やや薄暗くなってきた会長宅の裏庭。
 僕は懐中電灯を片手に来たるべき戦いへ向けての『仕込み』を続けていた。
「よし、これは無事ですね。こっちは……駄目だ、パーツが劣化して壊れてる」
 今仕込んでいる『これ』も例の武器と一緒に森さんに押し付けられたものですが、まさかその森さんと敵対しているこの状況で役に立つとは。
 いやはや、人生の巡り合わせというのは分からないものです。
「スペアがないので破棄、と。次」
 久しぶりの作業だったが『仕込み』の大半は以前設置していた物を仕掛け直すだけなので、然程手間は掛からなかった。
「ふむ、こっちはすぐに直せそうですね」
 それに壊れていた場合も――森さんのイジメにも似た厳しい指導のお陰か――頭と指先はしっかり手順を覚えていたので、部品さえあれば特に問題なく修理出来た。
「よし、次です」
 ポンポンと土を均して次の設置に取り掛かる。こうして作業をしているとだんだんと当時の記憶も蘇ってきた。
 ふと思い出されたのは『これ』を裏庭に仕込んだ当時の会長とのやり取り。
「……そういえば、会長にはこの件のお礼もしないといけませんね」
 今思えばわりと無茶なお願いでした。

『会長、この家の裏庭なんですが……』
『ああ、親の趣味だったが生憎俺は門外漢でな。今ではあの様だ』
『少々あの場をお借りしてもよろしいですか? 実験と訓練に使わせて頂きたいんですよ』
『……待て、今不穏な単語が聞こえたぞ』
『大丈夫、危険物は使いません。ただ危ないので僕がいいと言うまで入らないで下さいね』
『一つの台詞の中であっさりと矛盾を成立させるな!』

 なんだかんだ言いながら貸してくれる辺り会長のお人柄が窺えます。
 悪人ぶってるけど親しい人間には結構優しいんですよ、あの人。
 本人が聞いたら怒りそうなので言いませんけど。
 それに、律儀に僕の言葉に従ってあの日からここには立ち入ってないようですね。
 僕に対する信頼からか、はたまた自分の身を守る防衛本能からか。
「……前者ということにしておきますか」
「そんな訳あるか!」という脳内会長の抗議を無視しつつ、当時の実験メモと照らし合わせながら設置と修理を続けていく。
 それなりに長い期間放置していた割には使えるものが多かった。流石は森さん謹製の品々です。

 ブゥゥン……

「む……」
 そうしてしばらく作業に没頭していたが、ポケットに入れていた携帯が振動して作業の中断を求めてきた。
 敵が突入した知らせかと少し身構えたけれど、着信したのは報告のメールだった。
 開いたメールには簡潔な一文。
『敵はチーム分けの最中。扉は未だ突破されず』
「ふむ……」
 引き続き監視の指示を出してから携帯をポケットに戻す。こちらの予定通り向こうも二手に別れようとしているようだ。
「……それはつまり森さんの予定通りでもありますが」
 森さんは涼宮さんとは別の班に回って、迷わず僕がいるこちらのルートを選択するはずです。
 僕がここで待ち構えていることは森さんも予測済みでしょう。
 僕は森さんの性格を知っているし、同じように森さんも僕の性格を知っている。要はそういうことです。
 だから、ここまでの流れは読み違いが起こりようのない予定調和。だけど、ここから先は……
「僕次第、ですかね」
 一人呟いて立ち上がり、膝に付いた土を払う。作業の時間はここまででしょう。
 しゃがみっぱなしで固まった体をほぐすよう天に向けて大きく伸びをする。
 僕が作業を始めた頃にはまだ働いていた太陽も、一足先に本日の業務を終了されたようで、今では月がその業務を引き継いでいます。
 月明かりに照らされた薄暗い世界。その夕方とはすっかり雰囲気の変わった裏庭を一望すると、素直な感想が浮かんできた。
 ……それにしても、日が落ちるとここは本当に薄気味悪いですね。
 僕が迎撃ポイントに選んだのは、屋敷の入り口とは正反対の位置にある裏庭。
 一般市民の感覚からすれば無駄に広すぎるその庭も、昔はさぞ綺麗に管理され美しい花々が咲き乱れていたのでしょう。
 庭の中心に置かれたテーブルセットや、片隅に積まれた園芸用の土に本格的な道具の数々など、その頃の面影が所々に見て取れます。
 しかし、屋敷の住人が会長だけとなった今では全く手入れをされず、そのままほったらかしにされていました。
 その結果、放置されたままの道具や家具は風雨に晒されて錆付き壊れ、雑草は刈られることなく膝の辺りまで育ってしまい、木の枝はだらしなく無秩序に伸び放題、蔦類は屋敷の壁にまで張り付いている。
 ……こうなるとこの一角だけはまるで幽霊屋敷のようです。庭に存在する全ての要素が絶妙に不気味さを演出しています。
 ……この戦いが終わったらここも綺麗にしますか。随分長いことお借りしていましたし、借りた時より綺麗に手入れをしてからお返ししましょう。
 そして、その手入れが済んだら会長に一言助言してみよう。円満な親子関係のために庭弄りの趣味を始めてはどうかと。
 その余計なお世話であろう提案をされて、嫌そうな顔をしている会長を想像すると微かに頬が緩む。
 が、そんな温い空気を切り裂くように携帯のバイブレーションが再び作動した。今度はワンコールで着信が切れる。敵襲の合図だ。
「来ましたか」
 いよいよ涼宮さんたちが正面玄関から屋敷に侵入したようだ。正面ルートはすぐにでも戦闘に入るでしょう。
 正直な話、こちらのルートほどではないが正面ルートにもやや不安が残る。会長たちはともかく、鶴屋さんが少々読めない。

 上手く『突破される』といいんですが。

 そのことを想像すると、少しだけ胸にチクリとした痛みが走る。この期に及んで割り切れない自分が好ましくもあり、疎ましくもあった。
 ……どちらに転ぶにせよ今は自分の役目を全うしなくては。相手は森さんだ。もう間もなくここに乗り込んでくるはずです。
 僅かに生じた迷いを振り切り、敵襲に備えるために地面に置いていたリュックに手にを伸ばす。
 だが、僕がそのリュックを手にすることはなかった。

 ヒュン! ガガガガッ!

「……え?」
 風を切る音が聞こえたかと思った刹那、地面に置いていたリュックに次々と何かが突き刺さった。
 その何かが刺さった衝撃に押されるようにリュックは地面を転がっていき、伸ばした右手はむなしく空を切る。
 現実感が全くないその光景を僕はただ呆然と眺めていた。
 撃たれた? 誰に? 何を? どうやって?
 そもそも入り口からの距離を考えて下さいよ。こんなに早く攻撃されるなんてありえないでしょう?
 まだ呆けたままの頭に浮かんだのは全て現実逃避の言葉。
 しかし、今更になって聞こえてきた足音のお陰でやっと我に返ることが出来た。

 タタタタタタッ!

 ……って、やっぱり敵襲ですか!? ちょっと早過ぎますよ!
 そこで初めて闇に紛れて猛スピードで接近してくる敵の影を確認する。けれど、その姿を見て再び疑問が湧いてきた。
 その接近速度はこちらの予測を上回っていたものの、敵の現在位置はやはりどう考えてもここまで攻撃が届きそうにない……例えば狙撃用の銃でもなければまともな射撃が不可能な地点だった。
 だが、目視で確認出来た敵のシルエットは、長距離用の大型銃はおろか小型銃すら装備していない。
 ならばどうやってあの距離から攻撃してきたのか? この謎はすぐに解き明かされた。
 何故なら敵がもう一度実演してくれたからだ。
 その敵のシルエットは、その異常な走行スピードから生じる慣性を十分に活かして――

 ――何かをこちらに向かってぶん投げた。

 ……えーっと、つまり投擲武器でこの距離を狙撃してきたんですか?
 その出鱈目な真相が判明した途端、不覚にも軽い眩暈に襲われてしまった。
 ……これだから埒外な人種は! 一般人が相手なんですから! もっと常識の範囲に収まる攻撃をして下さいよ!
 そんなこちらの心の叫びを知ってか知らずか、相手の投げた武器が僕に向かって飛来した。

 ヒュン! ヒュン! ヒュン!

「くッ!」 
 耳にするだけで心が折れそうな風切り音が辺りに鳴り響く。その不吉な音に背中を押されながら、なんとか庭で一番大きな木の陰に転がり込んだ。
 元々戦うならこの位置と決めていた安全地帯。この木の後ろなら相手がロケットランチャーでも用意しない限りは安全だろう。……しかし、
「……のっけから予定が狂いましたね」
 苦々しい気持ちで、捨てざるをえなかったリュックに目をやる。あの中には有用な装備がたっぷり詰まっていた。
 中身が無事かは分からないが、少なくともそのリュックが鞄としての機能を失ってしまったのは誰の目にも明らかだった。
 太すぎる釘、あるいは小型の杭にも見える鉄の棒で無残にも串刺しにされている。
 いわゆる棒手裏剣の一種だろうか? その鈍い輝きからはレプリカなどにはない、人を傷付けるための意思のようなものが感じられた。
 あんな物が突き刺されば普通の人間は無事では済まない。閉鎖空間でならともかく、この現実世界ではどうしようもない脅威だ。
「……っ」
 そのシンプルな暴力を目の当たりにして、不意に恐怖が湧き上がる。
 心拍数が上がり、じっとりとした嫌な汗が噴き出してくる。
 恐怖が濁りとなってじわじわと心を汚染していく。
 ……けれど、心が完全に恐怖に飲まれてしまう前に、ギリギリのところで理性が踏み止まった。
 その武器の脅威にだけ意識を囚われてしまったけれど、武器である以上は当然使い手もいる。
 そして、初めて見る武器だったが、その武器の使い手に心当たりがあった。
 ……そう、以前新川さんが話していたじゃないですか。実戦での『彼女』はこういう武器を得意にしていると。
 落ち着け。ならば今攻撃してきたのは『彼女』だ。
 そして『彼女』なら僕を『傷付ける』ことは出来ない。
「…………」
 声も物音もしないが、そこにいるのは明白だった。戦場でこんなプレッシャーを放てる人間を、少なくとも僕は一人しか知らない。
 SOS団ではメイドでお馴染み。
 その正体は一人で組織の戦闘力の大部分を担う、機関の武闘派構成員。
 そして、今回の戦いに於ける最大の脅威。
 森園生、その人だ。
「…………」
 木の陰から余り顔を出さないように向こうの様子を窺う。
 相手の全体像は見えなかったが、見覚えのあるメイド服のスカートがちらりと覗いた。
 向こうは僕の行動を待っているのか、ある程度距離を置いた位置で立ち止まっているようだ。
 だが、こちらから動くつもりは毛頭なかった。
 動かないことで得る主導権もある。ここは存分に焦れて頂こう。
「…………」
 そうして、少しの間お互い沈黙が続き、
「……ふぅ」
 程なくして、呆れを含んだような溜め息と共に、森さんはこちらに語り掛けてきた。
「すぐにでも降参するかと思いましたが、意外ですね」
 普段と全く変わらないさらりとした物言い。顔を見なくとも分かります。いつものように微笑んでいるんでしょう、森さん?
「まさかとは思いますが、あなたは私に勝てるつもりでいるのですか?」
 声色は変えないまま威圧感だけ増すというのはどういう話法なんでしょうね、まったく。交渉事に役立ちそうなので是非ご教授願いたいものです。
「答えなさい、古泉」
 彼女は恫喝するように、それでいて静かに問い掛け、こちらの答えを待った。
 その問いに対する答えならすぐに用意出来た。
 ……ですが、馬鹿正直に答えて差し上げる義理もないでしょう。
 僕は答えを口にする代わりに木陰から身を乗り出した。
 森さんの真正面に無防備な体を晒す。
 当然、今あの武器で狙われたらひとたまりもない。
 それでも僕は、飛び切りの笑みを湛えたまま、彼女に向けて、芝居掛かった口調でこう言った。
「どうも森さん。いい夜ですね」
 なんとかこちらの緊張を伝えずに上手く演じられただろうか?
 頭では安全なことを理解していても、それだけでは湧き上がる恐怖を完全に抑え付ける事は出来ない。
 けれど、森さんは僕を攻撃しない。そう自分に言い聞かせて相手からの返事を待った。
「……こんばんは、古泉。確かに月は綺麗ね」
 森さんは僕が堂々と出てきたことに少しだけ驚いた素振りを見せたが、すぐに表情を取り繕ってそう返してきた。
 内心ほぅと安堵の息を吐く。出来ることなら地面に座り込みたいくらいの安心感です。
 僕がこれだけ隙を晒しているというのに、あの武闘派の彼女がわざわざこんな茶番に付き合っている。
 その事実のお陰でようやく自分の理に確信が持てた。
 ……やはり森さんは五体満足で僕を確保しようとしていますね。怪我はおろか、僅かな体力の損耗すらなく、僕には元気な体でいて貰わなければ困るのでしょう。
 理由はもちろん、今にも発生しそうな閉鎖空間へと僕を向かわせるため。
 少し考えれば誰にでも分かる理屈です。
 今にして思えば、彼女がその気なら初撃で決着はついている。わざわざリュックを狙ったりなどしない。
 そう、あれらは全て僕を降伏させるための脅しに過ぎなかったんですよ。
 ……まんまと引っ掛かりかけた僕が指摘するのも恥ずかしい話ですが。
 いや、そういう手で来ることは一応考慮してたんですよ? ……でもまあ実際やられると、恐いですよ、やっぱり。
 ……それに森さんなら「足の一本くらいなくても閉鎖空間での戦闘には支障がないでしょう?」とか言い出しそうですし。
 しかし、こちらが余裕を持って姿を見せていることで、はったりが通じなくなったことは向こうにも伝わったでしょう。
 その証拠に、森さんの顔に貼り付きっ放しだった笑みが少しだけ剥がれ掛けていた。
 さて、脅しは空振りに終わりましたよ。となると、次は説得ですか、森さん?
「投降しなさい、古泉。私と新川以外のメンバーは今回の事件にまだ気付いていません。今なら私の裁量で不問に出来ます」
 概ね想像した通りの言葉だった。
 お前の行動は機関に対する裏切り行為だ。黙っててやるからみんなに知られる前に馬鹿な真似はやめろ、と。
 これは私見ですが、大多数の機関メンバーには今回の僕の行動を理解して頂けると踏んでいるのですがどうでしょう? 無論、男性メンバー限定ですけど。
 とはいえ、そんな疑問を森さんにぶつけても仕方がありませんね。
 今は彼女の降伏勧告に答えて差し上げますか。
 答えはもちろんこうです。

「分かりました。投降しましょう」

「え?」
 僕の返答を聞いて、森さんは虚を突かれたように言葉を詰まらせた。
 そんな彼女の考えがまとまるよりも先に、次の台詞を投げ掛ける。
「その代わり、森さんにもこの戦いから降りて頂きます」
「……どういうことですか?」
 彼女にとっては予想外の言葉の連続だったのでしょう。警戒した口調でこちらの真意を問い質してきた。
 この段階で僕の意図が伝わる可能性も少しは考えてはいたけれど、どうやらそうはならなかったようだ。
 心の中でやれやれと彼の口癖を拝借しつつ、説明の続きを口にしようとした。
 ……だが、その前に遠くから聞こえてきた第三者の足音によって、僕の言葉は阻まれた。

 タッタッタッタッ

 ……そういえば相手は森さん一人ではなくチームでしたね。すっかり忘れていました
 自分では冷静なつもりでいたけれど、森さんのこと以外には頭が回っていなかったらしい。思ったよりも心に余裕がなかったのだと気付かされた。
 足音の主は森さんの姿を確認すると、駆け足を緩めてその隣に歩み寄った。
 彼女も森さんが霞むほどの反則的能力の持ち主です。敵対する場合は真っ先に警戒しなくてはならない人物で、本来ならその存在を忘れてしまうことなどありえませんが……。
 ……あの様子なら警戒しなくても構わないでしょう。
 森さんからかなり遅れてやってきたその人物――長門さんは、やっと追い付いた相方に向かって不満げにこう言った。
「……森園生、独断専行が過ぎる」
「……申し訳ありません。身内の恥ですので古泉だけは出来る限り速やかに処理したかったのです」
「…………」
 森さんの謝罪を聞いて何やら空を見つめる長門さん。しばらく固まったかと思うとやがて一言「理解した」とだけ呟いた。
 その長門さんの様子を注意深く観察してみると、普段の彼女との差異が端々に見て取れた。
 今の彼女はとても『人間』らしい。
 走ってここまで来たせいか、息をやや乱し、額に少し汗を浮かべている。
 ただ立っている姿一つ見ても、いつもの人形じみた隙のなさに比べてどこか無駄の多い姿勢だった。
 やはり開戦前に彼に語った推察の通り、今の長門さんは能力を制限されている。
 どの程度かは分かりませんが、少なくとも情報操作は封じられているようですし、身体能力的にも一般人に近いでしょう。
 ……長門さんがそういう状況となると、こちらが選べるプランは増えますね。いい展開です。
 そんな小悪党のような思考をしている自分に、内心苦笑が漏れる。
 けれど、そんなことはおくびにも出さず、僕はいつもの調子で長門さんに語り掛けた。、
「長門さん。森さんにもお願いしたのですが、この戦いを降りては頂けませんか? 交換条件は僕の身柄です」
「…………」
「ああ、涼宮さんと合流するのは構いませんよ。その場合は出来るだけ大人しくして頂きますが」
「…………」
 僕の言葉を聞いて長門さんは再び固まってしまった。たっぷり時間を掛けて僕の提案について考察しているようだ。
 そんな長門さんの代わりに、森さんの方から僕に疑問が投げ掛けられた。
「何故そのような真似をする必要があるのですか?」
 森さんはまだこの提案の意味を全く理解していないようだ。
 この人が僕の後手に回っている。これはなかなか自尊心をくすぐる状況ですね。
 少し気をよくして、いつも以上に滑らかな口調で彼女の疑問に答える。
「簡単な話です。僕は涼宮さんと彼の二人だけでこの戦いのクライマックスを迎えて頂きたいのです」
「……それに一体何の意味が?」
「ふむ……そうですね。どこから話しましょうか」
 わざと焦らすように、舞台役者のような仕草で考え込む真似をする。
「古泉……」
 そんな僕のおふざけに苛立ったのか、森さんが剣呑な視線を送ってきた。
 おっと、危ない危ない。少々調子に乗り過ぎましたか。
 少し浮ついていた自分を戒め、僕は今回の戦いに関する自分なりの見解を披露し始めた。
「森さん。あなたはこう考えているはずです。閉鎖空間の発生を食い止めるために、速やかに自分一人で全て解決してしまおう、と」
「それのどこに問題がありますか? 本気の男子学生が相手のドンパチごっことなれば、いくら涼宮さんといえど万が一がある。ならば私が処理した方が迅速かつ確実です」
「そうですね。今回はいつものレクリエーションとも違いますし、森さんも初めから参加しているので、あなたが出しゃばってもそこまで不自然ではない。大変結構かと」
 森さんの能力が涼宮さんに露見してしまうという危険性はありますが、森さんならその辺りも上手く誤魔化すでしょうし。
「それなら――」
「ただし、それは涼宮さんと敵対しているのが僕や彼でなければの話です。今回のケースではあなたが解決してしまえばSOS団メンバーの間に遺恨が残る。彼女に不満が残る。それは慢性的な閉鎖空間の種になります。あなたは可能な限り活躍するべきではない」
 森さんが疑問の言葉を発するより先に、それに対する答えを提示する。彼女は開きかけた口を閉ざして僕の言葉を吟味し始めた。
 この辺りは普段から涼宮さんに接している僕と、数回しか会ったことがない森さんとの、彼女に対する認識の違いでしょう。
 森さんは基本的に報告書でしか彼女を知らない。すぐに気が付かなくても仕方がないことです。
「……なるほど、あなたの意見にも一考の余地はあるでしょう。ですが、彼女は早急な解決を喜ぶかも知れない。それは他人には分からない部分です」
 なおも森さんは食い下がる。だが、その意見には明らかな間違いがあった。
「いえ、実は森さん一人で解決してはまずいという明確な理由があるのです。それは目に見える形で存在していて、既に森さんも目にされています」
「……どこにそんなものがあるというのです?」
「彼女ですよ」
 そう言いながら長門さんの方に視線をやる。彼女は相変わらず黙ったまま僕たちのやり取りを傍観していた。
「長門さんに一体何が……あっ」
 そこで森さんもやっと気付いたようだ。
「そう。涼宮さんが無意識の内に長門さんたちの能力を封じたという事実。それは自分自身の手でこの事件を解決したいという、彼女の願望の現れではないでしょうか?」
「…………」
 僕の推論を聞いて森さんはとうとう黙り込んだ。
 所々に穴もありますが、この推察はそこまで間違ってもいないと思っています。
 少なくとも森さんに新たな選択肢を与える程度には筋が通っているはずです。
 願わくばこれで納得して僕のプランに乗って頂きたいのですが……。
「…………」
 僕が木に隠れていた時のように再び沈黙が場を支配した。
 月が雲の後ろに隠れて、場の沈黙に合わせたかのように辺りが暗くなる。
 長門さんはじっと森さんを見つめ、僕も口を閉ざし彼女の答えを待つ。
 じんわりと重苦しい空気が辺りに広がっていく。
 やがて、月が雲の後ろから顔を出し、月明かりが再び森さんたちを照らし始めた頃、彼女は重く閉ざしていた口を開いた。
「……あなたの考えはよく分かりました。確かに長門さんの能力に関しての推察は恐らく正しいでしょう」
 僕の考えに理解を示す森さん。ここまでは予想通り。問題はこの後ですが、はたして……?
「では、僕の計画に賛同して頂けますか?」
 少し緊張しながら再び提案をした。
 可能ならば無駄な戦いは避けたい。そう願いながら返答を待つ。
 ……だが、彼女の口から出たのは否定の言葉だった。
「いいえ。あなたの提案には同意出来ません」
 きっぱりと、森さんはそう口にした。
 ……こうなりましたか。こちらの計画に乗って頂ける公算の方が高いと踏んでいたのですが……。
 口惜しさを飲み込み、思考を切り替える。まだ戦闘回避の見込みがない訳ではない。
「その結論に至った詳しい理由をお聞かせ願えますか?」
 理由によってはまだ譲歩の余地があるかも知れない。ここははっきりさせておきましょう。
 だが、僕のその質問を聞いて森さんは何故か言葉に詰まった。
「……それは……その」
 ……あれ? そんなに変な質問をしましたか? こちらの提案を蹴れば当然聞かれることでしょう?
 返答を促すように黙って森さんを見つめる。しかし、森さんは僕の視線から逃げるように顔を逸らして、こちらと目を合わせてくれない。
 ……一体どうされたのでしょう? こんな森さんは今まで見たことがありませんよ。
 やがて無言の視線に耐えられなくなったのか。彼女は覚悟を決めたようにこちらを見返し、少しつっかえながら先程の問い掛けに答え始めた。
「その……古泉、あ、あなたにはまだ言葉にしていな本心がありますよね?」
 本心、ですか? はて?
「だって……色々と理屈を並べてはいますが、結局あなたは自分たちのコレクションが無事になる可能性を考慮して、こんなプランを立てたのでしょう? 普段のあなたなら最悪の結果を……今回の場合は涼宮さんが負けてしまう可能性を、まず最初に排除するはずです」
 ……はっきり指摘されると少々恥ずかしいですが、まあそれはそうですね。
 ぶっちゃけてしまえば、森さんが一人で解決してしまうと、その見込みは限りなくゼロになると考えています。
 今回のプランは、まずコレクションの無事ありきで立てられたことは否定出来ません。
「……それならやはり私はそのプランに乗りません。予定通り私が一人で制圧します」
 ……何故ですか? まさか森さん。あなたまで男子高校生にエロを捨てろなどという無茶を言い出すつもりですか?
「そうです!」
 ……え?

「あんな破廉恥なものを高校生が所有しているなんて許しません!」

「……………………」
 僕の見間違いですかね? それなりに成熟した女性であるはずの、僕より年上であるはずの、あの森さんが……。
「あんなもの存在していてはいけないのです! えっちなのは駄目なんです!」
 初めてAVの存在を知った女子小学生みたいに、顔を真っ赤にして取り乱しているんですが……。
 ……いや、今時の小学生より初心な反応ですよ、これは。
 先程までの緊迫感はどこへやら。緊張が緩んだせいかどっと疲れてしまい、口から盛大な溜め息がこぼれる。
 それから未だにワタワタしている森さんに向かって、思わずこう尋ねてしまった。
「……森さん、あなた歳はいくつですか?」
「と、歳は関係ないでしょう!?」
「いや、大人の女性としてその反応はかなり問題があると思うのですが……」
「ほっといて下さい!」
 そう言って、森さんは真っ赤な顔でこちらを睨む。その可愛らしい表情に和むべきなのか、それとも睨まれたことを恐れるべきなのか……少々悩むところです。
 しかし、これはかなり想定外の展開ですよ。
 当初の予定では、森さんが積極的に戦いに参加せず涼宮さんが負けてしまう可能性と、森さんの活躍で解決した場合の涼宮さんの不満を天秤に掛けて、その上でどちらを選ぶか、と言った選択になると思われましたが……。
 まさか森さんがコレクションの没収に積極的な立場だったとは……。
 向こうの陣営で最年長の彼女が、ここまで免疫がないだなんて普通は誰も想像出来ませんよ。
 ……いずれにせよ。これで森さんに協力して頂ける線は消えましたね。
 最初の提案が蹴られた場合に備えて、もう少し妥協した案も用意していましたが……あの様子では無意味でしょう。
「とにかく! もう決めました! 涼宮さんには後でフォローするとして、こんな馬鹿げた戦いはさっさと終わらせます!」
 すっかり戦う気満々ですよ、この人……。
「長門さん。森さんはこうおっしゃってますが、あなたはどうなさいますか?」
「…………」
 最後の悪足掻きとして、さっきから森さんに無視されっぱなしの長門さんにも意見を聞いてみる。
 ……この状況で森さんを止められるとは思えませんが、まあ念のため。
 けれど、そんな毛の先ほどの淡い希望も、長門さんの言葉であっさり吹き飛んだ。
「……現在情報統合思念体との交信が途絶えている。情報操作も封じられ、非常に不安定な状況。早期解決はこちらとしても望ましい」
 でしょうね。うん。分かってました。
「それに、あなたと彼には一発仕返しをしないと、何故か今後のコミュニケーションに重大なエラーが発生しそうな気がする」
 ……こんなところで新たな感情を芽生えさせないで下さいよ。いや、もちろん元凶の僕たちにそれを言う資格はないですけど。
 ……それはそうと、先程からやけに反応が鈍いようですね?
 台詞から察するに、今の情報統合思念体と長門さんの状況は、通信障害が起きたサーバーとPCのようなものなのでしょうか?
 普段から会話の反応が速い方ではありませんが、今の状態はそれに輪を掛けて酷い。
 ……果たしてそれでまともに戦えますかね?
 対話による解決を諦め、頭の中を戦闘用に切り替えていく。過程は大きく違ったが終着点はそこまでズレていない。
 最終的に戦闘になる可能性は元々低くなかったのだし、そのための『仕込み』も終えている。戦う覚悟もとっくの昔に済ませてある。
「……よく分かりました。お二人とも僕と戦うという結論で構いませんね?」
 そう呟いて、唯一手元に残ったハンドガンをポケットから取り出した。
 それを見て森さんも武器を構える。取り出したのは伸縮式の警棒。先程までの取り乱した様子はすっかり消えていた。
 遅れて長門さんも銃を構える。
「そういえば最初の質問への答えがまだでしたね。『あなたは私に勝てるつもりでいるのですか』でしたっけ?」
 そして、僕は森さんに宣戦布告をする。
「答えはノーです。流石に森さんを相手にして勝てるとは思っていませんよ」
「……」
 二コリと笑みを浮かべてみたが、どうもこの場での笑顔は不評のようで、森さんの反応は芳しくなかった。
 気にせず交戦前の最後のお芝居を続ける。
「ただし、なんとか引き分けくらいには持ち込めるのではないかと踏んでいます」 
「……なるほど。この分かりやすい『仕掛け』はそういう狙いですか」
 引き分けという言葉でこちらの意図を察したようで、森さんは辺りをぐるりと一望してからそう呟いた。
 すぐに踏み込んでこなかったのは、やはりこちらの『仕込み』をとっくに感知していたからのようですね。
 まあ看破されることは想定済みです。この程度の雑な隠蔽で森さんを騙せるとは思っていません。
「……『仕掛け』?」
 しかし、ただ一人長門さんだけは何も気付いていなかったようで、説明を求めるように森さんに視線を向けた。
「古泉の隣に生えている木をを中心に、尋常ではない数のトラップが張り巡らされています。カモフラージュが甘いので、注意深く観察すれば長門さんにも見破ることは出来るでしょうが……」
「見破ったところで僕が接近を許しませんがね」
 森さんの台詞を補足しつつ、わざとらしく銃を構えて見せる。
 長門さんは僕の銃と辺りの様子を交互に見比べて、やがて納得したように頷いた。
「……大量のトラップと射撃による時間稼ぎ。こちらがうかつに突っ込めば罠に捕らわれ、罠を警戒し過ぎると射撃の餌食になる、と」
 そういうことです。涼宮さんと彼が接触するまで森さんたちをここに足止めすれば、それで当初のプラン通りの展開になります。
 なにも僕はあなた方に勝たなくてもいいんです。
「ちなみに僕が装備している銃は当たればただでは済みませんよ。これは森さんが護身用にくれた改造型ですから」
「…………」
 最後にもう一押し脅してから説明を終える。これで長門さんは無理を出来ないだろう。
 今の彼女が僕に向かってきても脅威とはなりえないが、出来れば援護射撃程度で大人しくしていて頂きたい。

 何しろ、相手は僕に戦闘のいろはを叩き込んだ先生なのですから。

 月の下に立つ森さんを見つめる。
 本気でこの人を相手にしなければならないのかと思うと身震いしそうになるが、これだけハンデを貰っておいて負ける訳にもいかない。
 何より僕の後ろには彼らがいる。
 僕が突破されれば彼女を止められる人間などいない。
 ……僕がやるしかない。
 一度だけ深く、深く息を吐いて、胸に湧き上がった弱気を追い出した。

「そういえば、以前あなたにトラップ入門編の教材と資材を与えたことがありましたね」
「ええ、仕掛けているのはあの時の罠です。どうですか、森さん? 今あなたの教育が花開いているところですよ?」
「そうですね……あなたの成長した姿を見るのはとても感慨深いものになったでしょう。……こんな形でなければ」
「喜んでは頂けませんか、残念です」
「私も残念ですよ、古泉。こんなに可愛げのない成長を見せられるなんて」
「……この場ではお褒めの言葉として受け取っておきましょう」

続く

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最終更新:2020年05月18日 07:10