ハルヒが沈黙した。
これを言うのはまずいかもしれんが…。
仕方がない。
「その子、名前は?」
「聞かなかった。自分からも言わなかった」
「そう……。」
どこでとか、いつの話かとか聞かれても答えられないがな…。
「……そう。」
なんだかしんみりしているみたいだ。
おまえはあの日のことを忘れてないのか?
おまえと俺の本物の出会いの日を、ちゃんと覚えているのか?
聞くことはできない。
だけどこれだけは言える。
「おまえ……、ほんとうにひとりぼっちだったのか?」
静寂が店の中を包み込む。
さっきまでの針のむしろのような沈黙とはちがい、本当にやさしい静けさだった。
しばらくしてからハルヒが声を出した。
「キョン…。」
「なんだ。」
「あんた本当に有希に変なことしてないでしょうね!」
おまえのしんみりは三十秒続かないんだな。
「してねえよ。さっき言ったろ。」
「変なことをしているのは、あなた達。」
長門、その台詞は部室で聞いたからもういいだろ。
いい加減その手の話題は勘弁してもらいたいんだが。
「あの、孤島に行った時、あなたはピンクのキャミソールに、直立していなければ中が見えそうなミニスカートをはいていた。」
「あれはキャミソールじゃないわよ! ただのノースリーブよ! そうよね、キョン!」
「正直言ってよくわからん。」
「彼はあの時、あなたの服装など見ていない。彼が見ていたのはあなたの肩と腕と脚と臍と……下着。」
「あああ、あれはキャミソールだ、キャミソール。長門が言ってる下着ってのはそのことだ、うん。」
「そうよね、あれはキャミソールなのよ。あんたあたしのキャミソール姿をジロジロみてたわよねえ。」
「そうだ、俺が見てたのはキャミソールだ。ピンクでかわいかったぞ。」
「あんたにかわいいって言われてもうれしくともなんともないわよ、バカ!」
「これは手厳しいな、ハハハ…。」
「いつもこんな感じじゃないのよ、ウフフ…。」
……俺たち二人以外は誰も笑ってないな。ああ、なんか連帯感…。
「あなたはギリギリのミニスカートでありながら彼に臀部を向けて何度も四つん這いになっていた。」
長門、やっぱり許してくれないのか…。
「あなたたちのこんな会話まで聞こえてきた。
『ハルヒ、もうちょい右だ。』
『こんな感じ?』
『いいぞ、ありがとう。』
『いくわよ…、3、2、1…』
その後、彼が唾を飲みこむ音が聞こえた。」
「うーん…、右って何のことだったかしら?」
「え、えーとあれだ。王様ゲームの割り箸のことじゃねえか?
それを引く時に3、2、1って…。
で、緊張のあまり唾を飲みこんだんだ。
あ、あの時はよく恥をかかせてくれたな。
『大好き』の寸止めなんかしやがって…。」
「あれはおしおきよ!
あたしがズボンはいてきたらあんたあきらかに不機嫌そうだったじゃないの!
あの時は古泉君や妹ちゃんもいたんだからね!
ちょっとは場所をわきまえなさい!」
「3・2・1の後、ミニスカートのあなたは彼に向かって立て膝をした。」
長門、俺たちの会話をスルーするな…。
「しかも王様ゲームの後わざわざスカートに履き替えて彼の正面でずっと安座し続けた。
彼は拗ねていたからか見ないようにしていたが、結局あなたの方を見た。
彼が自分の方を見てくれた時のあなたのホッとした顔は今でも忘れない。」
長門、忘れていいぞ…。
「あなたは女ばかりになったらいきなりジャージに着替えた。」
「あそこは冷房が強すぎるのよ!」
墓穴を掘るな……。
「冷房が強いのは館中全て同じ。
あなたは女たちの前より彼の前の方が露出度が高い。」
「ひ、ひとを露出狂みたいに言わないで!」
「さらにその日の夜……。」
「な、長門それだけは…。」
「あなたと彼は泥酔したフリをしていた。」
「ハルヒ、俺はなんにも覚えてないんだが、おまえは覚えているか?」
「あ、あたしも…。」
「だいじょうぶ。わたしが覚えているから。」
長門てめえ、さっきの俺のセリフをパクッたな…。
またメールが来た。
 
本文 「一度はストレスが沈静化したものの、ついに閉鎖空間が発生。」
 
古泉…、これは俺のせいじゃなくて長門のせいだぞ…。
…まだいいか。
今はこっちをどうにかしないと。
がんばれ機関。
がんばれ古泉。
「泥酔したフリをしたあなたは彼に抱きつき……」
「あたしが抱きついたんじゃないわ! キョンが抱き寄せたのよ!」
「違う、おまえが抱きついたんだ!」
「あんたが抱き寄せたの!」
「そうじゃなくておまえが…」
「あんた、まだあたしに恥をかかせたいわけ?」
「ごめんなさい…。じゃなくて……、そうだ、俺がソファーに座って背もたれにそって腕を伸ばしていたら、おまえが酔っぱらってたまたまこっちに倒れ込んできたんだ。そうに違いない。うん、……ハルヒ、そうだって言え!」
「………、あんたさあ、あの時、あたしの方をチラッと見たかと思うとあさっての方を見て、腕を伸ばしたかと思うとまたしばらくしたら引っ込めて、またあたしの方を上目遣いで見て、また腕を伸ばして…ってそれを何回くり返してんのよ! 有希はにらんでるし、みくるちゃんは真っ赤になるし、古泉君は笑いをこらえてるし、相方のあたしが恥ずかしいわよ!」
「おまえが早く空気を読まないからじゃねえか!」
「なんであたしまかせなのよ! ……って、あんたどれだけヘタレなのよ!」
「うるせえ! 俺がヘタレでおまえに迷惑をかけたことがあったか?!」
「君、今のは本気かしら?」
……さすがにこれはまずい。
「長門、今のはつっこむな、命令だ!」
問題はこいつだ。
「ハルヒ、今の発言はなしにしてくれるとうれし」
いきなりスピーカーが叫びだした。
「みなさーん、ここにヘタレ野郎がいますよー。こいつはねえ、ずっと昔からあたしのことがほしくてほしくてたまらないくせに、一年近く手を出せない、意気地なしですよー。」
お、おまえまさか、今の俺の状況をわかってて言ってるんじゃねえだろうな…。
「君……、耳をふさいでも状況は変わらないわよ?」
「ハ、ハルヒてめえ…、恥かかせやがって…。」
「今のはあたしが恥をかいたの! こういうことを女の子に言わせること自体が恥をかかせてるの!」
見なくてもわかる。女どもが全員首肯してるんだろうな、くそ。
「あなたはさらに彼の腿の上に座った。」
「腿の上とか言うな。せめて膝の上と言え!」
「膝の上に座ることなど不可能。言語による伝達には齟齬が生じることが多いが、それでもなるべく正確に表現すべき。」
「どっちでも同じよ、バカ!」
ちょうど背もたれのある椅子が近くにあったので電話の前まで引きずってきて座った。長時間立ちっぱなしだったからな。疲れた。足を組んで座った。よし完璧だ。
「キョン~、あんたまさかあたしの体を思い出して、おっきくしたりしてないわよねえ~。」
女どもの視線が突き刺さっているのが後ろをふり返らなくてもわかる。身の潔白を証明しようと思っても動きようがないのがつらい。
ハルヒ、俺が今どんな状況に置かれているか、おまえにわかっているとしか思えないんだが…。
見えるのか? 実はこれがテレビ電話だったり…、さすがにそれはないな。
「あたし知ってるのよ~。」
それは知ってるだろうな…。
「あんたあの時もおっきく……」
「あれは! おまえが! その上に座るからだろうが!」
「へええ、あたしのせいなんだ…。だけどあんた、あの後あたしの体の、エッチなところをさわったりしたわよねえ。」
「エ、エッチな場所とか抽象的な言いまわしをするんじゃねえ! 人に聞かれたら勝手に想像されるだろうが!」
「具体的に言ってほしいの?」
「言ってほしくありません!」
「なぜそういうことをわたしたちの前でやる。二人で部屋でやれ。」
「二人っきりでできるわけないじゃないの!」
恥ずかしくて死んでしまう。
「あのなあ、ハルヒ。あのことはお互い無かったことにしたんじゃ…。」
「あれえ、そんなこと話し合ったっけ?」
話し合ったら無かったことにできないだろうが…。
「まあとにかく覚えてはいるんだな…。」
「あんた、あたしに忘れてほしいの?」
忘れてほしいわけじゃない。忘れてほしいわけじゃないんだが…。
「それとも、覚えててほしいわけ?」
そういうのとも違うな。忘れないでいながら、無かったことにしてほしい。
「君、それは虫が良すぎるわね。」
わかってますよ。
「あのことは、忘れないでいて、そのまましまっていてほしい。」
ニュアンスが伝わったかな。
「あんたいいの? あたしにそんなことを言って。しまっておいていいんなら必要なときに取り出すわよ。あの夜のことをあんたの人生を縛るのに使っちゃおうかな~。」
「おいっ!」
何を言い出すんだ!
「よく考えろ! 俺もおまえも16歳だ。お互い無限の可能性が…。」
「あんたの可能性なんて一つでいいの! どうせあんたのことだから選択肢がいくつもあるといつまでも選ばないからね…。あたしがかわりに選んであげるわ!」
冷や汗がじっとりとシャツににじんで気持ちが悪い。
「やっぱ受話器に向かって土下座か? とりあえずあやま……」
「謝ったりしたら、あんたを警察に突き出すわよ!」
くそ……。どうすりゃいいんだ。
「そうねえ。あれを着せてあげたら許してくれるんじゃないかしら。」
店長さんが外の結婚相談所のウィンドーを指さす。
そうだな。古泉に言ってあそこのパンフレットのモデルのアルバイトをさせよう。
「君に着せてもらえなければ意味がないのよ。」
おれはウェディングドレスの着付けなんかできませんよ。
「そういう意味じゃないってわかってるでしょう?」
現実逃避くらいさせて下さい。
「終わった……。」
な、何が?
「あなたの十八年ちょうどの人生。」
「長門、俺は十六歳だ!」
「この国の法律によると男性は…。」
「うるせえ! 他人事だと思いやがって…。」
「……キョン、あんたいやなの?」
急に不安そうな声を出すな。
「階段じゃないんだからなんでもかんでも三段とばしするんじゃねえ!」
ひどく寒い。暖房強めてくれ。
「フン、冗談よ。あたしがあんたの人生なんかほしがると思う? 自惚れないことね!」
ぜえぜえ息が切れているのがわかる。
……良かった。
さっきのこういう反応にはムカついたが、今は本当に良かったと思う。
助かった……。
なんでメールが来るんだ?
 
本文 「閉鎖空間が急速に拡大。」
 
冗談じゃなかったのか?
「半分は冗談。半分は本気っていうところかしら。君があまりにも乗り気じゃないから、まるっきりの冗談っていうことにしたみたいね。」
泣きたくなった。
ハルヒ、おまえの趣味はおれを困らせることか?
「違う。」
何が違うんだよ…。
「涼宮ハルヒの趣味はあなたに甘えること。」
「それはあんたの趣味でしょ!」
「わたしはあなたほどには彼に甘やかされていない。」
「要するにうらやましいわけ?」
「………やる気?」
「やるわよ!」
「さっさとやれ。」
「えっ………。」
「……………。」
「終わったら教えろ。」
「……………。」
「……………。」
「なんで俺が一日に三回も女のケンカにまきこまれなきゃならん。」
「……………。」
「……………。」
「おまえら二人の異常なほどの負けず嫌いが今回の騒動の原因の一つだとわかってるか?」
「……………。」
「……………。」
「朝比奈さんだったらきっとおまえらに譲るだろうな。」
「……………。」
「……………。」
「終わったのか?」
「終わったわよ!」
「終わった……。」
何がだ? 俺の十六年余りの人生とか言うなよ。
「終わったのは、あなたの青春。」
「……………。」
「スルーしないでほしい。ジョーク……。」
さっきの会話を蒸し返しているのかと思ったぞ。
「それよりも、あたしの方があんたより甘やかされているってどういうことよ! あたしは団長なのよ! こいつに甘えるわけないじゃないの!」
「涼宮ハルヒは何もないところから情報を生み出す力を持っている。」
おいっ、それはハルヒに聞かれちゃまずいだろ!
「わけのわからないことを言うんじゃないわよ! キョンはみくるちゃんには優しいし、あんたのことを気遣っているけどね。あたしには…。」
「言葉を変えていえば、あなたは嘘つき。」
「あ…、あたしがいつ嘘をついたって言うのよ!」
「彼が朝比奈みくるに優しいのは朝比奈みくるが彼に優しいから。彼がわたしに嘘をつかないのは、わたしが彼に嘘をつかないから。あなたは彼に優しくもできなければ、正直な態度を取ることもできない。」
「あたしがキョンに優しくないっていうのは認めるけどね…。」
「それはあなたが、彼よりもはるかに価値がある人間だから?」
「誰がそんなことを言ったのよ! あたしの前に連れて来なさい! なぶり殺しにしてやるわ!」
そう言ったのはおまえだ。
「この子なりの謝罪なのよ。君に対してついひどいことを言ってしまったことへの、ね。」
「そう、嘘。あなたはそんなことを思っていない。」
「うそじゃないわよ! 誰であっても自分と等価交換できるモノなんか、この世のどこを探しても見つかったりしないのよ!」
「あなたはコンピ研との勝負の前にもそんなことを言っていた。そして負けたら自分が出ていけと言われて、彼を涙目でにらんでいた。」
「あんたはあたしには平気でうそをつくのね! あたしあの時泣いてなんかいなかったわよ! だって、キョンがあんな奴らに負けるわけがないでしょ!」
「あんな奴ら」呼ばわりするな。あの時点ではコンピ研は完全な被害者だ。
「どういうこと?」
俺は店長さんにことのあらましを説明した。
「まあ、負けてもいい勝負だったんですがね。ハルヒに勝たせてやりました。」
閉鎖空間を恐れたわけではないぞ。
「君はあの子をお隣さんに取られても良かったわけ?」
「先方が断ってきました。」
あいつらにハルヒを受け入れられるとは思えん。
「話をもどす。」
もどすな。
「だから、あたしがいつ嘘をついたって言うのよ。」
「彼のことが少しも大切ではないという嘘。
彼が迎えに来ることなど期待していないという嘘。
彼が自分にとってからかいの対象でしかないという嘘。
もっと早く彼に出会いたかったわけではないという嘘。
彼に会いたいわけではないという嘘。
彼の行動にやきもちをやいたことなどないという嘘。
彼の名字がほしくないという嘘。
彼のせいで泣いたわけではないという嘘。
彼のものになりたくないという嘘。
彼が傷ついてもかまわないという嘘。
彼と人生をともにしたくないという嘘。
彼の好きな髪型に変えていないという嘘。
何よりも、彼のことが大嫌いだという嘘。
あなたは今日だけでも彼にこれだけの嘘をついている。
だから告白じみたことをしても信じてもらえない。
今のあなたは眠り姫ではなく狼少年。
だから起こしてもらえない。
あなたはうそつき。」
「長門、いい加減にしろ! いくらなんでも嘘つき呼ばわりするな!」
「事実と違うと知りながら発言することを嘘というはず。」
「違う。」
「説明を。」
「嘘をつくっていうのは誰かをだまそうとすることだ。3歳の子供でもだませないような嘘を嘘とは言わねえ!」
久しぶりに後ろから声がした。
「あーあ。」
ずいぶん楽しそうな声だ。
「言っちゃった。」
店長さんが俺を見てにやりと笑った。
「知らないわよ~。」
俺の何を知らないのか知りませんがきっと知らないんでしょうね。あなたとは今日が初対面のはずです。
「だから、あたしはねえ、今まで嘘をついたことなんか一度もないわよ!」
それが嘘だろうが…。
そんな人間がいるか。
「おまえはもっと上手に嘘をつく練習をしろ。下手すぎて聞いていて苦しい。」
「何言ってんのよ!」
「おまえに『大嫌い』と言われて本当に嫌われていると思えれば、あきらめもつく。」
「あんた、あたしに『大嫌い』って言われて、それが嘘だと思いたくないの?」
「それが嘘だろうが本当だろうがおまえにそんなことを言われたくない。だけどおまえが今日言った『大嫌い』はただの嘘じゃないな。あの時の本音がいくらかなりとも含まれている。」
「つまりあんたは、さっき有希が言った大部分のことを全て嘘だと思ってるわけね。」
ん? なんだか俺の方が追いつめられていないか?
完璧なまでに余計なことを言ったような気がする。
「つまりあんたは、あたしがあんたのことを大切に思っていて、実はあんたが迎えに来ることを期待していて、あんたが決してからかいの対象なんかじゃなくて、あたしがもっとあんたに早く出会えれば良かったと思っていて、あたしがいつもあんたに会いたがっていて、あんたが有希やみくるちゃんを見ているたびにあたしがやきもちを焼いていて、実はあんたの苗字を欲しがっていて、さっきあたしを泣かした犯人はあんたで、あたしがあんたのものになりたがっていて、あたしがあんたを傷つけることを何よりも恐れていて、あんたの残りの人生を欲しがっていて、実はあんたの気を引くためにポニーテールにしたことがあることを知っているっていうわけね。」
「………そこまで自惚れてねえよ。」
「ふふん。そうね、バカ。そんなことあるわけないじゃないの。だけどあんたはそう思ってるっていうことね。」
「………………。」
「ということは、今言ったようなことは改めてあたしからあんたに言わなくてもいいってことね。」
なんだろう、この敗北感は…。
とりあえず先に進もう……。
「長門、結局おまえはハルヒに何が言いたいんだ?」
「涼宮ハルヒ、あなたは朝比奈みくるのように彼に優しくできない。
わたしのように彼に対して正直になれない。
それでもあなたは彼に守られている。
あなたがいちばん甘やかされているというのはそのこと。」
「だから、あたしはキョンみたいな奴に守られているなんて嬉しくないって、何回言えばわかるのよ!」
「あなたは今、この瞬間でさえ、彼に守られている。」
「……………。」
「仲たがいをしている今でさえも、あなたは守られている。」
「……………。」
「涼宮ハルヒ、気持ち悪い笑い方をするな。」
「あ、あんた女の子に気持ち悪いって…。」
「目じりが思い切り垂れ下がっているにもかかわらず、頬の緩みをなんとか顔中の筋肉を使って引締めようとしているため細かく痙攣している。まるでニラメッコをしているヒョットコのよう。今の顔を携帯のカメラで撮った。今から彼の携帯に送信する。」
「いやぁぁぁぁっ!」
「ジョーク。」
「あっ、あんたねえ…。」
「だけどなぜ? あなたが笑っていれば彼が喜ぶ。」
「どうせなら最高の笑顔で……って違うわ! なんであたしが恥ずかしい思いをしてまでキョンを喜ばせなきゃならないのよ!」
「そう。あなたがミニスカートをはいて彼の前で体育座りをしたり、立て膝をしたり安座したりするのは羞恥に耐えてまで彼を喜ばすためではない。どんなことをしてでも彼に見てもらいたいから。つまり自分のため。」
長門、それじゃあこいつがそれをして自分で喜んでるみたいじゃねえか。
こいつは俺を警察に突き出すとか言ってたぞ。
「二人とも馬鹿。」
いきなりバカとか言うなよ……。
「涼宮ハルヒ。彼を警察に突き出すことなどできない。あの時のあなた達の体勢はあなたの協力なしにはありえなかった。つまり犯罪ではない。あの場にいた目撃者たちの一致した見解。あれは猥褻行為ではあっても強制猥褻ではない。」
「ワイセツとか言うんじゃねえ!」
「あなたも馬鹿。涼宮ハルヒに土下座などしても喜ばない。彼女はあなたの卑屈な姿勢を見たいと思ったことなど一度もない。彼女があなたに土下座をさせるのはあなたに新しい下着を買ったことを自慢したいため。色を聞くのはあなたの好みに対するリサーチ。あなたがどんな色でも似合っているかのように言うので内心不満に思っている。なぜなら、事前準備だから。」
なんの準備だよ。
「本人には聞かない方がいい。きっとあなたを殴る。」
聞かねえよ。
「クリスマスイブ、わたしの部屋に全員来た時のことを思い出した。」
俺は長門が次に何を言い出すのかはっきりと予想することができた。
「ツイスターゲーム。」
やっぱり。
「涼宮ハルヒ、あなたは彼とツイスターゲームをすることを望んだ。」
「あれは古泉君が用意したんでしょ!」
「あなたが望んだから。」
「あたしは古泉君にそんな指示をしてないわよ! 古泉君はキョンと違って気が利くの!」
「ツイスターゲームを用意した古泉一樹を気が利くと評価している。つまり、あなたはあのゲームを望んでいたということ。」
「ぐ………。」
しかし長門ってここまで弁が立つやつだったかな。
いつもほとんどしゃべらないくせに今日は完全にハルヒを圧倒している。
もともと頭がいい奴だからな。
「だけど、誰とやるかはルーレットで決めたじゃないの! あたしはキョンと押し合いへしあいするなんて絶対いやだったんだからね!」
その理屈は長門には通用しねえぞ…。
「あなたは彼とゲームをすることを強く望んだ。わたしの操作が及ばないほどに…。」
「操作って……、あんたまさかインチキしようとしてたの?」
「自分以外と彼がゲームをすることを望まなかったと言ってもいい。」
「こらぁ、有希! 自分に都合の悪いことはスルーするなぁ!」
「自分が彼以外とゲームをすることを望まなかったと言ってもいい。」
「まさかあんた、実はキョンとツイスターゲームをしたかったとかそんないやらしいことを…。」
まるっきりかみ合っていないにもかかわらず先に進んでいく会話っていうのも珍しいな。
「いやらしいなどとあなただけには言われたくない。」
かみ合ったぞ。長門が妥協したな。
「あたし達はね、ルーレットの通りのことをしたにすぎないのよ。古泉君が何がなんでも出た数字の通りにやらなきゃだめだって言うし。体に触りたかったわけでも、触られたかったわけでもないのよ! もう一回言うわよ。全てはルーレットの数字! 偶然よ!」
実は墓穴を掘ってるっていうことをおまえは知らないんだよな…。
だけどいい。長門はハルヒが偶然を必然に変えてしまうことを言うことはできない。
無意識を証明することなど絶対に出来ないはずだ。
ハルヒがそうさせたとは言えないからな。
「味をしめたあなたは、冬合宿の時も同じことをした。」
「あれも古泉君が…。」
「あの時の、あなたの服装。」
思い出した。やばい……。
「あなたは真冬にもかかわらず彼とツイスターゲームをする時にはノースリーブとホットパンツ一枚、生足で登場した。」
「あそこは暖房が効きすぎていたわね、キョン。」
「そうだな。部屋着でも暑いくらいだった。」
「やはり共犯者のいやらしい連帯感を発揮する。あなたが涼しげな格好をしていたのは彼の前だけ。女ばかりになるとダブダブフカフカのスエットに分厚い靴下を履いていた。」
「……………。」
「おばさん。」
「……………。」
「涼宮ハルヒ?」
「……………。」
「団長?」
「……………。」
「ゆ、許してほしい……。今の発言だけは謝罪する…。二度と彼に聞こえるように『おばさん』などと呼ばない…。」
「……………。」
「許してくれないと、さっきのヒョットコのような顔を彼に見せる。」
「あんたやっぱり写真撮ってたの?!」
「違う。わたしが顔真似をする。さっきのあなたの顔はこんな感じ。」
「いやぁぁぁぁっ!」
「これをあなたの顔だと言って彼に見せる。」
「やめてぇぇぇぇっ!」
なんだかすごく見たくなってきたぞ…。
「あんたは黙ってなさい!」
「うるさいぞ、おばさん。」
「…………あたしは拗ねた!」
「冗談だ!」
女と話す時に体重のことと年齢のことだけは冗談にしちゃいけないってのはほんとだったんだな。
「あたりまえ…。だいたいこの騒動の大本は君があんなスタイルのいい子をデブ呼ばわりしたからでしょ!」
スタイルのいい奴だからふとってるって言われても気にしないと思ったし、まだ高校一年生だからおばさんって言われても怒らないかと思ったんだが(3歳の長門から見れば16歳のハルヒはおばさんなのか? そう考えてみるとますます朝比奈さんの本当の年齢を知りたくなった)。
「わたしは許してもらえたと考えて話を続ける。」
「誰も許したなんて言ってないわよ!」
「許してくれないとあなたの定期入れに何が入っているかを彼に暴露する。」
おまえ、電車通学じゃないだろ。なんで定期入れなんか…。
「うっさいわよ、バカ!」
なぜ俺が馬鹿呼ばわりされるんだろうか。
「やはりわたしは許してもらえたらしい。話を続ける。」
「誰が許したなんて言ったのよ!」
「こうまで言って許さないということは、あなたはスカートの中と同じように定期入れの中も彼に知られたいと思っているということになる。本当は秘めた思いに気づいてほしい。」
「許すわ!」
「団長、寛大な処置に感謝する。」
「有希がこんな卑怯者だとは思わなかったわ……。」
「もう一つ印象的だったのはあなたたち二人の表情。」
「いやー、あの時のおまえの表情は見てないなー。」
「あ、あたしもあの時のあんたの表情は見てないわ…。」
「当然のこと。まず涼宮ハルヒが四つん這いになり、それに覆い被さってあなたが四つん這いになっていた。
互いの表情など確認できるわけがない。」
「だから、ルーレットでそうなったって言ってるでしょ! キョン、あんたからもそう言いなさい!」
俺が言っても長門には通用しないんだって…。
「もっともあなたたちのこと。あの状況では相手の表情など確認できる姿勢であっても見ることなどできるわけがない。
自分を抑えるのに必死。」
「あ、あんたまさか、楽しんでたわけじゃないわよね…、ルーレットで最悪の数字が出て、あたしがあんなに嫌がってたのに…。」
え、えーと。これは何て答えればいいんだ?
「涼宮ハルヒ、あなたは全然嫌そうな顔をしていなかった。真っ赤な顔をして目を細め、鼻の穴を思い切りふくらませ、口をうっすら開けていた。真似をしてみると、こんな顔をしていた。」
「いやぁぁぁぁっ!」
「恍惚。」
「やめてぇぇぇぇっ!」
さっきもこんなやりとりをしてたな、おまえら…。
「そして彼の表情……。鼓動をあなたに悟られたくないのか胸を背中につけたくない、だけどつけたいと顔に書いてあった。何回もつばを飲みこみながら、三秒ごとにつけたり離したりしていた。」
「あれは、腕が疲れただけだ!」
「最後にはぴったりくっつけていた。」
「だから疲れたんだって! 体をずっと同じ状態に保つってのは大変なんだぞ!」
おまえにはわからないだろうけどな。
おまえだったらじっとしていようと思えば一週間でも十日でも同じ姿勢で読書していられるだろうが。
「たしかに、体を同じ状態に保つことの難しさはわたしにはわからない。」
だろうな。
「女のわたしには。」
う………。
「キョン……、あんたあの時、ずっと体を同じ状態になんかしてなかったわよね…。」
できるか、バカ。
「時間が経つにつれて変化していく様子が観測できたんだけど……。」
ハルヒが吐き捨てるような口調で言った。
「ああ、イヤだ!」
「おまえは……、そういうおれを軽蔑するのか?」
「出たっ、卑怯な質問!」
「だけとさっきと違って認めちゃってるからね…、さっきのようにはいかないわよ?」
後ろで店員どもがこそこそ話している。
体の変化を認めたことがまずかったんだろうか?
「あんたを軽蔑するかって、当たり前じゃないの!
団長たるあたしに変な気持ちになるなんて、何を考えてるのよ!
あんた、いつもボーっとした顔してるけど、そんなこと考えてたの!
気色悪い! 気色悪い! 気色悪い!
これからは部室であんたと二人だけにならないように気をつけなきゃね!
もう一回言うわよ。
あたしはあんたを軽蔑しているの!
あんたをSOS団に入れたのは、何の役にも立ちそうにないけど、あたしにバカにされるためだけならば部室に置いておいてもいいかと思っただけよ!
だってね、本当にあんた何の取り柄もないもの! 
勉強もスポーツも音楽も、ぶっちぎりであたしより下だし、みくるちゃんみたいに可愛くもないし、有希みたいな万能選手でもないし、古泉君みたいな美少年でもないしね!
あたしがあんた程度の男を軽蔑するのは当然のことでしょ!」
「……………。」
俺は何も言えずに黙っていた。
ハルヒもそれ以上は続けることなく黙りこんだ。
俺があまりにも何も言わないのに焦れたのか、ハルヒが叫んだ。
「嘘よ…。嘘を言ってるの!」
おまえはクレタ人か。
「だから……、さっき言ったことは全部嘘なの!」
「そうかい。」
それしか言えなかった。
静寂。
さっきから幾度もあったような俺だけが針のむしろに座っているようなそれではなく、ましてさっきのようなやさしい静けさでは勿論なく、お互い何を言ったらばいいのかわからず、それでいてこのままにしておけば何かが壊れてしまいそうな沈黙。
だけど俺はこの時口に出すべき言葉なんか持っていなかった。
ハルヒがまた同じことを叫んだ。
「だから聞いてた? ウソだって言ってんでしょうが! あんたわかってるんでしょう? このあたしがあんたを軽蔑なんかできるわけないでしょうが! バカ!」
バカ、ね………。
バカという言葉には頭が悪いという意味しかないな。
おれはため息をついて言った。
「やれやれ。」
嘘だろうが本当だろうが、おまえからあんな言葉を聞くのはつらい。
たしかに俺はおまえが嘘をつくのが下手だということを認めた。
だけどそれが嘘だと誰にでもわかるからといって、何でも言っていいわけじゃないんだ。
まして言い終わってから「嘘だ」と言えば何でも許されるわけじゃない。
ハルヒもとうとう言うべき言葉を失ってしまったらしい。
二人して黙り込んだ。
「話をもどす。」
もどせ。
「今のは君が悪いのよ。あの子が絶対に答えられないようなことを聞くからよ。」
しっかり答えてましたけどね。
あんなことを言わなくても、否定したいなら否定すればいいし、肯定したいなら沈黙すればいい。
「否定しかできないような質問をしておいて、沈黙は肯定ってあんまりじゃないの?」
とにかく今は長門の一言がありがたい。
「女の体でも自らの意志と関係なく変化することがある。」
やっぱりありがたくない。
「冬合宿から帰ってきてから、涼宮ハルヒはあなたをじっと見つめることが多くなってきた。」
さすがに観測対象のことはよく見てるな。
「というより、あなたの下半身ばかり見るようになった。かつてはあなたの表情ばかり見ていたことと比べるとこれは重大な変化。」
「ゆゆゆ、有希ぃ……、あんた何を言おうとしているの?」
「だいじょうぶ。あなたが彼の体の変化を観測しても軽蔑したりしないように、彼があなたの変化を知ったとしても決して軽蔑したりしない。あなたの懸念は杞憂。」
「そういうことじゃないの! 嘘だろうが本当だろうが口に出しちゃいけないことがあるの!」
今ので少しは懲りたかハルヒ……ってそれどころじゃない!
「わたしはウソをついたりしない。これから述べることは全て事実。
あなたはパソコンのディスプレーを見るふりをしながら彼を盗み見ていることが多い。
彼の目線がそこにあるわけでもないのに、何度も何度も足を組みかえる。
いきなり立ち上がったかと思うと、顔をうつむき加減にして内股にした足をモゾモゾ動かす。
かと思えば椅子に深く腰掛け、天井を仰ぎ、舌をほんの少し出したかと思うとひっこめる。
両手で机の縁を強く握りしめ、何かに耐えているかのように、組んだ両脚を内側にしならせながら座ったままの体を反らす。」
ハルヒがあーとかうーとか言ってるが、長門は無視して話を続ける。
「言葉にする勇気がないなら、清潔なものだけでなくこの時の下着を彼に見せることを推奨する。
おそらくその内側は彼に対する想いでべトべ………。」
「ハルヒっ、受話器は誰が持ってる?!」
「いつの間にか有希が持ってるわ!」
「長門から受話器を取り上げてスピーカーをカットしろ!」
「なんであんたがあたしに命令するのよ!」
「限界なんだ! やれ!」
「わかったわ!」
メールが来た。
 
「閉鎖空間が拡大する一方。危険領域に入る。」
 
だろうな。
「有希、団長命令よ! その受話器をよこしなさい!」
「これはわたしの家の電話…。なぜあなたに渡さなければならない?」
「これ以上キョンにおかしなことを吹き込ませないためよ!」
「だから大丈夫だと。」
「これ以上あいつに変なことを聞かせたら殴るわよ!」
「彼からそれをするなと忠告されたはず。」
「有希っ、キョンがやれって言ってんのよ。あんた逆らうつもり?」
「くっ、わたしの唯一最大の弱点を突いてくるとは……、卑怯者。」
「卑怯者って…、今日のあんたに言われたくないわよ!」
なんだかバタバタしている音が聞こえてくる。
メールの続きが来た。
 
「デッドラインまであと8分。」
 
また8分か。
同じ一日でやることだ。しかも同じ約8分前に前段階を終えた。
世界改変の方向は、さっきと同じだと考えられる。
すると…。
「キョ、キョン……。」
「ハルヒっ、やったか!」
「抵抗してたけどね、あんたの名前出したらおとなしくなったわ。」
キョンっていうのは俺の名前じゃないけどな。
「よくやったぞ、ハルヒ。」
「あ、ありがと。じゃなくて、なんであんたにほめられて喜ばなきゃならないのよ!」
うれしくないなら喜ぶな。
「それであたしにこんなことをさせてどうするつもり? さっきから変なことばかり言って、今日のあんたは信用できないわ!」
「ハルヒ、7分半だけ俺を信じろ。さっきも言った通り、おまえだけに話したいことがあるんだ。」
(なんで7分半だけなのよ。ただ「俺を信じろ」ってどうして言えないのかしらね、このヘタレ野郎は…。)
ブツブツ言ってるのがはっきり聞こえるぞ。
というか、受話器持ってるっていうことは、わざと俺に聞こえるように言ってるだろ…。
「話したい…、というより聞きたいことと言った方がいいか。」
「何を聞きたいわけ? 下らないことだったらぶっとばすわよ!」
多分下らないことを聞く。だけどぶっとばすのは勘弁してくれ。
俺はおまえのことだからこんな下らないことでさえ知りたい。
「うわぁ、また不意打ち。今日何回目かしら…。」
「四回目、五回目?」
「もう数えるのも面倒になってきたわね…。」
「一日の間に何度でも同じ手にひっかかるこの子もこの子だけど…。」
外野、本当にうるさい。今必死なんだ。
おまえもスピーカーから変な声を出すんじゃねえ。
「もうっ、わかったわよ! 何を聞きたいわけ?!」
「ハルヒ……。」
「何よ。」
「これからもそう呼んでいいか?」
「はぁ? 下らないことを聞くって言ってたけど、ここまで下らないとは思わなかったわ!」
「おまえにとっては下らないことかもしれないが、おれにとっては大切なことなんだ。おまえの正式な許可をもらったわけじゃない。
なんとなくいつの間にかドサクサでこう呼ばせてもらっているような気がする。」
「いつの間にかじゃないでしょ! あんたが初めてそう呼んだのがあたしのポニーテールを褒めてくれた時だったから、特別に許してんのよ!」
「夏合宿の時は悪かったな。」
「何が?」
「痛くなかったか? 手が。」
しばらく沈黙したままだった。
「ちよっと痛かったわよね…。あんた、風が強かったから必死にあたしの手にしがみついてたのね。いつもは手をブラブラさせてるくせに……あれが初めてだったわね。あたしを重しにするつもりだったの? 言っておくけどあたしはあんたよりはるかに軽い…。」
「あたりまえだ。」
「夏よりも冬の方がちょっとふっくらするのはあたりまえなんだからね! 夏は水着になったり薄着になったりするから緊張感があるんだから!」
そんなことはどうでもいい。
「だったらあんなこと言うな!」
やっぱり執念深い。昨日のことなのに根に持ってる。
「あれだけ軽かったんだから、引っ張り上げてくれれば良かったじゃないの! 一緒に崖から落ちてどうすんのよ!」
「おまえ、おれの上に落ちてきたじゃねえか!」
「あたしの方が軽いから遅く落ちたの!」
おまえ、物理の成績は俺よりずっといいはずだよな…。
「おれが三日間昏睡していた時のことを覚えているか。」
また沈黙した。
「なんでそんなこと思い出させるのよ…。」
悪かったか?
「せっかく忘れかけてたのになんで思い出させるのよ……。
あんた三日間もあたしの前にいなかったのよ!
団長たるあたしを、三日間もひとりぼっちにしたのよ!」
 
あの時おまえもおれの前からいなくなってたぞ。
 
「あんた、なんにもわかってないみたいね……。
あの時あたしがどんなに怖かったか!
あの時あたしがどんなに嬉しかったか!
あんたあの後、みくるちゃんは泣いたのに、あたしは泣かなかったってスネてたけどね…、
人間はね、本当に怖い時は涙なんか出てこないの…。」
 
「ゲロが出てくんのよ!」
 
「女の子を泣かせただけでも重罪なのに、
恐怖のどん底にいる女の子を夜中の病院のトイレと病室を往復させるなんて、あんた何様よ!
本来なら罰金なんていう軽い刑じゃすまされないような凶悪犯罪だわ!
あの時あたしなんにも食べられなくて、胃の中が空っぽになって、胃液だけげえげえ吐いて……、
そのうち胃液さえも無くなって、出てくるものがすっぱい液から苦い液になって……。
あんた目をさました時『ヨダレを拭け』なんて言ってくれたけど、
あれは涎なんかじゃないわ。腸液よ、腸液!」
「おまえそんなこと一言も……。」
「さっきあたしが言ったこと覚えてないの?
あたしは、あんたの前でだけはカッコつけたいの!
だけど釘を刺しておかないとあんた、またこのことを話題にしそうだからね……。
あんな怖い目に遭わせて!
責任取りなさい!
今すぐあの時のことを忘れさせなさいよ!」
断る。
おまえにとっては恐ろしい記憶かもしれないが、おれにとってはこれも大切な思い出だ。
「万一またあんなことになったら…、あたしはどうやってあんたを守ればいいのよ!」
なんだ、そんなことか。
 
「祈ればいいさ。」
 
実はこの答えはさっきおまえ自身が出していたんだ。
「気休め言うんじゃないわよ! 祈るだけでどうなるっていうのよ!」
「おまえあの時、祈ってくれなかったのか?」
「………ふざけるんじゃないわよ。寝ても覚めても、夢の中でも、ゲロを吐きながらでも祈ってたわよ!」
「その祈りはかなえられたはずだ。おまえは祈るだけでおれを守ることができる。」
「いやにきっばりと断言するのね。」
「事実だからな。」
「そんな……。」
「7分半はおれを信じろって言ったはずだぜ。まだタイムアップじゃないはずだ。」
「…………ほんとうにそうなの?」
「おまえが祈ってくれたからおれは目を覚ますことができたんだ。」
「そうなの?」
「そうだ。」
「………わかった。」
ここで案外時間を食ったな。
時計を見た。あと…何分だ?
アナログ時計ってのは案外不便だな。
今日みたいなことがあるんなら、千円くらいのストップウォッチつきのデジタルにでも変えるか。
「やめといてあげなさい。それはあの子のご両親の君に対する覚悟の証なんだから。」
そうしますか。
とにかくもう時間が無い。
三年前の七夕のことは聞けない。
だけどこれは最後に聞きたい。
「おまえその……、悪い夢のことを覚えていないか?」
「どんな夢よ。」
どんな夢かは……、言えないな。
「……、おまえが八ヶ月前に見た夢だ。」
「それだけじゃわからないわ。」
そうだよな。
「すまん、何でもない。」
「あんたねえ……。質問はもう終わり?」
「そうだ。」
ひどく中途半端な気分だ。
「だったら今度はあたしの質問に答えなさい!」
聞かれても答えられないことの方がはるかに多いが。
「さっき……、おかずとか主食とか言ってたけど、あたしって何なの!」
そう言ってたのはおまえだ。
「それはその……、おれにとってのおまえがどんな存在かっていう意味か?」
「あたりまえ。」
「団長だとかいつもおれのうしろに必ずいるやつっていうことだけじゃないな。」
「あたりまえでしょ!」
その質問になら答えられそうだ。
「おれはそのことについてギリギリまで突き詰めて考えたことがある。」
「……それで、答えが出たの?」
「もちろん。」
「で、答えは?」
「この答えはさっき長門が口に出している。」
「今日、有希の言ったことなんてたくさんありすぎておぼえてられないわよ!」
「珍しいな。」
「だから答えは? もったいぶらずに教えなさい!」
イライラしてやがるな。タイムアップが早まると困るんだが。
 
「おまえはSleeping beauty……、眠れる美女だ!」
 
「………意味がわからないわ!」
やはりヒント一つでは無理か。
「おまえが眠り姫だとわかったおれはおまえに対してある行動に出た。」
「ある行動って何よ!」
「ここで一つ聞きたいことがある。」
「質問に質問で返すな!」
「質問自体が答えということもある。それにこのことはさっきも聞いた。」
 
「おまえは、五月に見た悪夢をおぼえているか?」
 
ずいぶん長い沈黙。
おれはそれをじっと待った。
「………、わかんないわ。」
「大切なことなんだ! よく思い出してくれ!」
「…………。」
今度の沈黙を待つことはできなかった。
「お願いだ! 思い出してくれ!」
「………てるわよ。」
「たのむ、もう一回言ってくれ!」
「おぼえてるわよ! 忘れられるわけがないでしょ! バカァ!」
「おまえはそのことをおぼえてるんだな……。」
「念押しするな!」
「忘れてはいないんだな……。」
「…………うん。」
「そ…、そうか……。」
次の言葉が出せなかった。
「あんた………、泣いてるの?」
気づかれたか……。バカにされるだろうな。
 
「お、おまえ……、さっき…、全部忘れたって言ったじゃねえか!」
 
手の平で両方の眼をこすった。
「バカね………。」
あっ、やっぱりバカって言われた。
「ほんとうにバカね、……あんた。」
二回言うほど大事なことなのか?
だけどそんなことはもうどうでもいい。
忘れないでいてくれた!
おれはおまえを忘れない。
だから、おまえもおれを忘れるな……。
ハルヒ、忘れないでいてくれ、ここにおれがいたことを。
「『ここにいた』じゃなくて、『ここにいる』でしょ。」
そうだった。まだ終わったわけじゃない!
口に出してはっきり言ってみた。
 
「おれは、ここにいる。」
 
そうだ。
おれはここにいる。
おまえがここにいるかぎり、
かならずおれはここにいる。
かならずおまえのそばにいる。
だからおまえもここにいろ。
二度とだまって
ここからいなくならないでくれ……。
 
「あんた……、絶対そこにいなさいよ……。」
だからここにいると。
「あたしが行くまで、決してそこを動くんじゃないわよ…。」
えーと、ハルヒさん、話がつながって…、いるのかな?
「もし逃げたりしたら…、許さないわよ……、」
すーっと息を吸う音が聞こえた。なんかデジャブ。今度はなんて言われるんだ?
 
「たとえあんたでもねっ!」

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