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 旨そうだと言われればそう見えなくもない、歩みを止めて青へと移り変わるのを待ってしまいかねない原色を放ったそれを笑顔で咀嚼し続ける目の前のカラーコーディネーターに向かって、俺は折衷案を投げ掛けた。
「とにかくだ。お前の料理があらん限りの試行錯誤の末に生み出されたシロモノだということは解った。それは素直に評価したい」
 そう切り出した俺の顔色を尻目に、なおも咀嚼を続けている自称料理の鉄人。判定をフランス語で行えと言わんばかりに、その丸い瞳に僅かな鋭さを乗せつつ口を開く。
「あら、不満足だった? あたしには充分美味しいんですけど」
 などと嫌味を吐きながら舌づつみを打っているこいつとは裏腹に、俺の真っ赤な顔はもはや戦隊ヒーローのリーダーさながらである。なんせ素顔が赤いんだから変身の必要すら無い。
 かと言ってビームも出ないし合体もしないし、怪人はおろかそこらのノラ猫にだって勝てるかどうか怪しいもんだが。
 ちなみに目の前の皿に盛られた食糧も赤だが、別に保護色を狙っているわけではないことも加えて明言しておきたい。
「正直に言うが、俺には辛すぎてカレーの味がしない。ていうか、舌が痛くて喋るのもつらいし顔が熱い」
「そうね。熱そうな顔色です」
 危うく怪人に倒され掛けていた俺の顔色をようやく確認し、だが心配の素振りなどこれっぽっちも示すことなく笑顔で首肯。力なき正義は一般の方々に見向きもしてもらえないらしい。
「そこでだ。カレーはお前が全部食え。それも含めた上で改めて平等に分配しようじゃないか」
 ていうか何なんだこのメニューのチョイスは。カレーとうどんって何なんだよ。まるで統一性が無いじゃないか。とりあえず、うどんにカレーをかけてそれもお前が食え。
「まるであたしに太れと言っているみたい。せっかく時間を掛けて作ったんですもの。うどんとそれ以外は全部あなたが食べてくださいね」
 どう見ても二人分とは思えない、テーブルをこれでもかと占領する大小の皿々を目に捉えつつ、その小柄な料理人は俺に成人病の未来を追加した。
 カレー。
 カレーと言えば、俺の脳内スロットは目押しするまでもなく長門の顔を三枚揃えるのだが、奇しくも今回はパチプロの手を以てしてもそれが揃うことはない。
 何がどうなってこういう事態を生み出したのか、思い返すには少しばかり決まりが悪いそのエピソードを脳内再生しつつ、俺は反省と自己嫌悪を交流電気ばりに繰り返すのだった。
「後片付け、手伝ってくれますよね」
 橘京子は、断られることなどおくびにも考えていない様子でふわりと席を立った。
 そこから微かに漂う柑橘系の香水の縄が、後片付けを手伝わせまいと俺を縛り付ける。
 縁結びの神社で、おみくじを結ぶくらいの強さで。







 カレー事件から約半日前。
 ヒ素が混入されたアレと肩を並べかねないほど毒物じみた激辛っぷりが俺を襲ったあの瞬間から遡ること半日。イメージカラーを訊かれると、カレンダーに倣ってなんとなく青と答えてしまう半ドンの土曜日である。
 そんな曜日も空も青い日、半ドン授業もそろそろ佳境に入ったようで、せわしなくシャーペンを走らせる音があちこちから飛んでくる。その音に感化されたのか俺も御多分に洩れず、飛んでくる音を受け流しつつ俺自身も音のクロスカウンターをかましていた。
「ねえ、キョン」
 呼びかける声よりも先に、俺は背中に刺さる針状の何かを認める。十中八九ハルヒのシャーペンだろうが、こいつは鉛が人体に及ぼす影響を理解した上でやっているんだろうか。
 だが黒板消しの津波が着々と未書写の部分に迫っているのを確認し、取り急ぎ俺はシャーペンを走らせることを優先した。
「何? あんたまさか無視しようって腹?」
 今にも黒板消しに飲まれそうな英訳文を俺のノートへと避難させているだけだ。ボランティアの一種と言ってもいい。
「解ったわ。どうせあたしに何か後ろめたいことでも隠してるんでしょ。それであたしの観察眼を恐れてノーリアクションを貫いたってわけね。甘いわよ。そっちの方がよっぽど不自然極まりないわ」
 こっちは迷惑極まりないんだが。
 とにかく英訳文の避難は無事成功。残るは、放っておくと黒板消しの津波どころか本物の津波を起こしかねないこいつをさっさと満足させてやることだ。
「とりあえず刺すのはやめろ。聞こえてるぞ」
「あっそ。じゃあ何を隠してるのか白状してもらおうじゃない。それとも、あたしのアピールを無視する理由がマンボウの産卵量以上にあるって言うなら、聞いてあげなくもないわよ」
 三億もの理由を並べ立てて懇々と説得せにゃならんのか。お前が納得する頃には、すでに俺たちの頭には光の輪っかが浮かんでいることだろうよ。
「あんたは自縛霊にでもなっていそうだけど。で、何を隠してんのかそろそろ教えなさい」
「別に何も隠しちゃいねぇよ。ただ黒板が消されそうだったから急いでノートを取ってただけだ」
 実際、隠すような後ろめたい事に心当たりはないので、俺はありのままを告げてやった。
 しかしこう言った手前で何だが、今日の俺は隠すというか言い出し難いことを少々抱えている。
 おそらくこの後、ハルヒは部室で何やかやと他愛も無い遊戯に明け暮れたり昼食の摂取に勤しんだりなんてことを予定しているだろうが、俺はそれを断らなきゃならん。
 何か妹が習字を始めるとかで、場所を知らないあいつに道案内を兼ねて連れて行ってやってくれと母親から言伝を受けている。
 そんなもん習ったところでどうせ我が妹のことだ。明け透けな奔放さを発揮した結果、顔への落書きで墨の無駄使いが関の山だろう。固形墨だって立派な資源だ。資源渇枯を叫ばれたところで、一般家庭の我が家じゃ責任は取れんぞ。
「ふーん。ま、妹ちゃんなら今回は許してあげる。なんならあんたもついでに習ってくればいいじゃない。お世辞にも字が綺麗とは言えないんだから」
 この前衛的な筆記体を目にしながら言うに事欠いて、汚い、とは聞き捨てならない。ロシア・アヴァンギャルドの芸術家たちだって、この字を見れば目から鱗とおまけに背ヒレだろうよ。
「とにかくそういうわけだ。今日は皆で俺の悪口にでも花を咲かせておいてくれ」
 こうして喉につっかえていた懸案事項を無事処理し、早い放課後を伝えるチャイムを耳にしてから、俺は早々と帰路に就いた。






 で、また数時間後である。
 愚妹をよろしく、などと成り行きで習字の先生に挨拶する羽目になった道案内を終え、俺はコンビニでささやかなブレイクタイムを彩る缶コーヒーの品定めに勤しんでいた。
 普段は自販機で事を済ませることが概ねだが、慣れない場所の散策というものは、えてして冒険心を煽るものである。まあ全国チェーンの店舗で冒険心もクソも無いとは思うが、これくらいが俺には程合いだ。
 そんな子供じみたチャチな心意気を店員に見せ付けつつ、俺は何やら新製品らしいデミタス缶を手に取りレジの最後列に陣取った。
「いらっしゃいませ」
 という、どれだけ時代が廻ろうが変わらない店員の常套句が、コンスタントに俺の鼓膜に届く。
 中途半端な時間帯だけに余程の列を形成しているわけではなく、俺の前で二人ほど財布を小脇に抱えているだけなんだが、その間にも店員の挨拶はそこそこの頻度でコンボを叩き出している。
 こういう店は店長の裁量次第でずいぶんと変わってくるものだが、ここは申し分なく教育が行き届いているようだ。近いうちハルヒにここでのバイトを勧めてやろう。まあ、あいつに限ってここの朱には染まりそうも無いが。
「ありがとうございました」
 俺が昨今のCS事情に思考回路を奪われていると、いつの間にやら目の前のおばちゃんが会計を終えたようで袋を携えてそそくさとレジを離れる。
 一歩進んで、俺がおもむろに一本のデミタス缶をレジに差し出すと、
「いらっしゃいませ」
 聞き慣れた挨拶。ここまではいい。坐臥は変わらず常住を維持している。
 だが、
「……なっ」
 俺はさぞ面白い顔をしていたことだろう。
 バーコードリーダーを手にしているその店員の顔に目線を合わせた刹那、頭の中を内側から叩かれたような衝撃が俺を闇討った。
 待て。なぜこいつがこんなところで店員の真似事なんぞをやっている。俺の監視か何かか?
 いや、俺は生まれてこの方このコンビニに入ったことなどかつて無い。今日が初来店だ。
 じゃあ何だ? 俺をつけていたのか? まさか本日限定でいきなりこいつをここのバイトに仕立て上げたのか? 無茶苦茶だが、こいつらの組織なら平然とやりかねん。
「お客様、どうなされました?」
 俺の顔を確認しつつも、ニセ店員橘京子は何食わぬ顔で営業スマイルを崩さない。スマイル0円どころか、スマイルを見せ付けられる度にこちらが代金を要求したいくらいだ。
「おい、目的は何だ」
 ささやかなブレイクタイムを見事に台無しにしてくれたせいで、俺はイラつきを隠すことなくテノールボイスで問い掛ける。
「百二十円になります」
 そんな俺の詰問を解っているのかいないのか、いや、確実に解っている。その上であえて知らぬ顔を貫いているだけだ。
 とにかくこのままでは後ろに他の客が並んだ場合、その客は確実に迷惑を被る。ここは一旦代金を支払ってから、こいつにいささか槍を入れてやろう。
「ありがとうございました」
 さっさと小銭を押し付けて、レジ袋を拒否し速やかに商品を受け取る。
 そして後ろに誰も並んでいないことを確認し、
「では話してもらおうか。こんなところにまで出向いてわざわざ俺を監視していた訳を」
 俺は当て付けがましく、ぶっきらぼうに言い放つ。
 いや、言ったまではいいが、普段の俺の温厚さが災いしてか若干わざとらしくなってしまったような気もする。
「監視? ちょっと待って。あたしは単にここでアルバイトをしているだけなのです。いくら組織だって、あなたがここに来るなんて予想出来ないわ。それに、監視する理由なんてありません。今は」
 どうにか俺の懸念も杞憂に過ぎなかったようで、この自称アルバイターは幾分まごついた様子で申し開きを始めた。
「信じられんな。そもそもお前は組織で働いているんじゃないのか? 確か幹部だとか言っていたが、それならそこそこの給料は約束されてるだろ」
 こいつの組織と古泉の機関が同程度の規模だとすると、機関のあの羽振りの良さを見る限り、べらぼうな額を貰い受けているんじゃないだろうか。きっと財布の中では真っ黒なカードと金色のカードがせめぎ合っているに違いない。
 だとするとアレか。古泉の財布だってそれなりに潤っているということか。俺が散々奢らされているのを横目に、自分は札束の扇子で涼んでいやがったってことか。
「それは大きな勘違いだわ。あたしたち組織は稼ぐための企業ではないのです。それに――」
 橘京子が自らの成金疑惑を払拭しようと言い訳を並べているさなか、それを遮って「橘さーん、上がっていいよー」と、バックヤードから店長らしき人物の声が響いた。
「……もう。ちょっと、帰らないで待っててください。すぐに着替えてくるから」
 とは言われたものの、俺がこいつを待ってやる義理なんざ兎の毛の先ほども無い。背中を向けて足を進めようとすると、
「え、どうして。待っててくださいよ」
 バックヤードの手前でこちらを振り返り、若干不安げに、だが周りの客に聞こえる程度の声量で俺に再度促す。
 その声で一斉に店内の客の視線を集めることになったのだが、何だか俺が悪いみたいな空気じゃないか。この女はなまじ外見に恵まれているだけに、どうも俺には分が悪い。所詮、世間は可愛い女子の味方ってことだ。
「……解ったから、早くしてくれ」
 どうにも居心地の悪い店内で雑誌を立ち読みしつつ、けっきょく俺は着替え待ちを受け入れることになった。世は城郭を設けまくりである。


 俺が悪人と認識されてから、週刊誌のゴシップ記事でお茶を濁しつつ待つこと数分。
 エプロンを外して上に何か羽織っただけっぽい着替えを済ませ、橘京子がようやく俺の前に現れた。ていうか、着替えがそれだけならもっと早く来れるだろうが。
「ごめんなさい。でも、あたしだって女ですから」
 俺のささやかな追及を、男ならつい深読みしてしまいかねない意味深な言葉でかわされた。
「で、これからさっきの言い訳を続けるのか? 正直、俺はもうお前が金持ちかどうかなんてどっちでも構わんのだが」
 俺の興味はすでにポケットの缶コーヒーへと注がれているんだ。お前への関心なんざもう缶コーヒー以上に冷え切っているんだから、ここは素直に引いてくれ。
「それも弁解したいけど、もういいのです。あたしも。だって、何を言っても聞いてくれそうにないんですもの」
 んなこたぁない。と、どこかで見たグラサン芸能人の物マネを脳内劇場で展開している俺に目線をやりつつ、超能力娘は一瞬僅かな思案顔を浮かべて、
「すぐそこでそのコーヒーでも飲みません? あたしも何か飲み物を買ってくるから」
 そう提案するや否や、俺の返事も待たずにドリンクコーナーへと向かう小柄なツインテール。
 どうにも俺は自分勝手な人間ばかりを惹き付ける体質らしい。あるいは誰かにそういう人体改造でも施されたんだろうか。黒タイツの悪者に襲われたりとかは勘弁して欲しいんだが。
 俺は自らの型破りな体質に頭を抱えつつ、微妙に反応の悪い自動ドアをおもむろにくぐった。
「お待たせしました」
 いかにもなレモンと黄色い泡が描かれたレモンスカッシュの缶を手にして、今度は即座に超能力娘が戻ってくる。
「そこの段差にでも座りません?」
 そう俺に伺いつつ、すでに腰を下ろし掛けている超能力娘。
「……ここなのか。まあ、別に構わんが」
 要するに俺たちは、コンビニ前にたむろする不良共のような構図を形成しているわけだ。特に自転車が停められていたり、駐車場を侵していたりはしないので、別に迷惑にはならんと思うが。
「あまり気が進まない? でも、辺りには他に良さそうな場所が無いんですもの。もっといいところがあればね。別だけど」
 少しばかり苦い顔で橘京子はアルミのプルタブに指を掛け、その反動で折れてしまいそうなほど細いその指に力を入れている。
 俺もそれに倣い一気にプルタブを引き上げ、プシュッという心地良い音を響かせた。
「はぁ」
 ひと仕事終えた後のコーヒーは格別に美味い。
 美味いんだが。
 いつの間にか流されるまま、どちらかと言うと敵側に分類されるこいつと肩を並べてブレイクタイムという事態に陥っているのは、いったい何の力が作用した結果なんだろうか。
 巻き込まれ型の人生ってのもやぶさかでは無いと思うようになったのは事実だが、これは何か違うだろ。
「あなたって、結構コーヒー中毒でしょ? 以前の喫茶店での時とか、今のそれとか。ちょっと見て思ったんですけど」
「いや、まあ好きなのは否定せんが、中毒ってのは言い過ぎだ。ここ一年はお茶を飲む機会の方がずっと多かったからな」
 俺がそう答えると、橘京子は「そうですか」と興味があるのか無いのか微妙な素振りで相槌を打つ。その後に一瞬見せた憂いを帯びた儚げな表情を、俺は見逃さなかった。
「少し風が強いですね」
 そんな強めの風に乗って横になびく二房の髪は、まるで子鯉を失った鯉のぼりのようで、真鯉と緋鯉が懸命に子鯉を探しているような、そんな印象を俺に与えた。
「ああ、そうだな。場所変えるか」
 そんな儚げな印象に絆されたのか、俺の怪訝な態度もいつの間にか鳴りを潜めており、俺はとうとうそんな自分を戒めることも無かった。
 

 そうして追い風に腰を上げることを余儀なくされた奇抜な組み合わせの二人。
 特に目的地を決めることも無く、当てもない散策を繰り広げているわけだが、どうも会話が少ないおかげか風が少し涼しすぎる。
 もともと共通の話題なんてのは限られていて、俺の脳内タンスはハルヒや佐々木以外の話題の引き出しに鍵が掛けられている状態だ。逆にこの超能力娘のタンスも、俺の鍵で開けられる引き出しは同じなんだろう。
 とはいえ、このまま終始無言を貫いたって天使の通り道を作り上げるだけだ。とりあえず何か口を動かそうと、現在の状況を問い質してみることにした。
「で、これは一体どこに向かってるんだ?」
 俺は何も考えちゃいないが、もしかしたらこいつはどこか目的地があって、ただ俺には告げていないだけなのかも知れない。
「買い物です。そんなに遠くはないから、あと少しで着くわ。とりあえず冷蔵庫が空っぽなのです」
 待て待て。まるで荷物持ちとでもいわんばかりに、いつの間にお前の買い物に付き合うことになってんだ。だいいち俺は、ただ妹を送り届けるために外出しただけなんだぞ。
「いずれあなたにはこちら側に来てもらわないといけませんから。これは親睦を深めるため。いい機会なのです。別にそこまで嫌ではないんでしょ? 今だってほら。ついて来てくれてるんですから」
 なんだか言い逃れにしか聞こえないんだが、お前はそうやっていつも男をたぶらかしてんのか。それならホイホイついて行きそうなのを一人紹介してやるから、とりあえず俺はやめとけ。
「いや待て。俺はそっち側に行く予定なんて無いし、別にお前と親睦を深めようとも思わん」
「見えたわ。あの建物です」
 まるで謀ったかのようなタイミングで視界に現れたスーパーマーケットによって、あえなく俺の陳腐な拒否権は潰された。我が国の常任理事入りはまだまだ遠い。


 別に押そうが問題なく開く「引」と書かれてある扉をくぐり、主婦たちが睨みを利かせて牽制し合っている店内に入り込む。
 さして大きくもない地元密着型の店舗にこいつは普段から通い詰めているようで、先程から迷いも無く数々のコーナーを東奔西走している。次々にポイントを移動していく様は、まるでオリエンテーリングだ。
「お前も買い物とかするんだな」
 こいつや古泉のような人間は、いまいち生活感に欠けて見えるんだよな。こういった庶民的なものは、どうもイメージにそぐわない。気付いたら機関や組織がすでに用意してました、みたいな。
「もちろんよ。組織が何から何まで面倒を見てくれるわけじゃないのです。きっと機関だってそう。佐々木さんに関すること以外は、あたしだって一般の人と何も変わりません」
 古泉もこうやってカートを引きつつ肉を指で押して確認したりしているんだろうか。何とも気持ち悪いじゃないか。あいつに指で押させるものなんて電子レンジのスイッチくらいで充分だ。
「そうか。何というか、正直意外だったからな」
「……もう。今のはちょっと失礼です。まるで世間を知らないお嬢様みたい」
 んなこたぁない。と本日二度目の物マネをやはり脳内で展開しつつ、その間にもこのニセお嬢様は野菜を物色し続けている。
 生で食せる物以外もカートに積んでいくあたり、まさか料理も出来るということなんだろうか。ますますイメージから遠ざかる。続いて先程と同じく古泉の料理姿が脳裏に浮かびつつあるが、もう何も言うまい。
「買い物が終わってからなんだけど、少しいい? この後まだ時間あります?」
 その身長差のせいか俺の顔を覗き込むようにしながら、二つ結いの髪をちょこんと揺らして訊いてくる。
 今度は何を企んでいるのか知らんが、ここは迂闊に頷かない方が得策だろう。壺とか買わされたら、また森さんにでも睨んでもらってクーリングオフだ。
「そんなことしません。もうっ。あたしのことをとても勘違いしているわ」
 勘違いかどうかは知らんが、もう俺の頭にはあの誘拐事件が印象付いてしまっているからな。こっちは平穏に事を運びたいんだ。
「あたしだって出来ることなら平穏に事を運びたい。すべてを終えて、後でしこりが残るのは嫌。だから今ままで我慢してきたのです。ずっと待ってました」
「俺だってそうだし、たとえお前もそう思っていたとしても、他の連中を見てみろ。正直それは難しいだろ」
「だからこうして……もうっ! 今日の本当のことを言います。あたし、古泉さんが羨ましいの。解ります? 信念は違えど、立場は似た感じ。お互い高校までは似たような環境です。おそらく。でもね、今を比べてみて」
 いや、比べろと言われてもだな、
「あたしも普通の高校生。組織に関わること以外はみんなと同じなのです。でも、今のあたしの周りを見ると、とても普通の高校生らしいことなんて無理。じゃあ古泉さんは? 同じ? とてもそういう風には見えないんですもの」
 先程まで終始崩さなかった微笑みはすでに跡形も無く、橘京子は訴えるような目で俺に向かって続ける。
「もちろん楽しいばかりじゃないことは充分承知しています。あたしにはあの空間を破壊する必要は無いし、それだけでも随分と違うわ。でも、それでもあなたたちに囲まれた日常は羨ましいのです。とてもね」
 以前の俺なら即座に否定していたところだろうが、今なら多少は解る。解るさ。俺だって楽しくないわけじゃない。あの言語障害の宇宙人といけ好かない未来野郎に比べれば、こっちは遥かにマシだ。
「これは妬みだと思ってもらって構いません。たぶん、実際そうだから。親睦を深めるなんて言っておいて、あたしはただあなたたちの日常に触れてみたかっただけ」
 日常っつっても、そこまで羨むもんでも無いと思うが。
「そう思っていた時に偶然あなたと会って、今こうしているんだけど。結局どうしていいのか解らなくて、ただあたしが勝手に連れ回しただけになっちゃいました。ごめんなさい」
 そう謝罪の意を述べた橘京子は、萎んだ向日葵のようにペコリと頭を下げて、小柄な身体を更に小さくしている。
「だから、今日はもう大丈夫です。満足しました」
「……解ったから、とりあえず頭を上げてくれ。周りの人の目が痛くて敵わん」
 傍から見れば、男が小柄な女の子に頭を下げさせているという状況に映るわけで、まるで女の敵といわんばかりの視線をすれ違いざまに俺に投げつけてくる。
 やっぱり世間は可愛い女子の味方だ。再確認した。
「……あ。ごめんなさい」
 ようやく上げた顔にはもう最初の笑顔は無く、微かに俯いてしょげ込んでいる。
 なんだか俺が怒り付けたみたいじゃないか。一人でフリートークを繰り広げて、一人で塞ぎ込んでるんだから堪ったもんじゃない。
 まったく。お前は俺の、SOS団の敵なんだぜ。常に堂々としてりゃいい。そんなんじゃハルヒの相手は務まらんし、俺だって拍子抜けだ。
 だから、
「そういえばさっき、この後の予定を俺に訊いてなかったか?」
 俺がそう始めると、橘京子はふと顔を上げて視線を合わせ、
「え?」
「特に予定は無いぞ。あと少しなら時間は大丈夫だ」
 傾いた陽と柑橘色の空が教えてくれたなけなしの残り時間を、俺は橘京子に預けることを伝える。
 すると橘京子は手を後ろで組み、またもや俺を覗き込むようにして、
「じゃあ、晩ご飯でもどうですか?」
 取り戻した微笑みと共に、弾むような声色で白紙だった俺の予定表を埋めた。
 子鯉の欠けた二つ結いの鯉のぼりの髪が、哀切の限りを越えて一歩を踏み出そうとしている。







 そして一週間後。
 イメージカラーを訊かれると、またもやカレンダーに倣って今度は赤と答えてしまう全休の日曜日である。
 そんな全休にも拘わらず朝っぱらから団長様の着信音が鳴り響き、毎度変わり映えしないメンツでサービス出勤に精を出している。いっそタイムカードでも作ってみてはどうだろうか。
「今日は電車で移動することにしたわ。キョン、二百三十円五枚ね」
 遅刻と刻印されたタイムカードの主である俺に、我らが上司の命令が飛んでくる。
 しかし喫茶店の奢りに比べれば割安であり、それに満足感を覚える自分に言いようの無い情けなさを感じつつも、俺が券売機に小銭を投入していると、
「やあ、キョン。キミも電車を利用するのかい? 指先を見る限り、図らずも僕たちと同じ金額を購入しようとしているみたいだが、これで行き先まで重なるとなれば、それは誰が示し合わせた結果なのだろうね」
 思わぬ登場に手が止まり、その拍子に滑り落ちた十円玉の落下音が辺りに響く。
 声を掛けてきた主の傍らには、こちらと同じく変わり映えのしないメンバー、周防九曜、そして橘京子が定位置をキープしている。
「……またお前らか」
 俺一人ならまだしも、ハルヒを引き連れている時に遭遇するのはことさら心臓に悪い。佐々木が言うように、本当に何か示し合わせたのではないかと勘繰りたくなってくる。
「とは言うがね、キョン。こうしてお互いが勢揃いしている時に鉢合わせた回数は、さほどのものではないよ。また、と言うには些か不相応だと思うが、どうだろうか」
 こんなことが短期間に二度以上もあれば、充分な確率だと思うんだが。
「別に悪いことではないんだし、何度あったっていいじゃない。あなただって、ほら。佐々木さんと会うのは楽しいんじゃありません?」
 余計な横槍を入れんでいい。俺の顔のどこ見れば楽しそうだと判断できるんだ一体。ハルヒを見てみろよ。まるで部活の試合帰りに負けた他校の生徒と鉢合わせした中学生みたいな顔をしているじゃないか。
「ふふ。いいじゃないですか。あたしも一度涼宮さんと普通に話をしてみたかったのです。こんな機会じゃないとね、無理だから」
 と、こちらへ歩み寄り、小柄な体躯を駆使して俺の顔を覗き込むように満面の笑みで見上げてくる橘京子。
 ハルヒがズンズンとこちらへ向かって来ているにも拘わらずダメ押しの一撃である。これをハルヒが見逃していないとすれば、その尻拭いは間違い無く俺たちに降り掛かってくるんだから勘弁してくれ。
 俺は二つ結いの髪と黄色いカチューシャを交互に見やり、本日この後の展開に頭を悩ませるのだった。






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