● 日本の核武装と東アジアの核拡散(2005年8月)pdf 「原子力資料情報室」より『核武装への政治的な動き』と『結論』をコピペ

著者:フランク・バーナビー博士
(オックスフォード研究グループ(ORG)の核問題コンサルタントで、ORG の顧問協議会の発足以来のメンバーである。彼は核物理学を専攻し、1951 年から57 年までオルダーマストンの核兵器研究機関で働いていた)

著者:ショーン・バーニー
(グリーンピース・インターナショナルの核キャンペーンのコーディネーターである。スコットランドに本拠を置き、1991 年から日本と韓国で活躍している。ここでは個人的な立場で書いていて、この論文は必ずしもグリーンピースインターナショナルの意見を反映するものではない。)



  核武装への政治的な動き

 1945 年以後、核兵器開発を始めた国で、
民主的な議論に基づいて進められた国は一つ
もない7。閉じた扉の向こうで、極秘裏に、
外部からの脅威との関連で決定がなされた。
脅威の種類は様々だった:本当の脅威、感じ
た脅威、いろいろな工夫をした脅威など。日
本では、核兵器製造に反対している多くの
人々は概して、世論が逆転しないと核兵器を
製造する決断は下されないと想定しているが、
その想定は危険である。歴史が教えるところ
では、一線が越えられてしまったあとで議論
や反対が盛り上がるものだがその時にはすで
に遅すぎる。
 今日、日本は少なくとも1960 年代以降、
あるいはおそらく1940 年代戦時中以降をつ
うじて、核武装が表面化する状況にもっとも
近い。戦中の帝国陸海軍による計画は、日本
の原子の父である仁科芳雄の指導の元に進め
られたが、時間、資源と核分裂性物質の不足
のために失敗に終わった8。1960 年代には、
政治的な判断によって爆弾を手に入れるのは
日本の関心事ではなく、アメリカの核のカサ
の下に入り(少なくとも当面は)、先になっ
て必要なときには計画を進めることにした。
 6ヶ月以内に進んだ核兵器を開発する技術
があるとして、残る問題は政権にあるエリー
ト政治家たちによる政治的判断――まず核武
装することの戦略的切迫性、ついでその政治
的帰結についての――である。
 アメリカの核のカサの下にある事実上の核
保有国として、いま日本がすぐに核兵器を製
造する必要はない。そのプルトニウム保管量
は戦略的に重要である。しかし、核兵器開発
の決定に向けた状況は進んでいて、世論はそ
れを受け入れやすくなるように弱められて来
ている。
 1950 年代以来、日本の首相や大臣は日本
の核兵器開発に言及してきた。このような発
言の多くは、日本国憲法は核兵器保有を妨げ
ず、「非核3原則」は法的には拘束力がない
としてきた。
 この時代を通して、国家の(自主)防衛と
の関わりという明確な理由で語られたが、明
らかな脅威を指摘することは(少なくとも国
民の前では)避けられてきた。今日では、もっ
とはっきりと語られるようになっている。近
年、小沢一郎のような指導的な政治家が、日
本は商業用のプルトニウムを核兵器製造に用
いることができると警告している。野党であ
る自由党の党首だった小沢(現、民主党)は、
2002 年に、もし中国の軍事的脅威が続くな
らば、として以下のように言っている。
 " 日本がその気になったら一朝にして何千発
の核弾頭が保有できる。原発にプルトニウムは
三千、四千発分もあるのではないか" 9。
 プルトニウム再処理に基づく北朝鮮の核兵
器開発計画がもたらす危機は、日本の核兵器
開発を擁護する人たちの地位を高めている。
もし北朝鮮が核をもてば、そのことが全く異
なるダイナミックスをもたらす。……そのこ
とが日本と韓国に自ら核武装する方向に向か
わせる。" と、トーマス・シ-ファー駐日ア
メリカ大使も認めている。(東京、2005 年6
月)。この発言は、中国が同盟国の北朝鮮に
強く働きかけてくれることをねらっていた。
一方で、アメリカの対日政策にも大きな影響
を与える。
 1960 年代には、ニクソン政権は、日本を
核武装化することについて考えた。40 年経っ
た今日、日本の核武装が中期的にアメリカに
とって有利だと考えている人がワシントンに
はいないと考えることはできない。ともあれ、
アメリカはすでにその方向を止めにくいと暗
に伝えている。
 もちろん多くの分析家たちによると、北朝
鮮はいくつかの核兵器をもっている。まだ実
際の核兵器実験により存在を示してはいない
が、それが差し迫っているように推測されて
いる。その時点で北朝鮮のミサイルに対する
日本の脆弱な安全性に関する議論が血迷った
ものになるであろう。
 もっとありそうなのは、北朝鮮が他の選択
がなくなって核実験を行ったときにのみ、そ
れが脅威となる。しかし、一般の雰囲気は脅
威を感じており、それゆえ、核兵器保有に動
こうとする人たちにとって都合がよい。
 考慮すべき要素は、もし日本が核保有に動
けば、国際的な非難が集まるという見方であ
ろう。日本の原子力についての取引は問題に
直面するに違いない、そしておそらく平和目
的という条件で供給を受けている核物質や技
術の取引は深刻なダメージを受けるだろう。
しかし、より広い外交的な、経済的な結果は
どうであろうか?
 21 世紀初めの国際関係の現実を考えるの
は有意義である。日本の核についての取引の
主な相手は、自分の核をもっている(それを
近代化しつつある)かアメリカの核のカサの
下にいる。最近の核不拡散政策は、イランや
北朝鮮の核開発に反対する一方で、自分の計
画の維持と拡大はおこなうという二重基準に
基づいている。日本は悪の枢軸であるとレッ
テルを貼られることはありそうにない。北朝
鮮の核実験または同等の事態の発生のとき、
日本の同盟国は、日本の核武装を歓迎しない
までも、悲しむべきことではあるが理解でき
るというであろう。
 そして、事態はさらに悪くなる。1998 年
の核兵器実験後のインドとパキスタンの状況
の経験を見てみる。日本も含めて、両国への
制裁が行われる一方で、今日の現実は、両国
のアメリカとその同盟国(特に日本)との関
係はかつてなくより緊密になっている。両国
は戦略上の味方とされている。インドとは、
経済的な生産、将来の市場として、軍のエリー
トが統治しているパキスタンとは、「テロと
の戦争」の同盟国として、そしてまたインド
は中国との力の均衡の観点で重要である。実
際は、両国にとって、核兵器実験の実施後で、
状況はよい方向にいっている。インドは核に
ついてアメリカと協調する同意をしたし、パ
キスタンは、間もなくアメリカから、核攻撃
が可能なF -16 の供給を受ける。
 世界で第二の経済大国として、日本の政策
決定者にとって重要かつ危険な教訓は、すぐ
に世界は核をめぐる現実を受け入れることを
学ぶということである。インドとパキスタ
ンができることなら、日本は間違いなくでき
る。アメリカにとっての日本の戦略的重要性
は、ブッシュ政権の下で中心的な位置に持ち
出されてきた。日本国憲法は、アメリカの積
極的な対応によって改正されつつある。日本
の自衛隊は海外に派遣され、両国の合同軍事
訓練は今までよりも強化されている。日本が
ナショナリズムと軍国主義に進むという予測
は、2006 年に交代が予定されている小泉首
相の有力な後継者候補とみなされている安倍
晋三によって、より悪い方向に向かうであろ
う。

結論

 " 何も避けられないものとして取り扱うな"
は、人が生きるためのよい原則である。不幸
にも、日本の核開発の場合は、それは十分で
はない。国際社会――国々の政府――は、も
しそのようになれば、日本の核武装を受け入
れることを学ぶであろう。その結果は東北ア
ジアにとってきびしいものとなる。韓国で日
本に呼応すべきという世論が強まるだろう。
中国との関わりは悲劇的になるであろうし、
NPT に基づく世界の核不拡散の枠組みは、過
去の逸話程度に成り果てるだろう。
 日本の現在のプルトニウム計画は東アジア
の、さらには他の地域への、核拡散への引き
金となる。例えば、イランは六ヶ所村をナタ
ンツにあるウラン濃縮工場の完成が許される
根拠としている。
 日本が1945 年の灰燼から核保有を宣言す
る国になる以外の道はある。海外からの支持
に助けられた、根拠のある議論と動機による
活発な反核運動があるであろう。核不拡散の
方針に従ってプルトニウム利用をしないエネ
ルギー政策へと転換することが、政府が(国
民ではなく)核兵器保有を選択した世界の
国々のたどった道を拒否するための第一歩で
ある。そのことが、世界の核軍縮への日本の
呼びかけを強めることになろう。
 核保有国、特にアメリカは核兵器を廃棄す
る義務を無視し続けている。最初の原子爆弾
の使用から60 年の今年は、日本だけでなく、
全世界の反核運動を進める非常に重要な機会
である。





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最終更新:2012年12月15日 22:34