涼宮ハルヒの異界Ⅳ

 

 

「ということは涼宮さんに涼宮さんの能力のことを告げたのですか!?」
 珍しく古泉の表情からは笑みが消え、目を見開き、どこか茫然自失としているようでもある。
「仕方ないだろ。もうそれしかなかったんだ」
 もっとも俺はしれっと返してやる。
 当たり前だ。俺はハルヒに告げたことをまったく後悔していないからな。古泉の心情は相当焦っているだろうけど、あえて今の俺の気持ちを表現するなら古泉の気持ちに対する答えは「だから?」だ。
 そうさ。
 ハルヒがハルヒの力を知ったからどうだってんだ? 今さらながら思うがハルヒに隠し続けてきたことなど本当に些細なことでしかない。
「別にたいした問題じゃない。知らなかったことを知った。ただそれだけだ」
「ただそれだけって……」
 古泉が心底困ったように首を振りながら、どこか俺を非難するように、
「いいですか。涼宮さんには世界を思い通りに変革する力があるのですよ。それを自覚してしまうということは――」
「あ、その点は心配しなくていい。俺がハルヒに教えたのは『ハルヒに新しい世界を生み出す力がある』ってことだけだ。世界改変能力については何一つ言っていないぜ」
「同じことです。『新しい世界を生み出せる』ということは『自分の思い通りの世界を創り出せる』と同意語なのです。この世界に変革が起こらなくても、涼宮さんが『不思議』を望めば、それが叶う世界が誕生するということです。それもこれからは無限に」
「いや――それはないな。断言してもいい。ハルヒは絶対に新しい世界を創り出すような真似は今後一切しないはずだ」
 俺は真摯な瞳で古泉の仮説を打ち切った。
 そうだろ? ハルヒは絶対に新しい世界を創り出そうなんて考えるはずがない。いや考えたとしても間違いなく自重するんだ。
 あの時、あの場に居合わせた蒼葉さんを思い出してな。
 たった一人で世界を未曽有の危機から救うためにやってきて、しかも命の最後の灯火まで振り絞った戦いを繰り広げたあの雄姿を忘れるなんざ絶対に許されんさ。俺もハルヒもだ。
 ハルヒが新しい世界を創造しようとすれば、別の世界が滅びてしまう可能性があることを知ったんだ。いくらあいつでも自分の都合で一つ世界を滅ぼすことがどれほど重罪な所業か理解できたはずだ。
 ましてや蒼葉さんはハルヒの心に深く刻みつけられるような言葉も残した。
 俺も覚えているあのセリフ。


 ――自分の為に世界があるんじゃない。世界の為に自分がいる――


 蒼葉さんは言った。親友や同僚、そして世界中の全ての存在の為に命を賭けて戦うのだと。
 ある存在にとっては面白くない世界なのかもしれないが、また別の存在にとってはそれは面白い世界なのかもしれない。世界を楽しいと思う存在もいれば世界に怒りを感じる存在もいる。嬉しいと感じる存在、悲しいと感じる存在だっている。その存在一つ一つにドラマがあり、それは誰にも否定できないことでもある。
 それが世界なのだと教えてくれた。
 俺は以前、ハルヒに世界はお前を中心に動いていた、なんて言ったがそれは根本的なところで間違っていたことを痛感させられたんだ。
 ハルヒだって意味不明な力を持っていようと世界の一部なんだ。それは『力』が意味不明か意味が分かるかの違いでしかない。
 いくら不思議な力を持っていようがハルヒを特別扱いすること自体、間違いではないが正解でもないんだ。
 蒼葉さんは自らを持って証明してくれた。蒼葉さんだってあれだけの力があるなら世界を変革はできなくても、ある意味、自分の都合よく世界を牛耳られそうなものなのにまったくそれをやるつもりがなかった。自分の力は世界の為にあるとまで思っていたんだ。
 これで感銘を受けないとすればそいつはまったく心がない奴だ。
 そしてハルヒは自己中心的で傲慢な人間に分類されようとも、鬼畜の域まで堕ちてなんているわけがないんだ。
「まあ、お前のバイトで済む程度の閉鎖空間くらいはこれからも生み出すかもしれないが大した問題じゃないだろ? 新しい現実世界とやらを発生させることに比べればはるかに健全だ」
「いやまあ……しかしですね……」
「なあ、これ以上、意見するのはやめてくれないか」
「え……?」
 俺たちは立ち止まり、俺は古泉をどこか睨むような視線で真剣に見つめた。
「これ以上、お前が意地でも異論を挟もうとするなら俺はお前を殴りつけるかもしれん。俺だけじゃない。同じ異論をハルヒにぶつけても同じ反応が返ってくるぜ。だからやめとけ。
 それだけのことを俺とハルヒはあっちの世界で出会ったあの人に見せつけられた。
 だから、はっきりと言える。お前のバイト程度で済む閉鎖空間なんざ危機の内にも入らん。百歩譲っても、あんなもの単なる小競り合い程度だ。なんなら俺に改造手術を施してあの巨人と戦えるだけの力をくれても構わんぜ。いくらでも手伝ってやる」
 これは俺の本音だな。あの時、ただ見ていることしかできなかった自分自身を俺は今でも許せん。
 もし、俺にあの巨人と戦える力をくれるなら、是非植え付けてほしいもんだぜ。
 んで、朝比奈さんにあの時に連れて行ってもらって蒼葉さんと一緒に戦うんだ。あの人と同様に命をかけてな。
 俺の断固たる決意を感じてくれたのか、
「そうですね。少々、自己主張が過ぎたようです。僕はもう何も言いません。あなたや涼宮さんに嫌われることは僕としても本意ではありませんからね。ですが、あっちの巨人のことは僕たちで何とかしますよ。あなたは現実世界で涼宮さんを守ってくだされば僕としては大歓迎です」
「そうか」
 俺と古泉は互いに苦笑を浮かべる。
 それでいいさ。


「あなたと涼宮ハルヒは五時間、この世界から消えていた」
 放課後、文芸部室で窓際から長門が座ったまま、しかし俺に視線を向けて言ってきた。
 前回の倍の時間、か……なるほどな……
「お前にはあっちの世界のことが見えていたのか?」
「見えていた。あの異世界有機生命体のことも見ていた」
 だったらぜひとも聞いておきたいことがある。
「今は……?」
 思いっきり絞り出すような口調ではあったが問う俺。
 当たり前だ。あの人の安否は俺とハルヒにとって何よりも気になるところだからな。
「分からない」
「……」
 本来であれば『見えない』が正しい答えなのだが、長門は俺の心情を読み取ってくれた答えを返す。
「向こうの世界の消滅に彼女が巻き込まれたところは見えたが、どこに消えたかまでは分からない。わたしに向こうの世界が見えた理由はこの世界と連結が断たれていなかったため」
「そっか……」
 長門を責めるつもりは全くないが俺は落胆した。
 実は今日一日、俺の後ろに陣取るハルヒも元気がなかったのである。
 仕方ないよな。
 俺とハルヒはこっちの世界に戻ってきたが蒼葉さんがどうなったかなんて確認できなかったんだ。無事でいてくれるといいんだが確かめる術がない。
 くそ……寝覚めが悪いなんて次元じゃない……説明のしようがないくらい重いものを背負った気分だぜ……
 我知らず、俺は部室の黒板にコブシをぶつけていた。
「キョンくん……」
 ポットの傍から俺をいたわる朝比奈さんのか細い声が聞こえ、いつもなら机の向こう側に座って対戦用ボードゲームを俺とやりたくてうずうずした笑顔を見せる古泉も手を組み、両肘を机に付けて笑顔が消えた神妙な面持ちで俺を見つめていた。
 ちなみにハルヒは今日、掃除当番だ。もうすぐ来るとは思うが――

 がちゃ

 扉が静かに開けられる。
 誰が入ってきたかなんざ振り向かなくても分かるさ。
 俺以上に沈んだ表情を浮かべたハルヒが来た以外に答えはない。
「ねえキョン……」
「ん……」
「あの人……無事かな……?」
「俺も知りたいことだ……」
「だよね……」
 俺の横を俯いたまま、ハルヒが通り過ぎる。
 こんな辛く悲しげで自責の念に押しつぶされそうな表情のハルヒは見たことがない。
 静かに団長席に座って、組んだ手を額につけ今にも泣き出しそうである。
 もちろん、朝比奈さん、長門、古泉にハルヒにかける言葉はないし、たぶん見つからない。
 声をかけられるのは、
「なあハルヒ」
 そう。あの時、現場に一緒にいた俺だけだ。
「お前ひとりの責任じゃない。俺も一緒に背負ってやる。俺がもっと早くあの人に告げていればあんなことにならなかったかもしれんのだからな……」
「ありがと……」
 それでもハルヒは面を上げない。
 これは相当、重症だな。まあ俺も人のことは言えんが。
 こんな俺たちの様子を見ていれば部室の空気も自然と重たくなる。
 重苦しい沈黙がこの場を支配して――


 ――聞こえる?


 その沈黙を破ったのは、突然、周りの風景を協調反転させた頭の中に響いてきた軽やかで甲高い声だった。
「うそ……」
 と、同時に団長席から茫然としたかすれた声が聞こえてきて、
「これは!?」「え? 何? 何なの?」
 古泉の驚嘆の声と朝比奈さんの狼狽のボイスが重なり、長門もまた、無言なのはいつも通りだが信じられないものを見るような瞳で辺りに視線を這わせている。
 むろん、俺も絶句したままだ。
 ――随分と驚かせちゃったみたいだけど――あの時のお二人さんはここにいるわよね?
「本当に……蒼葉さん……なの……?」
 ハルヒが愕然としたまま問う声が聞こえたのだが、
 ――もちろんよ。ああ良かった。間違えたかと思ったじゃない――
 ハルヒの問いに答えてくれた頭の中の声には安堵の気持ちが如実に表れていた。
「無事だったんだね!」
 ハルヒの声に張りと明るさが戻ってきた。まあ俺も同じ気分だ。こんな嬉しいことはそうそうない。去年の十二月二十一日に匹敵する幸福感だ。
 ――まあね。んでさ、あの時の別れ方だとあなたと彼に、とびっきりの不安感を与えてしまったんじゃないかと思ってさ。世界消失と同時に私は自分の生きる世界に、あなたたちはあなたたちの生きる世界に戻ったはずだもんね。でも私は意識不明のままだった。てことで、あなたたちに心配かけてると思って、どうにかして連絡しないと、と考えたって訳――
「ううん。蒼葉さんが無事ならそれでいいよ。あ、でもそれを確認できたのは嬉しいかな?」
 ハルヒに笑顔も戻ってきた。分かるぞハルヒ。俺も心の底から笑いたい気分だからな。
 ん? なにやらコホンという咳ばらいが聞こえたような気がしたけど……とりあえず気を取り直したってことか?
 ――確か、あんたたちには魔石を預けてあったはずだから、あとはこっちの世界のみんなに協力してもらってなんとか声だけは届けられたわ――さすがにテレポテーションは無理っぽいわね――それとその魔石もテレパシー通信ができるのは一回だけ――でさ、どうしても、あの時のお礼を言いたくて――
「お礼?」
 ――うん、ありがとう――あなたたち二人のおかげで私たちの世界は救われたの。あなたたちがあっちの世界の創造主を見つけてくれて新世界創造を止めさせてくれたんでしょ? というか私が生きて元の世界に戻れたってことはそれしか考えられないし――
「ん……」
 ハルヒが自嘲の表情を浮かべて少し俯いた。まあ気持ちは分からんでもない。蒼葉さんと蒼葉さんの住む世界を危機に陥れた張本人がハルヒなんだ。にも関わらず、お礼を言われれば誰だって複雑な気持ちになるってもんだ。いくら蒼葉さんは真実を知らないと言ってもな。
 ――ふふ。謙遜なんてしなくていいわよ。あなたたち二人は私たちにとって救世主。こっちの世界であなたたちのことは永久に語り継がれていくかもね――
 なんだか茶目っ気たっぷりの蒼葉さんの笑顔が頭に浮かんで、
「あ、あのね!」
 ハルヒが何かを言いかけたことを俺は自分の右手人差し指で、ハルヒの口を遮った。
 当然ハルヒは俺に戸惑いの視線を向けてくるが、俺はウインクまでして苦笑を返す。
 謝るなら面と向かって、だろ?
 視線にそういう意味を込めてな。もちろん、ハルヒも瞬時に理解してくれた。
 ――どうしたの?
 ちと間が空いたのを向こうでいぶかしげに思ったのか?
 しかしハルヒはとびっきりの笑顔で続けた。もちろん別の言葉であり、俺の想像通りの言葉を。





「また会えるかな?」





 その答えは――





~エピローグ~

 

 


 その後のことを少しだけ話そう。
 ハルヒは長門が宇宙人で、朝比奈さんが未来人であるってことを知ったわけだが、どうやら宇宙や未来に連れて行け、と言い出すんじゃないかと冷や冷やしていた俺の考えは杞憂に終わったらしい。
 まあ時折、と言うか今も長門には宇宙人のことをほしがっていたおもちゃを手に入れて目の前にした子供のような笑顔で訊いているけどな。
 長門も律儀に受け答えしているぜ。俺には意味不明の単語も混じっていたが、それも含めてハルヒから興味津々という爛々とした瞳の光は陰ることはなかったがな。
 ちなみに、ハルヒは朝比奈さんにも最初は未来のことを訊こうとしていたが早々と断念した。
 朝比奈さんの「禁則事項です」という言葉をあっさり受け入れたからだ。
 もっとも朝比奈さんは、俺に告げた時のような、ウインクしながらの右手人差し指を唇に付ける腰が砕けそうな笑顔ではなく、どことなく嫌な汗をいっぱいにかきながらの苦笑満面で、ではあったがな。
 それでもハルヒが簡単に引き下がるとはね。
 ま、無理もないか。未来の世界を壊したくないんだろうし、もう一つ、未来は知るものじゃなくて創るものだからだ。未来を知ってしまうと夢とか希望とかがなくなってしまうことの同意語なんだ。人間誰しも絶対に失いたくないものベスト5に確実に入ってくるものの内の二つだ。そりゃハルヒじゃなくたって断念するに決まっている。
 古泉についてはそうだな。
 まあいずれ話してやるさ。とりあえず、『異世界人』で桁外れの威力を誇る『魔法』という名の『超能力』を振るう存在に出会ってしまったハルヒだ。
 もしかしたら、あの巨人一体にさえ集団でかからなきゃならん古泉の超能力では物足りなさを感じてしまうかもしれんし、それでは古泉も立つ瀬がないだろう。
 俺と古泉はハルヒと長門のやり取りを横目に捉えながらボードゲームに勤しんでいる。
 ハルヒのいないところなら、いつどこでどういうタイミングで古泉が超能力者であることを教えてやろうかと相談するようにもなったんだ。
 なかなか答えは見いだせなくて二人して苦笑を浮かべるしかなくなるけどな。
 補足するが、週末恒例のSOS団、市内不思議発見パトロールも継続中だ。
 何故かって?
 仕方ないだろ。宇宙人、未来人、異世界人、超能力者以外にも不思議なことはこの世に腐るほど存在するんだ。見つけられないだけでな。だから探索目的標的が変わったってことさ。
 おっとそうだ。
 俺の中でずっと疑問に感じていたことがようやく氷解したんだ。
 何かって?
 おいおい。いつも言ってるじゃないか。
 特殊能力を持たない普遍的な超普通の一般人である俺をどうしてハルヒがSOS団に引きずり込んだか、さ。
 何のことはない。





 ハルヒはジョン・スミスに逢いたかった――





 ただそれだけだ。
 もっとも、どうしてそう考えるようになったかは分からんがな。
 

 

涼宮ハルヒの異界(終)


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