気が付くと、俺は自分の部屋の床に寝転がっていた。視界の端にベッドの足が
見える。着ているものはブレザーの制服などではなく、当然のように
スウェットの上下。

夢か? あれは夢だったのか?

ぐあ、今すぐ首つりてえ! よりによってハルヒと二人で異世界に紛れ込み、
キスをする夢だと?
猛烈な自己嫌悪に頭を抱え込み、俺はしばらく足をバタバタさせていたが、
やがてのっそり立ち上がらざるを得なかった。
寝よう。寝なおして忘れちまおう、あんな若さ故の過ちは。そうして、
憔悴しきった顔でベッドに向き直った俺が見たものは。





俺のベッドの上で、パステルピンクの少女趣味っぽいパジャマを着たハルヒが
背中を丸めてくーくー寝息を立てている姿だった。

一瞬おそろしく混乱したのち、俺は古泉が「閉鎖空間は次元断層の隙間」とか何とか
言っていたのを思い出して、ぽんと手を打った。
なるほど、A地点から空間の歪みを通ってB地点に出る、これがワープという奴か。
ヤマトがイスカンダルまで行けるわけだぜ。

などと納得している場合ではない。どうしてハルヒの奴は俺にくっついて
この部屋まで来ちまってるんだよ!
残念ながら、俺はその理由にも思い当たる節があった。例の閉鎖空間で
ハルヒとその、なんだ、キスしてる最中に「しばらく離したくないね」とか
考えていたアホは俺だからだ。
だからって、それを真に受けられても困るんだが。当のハルヒは俺の当惑をよそに
気持ち良さそうにベッドを独占してやがるし。くそ、なんか腹たってきたな。

どうする? やるか? やっちまうか?

考えてみれば、千載一遇のチャンスではある。日頃いわれもなく人を酷使している
代償を、その体で受けて貰うぜ。悪魔の笑みを浮かべた俺は、ベッドの上のハルヒに
音も無く忍び寄り、その顔の上で






マジックの蓋を抜いた。おデコに「にく」と書き込んでやるの刑だ。
くけけ、その間抜けヅラで家まで帰るがいいハルヒめ。

なに、この据え膳な状況で手を出さないのか、だと?
仕方がなかろう、自分で言うのも何だが俺はヘタレなのだ。以前に部室で
朝比奈さんに羨ましい事をしてるハルヒに「あんたも揉んでみる?」と
誘われた時も後ろ髪を引かれつつ辞退したし、
長門のマンションに招かれた時も、お茶以外には一切手をつけずに
そのまま直帰してきた。

俺に谷口的積極性が少しでもあったならどうにかなっていたかもしれんが、
とにかく俺はそうしなかった。なにしろヘタレだからな。だから今日のハルヒも
笑えるイタズラ程度で帰す。多分、こいつもそこまで覚悟を決めて
俺の部屋に来たわけではなかろうし。
迷子の女の子に手をつけるのは、やっぱりどうにも気が引けるんだよ。ヘタレな
俺には、悪役になりきれるだけの根性もないのさ。

しかしまあ、目が覚めたら俺以上にびっくりするんだろうな、ハルヒの奴。さて、
どうやって状況を理解させたものだか。隣の部屋じゃ妹が寝てるので、
あんまり騒がないでくれるといいんだが。
ハルヒの顔の上で、マジックを片手にそんな事を考えていると、不意に下から
うーんという小さな声。つられてそちらに目をやると、
ちょうどパッチリまぶたを開けたハルヒと、まっすぐに視線がぶつかった。

「…ん…キョン…?」



すまん、ちょっと質問に答えて貰えるとありがたい。今の俺の体勢って、
ちょうどハルヒに覆い被さろうとしている形なんだが、
ひょっとしたらこれって、他人からは寝込みを襲おうとしてる場面に…
見えるんだろうな、やっぱり。
なあ、もしかして俺、ドツボにはまってる?

「いや、これはそのっ…」

自分でも何を言おうとしたのかは不明だが、とにかくこの時の俺は
地球中でもっとも情けない顔をした人間の一人だっただろう。
つくづく思う、コメディー映画ってのは見る方に限るね。主演する方は
たまったもんじゃない。いや、マジで。

などと愚にもつかない事を考えている俺に、ハルヒは
急に据わった目付きになると、いきなり両手を差し出してきた。

てっきり首でも絞められるかと思って、身を強張らせる俺。仕方がない、
状況的証拠は決定的に俺に不利だ。ああ、なんて不幸な星の下に
生まれてしまったのか俺。この歳で婦女暴行罪確定かよ。
だが、違った。意外な事に





ハルヒはその両腕を俺の首に回すと、ぎゅっと強く抱きしめてきたのだ。

「キョン…」

まだ閉鎖空間の夢でも見続けているのかこいつは。しかし、これはやばい。
別の意味でやばい。生涯かつてないほどの女子との密着感に、
気分とかそのほか諸々が盛り上がってきてしまったではないか。しかも
場所はベッドの上ときている。
どうするんだ、俺? ヘタレなのに行っちまうのか、俺?

笑われるかもしれないが、俺は割と古典的な考え方をするタイプなのだ。
彼女が出来たら何回かデートを重ねた後でAをして、
それからさらに想いを確かめ合った後でいわゆるエッチに移行するべきだろうとか
なんとなく夢想していたのだ。朝比奈さん辺りと恋をしていたら
普通にそういう流れになったかもしれないな。

だが現実には、まだ恋人でもないクラスメートと異次元でキスを済ませてしまい、
今また最終段階にまで踏み込もうかという所だったりする。
WHY? どうしてこんな状況になっちまったんだ?

決まってる。相手が涼宮ハルヒだからだ。俺みたいな凡人かつヘタレの思惑なんざ
通じようはずがない。そう考えた途端、俺の中で覚悟が決まった。
と言えば格好が良いが、実際は理屈をこねるだけ無駄だと悟っただけかもしれない。
要は、あとは野となれ山となれってこった。

「ハルヒ、順番が逆かもしれないが、俺な…」

それでもせめてもの礼儀で、コトの前に好意を伝えようとする俺。しかし次の瞬間、
俺は言葉を失ってしまっていた。なんとハルヒは





俺を抱きしめたまま、再びくーくー寝息を立ててやがったのだ!
上体を起こした格好でだぞ。コアラかこいつは。ファンシーなパジャマから
察するに、家では抱き枕とか使ってるに相違ない。学校ではあれほど
居丈高なくせによ。逆内弁慶だな。
それにしても見事に俺の覚悟をスルーしてくれやがったもんだ。ある意味、
さすがハルヒだぜ。とほほ。

残念ながらもどこかホッとしつつ、ハルヒを寝なおさせてやろうとして、
俺はその時、異変に気がついた。
なんだ? 身じろぎひとつできないぞ!

思い返してほしい。俺はハルヒの顔に落書きをしようとして、つまり
右腕を上げた状態で、ハルヒに抱きつかれたのだ。
今はもうガッチリと肩固めが極まってしまっている。しかもハルヒは
無意識なまま、神人ばりの馬鹿力でさらに俺を締め上げ続けていた。やばい、
これはまた別の意味でやばい。生命の危機だ。

「ちょ、ハルヒ、おま」

おいそこ、笑うな。この時の俺は、朝倉涼子に匹敵するかそれ以上の恐怖を
感じていたのだ。押しつぶされかけの気管からそれだけ絞り出すので
精一杯だったんだよ。
しかし、俺が懇願の声を発し終わるより前に。





やはり上体を起こした格好はしんどかったのか、ハルヒはごろんと
ベッドに横になったのだった。当然、俺を締め上げたままで。
回転地獄五輪を喰らった志賀賢太郎のようにやすやすと振り回される俺。
急速に意識が薄れていく中で、俺は
「ああ、ハルヒだったら曙くらいには勝てるかもな」
などと、ぼんやり考えていたのだった。

結局、ハルヒと昏倒した俺とは翌朝、ひとつのベッドでもつれあったまま
発見される事と相成り――その後は察してくれよ、俺はもう、
いまさら思い返したくもない。
理不尽かつ不本意な謝罪ってのはつらいもんだ。

意外だったのは、俺が予想したよりも騒ぎが大きくならなかった事か。どうやら
先進的な高校生にありがちなハプニングだと捉えられたらしい。なにより
ハルヒとの関係が、以前とそれほど変化しなかった。
もちろん周囲からの冷やかしの声は増えたが、俺とハルヒの間柄自体は
今日に至って、相変わらず付かず離れずのままだったりする。まあ、あれ以来
ハルヒに飯をおごらされる頻度は飛躍的に上昇したけどな。





そんなわけで、今日もハルヒに市内探索の名目で呼び出された俺は、
「あの朝の件が妹のトラウマにならなきゃいいんだけどな」
などと考えつつ、駅前でハルヒが来るのを待ちわびているのさ。
なんとなくプレゼント用に買ってみた、新品の抱き枕を腕に抱えながらね。


憂鬱アナザーエンド おわり

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