☆ 梅棹忠夫〔Wikipedia〕
☆ 梅棹忠夫の「人類の未来」 「勉誠出版」より
☆ ウメサオタダオ展 「国立民族博物館」より

★ 震災後なぜか増刷・復刊続々「梅棹文明論」 「読売新聞(2011.12.15)」より / 保護
★ 震災後の未来を考える「ウメサオタダオ展」 「llivedoorHOMME(2011.12.31)」より / 魚拓


■☆ 40年前の幻の名書。初公開★「人類の未来」梅棹忠夫 、の目次紹介!!必見! 「脳内レイヴ→脳外レイヴ→脳天爪先ライブ(2011.6.4)」より

 ・初公開
「人類の未来」の構想 梅棹忠夫
40年前です。氏のまなざしの鋭さは、ほんとに、凄い。是非とも、その手書きの目次をみなさまに見て欲しく、ご紹介します!!!!!
河出書房
『世界の歴史』 第二五巻  「人類の未来」 梅棹忠夫

プロローグ
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第Ⅰ部

第1章 地球的家庭論
      住宅問題-家族とセックス-女性の未来-有限系としての地球の発見
第2章 文明との競走
      子々孫々の消滅-秩序の崩壊-現代の認識-情報の時代
第3章 増えることはいいことか
      人口爆発-光合成能力の限界-交通戦争-遺伝子工学
      -戦争の功罪-ヒューマニズムに対する疑問

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第Ⅱ部

第4章 欲望とエントロピー
      地球は打出の小槌ではなかった-資源の浪費-資源の涸渇
      -廃棄物の処理-欲望の解放-物と空間の占拠-文明の意味
第5章 目標のない環境工学
      有限性の発見-地球のシミュレーション-システム・エコロジー
      -大気の進化-雪と水-人口氷河-地球の実験
第6章 進歩と永遠
      永遠性の否定-永続観怠(意?)の基礎-進歩という幻想
      -予定調和はなかった-科学の本質-破滅の諸類型

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第Ⅲ部

第7章 分配の矛盾
      地域と統合性-資源分布の不平等-生態史観-国家の時代-生態系の摩擦
第8章 地球国家の挫折
      戦争の意味-弾道兵器と核-航空機と航空路-地球人の夢
      -大流行病時代-統合と分離
第9章 コスモ・インダストリアリズム
      ホモ・エコノミクスの虚妄-能率の問題-産業主義-経済による地球の再編成
      -地球経済による精神の退廃

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第Ⅳ部

第10章 人間存在の目的
       なぜ「人類(数?)」でなければなければならないか-目標設定の諸段階
       -人種の意味-進化史的存在としての人類(数?)
第11章 不信システムとしての文化
       国民文化の形成-内訳の可能性-価値体系の摩擦-不信-「見知らぬ明日」
       -文化の責任-歴史は意味をもつか-記憶の悲哀
第12章 できのわるい動物
       人間の構造-情緒の生理-エソロジー-人間改造の可能性
       -教育は救済になり得るか-宗教の終焉

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エピローグ

エネルギーのつぶし方-理性対英知-地球水洗便所説-暗黒のかなたの光明



■ 梅棹忠夫のみた「人類の未来」 「断腸親父の”俺にもいわせろ!!”(2012.1.2)」より

 ・「人間にとって、科学とは何か。これはわたしはやっぱり業(ごう)だと思っております。人間はのろわれた存在で科学も人間の業みたいなものだからやるなといってもやらないわけにはゆかない」(梅棹忠夫著「未来社会と生きがい」1970年)
 ・先ほどの「未来社会と生きがい」はこう続く、
「いま 現存する科学技術を、全部消滅させることができても、人類はまた、おなじことをやりはじめます。真実をあきらかにし、論理的にかんがえ、知識を蓄積するというのは、人間の業です。」
 ・梅棹思想研究家であり『人類の未来』の整理を行っている国立民俗博物館小長谷有紀教授は次のように話していた。
  遺稿の『人類の未来』で求めていることは、現代文明が破局まで行けばよいということではなく、引き継がれる次世代の者たちのことも考えて、舵を切り直すことが現代に生きる我々の責任でやるべきことだ。


■ 梅棹忠夫の幻の名著 『世界の歴史 25 人類の未来』 (河出書房、未刊) の目次をみながら考える 「「アタマの引き出し」は生きるチカラだ!(2011.6.11)」より

 ・そもそも国立民族学博物館の前身であった大阪万博のテーマは、「人類の進歩と調和」というものであったが、このテーマに反旗をひるがえしたような岡本太郎の「太陽の塔」だけでなく、かげの功労者であった梅棹忠夫じしんも疑問を抱いていたのである。岡本太郎を万博のチーフ・プロデューサーとして推奨したのは梅棹忠夫たちであるという。


■ じじぃの「人類の未来・暗黒のかなたの光明!梅棹忠夫がみた未来」 「老兵は黙って去りゆくのみ(2011.6.7)」より

 ・自然への畏怖(いふ)を忘れることなく、文明を築き上げてきたはずの日本人。その伝統を逸脱して突き進むようになったのはそれほど昔のことではありません。何が私たちをそうさせたのでしょうか。
 ・文明によって自ら墓穴を掘ってしまうジレンマ。梅棹はその根本的な原因を考えました。注目したのが、現代文明を進歩させる原動力になった科学の本質です。



 ・山折氏の言は、私の耳には、「福島原発事故は起きてしまったのだから、諦めて受け入れるのが、東北の流儀だよ。」と言っているように聞こえてきて、腹が立った。
  何が「形あるものは壊れる」だ。そんなことは当たり前だ。だが、壊れたのは、この地に、本来無くても構わなかったにも関わらず、この地に押し付けられた「東京」電力の「福島第一原子力発電所」なのだ。当たり前のような物言いで語りながら、山折氏は東電の、そして御用学者たちや歴代の政府の責任を隠蔽してしまうことに気づかないのか。あるいは、意図的にそうしているのか。今朝になっても、怒りが収まらない。

  そんな文脈で引用されるのでは、梅棹氏だって死んでも死に切れないというものではないか。梅棹氏の「暗黒のかなたの光明」については、私は不勉強で語るつもりは無いが、少なくとも山折氏のような粗雑な「無常感」でくくられるようなものでないことだけは確かだ。

  今回の福島原発事故の背後には、「東北」が負わされてきた忍従の歴史がある。その意味で、若干抵抗感はあるが、赤坂憲雄氏の「東北は、まだ植民地だったのか」(毎日新聞5月19日号対談)という言に説得力がある。(赤坂氏の「東北」学については、大いに興味があるが、東北の人間は「東北」学とはそもそも立てない。一つには、生活の場であり、自身の根拠そのものであるから、なかなか「東北」を学の対象とはし難いと言う意味において。また、一括りに「東北」ととらえることへの違和からだ。(この件にはいずれ、ふれたいと思っている。))



 ・一般市民のボランテイアに見る「光明」。
  「アマチュア思想家宣言」という小文も発表している。
  カメラと同じように、「思想」をもっと気軽に使おう。

  「思想」は、アマチュアのためにある。
  文明とは、制度と装置。
  一旦できれば、ほころびを「制度」が自分自身では治せない。

  アマチュアこそが、「光明」である。
  「制度」を変えることができる。
  現代人は、まだ破局まで行っていない。









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最終更新:2012年01月02日 21:09