アウンサン・スーチー釈放の意味: 田中 宇 BLOGOS 2010.11.18
東南アジアのミャンマーでは、11月7日の総選挙の後、11月13日に民主活動家(野党指導者)アウンサン・スーチーが7年間の自宅禁固を解かれ、釈放された。スーチーの解放は、突如として行われたように見えるが、そうではない。もうみんな忘れてしまっているが、世界で最初にミャンマー政府からスーチー釈放の意向を聞いて発表したのは、日本の鳩山前首相である。昨年10月末、タイで行われたアジア諸国のサミットの傍らで行われた日緬首脳会談で、ミャンマー首相のティンセインが鳩山に、スーチー釈放の意志があると伝えた。スーチー釈放は、1年以上前から計画されていたことになる。
(Burma generals signal flexibility on Suu Kyi)
http://www.ft.com/cms/s/0/6f404f1a-c09b-11de-8f4a-00144feab49a.html
ミャンマーは、古くから日本に経済援助を受けている。日本に親近感を持ち、鳩山にこの件を伝えたのだろう。だがミャンマー政府がスーチーを釈放する気になった理由は、日本とあまり関係ない。米国と中国の駆け引きの中から生まれた動きである。ことの始まりは、鳩山・ティンセイン会談の半年前の09年3月、中国とミャンマーの政府系石油ガス会社が、ミャンマーから中国南部の雲南省まで、原油と天然ガスのパイプラインを敷設する契約を締結したことだ。
(China secures Myanmar energy route)
http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/KD03Df03.html
ミャンマーは地下資源が豊富で、天然ガスの埋蔵量は世界第10位だ。米国(米欧)は、ミャンマーの軍事政権を非難して経済制裁しており、ミャンマーの資源に手を出せない。そんな中で、中国を筆頭とするアジア勢がミャンマーのエネルギー利権を分割する事態が出現した。米国のエネルギー業界はこの事態を看過しきれず、米政府に対し、ミャンマーの資源をアジア勢に奪われるなという政治圧力が強まった。中国がマラッカ海峡を迂回するエネルギー入手ルートを得ることが、地政学的に米国の優位性を失わせるというマイナス面もあった。中国軍はミャンマー南部の港湾を借り上げ、インド洋の拠点と使ってきた。
当時、09年1月に就任したばかりのオバマ大統領は、独裁諸国とも対話する外交を掲げていたこともあり、09年4月初め、米政府は7年ぶりに特使(Stephen Blake)をミャンマーに派遣し、米国務省は「ミャンマーを孤立から脱却させるため、アジア諸国と協調する戦略を採りたい」と発表した。米政府は、ミャンマーが政治を民主化したら、経済制裁をやめて逆に援助を再開し、敵視をやめて親米の国として認知する政策転換すら検討し始めた。
(China wary of US-Myanmar 'detente')
http://www.atimes.com/atimes/China/KD17Ad01.html
▼米国はミャンマー容認に転じるかに見えたが・・・
そもそも、昨年ミャンマー政府がスーチーの軟禁を延長した理由は、米国人のキリスト教(モルモン教)求道者ジョン・イェットー(John Yettaw)が、ヤンゴンのスーチーの自宅前の湖を自作のボートで渡ってスーチー宅に入り込み、スーチーが彼を「かくまった」という罪だった。欧米マスコミは、単なる奇人でしかないイエットーの侵入を口実に、ミャンマー政府がスーチーへの弾圧を強めたというシナリオ(もしくは軍事政権がスーチーを陥れるために、意識的にイェットーの侵入を黙認した)で報じたが、もしかすると現実は別で、米諜報機関が、ミャンマー政府の弾圧を引き出すために、イェットーを扇動して奇行をやらせた可能性もある。ミャンマー問題は、善悪の役どころ自体が捏造されている疑いがある。中露印やASEANが、米英のミャンマー制裁に疑問を持つのは自然だ。
(The fool and The Lady of the lake)
http://www.atimes.com/atimes/Southeast_Asia/KE16Ae02.html
昨年10月中旬には、国連総会の傍らで、キャンベルがミャンマー問題について中国代表と話し合いをした。ミャンマー問題で米中が話し合うのは前代未聞だった。11月にはキャンベルがミャンマーを訪問した。米中「G2」が協調してミャンマーを許していき、ミャンマーで選挙が行われ、スーチーが釈放されて、米欧が制裁を解除する流れになるかに見えた。
(U.S. Official Praises China's Role in North Korea Negotiations)
http://online.wsj.com/article/SB125551553216184559.html
▼中国が動いてスーチーが釈放された
米国側と連絡を取り合った末の判断なのかどうかわからないが、スーチーと彼女の政党NLDは、11月の選挙への不参加を表明し、スーチーは投票にも行かなかった。国際社会での米国の影響力が強かった以前なら、米国が正当性を認めない選挙に参戦する必要はなかったが、米国の弱体化と中国やインドの台頭が起きている中、中印などが正当と認めて支持する選挙に、スーチーやNLDが参加しなかったのは、作戦ミスだった。おそらく、スーチーらは米国から「選挙に出ない方がいい」と圧力をかけられ、言うとおりにせざるを得なかったのだろう。
(Myanmar democracy fight polls apart)
http://www.atimes.com/atimes/Southeast_Asia/LJ15Ae01.html
▼現実にそって転換するスーチー
スーチーは、国際的にミャンマーが置かれた状況が大きく転換していることに気づいたらしく、釈放直後の演説で、戦略の劇的な転換を示した。スーチーは、ミャンマー軍事政権を崩壊させようとする欧米主導の経済制裁を支持する姿勢を大きく弱め「国民が望むなら、欧米諸国に要請して経済制裁をやめてもらうよう努力したい」と述べた。
スーチーは釈放後、軍事政権の首脳と会って話す姿勢も見せた。スーチーは国民の意見を聞きつつ、軍事政権と折り合える部分で折り合い、中印やASEANと協調するとともに米国と静かに距離を置き、うわべの民主化より、ミャンマーの国民生活を向上させることに注力するようになっていくかもしれない。ミャンマー民主化運動に参加する人々は怒るかもしれないが、私は、今回の動きがミャンマー国民にとって良い方向だと思っている。
東南アジアでは、これまでASEAN内で最も強くミャンマー政権を非難し、親米的な傾向が強かったフィリピンが、中国寄りになる姿勢をしだいに鮮明にしている。そんな中で独自の頓珍漢を続けているのが、悲しいかな、わが日本である。日本は第2次世界大戦中にアウンサン将軍(スーチーの父)らのミャンマー独立運動を支援したこともあり、戦後ミャンマーと親密な関係にあった。だが近年の日本は、対米従属ばかり気にするあまり、米国のミャンマー敵視策に追随してミャンマーでの利権を自ら手放す姿勢をとり続け、その多くが中国など他のアジア諸国に持っていかれている。日本は、イランや北朝鮮に対しても同様のことをやっている。
(Manila warms to China, cools on US)
http://www.atimes.com/atimes/Southeast_Asia/LK17Ae01.html
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最終更新:2011年12月11日 17:28