零戦大会で米国在住の日本人が勝ったとかなんとか。「そんなものを飛ばすのはふざけてる」ってなんで言わないんだよ。オスプレイよりよっぽど落ちるぞあんなもん。

そういえば、某社長も完全体の零戦もってたね。タイヤに「中島飛行機」って書いてあったらしいけど。設計図もあったというからすごいね。朝日なんかきたら無視でいいけど、読売とかなら答えてあげて(笑)


2017/06/03 に公開
日本人パイロットの操縦で零戦が日本の空へ里帰り
ゼロエンタープライズ
(ZERO ENTERPRISE INC TRUSTEE)
Mitsubishi Zero 22/A6M3
N553TT
SONY NXCAM NX3

2010/06/23 にアップロード
PLANES OF FAME JAPAN TOUR 1995 茨城県龍ヶ崎飛行場

2016/01/28 に公開
「零戦里帰りプロジェクト」を進めるゼロエンタープライズ・ジャパンは27日、零式艦上戦闘機(零戦)のテスト飛行を海上自衛隊鹿屋航空基地で行った。操縦桿(かん)を握ったのは、米国で零戦操縦のライセンスを持ち、NASAのテストパイロットを務めていたスキップ・ホルム氏(72)。大勢の報道陣が見守る中、機体は爆音を響かせ天高く舞い上がり、再び日本の大空でその雄姿を見せた。
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 この機体を所有するのは同社取締役でニュージーランド在住の石塚政秀氏(54)。当初、購入するつもりはなかったが、契約者が支払いできず、その保証人になっていたため、肩代わりすることになったという。その代金は3億5000万円。牧場や自宅を手放すなどして費用を捻出し、完済するまで2年を要した。維持費などを含め、既に5億円以上は投じていると話す。
 この零戦は、三菱重工業の小牧工場で1942年後半に製造された零式艦上戦闘機二二型。全長9.06メートル、全幅12メートル、重量1863キロあり、最高時速540.8キロを誇った。大戦中、パプアニューギニアで駐機していた時に攻撃を受け、尾翼部分が折れた状態にあった。これを78年に米サンタモニカの軍事博物館が回収し、修理した。飛行できる現存の零戦は5機のみ。その1機という貴重な歴史的資産となっている。
 戦後、零戦は2度、日本の空を飛んでいる。その時は米国人が所有する五二型であったが、「日本人が所有する二二型の飛行は戦後初」と石塚氏は話す。
 ホルム氏がエンジンを掛けると、爆音が辺りに響き渡った。テークオフの位置までゆっくりと滑走路を進む零戦。加速していくとふわりと宙に浮き、スムーズに高度を上げていった。基地の上空を優雅に旋回し、その性能の高さを披露した。
 石塚氏は、「飛ばすまでにいろいろなハードルがあり、挫折しかけたこともあった」とこれまでを振り返り、「この飛行機から、若い人たちに日本の歩みを知ってほしい」と零戦への思いを話した。



■ 完全爆装したゼロ戦は何処へ 「sakimori blog(2017.5.27)」より
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 ふと思い出したので書いてみることにしました。
昔、テレビで巨大地下壕に眠る完全爆装したゼロ戦を発掘しようとしたドキュメント番組が有りました。

 昔の話なので記憶が定かではないことを始めにお断りしておきます。
その話は、北海道の旧海軍航空隊美幌基地(現在は陸自第5旅団美幌駐屯地)の下に巨大地下壕が有り、そこに完全爆装したゼロ戦6機(12機だったかも知れない。機数に自信なし)が眠っている、と言う話でした。

 その話に私は信憑性が有ると思いました。
小福田晧文(こふくだ てるふみ)(故人)氏がそれを見たとそのテレビは言っていたのです。
私が信憑性があると思った理由は、小福田晧文氏の名前が出てきたからです。
小福田晧文氏は、海軍航空隊で活躍し、終戦時帝国海軍中佐で有ったと思います。

(※mono....中略、詳細はブログ記事で)
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 小福田氏が、美幌基地の地下壕でゼロ戦を見たと言う以外に、可能性を抱かせるもう一つの事実が有ります。
 それは、第二〇三海軍航空隊です。この航空隊は北海道、千島方面の防空を任務としていましたが、昭和19年(1944年)に美幌基地にゼロ戦を進出させているのです。
もしかすると、その時のゼロ戦が今も美幌基地の地下に眠っているのかもしれないのです。

 今もゼロ戦が地下に眠っているのでは、と思うと何か夢の有る話ではないですか。


+ 続き



零式艦上戦闘機五二型(現存する唯一の栄エンジンを搭載した零戦。)

















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最終更新:2017年06月04日 07:20