高校を卒業と同時にハルヒの能力も消えてしまい、SOS団は解散した。
朝比奈さんは未来へ帰ってしまったし、長門も消えてしまった。
俺にあったハルヒという名の切り札がなくなってしまったからだ。
長門が消えてしまうときに俺は一縷の望みをかけてハルヒにすべてを話してみた。
結局それは不毛に終わり、長門はとうとう消えてしまった。
後悔と、悲しみの中で一つだけ救われたのは
『楽しかった、ありがとう』と言って微笑んでくれたことだった。

結局、俺とハルヒは付き合うこともなく別の大学に通うことになった。
それは、俺がのらりくらりと逃げていたせいである。
SOS団でのあの心地よい雰囲気を壊したくなかったのだ。だから逃げ続けていた。
そして、長門の消失と同時に俺はハルヒに告白するタイミングを逸したことを悟った。
ハルヒは近くの県の国立大学理系、俺はと言うとハルヒの指導のおかげか、
上京して国立の大学にそれぞれ進学していた。
ついでにいえば古泉は海外に留学。あいつならそつなく暮らしてそうだな。
最初の頃はメールや電話のやり取りもあったが、
しばらく経つとそれも回数を減らして行き、
俺が卒論にひーひー言い出す頃には一切の連絡はなくなった。
俺が最後にハルヒから受け取った電話はすこぶる妙なものだったが、
特に気にすることもなく、俺が近況を報告してあいつが相づちを打って終わった。
あとから思い返せば妙なことだったんだがな。いかんせん電話がかかって来たのは深夜。
眠かったので深く考えることもなく俺は会話を終わらせて眠ってしまった。
風の噂では、ハルヒは彼氏も作らず、日々を活発的に、過ごしているらしい。
かくいう俺も彼女など作らず、惰性で毎日を過ごしている。
こうして見ると高校時代に俺はどれだけ楽しい日々を過ごしていたか分かる。
今でも時々あの頃を夢に見る。

大学と高校で変わった点は他にもあるが、一番大事なことは俺が本をよく読むようになったことだ。
人の記憶ってのは酷いもので、たとえどんなに印象深いやつでも
しばらく会わなかったりすると印象が薄れて行く。
それは俺にとっての長門も同じで、つまるところ俺は読書を通して長門を思い出しているわけだ。
そんなわけで俺は大学時代に古今東西ありとあらゆるもの、
SF、ミステリ、恋愛小説、ファンタジー……。本当にいろいろ読んだ。
時々長門が部室で読んでいた本も読んで、その度にあいつの情景が浮かんだ。
ところで、大学に入って三年目のはじめの頃から、本でも書いてみようか、と思ってたんだが、
それは、気味の悪いことに、長門の印象が薄れて行くのを止められず、
何かの形で残しておこうと思ったのがきっかけだ。
さすがに、ノンフィクションであの頃の思い出を他人に教える気にはならないので、
無口で無表情な少女が心を開くまでという物語で書いてみた。
結局、登場人物以外は全部作り話。さらに言えば、登場人物も本物を何倍にも薄めた感じのやつらだ。
当然のことながら、そうスイスイ書けるわけもなく、
四苦八苦しながら、そして妙な義務感に囚われながらどうにかこうにか書いたものを、新人賞に応募してみた。

どうせ、自分の自己満足だったからそこまでする必要もない、
と何度か応募したあとに思ったが、もうどうしようもないので、忘れて日々を過ごすことにした。
それが何の因果かなんたら賞を受賞して、出版する運びとなった。
うまく行き過ぎているとあぜんとする俺。どう考えたって素人の作品が
そう簡単に審査員のお眼鏡にかなうはずがない。
さらに、どうしたことか、それがヒットしたのだ。
その評価は大半が
「感動した」とか「泣けた」とか、そんなのが多いらしい。
中には、「人物の感情が本物のようだ」と言う人もいるらしい。
本物のようだも何も本物ですが……。
ただ、読んだ人には覚えていてほしい。そういう少女がいたことを。
もっとも、あいつがそんな形で記憶されることを望んではいないだろうが、
俺はそれでも満足だった。ものを書く、という作業を通じて
長門との日々が再構築されていくような感覚を味わえたからな。

ただ、予想もしていなかったことが起きた。
それはある日、北高からの電話という形で告げられた。

『よう、元気にしてるか?』
この声は岡部教員か。
「はい、先生も元気ですか?」
『まあまあだな。お前らがいなくなったあとは妙に静かな学校になってな。
楽でいいんだか、平穏すぎるのを嘆くべきか』
普通に考えて、こんな世間話をしに電話をかけて来たわけではないだろう。
「それで、俺になんか用ですか?」
『ああ。今度高校が創立何十周年記念とかいうのでな、活躍している卒業生に
自分たちの北高生活、と言う題名で講演してもらうんだが、
お前にやってもらえないかなと思ってな』
「俺ですか?」
普通そう言うのはちょっといい歳した中年の人たちか、暇を持て余してるご老人がやるもんじゃないのか?
こんな大学でたての若造がやるもんじゃないだろう。
『いや、お前だけじゃないんだ。もっと年上の方もいるが、さすがにそんな人の話
ばかりじゃ飽きるだろうって、話になって若いお前に白羽の矢が経ったんだ。
それにお前は面白い学園生活送っていたしな』
なるほど。確かに昔話を何度も聞いたら飽きるだろう。どうせどっか似てるわけだしな。
その点、俺の話が他のと同じになる可能性なんてありはしない。
そういう意味では良いのかもしれん。
「分かりました。引き受けます」
『おう、ありがとう。それじゃあ、次の会議で伝えておいて、承認されたら、
招待状が届くと思う。じゃあ、頼んだぞ』

俺はこの講演会が長らく交わることのなかった俺とハルヒの人生の交差点になることをまだ知らなかった。
そしてその衝撃的すぎる再会も予想できなかった。

そして講演会の日。いつもなら下から見上げているはずの場所で話をするとなると否が応でも緊張する。
それによく考えたら、我が妹も北高生としてここにいるわけである。

確かに退屈な他の人の思い出話を聞きながら、俺は話の順をおさらいする。
きっとこれなら退屈しないだろうと、自信を持っていえる話のオンパレードだ。
そして俺の番が来た。ここからでも分かるのはこの講堂の雰囲気が死んでいるということ。
俺が叩き起こしてやるさと、一人でにやりと笑ってる俺。
俺が壇上にあがるとざわつきが増えた。
こんな若いやつがなんでここにいるんだって雰囲気だな。
俺の経歴が紹介されると、半分くらいは納得したようで、もう半分は周りに聞いている。
そんな様子を見ながら、俺は話しはじめた。
「東中出身学出身、涼宮ハルヒ。ただの人間には興味ありません。
この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」
講堂中がぽかんとする。まずは目論み通りといった所か。ただ、少し恥ずかしい。
「俺の高校生活の思い出はこんな自己紹介を聞いたことから始まったと言っても過言じゃないな」
それから、俺のそばにいたハルヒのこと、朝比奈さんのこと、古泉のこと、長門のこと。
SOS団設立の日のこと、文化祭での自主作成映画のこと、コンピ研とゲームで対戦した日のこと。
延々と思い出話を語ることとなった。もちろん、宇宙的、未来的、超能力的話は全部抜きだ。
話終えたときに講堂に集まってる生徒の顔を見てみると、何やら羨望の色が浮かんでいた。
それはそうだ。あんな常人じゃないやつらが周りにいた俺の高校生活、楽しくなければ嘘だ。
「それでは、何か質問等があれば前まで来てください」
アナウンスが響く。何ていうか、定番って感じがするな。あんまり面倒くさいものが来ないと良いが。
「ねえ、キョン君」
げ。この声は……。
「なんで今日はハルにゃんいないの?」
うわー!きやがった。そんな質問あとで良いだろうわが妹よ!あとでならゆっくり教えてやるから!

それからは地獄だった。
思い出したくもない。トラウマだ、トラウマ!
高三にもなって「キョン君」、「ハルにゃん」はねえだろう。
そんな子供っぽいあだ名いつまでも使うな!
いやでもよく考えたら、鶴屋さんや朝比奈さんも高校三年生でそのあだな使ってたから良いのか。
……いやいや、よくない、よくない。あの頃の俺は高校生。今の俺は?そう、社会人。
憂鬱だよ、もう。
「おう、『キョン君』お疲れ」
「……先生、やめてください。鳥肌立ちますから」
岡部はひとしきり笑ったあとこう続けた。
「まあ、やっぱりお前を呼んで正解だったかな」
それは、まあ結果的にいえばそうかもしれませんね。俺は断ればよかったと思ってるんですが……。
「生徒も退屈しないですんだしな」
「話してて思ったんですけよ、やっぱり高校時代って良いな、て」
これは本心だ。今の何もしていない生活に比べれば遥かによかった。
いや、あれ以上の生活は多分、一つの例外を除いてないだろう。
「何をそんなじじ臭いことを」
「いえいえ。今の俺の立場になったらきっと先生も言いますよ」
「そんなに面白くないか、新社会人は。ならハンドボールを……」
「遠慮しときます」
笑い合う俺たち。今更、元担任と親睦を深めるなんて思いもしなかったぜ。
「あのー、すいません」
俺たちに後ろから声がかかる。
……なんだろうどっかで聞いたことがあるような?でも、なんか聞いたことないような。
岡部もそんな顔をしている。
「あのー」
もう一回かかる声。
「はい、なんでしょう……か」
振り向いた後、絶句する岡部。
「先生どうしまし……た」
右に同じ、な俺。そこにいたのは、紛れもない、そう。
涼宮ハルヒだった。
「すいません。今日ここに××の作者さんがいるって聞いて来たんですけど」
しかし、話し方が違うとここまで雰囲気が変わるものなのか?
そもそもなんでこんなキャラになってるんだ?
戸惑う俺は岡部と顔を合わせた。
そんな俺たちを不思議そうに、不安そうに見るハルヒ。
「すいません……」
「え?ああ、はい!××の作者ならこいつですが」
そういって俺を指差す岡部。
ハルヒは意外そうな顔をしていた。そんなに俺と作家業は似合わないか。
「初めまして、あなたの本のファンなんです」
初め、まして?
「ハルヒ……?」
そういった俺を驚愕の眼差しで見つめるハルヒ。
「やっぱり、あたしを知ってるんですか?」
やっぱり?さっきから何かがおかしい。
「初めまして」、「やっぱり知ってる」そこから導きだされる結論は、

「記憶、喪失……か?」
「ええと、ハルヒは、というか、涼宮さんは、俺のことを覚えてない?」
俺は岡部に行って学校の教室を一つ貸してもらっている。
「はい。もう分かってると思いますけど、記憶喪失なんです」
俺がハルヒのことを「涼宮さん」と呼んだのはハルヒ曰く
「下の名前で呼ばれるのなれてないんです」
だからだ。
やれやれ、久々にあったらまた非日常の香りが漂って来たよ。ほんとお前といると退屈しないな。
「いつからだ?」
どうしても口調がぞんざいになっちまうのは目をつぶってほしい。俺だってがんばってるんだ。
「もう二年くらい前だと思います。確かあれは……」
その日付は覚えている。ハルヒが俺に変な電話、最後の電話、をかけて来た日だ。
「その日ちょっとした事故で頭強く打っちゃって、それで気づいたら記憶が……」
怪我は?
「特に外傷はなかったです」
ですます調のハルヒとは喋りづらいな。
もう一つ気になってたことを聞いてみよう。
「俺の本のファンだって?」
「ええ。何ていうか、初めて読むはずなのに登場人物を知ってる気がしたんです。
それでもしかしたらこの人はあたしについて何か知ってるかなって」
それはもう知ってるなんてものじゃない。それに、登場人物のモデルの一人は他ならぬお前だしな。
「ええ!?そうだったんですか?」
そうだ。
「それじゃあ、一つ聞いていいですか」
どうぞ。
「高校時代のあたしはどんな子だったんですか?」
結局俺はさっき話していた内容をもう一回繰り返すはめになった。
「——ってやつだったな」
もちろん、宇宙人だの未来人だの超能力者だのについては触れていない。
「今のあたしと全然違いますね。今は知らない人に話しかけるのに腰が引けちゃうんです」
その割には俺たちに話しかけるのは平気だったみたいだが?
「意を決して、ってやつです。でも確かに、普段よりは気楽に話しかけられました」
やっぱり頭は覚えてんのかな?そういえば、
「もう二年間も記憶喪失?」
「はい」
俺は記憶喪失には詳しくないんだが、そんなに長いものなのか。
「さあ?長い人もいれば短い人もいるって言ってましたけど」
ふむ。
「で、一つ聞きたいんだが、記憶を戻したいか、戻したくないかどっちだ?いや、無理して答えなくても良いんだ」
考え込むハルヒ、というか涼宮さん、というか、ハルヒというか……。
「さっきまでは、戻したかったですね。記憶がもどったって今とそう変わらないって思ってましたし。
何より今までの思い出がないのって損した気がするんですよ。
親に聞いてもハルヒはハルヒだ、なんて言われて、昔のあたしのこと教えてくれなかったですし。
でも、話を聞いた後だと怖いですね。今のあたしと全然違ったてことは、極論ですけど、
記憶がもどった時今のあたしは『死ぬ』ってことですよね」
そういう結論になる……のか。
「まあ、そうかもな」
「ですよね。そうなると前のあたしには悪いけど、このままでいたいって思います」
「そうか……。そうだな。そう決めるのは涼宮さんの自由だろう。俺に強制する権利なんてないんだし」
『ハルヒ』に会えないのは正直少し淋しいが、だからといって目の前にいる『涼宮さん』を
否定するほど俺は酷い人間じゃない。
「そういってもらえると安心します」
安心?
「そう、安心です。さっきの話を聞いた限りあなたは『あたし』が好きだったみたいですから、
なんか言われるんじゃないかって思ってたんですよ。『記憶を戻す方法を探してみよう』とかね」
あたしを強調するハルヒ。
「それと同じ理屈で『昔』の知り合いと会うのも怖いんです。今のあたしを否定されるんじゃないかって」
そんな心の狭い知り合いはお前の周りにはいないはずだ。いや、いない。
結局、当たり障りのない会話をしているうちに、外も暗くなって来たので別れることとなった。
「今日はどうもありがとうございました」
ハルヒに礼を言われるってなんかなあ。
「どういたしまして」
「また何か聞きたいことが出来たら聞きに来ていいですか?」
「構わないな」
「それじゃ、連絡先、教えてもらって良いですか?」
多分携帯に『キョン』で入ってると思うが。
「キョン?ああ、ありました、ありました。何だろう、この間抜けな名前って思ってたんです」
ぐはッ!つらいことを言ってくれるな……。
「ただ、履歴がほとんどそれで埋まってたんで、まず最初に電話してみたんです」
なるほどね。

こうして久しぶりの再会が驚愕のうちに幕を閉じた。
さて、どうするかね。しばらくここに滞在するのも良いかな。
そうとなればおふくろに電話でもしておこう。

「ただいま」
なんか気恥ずかしい台詞だな。久々に言ったよ。
「キョン君、お帰りっ!」
俺の精神に深ーい痛手を負わせてくれた妹の登場だ。
というか、このテンションの高さは鶴屋さんを連想させるな。
久しぶりに帰った我が家はそんなに代わり映えはしていなかった。
夕食の席で俺はいろいろ親に聞かれたよ。聞かれたってより説教に近かったが。
主に仕事をどうするかってことだな。
作家なんて不安定なものを続けられるか、って一時間ぐらい聞かれた。
それに対する俺の答えは簡潔に一言。
「分からん」
……。よく考えるまでもなく火に油だったな。
ぎゃーぎゃー言い出したおふくろをなんとか押さえて、俺は部屋に引っ込んだ。
衝撃的すぎる一日を振り返る。
「それにしてもあいつが記憶喪失ねえ」
ハルヒに何かあると高校時代の癖で非日常的なやつらが介入してるんじゃないかと思ってしまう。
と言うわけで、何が悲しいのか俺は古泉に電話していた。
ちなみに、海外では古泉の携帯は使えないらしく、連絡先の書かれた手紙が大学の一年の半ばに送られて来た。
……なかなか出ないな。時差の影響で寝てたりして。そしたらまずいか。
『Hello, this is Koizumi 』
……。うん。すっかり向こうになじんでやがるな。発音もうまいし。
「おう、古泉か」
『……。あ!あなたでしたか。お久しぶりです』
「なあ、いきなりで悪いんだが、俺たちが大学に入ってから変なやつらが動いてるってことはないか?」
『いきなりどういう風の吹き回しですか』
「いや、実はな——」
俺は今日の出来事を古泉に伝えた。
『ははあ。なるほど。それで不安になったと』
そういった所だな。
『結論から申し上げますと、そういった動きは聞いてませ……』
どうした、古泉?
『いえ、二年前って言いましたか?』
「ハルヒの記憶喪失のことか?ならそうだが」
沈黙する古泉。
『やはり気のせいではなかったようですね』
何がだ。
「いえ、二年前の一時期、いや、一瞬、ですかね。僕たちの能力がもどったのですよ」
それは……。
『そう、涼宮さんの力が復活したことを意味します。もっとも、さっきも言った通り一瞬でしたけど』
つまりお前が言いたいのはハルヒが望んだからこうなったと?
『あくまで仮定ですけどね。それにあなたが本を書き始めたのも二年前でしたっけ?』
そうだな。
『それが素人の作品にも関わらず賞を受賞した』
確かに。
『そしてそれが売れて、そのことによりあなたは北高にもどって来た』
言いたいことが分かったような気がする。
『そしてさらに、あなたはそこで涼宮さんと再会した』
「偶然にしちゃ出来過ぎだがな」
『確かに』
電話の向こうで苦笑する古泉。
『この場合、偶然でなかったとしたら涼宮さんの望んだことは……』
「俺との再会、か」
『そうです』
ただ、そうなると、
『記憶喪失になった理由が分からないんですけどね』
……俺の台詞を取るな。
『すいません。そこは偶然、記憶喪失が重なったと考えるべきですかね』
「だろうな」
『何にせよ、記憶喪失について知り合いにあたってみますよ』
いや、古泉。それは遠慮したい。
『はて、あなたなら乗ってくると思ったのですが』
いやな、古泉。俺は『あの』ハルヒに会えないのは淋しいが、
『今の』ハルヒは、別な一人の人格として日々を生きてると思うとな、どうも積極的に直す気にならんのだよ。
『ははあ、なるほど。分かりました。でも、一応調べておきます』
お前がやりたいって言うのなら止めはしないが……。
「じゃあな」
『はい、それでは』
結局、また例のハルヒパワーか?やれやれ。
あれこれ考えてもしょうがないのは高校生活で身にしみて分かってる。
そんな時は寝ちまえば良いんだ。

そうしてうとうとし始めた俺をすっかり大きくなった妹が飛び乗ることで起こした。
いや、死ねそうです。



次の日、俺は朝から市内を歩いていた。
時々帰省するとはいえ、丸一日暇ってのはそうないからな。どこがどう変わったか見て回る良い機会だろう。
まず最初に向かったのは駅前だった。市内を練り歩くとなると勝手にスタート地点をそこにしてしまうみたいだ。
恐ろしきかな、習慣の力。
そこで、見た。
誰を?
決まってる、涼宮ハルヒだ。

「奇遇、ですね」
「同感だな。なんでここに?」
んー、とうなってるハルヒ。
「いえ、理由はない、と思うんです。ただ、時々ここに来たくなるんです。
でも昨日、話を聞いてやっと分かったんですよ。ああ、ここも前のあたしのゆかりの場所なんだって」
なるほど。案外記憶喪失って言っても、覚えてるものなのかな?
「そうだな、いっつも俺が最後で、奢らされてばっかだったな。」
「ヘー、大変だったんですね」
苦笑する俺。
「ところで、何か今日、予定あるのか?」
「いえ、特にはありませんけど。あなたは?」
「俺もないんだ。久々に帰って来たからな。ちょっと様子を見ておこうって思って」
じっと、こっちを見るハルヒ。なんだ?
「うらやましいですね、『帰って来た』っていえる場所があるって」
あちゃー、地雷を踏んじまったか。
「す、すまん」
「いえ、良いんですよ」
こういうときは話を変えるに限る、のか?
「予定ないなら、ちょっと歩かないか?いや、嫌ならいいし、昔の話もそんなにしないからさ」
「それって、『デート』ですか?」
あー、そういう意味ではないんだが。でも、まあ、いいか。
「んー、まあそんな所だ」
「いいですよ。あ、それから、そんなに遠慮しないでください。
思い出話は聞いておきたいんです。やっぱりそれはあたしの物でもあるから」
やけにあっさり承諾したな。
「分かったよ」

その日は俺がハルヒを引っ張るという高校時代には考えられなかった事態に陥っていた。
はっきり言おう。悪い気は全くしなかった。何せ美人だしな、ハルヒは。
結局俺たちが別れた頃にはもう、空も赤く染まり始めていた。
「今日は楽しかったです」
いえいえ、どういたしまして。
「俺も楽しかったよ」
「それでも、時々あたしを見ていませんでしたよね」
それはどういうことだ?そりゃ、景色を見てたりはしたけど、それくらいはするだろう?
「あたしを通して全く別の人を見てました」
……全く無自覚にやってた。いや、もう謝っても謝り足りねえな。
「『あたし』は淋しいんですけど、どこかで、嬉しがってる別のあたしもいるんです。
やっぱり、あたしはあたしじゃ、ないんですね?いつか消えなきゃいけないんですね?」
泣きはじめるハルヒ。
そうじゃない。たとえ今までと全く違ってもお前は涼宮ハルヒだ。お前はお前だ。
とは当然言えない立場の俺である。ここで言ったらただの馬鹿野郎だ。ということで俺が言えるのは
「すまん」
のただ一言。

ハルヒが泣き止むまで俺はそばにいた。
俺たちのそばを通り過ぎていく人たちは、何やってんだろうって目で見てた。
見るな、見せ物じゃねえ!

泣き止んだハルヒが最初に言ったことは、
「すいません」
謝るなよ、お前は悪くない。
「いや、いいんだ。俺の方が全面的に悪い」
「じゃあ、そういうことにしておきます」
やっぱりどこかでハルヒっぽいな。切り替えの早さとか……って、何考えてんだ、俺。
「それで、いろいろありましたけど今日は楽しかったです。ありがとう……キョン」
は?今、なんて?キョン?
「え?あれ、なんで?あたし何言ってるの?」

その瞬間俺は分かった。それは静かな『死』までのカウントダウンのスタート合図だと。
当事者以外には『回復』としか映らない残酷なカウントダウンのスタートだと。
そしてハルヒもそれに気づいたのだろう。動揺しうろたえている。
どうにか落ち着けないと。
「なあ、明日も会えないか?」
「な、なんで?」
「二年間の話が聞きたい」
結局明日も会う約束を取り付けて、俺たちは別れた。

なんで二年間の話が聞きたいかって言うと、長門のときと同じだ。
あいつが確かにここにいたって証拠を残してあげたい、ただそれだけだ。
ハルヒのおかげで得た(と俺が考えている)文才がいつまで残ってるかは知らないが、やるだけのことはやってやりたい。
明日のためにいろいろと準備しながら俺はそんなことを考えていた。

「こんなときに限って寝坊かよ」
今、俺は急いでいる。とにかく出来うる限りの全速力で待ち合わせ場所まで。
ああ、畜生。これで遅刻したら格好悪いなんてもんじゃねえ。最悪だ、最悪。
とりあえず約束の時間の五分前に駅前についた。
そこにはまだハルヒはいないようだった。
「とりあえず間に合ったか?」
「残念でした」
後ろからかかる声。
「もう十分くらい待ってました」
どこに隠れてたんだ?そんなことより
「すまんな。待たせて」
「いいですよ、喫茶店の奢りくらいで許します」
結局そうなるんだな。
「分かってる。それじゃ行きますか」


「どうして、『あたし』の二年間の話が聞きたいんですか?」
「いや、俺のあの本はもともと、高校卒業したときに『死んじまった』友達を覚えとくために書いたやつなんだが、
同じことが出来ないかなって思ってさ」
「こんな言い方嫌なんですけど、あたしを使って稼ぐ気ですか?」
そういう受け取り方も出来るのか。
「いや、それは絶対にしない。一冊しか作らない」
「一冊?」
「そう、君のための分の本だけしか作らない」
「おかしな話ですね。あたしは『死んじゃう』んですよ?そんなあたしが持っていてどうするんですか?」
確かにおかしな話だ。けどそれなりに理由はある。
「本の完成を見るまでは『死なない』ような気がしてな」
理由って言うにはあまりに感情論なんだがな。
溜め息を一つつくハルヒ。
「分かりました。それじゃ、始めましょうか」
いきなりだな。
「結局あたしにどれだけ時間が残ってるか分かりませんから。感情でどうにかできるほど世の中甘くないですし」
……。そうだったな。感情論でどうにかなる問題じゃない。
「始まりは——」

………

気づいたらすっかり夜だった。

「——以上です。これがあたしの全部とまではいかないけど、だいたいのことは話しました」
「ありがとう。俺に出来る最高の物語を作るよ」
「分かりました、楽しみに待ってますから。締め切り厳守ですよ?」

締め切り、ねえ。
あまりに曖昧な締め切り。いつ来るか分からない。一年後か?半年後か?はたまた明日か、今日か?
でも俺は間に合うという確信があった。
『ハルヒ』が待ってくれるという確信があった。
それから一ヶ月俺は本を書き続けた。
最初の頃はおふくろに文句を言われたが、事情を話したら納得はしてくれたようだ。
そうして出来上がった物はちょっと短い中編程度の物だった。
『死んでしまう』ハルヒをモデルにしているため、物悲しい雰囲気の話となった。
それでも俺はあいつをちゃんと描けたと思っている。
それから、印刷屋を回って一冊だけだが本を作ってほしいと頼み込んだ。
なんとか引き受けてもらい(高くついたが問題はない)俺は一冊の本を手にしていた。
ところが、今になって俺はこの本をハルヒに渡すのが怖くなった。

なぜか?
俺は本を完成させるまではこっちのハルヒが『死なない』確信があった。
ハルヒは俺との再会できっと「普通じゃない」ことを望んだのだろう。
それが記憶喪失として表れた。
俺が文才を与えられたのはハルヒとの再会のきっかけを作るためと、もう一つ。
すなわち、記憶喪失のハルヒの救済のためなんじゃないかと考えたわけだ。
だからこっちのハルヒが何らかの形で——この場合本で——記録されない限り
記憶喪失は治らないと踏んでたわけだ。
そうだとすると本を渡すことが『死』の引き金にならないか?

もっともそれは俺の考えすぎで、全て偶然という可能性もある。
そして悩んでるうちにハルヒが『治って』しまう。
その場合は俺は約束を破った男ってことになるな。

やっぱり悩んでてもしょうがないな。
『やらないで後悔するより、やって後悔する方がいい』なんて昔『誰か』が言ってたな。
俺は携帯を取りハルヒに電話した。
『はい、涼宮です』
「もしもし、本が出来たんだが」
『本当ですか?』
「本当だ。それでどうやって届ければいい?この前の駅前にするか?」
しばしの沈黙。
『そうですねえ。あたしの家でどうですか?落ち着いて読みたいし、感想も言いたいし』
今度は俺が沈黙。いや、裏がない発言だろうってのは分かってるんだが……。
「分かった。場所は?」
『はい、ええと……』

今俺はハルヒの家にいる。といっても実家じゃない。大学入学を機に一人暮らしを始めたんだと。
というわけで俺はマンションの4階にいる
そして目の前には一心不乱に本を読むハルヒ。なんか長門を連想させる姿だ。

パタン、と本を閉じるハルヒ。
今の俺の気分は判決を待つ人の気分とほぼ等しいんじゃないんだろうか?
「安心しました。間違いなくあたしです。あたしはここにいます」
そこまで言ってもらえれば俺も本望だ。
「はい」
本を差し出すハルヒ。
「はい?」
どういうことだ?
「この本の主人公は間違いなくあたしです。だからこの本と一緒にあなたに覚えておいて欲しいんです。
あたしが生きていたこと」
「そんな、今すぐ『死ぬ』ようなこと言うなよ」
「あ、すいません」
しょんぼりするハルヒ。いかんなあ、へこましちまったか。
「この本は大事にするよ。絶対に」
強く断言する俺。
「ありがとうございます。あ、見送りぐらいはしますよ」
本をもって立ち上がった俺にハルヒは言う。


「この一ヶ月楽しかったです。本がいつできるかなって、わくわくしてました。出来も最高です」
階段を下りながら俺たちは話している。
「そういってもらえると本当に嬉しいな。がんばった甲斐がある」
「そう言えば顔白いけど大丈夫ですか?」
「いや、寝不足でな」
「そこまでして書いてくれなくてもよかったんですけど」
「気にするなよ。俺が書きたくて書いたんだからさ」
おっと、なんかふらつくな。やっぱり寝不足のせいか。
「あっ!」
どうした、ハルヒ?
……あれ?
なんか浮遊感がある。
ああ、俺は階段から落ちてんのか?
まずいな、何か掴まる物は——?
重い衝撃とともに俺は地面に叩き付けられた。
「キ…ン、…ョ…?…いじょう…?…れか、……か!」
耳元で誰かが騒いでる。
いてーな、後頭部を打った……かな?
だんだん目の前が暗くなり、そして——。

目を覚ます俺。いつかのように白い天井。窓の外は暗い。
……なんか重いな?体を起こすとそこには俺の胴体を枕代わりにして寝ているハルヒがいた。
また俺は付きっきりで看病されてたのか?悪いな、ハルヒ。
まだ朝までは時間があるようだから、もう一眠りしておこうか。
「……んー、キョン?」
起こしてしまったらしい。
「ああ、すまんな。起こしちまったか?」
と、突然ワタワタし始めるハルヒ。
「キョン、頭から落ちてたけど、あんたあたしを覚えてる?あたしはね、」
ハルヒを遮って俺はいう。
「少し落ち着け、大丈夫だ。覚えてる」
それともう一つ、確認するまでもないことだが、
「お前はどっちのハルヒだ?」
きょとんとするハルヒ。しかしすぐに何のことか分かったらしい。
「あんたのよく知ってる方のあたしよ」
そうか……。
俺は目を閉じた。
「どうしたの、キョン?どっか痛むの?それとも寝るの?」
いいや、違う。どれでもない。どれでもないんだ、ハルヒ。

俺は目を閉じたまま黙祷を捧げた。
誰にも知られずに『死んでいった』彼女に黙祷を——。

心の中で彼女が言った。

——『誰にも』じゃないです。あなたが知っています。あたしがいて、そして死んでいったことを。

俺は、心の中で彼女に返答する。

——そうだな。忘れないって約束するよ。


それから無事退院した俺は高校卒業から五年間遅れの告白をハルヒにした。
それを聞いたあいつは
「バカ、遅いわよ。でも、待ってたわ」
とか、返事なような返事じゃないようなことを言った。
結局それから俺たちは結婚した。
それで俺たちの暮らしはというと……。
なんてことだろうね、俺は未だに本を書いている。それはハルヒに言わせると、
「普通の会社員より百倍もましじゃない」
だからだが。
今はまだだが、そのうちSFにも手を出すかもしれんな。きっと学園ものだ。
そこには超能力者やら宇宙人やら未来人やらと、もっとわけの分からないやつと、一般人が出てくるだろう。


俺は時々本を読む。一人の人がこの世に生きていた証である本を。
世界に一冊しかない、ただ一人のための物語を。
fin.

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