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10,時空管理者の憂鬱


 あれよあれよと時間は流れ、期末テスト準備期間が始まった。テストが終わればすぐそこにクリスマスが待っている。

 クリスマス、か。いやはや、どうするべきだろうな。去年に倣うならもうそろそろハルヒが騒ぎ出すはずだ。しかし、今年は俺に「予定」が有る、らしい。本人の意思がそこに介在しないのがこの場合の悩みであり。もしもその予定をぶん投げてSOS団主催のクリスマスパーティに出たとしたら、どうだ?

 世界はそれで呆気無く本当に終わってしまうのだろうか? はあ、真面目に考えるのも阿呆らしい話だが、しかし俺が真摯に向き合わなければ他の誰がこの不条理な超時空的現実に向き合うっていうんだ。古泉は早々に楽観論者に成り下がっちまってたしな。全く、肝心な時に使えない。

 ドイツもコイツも俺の都合なんかちっとも考えちゃくれないのは、世界に蔓延る悪癖だ。

 ま、今更って話だけどさ。

 思い悩んでいるのは二点。それはつまり、波風を立てないように「二十四日に予定有り」をハルヒに伝えること、と。

 ――果たして当面の受験云々という問題が解決したのに、まだそのような規定事項を満たす必要が有るのだろうかって点だ。

 考えたところでこればっかりはどうしようもならんが。

「いつもながら、宇宙人、未来人の考える事は俺にはよく分からん」

 ボヤきながら商店街へ続く脇道を俺は歩いていた。目的はアーケード内の小さな書店で(映画のスポンサにもなってくれた店だな)、新しいノートと切れちまったシャーペンの芯を買うためだ。ここまで来なくったって下校道に有るコンビニで用を済ませても良かったのだが、そこはそれ「義理と人情」。せめて俺くらいは売り上げに貢献してやるべきだと思ってさ。

 客観的に考えれば、最近は勉強の事ばかりを考えていたせいで少しいつもとは違った事をしたかったんだろうな、と。つまり、気晴らしを兼ねた寄り道だ。テスト直前の半日授業、家庭教師が家に来るのは十七時。ハルヒの放課後個人授業も十五時終了ってんでぽっかり空いた二時間はなんとなく自由を感じさせた。

「お」

 横道からアーケードへと抜ける手前、視界の先に見覚えの有る麗しいお姿を捕らえた。左から右へとゆっくり歩いていくのは女神か、妖精か。いやいや、未来から来た天使様さ。

「あさひ……ん?」

 声を掛けて走り寄ろうと思った右足がすっと勢いを失った。それは彼女が制服ではなく私服であった事と、もう一つ。彼女が一人ではなかった事が原因だ。

 分かるとは思うが朝比奈さんと一緒に歩いていた人が鶴屋さんならば、俺は別に躊躇なんてしなかった。ああ、仲良くお買い物か、なんて思うだけでな。それはつまり、朝比奈さんが一緒に歩いていらっしゃった人が、俺の知っている人ではなかったという……ま、そりゃそんな人も居るに決まってるさ。彼女の交友関係を全て把握しているようなら、それこそ朝比奈ファンクラブ会員第一号も真っ青だ。

 見た感じ朝比奈さんの同級生、だろうか。少し俯き気味に歩く朝比奈さんに揚々と語りかける少女。どことなくテンションが高そうに見える。鶴屋さん系の性格の持ち主と勝手に予想。

 ちらりとしかその少女の横顔は見えなかったが、はて何やら引っ掛かる。この人はどこかで見たことが有るような、それでいて初登場のような。学校の廊下ですれ違っていたりしたのかも知れない。確かに認識の程度で言えばそんな感じだった。けど、そんな結論を弾き出そうとした矢先に違和感がクラクションを鳴らした。

 違和感。その出所は少女の持つ長い髪を後ろで一つに束ねていた、目に鮮やかなる黄色のリボンだった。

 視界からすっと消えた二人を追い掛け――って訳でもないのだが、しかし俺の目的地は彼女達の歩き去った方角と一緒であり。駆け寄る事こそしないまでも自然と二人の後ろ十五メートルをキープする位置取りになってしまっていた。

 なんだか悪いことをしているような、罪悪感っぽいものが俺の中で少しづつ鎌首を持ち上げてきている。尾行の二文字が頭を過ぎるも、そんなつもりは無いのでどうか悪しからず。不審者と思われたくは無いのと、しかし朝比奈さんプラスワンの動向はどうしても気になってしまうのとで視線は右往左往をアメリカンクラッカみたいに繰り返した。結果的に周りからは不審者に見えてしまっているような気がする。

 だがまあ、追跡は事の外上手く行っているようだった。朝比奈さんも、そのご友人も俺の方には目もくれない。いつか見た薄いピンクのコートに身を包んだ朝比奈さんと、そして黄色のリボンで髪を括った黒いコートの少女はどうもそれどころではないようで。ウインドウショッピングに興じてしきりに話しかける少女のパワーに俺の女神が圧倒されているのは遠目にもよく分かった。

 どうやら少女は鶴屋さんっていうよりも押しの強さ的にハルヒ系らしい。勿論、あんなヤツが二人も三人も居て堪るか、ってのは偽らざる俺の本音ではあるのだが、しかしその納得は思った以上にしっくりと俺の胸の内に収まった。

 ううむ、リボンの色が理由だと考えるが、さっきからどうにも前を歩く見知らぬ少女がハルヒの姿とダブって見える。

 と、少女が模型店の看板を指差して大声で笑い、朝比奈さんの背中を思いっきり叩いた。勢いに耐えられず前のめりにすっ転ぶ天の御使い。転ばれる姿も愛らしい……じゃねえ! 何してやがるんだアイツ、俺のマドンナに!

 咄嗟に叫んで駆け寄ろうとした。大人気無い話だが俺は、見ず知らずの人間に大切な先輩が恐らく故意ではなかろうとは言え、結果として見れば暴力とも取れる行為を振るわれているのを見て一気に頭に血が上ったのだ。朝比奈さん関連だと沸点が途端に低くなるきらいを指して古泉などは俺を朝比奈教徒と揶揄したりするのだが(だったら古泉はハルヒ教の司祭だろうと切り替えしたら苦笑していやがった)、ソイツがここでも表に出ちまったんだな。

 が。

 ここでも俺の脚は止まった。いや、今度は止められたと。そう言うべきか。

「待って、キョン君。出て行っては駄目」

 聞き覚えの有る声、そして懐かしい声。走り出そうとした俺の手を背後から取ったのは暖かく柔らかい女性の両手だった。

「えっ?」
 
 驚いて振り返る。そこには――いや、そこにも朝比奈さんが居た。そう、もう一人の朝比奈さんだ。ドッペルゲンガーにしちゃ瓜二つじゃない、悠久の流れとかいう名前の超一流の造形職人が更に磨き上げたグラマラスボディをシックなベージュのコートに包み込んで。

「朝比奈、さん?」

「はい、お久し振りです。キョン君、元気だった?」

 未来の「未来の朝比奈さん」がそこに立っていた。

 思わず前後を確認してしまう。前には朝比奈さん(大)。後ろにはリボン少女に手を引かれて立ち上がる朝比奈さん(小)。こんなシチュエーションは前にも何度か覚えが有る。ほとほとニアミスが好きな人だな、と俺の率直な感想に朝比奈さん(大)は笑った。

「私にはあの小さい私と出会った記憶が有りません。ですから、私に見つかるのは非常に困ります。STCデータを直しに来ているはずが、逆にデータを壊しちゃったら上司に叱られちゃうの」

 彼女は握っていた俺の手を引いた。

「とりあえず行きましょうか」

「行く? どこへですか?」

 未来? 過去? ああ、もう。彼女が出て来るとタイムトラベルがすぐさま脳裏に浮かんでくるとか、自分の正気を疑わずにはいられない。

「キョン君と一緒ならどこでもいいですよ」

 無防備な人だ。柔らかく微笑んでそんな事を言われては、喉元まで出掛かったプロポーズの言葉を飲み下すのに苦労するっていうのに。

「はあ」

「ここでなければ。ここは少しあの子達に近過ぎますから」

 そりゃ、いつになくアバウトな指示ですね。じゃなくて、そんなんでいいんですか? 貴女がこうして俺の前に現れるっていうのは過去の事例を省みるまでもなく緊急事態的なものを感じずにはいられないのですが。

「説明は歩きながらにしましょうか。もし我が侭が許されるのでしたら、行きたい場所も有るんです」

 そう言って腕を絡ませてくる彼女。え? ええっ? なんだこのシチュエーションは。こんな役得に俺が預かっていいのか? だが、二の腕に当たるこの柔らかなる感触は確かに現実のそれである。ああ、時よ止まれ! 未来人だけに! 永遠に!

 ああ、後でこの幸福を差し引きして零に戻すような不幸が俺の身に襲い掛かってこない事を祈るばかりである。


 朝比奈さん(大)に腕を引かれて街を歩いているという、これもまた不思議な非日常にあって俺の頭はいささか以上に混迷を極めていた。それはシナプス全体に掛かったピンク色の靄もさる事ながら、朝比奈さんが何の用件で俺の前に現れたのかがさっぱり理解出来なかったからに他ならない。

 まさか俺と腕を組んで歩きたかったって訳でもないだろう。

 唯一この状況に救い的なものが有るとすれば今の俺たち二人は何も知らない人から見れば恋人同士と言うよりも仲の良い姉弟に見えるだろうという事か。自分で言っていて泣けてきそうだが、今昔を問わずの美の女神に凡人代表、俺が釣り合う道理も無い。

「それで俺たちは今どこへ向かっているんですか、朝比奈さん?」

「あの頃、私たちがよく行っていた喫茶店です。私、どうしてもあのお店のコーヒーがもう一度飲みたくって」

 喫茶店? えっと……ああ、駅前のか。先々週も俺たちは行ったんだけどな。ついには店主にまでニックネームを覚えられちまったくらいに、SOS団はその店の常連だ。

 でも、「常連客の朝比奈さん」は「この朝比奈さん」にとってはもう懐かしむ過去になってしまっている。

 そう、そういう事なんだろう。

「すいません、朝比奈さん」

 俺は自由な右手で額を擦りながら。

「喫茶店に行くのはいいですけど、しかしなぜです? まさか昔を懐かしんでとかそんな理由ではないでしょう?」

 もしも、それが叶うのならば。懐古を理由にしての時空旅行が許されるのならば。きっと彼女は俺を見てあんな風に笑ったりはしないだろう。眩しいものを見るような眼で。いつ崩れて涙を流しても納得してしまえるような顔で。俺を見たりはしないだろう。

 彼女は未来人だ。

 朝比奈さん(大)は必ず重要局面に出て来る。そういう局面でしか会えない人。だからこそ……いや、なんでもない。

「はい。えっと、その質問は私がキョン君の前に出て来た理由を聞いているので合ってるよね?」

「ええ、そうです。それくらいは教えてくれますか?」

「構いません。私の目的はキョン君、貴方の保護です。長門さんが動けない穴を『この』私がフォローするのは規定事項なんですよ」

「俺の……保護? いえ、それよりもまず!」

 今、聞き捨てならない言葉が朝比奈さん(大)の口からは零れ落ちたぞ。長門が? 動けない!? どういうこった!?

「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。長門さんに大事はありません。ただ、少し『彼女』の悪戯で宇宙人としての力を取り上げられているだけです。性格的にはともかく、身体的には普通の女の子になってしまっている今の長門さんでは『彼女』は止められませんから」

 何が起きているのかまるで分からないまでも、それでも分かる事は有る。

 何かが――良い事か悪い事かも分からない何かが確実に、今この瞬間も止めどなく起こっているという事。

「だから、今だけ長門さんの代理として私が必要だったんです。『彼女』からキョン君を守るために」

 朝比奈さんは事も無げに言うが、いやいや、ちょっと待って下さいよ!

「い、色々と聞きたい事は有りますが!」

 足を止めて隣の朝比奈さんを見る。彼女の目は少しだけ伏せられていた。その表情は何を湛えたものなのだろう。

 分からない……分からない。

「『彼女』って誰です!?」

 答えが得られるとは思っていなかったが。それでも聞かずにはいられなかった。そして俺の予想通り。

「ごめんなさい」

 一体何が起こっているのか。それが俺に分かるのはまだまだ先だと、感覚的に理解する。手持ちのパズルピースは背景ばかりに見えた。

「それは禁則事項です」

 俺は大きく溜息を吐いた。

 誰が悪い訳でもない。ここで朝比奈さん(大)を責めるのは筋違いだ。それでも、禁則事項なんてものを設定しやがったヤツが悪いと現代を生きる俺としては言いたいが、にしたってソイツも未来を守るためであり。

 今の俺たちが知り得ない情報は世界を壊す可能性すら有ると、これは古泉の受け売りだ。

 ……って、え? 「誰なのか」が「禁則事項」!?

 何か核心に触れた感覚に脳が揺れる。それってのはどういうことだ?

「――ハルヒ」

 意識せずポツリ、俺の口から出たのは誰あろう全ての元凶と目されていた俺たちの団長サマの名前だった。

「キョン君?」

「朝比奈さん、あなたがこうして動いている元凶……クリスマスに世界が終わる云々ってのはもしかするとハルヒの仕業じゃ、ないんじゃないですか?」

 いや、これは聞くまでもないだろう。根拠は朝比奈さん(大)が口にした「保護」って表現。

 俺をハルヒから保護するってんなら、それは一年と八ヶ月ほど遅い。確かにアイツは無茶苦茶ぶりにかけては超一流の、自己中心的暴走特急だってのはこれは今更俺が言うまでもないが。

 ――それでも昨年の十二月。長門がくれた選択の権利を、普通の日常に帰るチャンスを俺は自分から投げ捨てた。

 ああ、救いの手は一度断っている。俺はこっちの世界を選んだんだ。以上、もう蜘蛛の糸は垂れちゃこないだろうよ。

「ええ、世界を終わらせようとしているのは涼宮さんではありません。いえ……どう言うべきでしょう。全くの無関係という訳でもないのですが」

「ああ……それはなんとなく分かります」

 世界を揺るがす事件に過去アイツが無関係だったためしは無い。だが、直接の脅威ではないと分かっただけでも収穫だ。と、なると……、

「あの、キョン君。聞きたい事はまだ有ると思うんだけど、続きは喫茶店でしない? 私、時間が限られているから」

 そう言えばさっきから足を止めっぱなしだったか。確かにこの寒空で立ち話も無いな。朝比奈さん(大)が足を踏み出したのに合わせて俺も歩を進めた。ああ、温かい珈琲一択だぜ、今日は。

「寒いよね、今日」

 それから俺と朝比奈さんは言葉少なに駅前への道を歩いた。多分、俺に気を使って話掛けないでいてくれたのだと思う。ありがたい話だ。実際、考えたい事は山のようにあったしな。

 「彼女」と元凶を指して朝比奈さん(大)はそう言った。クリスマスイブで世界を終わらせようと企む悪の大魔王。ソイツは女性だ。そして、それはどうもハルヒと長門ではないらしい。だったら朝比奈さんか? いやいや、あのお方にそんな大それた事が出来るとは思えない。以上、とりあえずSOS団女子はこの懐疑から除外されよう。

 ならば――と話を広げる前に、俺には一つ気懸かりが有ったのを思い出して貰いたい。

 そう、クリスマスイブのデートの話だ。

 その日、俺が会わなければいけない相手をして「女性」とだけ長門は説明した。

 一方で朝比奈さん(大)も名前を言えずにただ「彼女」とだけ犯人を呼称する。

 「女性」。

 そして「彼女」。

 なんとも奇妙な一致だろ。

 いや、そうは言っても額面通りに受け取るならば全人類の半数が該当する代名詞なのだからして――などとは楽観的な俺にも到底思えなかった。

 九割九分前者と後者はイコールだ。なぜなら余りにタイミングがドンピシャ過ぎる。

 さて、ではここまでの俺に与えられた朝比奈情報を一旦整理してみよう。

 大前提、どうやら正体不明の「彼女」とやらに俺の身柄は今、狙われている。そして長門は俺を影ながら守ってくれていた。

 ――ここからは推測だが敏腕ボディガード長門大明神様を「彼女」は邪魔に思ったのではないか? だから長門から宇宙的情報なんとかパワーを奪い取るという暴挙に出た。それで仕方なく、朝比奈さん(大)が代わりに俺のボディガードをやる事になり今に至る、と。

 こんなところか。いや、整理してみると結構洒落にならない事態が起こっているような気がしてきた。長門を体調不良に追い込めるような相手に狙われておいて、今の今まで何も知らずにのんびり構えていられたなんて。嘘のようだぜ、マジで。

 ――嘘に思えるのは、それだけ長門が裏で孤軍奮闘してくれていた、って事か。ああクソ、一人で無理すんなっていつも言ってるのに。

 アイツに助けを求められてこの俺が迷惑に思うものかよ、なあ?

「キョン君、着きましたよ」

 朝比奈さん(大)に声を掛けられてどこまでも沈み込みそうになっていた思考の深海探索行から一気に浮上する。顔を上げればいつもの喫茶店の目の前だった。いつの間にここまで歩き着いたのか。これが時間の圧縮、ウラシマ効果とやらか。――多分、違うな。

 入店に際して朝比奈さんはようやく俺の右腕から離れた。人肌って結構暖かいモンなんだなと俺は知ったが、それは裏っ返せばそんだけ外気の寒さが身に沁みるって事でも有る。雪が降り出すのもそう遠い話じゃない。

 ホットココアも注文の選択肢に入れてやるべきか。

「久しぶりです、ここに来るのも。初めて連れて来て貰った時に涼宮さんがクリームソーダを注文して、メニュに無いものが普通に出てきたから私、『凄いですねー』って。覚えてる、キョン君?」

「ええ」

 覚えてますよ。朝比奈さん、その後で俺に「この時代の喫茶店は飲み物なら大体なんでも出て来るんですか?」って耳打ちしたでしょう。

「そうそう、それでキョン君が『メニュに有るものだけですよ』って言ったの。だから私、必死でメニュの中にクリームソーダを探して。でも、幾ら探しても見つからなくって」

 朝比奈さんは微笑んで、そして目尻を擦った。少し眼が赤らんでいるのは見なかった振りをしておこう。誰にだって弱い部分は有るものさ。

「思い出したらおかしいよね。……懐かしいな」

 その消えそうな言葉に乗っかってる朝比奈さんの俺の知らない時間は長くて重い。重過ぎて、俺なんかには想像もつかない。

 二人連れたってくぐった喫茶店の扉は、朝比奈さんが果たしてこれで思い出を愛でられるのかって俺が不安に思うくらい、素っ気ない程に軽かった。そこに生きている人間の認識なんて、所詮そんなモンだ。

 朝比奈さんは果たしてどう感じたのだろう?

「いらっしゃいませ。お好きなお席にどうぞ」

「いつもの席でいいよね、キョン君?」

 俺たちは最早SOS団指定席となりつつ有るテーブルに向かい合って座った。カウンターに張ってあった「今日のおすすめコーヒー」を二人してオーダーし、そしてそれが運ばれてきたのを契機に朝比奈さんは今回の件に関する説明を始めた。

「ごめんね、突然。私が出て来て驚いたでしょう?」

 そりゃ、まあ。次回からはこう、前振りを入れておいてくれると俺の心臓が助かりますね。繊細なつもりなんで、これでも。

「私としてもね、本当は『こっちに来てるよ』っていうメッセージをキョン君に前もって伝えておきたかったの。でも、予測以上に二人の接近が早くって。私はともかく、長門さんを出し抜くなんて……本当に規格外です、『彼女』は」

 またもよく分からない事を朝比奈さん(大)は口にする。コッチを見てキョトンとする彼女は俺の表情から何を察したのやら。恐らくちっとも俺が理解していない事だろうね、ああ。だが、言わせて貰えば今回は説明不足が酷過ぎる。解説と事の経緯を要求しても構いませんよね、朝比奈さん。

「あ、はい。実は現在、STCデータに深刻なエラーが発生しています。二つの時間軸が遺伝子のような螺旋構造を描いて重複せず相互に干渉しながら存在しているのが禁則事項……えっと、本来存在しないはずのイレギュラな平行時空が強制的に禁則事項、あ、この言葉もまだ産まれてないのね…………うーんと、分かりやすく言うと」

 ところどころ話の肝となる部分に外国語を交えて喋られているような感覚だった。通訳か微笑を絶やさない超能力者でも呼んできて貰わないとこのままではちっとも分からない。

「今、世界はとても不安定な状態なの」

「……それでいいんですか」

 なんとまあ、大胆に端折られたのが俺にも丸分かりだった。とは言え専門用語を並べ立てられるよりは、その総括の方がよほど俺には助かります。SF話は古泉辺りが専門なんで。

「にしても、不安定……ねえ」

 コーヒーを一口啜って疑問を口にしてみる。

「それっていうのは具体的にはどういう事なんですか?」

「このまま何の手も打たなければ、キョン君、貴方は貴方の大切な人に永遠に会えなくなります」

「は!?」

 笑い話にしても出来が悪い、この手の中にあるコーヒーよりもまだブラックな回答だった。

「そういう『世界の危機』だと認識して下さい。貴方の身近な――とてもとても身近な人が一人、その存在を丸ごと失うかも知れないんです。関わった全ての人の記憶ごと、ごっそりと」

「ちょ、マジですか」

 それは……凄く困りますね。

「『彼女』はそうなっても誰も困らないと思っています。いえ、確かにその通り。誰も困らないでしょう」

「え? いや、困りますよ。誰かは知りませんけど、その消えちまいそうな人は俺の大切な人なんですよね?」

「はい」

 朝比奈さんは真っ直ぐに俺を見つめて、

「貴方の一番大切な人です」

 そう、言った。嘘にも冗談にも、その目は見えなかった。 

「一番大切な人?」

 間の抜けた俺の鸚鵡返しに朝比奈さんは頷いた。だが、しかし待って欲しい。

 一番大切って、ソイツは一体全体誰の事だ?

 率直かつ修飾抜きに言わせて貰えば俺にはそんなご大層なる言葉に該当する対象なんて居やしない。

 いやいや、早合点して寂しい男だと言うなかれ。実際、俺に限った話ではないはずだぜ。一番大切な人は誰ですか、なんて恋人が居ない男子高校生にとって難問も良いところなのだから。

 十二分に悩んだ挙げ句、頭に浮かんだのは両親と妹の顔だが、しっかしこの三人が宇宙的、未来的、超能力的あるいはハルヒ的な事件に巻き込まれるだろうかと言えば、これはほぼ有り得ないと断言出来る。

 「俺」の家族だからってんで巻き添えを食うような節操の無い話には幸運にもいまだ出会った事はなく、そしてまたそんな真似をするくらいならば直接的に俺をどうにかしてしまった方が話は早かろうってのは俺にだって分かる理屈。

 何の能力も持たない一般人を相手に宇宙人が人質を取るような真似は、将を射んと欲して弓を買う金を貯める為にバーガーショップでバイトに励むようなもんだ。何が言いたいかってーと、まだるっこしい。

 んなチマチマした事なんかせんでも直接来い、直接。下駄箱にラブレターを仕込むだとかの可愛らしい婉曲的行動は朝比奈さん(小)だから許されるんであってだな。

「朝比奈さん、一つ聞かせて下さい」

「なんでしょう?」

「俺には『世界で一番大切な人』なんて大仰な枕詞を付けられる相手がどうも思い浮かばないのですけど。だったら、今回消えちまう憂き目に遭ってるっていうソイツは……誰です?」

 言いながらも頭の隅で「もしかしたら」が浮かんだが、ソイツを世界で一番大切だなんて思っているかと自分に聞き返すと即座にNOが返ってくる有様だ。まあ……もし仮に今の俺に付き合っている女性が居たとしても、その人を世界で一番大切だ、などと恥ずかしげも無く胸を張って言えるだろうかという疑問も残る。

 いや、羞恥心を抜きにしても。それでも、家族に軍配が挙がる可能性は捨て切れないか。大切と言ったらSOS団の面子だってそうだ。誰が一番か、なんて今の俺には決められそうにない。

 俺の問いに未来から来た彼女は勧進帳で弁慶の嘘を見抜いた関所の役人のような表情をした。未来人である、その証左にも似た微笑み。

 朝比奈さん(大)は今を歴史として知っている。

「キョン君には分かりません……今は、まだ」

「そう、ですか」

 今はまだ。未来から来た人間にのみ許される台詞だと思う。説得力に溢れながらも出来の悪い占いのような飲み下し難いものをその内に包み込んでいる響き。

 占いは信じない方なんだが。

「でも、確かです。信じて下さい。その人は貴方にとって誰よりも大切な人になるでしょう」

 朝比奈さんの麗しい喉を琥珀色の液体が流れ抜けていく。

 誰よりも大切な人になるでしょう。

 言われて一つの可能性は頭に思い浮かんでいた。それは言葉にするのも躊躇われるが、連想せずにはいられない類。思春期ならば誰もが妄想し、また欲する関係。

 ――恋人。

 俺が正体不明の誰かさんになぜ狙われているのかは分からない。「彼女」ってのが俺に何をしようとしているのかすらも未知数だが、それでも貴重な恋人候補を人知れず俺知らず消そうとしてるってんなら。

 それは紛れもなく俺にとって「敵対行為」だ。

「キョン君」

 静かに敵愾心を燃やしている所を名前を呼ばれて我に返る。はい、なんですか、朝比奈さん。

「どうか間違えないで。狙われているのは貴方なの。他の誰かじゃない。貴方の『彼女』が消えてしまうのは、その結果でしかないのよ」

 朝比奈さんはこの時、この発言で大きなヒントを出した。それは禁則事項の網の目を掻い潜っての芸術的なまでに見事なパスだったと後になって思う訳だが、しかして俺はこの時、大きな――とても大きな勘違いをした。

 朝比奈さん(大)の言う「彼女」を「未来の恋人」の事だと履き違えて理解してしまった。

 朝比奈さん(大)の言う「彼女」とは徹頭徹尾たった一人のことを指していたと。その事に気付けていれば、もう少しこの十二月の事態はスマートに終息していたのかも知れない。

 俺を狙っている「彼女」とは、俺にとって「世界で一番大切な人」であるなどと、そんなの俺は夢にも思わなかった。


11,タイトロープ・ワールド


 コーヒーカップに残った口紅をぼんやりと眺めていると、小さな店内に来客を告げるベルがカランカランと硬質の音を響かせた。入ってきたのは未来人が去り際に残した予言通り俺の知った顔で、そしてその少年は当然と俺の対面に腰掛けた。

「何か頼みますか? 奢りますよ」

 そういや、お前には色々と貸しが膨らんでるんだよな。ハルヒへのメールを盗み見た件だとかな。

「奢る? そりゃ当たり前だ、超能力者。俺のプライバシの値段としちゃコーヒーなんて安過ぎるくらいだろ。謝罪と賠償を要求する権利をいつ利用するも俺の胸一つだってのを忘れんな」

「余りそう言わないで下さい」

 古泉の注文を取りに来たウェイトレスにすかさずコーヒーのおかわりをオーダーする。クソ、晩飯まで時間が有れば一番高いパフェでも追加してやったってのに。

「前も言いましたが、僕も仕事なんです。趣味でやっていると思われるのは流石に少々心外ですね」

 盗聴が仕事の一環とか――辞めちまえ、そんなブラック企業。改善がなされないようであれば終いには法廷に持ち込む事も辞さんぞ、俺は。

「世界と貴方のプライバシとどちらが大切でしょう?」

 比べるまでもない、とでも言いたげだな。いや、まったくの同意見だぜ、古泉。そんなのはマジで比べるまでもない。

「俺のプライバシに決まってんだろうが。ったく、こんなモン街中にばら撒いてる事がバレたら、それこそハルヒに悪影響が出るぞ?」

 古泉に向けて親指で小さな機械を弾く。悪意を込めてその張り付けたようにブレない微笑向けて飛ばした硬貨大のそれは、上手いこと俺の思惑通りの軌道を描いたが、しかし古泉はそれを難なく片手でキャッチしやがった。

「ご忠告及び返却、有り難う御座います」

「あのなあ……。盗聴機の現物なんざ初めて見たぜ、俺は」

「でしょうね。至極真っ当に生きていれば一生縁の無い世界でしょうから、こちらは」

 どういう意味だ、と問い詰めようとしたタイミングで店員がコーヒーを持ってきた。

「おい、朝比奈さんの分もお前持ちだからな」

「構いませんよ。と言いますか、最初からそのつもりでした。経費で落としますから、遠慮なさらず」

 憎らしい。俺にもその地球防衛費のおこぼれくらい寄越したって罰は当たらないだろうに。ハルヒ対策委員会における現場の第一線で働いてるのが誰かくらい分かっているはずだろ。

「それで」

 ウェイトレスが立ち去ったのを皮切りに古泉は話し始めた。

「どう思いますか、貴方は」

「何を?」

「とぼけないで下さい」

 おい待て。そんな眼を向けられようと俺にはとぼけたつもりはまるで無い。っつーか、今のは明らかに目的語をぼかしたお前が悪い。

「今回の案件ですよ。長門さんは世界の危機だと言い、未来の朝比奈さんは一人の存在が賭かっているという。二人の証言は矛盾しませんか?」

 コーヒーを一口含んで舌の潤滑油とした超能力者は言う。

「一人と世界はイコールではありません。命は地球より重いとは理想論ですよ。宇宙飛行士がそうあって欲しいと願って吐いた優しい嘘。しかしながら、何事にも例外が存在する。つまり……」

 続く名前には容易く予想が付いた。

「涼宮さんです」

 やっぱりここでも事件の中心人物となるのはあのトラブルメーカーで間違いないらしい。やれやれと大きな溜息を吐いて……そろそろ溜息も売り切れになりかねんな。この所、絶賛大売り出しだ。

 幸せが逃げてばかりで、青い鳥はどこへいった? チルチルとミチルが血眼になるのもこうなっちまえば最早他人事にはまるで思えない。

 鳩を片っ端から白く染め上げるような神サマにでも青い鳥を注文してみるか。……いや、ヤツ自身が疫病神である以上、その力を越えた願いになりかねん。

「そう、事これが涼宮さんを示唆していたのならば朝比奈さんと長門さんの言葉にはなんら矛盾が生じません。世界と涼宮さんとはイコールに限りなく肉薄したニアイコールで繋ぐ事が出来ます。涼宮さんの危機とは世界の危機と同一視すら人によっては可能でしょう。ここまではよろしいですか?」

「よろしくないな」

「ほう? 異議が有るようですね。良ければ教えて頂けますか?」

 古泉が猫科の肉食動物のように眼を細める。標的との距離を測っているのかも知れない。が、地域密着型超能力高校生の職業意識なんか知った事かよ。

「お前はバカか。アイツは色々とアレでも、それでも涼宮ハルヒなんだぜ」

 俺の、ちょっと自分でもどうかと思う過ぎた表現に古泉は苦笑を隠さなかった。

「知っています」

「だったら、もう一度よく考えてもみろ。一体どこのどいつがあのハルヒをどうこう出来るって言うんだ?」

 全てを見透かしているはずの未来人すらも出し抜くようなヤツだ。古泉の言葉を借りれば願望を実現する能力が有るって巷で評判だ。

「だから、今回も貴方が狙われているのでしょう。涼宮さん本人ではなく」

「それだよ」

 その考えに無理が有るってさっきから言ってんだ、俺は。

「俺をどうにかするってのがそもそも、ハルヒを相手にするのと大差無いんじゃないのか」

 俺の台詞にまず古泉は驚いた表情をその胡散臭い面に浮かべ、次いで満足そうにニヤリと笑ってみせた。何を考えたのかは……ま、想像したくもないね。どうせ良からぬ事に決まっている。

「それもそうです」

「ああ。でもって、これは何も俺に限った話じゃない。お前や長門も、朝比奈さんにも通用する理屈だろうさ。もっと言ってしまえば、例えばアイツの親御さんだとか、ウチの家族だってハルヒの庇護対象になっていそうだ。違うか?」

「異論は有りません」

 涼宮ハルヒは常識人だと目の前の超能力者がのたまったのは……もういつの話だったかも覚えちゃいないが、それでもアイツが本当にそうならば、それはつまり現実は激変したりしないと頭のどこかで理解してるってこった。涼宮ハルヒがそう思うから、だから世界は変わらない。世界が不変だから涼宮ハルヒは理解する。そういうフィードバックで成立しているのが今という時間だった。

 そりゃもう綱渡りだが、案外ソイツは鋼鉄で出来ているくらいに強固であったりするのかも分からない。

「その比喩は的を射ています。但し、忘れないで頂きたいのですが、鋼鉄であっても綱渡りに変わりはありません。バランスを崩せば」

 古泉はテーブル隅に有るシュガースティックを一本抜き取りヤジロベエ、もしくは天秤のように人差し指の上に乗せた。指を二度、三度揺らしてみせるとそれは当然の話だが地球の引力に引っ張られて落ちた。

「そこで終わり」

「だが、そのバランスだってハルヒの能力の適用内だろうよ」

「つまり貴方はこうおっしゃりたいのですか?」

 古泉はテーブルの上に両肘を突いた。得意の話題――コイツの場合は主に非常識全般――を持ち込まれると熱が入ってしまうのは俺にも分からないではないが、それにしたって顔近いぞ。離れろ。

「涼宮さんが居る限り世界の危機など起こり得ない、と」

 超能力者が口にした内容は少し意訳が過ぎる気もするが、ま、概ねそんな所か。

「逆に聞くけどな。何をどうしたらハルヒが無意識に敷いているSOS団的世界防衛ラインを突破出来るってんだよ?」

 そう、それが出来るようなヤツをハルヒ以外に俺は一人しか知らない。いや、一勢力と言い換えるべきか。

「情報統合思念体……長門さん達ならば、あるいはと考えますが」

 俺だって何も考えていない訳じゃないからな。ハルヒのゴッドパワーを盗用出来るようなのは宇宙人以外には有り得ないとは思ったよ。前例も有るしさ。だが、古泉の言葉に俺は首を横に振った。

「概ね同意だ。しかしな……今更か?」

 俺が言うと超能力者は肩を竦めた。

「……ですね」

 そう、これが宇宙人によるものなら何かしらの異変が事前にあって然るべきだと俺は考える。でもって一通りの宇宙人的イベントを俺たちは消化してしまっているんだ。落ち着くべき場所に長門たちは落ち着いたし、当分は動きも無かろうというのが俺の見解。

「契機ってのがどうにも見当たらないんだよな。クリスマスを狙ってっつーのもギリギリ分からない話じゃないが、果たして宇宙人に時節イベントの風情なんてモンが分かんのかね?」

 ハルヒが騒ぎ出すこの時期に超常的イベント事が何も無いなんて悲しいかな思えない俺では有るが、しかし今年の長門は何もやりはしないさ。宇宙人少女は一年前とは違うんだ。しっかりと成長しているんだ。あんなことはもう起こさない。万が一起こすとしたって一言くらい有るに決まっている。

 そう、俺は信じている。

「アイツら絡みで何か有るとしたら朝比奈さんの卒業前後じゃないか?」 

「なるほど。実は情報統合思念体が疑わしいなどと言いながらも、僕もなんとなくですが宇宙人の線は薄そうだと……失敬。貴方を試そうとした訳ではないんです。結果的にそうなってしまっただけで」

 コーヒーカップを手にとって文字通り話題をお茶で濁そうとする副団長だが、おい、今なんか聞き捨てのならない事を言わなかったか。

「試すってなんだよ、試すって」

「それは……いえ、この話は止めておきましょう。貴方の不評を自分から態々買う気はありません」

 ソイツの苦笑と話の流れから大体の言いたい事は察せられた気がする。どうせ、俺が世界の危機とやらに対して何も考えていないんじゃないかなんて舐め切った事を考えていやがったんだろう。……この場の奢りを増やしてやろうか、っとダメか。それじゃコイツの懐はちっとも痛まないらしいからな。

「では、改めて」

 古泉は顔の前に人差し指を一本立てた。まるで推理小説の探偵のような仕草だが、それが嫌味無く似合ってしまうのが一周回って嫌味と言うか小憎らしい。顔の良いヤツはどんなポーズを取ろうと画になってしまうのだから、それ以外に対して詫びの意味を込めて常時鼻眼鏡着用とかどうだろうか。

 ああ、世の中はホント、不公平のカタマリだな。

「今の時点での貴方の考えを聞いておきたいですね。誰が世界を現在進行形で脅かしているのだと考えていますか?」

「知らん」

 一刀両断に即答してやった俺を見る少年の目が細くなる。骨董屋が古物を鑑定するようなその目付きは、なんだか詰られているような気分にさせられる。俺が悪いのか? いや、どう考えても俺じゃなくて世界をどうにかしようとしてるどっかの誰かが悪いだろ。

「ふう……いいですか? 一週間前、中庭に僕は貴方を呼び出しました。その時に僕は涼宮さんの仕業だと貴方に伝えましたね」

 そういえばそうだ。だが、直接的な原因はハルヒではないと、そう朝比奈さん(大)は俺に断言した。だったら……おや?

 だったら、どうして古泉はそんな勘違いをした? 何を根拠にハルヒの仕業だと考えたんだ?

「そこです。――僕はあの時、願望実現能力の発露を僅かながら感じ取っていたのですよ。どうして分かるのかと問われたら、これはもう分かってしまうのだから仕方がありませんとしか言えませんが」

 いつかどっかで聞いた事の有るフレーズだ。どこだったか……いや、そんなどうでもいい事よりも今はもっと本腰入れて考えなきゃならん事が有る。

 つまり古泉は願望実現能力が発現したタイミングで長門の口から世界の危機を聞かされていた訳だ。ならばハルヒが時間断絶を引き起こそうとしていると超能力者は考えても、そりゃ確かに不思議じゃない。アイツには十分な前科が有るし……ああ、それがあの時言っていた「十分な条件証拠」ってヤツか。

「ええ、概ねその理解で結構です。そして僕は涼宮さんのやる事ならば、それほど悪い事態にはならないだろうとあの時は考えました。丁度、貴方が進路に悩んでいた頃合という事も有り、それならば彼女の願望実現能力が動き出したとしてもこれは自然な流れとも言え、特に警戒する必要もないだろう、と」

「信じてんだな、ハルヒを」

 超能力者は微笑んだ。

「貴方ほどでは有りませんよ」

 それはどっちの意味だ。俺を信じてんのか、それとも俺が信じてんのか。ああ、どっちにしろ気持ち悪い。自重しろ、古泉。

「受験勉強へと意気込む貴方に発破を掛ける意味合いで――何らかの形で世界を危機に陥れようとしているのではないか。ならば我々はフォロー程度の働きしかさせては貰えないだろう。気負う必要は無い。それが一週間前の機関の結論です」

 こう、第三者から見て俺とハルヒはどう思われているのかってーのを聞かされるのは精神的に余りよろしいモンじゃあない。クラスに蔓延る根も葉も無い噂しかりだ。にしたってたかだか一高校生の受験云々で一々世界が危機っちまうのを、どっか超然と「まあ、アイツらのやる事だし」ってなノリで納得している超能力者ズはちょっとどうかと思う。

 学祭の出し物決めてるのとはレベルが違うんだが。 

「ふふっ、確かに『世界』はやり過ぎな感が有りますが、それを涼宮さんに言うのは今更ですね。結果論ですが、これまで僕らに度重なり訪れた世界規模の非日常的なイベントは彼女のちょっとした願望を叶える為ですから」

 古泉は喫茶店の低い天井を見上げて、

「例えば気になっている男子に苗字ではなく名前で呼んで貰いたい、といった可愛らしいものです。彼女を責める気にもなれません」

 続く嘆息すらもどっかわざとらしい。その辺に脚本でも有るんじゃないのかと疑った俺を誰が責められようか。

「……経験則ですよ。今回も同様だろうと思っていたのですが、どうも勝手が違うようです。いえ、僕らの思い込みを逆に利用された形になってしまっていますね。機関は今回の一件において完全に後手に回らされています。何しろ情報が足りないもので」

 おいおい、しっかりしてくれよ超能力戦隊。

「まるで先回りして隠蔽が施されているように何も掴めないんです。貴方の足取りを追って、それでようやく本件に未来の朝比奈さんが関わっている事を知ったくらいでして。朝比奈さんも長門さんも動きらしい動きを見せていませんし、これでは動きようがありません」

「朝比奈さんは受験生だから仕方が無いだろ。長門だってなんか猫飼い始めたらしいし、忙しいんじゃないか?」

 俺の発言に古泉の表情が一気に険しくなった。歴戦の軍師が敵の配置図を眺めていて陣形の穴でも見つけ出した時のようだ。いや、実物は見たことないから想像で言ってるけどな。だが、多分こんな感じだ。

「猫? あの長門さんがですか?」

 あの、とか言ってやるなよ。

「あーっと、まあ確かに違和感有るよな。だが、それも成長だろ。俺たちは、」

「すいません」

 古泉が人の発言に割り込んでくる事は基本無い。少なくとも記憶にはそんな事をするコイツの図が浮かんでこなかったし、ハルヒならしょっちゅうなんだけども。

 アイツは基本的に人の話を聞かないからな。

「長門さんが猫を飼い始めた、と仰いましたね」

「あ? ……ああ、言ったが」

「それはいつです?」

 えーっと、いつだったか。あれは佐々木の家庭教師が始まる前日だから……十日ほど前だな。

「だが、これも喜緑さん情報だから、実際いつ飼い始めたのか正確な所は知らんぞ」

「…………十分な情報ですよ」

 古泉は懐から電話を取り出すと、失礼と俺に一言断ってから通話を始めた。古泉の喋りから内容を推察すると、それは迎えの車を呼んでいるらしかった。ブルジョアめ。

「貴方も来て下さい。説明は車内でします」

「え、俺も?」

「お願いします」

 真面目な顔で頼まれては断り難い。恐らく古泉は俺が気付けなかった何かに気付いたんだろう。だから微笑みの貴公子の二つ名を返上してまで俺を半ば強引に連れ行こうとしている……どこにかは知らんが。

 条件反射的に時計を見るといつの間にか午後五時が目前に迫っていた。時間の流れの速さを実感せずにはいられないぜ。

「古泉、すまん。どうしても行かなきゃダメか」

「どうしても、ですね。なぜそのような事を……ああ、佐々木さんですか。そういえば彼女の家庭教師は五時からでしたね」

 なんでコイツはそんな時間まで知っていやがるんだ。つくづく、かつ端々で俺のプライバシの壊滅を実感させられる。が、身の不幸に浸ってられるような状況でも無いらしい。

 古泉は宣言した。

「好都合です。彼女にも同行して頂きましょう」

「はあ!? おい、ちょっと待て、古泉。佐々木を世界云々に巻き込むつもりだってんなら賛成出来んぞ、俺は」

 アイツは俺の友人で少し世間とズレている所は有れど、しかして決定的に逸脱している訳では決してなく、またそれを本人も望んでいる。それにこれは本来ならばSOS団が抱えるべき案件のはずだ。

「議論は車で行いましょう。もしかしたら一刻を僕達は争っているのかも知れないのです」

 どうやら有無を言わせては貰えないらしい。副団長の強権発動とでも皮肉っておくか。

 いや、違うな。焦っているんだ。

 でもって古泉が焦るとなったら理由は一つしかない。

「長門さんが、危ない」

 それは仲間の命が懸かっている時だ。
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