どうせおまえに秘密を持とうとしても不可能だ。
「そうやって、誰彼かまわずやさしくするから…。そういうところが君は無責任なのよ。」
昔床屋で読んだ漫画のセリフを引用しただけなんだけどな。
「せっかく言うべきことを言えたと思ったのに…。」
さっきあなた、おれがやったことを非難してませんでした?
「だけど、この子はどこで電話してたの?」
どうでもいいでしょう、そんなことは。
「確かにどうでもいいことね。」
しかし店員たちの反応は店長のそれとは違っていた。
「この子が長門さん……。」
「なんてきれいな子……。」
「さっきの子とはタイプが違うけど……。」
たしかにこいつもハルヒもどこに出しても美少女で通る容姿をしてますがね、二人とも自分の外見なんかどうでもいいと思ってますよ。
「美少女…………。」
なに照れてやがる。
店長さんがちらりとこっちを見た。
「君の前ではそうでもないみたいよ………、」
どうですかね。
「二人ともね。」
「外見などどうでもいいと思っているのはあなたの方。」
まあ、おれみたいな平凡な容姿の男が自分の外見なんか気にしても仕方がない。
おまえらとは違う。
「涼宮ハルヒはあなたのことを面食いだと言っていたがわたしは違うと思う。
あなたは佐々木某という美少女の同級生と友達づきあいを一年間続けていた。
それも、週三回必ずあなたの自転車の荷台に乗せるという友達づきあい。」
「ともだちづきあい」という発音に皮肉っぽく力がこめられているような気がするのは俺の気のせいだろうか。
「しかも卒業以来一度も会おうとしていない。
彼女とのつきあいをぴたりとやめてしまった。
あなたにとって女性の顔とは個体識別の記号でしかない。
誰だかわかればそれでいい。」
「なんだそりゃ。」
何が言いたいのかわからん。
「あなたは朝比奈みくるの胸を見ている。
涼宮ハルヒの全身を舐めるように見る。
わたしの目しか見ない。」
「愚痴を言いに来たのか?」
「それだけではない。」
店長さんに言った。
「こいつは買い物に来たわけじゃありませんよ。いいんですか?」
「もちろんかまわないわ。」
「あなたが最初に声をかけたのは涼宮ハルヒだけではない。」
佐々木のことか。
「あなたは中学時代の涼宮ハルヒと別れた後、その足でわたしのところに来た。わたしはいきなり声をかけられた。」
「インターフォン越しにな。」
「あなたはわたしの部屋に入ってきた。」
「入れと言われたからな。」
「わたしの部屋で寝た。」
「寝ただけだな。」
「朝比奈みくると同じ部屋で……」
「そんなことを言いにきたのか。」
「違う。」
「それから、こういう所に制服で来るのはよせ。」
店長さんをちらりと見た。
「いや……、うちとしてはかまわないわよ。」
「もしこの衣服があなたにとって不必要だと言うのなら……、」
「振り向いたりしてやらねえからセーラー服の縫合連結を解除するな。」
「チッ……。」
舌打ちするな。
「涼宮ハルヒのやり方をまねてみた。」
「だから何しに来たんだ。」
「あなたにお願いを言うため。許可を。」
「いいだろう。ただしハルヒが来る前に帰れ。」
「ちょっとそれはひどい……。」
という声が店員の間からした。
店長がその店員をたしなめた。
「これは言わなきゃならないことよ。」
「時間がない。なんだ願いってのは?」
 
「わたしを、涼宮ハルヒのバックアップにしてほしい。」
 
「はぁ?」
何を言い出すんだこのバカ女は…。
「人間にバックアップがあってたまるか。」
「わたしは人間。人間のわたしにバックアップがあった。
涼宮ハルヒにバックアップがあってもおかしくない。
涼宮ハルヒがいない時、わたしを利用してほしい。
わたしと涼宮ハルヒはよく似ている。
かならずあなたの役に立つはず。」
「おまえとハルヒが似てるかよ…。」
「そうね。さっき誰かが言ってたけど、全くタイプの違う美少女だわ。
誰もが明るくなれるようなオーラをもった子と、
誰もがじっとみつめたくなるような雰囲気を持った子。
例えていえば……、春日と雪?」
「そういう意味ではない。
わたしと彼女には共通点がいくつかある。
なによりも、この上なくあなたに忠実なこと。」
「それは違うぞ。」
「なぜ?」
「『この上ない』っていうのは『それ以上ない』っていう意味だ。
『それ以上ない』っていう存在が二つあるのは言葉の矛盾だ。」
「ならばわたしは涼宮ハルヒ以上にあなたに忠実。
彼女が『あなたのものになりたい』というのは、そうなればずっとあなたのそばにいられるという程度の意味しかない。
わたしは違う。
わたしのは言葉通りの意味。
近代的所有。」
「おまえ、その意味がわかって言ってるのか?」
「無論わかっている。あなたはわたしを貸与することも、売却することも、譲渡することも、処分することもできる。」
「奴隷になるっていう意味だぞ!」
「歴史上人身売買が公に行われたことのないこの弓状列島の住民は、奴隷という意味がよくわかっていない。
日本語で言えば家畜という概念に近い。
涼宮ハルヒはあなたに、『自分が見ている前で古泉一樹とキスしろ』と命令されたとしても絶対にできない。
わたしにはできる。
なぜなら、わたしは自分の尊厳どころかあなたの安全よりもあなたの命令を優先させたから。
あなたの危険を承知でスピーカーボタンを押した。」
「長門……、今すぐおれの有機連結を解除しろ!」
「…何故?」
「命令に理由を尋ねるな!」
「………、そんなことをする意味がわからない。」
「おまえはおれの安全よりもおれの命令を優先するんだろう? やれ!」
「推奨しない。そのようなことをしても何にもならない。」
「推奨か……、要するにおまえのは意見なんだな。
おれが言ってるのは意見なんかじゃねえ……。」
 
「決断だ!」
 
「やれ!」
 
「……………了解した。」
「命令解除だ。自分が死にそうな声を出すんじゃねえ。」
「い、いじわる……。」
「おまえが家畜になるとかくっだらねえことを言うからだ!」
「……しかしこれで明らかになった。わたしと涼宮ハルヒはよく似ている。
バックアップになれてもおかしくない。」
「似ているっていうことは違うっていうことだ。」
「無論違う部分もある。
男性にとって好きということは見るということ。」
「まあ、そうかもな。」
「あなたは朝比奈みくるの胸と、涼宮ハルヒの全身を見る。
わたしの目しか見ない。」
「それはさっき聞いたぞ。」
「朝比奈みくるは胸のあたりがいやらしい体つきをしている。」
「そうか?」
「涼宮ハルヒは全身がいやらしい体つきをしている。
「そ、そうか。」
「わたしの体つきは全くいやらしくない。」
「そうだな。」
「…………あなたは、わたしが拗ねたらどんなことをしでかすか、よく知っているはず。」
「おいっ!」
「ジョーク。」
「おまえのやり方はハルヒのやり方より怖ええんだよ!」
「違う。」
何がどう違うんだよ。
「涼宮ハルヒはあなたを拉致監禁した。
わたしは彼女をあなたのそばから遠ざけただけ。
それだけなのにあなたはひどくうろたえた。
あなたのすぐそばに、長門有希がいたのに…。」
「おまえ、あの時のことを根に持ってるのか?」
「少しだけ。」
「……そうか。」
「しかし五月のあの日、あなたは監禁されているにもかかわらず呑気に茶などすすっていた。」
店長さんが呆れたような声を出した。
「たいした度胸ね、君。監禁されているのに相手が出すものを口に入れたの?」
「あいつがおれにお茶なんか淹れてくれるわけがないでしょう? 自分で淹れたんですよ。」
「あなたは彼女がそばにいさえすれば、どんな場所に放り込まれても平気な顔をしている。
わたしはあなたの環境を激変させたわけではない。
涼宮ハルヒを少しの間隠しただけにすぎない。
それだけであなたらしくもなくひどくうろたえた。
わたしのやったこととと涼宮ハルヒのやったことはまるで変わらない。
あなたのそばから親しい女性を全て排除しようとした。
あなたの態度の違いはそばに涼宮ハルヒがいたかいないかの違いにすぎない。」
 
……おれは遊園地でママとはぐれた子供か?
 
「わたしたちはよく似ている。
あなたと直接対決するのではなく、別の方法を使ってあなたを手に入れようとした。
二人とも臆病者で卑怯者。
あなたには直接危害を加えることができず、あなたをとりまく環境の方を変えようとしたところまで似ている。」
「あの十二月、朝倉に刺されたな……。」
「あ、あの時のことは反省している。一度許してくれたことを蒸し返すなどあなたらしくない……。」
「あれやらせたのはやっぱりおまえか。」
「もう二度と、あなたが他の女のものになるくらいなら殺そうなどとは考えない…。」
やれやれ。
「考えるだけならいいさ。」
「え………。」
「おまえが何を考えようとおれがどうこう言えるわけがないだろう?
おまえにも心の中の自由っていうもんがあったっていいはずだ。
だけど二度と本当にやるな。やらせるな。」
「了解した。」
本当にわかったんだろうな。こればっかりはどっちでもいいとは言えんぞ…。
「しかし彼女の作ろうとした世界もわたしの作ろうとした世界も長続きしなかった。
両方ともあなたの許可が下りなかった。」
「あたりまえだ。許可してたまるか。」
「やはりわたしたちは似ている。」
「おまえのパーソナルネームを言ってみろ。」
「長門有希。」
「あいつのパーソナルネームは?」
「涼宮ハルヒ。」
「違う。」
「違う、とは?」
「あいつは涼宮って呼ばれることを極端にいやがる。
何故か?
それは涼宮っていうのはあいつの名前じゃないからだ。
あいつの家の名前、もっとはっきり言えばあいつの両親の名前だ。
公衆の面前にも関わらず古泉に確認しないわけにはいかなかったことがある。
今日、あいつの弱さと対決しなくちゃならないかもしれないと思ったから。
こんな形でおまえに話すとは思わなかったが。」
「その、確認しなくてはならなかったこととは?」
「あいつは、自分の両親に対して複雑な思いを抱いている。
だからあいつはさっき俺に対して『あたしの名前を呼んで』と言った。
あいつにとって自分の名前は『涼宮』じゃなくて『ハルヒ』なんだ。
夏休みの最後の日、なぜあいつが自宅にいることではなくおれの家に来ることを選んだのかもこう考えれば辻褄が合う。
あいつは夏休みのほとんどを家族と過ごすことではなく、俺たちと一緒にいることを望んだ。
思春期の女の子らしいと言えばそれまでだが、なぜあいつがあそこまでおれの家に入れたことをあんなに喜んだのか、それだけでは説明できない。」
「確かにそれだけでは説明できないわね…。」
店長さんが意味深長な目をして言った。
実際にはおれの家だけじゃなくおれの部屋にも入れたんだけどな。
これは言わないでおこう。
「長門、人間は何で出来ている?」
「有機物、アミノ酸の塊。」
「テンペストだ。」
「人間は夢と同じもので織りなされている。」
「そうだ。夢と同じものだ。
情報だ。
人間は情報によってつくられている。
おれもおまえもあいつも同じだ。」
「今日あなたは、涼宮ハルヒにあなたとの思い出という情報を取り戻させることによって、再び、いや三たび世界をとりもどさせた。」
「おれに関する記憶なんていうものはな…、あいつを構成する情報のほんのわずかな部分に過ぎない。
結合しているとも言えない。
髪留めの輪ゴムみたいなもんだ。
そんなものがなくてもハルヒはハルヒだ。
そこをいじるなんてのはな…、髪型変えさせるのと同じだ。」
「八か月半のあなたとの思い出をもたない彼女を、とうとうあなたは涼宮ハルヒと認めなかった。
存在することさえ許さなかった。」
「あいつはどうなったんだ?」
あの十二月の長門が今の長門にもどる瞬間をおれは見た。
しかしあのハルヒとあいつが同じものだとは俺にはどうしても思えない。
「いない。
どこにもいない。
この世界にいないだけではない。
あらゆる世界のどこにもいない。」
やはりな。
「そんなものは、おれのこだわりに過ぎない。
ポニテでなくてもハルヒはハルヒ。
おれを忘れてもあいつはあいつだ。
あいつはそんなことにこだわっていない。」
そんなことはどうでもいい。
「問題は、あいつを構成している情報の基本的な部分だ。
あいつは文武ともに優秀な人間だ。
おれなんか足元にも及ばないくらいな。
そのあいつが、なんでおれなんかの前でカッコつけたがる?
そんな必要はないはずだ。
自信があるなら黙っていればいい。
なぜあいつは黙っていられない?」
「わたしからは言いたくない…、あなたが言って。」
「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが…、」
「中島敦『山月記』。」
「主人公はどんな性格か。」
「性、狷介。自ら恃むところすこぶる厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。」
「自信のバケモノだな。」
例えとはいえあいつをバケモノと呼ぶのはどうしてもいやだった。
だけどこの言葉じゃないとどうもしっくりこない。
だから早めに買わされた二年生の現代文の教科書にあった小説を引っ張り出した。
「だけど李徴の内面にはひどい不安があったことが読み進めていくとわかる。
何故か。
なぜ自信のバケモノみたいな男の内面に不安があったのか。
この矛盾をどうアウフヘーベンする?」
「逆転。」
「そうだ。李徴は自信のバケモノなのに内面に不安を抱えていたわけじゃない。
内面に不安を抱えていたからこそ自信のバケモノになった。
ならなきゃならなかったんだ。
自分には才能がないんじゃないかっていう劣等感。
だけど劣等感っていうのはただ自分が劣っていると思えば生まれるものじゃない。
少年野球の選手は決してイチローに劣等感を抱かない。
だけど自分より年下で上手い奴には劣等感を抱く。
劣等感の裏側には必ず優越感がある。
先に野球を始めたから自分の方が上手いはずだっていう思いがある。
郷党の鬼才と呼ばれた李徴には周りの人間に対する優越感があった。
だからこそ自分に才能が無く、他人にあることが許せなかった。
優越感と劣等感の複合体。
コンプレックスだ。
それが李徴に周りに自信があるようにふるまわせ、内面の不安を押し隠させた。
あえてトゲで全身を覆い、他人を傷つけて周りから排除し、自分が傷つくことを防ごうとした。
ハルヒはおれに対して上から目線でしかものを言えない。
じゃあその根拠はなんだ?
何であいつがおれより偉いんだ?
容姿がすぐれているからか?
勉強ができるからか?
スポーツができるからか?
歌がうまいからか?」
「涼宮ハルヒはあなたに絶対にそんなことは言わない。
あなたにそんなことを言っても素直に尊敬されるだけ。
あなたは他人の長所をそのまま受け入れる。
李徴とは正反対の性格。
そんな人に、だから言うことを聞けなどというのはあまりにも恥ずかしい。」
「今日はじめてあいつはそんなことを言った。
嘘をつくためにわざわざそんなことを言ったことから、かえってあいつの普段の態度が浮き彫りになった。
あいつの権力の正統性、それは一つしかない。
『団長』だからだ。」
「SOS団の団長という役職は涼宮ハルヒ以前には存在しない。
歴史的権威がない。
その役職には何の職業カリスマもない。
だけどそんなものをあなたに向かって振りかざすことによって、あなたに可愛げのようなものを感じ取ってもらいたがっている。」
可愛げねえ…。
「そんな単純なものじゃない。
中学時代のあいつは孤独だった。
そのころのあいつにとって支えになっていたのは…」
「ジョン・スミスだけだった。」
「自分にしか関心のない人間は、いくら有能であっても政治的には無力なんだ。
というより、人間関係を取り結ぶことができない。
力関係って言うように、人間関係を受け入れるためには多かれ少なかれ権力を受け入れる必要があるからだ。
高校生になってあいつは権力者になった。
しかし権力を持つっていうことは人と関わるっていうことだ。」
「彼女が権力者としてふるまっているのはあなたに対してだけ。
SOS団の活動においても彼女があなたに命令し、あなたが具体的な段取りをつけて全員が動いている。」
「なぜあいつがこんなイレギュラーな人間関係をつくらなきゃならなかったのか。」
「敢えて言えば、李徴と同じ。」
「あいつの心の奥底に、両親に対するわだかまりがある。
それが不安となり、その周りを鎧で覆わなくてはいられない。
涼宮と呼べば、つまりあいつを親の名前で呼べば、あいつの心の中心部をえぐることになる。
だからあいつは涼宮と呼ばれたがらない。
なんでハルヒのことをおまえに長々と話したかわかるか?」
「…わからない。」
「おまえは違うってことを言いたいんだよ。。
長門っていうのはおまえの親の名前ではない。
長門っていうのはおまえだけの名前だ。
さっきおまえは16歳だって言ったが、訂正する。
おまえは今3歳だ。
おまえは三年前、長門有希と呼ばれる存在になった。
それ以前のおまえが何だったのか、そんなことは俺は知らん。
自分のことでも十六年余り前の俺が何だったかなんて知らない。
そんなことは知らなくてもいいことだ。
重要なのは今のおまえが長門有希っていうことだ。」
「あなたが言うならそう。長門も有希もわたしの名前。」
「そうだ。」
「だから涼宮ハルヒがうらやましくなんかない。」
「そうか。」
「あなたに『ハルヒ』と呼び捨てにされていることがうらやましくなんかない。」
「そ、そうか。」
「あなたに『有希』と呼び捨てにされなくても、別にうらやましくなんかない。」
「わ、わかった。」
三回言うほど大事なことか?
「負けず嫌いね、この子……。」
こいつ、こんなにめんどくさい奴だったか?
「あなたがわたしの機嫌を取ろうと思えば簡単にできる。
いつかのように髪を撫でてくれさえすればいい。」
あれは頭を撫でたんだ。
ハルヒの髪は撫でたが。
あいつは16歳だけどおまえは3歳だからな。
おれなりの線引きだ。
「しかし今日はそうしようとしない。
あなたは振り向きたくない。
わたしの表情を見たくないから。」
頭を撫でたというより、雪を払っただけだ。
「……卑怯者。」
「おい……。」
「かつて、世界を失いかけた少女がいた。」
今更な話だ。
「少年はある魔法をかけて少女に全てを取りもどさせた。」
魔法って……、なんだかおまえらしくないな。
「あなたは、女に言うことを聞かせるためだけにキスするような男。」
女どもが、今日最高の蔑みの視線を送ってくる。
「そのためだけじゃねえよ……。」
「それはもう過ぎたこと。」
だったら言うなよ。
「あなたが、今日彼女にあなたの思い出を取り戻させることによって世界を取り戻させたのではないとしたら、どうやって彼女を救ったのか、知りたい。」
「おれがあいつを救ったんじゃない。あいつがおれを救ったんだよ。」
「詳細を。」
「士は己を知る者の為死し、」
長門が対句の片割れを暗唱した。
「女は己を説ぶ者の為容る。」
「男は自分を理解してくれる人のために死に、女は自分を喜んでくれる人のために着飾るっていう意味なんだが……、」
「史記、刺客列伝。」
やはり知っていたか。
「両方とも間違いだ。男が死ぬのは自分のためだ。」
 
牛島満中将は沖縄を本土防衛の捨石にするために死んだ。
それは陸軍の方針を反映したものだ。
つまり牛島中将自体が捨石だったことは否めない。
しかし彼は、自分が捨石になったことを誰にも知られなかったとしても、それに徹することができただろうか。
死の前に、あえて捨石となることに自己陶酔を感じていなかっただろうか。
それを沖縄全土の将兵と民間人に知られることに満足を感じていなかっただろうか。
おれは、どうなんだろう。
さっきあんなことを言ったが、
おれがハルヒのために死ぬなんてことはありそうにない。
だけど、もしそうなったとして、おれはハルヒの記憶から自分のことを消そうとするだろうか。
それとも、あいつが苦しむことがわかっていても、忘れないでいてもらいたいと思うだろうか。
たぶん、自分がハルヒのために死んだと覚えていてもらいたいんじゃないだろうか。
いや、そんなことを今考えても仕方がない。
その時の自分が思う行動を取ればいい。
 
「そして女が着飾るのも自分のためだ。」
店内をぐるりと見回しながらそう言ってみた。
反応は…、なんだか釈然としない顔つきもあれば、当然といった顔をしている人もいる。
「あいつが白雪姫だっていうことは知ってるな。」
「知っている。」
「ならおれは何だったのか。」
店長さんがこっちを見て言った。
「眠れる美女……、白雪姫……、王子様?」
それは八ヶ月前にやりましたよ。
そのことをさっき全員で蔑んでくれたじゃないですか。
「あなたが王子なら彼女は花。」
花か…、ひまわりかね、あいつなら。
きっと夏の花だろうな。
春日だけど。
「薔薇。」
バラねえ…。
「サン・デグジュベリ。」
そっちの童話じゃねえよ。
「あなたはあの本をもう一度読み返すべき。」
おれはもう王子ではない。
「鏡だ。魔法の鏡。白雪姫の鏡だ。」
「その認識は間違っている。魔法の鏡は白雪姫のものではない。その母親のもの。」
「母親が鏡に問いかけた時、白雪姫が彼女より美しいと答えた。
なぜその鏡は母親の部屋にあったのに、白雪姫を知っていたんだろうか。」
「……わからない。」
「白雪姫だって女だ。
たとえ七歳でも、こっそり母親の部屋に忍び込んで、鏡をのぞいたっておかしくない。」
「つまり鏡とは……、ありのままを映すもの。」
「バカ言え。そんなものが存在するか。」
鏡だろうが写真だろうが必ずそれを見る者の主観がフィルターになる。
「あなたは、朝比奈みくるの画像を部室のパソコンのハードに入れている。
あなたがそれ見ている時、あなたの主観が入っている。
どこか美化している。」
知ってたか。おまえに隠せるとは思ってないが。
「涼宮ハルヒの画像は自宅の引き出しに入れてあり、毎晩取り出してベッドの中で鑑賞する。
あなたの主観によってそれは、水着姿から下着姿に変換される。」
毎晩じゃねえ。
「わたしの画像はどこにも保管していない。」
ドサクサにまぎれて愚痴を言うんじゃない。
「女は、鏡を見るために着飾る。
そしてその鏡は、賞賛の言葉以外は期待されていない。
白雪姫が魔法の鏡を割らなかったのは賞賛されたためだ。
母親が鏡を割ったのは、賞賛されなかったためだ。
おれの今日の役割は、あいつを賞賛することだけだ。」
店長さんが長門ばりの短い言葉を吐いた。
「卑屈。」
事実ですからね。
「要するにおれは今日あいつに『似合ってるぞ』と言うためだけにここに来た。
そしてあいつが今日着ていたもの、すべて反則的なまでに似合っていた。
だからあえてそう言わなかった。」
「あなたはやはり女を焦らして喜んでいる……。」
「そうじゃねえ。
未購入の商品を褒めてどうする。
あれは店のものであってあいつのものじゃない。
そんなものを褒めてもあいつを褒めたことにはならない。
そんな誰でもやるようなことをしても仕方がない。
だいいち、面白くない。」
「営業妨害。」
店長さん、長門がのりうつってませんか。
長門自身が今日は饒舌だし…。
「だからおれは『似合ってるぞ』という言葉を最も効果的に出すために丁寧に伏線を張った。
長門の話とか、守り守られる関係とかそんな話は、そのためのものでしかなかった。」
「わたしの話…?」
「声に怒りをこめるな。おまえのことじゃない。戦艦だ。
そしておれは調子に乗った。
あいつにウェディングドレスを着ているところが見たいと言ってしまった。
ウェディングドレスはただの衣装じゃない。文化的な記号としての意味を持つ。
それを見たいということは、それを着ておれの隣に立ってほしいということを意味する。
おれはその場面を想像してしまった。
思わず口に出してしまった。
そんなことはあり得ないのに。
あいつは必ずおれの前に立つ。
絶対におれの横になんか立つわけがないのに……。」
「君からは見えないだろうけどね、長門さんは君の背中に寄り添うように立っているわ。」
「見えないのではない。見ないようにしている。
あなたはふり返ってわたしの顔を見たら、わたしの心のうちまで見通すことができる。
と言うよりも、見えてしまう。」
「鏡って何だ? 道具だ。」
「……スルーするな。」
「おれはあいつの鍵であり、箱であり、蓋であり、椅子であり、鏡でもある。
道具だ。」
おれは転がっているボールペンを手にとってみた。
「道具は目的のためにのみ使われるべきだ。
これはボールペンだ。文字を書くためだけに使われるものでしかない。」
「君、それは……。」
「事務所にあった105円のボールペンも、約一万円……、八千五百円くらいか、のモンブランも、字を書くための道具だ。
あいつのハンドバックに入っている鏡も、試着室の中にある全身が映る鏡も、魔法の鏡も、道具であることには違いない。
あいつの問いかけに答えるだけの道具だ。
道具が自分の意志などを表現してはならない。
今日の混乱はすべてがこれに起因する」。
あいつをひどく傷つけてしまった……。
「だけどあいつは、守り守られる関係という話が琴線に触れたらしい。
あいつを賞賛するための伏線でしかないのに。
あいつは孤独を感じていた。
正確に言えば、再び孤独を感じることを恐れていた。
その理由は、さっき言った通りだ。
あいつは強い。
おれなんかよりはるかに強い。
だけどあいつはおれよりもはるかに脆いものでつくられている。
ガラスの戦艦だ。
だからあいつは誰でもいいから自分がそいつを守れれば、そいつが自分を守ってくれると思った。
長門、釣り野伏せって知ってるか。」
「薩摩の大名、島津家の伝統的な戦術。
敗走したふりをして退却する。
相手は退却されれば当然追撃する。
追撃する際は士気を鼓舞するために大将自らが先頭に立つことが多い。
敵の陣形が追撃のために縦に伸びきった所を、突出した大将とその旗本を伏兵と逃走の振りをしていた軍勢で包囲する。
大将をその軍勢と切り離し、一気に包み込んで討つ。」
「あいつは電話をスピーカーモードのままにしていた。
それをカットさせることによってあいつがおれとだけ話していると信じさせた。
そのために二度、『おまえだけに話したいことがある』と言ってそのための伏線を張っておいた。
おれがあいつを守っていると信じさせ、それでいておれがあいつに対して攻勢をかけていると信じさせた。
外に対しては防御機動を取り、内側に対しては攻撃機動を取る。
『釣り野伏せ』だ。」
「実際にはあの通話は筒抜けになっていた。そしてあなたは本当の意味で彼女に攻勢に出たわけではない。」
後者についてはともかく、前者についてはどうにかしなくちゃならんな。
「あいつはそう信じた。」
「反則。」
「反則技でもぴたりと決まれば、誰も文句は言わねえよ。」
店長さんをちらりと見てみた。
「フン」と鼻を鳴らされた。
「さっきの通話であいつの琴線が触れた部分は、『祈れば守れる』っていうことと、『忘れないでいてくれ』っていうことだけだ。
その他のことは、おれの泣き言でしかない。
あいつは祈りさえすればおれを守れるということを知った。
あいつは自分がおれを忘れないことによって、おれを救うことができたことを知った。
誰かを守ることによって自分が守られると信じた。
そうすればもう孤独を感じなくて済むと信じた。
それだけだ。
なかなか苦労したが、最後にはぴたりと決まったな。
そしてその契機がおまえの発言だった。
あの直前、『おれを軽蔑しているか』という質問がきっかけで、かなりハルヒとおれとの間がギクシャクしていた。」
「自業自得。」
「……とにかく、それを救ってくれたのがおまえだった。
長門、この世で一番強い連帯感って何だかわかるか?」
「わたしが何回も言っていたこと。」
「そうだ。犯罪者同士の連帯ほど強いものはない。
おまえのしつこい暴露によって、おれとハルヒとの間に強い一体感が生まれた。
特に最後の、部室でのハルヒの描写によって、おれもハルヒもさっきまでの険悪さなどかなぐり捨てて仲間にならなきゃならないと感じた。
それであいつはおれの言うことに素直に従った。
すべて、おまえのおかげだ。」
「つまり……、今日のわたしは、あなたが涼宮ハルヒを守るための…道具?」
「道具なんかじゃねえ……。おまえはハルヒの機嫌を取るための……」
 
「捨石だ!」
 
「おれはおまえが傷つくのを承知で、おまえの名前を呼んでいないと言った。
おまえが傷つくのを承知で、おまえに『黙ってろ』と言った。
おまえが傷つくのを承知で、わざと仲間外れにし、ハルヒとの間に連帯感を作り出した。
おまえが傷つくのを承知で、射線上におまえを放り込んだ!」
「どうして……?」
「聞きたいか?」
「聞きたい。」
「さっき権力がどうとかっていう話をしたが……、最近中東で権力者の交代が相次いでいるのは何故だと思う?」
「圧政を敷いていたから。」
「そうだ。権力には基盤が必要だ。権力があるとは、それを支持する者がいるということだ。
頼朝が天下を取れたのは武士たちの支持があったからだ。
家康が天下を取れたのは旗本と譜代大名の支持と、外征をいやがった外様大名たちの消極的な支持があったからだ。
明治維新が成功したのは、幕藩体制では西洋からの侵略に耐えられないという人々の支持があったからだ。
ヒトラーが権力を掌握できたのは、ヴェルサイユ体制によって呻吟するドイツの民衆の支持があったからだ。
昭和初期に軍部が独走できたのは、日中戦争の、首都を占領しただけの勝利に酔った国民の支持があったからだ。
権力者は決して民衆が本気で嫌がることはできない。
そんなことをすれば遅かれ早かれ権力者はその地位から追放される。
たった一人の権力者はけっして多数の民衆には勝てない。
民主主義体制ではそれがはっきりしているが、たとえデモクラシーの手続きを踏まなくても同じことが起きる。
ならば、おまえとハルヒがなぜおれに忠実なのかわかるか?
ハルヒは本当におれに忠実なんだろうか?」
「涼宮ハルヒは、『来るな』という命令には従わず、『来い』という命令には従った。
『忘れろ』という命令には従わず、『忘れるな』という命令には従った。
『泣くな』という命令には従わなかった。
彼女はあの時、泣きたかった。」
「あいつはおれが命令しようが懇願しようが土下座しようが、やりたいことはやるしやりたくないことはやらないやつだ。
おれはギリギリのところで、あいつがやりたいことをやれと言ったに過ぎない。」
「あなたは彼女が何をしたいのかわかっているのにも関わらず、なかなかそれを命令しない。命令すれば責任が発生する。責任を取りたくない。」
「それは別の話だ。あいつはあの時雪が降ってきたと信じたわけじゃない。
あいつが信じさえすれば叶うんだったら、ドアに頭をぶつけるはずがない。
チェーンが外れていると信じていたはずだからな。
信じるのではなく、別の心の動きが必要だった。」
「涼宮ハルヒはあの時、あなたがわたしの名前を呼んだのではないと……、」
 
「望んだだけだ。」
 
「おれはあいつの望みを叶えてやったに過ぎない。だから雪を降らせた。そしてそれはおまえに対しても同じだ。なぜ今日おれはおまえに捨石にしたのか。ここまで言えばわかるだろう。」
 
「わたしが望んだから。」
 
「そうだ。おまえはおれとハルヒの秘密をしつこく暴露した。
おれはそれを利用して、ハルヒとの共犯者としての連帯を強めていった。
そうなっていくことをおまえは望んだ。
だけどおれがこんな望みを叶えてやるのは今日限りだ。おまえは長門だ。綾波じゃない。」
「アニメーション?」
「そっちじゃない。
おれは綾波オタクではない。
おれはニジコンじゃない。
ぺったんこな存在しか愛せないわけじゃない。」
「ぺっ、たん、こ?」
「おまえのことじゃない。」
「わたしはぺったんこではない。
三次元的な厚みを持っている。」
だまれ洗濯板。
「…………聞こえた。」
まずい。こいつにつぶやき声が聞こえないはずがなかった。
「何の話だ…。」
ガン!
いでえ…。こいつ……、また本のカドで殴りやがったな。
どっからそんなものを出した、っていうツッコミは無意味だ。
「あなたをぶっ叩きたい。命令を。」
「もう殴ったじゃねえか。」
「一発とは言ってない。」
おい、頭頂部がジンジン言ってるんだが。
「命令を。」
「………。」
「命令を。」
「………。」
「命令を。」
「………。」
こいつ、殴らせないと先を聞かないつもりだな。
くそ。
「やれ!」
ガン!
また泣きそうだ。
「とにかくその綾波じゃない。」
 
駆逐艦、綾波。
第三次ソロモン海戦において、駆逐艦四隻、戦艦二隻のアメリカ艦隊に単艦で突入。
5000Mまで間合いを詰めて主砲発射。初弾を敵三番艦、駆逐艦プレストンに命中させる。
プレストンに火災が発生。一番艦の駆逐艦、ウォーク・ベンハムにも主砲を斉射。これにも火災を発生させた。
しかし後方の戦艦サウスダコタ・ワシントン他からの火線が綾波に集中。
とうとう魚雷発射管の周囲で火災が発生してしまう。
だが沈没するまでにはまだ時間がある。。
残る二基六門の発射管を旋回させ魚雷発射。
放たれた酸素魚雷はウォーク・ベンハムの艦体を真っ二つにして轟沈させる。
砲撃によって火災が生じていたブレストンも沈没。
残る駆逐艦グヴインを中破させ、艦隊から落伍させる。
一隻で駆逐艦四隻を撃退し、戦艦サウスダコタの電気系統を断ち切り砲戦不能に陥らせたものの、艦長佐間英邇中佐は総員退艦を命令。
無人となった綾波は魚雷に火が廻りついに誘爆、爆発後ガ島沖の波間に姿を消していった……。
 
「おまえは自らを犠牲にして海戦を戦術的勝利に導いた被害担当艦であるよりも、世界最強の不沈艦であることがふさわしい…。
だからもうこんなことをするな。
おまえはハルヒの秘密を徹底して暴露した。
明日からハルヒとの付き合いに差しさわりが出るんじゃないのか?」
「あなたの浮気相手は朝比奈みくるであるにもかかわらず、
涼宮ハルヒは部室の一番奥、つまりわたしの定位置の直前であなたの背中に抱きつき、両脚で胴を挟み付けていた。
それによってあなたは発情していた。」
発情って…、おれは動物じゃねえ。
「涼宮ハルヒは足とあなたの脇腹だけを使って器用に片方の上靴を脱ぎ、
足の裏であなたが発情していることを確認した。
わたしの方をちらりと見た。
わたしが睨んでいることに気が付いた。
涼宮ハルヒはあなたへの一方的な抱擁を解除し、あなたの背中の上で安座し、腕組みをした。
姿勢を高くしてもう一度わたしを見下ろしながら、勝ち誇ったようにニヤリと笑った。
あの屈辱は忘れられない。
いつか必ずあなたの前で恥をかかせてやろうと心に決めた。」
……怖い話だ。
おまえ子供のくせにそんなこと考えてたのか。
店長さんが口を挟んだ。
「何を言ってるの。
女は生まれた時から女。
灰になるまで女なのよ。
幼いからってナメちゃいけないわ。」
おれのことはともかくとして、おまえとハルヒの今後の関係だよ。
「だいじょうぶ。彼女は今満更でもない。」
「恥をかかされて満更じゃないってどういうことだ。」
「あなたと同じ立場に立てたから。」
「おれと一緒に恥をかいただけじゃねえか。」
「涼宮ハルヒは、たった一人で日なたにいるより、闇の中でもあなたといたい。
あの五月の日と同じように…、God knows。」
「あいつはおれのために歌ったわけじゃないと言ってたぜ。」
「わざわざそんなことを聞いたの?」
店長さんに答えた。
「聞きもしないのに言ってました。」
わかりきってるっつーの。
「君にそう聞いてほしかったのかもね。」
「否定しか返ってこない質問なんかしても時間の無駄です。」
「君は時間を大事にしないわね。」
俺が返答できないでいると、長門が言った。
「あれは涼宮ハルヒが能力を使って、他人が作った詞という形を借り、あなたに歌を通して自分の心を訴えたとも解釈できる。」
「今の俺の気分はどちらかというと、もうひとつの曲のほうだ。」
「あなたの言葉には少しうそがあった。」
「サビの詞だよ。」
 
「大好きな人が遠い。
遠すぎて悲しくなる…。」
 
長門が歌うようにつぶやいた。
おまえ、そんな声が出せたんだな。
「あなたの大好きな人はもうすぐここにやってくる。
彼女がここに来る理由は一つしかない。」
 
「あなたが、ここにいる。」
 
「違うな。」
驚くほど自嘲的な声が出た。
「あいつは買い物に来るんだよ。」
「買い物、とは。」
「買い物っていうのはな、欲しい物を買うことだ。」
「この店ではあなたが売っているのか。」
「ここは洋服屋であってデートスポットでも養豚場でもない。
おれは家畜でも商品でもない。
だいいち需要がなければ商品として成立しない。」
「わたしが買う。いくら?」
おまえな…。
「ジョーク。」
発情だの買うだの…、おれは動物じゃねえって言ってるだろ。
「話の本題はそこではない。
それよりも、なぜわたしが捨石になろうとしていたことがわかったのか。」
「一人称だ。」
「…そんなことは意識していなかった。」
「おまえはいつも自分のことを『わたし』と呼ぶ。
しかし二度目に電話した時には自分のことをいつの間にか『あたし』と呼んでいた。
この時おまえは自分が女であることをおれに対して強調していると思った。
しかしおまえの一人称は『わたし』に戻った。
自分が女であることを凍結しようとしていると思った。
そうししてでも自分が犠牲になろうとしていると思った。」
「そのきっかけが何だったのかあなたはわかっているのか。」
「……わからん。」
「『これを自分だけのものにしたくはないの?』」
「そんなこと言ってたな。」
「彼女があなたをからかってくる怖れがあったとあなたは言ったが、韜晦にすぎない。」
「どういうことだ。」
「このような大事な場面で、彼女が嘘をつくはずがない。」
「だから嘘っていう言い方は…。」
「そんなことをすればあなたの信頼を永遠に失うことになる。
信頼を失うとは、あなたを失うことと同義。
それは涼宮ハルヒにとって嘔吐するほどに恐ろしいこと。」
「嘔吐云々はさっき聞いたばかりだけどな。」
「あの時涼宮ハルヒが相当な覚悟を決めていたとあなたも感じ取っていたはず。
しかしあなたはあの告白を受け取ることを躊躇した。
それを受け取るにはどうしても気がかりなことがあった。」
 
「わたしの存在。」
 
「…………。」
「あなたは自分にはどんなに嘘をついても、決してわたしには嘘をつかない。」
「…………。」
「あなたはわたしが同室しているが故に涼宮ハルヒに返事を与えることをためらった。」
「…………。」
「沈黙は肯定。」
「…………。」
「あの時わたしは覚悟を決めた。もちろん彼女も覚悟を決めた。
あなただけが覚悟を決めていなかった。」
「うるせえ!」
「ここで涼宮ハルヒに肯定の返事をすればわたしを傷つけると思った。」
「黙れ!」
「…………………………………………………………………………。」
こいつ……、本当にぴたりと黙りやがったな。
「…………………………………………………………………………。」
なんだか後方から殺気じみた気配を感じるぞ…。
「…………………………………………………………………………。」
くそ…。
「命令解除だ! 言いたいことを言え!」
「迷惑。」
てめえ…。
「言いたいことを言えという命令を遵守する。」
この野郎…。
「訂正を要求する。わたしは野郎ではない。
あなたが長門有希と認めているからわたしは長門有希。
あなたが人間と認めているからわたしは人間。
あなたが女だと認めているからわたしは女。」
この……、くそ女…。
「それでいい。バカだろうがくそだろうが女は女。」
「女がくそとか言うんじゃねえ。」
「あなたは以前この言葉をわたしに口に出させた。」
「あれは、そういう意味じゃねえだろ。」
「あなたは、涼宮ハルヒのような美少女に下品な言葉を口に出させることに倒錯的な快感を得ている。
それを敏感に感じ取った彼女はあなたに対して何度も卑猥な言葉を口にした。」
「変態かおれは!」
「恥ずかしさに耐えてそんな言葉をくりかえした彼女に対する褒美が、『涼宮』呼ばわり。」
「なんかおれが一方的に悪いみたいじゃねえか。」
「そう、迷惑。」
迷惑って…、さっきの話か。
「あの状況では、わたしが傷つくか、涼宮ハルヒが傷つくか、どちらかしかなかった。
当然そのことは二人とも覚悟を決めていた。
しかしあなたは無理やり第三の道を作ってしまった。
自分自身を傷つけるという道。
自分が臆病であるということにしておけば、わたしも彼女も傷つけずにすむと考えた。
大事なことだから三回言う。
迷惑!」
おまえ叫べたのか。
「あなたが傷つくことを代償とした尊厳などほしいと思ったことなど一秒もない!
わたしも!
涼宮ハルヒも!
あなたは自分を貶めることによって相対的にわたしたちの尊厳を高めようとした。
そんな尊厳など与えられて喜ぶ女がいるか!」
複雑な表情をしている客がいるぞ。
「それは、おまえの価値観だ!」
「違う。わたしたち二人の価値観。
なぜそんなことをする!
あなたが傷つけばわたしは痛い!
涼宮ハルヒも痛い!
なぜこんな最低のやり方でわたしたちを痛めつける!
さらに言えばあなたはここにいる店員と女性客たちも利用した。」
利用ねえ…。
「あなたは役に立つと思えば何でも使う。
涼宮ハルヒを自分の部屋に入れるために大嫌いな夏休みの宿題まで利用した。」
「おれはあいつには来なくてもいいって言ったぜ。」
「あんな言い方をすれば来るに決まっている。」
店長さんに話しかけてみた。
「あいつだけ入れたわけじゃありませんよ。
こいつも、朝比奈さんも、ついでに古泉も呼びました。」
「あれだけ臆病な子が、ひとりで君の部屋に入れるわけがないでしょう?」
「何にもしませんよ。」
何かしたら命がない。
「それを恐れたのよ。」
やっぱりこの人の言うことはよくわからない。
「話をそらさないでほしい。わたしの話がまだ終わっていない。
涼宮ハルヒはともかく、わたしが電話による通話がこの店にいる全ての人間に筒抜けになっているのを理解していることをあなたは知っていた。
だから自分が傷つけられ、蔑まれるように会話を誘導し、展開し、拡大した。
それを聞かせることによってわたしの機嫌を取ろうとした!」
「誘導も拡大もしていない。おまえにはピンと来ないかもしれないが、女は女の味方をするものだ。」
「納得がいかない。」
「男は生まれたときから男、
女は生まれたときから女だ。
貧乏人が金持ちになったり、金持ちが貧乏人になったりするように、
男が女になったり、女が男になったりすることはない。」
オカマというのは女になった男のことではない。
オカマは生まれながらにして女だ。
「男と女の間に中間階級というものはない。
誰かに比べたら金持ちだけど誰かに比べたら貧乏人という相対的な関係ではない。
この世には男と女しかいねえんだ。
性差っていうのは絶対的なものだ。
女は女の味方をするものなんだ。
わかるか? 帰属意識って奴だ。
女は女というグループに帰属していることを男以上に意識している。」
被差別意識が女を余計にそうさせる。
「わたしの人生経験から見てそれは違うと思う。」
おまえの人生経験って、四年足らず…、待機期間を除けば十か月じゃねえかよ。
「女は女に厳しく、男に甘い。
男は男に厳しく、女に甘い。」
客たちはちょっと首を傾げている。
店員たちが店長をちらりと見て、見返されてあわてて視線を外している。
「あなたと涼宮ハルヒを見ていればそういう結論しか出ない。」
おれがハルヒやおまえや朝比奈さんに比べて、古泉を邪険に扱っているというのは認めざるを得ないがな。
古泉か…。
犠牲といえばあいつほどの犠牲者はいない。
いきなり変な力を与えられたのはハルヒも古泉も同じだ。
しかし無自覚だが、ハルヒにとってその力が必要だったことは確かだ。
ずっと気になっていたことがある。
地球人として生まれたからには宇宙人になることはできない。
現代人として生まれたからには未来人になることはできない。
あいつが宇宙人や未来人になるのではなく、そういう人たちと会いたいとだけ願ったのは理解できる。
だけど超能力者は?
超能力者に会うよりも、自分が超能力者になることを願ってもおかしくはない。
何をもって超能力と言うかは曖昧だが(そりゃそうだろう。ほとんどの人はそんなもの見たことなんかないんだから)、
異能の力を超能力と呼ぶなら、ハルヒの能力がまさしくそれとも言える。
あいつはあの力を得ることを望んだんじゃないか?
あの力があったからこそハルヒは、長門有希、朝比奈みくる、古泉一樹を呼びよせることができた。
孤独から抜け出すことができた。
だけど古泉は?
ハルヒによって力を与えられたと言っても、あいつの精神世界を宥めるためにしか役に立たない。
与えられたのは、力というより仕事だ。
バイトと言っているが、本当に金を貰ってるんだろうか。
十二月のあの世界でのあいつはハルヒのことが好きだと言っていた。
長門が人の心まで変えてしまうとは考えられない。
あの世界ではひどい電波人間でしかなかった俺を、ハルヒだけは信じた。
今のあいつが俺を信じているように。
しかしそれは長門自身のおかげだ。
「わたしはここにいる。」
そして朝比奈さんはおれのことを虫を見るような目で見ていた。
当然だ。
いきなり手をつかまれ、さんざん電波なことを喚かれて、しまいには胸のホクロを見せてくれとか言われたんだからな。
あの世界での朝比奈さんがおれを見る目が、この世界での朝比奈さんと違っていてもおかしくない。
つまり、あの世界で古泉がハルヒのことを好きだったからといって、この世界での古泉の気持ちを推量するための何の材料にもならない。
あの世界で古泉がハルヒを好きだったからこの世界でも同じだと考えるなら、朝比奈さんはこの世界でもおれに対しておびえ以外の感情を持っていないと考えないと矛盾する。
いくらなんでもそれはおかしい。
第一印象によってその人間の評価が決まってしまうのはよくあることだ。これは長門が心を変えたとか変えないとかいうのとは別次元の問題だろう。
あの世界での古泉は、転校したばかりですっげー美人に声をかけられた。
好意を持ってもおかしくない。
だけど、この世界のあいつは?
ハルヒのせいでいきなり変な仕事をさせられることになり、自分と同じ年齢の女の子を神と崇めさせられ、転校させられたあげく同級生に馬鹿丁寧に接するように強制された。
この世界での古泉がハルヒを好きなのかどうかはわからない。
そんなことはいくら考えてもわからない。
あいつの口からそのことを直接聞かされたとしても、きっとわからないだろう。
だけど、もしあいつがハルヒのことを好きでなかったら、あいつは本当に人身御供になっちまう。
生贄だ、荒ぶる神の。
いや、やっぱりこんなことを考えるのはやめよう。
憎んでいようが好意を持っていようが恋していようが、あいつが人柱であることは変わらない。
明日会ったら自販機のコーヒーでも奢ってやろう。
やれやれ。
「おれはそうかもしれないが、あいつは違うだろ。」
さんざん雑用としてこき使ってくれてるし。
「涼宮ハルヒは、他の誰に対してよりもあなたに甘い。」
あのな、あいつの俺に対する扱いとおまえらでは、あきらかにおまえらの方が優遇されているだろうが。
「涼宮ハルヒは朝比奈みくるに対してカエルになることを強制した。」
夏休みのバイトでは全員カエルになったな。
「全員そうなっているのと彼女一人とでは朝比奈みくるの受ける精神的外傷の度合いは著しく違う。」
部室の中だけだったぞ。
「同じこと。朝比奈みくるにとっては全校生徒の前でカエルの着ぐるみを着ているのも、部室の中でそうさせられるのも同じ程度に屈辱。」
「そんなことはねえだろ。」
「あなたがそこにいた。」
意味がわからん。
「おれはおまえの足しか見てないぞ。」
「あなたと同じ部屋で自分だけそのような姿でいるだけでも彼女にとっては耐え難いこと。
女は好きな男性と一緒に裸になって横臥の姿勢を取ることを屈辱とは考えない。
しかし相手が衣服を着ていながら自分だけ裸になって立たされることには耐えられない。」
なんかいろいろツッコミどころはあるが、とりあえずハルヒは朝比奈さんを俺よりも一日早く放免したぞ。
「涼宮ハルヒはあなたと朝比奈みくるに共犯者じみた連帯感が生じていることに気が付いた。それに嫉妬したゆえ。」
「あのな、おれはイスにされてたんだぞ!」
「なぜ浮気の罰が好きな女に体を押しつけられることなのか、わたしには理解できない。
もしあれが罰だというなら、こんなに甘い罰など世界中探しても無い。」
「ぐ………。」
「あの時のあなたの顔は、罰を受けているような表情ではなかった。
なぜあれが罰なのか。」
だからいろいろとな、持て余すんだよ。
「あなたは、負ける。」
何だいきなり。
「あなたが涼宮ハルヒに勝てるわけがない。」
さっきからそう言っているだろうが。
「あなたは襲ったら負けだと思っている。
彼女は襲わせたら勝ちだと思っている。」
何の勝負だ。
「現に、一度負けている。
あなたは負けたことを無かったことにしているが。」
何の勝負だか知らんがもう負けなきゃいいだけだ。
「あなたが負けないでいたら、いずれ涼宮ハルヒに襲われることになる。
あなたは彼女に暴力によって犯される。
あなたは女に無抵抗で犯されたことがトラウマとなり、女性を受け入れられなくなる。
次に優しくされたことによって、彼女だけは受け入れることができるようになる。
あなたは彼女の体なしでは生きられなくなる。」
「おいっ!」
「ジョーク」
「悪質だ!」
「とも言えない。」
だから悪質だぞ…。
「あなたは勿論、今は涼宮ハルヒも同性異性を問わず、年齢相応の節度と分別を持ってつきあっている。
しかしお互いに対しては違う。
まるで駄々っ子。
お互いに対してならどんなに甘えてもいいと思っている。
涼宮ハルヒは、あなたならどんな要求をしても叶えてくれると思っている。
そして彼女は、あなたから要求されたなら、どんなことでも叶えようとするだろう。」
「長門さん…、これは女が男に甘くて男が女に甘いとかそういう一般論じゃなくてね、仲のいいカップルなんてみんなそんなもんよ。」
「違うな。」
「何なの君、いまさらカップルじゃないとかそういう言い訳は聞かないわよ。」
「おれはあいつの懇願を無視したことがある!」
叫んだ。
「五月のあの日、あいつはおれに何を要求していたかを知っているだろう。
あの時あいつはおれに、一緒に世界を捨てて欲しかったんだ!
おれが『嫌だ』と言った時のあいつの顔…。
落胆というか失望というか、そんな月並みな言葉では言い表せない。
口下手で語彙が少なくてすまんが。
なんていうか、絶対的に信頼していた者に裏切られたかのような…。
だけど俺はどうしてもあいつと一緒に世界を捨ててやれなかった。
この世界とあいつを比べて、世界に価値があると選んだわけじゃねえ。
それだったらまだ救われる。
そうでさえない。
ただ…、怖かっただけだ!
おれはこの世界を捨てるのが怖かった!
おまえはアレをあいつに言う事を聞かせるためだと言っていたが、それだけじゃねえ、贖罪なんだよ。
おれはあのハルヒの顔を見た時、あいつの願いならなんでも聞いてやろうと思った。
キスだろうが土下座だろうが雑用だろうが罰ゲームだろうが何でもしてやろうと思った。
おまえらはおれがあいつに世界を取り戻させたと言うが、あいつがほしかったのはそんなものじゃない。
大体からして、おまえはおれがあいつに世界をやったとか世界そのものだとか言うが、おれがやったのはそんなに大層なものじゃねえ。
おれがあいつにやったのは、世界がそこにある意味だとか、生きている面白さだとか、高めに見積もってもその程度のもんだ。」
 
視線をずらしてマネキンが着ているセーターの値札を見てみた。
こっちの方が高そうだ。
 
「もっとありふれたもんだ。
そこらへんにゴロゴロしているものだ!
だけど、もしおまえらが言う通りそれが世界だったとしたら、
あいつは今日、世界を捨てようとしていた。
今日はおれを巻き込まずに一人で世界を捨てようとした。
だけど、おれは今日、あいつに世界を捨てさせてやれなかった。
どうしてもそれだけはできなかった!
おまえらは変わった。
もうあの五月のハルヒじゃない。
もうあの十二月のおまえじゃない。
それが成長なのかただの変化なのか、おれみたいなガキにはわからねえが、変わったことだけは確かだ。
おれだけが変わっていない。
おれは五月のあの日、あいつが世界を捨てるのをやめさせた。
今日、全くおんなじことをした!
あいつの願いならどんなことでも叶えてやろうと思ったのに!
しかも今のおれは、これからそれができるという見込みが全くない。
どうしたら、あいつの願いを叶えてやれるんだ!
暗中模索、というより五里霧中だ。
長門、こんなおれを軽べ」
「否定の答えを期待しての質問なら涼宮ハルヒにするがよい。
わたしはそんなに暇ではない。
やらなければならないことがある。」
そうかよ、くそ。
「手……、左手。」
手を出せっていう事か。
時計を外して机に置く。
顔をまっすぐに向けたまま左手を後ろに出した。
音もなく長門が前に出ているのが気配でわかる。
目の端にブルーの髪が揺れているのが見えた。
両膝を床につけて、背筋を真っ直ぐに伸ばしている。
おれの手を両腕で支えた。
「おい、そんな風に持つな。おれの手は赤ん坊じゃねえ。」
いつかの感触。
甘噛み。
それがどんどん強くなっていく……。
「いてぇ! おい、いつもはそんな風に噛まねえだろうが!」
「………。」
返事は無い。
当たり前だが。口がふさがっている。
「おいっ、本気で噛むな、痛てえって!
もうおまえにこんな話はしないから離せ!」
「………。」
「誰にもこんな話はしないから離せ!」
「………。」
長門の歯が手首にぐいぐい食い込んでくる。
また泣きそうだ。
「もう二度とこんなことを考えないから離せ!」
痛みがスッと消えた。
ようやく離しやがったな。
長門が後ろに下がった。
おれは泣いていた。
「今のは…。」
店長さんが俺にとも長門にともなく聞いた。
「あなたが発狂しかけたので必要な処置を施した。
女に世界を捨てさせなかったのを悔やむなど、
まして捨てさせられるように努力しようとするなど、
正気の沙汰ではない。」
「言い過ぎだ!」
「ちっとも言い過ぎじゃないわよ!
自己陶酔もいいけどね、周りを不愉快にさせないでちょうだい!」
「どこの時空間に女が世界を捨てるのを許す男がいる。
そんな男などいない。
どこにもいない。」
そりゃまあ、勿体ないからな。
「それを許す男がもしいたら、わたしの前に連れてきなさい!
男じゃいられなくしてやるわ!」
「あなたは涼宮ハルヒに世界を捨てさせたりしない。
絶対にそんなことを許したりしない。
それを阻止するためならどんな卑怯な手段でも取る。
あなたとは、そういう生き物。」
おれを褒めてるのか腐してるのか。
「どちらでもない。
ありのままを表現しただけ。」
「さっき注入したのはなんだ。」
ナノマシンじゃねえだろ。
「情報。」
「おまえがキレているっていう情報を注入したのか。」
「キレた。」
「キレるな。」
「もう一つ聞きたいことがある。
あなたはさっきあのキスが言う事を聞かせるためであると同時に贖罪の意味を持つと言っていた。
本当にそれだけなのか。」
「それを聞いたらまたおまえはキレるぞ。」
「わたしは今、猛烈にキレたい気分。」
まだ怒ってるのか。
「少しだけ!」
少しだけっていう声じゃねえぞ。
「さっき言ったろう、人間はギリギリまで追い詰められたら、やりたいことはやるし、やりたくないことはやらないものだ。」
「回りくどい。」
おまえに言われたくねえぞ。
「おれの利己主義の発現だ。」
「もっと直截的に。」
やれやれ。おれはやっぱりこいつには嘘をつけないらしい。
「贖罪だのなんだのっていうのは…、
ただおまえの前でカッコつけたくて言っただけかもしれん。
要するにおれは…、やりたいことをやっただけだ。」
「………合格。」
「キレないのか。」
「今の回答以外の答えだったらキレていた。」
女どもが強く頷いた。
そういうもんなのか?
「もし違う返答をしていたら…、わたしがあなたに罰を与えた。
涼宮ハルヒはあなたに甘い。
どうしようもなく甘い。
さっきと違う答えをしていたら、あなたにはわたしからのきついお仕置きが必要。」
「おまえだっておれに甘いじゃねえかよ。」
「………。」
しまった。これは言ってはいけないことだったのか?
「話をもどせ。」
「そう、あなたが自分を犠牲にしてわたしたちの機嫌を取ろうとしたこと。」
そこまでもどるのか?
「言いたいことを全て言えという命令を遵守している。」
この野…
「この、や?」
う…、さっきもこんなことがあったな。
や、薬缶?
なんのことやらわからん。
夜間飛行?
サン・デグジュベリから離れよう。
山、川…。
赤穂浪士か?。
「この、や?」
「や、や、や、………………やんでれ?」
「ヤンデレって何?」
「すまん。忘れてくれ。ただの妄言だ!」
「あなたがヤンデレと認めたならわたしはヤンデレになる。
ちょっと階段の上まで来てほしい。」
「おいっ!」
「ジョーク。」
おまえの今日のジョークはタチが悪いぞ…。
「それともかく、あなたが自分を犠牲にすることがわたしたちにとってひどく迷惑なことはさっき話した。
あなたが自分を貶めればわたしたちの機嫌を取れると考えていると知って…」
 
「あたしは拗ねた!」
 
「自分のために誰かが犠牲になろうとしているということがどんなに辛いのか、あなたに思い知らせてやりたかった。
そんなことは誰も望んでいない。
わたしも涼宮ハルヒもたとえ傷ついてもいいからあなたの結論を聞きたかった。」
「あのな、あいつはおれに『時間を巻き戻せ』と言われても巻き戻さなかったぞ。」
巻き戻せばすんだはずだ。
巻き戻したくなかったってことか。
「涼宮ハルヒは『走れ』という命令には従った。」
なんか走りたくなったんじゃねえのか。
女ども、いちいち睨むんじゃねえ。
「あなたが自分が臆病だということでこの場を収めるという方針を明らかにした以上は、わたしたちはそれに合わせるしかない。彼女はのどから手が出るほど巻き戻したくても、そうするほかない。
いみじくも彼女自身がそう言っていた。
『あなたのことだから何度巻き戻しても、同じことをするだろう。』」
「だけどその後のおまえらの態度は随分フラフラしていたぜ。」
夏合宿の夜のことを武器にすると言ってみたり、冗談だと言ってみたり…。
おまえはおまえで、ハルヒとおれに連帯感を植え付けようとしてみたかと思うと、なんだかおれに責任を取らせるとか言ってたな。
「あなたが決断すればわたしたちは従う。
あなたが迷えばわたしは迷う。
涼宮ハルヒも迷う。
涼宮ハルヒは嫉妬深く、疑り深く、独占欲が強く、悋気病みで、妬み深く、重度のやきもち焼き。」
語彙が豊富なのはわかったが、ほとんど同じことを言ってるぞ。
疑り深いというのだけはちょっと違うか。
「その彼女の前であなたがわたしに眼鏡をかけさせ、外させれば大騒ぎになることは誰にでもわかること。」
まあ、騒ぎにはなったな。
「あなたがリスクを承知でそんなことをしたのは、その後わたしも聞いているのに『わたしの名前を呼んだのではない』と彼女に言わなければならないため、あらかじめわたしの機嫌を取っておく必要があったから。
あなたは彼女とわたしの機嫌を取ることを会話が一巡するごとに繰り返していた。
何がシュリ―フェン作戦。
あなたの今日のふるまいはまるでミッドウェー作戦。
爆雷転送を何度でも繰り返す。」
最近は爆雷転送が……
「なかったという説がある。」
やっぱり知ってたか、くそ。
「今のは物のたとえ。
意思の集中、力の集中が全くできていないということの例え。
あなたがふらつけばわたしたちもふらつく。
やはり涼宮ハルヒとわたしは似ている。
しかも彼女よりもわたしの方があなたの護衛には適任。
彼女の力であなたを守らせることは…、不可能ではないが、
その力を発揮させるためには相当煩雑な手続きが必要。
わたしの方が必ずあなたの役に立つ。」
そこに戻ってくるのか。
「確かにおまえは便利な奴だ。」
「わたしに比べて涼宮ハルヒは用途を考えると使い勝手が悪すぎる。」
「役に立つっていうことと必要だっていうことは違う。
『役に立つから必要』とは言うが、『必要だから役に立つ』とは言わねえ。
たしかに同じモノを指して両方の言葉を使うことはあるが、
概念としては全く別のものだ。」
「どちらにしろわたしたちは似ている。
わたしが彼女のバックアップになれてもおかしくない。」
やっぱりそこまでもどってくるのか。やれやれ。
「似ていればバックアップになれるっておまえは言うが、おまえと朝倉はちっとも似てねえ。」
「彼女とわたしのキャラクターの違いは任務内容の違いによる性格設定の相違にすぎない。
わたしは観測者。
彼女は観測だけでなく対象への能動的な働きかけをするという任務を負っていた。」
「名前が違う。」
「わたしたちにとって名前とは、個体識別の符丁に過ぎない。」
そうじゃねえだろ。だったら呼び名にそんなにこだわるわけがねえ。
「あいつのパーソナルネームは?」
「朝倉涼子。」
「名前っていうのは両親からの最初の贈り物だ。あいつの『涼』っていう名前はハルヒの名字からとったんだろうな。なんだか記号的な感じがする。
『朝倉』っていう名字は、織田信長に滅ぼされた大名の姓だ。しかもその最後の当主朝倉義景は、首をとられただけでなく、信長によって髑髏杯にまでされてしまった。
あまり名乗りたくない苗字じゃないか?
もう一度おまえのパーソナルネームを言ってみろ。」
「長門有希。」
「おまえの名字、長門は世界最強の不沈艦の名だ。
そして有希。
希みが有る。
いかにも人間の親がつけそうな名前だ。
おれは、朝倉よりおまえの方が親に愛されているような気がする。」
「彼女とわたしでは派閥が違う。
同じ親だと考えることは困難。」
「なら主流派がおまえが親だと考えてもいい。
予定調和説って知ってるか?」
「キリスト教神学の根本。
人間の生まれてからのすべての行動、心の働きでさえも天地創造の日に決まっているという考え。
人生とは完結した小説のようなものであり、本人はこれから起きることは知らなくても、作者である神はあらかじめ全てを知っている。
神が全知全能であるとはそのこと。
故に救済されて神の国の住人になることができるのは神の一方的な選別によるものであり、人間の努力とは関係ない。
小説の登場人物が幸福になれたのは本人の努力によるものではなく、作者の恣意でしかないように。
小説の登場人物が不幸になったのは本人の間違いからではなく、作者の一方的な都合でしかないように。
人間は生まれた者ではない。世界で生まれた者とは神の子にして神そのもの、イエス・キリストただ一人。
人間は神によって造られた者でしかない。
小説の登場人物が例え劇中に両親がいたとしても、作者によって造られた者でしかないように。
善行をなした者が救われるなどと考えるのは、涜神でしかない。
神は人間社会の道徳による善悪などとは超越したところにある。
その善行でさえ、あるいは祈りでさえ個体の自由意思によるものではなく、神の作為によるものでしかない。
だからたとえ祈ったとしても神がその人を救うとは限らない。
祈れば、善行をすればその人を救わなければならないのなら、神は人間の奴隷に成り下がってしまう。
祈っても、神はその人を救うかもしれない、救わないかもしれない。
それでも人は神に祈らなければならない。
自らの救済のためではない。
ただ、神の栄光を讃えるために。
人のためではなく、神のための宗教。」
「最後の一行だけは違うな。
神のための宗教なんてものはないんだよ。
死んだ人のための宗教なんてものもない。
全ての宗教は、生きている人間のためのものだ。」
「説明を。」
「因果応報って言うだろ。
善因善果。悪因悪果ってな。
いいことをすればいいことがあり、悪いことをすれば悪いことがある。
だけどそういうことを信じられるのは、古代インドみたいな豊かな社会に生まれた人だけだ。
努力すればそれなりの成果が期待できる社会の中でだけだ。
例えば荒地の真ん中で、羊が子供を産んでくれるのを待つ以外に生活の手段がないとしたら?
エジプトに、ローマに、周辺の大国にいいように攻められて征服され、独立などとても考えられないとしたら?
自分が今不幸なのは自分のせいだなんて信じたがるか?
ヨブ記は知ってるか。」
「旧約聖書の一巻。
ヨブは信仰厚い者であったが、神はしもべの義を試みるためにヨブの全財産を奪った。
それでもヨブは信仰を棄てなかった。
次に神はヨブの全ての子供を殺した。
それでもヨブは信仰を棄てなかった。
最後に神はヨブの健康を奪った。
ついにヨブは神を呪った。
神はヨブの前に姿を現し、自分は神であり汝はその奴隷にしか過ぎないと語った。
ヨブは悔い改めた。」
「そうだ。予定調和説はキリスト教によって完成したものだが、ユダヤ教にその萌芽がある。
人間が信仰しようが善行をしようが、神は救いたい者を救い、救いたくない者は救わない。
荒地の宗教、砂漠の宗教だ。
こんな殺伐としたところでは、不幸なのは自分が悪いなんて誰も考えたくない。
全て神様の思し召しだと思いたいだろう。
神様に全ての責任をおっかぶせちまえばいい。
どうせ不幸なのに変わりがないとしたら、その方が楽になれる。」
 
あの神様はどうなんだろう?
あの神様は古泉に仕事を与えた。
おれに鍵という役割を与えた。
そしておれがあいつのことを好きだという気持ちは、あいつが与えたものなのか、それとも自然に生まれたものなのか?
さっきそんなことを考えたな。
そんなことはあいつに聞いたってわからないだろう。
あいつが神の力を自覚しているとかしていないとかいう問題ではない。
人間は自然の中で最も弱い存在だ。
人間ひとりを殺すために全宇宙が武装するには及ばない。
ほんのわずかな力で宇宙は人間を押しつぶすことができる。
それでも人間は自分を押しつぶす者より尊い。
人間は自分が弱いことを、宇宙が自分よりはるかに強いことを知っている。
宇宙は何も知らない。
しかしあいつはいくら考えても自分が何者かはわからない。
あいつは考える葦ですらない。
あいつは全能であったとしても全知ではない。
たとえあいつが神の力を自覚したとしても、すぐにその能力で記憶からその自覚を削除してしまうに違いない。
それを自覚するのは、あまりにも一人の人間が背負うものとしては重過ぎるから。
普通の人間は世界にがっちりからみ取られている。
だから簡単に世界を捨てることはできない。
しかしあいつは簡単に世界をするりとその手から逃がしてしまう。
それをさせないために用意されたのがおれだとしたら?
そのためにおれに恋という感情を与えたのだとしたら?
だけどそうであったとしても、あいつは決してそれを認めたりしないだろう。
 
「誰かが自分を好きになったとしても、自分が好きにさせたとは誰も考えたくない。
そんなものを一人で背負うのは重過ぎる。
誰だってそうだ。
相手が勝手に好きになったと考えた方が楽だからな。」
店じゅうの女どもがおれをにらんだ。
……今の流れで何でおれが睨まれるんだろうか。
ハルヒのことだぞ。
本気でわからん。
「長門…、なんでおまえまでおれをにらんでるんだ。」
「別に……。」
「話の本題はそこではない。
おまえ、日本神話にも予定説があることを知ってるか?」
「日本の神道においては啓典宗教的な絶対神は存在しない。
原始宗教、アニミズムに近い多神教。
絶対神がいないのに予定説が成立するわけがない。」
「神風神話だ。」
「文永の役においては暴風雨が吹かなかったのではなかったのかという説がある。
弘安の役では元軍は石の防塁と鎌倉武士の奮戦に阻まれて二か月近く上陸できなかった。
長期間九州沖の海の上にいればいつか台風に襲われるのは当然のこと。
暴風雨によって元軍が沈んだのは奇跡ではない。偶然ですらない。
ただの必然。」
「歴史的事実がどうということじゃなくて、それがなぜ神話として成立したかということだ。
亀山上皇をはじめ朝廷は一心に『敵国降伏』を祈り続けた。
祈れば必ず叶えられると信じていた。
何故か?
ヨブはヤハウェと契約していたが、天皇は天照大神と契約などしていない。
当時の日本人は天照大神のみを信仰していたか?
そんなことはない。
当時は朝廷でさえ仏教を厚く信仰していた。
ならばなぜ天照大神は天皇と日本人を守るのか?」
「わからない………。 神とは嫉妬深いもの。」
「天照大神はヤハウェとは違う。」
「わたしが今思い出したのはヤハウェではない。」
「その話は今は置いておこう。
ヨブも他の人間もヤハウェの子ではない。
神の子はイエス・キリストただ一人。
天皇と日本人は全て天照大神の子孫だ。
子孫というのはあくまでも人間側の見方だ。
人間は死んで代が替わっていくが、天には同じ神様がずっといる。
天照大神が地上をずっと見ている時、天皇と日本人はいくら代替わりしても自分の子だとしか思えなかっただろう。
天照大神が日本人を守る理由はただ一つ、自分の子だからだ。
日本人が他の民族よりも良いことをしたからではない。
北条時宗は元の使者を罪人のように斬首した。
こんなことは当時の国際法でも許されることではない。
日本側に非があると言えないこともない。
しかし天照大神にとって理非などどうでもいいことだ。
日本人が天照大神を信仰しているからでさえない。
日本人がいいことをしようが悪いことをしようが、自分を信仰しようが信仰しまいが、そんなことは一切関係ない。
日本人が日本人である限り、天照大神はどんなことをしてでも守る。
理由はただ一つ、我が子だから。
親が我が子を守るのに条件なんか存在しない。
いい子だろうが悪い子だろうが関係ない。
その子が生まれた時から、いや生まれる前から守られるものだと決定している。
予定調和だ。
そこで一つ聞きたいんだが、朝倉の連結解除の申請はすぐに…、3秒後ぐらいに通ったんじゃないのか?」
「そんなことはない。」
そうなのか?
「100万分の7秒後には許可が下りた。」
なんだか誇らしげな声のように聞こえるのは気のせいだろうか。
「天照大神は元軍を暴風雨に遭わせて日本海に叩き込んだ。
親は我が子を殺そうとする者を殺すのに、一瞬でもためらったりはしないんだよ。
おまえが朝倉を消すのに手こずったのは…、おまえの親がためらったからじゃない。
ためらっていたのは…、おまえだ。」
「朝倉涼子はわたしではなく、執拗にあなたを狙った。
とうとう…、我慢ができなかった。」
「朝倉はおまえの操り主が意見を変えるかもしれないなんて言っていたが、
おまえは自分が危機に陥ったら、おまえの親がどんなことでも許すことを知っていた。
だからおれに対してはっきりとこう言い切ることができた。
『あたしがさせない。』」
あのアニメでもそういうシーンがあったな。
「今日の日はさようなら」か。
「朝倉を消す決断をするのに一秒もかけなかったおまえの親だが、おまえの処分をするのにはためらい続けた。
誰でも自分の子を消したくはない。
だけどこのままにするわけにもいかない。
何しろ自分が消されかけたんだからな。
誰でも死にたくはない。
それでもおまえの親は迷い続けた。
ダビデ王でさえ反乱を起こした息子アブサロムに反撃することをためらい続けた。
親は子に殺されかけても反撃できないものなんだ。
三日間もどうするべきか検討していた。
多分処分を撤回する方向に決まりかけていたんだろう。
そんな時おれがおまえの親を脅した。
おれの言葉はおまえの親が踏ん切りをつけるきっかけになったに過ぎない。」
「そんなことはない!
あの時情報統合思念体はわたしを処分しようとしていた!
いまのわたしがあるのは思念体ではなくあなたのおかげ!」
「そうか。」
「そう。」
「くそったれと伝えたか。」
「伝えた。」
「何と言っていた。」
「我々は排泄などしない。」
………なんて言うか、面白みのない奴らだ。
それとも長門に似て負けず嫌いなのか?
というより、長門が親に似てるのか?
おまえの負けず嫌いは親譲りか?
今はそんなことは言わない方が良さそうだな。
「おまえがそう言うんならきっとそうなんだろうな。」
「そう。」
「そうだとしても、向こうはおれのことが大嫌いだろうが、
おれはおまえの親が好きでもないが、嫌いでもないぜ。」
「好きでない理由は?」
「おまえを消そうとしたからだ。」
「嫌いではない理由は?」
当たり前じゃねえか。
 
「おまえをつくってくれたからだよ。」
 
「おまえが今こうしていられるのは、おれがああ言ったからでもあるが、おまえの親のおかげでもある。」
しばらく沈黙していたが、やっと声を出した。
「情報統合思念体は概念のみの存在にすぎない。
あなたや涼宮ハルヒの親とは違う。
情報のみの存在であって実体を持たない。
それを親とするのは単なる比喩にすぎない。」
そう来たか。
「今おれは何を握っている?」
「ボールペン。」
「本当にそうか?」
ボールペンを分解した。
外側のカバーを握った。
「おれは今ボールペンを握っているか?」
「違う。」
「だけどさっきと同じ所を握ってるぜ。」
「分解されてボールペンとしての機能を失えばそれはボールペンではない。」
「そうだ。ボールペンとは実体ではない。字を書くための道具という概念にすぎない。」
分解したボールペンを丁寧に元にもどした。
「おれがおまえの頭の雪を払った時のことを覚えているか。」
「当然。
あなたはわたしの髪を撫でてくれた。
コートを着せてくれた。
フードをかぶせてくれた。
手を取ってくれた。
だけど腰だけは逃げていた。」
「そういうことじゃない。
あの時おれはおまえの頭に触っていた。
なぜならおまえの頭に触れていたのはおれの手だから。
だけどおまえがおれの手を体から連結解除したとしたら」
「そんなことは絶対にしない。」
「だから仮に」
「仮にでもしない。」
「だったら他の誰かがおれの手を」
「あたしがさせない。」
「とにかく仮にだ!
おれの手が体から離れたらおれはおまえに触っているということになるのか?
違うな。
おれの体から離れた手はもうおれじゃないからだ。
なら肘が触ったらおれが触ってることになるのか?
体についていたらそうだろうな。
だけど肘を切り離したら?
その肘はもうおれじゃない。
だったら上腕か?
切り離されたらおれじゃない。
肩か?
切り離されたら違う。
こんな風にどんどん輪切りにしていってもおれはどこにもいない。
おれという実体はどこにもない。
おれの親だってそうだ。
概念のみの存在でしかない。」
「詭弁。」
「そうだ、詭弁だ。
おれはここにいる。
だけどなぜおまえにおれがここにいるとわかる?
おれの姿が見えるからか?
おれの声が聞こえるからか?」
「あなたの匂いがする。」
こいつだったらにおいで誰か嗅ぎ分けられてもおかしくないな。
「だけど何故それでおれがいると断言できる。
おれの姿が見えて、
おれの声が聞こえて、
おれのにおいがするだけかもしれないじゃねえか。
もしかしたらおれはいないかもしれない。
おまえはおれがいるという情報を伝達されているだけかもしれない。」
「詭弁。」
「詭弁ではない。
誰でもそういう体験をしたことがある。
夢だ。」
しまった。
こいつは夢を見るのだろうか。
人間が夢を見るということは知っているだろうからたとえ話は理解できるだろうが、「誰でも」と言ってしまったのはまずかった。
「わたしも夢を見る。」
よかった。
「夢の中に誰かが出てきて、
そいつの姿が見えて、
そいつの声が聞こえる。
そこにいるとしか思えない。
だけどそいつはそこにはいない。
だけどいないと言えるのか?
夢の中でそれが夢だと判断することは絶対にできない。
現実の中でそれが現実だと判断することが絶対にできないように。
ならば夢も現実も同じだ。
夢の中でそいつが存在する情報を受け取っているのと、
現実の中でそいつが存在する情報を受け取っているのと何が違う?
それがどこであれ、
見えるということはあるということだ。
聞こえるということはいるということだ。
どんな形の情報であれ、存在するという情報を受け取れれば、事実存在するということだ。
たとえ情報のみの存在だったとしても、そこにいることには違いない。」
「どうやらあなたはこう言いたいらしい。
夢の中に誰かの姿が見えていたらその人はその場にいる。
誰かの声が聞こえたらその人はその場にいる。」
そういうことだな。
「今言ったのは視覚情報と聴覚情報に過ぎないが、五感と呼ばれる感覚には嗅覚情報、触覚情報、味覚情報が含まれる。」
夢を見るとは言うが、夢を聞くとか夢を嗅ぐとかは言わないな。
それだけ人間が目に頼っているということだろう。
「誰かの匂いがすればその人はその場にいる。」
においで個体識別ができるのはおまえぐらいだ。
「誰かの手をつかんだらその指と手の平の感触を通じてその人は存在する。」
なんだか具体的だな。
「誰かの唇の感触を堪能したらその人はその場にいる。」
「ちょっと待て!」
「その舌を通してその人の味覚情報を受理すればそれは現実。
夢だなどという弁明はできない。
あなたが言いたいのはこういうこと。」
「それは別の話だろうが…。」
「あなたは涼宮ハルヒの『情報』を味わったことを否定しないのか。」
メモ用紙を一枚ちぎってボールペンを走らせてみた。
「長門、これが何だかわかるか?」
「いや。」
拗ねてやがるな。
「はここにいる」を棒線で消して「がさせない」にした。
「これは?」
「まだいや。」
注文がうるさい奴だ。
「わ」を消して「あ」にした。
「これでどうだ。」
「『あたしがさせない』と書かれている。」
「違うな、これは紙とインクだ。」
「詭弁。」
「たしかに詭弁だ。これは文字、あるいは文章。
つまり情報だ。
では『あたしがさせない』というのは実効のない情報に過ぎないのか?」
「違う。」
「あからさまに不機嫌な声を出すな。
わかっている。
これがもしただの情報だったとしたらおれはビームで頭を貫通されるか、カッターで切り刻まれるか、ナイフで突き刺されたままか、どれにしろここにはいられなかっただろう。
そしてただの情報ではないものがここにもある。」
左手の手首を見た。
二つの噛み跡。
長門の犬歯の跡がくっきりと残っている。
「なあ、これはハルヒが来るまえに消」
「あたしの痕跡。」
抗命にならないように命令する前に先手を打ちやがったな…。
いつもはすぐに消えるのになんで消えないんだよ。
「それは物理的な痕跡。しばらくは消えない。あなたの体に刻み込んだ。」
おまえな、それはいいんだが、ハルヒが見たらなんて言うかわからんぞ。
長門に噛まれたなんて言ったらどんなことになるか…。
「それがいやならばあなたのシャツにルージュをつける。
体に直接がいいなら首筋にキスマークを…。」
「わかった。これでいい。」
誰かが「昼間やってるメロドラマみたい…」と言ってあわてて目をそらした。
長門に睨まれたな。
机の上に放りっぱなしにしていた時計をはめた。
かろうじて跡を隠すことができる。
「あたしの痕跡を涼宮ハルヒの痕跡によって隠せるようにした。
わたしの優しさに感謝すべき。」
「ありがとう。」
ガン!
なぜ礼を言って本のカドで殴られなきゃならんのだ…。
「とにかくだ、『あたしがさせない』というのはただの情報じゃない。
ここにおれがこうしていられるから。
さっきおまえがキレたこともただの情報じゃない。
おまえの噛み跡があるからだ。
サンタクロースは本当にいるのか?
いる。
サンタクロースとはプレゼントをくれる人のことだ。
プレゼントがそこにあるということはそれはただの概念じゃない。
物的証拠をともなっている。
だからおまえの親もただの概念でもなければただの情報でもない。
そのはっきりとした証拠がここにある。」
 
「おまえがここにいる。」
 
「だから、バックアップになろうなんて思うな。
捨石になろうなんて思うな。
まして家畜になろうなんて思うな。
さっき言い忘れていたことがある。
日本海軍はドイツ海軍と違って膨大な数の駆逐艦に全て名前をつけた。」
おまえは駆逐艦なんかじゃなくて連合艦隊の旗艦をもっとも長く務めた最強戦艦だけどな。
「海上自衛隊は潜水艦にすらいちいち名前をつける。」
「おまえの親はおまえに長門有希という名前をつけた。
家畜にはな、名前なんかないんだよ…。」
しばらく長門が沈黙していた。
こいつが黙っているのは珍しくないが、なんだか考えているようだった。
「わかった。
わたしはあなたたち二人のために犠牲になったりしない。
あなたは涼宮ハルヒを守ればいい。
あなたはわたしが守る。」
「いつもと同じだな。」
「違う。
わたしはあなただけを守る。
あなたがどんなに泣き叫んでも、涼宮ハルヒは見殺しにする。」
「やらねえよ…。」
握ったボールペンをくるくる回した。
 
「おまえはハルヒを見殺しにしたりしねえよ。」
 
「『遅い』と怒鳴られてもおれは傷つかないっていう話をしてたな。
あんなことを言われてもおれが返事をしないっていう事はわかっていたはずだ。
なら誰に聞かせるためにあんな話をしたのか。
おれに聞かせるためじゃない。
ここにいるギャラリーの皆さんに聞かせるためでもない。
誰にか?
ハルヒだ。
おまえはハルヒに聞かせるためにあんな話をした。
あんな話をすればあいつのことだ。
いつもなら『遅いから遅いと言った。それで傷つくならあんたが悪い』とかそんな減らず口を叩いたはずだ。
だけどあいつは黙って聞いていた。
おまえがあいつのために話していることを知っていたからだ。
あいつはおまえに、自分がおれを傷つけていないと言われて喜んでいた。
やっぱりおまえはあの十二月とは違う。
さっきも言ったようにそれが単なる変化なのか成長なのかおれにはわからない。
わからないが、おまえがなりたい自分になっていっていることだけは確かだ。
進化というのは遺伝情報の伝達の齟齬の繰り返しにすぎない。
なりたい自分になることができるわけじゃない。
だけど、おまえが今体験していることはこう言うしかない。」
 
「自律進化だ。」
 
「涼宮ハルヒも、なりたい自分になろうとしている。
自分の弱ささえもさらけ出すことができればどんなに楽かということを知っている。
だけどそれが出来ない。
それをするのが怖い。
生まれて初めて信じていいと思った存在。
世界で最も信頼できる存在。
この世で唯一信頼できる存在。
そんな存在の前でさえも強張った態度しか取れない。
だけどもしかしたらそんな自分を変えられるかもしれない。
なりたい自分になれるかもしれない。
まさしく…、自律進化の可能性。」
「そのためには、あいつの心の根っこの部分にある、不安を少しずつ取り除くしかない。
それが、俺達の仕事だ。」
「何故複数形? あなたがその可能性の鍵。」
「おまえらもやるんだよ。」
そのためにおまえらはハルヒに呼び集められたんだからな。
それはそれでいい。
今は別のことをあいつのためにやらなきゃない。
俺達でな。
「我々はあまりにもあなた方にあいつのプライバシーを曝け出しました。」
店長さんを真っ直ぐに見て言った。
「それによってあいつが不利益を被るようなことがあれば、あなた方に対して少々乱暴な手段を取らざるを得ません。」
軽蔑しきったように鼻を鳴らされた。
「君、それでドスを利かせているつもり?
わたしが君みたいな高校生のガキに脅かされると思ってるの?
女にピーピー泣かされてたくせに。
君が自由に出来るのは、せいぜい二人だけでしょ。
どんな女でも自分にかかれば言う事を聞くとか思ってない?」
これだけはきちんとしておかなきゃならない。
「長門、あれをやれ。」
「それよりも記憶の改竄を推奨する。」
「いや、それはまずい。」
思い切り見下した目でこっちを見ている店長さんを見ながら言った。
「おれはあとでこの人たちに説教されなきゃならん。」
「了解した。何を対象とするか。」
「そうやってすぐ女の子に頼る。
君はハルヒちゃんを守るとか言ってたけどね。
君みたいなガキに何が出来るっていうのよ。
長門さんを利用してハルヒちゃんの機嫌を取っただけでしょ。
君自身はあの子に何にもしてないわ。
あの子を守ったのは君じゃなくて長門さんよ。」
「店ごと消してやれ。」
「推奨しない。今は真冬。店が消えればあなたが寒い。」
「そうだな。だったらここの商品を全て連結解除しろ。」
生命体でなければこいつの権限でできるはずだ。
朝倉もやってたしな。
「推奨しない。あなたが悪趣味だと思われる。」
とにかくこのままではまずい。こちらがどう考えているかを見せなきゃならない。
「なあに、その目? 怒ったの?
おあいにく様。こっちは君なんかがいくら怒ったって怖くともなんともないわ!」
「外から見られるとまずい。まず空間閉鎖しろ。」
音もなくこの建物の全ての出入り口が消えて一面壁となる。
店長さんの方を見ながら言った。
店の名前は…、忘れた。
「当店舗の全展示品並びに全在庫品を敵性と判定。
該当対象の情報結合連結解除を命令する。」
 
長門の小さいけれどもよく通る声が店全体に響く。
「情報連結、解除開始。」
 
あとは…、いつか見た光景だ。
こんなことに慣れている自分がいやになるが。
マネキンが着ていたカーディガンが、展示されていたトレーナーが、腰だけの人形?に履かされていたスカートが、光の粒となり、結晶となり、みるみるうちに消えていく。
ご丁寧にスカートが消えてから下着が露わになり、さらに下着が消えて真っ黒い人形というか何というか、人間の腰の形をした名称不明の物体が露わになる。
たちまちブティックが、何屋だかわからない、借りたばかりのビルの一室のようなものになっていた。
「れ、連結解除って…。」
悲鳴を上げている人もいれば、声も出せない人もいる。
その表情は一様に…、
そりゃあ驚くよな。
驚くに決まっている。
驚かすためにやったんだ。
驚いてもらわないとさらにやらなきゃならない。
その必要もなさそうだが。
今の長門ならやりそうだ。
「長門、なんだかノリノリだな。」
「あなたが命じれば人間であれ、地球であれ、衣服であれ何でも情報連結を解除する。」
衣服を強調するな。おれが変態だと思われる。
「だから推奨しないと言った。
あなたが決断すればわたしは従うが、もう少しその前にわたしの意見も聞くべき。」
「おまえ、有機結合の連結解除の権限なんかあったのか?」
「あなたの脅迫によってわたしの権限は飛躍的に大きくなった。
無論有機生命体へ連結解除も含まれる。」
「おまえの親は何考えてるんだ!」
三歳の子供に殺人許可証なんか出しやがって…。
おまえダブルオーナンバーなのか?
番号はいくつだ?
「すると何か? さっきおれの有機連結を解除しろって言ったけど、やろうと思えばできたのか?」
「できない。」
「だからやろうと思えば…。」
「できない。」
「いや、やるかやらないかじゃなくてだな。」
「わたしの任務は涼宮ハルヒの監視であるが、あなたの脅迫によってわたしの主任務が変わった。
今のわたしにとってそれは副次的な任務でしかない。
今のわたしの主任務はあなたの護衛。
一ヶ月間、一秒間に850回の申請を出し続けたら許可が下りた。」
そういうのは申請と言わずに嫌がらせと言うんだ。
「ホント、おまえの親はおまえの言うことを何でも聞くな…。」
「そんなことはない。わたしの体つきを女らしくすることについては一向に許可が下りない。」
父親なんてそんなもんだ。
「護衛が任務である以上、有機連結解除の権限も当然必要。」
だからって危険すぎるだろうが。子供にそんな凶器を持たせるのは…。
「情報統合思念体は何も危惧していない。」
危惧しろ!
 
「あなたがここにいる。」
 
「情報統合思念体は、あなたは絶対にわたしに人殺しなどさせないと判断した。」
「当たり前だ!」
ていうことはまさか…。
「おれにおまえの鍵になれっていうことか?」
「その認識で間違っていない。」
まったく、どいつもこいつも…。
仕方がないか。
情報統合思念体には借りがある。
長門をあの十二月、あそこまで追い詰めたのはあいつらじゃない。
もちろんハルヒでもない。
俺『達』でさえない。
「あなたはやさしい。
誰に対してもやさしい。
わたしに対してもやさしい。
あなたが、わたしに対してとてもやさしくしながら、やさしくしたのがわたしにだけではなかったことが、
わたしをあそこまで追い詰めた。
わたしを追い詰めたのは他の誰でもない、あなた自身。」
思念体としては、『おまえのせいだろうが』としか思えなかったろう。
だからこのことに対して俺に責任を取れと言っているわけか。
「だけどおれはおまえに対して責任が発生するようなことは…。」
ハルヒに対してやったようなことはしてないぞ。
「あなたは、自分に恋する女の命を救ってしまった。」
悪いことしたみたいに言うんじゃねえ。
「違う。それはとても悪い事。
それをした以上は当然責任が発生する。
行きずりの男の子の命を助けたのとはわけが違う。
女の命を救ったからには、生きていく希望を与える義務がある。」
「おまえ、あの日に朝比奈さんとおれが何をしていたか知っているのか。」
「あなたと朝比奈みくるは遊んでいたのではない。
一人の少年の命を救うために活動していた。」
「だったらなんであんなに怒るんだよ…。」
「それとやきもちとは別。」
「まあいい。さっき消したやつだ。高価なものらしい。再構成してやれ。」
「了解した。」
音もなく連結解除前の光景が出現した。
 
「バ、バケモノ…。」
 
「あなたは今、長門のことを化け物と言いましたか?」
自分でも驚くほど穏やかな声が出た。
 
店長さんが目を見張りながら二、三歩後ろ歩きをした。
新しい健康法だろうか。
「ち、ちがうわ…。
バケモノは君の方よ…。
男が本気でキレると恐ろしく静かな声を出すっていうのは本当だったのね…。
このわたしが完全に震え上がったわ。
さすがに、これだけのことが出来るこの子を怖がるどころか、やさしく気遣ってあげられるだけのことはあるわね…。」
なんだか饒舌ですな。
「女はビビると饒舌になるものなのよ!」
「ここの電話をスピーカーモードにすると決めたのはあなたです。
それによってあいつが秘密にしておきたい情報が不特定多数の人々の前に晒された。
責任は決断に帰結する。
責任を取って下さい。
具体的には…。」
「わ、わかったわよ!
あんたたち、とにかくハルヒちゃんと長門さんに関してだけは、絶対にこの子…彼を怒らせるんじゃないわよ!」
「わかってます!」
「死にたくありません!」
「死ぬよりもっとひどい目にあわせられるかもしれないわよ!」
大丈夫です。
いくらおれでも街の真ん中で、あなたたちの身に着けている衣服の繊維結合の連結解除を命じたりしません。
まあ、一日ぐらいどうしても思い出せない日があったとしても人生は人生。
ひとりやふたり足りなくても世界は世界ですけどね。
「わかってるから念押ししないで! お客様方もいいですね!
「はい、わかりました!」
「絶対に他言しません!」
「お、思い返したりもしません!」
さすが店長、たいしたカリスマだ。
従業員だけでなく客にまで言うことを聞かせている。
客を客とも思わないだけのことはあるな。
「ちょっと、皮肉言わないでよ!」
「いや、仕事が早くて助かります。
本気で感謝してますよ。
さすがに一人一人脅してまわるのはめんどくさい。
まあ、どこかから情報が洩れたらそうするしかないですが…。」
「彼を甘く見ない方がいい。
彼が優柔になるのはある女性に対する扱いだけ。
見知らぬ少年の命を救うために暴走車両に向かって走る決断をするのに一秒もかけなかった。
彼はもともと果断に富んだ性格。
涼宮ハルヒを失うくらいならどんなことでもする。
どんな残酷な決断でもする。
ひとつの世界を滅ぼすことさえも厭わない。
というより、やった。
長門有希はおろか、涼宮ハルヒを殺すことさえした。」
 
そうだ。
おれは一人、ハルヒを殺した。
 
「そう言えば、おまえに銃を向けたことがあったが結局撃てなかった。
面倒をかけたな。」
「いい。
あなたの決断に従ったまで。
わたしにはその決断がどうしてもできなかった。」
「あのエンターキーを押したのは、ハルヒをおれの後ろに座らせるためだけじゃねえ。」
「あの世界でのあなたは、全てその目的のためだけに行動していた。
全ての意志と力をそれに集中していた。」
「いや、もう一つ理由があった。」
 
「おまえの眼鏡を外させるためだよ…。」
 
「………。」
この三点リーダは、咄嗟に次の言葉が出なかったためのものらしい。
「なんていうか、その方がおまえらしいよ。」
「………。」
しばらく黙っていたが、また声がした。
「自分で外させたくせに、その方がわたしらしいなどと、よく言う。」
「長門、おまえは普通の人間として生まれたかったと思ったことがあるか?」
「なぜそんな残酷なことを聞く。
あるに決まっている。
だからこそあなたに迷惑がかかるに決まっているのにあんなことをしでかした。」
「おまえだけじゃない。
誰だってこんな自分じゃなかったらと思うことがある。
こんな生まれつきじゃなかったらと誰でも考える。」
「あなたがそんなことを考えるとは思えない。
あなたほど恵まれた生まれつきの人間はいない。
涼宮ハルヒが持たない安定した精神を持っている。
朝比奈みくるが持たない知恵と判断力を持っている。
長門有希が持たない行動の自由を持っている。
古泉一樹が持たない自分が好きな女性の心を持っている。」
「最後のはあきらかに勘違いだ。」
「そうかもしれない。
それは生まれつき与えられたものではない。
あなたが努力して勝ち取ったもの。
涼宮ハルヒに一目ぼれしたあなたは、彼女に粘り強く働きかけた。
それによってあれほどかたくなだった彼女の心を、わずか三週間でドロドロに溶かしてしまった。」
なんだドロドロって、あいつの心は火砕流か。
「とろとろ、でも良い。」
スイーツかよ。
「そういうことを言いたいわけじゃない。
あの眼鏡をかけた長門はおまえじゃないっていうことだ。
さっきも聞いたが、人間は何によって構成されている?」
「情報。」
「あいつとおまえは同じものでできているか。」
「違う。
彼女にはあなたとの八ヶ月半の思い出がない。
彼女に与えられた思い出は、あなたに図書カードを作ってもらったというものが唯一。
そしてその思い出は、詳細は違うとはいえわたしにもある。」
「おれも古泉みたいな美男に生まれていたら、なんて考えることがある。
だけどそんなことを考えても仕方がないことだ。
こんな平凡な顔をしたおれだからこそおれなんだ。
美少年に生まれていたら、それは今のおれよりも幸せだったかもしれない。
だけとそいつはおれじゃない。
おれとは何の関係もない。」
「そう………、あなたとの八ヵ月半の思い出があるからこそわたしはわたし。
それを失ったわたしはわたしではない。」
「おまえはあいつと記憶を共有しているか。」
「していない。」
「精神医学では記憶を共有していなければ別人格と考える。
多重人格っていうだろう。」
「乖離性人格障害。」
「この場合は多重人格と呼んだ方がしっくりくる。
肉体が同じでも違う人間ということだ。
おまえは対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースだ。
だからおまえなんだ。」
「だからこそわたしはあなたに出会うことができた。
あなたとの八ヵ月半の思い出をつくることができた。
そしてそれは、わたしを構成する情報の根本。」
「そこがいちばんハルヒと違うところだ。」
そんなことは今はどうでもいい。
「どんなことをしてもおまえを取り戻すっていうのはそういうことだ。
だからおれは、あの時エンターキーを押した。」
「やはりあなたは八方美人。
一行動が二目的を持っている。
あの時でさえ、意志の集中、力の集中ができていなかった。」
店長さんがおれの後ろに向かって話しかけた。
「長門さん、あなたに聞きたいことがあるの。」
「あなたはわたしの前で彼を愚弄した。
覚悟はいい?」
今日は饒舌だと思ったがやっぱり長門は長門だ。
会話になってねえ。
「パーソナルネーム神原明美を敵性と判定。
該当対象の有機結合情報の連結解除を申請する。」
まさかおれに言ってるのか?
「却下だ。」
「神原明美の有機情報連結解除を申請する。」
「ダメだ!」
「この女を世界から消す。」
「いい加減にしろ!」
「ならば独断専行する。」
「おれはおまえの鍵じゃなかったのか?」
「わたしの独断で有機連結解除ができる場面が二つだけある。
ひとつは、わたし自身の生存が脅かされたとき。」
そりゃそうだろう。誰にだって自分を守る権利がある。
「もう一つは、あなたに危害を加えられようとしたとき。
そうわたしが判断した場合、あなたの決断を仰がなくてもそれをすることができる。
この女はあなたを愚弄した。
危害を加えるかもしれない。」
「そんなことはしねえよ。」
「あなたは愚弄されてくやしくはないのか。」
「どうでもいい。
心の底からどうでもいい。
どうでもいいとか口にする時間ももったいないほどどうでもいい。
二度と足を踏み入れない洋服屋の店主にどう思われてもかまわん。」
「ひどいことを言うのね…。」
店長さんが恨みがましい目でこっちを見た。
「涼宮ハルヒがまたここに来たがるかもしれない。」
「バカ言え。鏡の無い洋服屋に来たがる女がいるか。」
「この女のあなたへの態度はお客様に対するものではない。」
「この店にとっておれは客じゃないっていうだけだ。
どんな店舗に入っても消費者は王様だとか思わない方がいい。
この人は洋服屋だ。
洋服屋は人を身なりで判断する。」
某量販店出身のトレーナーの襟を引っ張りながら言った。
「この程度の男なら購買力がない、この店に金を落とす能力がないと判断した。
だから客扱いしなくてもいいと思った。
どんな格好であろうが客として入ってきた者は客としてあつかう。
それが小売店の常識だがここはそうじゃない。
客が店を選ぶんじゃなくて、店が客を選ぶ。
それだけの話だ。」
「ならばその認識が風評として流れるように情報操作を行う。」
「ひっ。」
「余計なことをするな。
こういう噂は自然に流れていくものだ。
ほっとけばいい。」
「ちょっと……、そんなつもりじゃ…。」
本気にしないで下さい。長門をキレさせないための方便です。
「そうだろうと思ったけど…。」
キレさせてもいいですけどね。
今の長門は危害を加えたり、存在を抹消したり、絶対にそんなことはしません。
「そうなの?」
おれに対しては。
「…当たり前じゃないの!
それから身なりがどうとか言ってたけど、あなたが無造作にしてる時計一コで、うちの一番高い商品が十着以上買えるわよ!」
そんなものはいらん。
「あなたにとってはそんなものでしょうけど…。」
貰い物を褒められてもうれしくない。
「ハルヒちゃんのご両親にとってはそんな時計よりあなたの方がずっと価値があるっていうことね。
当然だけど…。
自分たちがやらなきゃならなかったことをあなたがしてるわけだから…。」
しまった。長門をほったらかしにしてしまった。
「この店の購買層は女性だ。
ここの従業員も女だ。
さっきも言ったが、その被差別意識から女性は同性グループに対して強い帰属意識を持つ。
おれを『女の敵』と仮定しそれを責めることで店員と客との連帯感を持たせ、店に対する親近感を高めようとした。
それによってあわよくばこの店での購買欲を高めさせようとした。」
「愚かなことを…。」
「大人のやり方なんてそんなもんだ。」
「三歳の子供のやり方。
わたしが自分を仮想敵としてあなたと涼宮ハルヒとの連帯感を高めようとした方法と同じ。
犠牲にしているのが自分ではなく他人であるだけに余計に始末に悪い。」
「だけどおまえに女としての連帯感を持っているってことは方便じゃなくて事実だ。
この人はおまえに女どうしの話をしたいって言ってるんだよ。」
「人間を染色体の形で区別することに意味があるとは思えない。
あなたはさっきあのように言ったが、わたしは変わっていない。
涼宮ハルヒも変わっていない。
わたしにとって世界とは、『あなたとあたしとそれ以外』。」
「それ以外もあるって気づいただけでたいした進歩だ。
この人の話を聞け。」
「この女はそんなに偉いのか。」
「そうだ。」
「あなたよりも?」
「当たり前だ。おれみたいなガキとは違う。一店を切り盛りしている。」
「あなたはわたしなり涼宮ハルヒなり古泉一樹なりを利用すれば、金銭などいくらでも手に入れることができる。」
「日に一億円転がす人より月に数十万円稼ぐ人の方が偉いんだよ。」
「あなたは涼宮ハルヒと長門有希を支配している。
この二人を通じて世界そのものを支配することもできる。」
「そんなことしたいと誰が言った。」
おれはショッカーの首領か。
「あなたは六十億人の生殺与奪の権を握っている。
この女は一つの店を支配しているにすぎない。」
「支配している人数が多ければ偉いだなんて誰が決めた。
いつおれがそんなことを教えた。
おまえの親の思想か?
小国の指導者より大国の指導者の方が偉いのか?
小会社の社長より大会社の社長の方が偉いのか?
やたらテリトリーを広げてどうする。
自分のテリトリーに対する責任をきちんと負っている人がえらいんだよ。
この人は大勢の従業員を食わせている。
絶対におまえにとって有益な話をしてくれるはずだ。」
「この女に何かできるとは思わない。
涼宮ハルヒの魂を救うために何の役にも立たなかった。
最初から最後まであなた一人でやった。」
「違うな。」
「違わない。」
「おれとおまえでやったんだ。」
「あなたはここにいる女たちはみな涼宮ハルヒの味方をしていると言った。
しかしこの女は、彼女の魂を救うためにトイレットペーパーでできた傘なみに役に立たなかった。」
ひどっ…。
「おまえは洋服屋に何を期待してるんだ。
それに、洋服を選んでもらうことによって救われる魂だってあるはずだ。」
おまえには絶対わからないだろうが。
「わたしはあなたを愚弄した者を許すことができない。
さっきこう誓ったのをあなたもおぼえているはず。
あなたの心にかすり傷一つでもつけるようなことは、
あたしがさせない。」
 
「ナメるんじゃないわよ!」
 
店長さんが大声を上げた。
こっちを見ている。
「彼をナメるんじゃないわよ!
わたしなんかに何か言われたぐらいで傷つくような自信のない男じゃないわ!」
「そんなことはわかっている。
そうでなければあの涼宮ハルヒをあんなに丁寧に扱えるはずがない。」
「あいつは別に丁寧に扱われたいわけじゃねえよ。」
あの五月を思い出していた。
「ちょっとぐらい乱暴にされてもいいから、特別に扱われたいだけだ。」
「やっぱりわかってるのね…。
それはともかく長門さん、彼はわたしを含めてここにいる女たちにどんなことを言われても平気だし、どんな風に思われてもかまわない。
そうふるまっている。
あなたやハルヒちゃんに対する態度とはまるきり違う。」
男は自分にとって大事な女性とそうでない女性とを、時として残酷なまでに差別するんですよ。
「そっちはわかってないようね。」
さいですか。
「大切な異性に比べてどうでもいい異性をひどく差別するのは、男より女の方よ。
女はね、自分と好きな男だけ残して世界が滅んじゃえばいいって本気で思うものなの。
それに気がつかないのは、あなたが決して差別される側にはまわらないからのようね。」
「とにかく長門、この人の話を聞け。」
「命令?」
「当然だ。」
「……わかった。聞く。何?」
いきなりいつもの口調にもどるな。
「彼はあなたよりハルヒちゃんのことが好きよ。
半日しか見ていないわたしたちにもはっきりわかるんだもの。
ずっと彼を見ていたあなたにわからないはずがないわ。
それでもあなたが彼の言うことを聞いているのは何故なの?
やっぱり彼のことが好きだから?」
 
「違う。」
空気を切り裂くような声が聞こえた。
 
ハルヒもさっきこんな声を出してたな。
 
「わたしが彼の決断に従って、後悔したことなど一度もないから。」
 
「今日はじめて彼に嘘をついた。
涼宮ハルヒは彼にだけは自分の居場所を言わないでほしいと言った。
わたしも彼には教えない方がいいと思った。
彼女もわたしも間違っていた。
彼の決断が正しかった。
彼はわずか五分三十七秒で彼女を救ってしまった。
わたしにはどうにもできなかったのに。
彼が決断しさえすればどんなことでも可能だと再認識した。」
そういうのを丸投げと言うんだ。
「わたしと涼宮ハルヒは違う。
彼女は絶対に切れないライフロープにしがみついていながら、
『これが切れてもかまわない』
『だからこんなものがなくても平気』
などとブツブツつぶやいている。
何故か?
彼女にはそれしかないから。
それを取りあげられたら何もないから。
だからそれがなくなっても平気だと自分に言い聞かせている。
そんなことでプライドを保とうとしている。
愚かとしか言いようがない。
そんなものより彼の背中を十か月間見続けている一途さや、
三日間彼の病室を片時も離れなかった健気さを矜持とするべき。
そちらの方がはるかに自慢になる。
そんなことができる方がはるかに人は羨む。
この中でそれができる女が何人いるか。」
女どもの反応は…。
うつむいている人。
ぼーっとしてなんだか妄想にふけっているような人。
じっとおれの後ろを見ている人。
最後のは店長だ。
「そして同級生の女の子にそんなことをさせられる男が何人いるか…。
わたしはそんなことは知らない。」
おれも知らんな。
「あなたは知るべき。」
「だったら調べとけ。」
「わかった。A4用紙五十枚以内でレポートにまとめてくる。」
「命令解除だ。やらなくていいぞ。」
「読んで。」
やらなくていいって。
「読んで。」
……もともとおれがやらせたわけじゃねえよ。
「もしかしたらそんな男などいくらでもいるかもしれない。
だけどわたしにそんなことは関係ない。
重要なのはわたしのすぐそばにそんな男がいるということ。
わたしは彼に裏切られても後悔しないなどと覚悟を決めたりしない。
切れるはずのないロープが切れた時のことなど考えない。
なくならないものをなくなってもいいなどと思わない。
涼宮ハルヒは彼に裏切られてもいいと覚悟を決めているだけ。
朝比奈みくるは自分自身の判断力がないから全て彼に丸投げしているだけ。」
朝比奈さんは判断力がないんじゃない。
判断材料がないだけだ。
「わたしはただ彼を信じている。
かならずわたしを良い方向に導いてくれる。
今、この瞬間でさえそう。
彼の決断に従ってあなたの話を聞いたことによって、あなたの誤解を解く機会を得た。
何故信じられるのか?
彼がわたしを裏切ったことが一度もないから。
……おかしい?」
じっと長門の話を聞いていた店長さんがはっとしたような顔をした。
そして深々と頭を下げた。
「長門様、申し訳ございません。
何も知らないくせに知ったようなことを申しました。」
「なぜわたしに頭を下げる。
彼に…。」
「やめとけ。
この人はおまえに対して悪いと思ってるだけだ。
おれは関係ない。
だいいちおれたちの信頼関係はおれたちだけが知っていればいい。
他人に説明する必要なんかない。」
「確かに。」
誰かがほうっと息をついた。
「今日もまたあなたはわたしを救った。
あなたの話を聞き、あなたに従ったことで、蓄積されかけたバグが一気に消去された。
感謝している。
あのままでは再び暴走する恐れがあった。」
声を聞いている限り、落ち着いているようだ。
「思念体の思惑がどうであれ、あなたにまた迷惑をかけるくらいならわたしは自分の有機情報連結を解除する。」
これは、言わなきゃならんな。
「そいつは……」
ボールペンの先で机を叩いた。
カンッという硬い音がする。
店長がビクッとしてこちらを見た。
店じゅうの女がみなこっちを見た。
体ごと後ろを振り返る。
店中が釣られて長門の方を見る。
知るか。
このセリフを初めて言う時は、相手の顔を見つめるのが作法なんだ。
 
「おれがさせない。」
 
あれほど感情をあらわにしていた長門だが、いつもの無表情だ。
その頬はピクリとも動いていない。
「このおれが呼吸をしている限り、長門有希は世界から消えることができない。
覚悟しておけ……。返事は……。」
長門の小さな体、人形のような白皙の肌、水晶のような瞳を思い切り怒鳴りつけた。
 
「返事は!」
 
「………了解した。」
笑ったような気がした。
もう一度背中を向けた。
「フン、何ニヤニヤしてやがる。」
「いじわる…。」
店長さんが言った。
「意地悪ね…。」
「そうだ忘れてた。電話を元通りにしろ。」
これを直さないと警察に突き出される。
「なんでわたしが…。」
おまえのせいだろうが。
「了解した。だけど一つだけ条件がある。」
「言ってみろ。」
「もう一度、わたしの名前を呼んでほしい。」
「そうか。長門も有希もおまえの名前だったな。」
おれから見て一番遠くにいた女がハッとしたような顔して、今度はすがるような目をしてきた。
やれやれ。
「固定電話の通信連結を再構成しろ………有希!」
いや、そんなホッとしたような顔をされても。
空気から光の粒があらわれ、みるみる集まっていき破壊された部品が再構成される。
するするとコードが伸びて壁の電源におさまった。
こっちは驚かないんですか?
もう耐性がついたんですか?
みんなやれやれ良かったみたいな顔してますけど。
「用がすんだら帰れ。
……また明日な。」
「…また明日。」
「ハルヒがくる前に……って遅すぎるだろう、あいつ!
おまえ、もうすぐ来るって言ってなかったか?」
「彼女はあなたをちょうど二年九ヶ月待っていた。
それに比べればもうすぐとしか…。」
「何かあったのか?」
「電車が止まった。」
おまえまさか…。
「情報操作はしていない。
話をする時間を得るためにそんなことをしたら、
あなたに怒られるに決まっている。」
当たり前だ。
何千人もの足に影響するんだぞ。
「ただ、『家畜になる』と言ったらきっとあなたは怒るだろうと思っていた。」
「………からかったのか。」
「違う!」
必死の声を出すな。
「あなたに一度怒られてみたかった。」
「………変態。」
「こんなにかわいい子を変態って…。」
店長さんがとがめるように言ってきた。
「変態でもいい。」
だそうですよ。
「ただ…、あなたに本気で怒られるほどに心配されている、彼女に対するやきもち。」
「それで満足できたか。」
「後悔している。あんなに怒られるとは思わなかった。」
バカめ。
「それで何で電車が止まったんだ。」
「突然の雪。」
もう一度振り返った。
いつの間にか日が暮れていた。
風はやんでいた。窓の外の雪は街灯に照らされながらまっすぐ落ちてくる。それを背にしてたたずむ少女。
きらきら光っている。
光っているのは雪か、有希か。
 
水晶の夜。
 
これだけはハルヒも朝比奈さんもかなわないだろう。
まるで絵画のような、幻想の中のような。
「長門。」
「…なに。」
苗字で呼ばれたからって不機嫌な声を出すな。
「似合ってるぜ。」
同時に背中を向けた。
このセリフを言った後は相手の顔を見ないのが作法なんだ。
「……あなたと話す時間があったから、少し脱線させて長引かせてみた。」
幻想の少女がひどく俗っぽいことを言った。
「少しでも長くあなたと話したかったから。
……ごめんなさい。」
「いや、いい。」
ちっとも少しじゃねえが。
「そんなことより早く帰れ。さっきまた明日って言ったろう。」
こいつまだ話を長引かせるつもりか。
「チッ…。」
二度目だな。
幻想の美少女が舌打ちなんかするんじゃありません。
「…美少女。」
そんなところに食いつくな。
「あなたに警告しておくことがある。」
「何だ。」
「あなたは今日結論を出さなかった。
決断を先送りした。
責任は決断に帰結する。
あなたは決断しなかったことに対する責任を負わなければならない。
…覚悟しておけ。」
「何が言いたいんだ。」
 
「あきらめたわけではない。」
 
「そうか。」
「…そう。」
「おれもおまえに警告しておくことがある。」
「なに。」
 
「カレーは五杯までにしろ。」
 
「保証はできない…。」

|