「・・・キョ・・・ね・・・キョン・・・」
…ぼんやりとした頭の中で、突然誰かの声が響いてくる。妙に聞き慣れた声だ。

「キョン・・・起き・・・よっ・・・」

なんだか意識がはっきりとしない。目の前は真っ白だった。
一体俺は何をしているんだ?

「・・・キョン!ねぇったら!」

…キョン?
突然女の大声が耳に届いたと思ったら、なんだか大きく身体を揺さぶられていることに気付く。
おいおい、一体何してるんだよ?

「ねぇ、起きなさいよ!キョン!起きてぇ!」

キョン・・・キョン?誰だよそれ。
というかこれは一体どういう状況なんだ?なんだか意識も朦朧としているし、まぶたが妙に重い。

「落ち着いてください涼宮さん!とりあえず救急車をよびましょう!」

あー・・・また新たな声が聞こえてきた。今度は男の声だ。

「キョ、キョン君!あわわぁ~~~~!!!」

…まだいるのか。それにしても随分高い声だな。
ったく、一体俺は何人に囲まれているんだ?
それにいつまで経っても意識がはっきりしない。くそ、何があったって言うんだよ。

とりあえず状況を把握しなければ・・・
俺は妙に重いまぶたゆっくりと開ける。
…ぼんやりとした目の前には、顔を真っ赤にした女が俺に向かって叫んでいた。
「・・・キョン!?聞こえてるの!?」

…誰だこいつは。

ちょっと待て、なんで俺はこんな知らない女に介抱されているんだ?

「ねぇ、聞こえてたら返事して!」

いやさっきから聞こえているが・・・

「ぅ・・・ぁ・・・」

俺は彼女に「何があった?」と聞こうとしたが、全くろれつが回らない。くそ、意識ははっきりとしてきてるんだが。

「わかった!もういいから・・・ゥ・・・」

おいおい、何を突然泣き出してるんだ。全くもって意味がわからない。
と言うか、今になって全く手足の感覚が無いことに気付く。
それになんだか・・・後頭部が妙に冷たい。
ちょっと待てよ・・・もしかして俺、死にそうなのか?

うっわ、なんだよそれ。
突然すぎて意味がわからない。いや、わかったほうが怖いと思うが。
こんなに意識がはっきりとしているのに、もう俺は逝ってしまうのか?
ふざけるなっ!俺にだってな、これからいろいろとやりたいことがあるんだよ!
例えばだな・・・
例えば・・・

あれ?

俺がやりたいこと・・・俺がやりたいことってなんだったけ?
いや、ちょっと待て、何かがおかしい。妙に奇妙だ。
何かひとつぐらいあってもいいじゃないか?
そう、俺の得意分野とか・・・得意分野?

待て・・・俺は一体誰だ?

「!!」

突然目の前が明るくなったと思うと、俺は驚きでその場を飛び跳ねる。

周りには見知らぬ光景が広がっていた。
えぇと・・・ここはどこだ?

ガチャ

俺が呆然としていると突然ドアを開く音がする。

「・・・」

ドアを開けた少女は、至って無表情で俺を見てきた。
…この子は誰だ?

「・・・ど、どうも」

俺はとりあえず挨拶をしてみる
しかし彼女は、俺の挨拶をことごどく無視したと思うと、無言でベッドの横の椅子に腰掛ける。何だこいつは・・・

「もう平気なの」

少女は分厚い本を静かに開いたと思うと、突然ボソッと呟く

「え?いや・・・その、すまないがよく状況を把握できていないんだ」
「そう」
「・・・一体何があったっていうんだ?」
「・・・」

やっぱり無視かよ。なんか接しずらい子だな。

「・・・」
「・・・」
暫くの沈黙・・・あの、何しに来たんですか。気まずくてしょうがない。
俺はそんな冷たい雰囲気を打破するため、たまらず彼女に質問をした。

「あの・・・俺には全く何があったのかわからないんだ。そもそもどうしてこんな所にいるのかも全く理解できてない」
「・・・」
こいつ・・・人の話し聞いてるのか?

仕方ないので俺は質問を続ける。
「俺に一体何が起きたのか・・・知っている限りで教えてくれ」
「・・・」

すると彼女はゆっくりと本を閉じ、俺の顔を見つめてくる。
よく見たら・・・中々かわいい子だな。

「私には、あなたに何が起こったのかを話す権利が無い」

突然忙しく口を動かしたと思ったら、彼女は女の子とは思えない厳格な口調で話しかけてきた。

・・・やっぱりこいつ変だな。俺の主観的意見からは「変わっている」という範囲を易々と超えている。


「ど、どういうことだ」
「そのままの意味」
「・・・君からは何も言えないってこと?」

彼女は数秒の間をおくと、ほんの小さく頷いた。

「・・・ハァ」
俺は深い溜め息をつく。
なんかもう頭が混乱してきた。
だってそうだろ?突然見知らぬ場所で目を覚ましたと思ったら、見知らぬ少女が部屋に入って来て、しかもそいつは変な奴と来たもんだ。
もう何が何だかわからない。

「ここは病院」

俺が頭の中を整理しようとしていると、突然少女が話しかけてきた。

「・・・病院?」
「そう」
「・・・なぜ俺が病院に?」
「・・・」

また無視か。なんかもう慣れてきたよ。

そしてまたも沈黙。もう俺は彼女に質問をするのをやめた。

トントントンッ・・・
俺がベッドに横たわっていると、遠くの方から足音が聞こえてきた。
随分でかい足音だな。
そんなことをぼんやりと考えていると、その足音は段々と大きくなっていく。
なんだか気色悪い。・・・ここの病院は、幽霊とか出るって有名なんじゃないだろうな。
俺が少し怖気ついていると、突然足音がピタリと止まる。

「来た」

少女が突然呟いたかと思うと、それと同時に扉が勢い良く開く。
来た?何が来たって言うんだ?もしかして本当に幽霊なのか?

「・・・有希、来てたの」

と、突然元気の無い女の声が聞こえてくる。
なんだか聞き覚えのある声だな。

…ああ、俺を必死に呼んでいた奴の声か。

「・・・彼は起きた」
「っ!?本当に!?」

無口少女がそいつに向かって呟くと、突然俺の手が引っ張られる。

「ててっ!」
「!!!キョン!?起きたの!?」

な、なんだこいつは!いきなり手を引っ張るとは何事だ!?

「ばかっ!心配かけて・・・このバカキョン!」

おいおい、急にバカ呼ばわりか?
しかもこいつ、椅子に腰掛けている少女とは正反対に・・・かなりうるさい野朗だ。

「な・・・なんだよ?」
「なんだよじゃないわよ!」

こ、こいつ・・・なんて強情な奴だ。
とりあえず状況説明しない限り、なんだか黙ってもらえなさそうだ。

「待て待て、俺は何が起こったのかよくわからないんだ。それに・・・お前は誰だ?」
「・・・え?」

よし、俺の思惑通りに彼女は静かになった。

「ちょ、ちょっと・・・」

彼女は上手く話せなさそうな雰囲気で、目をまん丸にして俺を見つめていた。

「な、なに冗談言ってるの?」
「冗談?なんのことだ」
「からかってると・・・本当に怒るわよ?」
「いや、からかっている気など毛頭ない。だからとりあえず手を離せ」

俺は少し怒り気味で彼女を睨みつける。もうそろそろ手を離して欲しかったからな。
しかし・・・俺はこういう女は苦手だ。顔は良いが、どうもうるさすぎる。もうちょっとおとなしくできないのか?

「・・・」

彼女は無言で手を離す。

「とりあえず、状況を説明してくれ。それと・・・君の名前も」
「キョ、キョン・・・本当にあたしのこと?」

顔を真っ赤にして俺に質問する彼女の手は、小さく震えていた。

「ああ、知らない。君には悪いけど・・・」

少し申し訳なさそうに言う俺だが、内心腹が立っていた。
いや、彼女に対してとかそういうのではなく(まぁそれもあるが)、そもそもこの状況に腹が立っていたのだ。

「・・・どういうことよ?」

暫く黙っていた彼女だが、突然信じられないという顔で呟く。それはこっちのセリフだ。

「あ、あたしはハルヒよ!?涼宮ハルヒッ!いつもSOS団で一緒にいたじゃない!?」

涼宮ハルヒ?SOS団?
おいおい、そんなの聞いたこと無いぞ。

「そ、そんな・・・」

こりゃまたずいぶんと驚愕の表情をしているな。そんなに驚くことなのか?

「もしかして有希のことも?」
「有希?」
「っ!あの子よ!長門有希!」

いきなり叫んだと思ったら、勢い良く椅子に腰掛けている少女を指差す。

「いや、見覚えないな」
「・・・ねぇキョン?冗談なんでしょ?」
引きつった声で呟く彼女。冗談?何を言っているんだ?
「冗談って・・・本当に何も知らないぞ」
「う、うそよっ!そんなわけない!」

またも叫ぶ彼女。

「・・・なんだってんだよっ!!」

俺は思わず彼女に怒鳴る。もう限界だった。

「っ!?」
「俺はあんたのことなんか知らないし、ナントカ団のことも一切知らない!!」
「ちょ、ちょっとキョン?」
「とりあえずここから出てってくれ!今は一人になりたいんだ!」

俺は今まで言えなかった言葉を全部吐いた。
とにかく俺は一人になりたい。
もうこの際状況は知らなくても良かった。とにかくこいつと話すのだけは嫌だ。

「キョン・・・」

すると彼女は、顔を真っ赤にして俯く。そもそもなんで俺のあだ名を知っているんだ?

「・・・わかったわ」

力なく呟いた彼女は、くるりと振り返ると、小走りで部屋を去っていた。

「・・・」

椅子に腰掛けていた少女も、本を閉じ、ゆっくりと立ち上がる。

「・・・また」

そうほんの小さく呟いた少女は、あの女のあとをついていくように部屋を出て行った。

「・・・ハァ」
誰もいない部屋に俺の溜め息が響き渡る。
もう何度も言っているが、何が何だかワケが分からない。

…あいつらは一体誰だ?なぜ俺のあだ名を知っている?

おかしいな、キョンなんていう奴は俺の妹ぐらいだ。
俺の知り合いでキョンなんて呼ぶ奴は・・・

…知り合い?

俺の知り合い・・・って誰がいた?
いや、誰か一人ぐらいはいるぞ?俺はそんな悲しい人間ではなかったはずだ。

なのに・・・なんでさっきから家族の顔しか浮かばない?

見知らぬ女・・・涼宮が俺のあだ名を叫び、突然俺の手を掴んできた。
初対面の人間にそんなことをする奴はそうそういない。

…おいおい、まさかそんな漫画みたいなことあるはずないよな?
なに考えるんだよ俺。日常が平和すぎてついに頭おかしくなったのか?

…記憶喪失なんてバカなことあるわけないだろ。

「ハ、ハハハ・・・」

何一人で笑ってるんだ俺。気色悪いなおい。
なにか他のことを考えよう。そう、学校のこととか・・・
…学校…
…なぁ…なんで何も思い出せないんだ?

と、突然扉を開く音がする。

「・・・もう大丈夫そうですね」

…男の声が聞こえてくる。
おいおい、今度は男か。もう勘弁してくれ。
どうせお前のことなんて知らないんだ。もう俺の頭の中は・・・空っぽなんだ。

「どうですか?ご気分のほうは」

なんだか随分礼儀正しい野朗だな。医者か?

「・・・誰だ」
「古泉です。一応あなたの知り合いですが」

ハァ・・・また聞いたこともない名前だ。もううんざりしてきたぞ。

「俺はお前を・・・」
「知らない・・・ですか?」

古泉とか言う奴は、俺の言いたいことを的中してきやがった。

「な・・・」
「機嫌を悪くしないで下さい。医者から詳しいことは聞いています」

なんだ詳しいこととは。俺は聞いていないぞ?

「あなたは、大部分の記憶を失っています」

…は?
何を言い出すんだこの男は。いや、俺もほんの一瞬そんなこと考えたが・・・そんな漫画みたいなことあるはずないだろって言ってるだろ。

「信じられないと思いますが、現にあなたは僕のことを覚えてない。これが何よりの証拠なんです」

いや、現にっていうか前から知らないはずだぞこんな野朗。

「僕も半信半疑です。まさかこんなことが実際に起こりうるとは・・・機関も大慌てですよ」
「・・・おい、なんだその機関ってのは」
「っと・・・すいません、忘れてください」

古泉は、髪をかきながら微笑する。なんだかイライラする奴だ。

「しかし、あなたはこの事実を受け止めなければなりません」
「・・・なぜお前にそんなことを言われなきゃならん」
「それは、僕たちにとって都合が悪いからですよ。特に涼宮ハルヒに関してはね」

こいつは一体何を言い出すんだ。
都合が悪い?なんて勝手な野朗なんだ。
それに・・・涼宮がどうしたって?
そもそも涼宮がどんな奴なのかも知らないのに、奴の都合など知ったことか。

「悪く思わないで下さい。僕も混乱しています」
「お前が混乱しているかどうかはどうでもいい。なぜ俺が記憶を失っているのか、それを話せ」
「・・・僕にもよくわかりません。それに医者も、脳には異常がないと言っていますしね」
「異常がないのになぜ・・・」
「多分、涼宮さんの・・・っと、今ここであなたに言ってもしょうもないことでした。すみません、忘れてください」

突然口を濁らす古泉。

「おい、涼宮がなんだって?」
「とにかく、涼宮さんに先ほどの態度をとってほしくないのです」

先ほど?ああ、怒鳴ったことか。
いや、あれは一方的に責めてきたあいつのせいではないか。
まぁ・・・今は少し反省しているが。

「これ以上先ほどの態度をとると・・・あなたの身も危ない」

おい、今なんて言った?
俺の身が危ない?そんなに涼宮ってのはゴロツキなのか?

「そういう意味ではありません。とにかく、もう少し彼女と話し合ってください」
「話し合う?何を?」
「知りませんよ」

そう呟き微笑する古泉。
知りません?なんて勝手な野朗だおい。

「まぁ・・・僕からアドバイスをするとしたら、彼女は変わった女の子、と言うだけでしょうか」

いやそんなこともうわかっている。問題は何を話すんだってことなんだよ。

「とりあえず彼女に謝罪してください。怒鳴ってしまったことをね」
「それだけか?」
「・・・もう少し注文を言うなれば、彼女を楽しい気持ちにさせてください」
「楽しい気持ち?」
「ええ、簡単でしょ?」

いや、あんな強情女を楽しませるのには相当な会話スキルが必要そうだぞ。

「あなたならできますよ。では僕はもうそろそろ・・・」

そう言い、静かに後ろを振り向く古泉。

「お、おいちょっと待て!」
「なんです?」
「俺にとって・・・涼宮ハルヒはどんな存在だったんだ?」
「・・・」

暫くの沈黙・・・どうやら古泉は言葉を選んでいるようだった。

「・・・すみません、僕には大事な用事があるので」

しかし、古泉はそんな俺の質問を見事にスルーし、部屋の扉を開ける。
そして俺は、そんな古泉の背中を見続けているだけだった。

バタン

扉が閉まる。
また部屋には俺一人だけとなった。

その後、家族が部屋に押し寄せてきたと思うと、それに続いて医者の記憶喪失のことを長々と説明された。
どうやら俺は学校の部活中に突然倒れ、なんと五日も寝ていたらしい。
原因は一切不明。様々な検査がされたが、脳、身体には全く異常はないらしい。
ただ、俺の記憶がなくなったという、全くもって意味不明な症状。

「とりあえず・・・記憶が戻るまで入院しましょう」

医者の厳格な表情と声色で、俺は少し不安になってしまう。
記憶が戻るまで・・・
もしかして一生戻らないってこともあるのだろうか?

「記憶喪失には、必ず原因があります。それがわかれば大したことはありませんよ」
「・・・はい」
「頑張りましょう」
「・・・はい」

一体何を頑張るって言うんだよ?

「キョン・・・くん・・・お家帰れないのぉ?」
やっと医者の話から解放されると、目に涙を溜めた妹が突然俺にしがみ付いてきた。

「心配するな、すぐ帰ってくるから」
「キョンくん・・・うぇ・・・ふぇぇ・・・」

俺の足に顔をうずめた妹は、大声で泣き始める。
俺は思わず胸が痛くなる。こいつのことだけでも覚えといて良かった。

「キョ・・・ひくっ・・・やだよぉ・・・」
「ほら、泣くなって」

俺は妹を抱き上げ、涙を手で丁寧に拭いた。

「キョンくんぅ・・・いやだってばぁ」
「わがまま言うなよ」
「ひぐっ・・・うぇぇ!」
「ほら、母さんの言うことよく聞くんだぞ?」
「う・・・うん・・・」
「ちゃんと歯磨いて寝ろよ?」
「わかっ・・・うぇえ・・・」
「俺の部屋には入るなよ?」
「そ、それは・・・いやだぁ・・・ひぐっ」
「まったく・・・お前は」

俺はそう言いながら妹の頭を撫で、両親に妹を任せる。
それでも何度も妹にしがみつかれる。本当に幼い奴だな。いや、少しはうれしいがな。
その後、両親の協力の下なんとか妹を説得し、部屋にはまた俺一人となった。

ふと見たデジタル時計には、10時12分と無機質な光が輝いていた。
その緑色の光を見た瞬間、「記憶喪失」という現実を感じる俺。
もしかしたら一生病院で過ごすってこともあり得る。言っておくがそんなこと絶対にお断りだ。
なぜ俺が記憶喪失なんかにならなきゃいけない。原因不明ってどういうことだよ。
…なんだか今日はいろいろと考えすぎた
もう寝よう。
これ以上考えてもどうしようもない。のんびりと記憶を戻すしかないんだ。
俺は見てもいないテレビを消そうとする。

その時だった。

ガチャッ

突然扉が開く。

言っておくが面会はおろか、消灯の時間もとっくに過ぎている時間だ。

「・・・」
「だ、誰ですか?」

思わず敬語になってしまう。まさかこんな時間に誰かが来るとは思わなかった。

「・・・」

部屋は電気が消えて、テレビの淡い光だけがその「誰かの」人影を映していた。
どうやら看護婦とかその類ではないらしい。
おいおいまさか・・・

「・・・電気」
「へ!?」

突然声が聞こえる。
あまりに突然すぎたので間抜けな返答をしてしまう俺。恥ずかしい。

「な、何バカな声だしてんのよ!静かにしなさいってば・・・」

あー、この声は・・・あいつか。
しっかし、なんでまたこんな時間に?
あと言っておくが、お前の声も相当でかいぞ。

「う、うるさいわねっ!バカキョンのくせして!」

またバカ呼ばわりか。
涼宮ハルヒって奴はどうも人を見下す性格らしい。
しかし記憶を失った今、こいつがどんな奴だったのかも全然覚えていない。

「・・・さっき、あんたの親御さんから聞いたわ」

突然勢いをなくした涼宮は、テレビの音量にすら負けそうな声で呟く。

「記憶・・・喪失なんだってね」
「ああ」
「あたしのこと、やっぱり覚えてないの?」
「・・・すまない」
「・・・じゃあSOS団のことも?」
「ああ」
「ほ、ほら、みんなで街に不思議探しに行ったりしたじゃない?」
「みんなってのは誰とだ?」
「それは・・・みくるちゃんとか」
「すまない、本当にわからないんだ。その・・・君のことも、そのみくるちゃんって人のことも」
「き、君って・・・そんな・・・」
「・・・」

暫くの沈黙。部屋にはただテレビの愉快な笑い声がわずかに響いているだけだった。

「・・・ひぐっ・・・」
すると突然、誰かの・・・と言うか涼宮の泣き声が聞こえてきた。
お、おいおいなんだよ突然?

「・・・ひっ・・・うっ・・・」

涼宮は必死に声を抑えようとしている様だった。
しかし沈黙の部屋には、寂しく泣き声が響いてしまう。

「・・・す、涼宮?」
「・・・な・・・なによっ・・・」
「その・・・泣いてい」
「な、泣いてなんかない!」

震えた声で怒鳴る涼宮。

「そ、そうか?」
「キョンのくせ・・して・・・ひぐっ・・・ヤダヨ・・・」
「え?」
「な、なんでもないわよっ!」

またも怒鳴る涼宮。おいおい、誰か来ちまうよ。

「と、とりあえず電気つけないか?ほら、真っ暗だと・・・」
「い、いいわよこのままで・・・」
「でもだな・・・」
「いいの!」
「あ、ああ・・・」
「・・・うっ・・・うぐ・・・」

なんだか奇妙な会話であるが、雰囲気は・・・もう最悪であった。
あー、そういや古泉が言っていたな。

「彼女を楽しい気持ちにさせてください」

もしかしてこのことを暗示していたのか?と言うかあいつはこんな状況を予想していたのか?

とりあえず何か話さなければこの状況を打破できそうに無い。
「そ、そのだな涼宮」
「・・・何よ」
「あー、あのな・・・」

まずい、何も言葉が浮かばない。
こいつを楽しい思いにさせろって?何を話せばいいんだ?

「え、えーとだな・・・」
「・・・早く言いなさいよ」
「その・・・そう、なんでこんな時間に?」
「え?」

思わず普通に質問してしまう。何してるんだよ俺。
ほら、涼宮の返事も実に素っ気無い。

「それは・・・」
「へ?」
「だ、だからあんたのことが・・・」

何だ?意外と食いつきいいぞおい。

「俺が・・・どうした?」
「・・・心配だったから・・・」
「?」
「だ、だから・・・心配だったの!」

また怒鳴る涼宮。
心配されるのは一向に構わないが、そろそろ大声を出すのはやめてくれないのだろうか?

「うるさいわねッ!・・・キョンのくせして」

どうやら俺は、彼女に正当な意見を述べてはいけない立場らしい。
ハァ、自分が嫌になってくる。

「しかし、こんな時間によく入れたな」

俺はなるべく涼宮の機嫌を損ねないように、明るい声で話しかける。

「それは・・・玄関からは入れなかったから、その・・・忍び込んだの・・・」

ん、今こいつ何て言った?
忍び込んだ?

「だ、だって!もう扉は鍵閉まってたし、警備員もウロウロしてたから・・・その、廊下の窓から・・・」

おいおい、不法侵入かよ。ずいぶん大胆な性格だな。

「それって不法侵入じゃ・・・」
「う、うるさいわねっ!別にいいのよこのぐらいっ!公共施設に不法侵入も何もないの!」
「ちょ・・・だから声でけぇって!」
「大丈夫よこれぐ・・・!?」

「誰かいるんですかーっ?」

突然聞き慣れぬ声がドアの向こうから聞こえてくる。
…確実に看護婦であろう。
まさか本当に来襲するとは、迂闊だった。
まずい、非常にまずいぞ。

「だ、誰か・・・来る?!」

案の定、涼宮は相当焦っていた。
そして俺も同じく、相当焦っている。
まぁ客観的に見れば、完全に非は涼宮にあるんだが。
しかし、そのままこいつを無視して、看護婦に連行させるのもさすがに気が引ける。
とりあえず、こいつをどこかに隠さないと・・・

「涼宮!早く隠れろ!」
「そ、そんな隠れろって・・・・どこにも隠れるところないじゃない!」

涼宮は部屋の中をうろうろと歩き、隠れ場所を探し始める。
しかし、奴の言うとおりこの部屋には俺が寝ているベッドと、パイプ椅子、その他簡易的な万能机(?)しかなく、人間一人が隠れられる場所は皆無であった。
カツーンカツーン・・・
だんだんと足音が近付いてくる。

「キョン、なんとかしなさいよっ!」

突然、涼宮が俺の手を掴みながら囁く。

「そんなこと言われてもだな・・・!」
「な、何よ?」

俺は思わず涼宮の顔を見つめる。
なぜなら・・・あることを閃いてしまったからだ。
今の状況でこいつを隠せると言ったら、この方法しかなさそうだ。いや、これしかない。

・・・しかし、こんなことして涼宮がおとなしくするなんて言う確証も全くないな。

まさに一か八か。とにかく試してみるしかない。

「おい、涼宮」
「なによ・・・っ!!」

俺は涼宮の手を思いっきり引っ張ると、強引にベッドの中に押し込んだ。

「ちょっと!なにすんのよっ!」
「しーーーっ!いいから黙ってろ!」

俺は布団の中で涼宮の口を手で塞ぐ。

「もがっ!ひょん・・・!」
「とにかくおとなしくしろっ!布団の上からわかっちまう!」
「むぐっ・・・」
俺がそう涼宮の耳元で囁くが、こいつはまだ僅かに動いていた。

「おい、だから動くなって」
「これ・・・ひゃなしなしゃい・・・!」
「へ?」
「くるひいにょっ!」

何だか間抜けな声を出している涼宮は、俺の手を掴みながら必死に口から離そうとしている。

「っと・・・すまん」
「ぶはぁっ、このバカッ!酸欠で死ぬところだったじゃない!」

超至近距離でお怒りの涼宮は、俺の頬を思いっきりつねってくる。

「いてでっ!わ、わかったから動くなって・・・っ!」

ガチャッ
突然扉が開く音がする。
どうやら看護婦が到着してしまったらしい。
「大丈夫ですか?」
看護婦の声が聞こえる。まずい、距離が相当近そうだ。

「・・・」
「っ!!!」

気が付くと、俺は涼宮のことを思いっきり抱きしめていた。
と、言っても随分不自然な体形だったが・・・

「ちょ・・・ちょっとキョ・・・」
「しーーーーっ、黙ってろ」
「・・・」

俺は涼宮の頭をヘッドロックするように抱きしめながら囁く。
涼宮の早い心拍音が静かに聞こえ、髪からは何だかいい匂いがしてくる。
…まずいまずい!本来の目的を忘れてるぞ俺!

「・・・キョ・・・ン」

すると突然、涼宮が、本当に僅かな声で俺の名を呟いたかと思うと、背中に手を回してきた。
以外にも、その涼宮の行動に俺はあまり驚かなかった。いや、正直なところ・・・少し嬉しかったんだ。

「・・・」

しばらくの沈黙が部屋を包む。
お願いだ、早く出てってくれ。
これ以上涼宮と抱き合っていたら、俺の身が持たない。

「・・・」

すると突然、カツカツと看護婦の足音が聞こえる。

やばい、近付いてきたか?
さすがに至近距離でベッドを見られてはバレてしまう。これは非常にまずい。
俺は自然と心拍が上昇する。それは涼宮も同じであった。
それどころか涼宮は、俺の背中に回している手に思いっきり力を入れてくる。
…涼宮?あの、めちゃくちゃ苦しいんですが。

カツカツ

まだ足音がする。
くっそ、早く出てけよ看護婦!ここで俺がもし自分で性欲を持て余す様な行動をしていたらどうするんだ!?
あれか、責任とれるのか?男ってのは意外と繊細なんだぞ、特に性に関してはなっ!

カツ・・・ガチャ・・・バタン

と、そんな俺一人で葛藤を繰り広げていると、看護婦は何の言葉も発しず、突然部屋から出て行った。

「・・・フゥー」

俺は思わず溜め息を付く。それは極度の緊張から解放された証拠だった。

…いや、俺はまだ緊張から解放されてなどいなかった。
その証拠に、俺の心拍数はさっきより上がっている。

そう、俺は涼宮と抱き合っているんだ。
そして今も俺と涼宮は・・・とんでもない体勢になっている。

「そ、その・・・涼宮?」
「・・・」

もう看護婦は行ったぞ?お前はもう安全の身だ。
なのに涼宮、なんで背中に回してる手を離そうとしない。
「・・・」
「えーと・・・」
困った、完全に混乱している。
なぜ涼宮は俺を無視する?なんだ、寝たのかおい。

「・・・ん」

そんな不安に駆り立てられていた俺だったが、突然何の前触れもなく、涼宮は俺の背中に回していた手を緩める。

「ん・・しょ」

かと思うと、微妙に体も動かしてきた。

「えっと・・・これは?」
「静かにしなさいよ・・・また来ちゃうじゃない」

そう目をつぶりながら恥ずかしそうに呟く涼宮。
…俺の目の前には、涼宮の顔面がドアップで映し出されていた。

ど、どうなってんだこれは。
というか俺と涼宮の関係ってのは・・・ここまでお構いなしの関係だったのか?

「・・・」

涼宮はさっきから目をつぶって押し黙ってるし・・・なんだ、ここで寝る気なのか?

「す・・・涼宮?」
「・・・何よ」

俺の心拍数はさっきの比にならないほど上昇していた。
ヤバイ。俺の顔はまるで噴火した火山のように赤くなっていることだろう。

「えと・・・もう行ったぞ?」
「知ってるわよ」
「・・・なんでまだベッドに?」
「・・・眠いから」

あの、それ理由になってないと思うぞ。
それに眠いなら・・・俺の首に手を回してくる必要はないんじゃないか?

「・・・涼宮?」
「キョン・・・」
「・・・」

俺と涼宮の顔の距離はもうほとんど限界だった。
涼宮の鼻息が、かすかに頬に感じる。

涼宮は堅く目を閉じている。
そして俺も、ゆっくりと目を閉じる。
…もういいんだよな?

「涼宮・・・」
「・・・早くしなさいよ」
「・・・ああ」
「・・・」

そして、俺と涼宮は・・・静かに唇を重ねた。

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