※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

涼宮ハルヒの切望Ⅷ―side H&K―


 そこにはあたしが、ううんあたしたちが望む光景があった。
 あたしの手をどこか感慨深げに、それでいて少し震えてつかんでいるキョンを正面に捉えている。
 彼の足もまた、しっかりと部室の床を踏みしめていた。
 戻ってきた……
 戻ってこられたんだ……
 あたしの全身も感激に打ち震えている。
 しばし見つめ合うあたしとキョン。
 いつもならこんなことには決してならないんだろうけど。
 でもこの雰囲気になれば次の展開はこうなって当然なの。
「キョン!」「ハルヒ!」
 呼び合いながらあたしたちは抱擁し合う。
 お互い強く深く力を込めて。
「このバカ……どこ行ってたのよ……」
「すまねえ……お前に迷惑かけちまって……」
 抱きしめ合いながら、嬉し涙を浮かべているのに悪態付いてるあたしだけど、それでもキョンには本当のあたしの気持ちが届いていることが理解できる謝罪の言葉が聞こえてくる。
 それが心から嬉しい。
 キョンに向けられている有希、古泉くん、みくるちゃんの視線はあたしも嬉しい。
 安堵、慈しみ、喜び。
 この三つの視線は全部、あたしと同じ気持ち。SOS団は異体同心一蓮托生。それを再認識できて嬉しかった。
 みんなキョンのことを本当に心配してくれていた。
 それがあたしの感動をより一層大きくさせてくれる。
 その余韻に浸ることしばし。
 と言うか、ずっとこうしていたいくらいなんだけど――


『感動の再会のところ悪いけど、一つ、留意してほしいことがあるの』


 なんとなく少し遠いマイクでしゃべっているような声があたしの左後ろから聞こえてきて、反射的に、でもちょっとゆっくりと肩越しに振り向いてあたしは思わず目を見開いた。
 うそ……まさか……
 キョンと再会した感動とはまったく別の感情であたしの全身が震える。
 端的に言うなら驚嘆もしくは愕然。
 だって、そこにその人がいるなんて信じられないんだから……
 でも絶対に忘れられない人だったから……
 そこにはなんとなくノイズ走りまくりの古いテレビの画面みたいな感じで、去年の文化祭の時の有希みたいな恰好を、魔女っ子ファッションの少女に見える女性がいた。
「キョン……もしかして、あんたが行っていた世界って……」
「まあ、な……おかげでこっちの世界に帰してもらえたって気がしないでもない……」
 言って苦笑を浮かべるキョン。後ろ頭も掻いている。
「あ……」
『もう悠長に話している時間はないから用件だけ言うわ。それに前も言ったとおり、私と、そして彼女のことは忘れちゃっていいから。んで説明は魔法の知識に抜きん出ている彼女にしてもらうね』
 あたしが呼びかけようとして、しかし彼女は少し名残惜しそうな笑顔を浮かべていたけど遮って、
 って、彼女? 誰のこと?
「ハルヒ……反対側だ……」
 キョンの声もなぜか震えている。この震えはどちらかと言えば呆然に近いわね……
 信じられないものを見るような感じのもの。
 と言う訳であたしは視線を今度は右後ろに移す。
 そこには、
「えっ!?」
 あたしが思わず声をあげてしまうのは無理ないってもんよ! だって、そこにもノイズ画像で一人、女の人が佇んでいたし!
 それもみくるちゃん張りに起伏にとんだプロポーションもさることながら、そのヘアカラーは筆舌しがたいものがあるわよ!
 いやまあ言葉にすれば簡単なんだけど実際、こんな色に染める人なんていないだろうってくらい鮮やかな桃色なんだもん!
「言っておくがハルヒ……あの人のあの髪の色は地毛らしいからあんまり好奇の視線を向けん方がいいぞ……」
 キョンの何とも言えない苦渋に満ちた感じの注釈が聞こえてきたし。それも小声って。
 ふと前を見てみれば、古泉くんとみくるちゃんは絶句しているみたいだし、有希は無表情に見えるけどどこかその漆黒の瞳がいつもより丸みを帯びている。
 そりゃそうよね。あたしだっていまだに事態が飲み込めないんだもん。
『今、あたしたちがお互いに見えるのはこの異次元召喚術の魔力余波だから。でもそれは本当にしばらくの間。その余波がなくなればお互い見えなくなるわ。なんせ存在する世界が違う訳だからね。一時的にこの世界とあたしたちの世界が鏡を隔てて繋がっていると思ってもらえばいいのかしら。ちなみにこの場合の鏡は次元断層って意味よ』
 異次元とか召喚術とか魔力て。なんか桃色の髪と魔女っ子マントスタイルがあいまって見た目通りの人なのかな?
「向こうの世界だと常識なんだよ。実際に俺も体験してしまったから今のあの人の言葉を穿って見れん」
「そうなの?」
 キョンの苦笑にきょとんと返すあたし。
『キョンくん』
「あ、はい」
 桃色の髪の人がキョンに呼びかける。
 んで、なんかよく分からない理論を交えて説明しているんだけど……
『――って、あら? どうやらここまでで限界みたいね。あたしたちから見えるあなたたちが急激に薄れていくから、そっちでもあたしたちが見えなくなってきたんじゃない? でもまあいいわ。言いたいことは全部言えたから』
「ちょ、ちょっと待ってください! 今の話本当なんですか!?」
 あっけらかんと話を終えようとする桃色の髪の人にキョンが焦った声あげてるし。
 んまあ、彼女の説明に意味不明な単語と理論は混ざっていたことはさておき、あたしにも彼女が言った意味が何かは理解できたわ。
 と言うか何でそれで焦らなきゃいけないのよ。別に今までと変わんないじゃない。
『え? あなたたち、そういう関係なの? なぁんだ。だったら確かに変わんないと言えば変わんないか』
「認めんで下さい!」
『そうは言うけどさ。あれ以外にこっちにキョンくんを送れる方法なかったし仕方ないじゃない。それとも何? あたしたちの世界で生きられると思ってるの? あの取り乱した様子を見るとそうは思えなかったけど』
「うぐ……」
 ぷぷっ、向こうで何やったのキョン?
「う、うるせえ! 単にこっちの世界に帰りたいって泣き叫んだだけだ! 悪いか!」
『まあそうなるのは仕方ないわよ。あたしも経験あるしね』
 キョンの居直り言葉を聞いて桃色の髪の人が苦笑を浮かべている。
 そっか。んじゃあからかっちゃ悪いわね。たぶん、あたしも元の世界に戻れないとなったら取り乱すだろうし。
「今回のことは感謝する」
 有希が毅然と切り出した。
 あ、そういえばそうよね。この人たちの協力がなかったならキョンはこっちに戻れなかったんだから。
『いいわよ。お互い様だから。私たちだってあなたたちの協力がなかったら彼をこっちに戻せなかったもの。それに私たちは以前、その二人に救われたことあったし、そのお礼の一環でしかないわ』
 ――!!
「待って!」
 あたしは思わず呼びとめた。
「あたしは――あたしは!」
 悲壮感を漂わせたあたしは消えゆく二人に言葉になっていない言葉をかけるしかできなかった。
 だって、あのことはあたしの所為なんだし……
『事の真相は全部キョンくんから聞いた』
 え……?
『でも同じことでしょ? 彼があなたのことを教えたから、あなたは世界創造を止めてくれた。もし彼が教えなかったらあなたは気づくことができなくて私たちの世界は崩壊してた。ならやっぱり私と私たちの世界を救ってくれたのはあなたたち二人。違う?』
『だからあたしたちの気持ちは変わらない。これまでもこれからもあなたたちへの感謝は忘れないわ』
 こんな風に言われてもやっぱりあたしの中では彼女たちへの贖罪の気持ちが消えない。
 ただ、なんとなく肩の重荷が少し軽くなった気がする。
 それはどうして? と問われても答えられないんだけど。
『じゃあね――』
 最後に二人がとびっきりの微笑みを浮かべると同時に、音もなく二人の姿はまるでこの部室に溶け込むかのように薄くなっていく。やがて目に見えなくなったとき、なぜか部室にさらさら流れる細いガラスのような結晶が降っているような幻覚が見えた気がしたと思ったら、二人の余韻すらもこの場から消滅した気がした――


 

◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇   



 さて、ここからは後日談になる。
 俺はこっちの世界に戻ってきて、昨日までとにかく色々な人に頭を下げて回った。しかもその度に俺の頭を押さえつけていたのは愛想笑いを浮かべて常に俺の横にいたハルヒだ。
 当日は二年五組と鶴屋さん。
 んでSOS団には土曜日に全員奢りという詫びを入れさせられた。つっても、これはいつもと変わらんか。
 そして翌週水曜日。その日の放課後、おそらくは詳しい説明を聞けるであろう人物への元へととにかく急いだ。
 なんでも今回の件で三日ほどのメンテナンスが必要になったとかでそいつは昨日と今日、学校を休んでいたから。実は土曜日も無理して来ていたらしい。
 その証拠に昼食後、あっさり帰宅したもんな。
 おっと俺は別にハルヒに聞かれたくなかったから急いだわけじゃないぜ。
 と言うか、ハルヒはもう、俺がジョン・スミスで、長門が宇宙人で、朝比奈さんが未来人で、古泉が超能力者だってことを知ってしまっているんだ。
 てな訳で、俺が部室に急いだ理由は単に逸る気持ちを抑えられなかった、ただそれだけだ。
 なんたって最大の謎はまだ残されたままだったからな。
 が、文芸部室に入って、朝比奈さんの生着替えを目撃してしまったものだから、朝比奈さんの悲鳴が外に漏れないように急いでドアを閉めて廊下で待つことしばし。
 ひ、久しぶりだったのと事の真相を知りたかった探究心が勝ってしまっていたんだよ!
 ノックしなかったのは単に忘れていただけだ!
「ど、どうぞ……」
 う、ううん……部室からまだ恥じらった声が聞こえましたね……
 俺は多少、後ろ暗い気持ちでドアをくぐる。
 むろん、そこには朝比奈さんがまだ少し頬を赤く染められて困った顔して佇んでいらっしゃいました。
 いや本当にすみません。
「いえ……あたしこそ鍵もかけずに……」
 などと言う謝り合いの会話を交わした後、俺は目的の人物の傍に行った。


「今回の出来事は情報統合思念体の終末派が目論んだこと」


 で、近づいた途端、普段は挨拶するまで物言わぬ文芸部長にしてSOS団の読書係はハードカバーから目もあげずに切り出してきたんだ。しかし何とも言えん寒々とした雰囲気はいったい何なのか?
 まあ今はいいか。とりあえず真面目に話をしておきたいからな。
「終末派だと? 確かお前から聞いたのは主流派、急進派、穏健派、革新派、折衷派、思索派ではなかったか? 終末派なんて初めて聞いたぜ」
「わたしも最近知った。今回のことで情報統合思念体が教えてくれた」
 なぜお前に知らされなかったんだ?
「必要無かったから」
 いやそれを言ったら身も蓋もないだろう。まあ確かにお前の任務はハルヒの監視であり、ハルヒの護衛だから……
 って、最近って言ったよな? 知ったのはいつだ!?
「あなたが異世界に飛ばされた翌日」
 なんとまあ、と言うことは今はその派閥を知っておく必要ができたってことだ。
「終末派は情報統合思念体の中でも異質。意味に齟齬を生むかもしれないが生命体が持つ根本的な感情が欠けた存在」
 思念体を生命体と表現するのはまあ確かに変な感じはする。だが長門は俺に解るように説明するためにあえて使ったんだ。
「以前、説明した通り、我々情報統合思念体は派閥の志はどうあれ、自律進化を目的としている。それがわたし、朝倉涼子、喜緑江美里がこの地に存在する理由。主張は違うが皆、自律進化を念頭に置いている。それだけは同じ意志」
 朝倉はもういないがな。
「しかし終末派は自律進化を放棄した意思。よってその思考は自らが滅ぶことしか念頭にない。そしてそれは生命体すべてが持っている思考とは真逆に位置するもの」
 なるほどな。確かに俺たち人間は誰しも死にたくないと願い生きることに対して執着する。それは長門の親玉もそうなのだろう。放っておけば滅びの一途を辿るなら、藁に縋ってでもなんとか生き長らえる方法を模索するのは当然ってことだ。なんと言っても命の有無は別にして『生きている者』だからな。
 つまり、終末派ってのは死にたがりの連中だ。自殺志願者と言っても過言じゃないかもしれん。
「涼宮ハルヒが世界を滅亡させれば自分たちも滅びることができる。だからあなたを別の世界へと追いやった。正確には別の世界ではなく次元断層に放り込んだ。なぜなら彼らも自らの意思を持って異なる世界には行くことができないから」
 何で俺なんだ?
「あなたは涼宮ハルヒにとっての鍵。鍵がなくなればその扉に意味はない。扉は我々にとって新しい自律進化への道筋をつけるための指針」
 そりゃまあ鍵のない扉なんて意味ないだろうな。鍵がなきゃ扉を付ける必要なんざないわけで……
 って、まさか!
「その通り。鍵=あなたがいない世界では涼宮ハルヒは何も意味がないと考えた。だから滅亡の危機に瀕した。そしてこれが終末派の狙い」
 う、ううん……なあ世界、本当にそれでいいのか? それも今の『世界』ってのは全宇宙を指しての『世界』なんだぜ?
 そんな、俺にはとっても理解できそうにない広大な世界が俺なんぞに振り回されてるなんて思いっきり理不尽としか思えんぞ。
 と言うか、何で俺は次元断層に放り込まれただけで済んだんだよ。今のハルヒに世界を滅亡させたいなら俺の命を奪う方が早くないか? 現実に朝倉もそうやろうとしたんだぜ。
「次元断層に放り込んだ時点で有機生命体はほどなくその生命活動を完全停止する。だから生きていても死んでいても大差ない」
 そ、そうですか……さらっととんでもないことを言う。
 てっきり終末派とやらが情けをかけたのかとも考えたんだが全然違うらしいな。と言うか全く逆じゃないか。
 ったく、死にたいなら自分だけ逝けっての。無関係の連中を巻き込むんじゃねえよ。
「土曜日にあなたと涼宮ハルヒが口論になったことを利用した。それゆえわたしも涼宮ハルヒの力によって一時的にあなたが消失した、と誤解した」
 なるほどな。確かに俺はハルヒが『あんたの顔なんて見たくない』と聞いただけで『どこかへ消えてしまえばいい』という言葉聞いていないんだ。もっとも、あの言葉を意訳すれば『あたしの前から消えなさい』と受け取れないこともないわけでそれが長門を誤解させてしまったんだ。
「なあ、ひょっとして俺はこれからも朝倉や、今回の奴みたいな連中に襲われたりするのか?」
「大丈夫」
 ここで初めて長門は視線を俺に向けた。その瞳には珍しく強い決意の炎が燃えている。
「わたしがさせない」
 なんとも頼もしい言葉だね。しかしだな。言っておくが俺だって、お前やハルヒ、朝比奈さんを守りたいと思っているぜ。もちろん古泉もだ。
「そう」
 長門がミクロ単位で頷き、そして続けてきた。
「わたしからも聞きたいことがある」
 どうにもさっきの寒々とした雰囲気は完全に消え失せてしまったようである。
 いったいさっきのは何だったんだ?
「頭髪が桃色の異世界有機体が言ったことは本当?」
 って、ああ、あの言葉か。
「いやまあ……たぶん本当なんだろうぜ……」
 俺は苦虫をつぶした顔をした。


 そう言えば、どうして俺が戻ってこれたのかの詳細な説明がまだだったな。
 それを今、少しだけ説明させてもらう。
 まあ何だ。あの二人は召喚魔法を利用してこっちの世界と向こうの世界を一時的に連結させたんだ。
 それはハルヒ、長門、朝比奈さん、古泉にあの二人の立ち位置が関係している。
 俺を中心に長門が俺の真後ろ、ハルヒが俺の正面に立ち、あとの四人が中心から俺とハルヒ(長門でもいいぞ)の間隔で60度ずつずれて立つとどうなるか分かるかい?
 まあ答えを言ってしまえば正三角形を二つ重ねて丸で囲んだ形、すなわち六芒星魔方陣だ。これは二つの世界を隔てていたとしても効果があるとのこと。
 なぜなら向こうの世界では召喚術を用いるときに使う呪紋だそうで主に悪魔や魔獣とかいう地底世界にいる輩を呼び出すものらしい。
 んで、六芒星魔方陣は地底世界と地上世界を繋ぐ扉ということだ。
 この理屈をあの二人は応用したんだ。
 もっとも同一世界じゃなく異世界間なわけだから通常の召喚術で成功するはずがなかった。
 ところが、あの時、俺とハルヒの持っていた小石が二つの世界を繋げていた。そして俺の予想通りで、異世界への扉を開くトリガーの力を持つSOS団のエンブレムと、異世界との境界線が著しく弱くなっている文芸部室の超空間とを利用してハルヒが無意識に、しかし一心に願ったからこそ、あの小石を通じて俺の元へと線を繋げることができたんだ。まあいくらハルヒでもそこまでが限界だったんだがな。んであの魔石を作ったのと魔力を吹き込んだのはあの二人だ。それがマジで呼応したらしい。つーことはあの二人は人間の身でありながら、その力を次元断層にまで及ぼせるってことか? まあそれくらいの力は持っているみたいだったが……
 んで、その線が召喚の伏線になったんだ。
 後は『同一意志』が『異空間に入り込んで』線を確認し、その線を利用して『空間を越えて』、向こうからも『道を繋ぎ』、召喚させるために『扉を開いた』って経過だ。
 つまり、あの二人が使った魔法はテレポテーションと召喚術の合体魔法。
 俺を元の世界に飛ばすためにテレポテーションを使い、呼び出すために召喚魔法を使ったってことだ。
 ただ、確か胡散臭い本によれば六芒星魔方陣はもっと何か書いてあった気がするし、あんな小さいものじゃなかったはずなんだ、なんて考えたのだが、結構ガックリくる答えをあの二人は言ってくれた。
 何の魔力も持たないごく普通の一般人に属する俺くらいなら簡易魔法陣で充分なんだってよ。複雑な魔法陣を利用するものは呼び出すモノが強力な魔力を持っていたり力があったりする場合でそれを服従させるためにより複雑な.呪紋が必要になるって説明だった。
 なんかえらく馬鹿にされた気分だったぜ。


 で、長門が聞いてきた俺が受けた留意事項というやつなんだが……
 ああ分かったよ! 言うさ!
 たぶん、『召喚術』って言葉が出た時点で想像できたとは思うが、あの術には『呼ばれた側』は『呼んだ側』に絶対服従してしまうというルールがあるんだ。
 言っておくが校則とか条例とか六法なんて甘っちょろい文面法律なんかじゃないぜ。あんなもの罰則とか罰金さえ気にしなければいくらでも破ることはできるんだ。まあできれば破りたくはないがな。
 ところが今回の場合、なんだか潜在意識とか深層心理の部分で逆らえないんだ。
 逆らうことにあからさまなセーフティーがかかってしまってる。これがどうい意味か分かるか?
 俺はハルヒにこっちに呼ばれた扱いになったんだ。
 もうお分かりだよな。
 そうだよ。俺はハルヒの本気でやることなすこと命令することに愚痴は言えても行動としてはまったく逆らえなくなったんだ。
 パンを買ってきて、と言われれば条件反射のように行ってしまうし、ジュースを買ってきて、と言われれば迷わず販売機へ向かう。
 弁当を盗み食いされたときは「いいじゃない! 団長命令よ!」と言われてしまったときになぜか押し黙ってしまったんだ。
 ったく、これはいったいどういう冗談なんだ。
 というか冗談じゃないから始末が悪い。
 何? それじゃ今までとあんまり変わらないんじゃないか、だと。
 ……ま、まあ確かにそうと言われればそうかもしれんが……って、そうじゃなくて!
「それについては対処可能」
 え? 長門、今何て?
「手を出して」
 ええっと、ひょっとして傍若無人な鬼団長の文字通り走狗と成り果てたワタシめを救ってくださるのですか? 長門大明神様。
「あなたの体面に対情報操作用遮蔽スクリーンを展開させる。今、あなたに起こっている現象は涼宮ハルヒの力ではなく、召喚術の情報によるもの。だから対処可能」
 ああ長門さまが女神に見えまする。
 俺はうれし涙をあからさまに流しつつ、腕まくりをしようとして、
「遅れてごっめ~~~ん! みんな揃ってる~~~?」
 とっても明るい挨拶とともに豪快にドアを開ける音が俺の行動を自制させてくれました。
 ふぅ……危ない危ない……
 ま、まあ処置は後からしてもらおう。
「まだ古泉が来てないぞ」
 という訳で俺は努めて平静を装ってハルヒに声をかける。
「あらそうなの? じゃあ古泉くんが来てからにしないとね」
「何をだ?」
「ふっふうん♪ お楽しみに♡」
 言って上機嫌な笑顔のまま、ハルヒは団長席にドカッと腰を落とす。
 しかしまあ、こいつの『お楽しみに』ってのはたいてい俺にとっては碌でもないことなのだから、できればこのまま古泉が現れん方が――
「どうも遅れてすみません。ちょっと掃除に手間がかかりまして」
 って、もう来るか?
 で、毎度毎度常套句で申し訳ないが、先述通り『俺にとっては碌でもない』ハルヒの『お楽しみに』だが、やっぱり俺にとっては碌でもないことになったのである。
 しかも今回は完全に俺のみだ。SOS団の他の団員には何も被害が及ばないたくらみだったんだ。
「あ、よし! じゃあ全員揃ったところでミーティングを始めるわよ!」
 言ってハルヒがいつも通り団長席の椅子に仁王立ちに――
 ならない?
 机の前に来て口を開く。
「さて、今回はキョンがあたしたちに多大な迷惑をかけました! それも異世界の人たちを巻き込んでという犯罪に等しいくらいの迷惑を!」
 うぐ……俺の所為じゃなくてお前に関わったばっかりに俺は目をつけられただけなのに……
「ですが、今回はキョンのことは不問にします! だってキョンも反省してるでしょうから!」
 へいへい分かりましたよ。もうそれでようござんす。
 どうせ反論したってこいつは聞く耳持たないし、他の奴らは擁護してくれん。
「しかぁし! その中で今回、あたしとSOS団はとある人物によって大変救われました! その功績を讃えて、かの人物に我がSOS団の特別役職を進呈したいと思います!」
 はあ? まさかあの二人の魔法使いにか? 言っておくが再会する可能性は完璧に極めてしまったくらい低くなったぞ。なんたってお前がそれを認識してしまったからな。となれば自由に行き来できる可能性は限りなくゼロになったってことだ。
 まあ仕方ないjか。
 長門に言われたらしいからな。
 俺をこの世界に戻してくれた確率が奇跡を超越した偶然によるものだってよ。それにあの人にも言われたことをハルヒが受けれてしまっているんだ。
 下手をすればすべての異世界へ行くことができなくなってしまったんじゃないか?
 などと心の中で呟いている俺を尻目にハルヒは、どこからともなくいつもの赤い腕章と油性のマジックペンを取り出してキュッキュッとなにやら書いている。
 しばしの沈黙。
 俺はだるそうに、古泉は無意味にニヤケながら、朝比奈さんは少し戸惑い気味に、んで、長門もハードカバーから目をあげてハルヒを見つめている。
 そして、
 振り返ったハルヒの表情には炎天下の真夏を思わせる赤道直下の笑顔が浮かんでいた。
 バンとどうにも俺に突きつけているように見えるのだが、その腕章にはこう書かれていた。
 『団長代理』
 何で俺に突きつけているのか分からんが一つだけ分かっていることがある。それは俺に対してのものじゃないということだ。
「キョン、これ何て読む?」
「『だんちょうだいり』だろ? で、それを誰に進呈するんだ?」
「あら? 自分だとは思わなかったの?」
 思う訳ないだろ。お前はさっき言ってたじゃないか。『俺が迷惑をかけた』って。
 そんな奴にお前がそんな重大な役職を与えるとは思えん。むしろ雑用係からも降格させられるんじゃないかとビクビクしていたくらいだ。
「ふっふうん。ずいぶん殊勝な態度ね。でもまあその心意気は買ってあげるわ。今回は降格人事なしにしてあげる」
 ありがたいこって。
「これはね! 有希に進呈します!」
「わたし?」
 珍しく長門が疑問形の声を漏らしたぞ。
「そうよ。今回の有希の行動は、あたしとSOS団に対して多大な貢献をもたらしたわ。だからこれを受け取ってほしいの。有希がいなかったら、ううん、有希の冷静な判断と多才な知識がなかったらキョンはこっちに帰ってこれなかったかもしれない」
 ハルヒが珍しく慈しむような、それでいて感謝している柔和な笑みを浮かべているだと!?
「そう……」
 返事を返した長門はハルヒが差し出した腕章を静かに受け取った。
「さてキョン! よく聞きなさい! この『団長代理』がどんな役職かを!』
 何で俺にだけ言うんだよ。だいたいSOS団の役職なら古泉と朝比奈さんにも効力を及ぼすんだろ?
「何言ってんの。古泉くんとみくるちゃんは注意しなくてもちゃんと聞いているから大丈夫なの。でも、あんたは話半分も聞いてないじゃない」
 いや聞いているぞ。ただ単に聞き流しているだけで。
「この『団長代理』って役職はね」
 という俺のツッコミは無視してハルヒは得意満面の笑みで続けた。
「団長のあたしと同じ権限を持つってこととよ! 分かる? SOS団を指揮してもいいってこと! 当然、あんたに命令するのもOK! まあそれでもあたしの命令の方が優先だけどね!」
 だから何で俺だけに言うんだって――
 って、今、何つった!?
「ん? どうしたのよ? 何か変な顔になってるわよ」
「変な顔は余計だ。今、長門にお前と同じ権限を持たせるって言わなかったか!?」
「言ったわよ。だって、今回の有希の行動は本来、あたしがしなくちゃいけないことだったんだから。でも、あたしは動転してほとんど何もできなかった。だから今後、そういう事態に陥った時に、ましてやあたしがその場にいなかったときに陣頭指揮する人が必要じゃない。それを有希にやってもらいたいって思うのは当然でしょ」
 ハルヒの説明を終えて、俺は即座に長門に視線を移した。
 そこには『団長代理』という腕章をやわらかく握りしめるいつも通り無為無表情の彼女が佇んでいるわけだが……
「……」
「……」
 この三点リーダは俺と長門のものだ。
 しかし意味合いは全然違う。
 俺は長門の涼やかな漆黒の瞳の奥に潜む感情に気付いてしまったからだ。そして俺の長門に対する洞察力が間違っていなければその瞳はこう言ってやがるのである。
 『対情報操作用遮蔽スクリーンの展開を中止する』
「……」
「……」
 再び、同じ三点リーダ沈黙で、しかしその内に秘めたる思惑はまったく違う感情で見つめ合う俺と長門。
 が、先に瞳を逸らしたのは長門の方だ。
 んで、
「分かった。『団長代理』の職、了承する」
 なんとも珍しくはっきりした声で決意表明をしてくれる。
 しかもなんとなくその声色にはどことなく、俺に対してほくそ笑んでいるような気さえしたんだ。
「ありがとう! 有希! これであたしのSOS団もまた安泰よ!」
 ハルヒの歓喜の声に古泉と朝比奈さんの拍手が重なり、俺だけが暗澹たる気分を底なしの深淵の底へと沈めていた。
 そうさ。長門は気付いたんだ。ハルヒの言葉が何を意味するかを。
 ハルヒには本気で『為る』と思えばそれを現実にしてしまうはた迷惑な能力があるわけで、しかも『俺に命令するのもOK』と言ったんだ。
 つまり、『団長代理』という肩書は見せかけではなく、俺は召喚術の後遺症で長門の命令にも絶対服従という責務を負ってしまったことになる。
 という訳で長門の奴は対情報操作用遮蔽スクリーンを展開の中止を決断するに至ったんだ。
 やれやれ。俺の心の平穏は何処に行っちまったんだ。これなら向こうの世界で暮らした方がマシだったんじゃないか?
 などと考える俺に、
「こらキョン! あなたも有希に拍手を送りなさいよ! なんたって晴れの儀式なんだからね!」
「祝福して」
 ハルヒと長門の声が届く。
 で、俺は今、二人に絶対服従の身なわけだから、ハルヒの命を受け盛大な拍手を送った後、長門に祝福のスピーチをかましたのである。
 何? どんなスピーチだったかだと?
 むろん禁則事項だ。とても人に言えるものではない。
 なぜなら語彙が乏しくてあまり気の利いた話になっていなかったかもしれんから内心忸怩たる思いを抱いたからな。
 そうだ。内容はともかく周りの雰囲気がどうなったかくらいは言っておこう。
 そのスピーチの後、ハルヒの機嫌が妙に悪くなり、しかし長門はある程度満足げな表情を浮かべて、朝比奈さんはガタガタ震え出し、古泉の携帯に緊急連絡が入ったんだったかな。
 んで、俺は必死にハルヒのご機嫌取りに奮闘したのである。
 まあ概ねSOS団の普段とそうは変わらんが。
 な、君もそう思うだろ?

 

 

涼宮ハルヒの切望(完)

|