報 ――――――――――

西部邁氏「安倍は保守じゃない。私は保守という言葉を理解しようとしない人々に憤りを込めて『ジャップ』と呼んでます」
http://hosyusokuhou.jp/archives/48802360.html

―――――――――――――――――
私はこういうモノの言い方に腹が立っている。学者なのだから、学術的、体系的、論理的であって欲しかった。まして、東大教官ならそうあってほしかった。

批判だけして言論人として仕事した気にならないでいただきたかったのである。
そして
批判だけして「人生が完成した」などと思わないでいただきたかったのである。



2018/01/20 に公開
評論家の福田恒存が呟いた「言論は虚しい」をめぐり西部邁ゼミナール長は「言論」というものをどの様に捉え感じ考えてきたのか?
「表現者」塾の青山忠司塾頭に語る。

日本人のコモンセンス「良識」を取り戻して欲しいと、近代化・大衆化に批判を差し向け、物事を総合的に捉えようと言論活動をしてきた西部邁ゼミナール長が語る特別講義。

40代に入り「言論」というものに本気で取り組んだ西部邁氏が、戦後の知識人の中で最も尊敬する一人である福田恆存が呟いた「言論は虚しい」。単純な模型のようなものが大量に流行するアメリカ流の近代化・大衆化に対する批判を差し向け、国家観、歴史観、人間観の全体像を総合性・一貫性・誠実性を持って捉えようと雑誌・TV・講演・塾と30年以上にわたり言論活動体を続けた西部邁ゼミナール長が「言論」をめぐって語る特別講義。

【TOKYOMX西部邁ゼミナール】

〔テーマ〕西部邁特別講義『言論をめぐって』


2018/01/19 に公開
あらゆる文化を柔軟に取り入れながら、伝統の核を失うことなく、独自の文化として熟成させてきた日本。 我が国のその受容性を軸に、「世界の文化が輝き、溢れ、交流する国」を目指す活動も展開している参議院議員・中山恭子が、日本を初め世界の文化や思想の真髄を知る識者や、各界で活躍する人々を招き、共に夢を紡いでいきます。

司会:中山恭子(参議院議員)
ゲスト:西部邁(評論家)

(※mono....この対談の最後に中山恭子参議院議員に「どうぞ先生、お元気で」と言われた。このとき西部先生は自裁の決意をされていたのだろうか?)





2017/12/08 に公開
資本主義と民主主義が行き詰まる世界混沌化によって米中露印欧と5極化へ向かっている。北朝鮮の核武装・ミサイル発射といった緊張感が高まるが、日本はアメリカの顔色を窺いながら「核の傘がある」というフリをしている。今後3~5年の間で北朝鮮は数十発の水爆を保有しアメリカ国民数百万人を殺す能力を持てば、恫喝された日本をアメリカが守ることはない。
日本人が直ちに問われている自主・独立の本質論「世界大分裂を語る」。



2017/12/15 に公開
憲法9条を守れと掲げるだけでは日本の独立は為されない。「いつまでアメリカの属国でいるのか」。トップ0.1パーセントの富裕層が全てを支配する米国流民主主義の頽廃。

ワシントンD.C.在住の評論家・伊藤貫氏が「世界大分裂を語る!!!!」。債権・株式・不動産の値上がり利益によるキャピタルゲインの半分をトップ0.1パーセントの富裕層が簒奪し、大統領選挙を含む政治資金の9割を出している。労働生産性は45年間上昇しているにも関わらず中間層の所得が停滞する中で、富裕層は政治・経済・金融まで支配する。庶民はマスコミの偽善・欺瞞を見抜いているが果たして民主主義に未来はあるのか?

【概 要】TOKYOMX西部邁ゼミナール
【テーマ】世界大分裂を語る!!!【2】
   〔表現者1月号連動企画〕いつまでアメリカの属国でいるのか


}






■ 西部邁に「自殺」を説く。 「手紙は今までの住所に送ってくださいも。(2017.12.30)」より
/

/
自殺とは、

外的要因にその理由を求めるならばそれは自分への誤魔化しである。

自殺とは、

自分に対峙できなくなった者たちがするものである。

…この動画見てたら西部さんにはそんなことーいってみたくなった。

ってか自殺したって自分からなんか逃げらんないんだけどね。

いま思ってる自分の思いてずーと付いてくるから。

それに西部さんが、憂いて、嘆いてする人たちなんて、

西部さんが自殺したって全然西部さんとは別の世界の人たち、

西部さんとは全然関係ーない人たち、

西部さんのことなんてなんとも思ってない人たちでしかないから。

西部さんが自殺して悲しむのは、

無念に思うのは、

西部さんを師事してた人たちだけだから。

てか奥さん死んでんならあといつ死んだっていーじゃん。

(僕)はかみさん死ぬまで死ねないんだから。

なんとしてもそれまでは生きてかなきゃならないんだから。

西部さんのーがぜんぜんまだマシじゃん。

―玲奈―















★ 評論家・西部邁さん死去、多摩川で自殺か 78歳 「産経ニュース(2018.1.21)」より
/
 21日午前6時40分ごろ、東京都大田区の多摩川河川敷で、通行人から「男性が川に飛び込んだようだ」と110番通報があった。駆けつけた警視庁田園調布署が男性を救助し、病院に搬送したもののまもなく死亡が確認された。

 同署によると、死亡したのは評論家の西部邁(すすむ)さん(78)。目撃情報などから自殺とみられ、同署で当時の状況を調べている。

ーーーーー




■ 「私の死亡記事」 西部 邁 「民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界(2015.7.1)」より
/
 「私の死亡記事」 文藝春秋編  文春文庫 2004年(単行本 2000年)

 「自殺できて安堵しております」 西部 邁(すすむ) 1939年(昭和14年)生まれ 秀明大学教授。

 私儀、今から丁度一年前に死去致しました。死因は薬物による自殺であります。銃器を使用するのが念願だったのですが、当てにしていた二人の人間とも、一人は投身自殺、もう一人は胃癌で亡くなり、やむなく薬物にしました。
 自殺を選んだ理由は、自分の精神がもうじき甚だしい機能低下を示してしまう、と確実に見通されたということであります。それは自分が単なる生命体に化すことであり、単なる生命体である自分が他の生命体を食して生き長らえているという状態を想像しますと、そういう状態にしか向かえない自分の生が無意味に思われました。ましてや、自分の単なる延命のために長年連れ添った妻に介護の苦労を強いるのは想像するだにおぞましいことでした。
 つまり、虚無の温床である生命それ自体にケリをつける、それが自分の生にかろうじて意味をみつける最後の手立てになった次第であります。そう考えそう行うことの妥当性については、かねてからの話し合いにより、妻子はよく理解してくれておりました。

(※mono....中略、詳細はブログ記事で)

 この死亡通知をたまたま読まれて、お前はそも何者だと尋ねたくなる読者も多いことでしょう。私の履歴を簡単に述べておくのがこういう際の作法だとは承知しているのですが、既に生前において、自分のやったことについては忘れゆくばかりでした。ニーチェを真似るわけではないのですが、何冊か本を書いたような気がする、としかいえません。このことからも、「精神」は活きていてこその代物だと、いわゆる彼岸にいるものとして、つくづく感じ入っております。左様なら。

ーーーーー
■ プライマリーバランスの大嘘 「キュヴェ タカ/cuvee taka(2018.1.21)」より
(※mono....前後略、詳細はブログ記事で)
/
西部邁は最近対談でプライマリーバランスの大嘘を語り、1,000兆円の累積赤字について内700兆円は赤字国債で日本人が保有している、また国内にすでにある700兆円程度のインフラなどを資産として考えれば、次の世代に借金を残すばかりではなく、資産も残しているのだから、プライマリーバランスの均衡を声高に叫ぶのはおかしな話で、喫緊の課題である安全保障のために20兆円やそこいら使って将来に備えることが何故できないのかと話しているが、小人の僕は収支の事ばかり気になり、このような考え方が思いもよらなかったので、目から鱗の論旨に深く感心した。


■ 安倍首相は「真の保守」ではない!西部邁氏が迷走政治を一刀両断 「DIAMOND online(2017.10.3)」より
/
長らく一強と言われながらも、ここに来て迷走気味の安倍政権。自他共に認める「保守」のリーダーシップは揺らいでいるように思える。一方で、今の政治には保守に対する明確な対立軸もない。にわか新党ブームの中で行われる大義なき解散総選挙を経ても、理想的な政治秩序が生まれるとは考えにくい。内憂外患の日本はいったいどこへ向かっているのか。保守派の論客として名高い西部邁氏が、今の政治や本来の保守の在り方について、想いを語った。自身の集大成となる新著『ファシスタたらんとした者』(中央公論新社)を上梓した西部氏が、保守の意味を取り違えた人々に送る最後の警鐘である。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 小尾拓也、まとめ/ライター 大西洋平)

日本において「保守」の意味がここまで誤解されている嘆かわしさ


――安倍政権は国民から保守志向が強い政権と思われており、安倍首相自身も保守を自認しています。ここに来て、「一強」と言われた支持率は以前より低下。外交では米中韓との駆け引きに振り回される上、足もとでは北朝鮮の脅威も増大、国内では森友・加計学園問題が噴出するなど、まさに内憂外患の状態です。最近では、「そもそも安倍首相を真の保守と言えるのか」という疑問の声も聞こえます。保守の論客として、西部さんは今の安倍政権をどう評価していますか。

 口にするのも辟易してしまうような論点ですね。残念ながら、日本は保守という言葉の意味をきちんと理解しようとしない人ばかりのように思える。私はそうした人々に憤りを込めて、あえて「ジャップ」と呼んでいます。保守は一般に思われているように、「現状を維持する」という意味では決してありません。

 本来の保守とは、その国のトラディション(伝統)を守ることです。近代保守思想の始祖とされるエドマンド・バークは、「保守するために改革(Reform)せよ」と説いています。現状が伝統から大きく逸脱していれば、改革を断行するのが保守なのです。

 そして伝統とは、その国の歴史が残してきた慣習そのものではなく、その中に内包されている平衡感覚のことを意味している。とかく人間の意見は左右に散らばって対立するものであり、そういった分裂を危機と呼ぶなら、時代は常に危機に晒されていると言えるでしょう。

 そうした状況下において、いかに平衡を保つかが問われているのです。ドイツの実存主義者であるカール・ヤスパース曰く、「人間は屋根の上に立つ存在」で、油断すればすぐに足を滑らせて転落しかねません。

 もっと極端に言えば、綱渡りのようなもの。1本の綱の上を歩くという危機に満ちた作業こそ、人間が生きていくということです。こうした平衡術は、凡庸な学者が考えた理屈から生み出されるものではありません。歴史という紆余曲折の経験の中から、曲芸師的に対処するための知恵のような感覚、あるいは言葉遣いや振る舞いを習得していくのです。

 常に状況は新しいわけだから、それは処方箋ではあり得ません。対処法を示唆してくれる存在として、伝統というものがある。だから、悪習と良習を区別しながらも、伝統を壊してはならないと考えるのが保守主義です。

安倍首相は保守ではなかった社会の方向性が見えていない


+ 続き
 こうした定義に照らし合わせると、安倍首相は最初から保守ではなかったわけです。実は第一次安倍政権が退陣した後、世間から総バッシングを受ける中で、僕だけは彼に手を差し伸べた。1年間にわたって毎月1回のペースで「保守とは何か?」というテーマの勉強会を開催して励ましたのです。

 ただ、第二次安倍政権が発足してからは一度だけ食事をともにしただけで、意識的に距離を置くようにしています。だって、政治になんて関わりたくないし、もともと安倍さんには特に悪意を抱いていない一方で、特別に期待もしていないから。

 ただ、アベノミクスにおいて、安倍政権が国土強靱化をはじめとするインフラ投資に躍起になっていることは嘆かわしい。あまりにも近視眼的で、ただ橋を何本つくり替えるとかいった施策を進めているだけに過ぎないからです。国のインフラ(下部構造)を整備するに当たっては、まずはスープラ(上部構造=日本社会の今後の方向性)についてしっかりと議論することが大前提。しかし、それがまったく欠如しているのが実情です。

 これで保守と言えるのでしょうか。

米国の実像は左翼国家実はロシアと二卵性双生児


――確かに、安倍政権がどうのという前に、ほとんどの日本人は保守という言葉をそのように受けとめていませんね。では、ほとんどの国民が捉え違いをしているとしたら、その中で安倍政権はどんな方向へ進もうとしているのでしょうか?

 今の安倍さんがやっていることは、まさに「米国べったり」。どうして保守がそのような振る舞いができるのかは甚だ疑問だし、大問題であると僕は考えています。僕は何十年も前から指摘し続けてきたけれど、結論から言うと米国は「左翼国家」なのです。

 そもそも左翼とは、フランス革命期に急進的なジャコバン派が国民公会で左側に座って「自由、平等、博愛」と唱えたことがその由来となっている。彼らは「理性を宗教とせよ」とも訴えており、いわゆる合理を意味します。そして、これらを実践するために、旧体制を急速に破壊せよと扇動したわけです。

 その直前には米国の独立戦争も勃発しており、これに勝利した同国が制定した憲法も「自由、平等、博愛、合理」を掲げ、ジャコバン派の思想とほとんど変わらない。古いものは悪いもので、新しいものは良いものだというジャコバン派の考えに近いのです。

 それでも建国当初の米国には、欧州出身の上流階級による保守主義が存在していました。しかし、19世紀前半にジャクソン大統領によるジャクソニアンデモクラシー(自立と平等を理念とする草の根民主主義)が台頭し、米国は自らを欧州から完全に切り離してしまった。こうして歴史が寸断されたわけなので、平衡術を学びようがありません。

 にもかかわらず、戦後のジャップが犯した大きな間違いは、「米国側につくのが保守でソ連側につくのが革新だ」という政治の構図で物事を捉えるようになったことです。米国はそんな状況だし、一方のロシアには歴史があったものの、大革命によって徹底的な破壊が加えられたため、こちらも歴史が寸断されてしまった。

 どちらも歴史から学べない左翼であるという意味で、米国とロシアは二卵性双生児なのです。そのような両国が対立したのは、米国が個人主義的な方向で変化を起こそうとしたのに対し、ソ連は共産党の集団主義的な指導のもとでそれを推進しようとしたからです。

 要するに、「どちらが中核で革マルなのか」といった程度の違いにすぎず、米国もロシアも言わば左翼同士の内ゲバ、もしくは内紛を繰り広げてきただけの話。こうした背景を知らないまま、ジャップは長く保守と革新の意味を捉え違えてきました。

 繰り返しになるけれど、今の安倍政権なんて、保守とはまったく何の関係もない。それなのに安倍首相は日米が100%の軍事同盟関係にあると悦に入る始末で、戦後の日本人の愚かさ加減がにじみ出ていると言えるでしょう。

世間はポピュリズムとポピュラリズムを混同している


――米国べったりと言えば、日米軍事同盟やわが国の安全保障の在り方については、北朝鮮情勢の緊迫化などを機に、改めてスポットが当てられていますね。

 そもそも、治外法権となっている外国の軍隊の基地が国内にあり、憲法さえ他国からあてがわれた日本が、独立国であるはずがない。カーター政権下で安全保障問題を担当したブレジンスキー大統領補佐官(当時)が断言したように、日本は米国の保護領であるのが実態。自治領で大統領選挙の投票権は持たないプエルトリコと変わらない立場にすぎないでしょう。

 集団的自衛権にしても、本当に日本を米国に守らせたいなら、相応の対処が求められます。米国は自国に実害が及びそうなら守ってくれるけれど、そうでなければ動いてはくれません。

 まずは、日本が個別的自衛でもって、ギリギリのところまでは自力で頑張るという姿勢を示す必要がある。すなわち、「日本も核武装を行うべきかどうか」が議論になっても当然にもかかわらず、ずっとタブー視され続けてきました。

 日米安保には双務性があると言われるが、相手側にそれを果たしてもらうためには、自分自身にも実力がなければならない。それは自衛力のみならず、外交力や政治力も含めてです。

HOME 政治・経済 DOL特別レポート
2017.10.3

安倍首相は「真の保守」ではない!西部邁氏が迷走政治を一刀両断
ダイヤモンド・オンライン編集部  バックナンバー一覧へ
     このエントリーをはてなブックマークに追加
印刷 
A
A
―― 一方で世界に目を転じると、米国で保守色が強いトランプ大統領が誕生し、欧州でも極右政党が躍進台頭するといった動きは、第二次世界大戦前夜のポピュリズム台頭を彷彿させるとの見解もよく耳にします。こうした言説をどう見ますか。

 愚かなジャップは、ポピュリズムの本来の意味さえ誤解しているようですね。ポピュリズムのルーツを遡ると、1891年に米国のシカゴで農民たちによって結成された政党「人民党」(Populist Party)に辿り着きます。

 ニューヨークの金融市場に牛耳られるようになって農産物の価格が下がり、不満を抱えた農民たちが立ち上がったのです。ポピュリズムはグレンジャー(農民)運動とも呼ばれ、本来は真っ当な抵抗運動だった。ところが、いつの間にか世間では、「ポピュリズム=大衆迎合主義」などいった解釈がなされるようになっています。

 そこで、僕は何十年も前から、「大衆迎合主義のことをポピュリズムと呼ぶな! 要は人気主義なのだから、ポピュラリズムと呼べ!」と訴え続けてきたわけです。

 この「ポピュラリズム」か否かということで言えば、トランプはもちろん、日本はずっと前からその典型例であると言えるでしょう。今の政治活動に日本人の生活欲求が反映されているとはとても思えない状況で、ほとんどの大衆は折々のムードに流されて付和雷同的にワーキャーと騒ぎ立てているだけなので。

 太平洋戦争にしても、実はそれを引き起こしたのは日本の人民。軍部、特に海軍はうかつに開戦するとヤバイということを承知していたけれど、朝日新聞や日本放送協会(NHK)にも扇動されて、人民たちが一丸となって囃し立てた結果、あんなことになった。あれこそ、まさしくポピュラリズムでしょう。

変革で失うものは確実、得るものは不確実


――では、保守の対極に位置する左翼(革新派)について、西部さんはどのように捉えてきたのでしょうか。

 左翼が掲げる「革新主義」(Progressivism)とは、変化を起こせば何かよきものが生まれる、との考えに基づいています。これに対して英国の政治哲学者であるマイケル・オークショットは、「変化によって得るものは不確実だが、変化によって失うものは確実」と指摘しました。

 たとえば、離婚すれば妻を失いますが、新たな妻をめとることができるか、めとったとしても離婚した妻よりましなのかは定かではない。失うのは確実ですが、新しく得るものは不確実であるだけに、「変化に対しては常に注意深くあれ」とオークショットは説きました。変化を拒めという意味合いではなく、変化したからといって確実によくなるとは限らないのだから、いたずらに舞い上がるな、と諫めたわけです。ロシア革命や毛沢東の所業も然りで、多くの歴史がそのことを裏付けている。

 結局、「人間は素晴らしい」というヒューマニズムが革新主義の原点にありそうです。大多数が求めている方向に変化を起こせば、人間は本来の素晴らしき姿に近づいていくという発想で、要はフランス革命期に唱えられたペルフェクティビリティ(完成可能性)。「人間は欲することに沿って変化を続けていけばやがて完成に至る」というのです。

戦後の日本には革新派しか存在してこなかった


 しかしながら、僕は人間が素晴らしいとはこれっぽっちも思っていない。人間なんてロクなものではないと自覚する力を備えていることがせめてもの救いであって、性善であるのはせいぜいその分だけです。

 ましてや、ペルフェクティビリティ(完成可能性)なんておこがましい話です。完成してしまうと、人間は神と化すわけだから。ニーチェは「神は死んだ。人間が神を殺したのだ」と記しているけれども……。ともかく、己の顔を鏡に映せば、とても完成可能性があるとは思えないはず。保守派の見解のほうが正しいのです。

 ところが、戦後の日本には革新派しか存在してこなかったのが現実だった。左翼のみならず、自民党さえも革新という言葉を口にしてきたのです。おそらく日本では、変化によって一新させることがよきものだと思い込まれてきたのでしょう。

 みなさんがたは、「リボルーション」(Revolution)の真意をご存じですか? 「革命」と訳されているが、「再び(Re)」と「巡り来る(volute)」が組み合わさった言葉で、「古くよき知恵を再び巡らせて現代に有効活用する」というのが本来の意味です。愚かなことに現代人は、いまだかつてない新しいことをやるのがリボルーションだと解釈してしまった。

 維新という言葉にしても、孔子がまとめた「詩経」の一節「周雖旧邦 其命維新(周は古い国だが、その命〈治世〉は再び新たに生かせる)」を引用したもの。改革(Reform)も然りで、本来の形式を取り戻すというのが真意なのです。

自分の中にはずっとファシスモが蠢いていた


――最近上梓された著書『ファシスタたらんとした者』によると、ファシスタ(ファシスト)については必ずしも政治的な意味合いではなく、西部さんの経験や理念を束ねていくという意味合いで用いられていますね。西部さんにとって「ファシスタ」とはどんな概念ですか。

 そもそも「ファッショ」という言葉には、束ねる、団結するという意味がある。この世に生まれ、他者と気心を通じたいと考える僕は、自然とファシスタになろうとしていたわけです。その願いが実現されたことは一度もなかったけれど、自分の中には絶えずファシスモめいたものが蠢いていることを自覚していた。単に「保守派に属する者」という位置づけではなく、もっと広い意味でのファッショが、これまでの自分の活動の根底にあった、ということです。

 誤解されたくなかったし、関心もなかったから、あの本の中では政治的なことにはほとんど触れていません。ただ僕は、1920~1930年代にあれだけ資本主義が暴走してアングロサクソンたちがやりたい放題をやった挙げ句、どうなったのかということについて振り返ってみたかった。

 暴走の最たる例は、第一次世界大戦の戦勝国が、ドイツに対して当時の同国のGNP(国民総生産)の20倍に及ぶ賠償金を要求したこと。その結果としてドイツがハイパーインフレに陥れば、アドルフ・ヒトラーのような人間が出てくるのは当たり前です。

 米国にしても、フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策が「公共投資でしか消費は生み出せない」と唱えているように、社会主義への傾倒ぶりが顕著だった。当時の知的水準では、自由主義、資本主義が限界に到達すれば、社会主義に進んでいくのはごく自然のことだったわけです。

 その一方で、イタリアにおいては「束ねる(団結する)」を語源とするファシズムが活発化しました。ヒトラーが先導したナチズムは合理的に国家を設計するという社会主義的な色彩が濃かったのに対し、ファッショはもっとロマンチックに「ローマの栄光を取り戻そう」という思想に基づいたものです。

 もちろん、実際のファシスタにはゴロツキと呼ばれる手合いも少なからず加わっていたし、よく考えもせずに酷いことをしでかしたのも事実。しかしながら、当時の資本主義の滅茶苦茶ぶりからすれば起こるべくして起こったことで、デモクラシーの中から生まれたものでもあります。

……
西部 邁(にしべ・すすむ)/評論家、雑誌『表現者』顧問。1939年生まれ。北海道出身。東大経済学部卒。専攻は社会経済学。元経済学者、元東京大学教養学部教授、雑誌『北の発言』元編集長。保守派の論客として知られる。『経済倫理学序説』で吉野作造賞、『生まじめな戯れ』でサントリー学芸賞。著書に『六〇年安保―センチメンタル・ジャーニー―』『妻と僕―寓話と化す我らの死―』『ファシスタたらんとした者』など



■ 西部邁『死生論』日本文芸社、1994年11月 「alpha_c’s blog[読書](2009.6.23)」より
/
西部邁『死生論』日本文芸社

(※mono....本文はブログ記事で)

ーーーーー
■ 【国民の道徳 西部邁】 「死ねば精神もなくなるから考えても致し方ない」だなんてとても思えない 「本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味(2012.11.9)」より

(※mono....本文はブログ記事で)















.
最終更新:2024年02月25日 21:45