● ハワード・ジン〔Wikipedia〕
ニューヨーク市ブルックリン生まれのアメリカ合衆国の歴史家で、同国内では『民衆のアメリカ史』(A People's History of the United States: 1492 – Present)の著者として名高い[1]。政治学者、社会評論家、劇作家としても活躍。
ジンの思想はマルクス主義、アナキズム、社会民主主義の影響を受け、1960年代から公民権運動や反戦運動の分野で活動してきた。
2010年1月27日、心臓発作のため米ロサンゼルス郊外で死去、87歳。




■ ハワード・ジンの木霊 「マスコミに載らない海外記事(2012.11.30)」より
David Swanson
    War Is a Crime   2012年11月25日

ハワード・ジンが亡くなって三年になろうとしているが、私の耳には彼の声が一層大きく聞こえ続けている。ジンは永続的に必要なことについて語っているのだから、今後何十年も、何世紀もこの効果が続いて欲しいものだと思う。学び直しから逸らさせる誘惑が余りに強い中、彼は何度も繰り返し学び直さねばならないような教訓を与えてくれている。しかも彼はそうした教訓を、誰よりも巧みに教えてくれた。

我々は“我々”という言葉を使い、その中に、憲法がその中に含んでいるふりをしているあらゆるもの、とりわけ政府を含めたがりしがちだ。だが政府は我々の利益にとって不利なことをしがちだ。超億万長者達は、本質的に、我々の利益に反する行為をするものだ。さもなければ我々が反対したであろうような行為に我々を取り込もうとして、権力の座にいる連中が“我々”という言葉を使うのを認める危険性について、ジンは絶え間なく警告していた。これは我々がスポーツ、戦争、経済政策から持ち込んだ慣習だが、観客が“我々が得点した!”と主張することの危険性は、何百万人もの観客達が“我々はアフガニスタンを解放した。”と主張するのと同じ水準までには至らない。

(※ 以下略。詳細はブログ本文で。)


ハワード・ジンは上記で紹介した「最後の講演」で次のように述べました。そして、これがいま世界中で起きていることです。

"So, yes, people have the power. If they begin to organize, if they protest, if they create a strong enough movement, they can change things."

アメリカでもスペインでもギリシャでも、政府が金持ちを減税し大企業を救う一方で、民衆に増税して教育や福祉を大胆に切り捨てる「決断の政治」をおこなっていることに対して、民衆は広場を占拠し街頭を埋め尽くす行進で反撃を開始しています。

そしていま同じことが日本でも起きています。先日、野田首相と会見した代表者のひとりは、「これまで眠っていた民衆のちからを再稼働させたのはあなただ」と言いましたが、今や私たちは "People have the power." ということを自覚し行動し始めているのです。

これこそがハワード・ジンが上記講演で言いたかったことの全てであり、彼はそれを生涯かけて実践してきた人物でもありました。

彼は亡くなる直前まで『肉声史』を武器にアメリカ全土で草の根の民衆運動「リーディング・シアター・ムーブメント」(劇場朗読・朗読劇運動)を展開し、その途上のロサンゼルス近郊で心臓発作におそわれ、ついに帰らぬひととなりました。

あとに残された私たちは彼から何を受け継ぐべきか――8月24日(金)はそれを再考すべき日だったのだと思います。


■ 速報860号 三つの聖戦:ハワード・ジン 戦争に「正義」はない 「Translators United for Peace 平和をめざす翻訳者たち(2010.8.21)」より
戦争に「正義」はない
「三つの聖戦」――ハワード・ジン
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 歴史学者ハワード・ジンが反戦の学者としてその名を知られるずっと前から、FBIはすでにジンの潜在的影響力を探知し、大きな懸念を抱いていたようだ。今年7月29日に情報公開になった243ページにおよぶFBI監視記録によると、ジンに対する監視は第二次世界大戦直後の米ソ冷戦時代、彼がまだニューヨーク州立大学の学生だった頃から始まり、コロンビア大学で博士号取得に勤しむ間も続いた。60年代にはFBIはボストン大学に積極的に働きかけ、ジンを大学教授の職位から解雇するように求めてさえいた。黒人解放運動の中核となっていたブラックパンサー党員の逮捕・起訴についてジンが「政治犯を生み出している」と強く批判したことや、「アメリカは警察国家になってしまった」という発言などが当時のFBI長官エドガー・フーバーの機嫌を損ねたと言われている。FBIによるハワード・ジンに対する監視調査は1949年から1974までの25年間に三度行われた。
 今年1月、亡くなる直前に出版された論文で、ジンは「国家権力の暴力に対する最善の対策は、抵抗を続けること、その構造を暴露し続けることだ」と述べた。歴史家としてのハワード・ジンは、アメリカの戦争の歴史と構造を階級闘争の観点から最も明確に分析し、分りやすく説明した数少ない人物だ。
 2009年、アメリカの先進派雑誌『プログレッシブ』誌発行百周年記念会議で、ハワード・ジンは『三つの聖戦』という演題で講演した。この講演でジンは戦争という「国家事業」に悪用される「正義」という大義名分の構造を明らかにしており、特にアメリカの好戦的な歴史を批判した内容ではあるが、どこの国にとっても「正義」という物言いは戦争とは切っても切れない関係にある。敗戦後65年経った今、戦争の悲劇を語り継ぎ、反戦の知恵を綴っていく私たちにとっても、忘れてはならない真実だろう。
 いつでも気軽に丁寧に質問に応えてくれたハワード・ジン。時々お茶目な冗談やつっこみも交えながら、反逆精神と市民運動の連帯の喜びを教えてくれたハワード・ジン。あの名調子がいつまでも耳の奥に残っている。
 翻訳:宮前ゆかり(TUP)
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(※ 以下、翻訳文が掲載されている。)


■★ ハワード・ジン講演「戦争と社会正義」 「Democracy Now! Japan(2009.1.2)」より
ハワード・ジンは、米国で最も高名な歴史家の1人です。彼の古典的名著『民衆のアメリカ史』は、米国人の歴史観を大きく変えました。初版が出たのは四半世紀前のことですが、その後の総販売部数は百万部を超え、しかも毎年、販売部数が前年を上回るという、業界でも驚異の記録を打ち立てています。
ハワード・ジンは第2次世界大戦で空軍に入隊し、爆撃手をつとめましたが、その体験から生涯にわたる反体制活動家、平和活動家になりました。40年以上にわたり、公民権運動や社会正義を求めるさまざまな市民運動に積極的に参加してきました。

ジンが最初に教鞭をとったのはアトランタのスペルマン大学でした。この大学は、もとはアフリカ系アメリカ人の女子の高等教育のために設立された学校でした。米国ではかつて、公立学校における人種隔離が普通に行われていましたが、そういう時代に黒人のための高等教育機関として創設された100余りの大学やカレッジのひとつであり、女子高等教育のための最初のものがスペルマン大学です。この番組にも登場したアリス・ウォーカーやマリアン・ライト・エーデルマンなど優秀な人材を排出しています。

公民権運動が盛り上がりを見せた最中に若い教師として赴任した彼は、体制に反抗する女子学生たちの側に立って大学当局を批判し、ついには解雇されてしまいます。それでも、このときの体験が自分を大きく変えたと述べるジンは、その後2005年に同大学の卒業式に招かれ、祝辞を述べる形で名誉を回復されました。現在はボストン大学の名誉教授です。

2008年11月4日の大統領選挙の数日後、ハワード・ジンがニューヨーク北部のビンガムトン大学で行った「戦争と社会正義」という講演をお届けします。アサヒニュースターでの放送でも、かなり反響があったので、予定を繰り上げて掲載しました。(中野)
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ゲスト
● ハワード・ジン(Howard Zinn) ボストン大学名誉教授。アメリカで最も読まれている歴史学者。彼の古典的名著『民衆のアメリカ史』は150万部を売り、アメリカの歴史教育を変えたといわれる。

字幕翻訳:桜井まり子/校正・全体監修:中野真紀子


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最終更新:2012年12月02日 21:54