(※ 幻冬舎関連記事含む)
人物 / 株式会社gift

● 見城徹〔Wikipedia〕
見城 徹(けんじょう とおる、1950年12月29日 - )は編集者、実業家。株式会社幻冬舎代表取締役社長。


☆ 見城徹語録 「MMM.MEまとめノート」より



■ お盆に思い出したつぶやき 「二階堂ドットコム(2013.8.18)」より
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幻冬舎の見城が、参院選前に「自民党が大勝したらまずい」とかいって江田憲司と騒いでたよな(爆笑)。

まぁ、出自はわかっているのでそういう発言もわかるんだけど・・・みんな、ああいうところから出すことに躊躇しないのが怖いけど、そこまでいろいろ調べるのなんて俺くらいだろうな・・・


■ 幻冬舎・見城徹の出版術に憧憬 「五仁會(2013.3.14)」より
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 私は元暴力団組長としては「安藤昇」以来の異色組長だと自負しているのだが、その私が見城徹の手で私の「極道よもやま話し」みたいな本を、世に出してみたいとの夢を持って居る。

 ささやかな夢だが、夢は見て行動する事によって実現すると云うので、その夢をここに書き綴ってみた。
(※ 以下略)

■ 誰か、飯島勲・内閣特別参与に伝えて 「二階堂ドットコム(2013.2.16)」より
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見城徹が自民つぶしの仕掛け密談を民主議員としていたぞ。マスコミを使ってなにかやってくるだろう。先手を打て。詳細はいずれそっちの耳に入るだろう。

とりあえず手始めに、見城の出自を出せばいいんじゃん?笑


■ 被害者の心情を無視した加害者の告白本 「敬天新聞(2012.3.30)」より
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 この目立ちたがり屋は出版社がかける数億円分の広報活動を自分自身でやってくれる。恐らく形振り構わず、自分のコンテンツの中でも宣伝しまくり、アマゾンのレビューにはファンの子達がポジティブメッセージを書きまくり、ソコソコ売れるのじゃないかな。
 色んな、イヤらしい出版社(…や出版社だかイベント屋だか分らないような出版社)がアクションを考えているようだが、幻冬舎があからさまだ。本当に動きがイヤらしい。リンゼイさん殺し、イケメンて言われてきちがい女のファンまでついた市橋達也受刑者の「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録(幻冬舎)」というクソ書籍を出した時も、見城徹のブタ面に痰の一つも吐きかけてやりたい位ムカついたが・・・。
 およそ、被害者の人には恐らく了解も何も取らず、被害者心情そっちのけで功名心に駆られた加害者に人参ぶら下げて書かせ、儲けようとしか考えないのだろう。市橋の書籍にしろ、思うが、それほど売れやしないだろうけど。
 それでも、初刷りだけに抑えればノーリスクだし、著者が今回はシャバにいてあちこちに顔出してるから採算ベースは織り込みずみだろう。まー、いやらしい商売だよ。


■ 幻冬舎 MBO 実質成立 しかし…あたらめて問う 「ではなぜ上場したのか?」と 「フロイデ(2011.2.15)」より
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幻冬舎の本は面白いものが多い。
特に新書はすこぶるユニークで興味深い本がたくさんあるし、
内容だけでなく印刷された字も大きく読みやすいし、
(その点、岩波新書はいまだに薄いインクと小さなフォントを変えておらず読みにくい)
黄色と白の装訂もシンプルにして本屋さんの陳列棚の中でも
結構目立つので斬新にして戦略的にも成功していると思う。

不況産業の象徴の1つのように言われてきた出版業界の
中では異色の進取の会社なので私は同社の本は好きだし
ファンであるし、それはこれからも変わらない。
そう宣言明言したうえで、それはそれとして、
今回の同社のMBOについて感想を書いてみたい。
(※ 後略)


■ オンリーイエスタデー 『Webマガジン幻冬舎(interview & text by Hiro Naooka「Free & Easy」April 2001より)』より
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「詩を作ってメロディにする以外に、彼には信じるものがなかったんだ。書くことによってしか救われなかったから、あれだけ切ない人の胸を打つメロディラインや詩ができるんですよ。本人は信じられなかったわけですね。真実とか真心とか永遠とか愛を。そういう男は、必然的にいつも孤独だよ…」
(※ 中略)
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「何もないときは、のたうち回ってでも仕事をしなきゃいけないわけで、ところが歳をとったり地位が上がってくると、経験や実績が付着して来たり、それから何々賞をとらせたのはアイツだ、あのベストセラーもそうだって話になってくると、別にのたうち回らなくてもよくなるわけで…。のたうち回るのは苦しくて面倒くさいことだから。でも、それに慣れてきたらどんどん腐り始めていくんだよね。俺はその頃36、7になっていたから、いっぱい付着してきていたわけだよね、アカが、シミが、アブラが、そして自惚れが。尾崎にのたうち回されたことによって、それが完全にとれたと思う。角川をやめてこの会社を作ったのも、そこに原点があると思うよ…」

  見城徹という傘を失くした結果、青年は子供のように駄々を提ねながら死海へと旅立ち、尾崎豊という土砂降りの雨を耐え偲んだ男は、喪失感を抱えながら、まもなく賛肉を削ぎ落として新しい航海の旅に出た。
  もしも尾崎豊が生きていたならば、という推測はここでは一切成り立たない。


ベストアンサーに選ばれた回答  dragonball_furiizaさん

それはないでしょう。

ただ、尾崎が死ぬ前に、今まで尾崎と一緒に頑張ってきた見城徹さんが尾崎にしびれをきらして縁を切ったらしいです。
そしてそれから何週間か経って尾崎が見城徹さんに電話して「新しい事務所作って下さいよ」みたいなことを話したらしいです。
そこで見城徹さんは「今更訳分かんないことを言うな」みたいな趣旨のことを言って尾崎を突っぱねました。
それから約二週間後尾崎は亡くなりました。
もしかしたら、間接的に・・・・・・はあるかも知れません。
でもそのことに関して見城徹さんも「何であの時じゃあこっち来いよって言えなかったんだろう」と反省しています。
あまり責めないであげてくださいね。








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最終更新:2013年08月18日 17:10