「それじゃあ、まずその日記とやらを見せてくれないか」
「ちょっと待ってね」
あたしは鍵付きの引き出しを開けて、日記を取り出した。
「余計なとこ読むんじゃないわよ!」
問題のページを開きながら注意しておく。
「別に興味ねーよ」
そう言いながら、キョンは日記を受け取った。そして有希と二人で少しの間じっくりと日記に目を通した。
「『―――――最初は中々信用してくれないかもしれないけど、キョンなら必ず力になってくれるから。』か……」
キョンは薄く笑いながら言った。
「これは褒め言葉と受け取っていいのか?」
「知らないわよ、あたしが書いたんじゃないんだから」
「だけど、いずれ書くことになるんだろ?」
「それは……そう……なるのかもしれないけど……」
あたしは口篭ってしまった。
くいくい。有希がキョンの袖を引っ張っている。
「なんだ? 長門?」
「この前のページを見たい。許可を」
「だそうだ。どうなんだハルヒ?」
一応確認するのは、あたしの注意を守っての事だろう。
「あたしのプライバシーには興味ないんじゃないの?」
「土曜日か日曜日に似たような記述がないか確認したい」
「ないわよ」
あたしは即答した。
「やけにはっきり言うな。間違いないのか?」
「だって、その前に書いたのは先月だもん」
二人は目を合わせている。有希が聞いてくる。
「あなたは一ヶ月ごとに日記を付けるの?」
「そんな事あるわけないじゃない。単に書くことがなかっただけよ」
「なるほどな。というと、やっぱり、始まりは月曜日なのか……でも待てよ……」
キョンはじっくりと、考え始めてしまった。
しばらくして、キョンはようやく元に戻った。
「じゃあ、ハルヒ。もう一度お前が体験した事を、話してくれないか?」
「なんで?水曜日に話したじゃない?」
「あの時は正直信用してなかったし、面喰らってたしな。なにより長門にも聞かせてやって欲しいんだ」
「……わかったわよ。最初からでいいのよね?」
あたしは渋々ながらも話すことにした。
「ちょっと待ってくれ」
キョンが鞄からノートを取り出した。
「ノートを取るの?」
「ああ。より詳しく捉えたいからな」
あたしはこの時キョンが、本当に真剣に取り組んでくれていることに気が付いた。それと同時に、嬉しくもあった。
「じゃあ始めてくれ。出来るだけどこも漏らさずにな」
用意を終えたキョンは、あたしを促した。
「ええ。えっと……始めはそう火曜日だったのよ―――――」
あたしは話し始めた。キョンはそれを聞きながら所々有希に訂正されながらも要点を書き込む。
納得のいかない点は何度も訊き返し、重要と思われる点には記述した後に傍線を入れる。
試験勉強もかくやといった真剣さで、キョンはノートを取っていた。
「ふう……こんなもんか」
キョンはようやくシャーペンを離し、右手をマッサージしている。
「ご苦労様」
「ああ。だけど、お陰でここしばらくのハルヒの行動は把握できたつもりだ」
「それで……これからどうするの?」
「データの分析。法則性を見つけ出す。原因の究明と解決法の発見、そしてその実行」
有希が淡々と答える。
「そううまくいくのかしら?」
「わからない」
有希にしては珍しく、煮え切らない答えだった。
「無責任ね。不安になるじゃない」
「勘違いしてはいけない。わたしたちはあなたの手伝いをするだけ、解決をするのは時間移動をしている、あなた自身。わたしたちに無責任と言うのは、お門違い」
あたしは唇を噛んだ。確かに、有希の言うとおりだけど、もっと優しく言ってくれてもいいじゃない。
「長門。もう少し気を使ってやれ。ハルヒも不安なんだよ」
キョンがフォローしてくれた。
こんこんと、ドアがノックされる。
「ちょっといいかしら? お茶請けを用意したんだけど―――」
母さんの声だ。大方、親父に言われて偵察に来たんだろう。
「……いいわよ。入って」
「お邪魔するわね。……あら」
入ってきた母さんは机に向かっているあたしたちに、少し驚いたようだ。
「あ、お構いなく」
キョンが軽く頭を下げる。有希もそれにつられるように頭を少しだけ揺らす。
「いいのよ……お勉強していたの?」
「いえ、部活の今後の予定を書き込んでいたんですよ。どうしても決めないといけない事がありまして」
キョンは母さんが持ってきたお盆を載せるために、机の上を片付けた。巧妙にノートが見えないようにしたのだ。
「大変ねー。……ところで●●君と長門さん? よかったら夕ご飯を食べていかない?」
「こいつはキョンて言うのよ」
あたしが口を挟んだが、それは無視された。
「いえ、そんなご迷惑をおかけするわけには……」
「迷惑なんてとんでもないわ。学校でのこの子の事とか色々お伺いしたいし、是非」
「ご好意は嬉しいのですが、あまり長居はするつもりはないですし、俺の家の方でも用意してあると思いますので、すいません」
「そう? 残念ね……。それじゃあ、また今度ね?」
「はい、ありがとうございます」
「じゃ、お二人ともごゆっくりね。ハルヒ? あんまりご迷惑かけるんじゃないわよ」
母さんはそう言い残して、部屋から出て行った。
「お前にそっくりだな。強引なところとか」
「なによそれ……」
睨みつけるあたしに対し、キョンは軽く首をすくめ、ようやくゆっくりと話し始めた。
「こう見えても俺はさ、昔は結構本を読んでいたんだ。タイムトラベラー物も結構読んでいる」
「ふーん」
キョンもそんなことをしていたのね………少し意外ね。漫画ばっか読んでた訳じゃないのね。
「でだ、そういったタイムトラベルものには必ずと言っていいほど出てくる言葉があるんだ。タイムパラドックスだ」
「えっと……過去に行って自分の先祖を殺したりする、あれね?」
「そう。そのタイムパラドックスの分け方は作品によって違うけど、大別すれば二つしかないんだよ」
「二つだけ?」
「あくまで大別すればだ。それは、『過去は変えられる』という立場に立つか、『過去は変えられない』という立場に立つか、その二つだけなんだ」
あたしは頷いた。その分け方なら確かに二つしかない。
「『変えられない』と言う立場の場合は、そうだな……自然の復元力、抑止力といったものが、世界に干渉して過去を修正する。
歪んだと思っていた過去が実は正しい過去だった、なんて落ちになるわけだ」
「ええ、そうね」
「次に『変えられる』という立場だと、その『変えた時点』から、歴史や時間の流れといったものが、再構成されてしまうといったものだ。
例で言えば……『バック・トゥ・ザ・フューチャー』なんかがそうだな」
「そうね……。それでキョンはどっちが正しいと思うの?」
「タイムトラベルが本当にあるなら『変えられる』に決まってる」
「そんな断言してもいいの?」
「だってそうだろう? 『過去を変える』って事はなにも先祖を殺す事だけじゃない。タイムトラベラーが過去に来ただけで変わるはずだ。
極論だけど、酸素も余分に消費されたりするしな」
「それも『過去を変える』ことなの? そんな些細な事でも」
「些細だろうが変化は変化だろ。大体さ、この程度ならいいけどこれ以上は駄目なんて誰が決めるんだ?」
「じゃあ……あたしはもう二度も過去を変えちゃったってことなの?」
キョンの説からすれば、そうなるはずだ。だけど、キョンは首を振った。
「それがハルヒの場合は、ちょっと違うんだよ」
「どういう意味よ?」
「悪いな、ここからは長門の出番だ。俺ではうまく説明する自信がないからな」
そう言ってキョンは有希に手にしていたノートを滑らせた。有希はそれを受け取り、ノートを開いた。
それから書き取った内容を参考にしながら、澱みない動きで新しいページに棒グラフのようなものを描き始めた。
「なにそれ?」
「あなたのタイムスケジュール」
有希は、顔を上げないまま、短く答えた。
まず、『火』と書いてそれを丸で囲み、そこから更に線を引く。
次に、『水』と書いて丸で囲み、最初のものと平行に二本目の線を引いた。
その線分の中程で印を付け、そこに『昼休み(植木鉢)』と書き込む。
『木』の線分は途中で切り、『放課後(水をかけられる)』と書き込む。
『金』の線分は、『下校途中(オートバイ)』で切れる。
それから、『水曜、昼休み』から、『木曜 朝』に矢印を引いた。
同様に、『木曜 放課後』から『水曜 昼休み(植木鉢)』へ、『水曜 夜』から『金曜 朝』へ、『金曜 下校途中(オートバイ)から『木曜 放課後(水をかけられる)』へも線を引いた。
そして、最後に、『木曜 放課後(水をかけられる)』から線を延長して、そこに『木曜 夜』と書き込んだ。
「ここが、『今』のあなた」
「……ええ」
あたしは自分の記憶と照らし合わせながら、その『スケジュール表』を眺め、頷いた。
「こうして見ると、時間旅行と言うには少し語弊があると思わないか?」
キョンが訊ねてくる。
「どうしてよ?」
「だって見てみろよ。確かにハルヒは時間を前に行ったり後ろに行ったりしてるけど、一度やった『時』を繰り返してはいないだろ」
「確かにそうね……」
その『スケジュール表』には、だぶったところは一つもなかった。
「だけど……」
「それからもう一つ」
今度は有希が、口を開きかけたあたしを制して、続けた。
「これは、あなたには分からないかもしれない。でも、あなたのその体は移動していない」
キョンも有希の言葉に頷く。
「??」
「俺は二度……いや、三度だな。ハルヒが『行って』、『帰ってくる』瞬間に立ち会っている。
だが、ハルヒには変わりなかった。お前の体がかき消えるように消えて、一瞬後にまた現れるなんて事はなかったんだ」
「??? つまりなにが言いたいのよ」
「つまり、あなたの時間旅行はあなたの頭の中でだけ起こっている」
「…………」
あたしはまた不機嫌になってきた。結局、また妄想や勘違いで結論付けるのかと思ったからだ。
「そうではない」
あたしの心を読み取ったように、有希が首を振った。
「わたしが言いたいのは、今のあなたは、『意識と体』、その二つが一致した時間の流れにいないという事。あなたの体は正常な時間の流れに存在している。
火曜日に怪我すれば、水曜日にその跡も残る。軽ければ、木曜日には直りかけているかもしれない。だけど、あなたの意識はその順序で時間を辿らない。
水曜日に傷に気付き驚き、火曜日に戻った時、初めてこの時の傷なのだと気付く」
「……ふぅん……?」
一応、頷いてみるがいま一つイメージが付かない。そんなあたしを見て有希が更に例を挙げた。
「例えば、あなたが二時間の映画を見ているとする。最初から見れば問題なくストーリーを追える。
でも、一時間後から見たとすれば? シーンを区切りとって、ばらばらに見たとしたら? あなたは、そのストーリーを追う事ができる?」
「あ」
「ハルヒの『意識時間』……勝手にそんな言葉を作るが、その『意識時間』はなんらかの理由で『外れて』しまったんだ。
結果、ランダムに一昨日から明後日を行き来することになる。飽くまでハルヒの意識だけだ。
じゃないと制服姿で学校にいたハルヒが、一瞬でパジャマ姿に着替えてこの部屋のベッドにいるなんて事がある筈ない。
タイムトラベル能力が瞬間移動や着替えまでこなすなんてことがない限りな」
自分の経験と照らし合わせてみても、二人の話は納得のいく仮説だった。
「なんか説得力あるわね」
「わたしたちはあなたのそれを『ランダムタイムリープ』と名付けた」
「ちょっと長いわね」
あたしが批評すると、有希は訂正してきた。
「なら、『タイムリープ』だけでもいい。とにかく、わたしたちは『タイムトラベル』との区別をしておきたいだけ」
「つまり……同じ時間を繰り返さないって事?」
「そう『タイムループ』は起こり得ない。意識が跳ぶには、受け皿……体が必要。つまり、同じ時間を繰り返す事はできない」
「う~ん……」
またイメージが、掴めなくなってきた。
「つまり、こういう事」
有希は左右の人差し指を一本立てて、それを寄り合わせた。
「この指それぞれが一つずつペアとなり、『時』を過ごす。意識だけ、体だけではなく、体に二つの意識が入る事もない。
だから、同じ時間を繰り返す事もないし、何百年も先に『跳ぶ』こともない。そこにはあなたの体がないから。
あなたのタイムリープは、目標『時点』に『意識』のない体があること前提としている。……理解できた?」
「……えっと、要するにこのスケジュール表にある空白部分ね。『月曜日』とか、ここにしかいけないってことよね?」
あるいは途中までしか体験していない金曜日の後半も含まれるのかもしれない。
「そう。だから、あなたの記憶が先週から日曜日まで、切れ目なく続くとするならば、あなたは今週の月曜日より以前には戻れない事になる」
キョンがそれに補足して話を続けた。
「さっき『ハルヒの場合は、ちょっと違う』と言ったのはこのせいなんだ。ハルヒの場合は物質的な移動をしているわけじゃないだろ?
質量も酸素の消費量にも変わりはない。だから、過去にタイムリープしたからといっても、それだけでは過去は変わらないんだ」
「さて、それでだ。この仮説を正しいとして考えを進めるとだ」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ?」
あたしは慌ててキョンを遮った。
「なんだ?」
「確かに説得力のある仮説だけど、そんな簡単に正しいと決めちゃっていいの? 間違ってたらどうすんのよ?」
別に、二人の仮説にケチを付けるつもりはない。だが、あたしにとっては死活問題だ。
『だろう』とか『きっと』などと言った曖昧な状態で話を進められたのでは、たまったものではない。
するとキョンは申し訳なさそうに答えた。
「悪いんだがハルヒ。この問題をはっきりと実証する事は最初から出来ないんだ」
「……どうして?」
「考えてみろよ。今話しているのは過去を変えられるかどうだろ?」
「ええ……だから?」
「過去の変更を実行してみても、俺たちにはそれを確認する事ができない」
「なんでよ?」
「能力の問題じゃない。俺たちの立場では無理なんだ。俺は正常な時間の流れにいるからな」
「???」
「分からないか?」
「さっぱりよ」
「そうだな……例を挙げてみよう。ハルヒが過去において歴史が変わるようなことをしたとする。いいか? 例えばだ、ケネディー大統領の暗殺を本人に知らせたとする」
「そんな前には行けないんじゃないの?」
「だから、例えばだ。そうすると、ケネディーは死なない。時間は再構成されアメリカの歴史は大幅に変わる。ハルヒが『現代』に戻ってきても、その『現代』には俺たちはいないかもしれない。
仮に、俺にそっくりの『キョン』がいたとしても、そいつはケネディー暗殺があったなんてことは最初から知らないんだ」
「……」
「つまり、ハルヒが過去を変えても、それを自覚できるのは時間の『外』にいるお前だけなんだ。
ハルヒのように力を持たない俺は、『変えられる前の過去』か『変えられてしまった後の過去』しか知り得ないんだ
二つを比べる事もできないし、すなわち実証することもできない」
「わたしが教えてあげたら?」
「なんだって?」
「あたしにはその変化がわかるでしょ?だから、それをキョンたちに教えてあげる事もできるんじゃない?そうすれば、あんたたちも分析や実証が出来るんじゃない?」
「出来ない」
そこで、有希が口を挟んだ。
「どうしてよ?」
「その場合の『キョン』とは、彼じゃない」
「……え?」
「実証のために過去を変えるとする。例えば、月曜日」
「え、ええ」
「そうすると、その『時点』から時間が再構成される。あなたが会うことが出来るのは再構成された後の時間軸の『キョン』。今そこにいる彼ではない」
「……どう違うのよ?時間が再構成されたってキョンはキョンでしょ?」
「基本的にはそう。でも、少しの事でものの見方が変わる事もある。その時間軸の『キョン』が、あなたの話に耳を傾けない事もある」
「……そんなに大きな事を変えなければいいんじゃないの?」
「その基準をどこで判断するの? どんな些細な事や甚大なことであろうとなにがきっかけになるのかは判断できない」
「……ようするに、過去は変えられないってことね?」
「『変えられない』のではない。『変えない方がいい』そう言っている。過去を変えると、それがどんな些細な事でも、『今ここにいるわたしたち』が『別のわたしたち』に変わる危険性がある」
なるほど……要するにあたしたちにとっては都合が悪くなる事態が、起こり得るから過去を変えてはいけないということか。
「……変えないことするわ」
「それが賢明」
あたしは二人の考えに従う事にした。あたし一人ではなにをどうしていいのかも分からない。あたしにはキョンたちが必要なのだ。
「でも……変よね」
「なにが?」
「あんたたちの仮説なら、あたしの場合は『タイムトラベル』じゃないんでしょ? 過ごす時間の流れが違うだけでさ」
「そう」
有希が頷く。
「それでも『過去』なのかしら?たとえば、『月曜日』を体験するあたしは今より先のあたしなんでしょ?だったら『未来』なんじゃない?」
「それがあなたの『タイムリープ』の特異点。あなたにとって月曜日は未来になる。でも、わたしたちにとって月曜日は過去。
その反対に金曜はあなたにとって過去。わたしにとっては未来となる」
「そうね、そうなるわ」
あたしが頷いたのを見て、キョンは続けた。
「つまりだ、『俺の過去』は『ハルヒの未来』と、『俺の未来』は『ハルヒの過去』と繋がっているんだ
『過去は変えない方がいい』という原則に従うと、月曜日はハルヒにとっては未来だけど、変えない方がいいんだ」
「でも、過去ならともかく未来を変えないようにするってどういう事よ?まだ、起こっていない事を変えるなんて……」
不可能だ。そう言いかけたあたしは気付いた。
「そっか……キョンにとっては過去なんだ。キョンはあたしの『未来』を知ってるのね?」
能力がないキョンが『未来』を知っているというのも妙なものだけど、スケジュール表を見ればそうなる。
キョンは頷く。
「その未来が月曜日を指しているなら知っている。もっともハルヒが学校にいた間の事だけだし、それも全てではない。
なにしろ月曜日の時点では俺はハルヒの変化に気付いてなかったんだからな」
「じゃ、覚えてる事だけでも教えてよ。同じように行動するから」
「だけど、ハルヒがやった事って言うかやる事なんだぞ?教えなくてもその場になれば、その行動を取るんじゃないのか?」
「そう……なのかしら?」
「多分な。『同じ状況』になりお前がお前の判断で動けば、その行動は結果として俺の記憶と一致するはずだ」
そう言われるとそんな気もするけど……。
「でもやっぱり知っておきたいわよ。『正解』を知っていればよりそれに近い行動が出来るでしょう?」
あたしはなおも食い下がった。
「それもそうだが……たださ、ちょっと心配なんだよ。緊張しすぎて却って失敗したらってさ……」
そこで、キョンの言葉が途切れる。
「どうしたのよ?」
「……そうか……それでか……」
キョンはゆっくりと笑顔になっていった。
「え?」
「明日の俺達がハルヒに情報管制をした理由だよ。そうだ……確かにそっちの方がいい、そっちの方が安全なんだ」
「ちょっと! なに一人で納得してんのよ! 説明しなさいよ!」
文句を言うあたしにキョンは向き直った。
「つまりこういう事だ。『同じ状況』ならば、『同じ行動』を取るって、さっき言っただろう?」
「……ええ」
「時間を再構成させないためにも、ハルヒには『同じ行動』をしてもらわないといけない。だが、事前の予備知識はハルヒの判断を変える可能性がある。
『同じ状況』であっても、『同じ行動』ではなくなってしまうかもしれないんだ」
「……だから、あたしには未来を教えないの?」
「その方が断然いい」
「有希もそう思うの?」
有希は頷く。どうやらキョンと同意見のようだ。納得するしかないか……。
「そう考えてみると、予言とは基本的に『必ず間違える』性格も備えているんだな。予言を聞かされれば、予備知識を持った事になる。
つまり判断も変わるし、行動も変わる。そして結果が変わり、未来は改変されるんだからな」
「けど、それじゃあ『予言』にならないんじゃないの?」
キョンは笑った。
「だな。けどさ、たとえば大地震のような天変地異で『知ってても変えられない』ことだったらいいだろ?
抽象的な内容にぼかして、その事項が起こって初めてそういう『予言』だったとするようにも出来る。ノストラダムスの大予言がいい例だ」
「なるほどね」
キョンの説明にはかなり説得力があった。同時に金曜日のキョンの行動の理由もわかった。
キョンは、『あたしがテストで満点を取る』という『予備知識』があったから、『あたしがテストで満点を取る』という『予言』を守るためにあたしにテスト勉強させたんだ。
だけど、あたしはそこで一つ疑問が浮かんだ。
「ちょっと待って。……じゃあ、キョンたちはどうするの? あたしが月曜日に『同じ行動』を取るように、キョンたちも金曜日『同じ行動』を取らなくちゃいけないんじゃない?」
「そうだな、その通りだ。『金曜日の夕方』までは、ハルヒにとっては過去だからな」
「だけど、あたしは金曜日の事をあんたたちに話しちゃったわ。あんたたちに予備知識を与えちゃったわ。それはどうするのよ?」
「確かに、俺たちは余計な知識を持ってしまった。放っておけば、『違う行動』を取るかもしれないだろう。次善策を取らないとな」
「次善策?」
「さっきハルヒがしようとした事だ。知らされたことを知らされた通りに実行する。時間を再構成させる危険もあるが、やるしかない」
「……もし失敗しちゃったら?」
「お前が困るだけだ」
「…………」
睨み付けるあたしに、キョンは手を振って苦笑した。
「大丈夫だ。うまくやってみるさ」
そうして、有希が今までのことを『タイムリープ現象』の解決のための必要条件を提示してみせた。
①過去を変えない事。
過去を変えれば、時間が再構成されてしまうからだ。そうすると今までのデータがすべて書き換わってしまう危険性がある。
だからこそ、過去の変更はなんとしても避けなければならない。
もっとも、自分で『自分の過去』を変えようがない。それはもう過ぎ去ってしまった事だからだ。
だけど、あたしは『あたしの未来』により『キョンたちの過去』を変えられるし、キョンたちは『キョンの未来』により『あたしの過去』を変えられる。
そこで、実際はこうなるのだ。
②未来を変えない事。
そのためにはどうすればいいのか。『同じ人間が、同じ状況になれば、同じ判断をして、同じ行動を取る』という説から次のことが言える。
③『予備知識』は持たない方がいい。
それを持たなければ、『同じ判断をして、同じ行動を取る』からだ。では、『予備知識』を持ってしまった場合どうすればいいのか。
④『予備知識』と『同じ行動』を、【意識して取らなければいけない】のである。
あまりにも面倒くさくてうんざりしてしまうが、あたしを更にうんざりさせるのはこれが必要条件に過ぎない点だ。
言ってみれば『現状維持』するためのことであって、事態改善の作業ではないのだ。
けれど、仕方がない。あたしに『キョンの協力』が必要な以上どんなに大変なことでも、これらの条件を守らないといけないんだ。
「……でだハルヒ。実はお前ももう、既に何個かの『月曜日の予備知識』を持ってしまっている。それに関しては厳密に再現しないといけない。
さっき見た日記もそうだし、なにより」
キョンの言葉にあたしは頷いた。
「数学のテストの事ね? 月曜日に行った後、あたしは数学のテストを受け満点を取らないといけない」
「そうだ、よく覚えてたな」
「舐めないでよ。その準備のため金曜日……『明日』は嫌ってほど有希にしごかれたんだから」
「そうだな」
キョンはスケジュール表を見ながら言った。
「今日できる事でも、明日に延ばせるってことね」
「うまい事言うな」
キョンは笑った。
「あんたが言ったのよ。今のあたしにふさわしい言葉だって…………あ!」
あたしは慌てて口を塞いだが、もう遅い。
「……そう明日の俺が言うんだな?」キョンは渋い顔をしながら「やることが増えたな」と、言った。
「ごめんなさい」
「まあいいよ。あんま気にするな」
キョンは諦めたように言った。
「これから気を付けるわね……」
「テストの事に話を戻すぞ」
「うん」
「明日テスト勉強をするそうだけど、その結果をここで見せてくれよ」
「え? ここでまた?」
「ハルヒにとってはまたでも、俺たちにとっては『まだ』なんだ」
「キョンは鞄を引き寄せて中から、問題用紙を引き出した」
「わざわざ持ってきたの?」
「テストの返却があったのは今日なんだぜ? 持ってて当然だろ? お前の鞄にも入ってるはずだ」
そうか……『今日』は木曜日なんだ。あたしは自分の時間間隔が狂っている事を改めて思い知らされた。
「じゃあ、時間を計るから解いてくれ」
「わかったわよ」
そうして、あたしは問題を解きに掛かった。何回も解いた問題だから解法から数式まですべて覚えている。
一時間を待たず、ケアレスミスの確認などをしても三十分程で終わってしまった。
「はい、出来たわよ」
「早いな、どれどれ……」
キョンは有希と二人で採点をした。結果は、
「満点。大したもんだなハルヒ」
「……ありがと」
明日また勉強しなおすのに褒められる。なんだか複雑な気分だった。
「出来るだけ早くテストを受けた方がいい」
有希の言葉にキョンが頷く。あたしとしても肩の荷を早く降ろしたいので、異論など勿論ありはしない。
「だけど、そうしたくても出来ないわよ。行きたい『時』に自由に行けるわけじゃないもの」
「そうでもない。あなたの『ランダムタイムリープ』には若干の法則性があるように思える」
「どういう事?」
あたしは驚いた。見れば、キョンも驚いているようだ。スケジュール表を見ても、あたしのリープはそれこそ『ランダム』で、法則性など見出せなかったからだ。
「今から説明する。その前にこの箱を持って」
そう言うと有希は片手に乗るような小箱を渡してきた。
「なによこれ?」
「少しの間持っていて」
「でも……なんで」
「後で説明する。さあ」
「…………」
あたしは黙って受け取った。金属製で意外としっかりとした作りのようだ。
どういう意図があるのかはわからないけれど、有希が真剣なので言われた通りにする。
「持ったわよ。で、これからどうするのよ?」
「しばらくそのままで話を聞いて」
「……いいわ」
有希は例のスケジュール表を、あたしの前に差し出した。
「これをよく見て。あなたがリープするのは、どんな時?」
あたしはスケジュール表をまじまじと見つめた。
「怖い事があった時? でも、寝ている時にもリープしているわね……」
「それでいい。寝ている時は『戻る』と見るべき」
「『戻る』?」
「これは仮説に過ぎない。でも聞いて。先の時間を過ごすというのは、やはり無理がある。
だから、飛ばした時間を、言い換えるとスケジュール表にできた空白を、機会がある時に埋めるのだろうと推測した」
「誰がよ?」
「あなた。あなた自身の無意識が選択していると思われる」
「……ふうん」
「そして、今度は『リープした直後の時間』に『戻る』時を見る。どんな条件が揃ったとき『戻る』?」
「……一度、その翌日を経験してから?」
有希は頷いた。
「正確には『怖い事』が、あなたに危害を加えていない事がはっきりしてから」
「?」
「つまり、『怖い事』があるとあなたは時を越え逃げる。そして逃げなくてもいい事が判明すると、『戻る』。
次のリープ時や寝ている時などに」
「でも……ちょっと待って。水曜日の夜に寝たら、次は金曜日の朝だったのよ。別に怖いことがあったわけではないのに跳んだわよ?」
「それは金曜日の朝が、最も近く『安全』な時間だったから。『水曜 夜』のあなたは、『木曜日の水をかけられる』の『時点』が怖かった。だから、『そこ』にはいけなかった。
けれど、明日の朝、彼が『助けた』事を知ったので不安は取り除かれた。そして次のリープ時には、『木曜日の水をかけられる』の『時点』に来る事ができた」
有希の説明は理路整然としていて、あたしはすっかり納得してしまった。
「なるほど……それで?」
「……さっきの原則を少し破る。実は、月曜日のあなたには大した危険はない。彼にも確認してある」
「ほんとに?」
「本当。あなたは遅刻もしていないし、いつも通りに授業を受け団活をした。月曜日を避ける理由はない」
「……じゃあ、なんで今まで月曜日にいけなかったのよ?」
「それは分からない。でも、月曜に危険がないことは確か。あなたがわたしを信用してくれるならば、今度のリープは月曜日になる筈。……信用して」
「……わかったわ、有希を信じるわ」
そもそも有希を疑う理由なんて、どこにもない。
「ありがとう」
有希がそう言った直後、両手に持っていた小箱が揺れた。
不審に思った直後、あたしの体に電気が流れた。びっくりしたあたしは、不安定な姿勢で後ろに飛び跳ねてしまった。
なんなのよ……もう、そう思いながら目をつぶった時、あたしの後頭部に鈍い痛みが伝わった。
頭が割れるようだった。後頭部がずきずきと痛む。後頭部を抑えてみる、たんこぶが出来ていた。
「いったぁいわねぇ~~」
そう呟きながらあたしは起き上がった、二人はいない。先ほどまで暗かった窓からは、朝日が差していた。
「リープ……したの……?」
あたしは起き上がり、パジャマ姿のまま階下に降りていった。朝刊を確認するためだ。
新聞はまだ新聞受けの中だった。取り出して広げる。
「さすがね……」
月曜日。有希の予測通り、あたしは月曜日にリープできたのである。
遅ればせながら気付いた。あれはわざとだったんだ。あたしを月曜日にリープさせるために、『怖い目』に遭わせるために有希はあんな小箱を渡したんだ。
おそらく、あの電気も小箱から出たんだろう。
「有希めぇ~……」
あたしは憮然とした。リープさせるために『怖い目』が必要だとしても、あれはやりすぎじゃないのかしら?
お陰で後ろに飛び跳ねた時にぶつけたんだろう頭が痛くてたまらないわ。
「あれ?」
あたしは首を傾げた。頭を打ったのは木曜日だ。その痛みを月曜日の今感じるのはおかしい。
『痛みを持つ』のは体であって、意識の方じゃないんだから。そう疑問に思いながらもあたしは新聞を持って台所に入った。
「おはよう……どうしたの?」
振り返った母さんが、聞いてきた。
「ううん……別に……」
そう言った直後、ずきりと後頭部に痛みが走りあたしは顔をしかめた。
「体調が悪そうね。頭痛?」
「うん……ちょっと頭痛がして」
「二日酔いじゃないの?」
母さんが、からかうように言った。
また、わけが分からないことを……あたしはそう思ったが、経験則から聞き流す事にした。
あたしは学校に登校した。しばらく空白のままだった月曜日の学校に。
頭痛がひどくて正直休みたかったが、そういうわけにもいかない。月曜日にやって来た目的を果たさないといけないからだ。
頭痛をこらえながらあたしはなんとか、学校に辿り着き教室に入った。
「おはよ、キョン」
「ああ、おはよう」
そう言って、また横を向いてしまった。そうだ、今のキョンはまだあたしになにが起こっているのか知らないのよね……。
あたしはなんとなく寂しい気分を味わいながら席へとついた。
問題の数学の授業は二時間目にやってきた。教室に入ってきた吉崎は、両手にプリントの束を抱えていた。
「さあ、今日はテストをするぞ」
どうやら抜き打ちのものだったらしい。クラス中から抗議の声が挙がっている。
あたしは深呼吸した。いよいよこれからである。このテストだけは完璧に解かないといけない。
一問でもミスをすれば、『あたしに協力してくれるキョン』がいなくなってしまうのだから。
準備は万端だ。後は、ケアレスミスにさえ注意すればいい。
「どうだったんだ?」
テストが終わり回収が済むと、キョンが体を捻って聞いてきた。
「まあまあよ」
あたしは答えた。正直疲れた。気力を使い果たしたって感じである。それだけ集中して受けたのだ。
何度も何度も繰り返して見直し、ケアレスミスがないか確認した。それでも不安が残って、最後は数字がちょっと曲がってるわねと、そんなところまで書き直した。
だが、その分会心の出来だった。間違いなく満点を取っているはずだ。有希に感謝しないとね。
「あぁ!!」
あたしは、思わず声を上げてしまった。
「ど、どうしたハルヒ?」
キョンが驚いているが、正直それどころではない。二人のミスに気付いたからだ。
木曜日の水を避けたことである。キョンはあの時、飛んでくる水からあたしを助けてくれた。お陰であたしは水浸しにならなくてもすんだが、それがミスなんだ。
テスト勉強という予備知識はいい。というより、それは必要な事だっだ。
だけど、『知らされた事を知らされた通りに実行する』のであれば、キョンはあたしが水浸しになるようにしないといけなかったんだ。
キョンは『あたしに何かが飛んできている』を知って、『助けてやろう』と考えた。
それはつまり、予備知識のせいで判断を変えてしまった事になる。
時間は再構成されてしまったんだ。どこがどう変わったのかは、わからないけれど、時間の流れは変わってしまった筈だ。
どちらにしても、とても無視していい事態ではない。
「急いで戻らなくちゃ!」
あたしは、宣言して立ち上がった。
「どこにだ?」
キョンが驚いてあたしを見上げていた。
だけど、どうやって戻るの?
三時間目は体育であったが、あたしは考える時間が欲しかったので体調不良と理由を告げ、休んだ。
戻るにはタイムリープするには、『怖い目』に会わなければいけない。だけど、どうやってその状況を作り出せばいい?
屋上から飛び降りるなんてものは駄目だ。確かに、リープは出来るだろうが、その後の受け皿となる体がただではすまない。
つまり、『危険』が必要だけど、その『危険』が実際にあたしに危害を加えるような『危険』では駄目なのだ。
矛盾した内容を、どう組み合わせればいいんだろうか。
あたしは時間いっぱい考え抜き、一つの方法を考え出した。『危険』は必要だ。だが、その一方でその『危険』から守るなにかを用意すればいいんだ。
より正確には、おそらく『助けてくれる、守ってくれるだろう』とあたしが思うなにかを。
確実に守ってくれるものでは駄目だ、いや、守ってもらわないといけないと困るのだけれど、あたしが安心しきってしまえば、それは意味がない。
『多分』、守ってくれるだろうの『多分』が必要なんだ。
「やっぱり……ここはキョンを頼らないといけないか……」
この体育の時間、男子は外で授業を受けていたらしい。うちのクラスの生徒が階段を登ってきているキョンもすぐに来るだろう。
あたしは階段脇でキョンが来るのを息を潜めて待ち、そしてようやくキョンが来た。
今だ。
あたしは、階段を登っているキョンに向かい後ろを向いたまま、そっと階段から身を投げ出した。『受け止めなさいよ……!』、落下感覚を体に感じつつ、あたしは祈った。
見上げると、天井を背景にしてキョンの顔があった。
「……いつから来たんだ?」
「……月曜日からよ」
「そうか、上手くいったようだな」
キョンはほっとしたように息を吐いた。
後頭部の痛みも消えていた。あれは、やはり月曜日の痛みだったのだろう。
そうして、キョンはあたしの手を引いて、元の位置に戻してくれた。
「で、テストは上手くいったのか? ……いや、訊くまでもないか。今、俺がここにいるんだからな」
「それどころじゃないわよっ! あんたたち、見落としてる事があるわよ!」
あたしの剣幕に、キョンは驚いたようだ。有希も目を見開いている。
「なにがだ?」
「木曜日の事よ」
「っていうと、今日のことか」
『木曜日の事』は、あたしにとってはかなり前の出来事なんだけど、『今のキョン』にとってはついさっきのことなんだ。相変わらずややこしい。
あたしが自分の気付いた事を二人に説明すると、キョンの表情が険しくなっていった。
「……言われてみれば、その通りだ。俺はハルヒが水浸しになるのを黙って見ていないといけなかったのか……」
「でしょう?」
あたしは自分の考えが正しいと分かり、ちょっと得意気になった。……そんな場合じゃないけど。
「でも……それにしては……」
キョンはあたしを見た。
「さっきも言ったが、俺には分かりようはないけど、ハルヒから見てなにか変化はあるのか?未来、過去を含めて『この時間』に?」
「それなんだけど、よくわからないのよねぇ~」
もちろん、あたしはあらゆる事象を把握しているわけではないから、断言はできないけど。
「そうか……。わからないような変化なら構わないような気もするが……やはり気になるな。駄目だ、俺にはわからない」
あたしたちは二人して黙りこくってしまった。行き詰ってしまったのだ。有希も口を挟まないところを見ると、同じく悩んでいるのだろう。
「駄目だわからない。でも、俺たちの考えが間違っているとも思えない。」
「……でも」
「そうだ。どこかに矛盾がある筈なんだ。だが、考えてもわからない。とりあえず今は月曜日の報告からしてくれないか?」
「……わかったわ」
あたしは先ほどのミスのことが気になりながらも、渋々と話し始めた。
キョンたちはまたメモを取りながら、あたしの報告を聞いていた。
後頭部の痛みに関しては二人とも首を傾げていたが、わざと階段から落ちてリープしたくだりのあたりになると、キョンは笑った。
「だからか」
「え?」
あたしは驚いてそして気付いた。月曜日のキョンの事を、キョンが知っているのは当たり前なのだ。そして不安になった。
急いで教えようと思ったせいで、あたしも『月曜日』を変えてしまったのではないかと。
だが、そうじゃなかった。
「一昨日……火曜日だな。お前にも言っただろう? なんかこそこそやってるようだったって? ハルヒが月曜日の事を聞いてきてさ」
「あ……」
あたしは口を大きく開いた。あの時のキョンはあたしがなにをしていたのかわからないなどと、確かに言っていた。いきなり現れて後ろ向きに落ちてきたら、それはわけがわからないだろう。
正に、二人の言った通りだった。あたしが自由意志でした行動が、結果としてキョンの記憶と合致したんだ。
やはり二人に理論は正しいのだろうか?
「そういうわけだから、今回はあれでよかったんだけど……ハルヒ」
「なによ?」
「あんなに危険な事をしなくても、ゆっくり月曜日を過ごしてきてもよかったんだぞ? 夜になって眠っちまえば、帰ってきた筈なんだから」
「だって……早く知らせないといけないと思って」
「だからさ」
キョンは笑いながら言った。
「三時間目の終わりから戻ってきても、月曜日も全て終わらせてから来ても、戻ってくる『時点』は、この『木曜日 夜』なんだから同じだろ。」
あ、そうか……。あたしにとってはそうじゃなくても、キョンにとったら早いも、遅いもないんだ。
あたしはそれに気付いて、今更ながら危ない事をしたもんだと思った。
「分かったか? だから、今度からはちゃんと全部終わらせてから帰って来いよ。スケジュール表に空白が残っているうちはいつまでたってもハルヒの時間は元通りにならないんだからな」
「……なんでよ?」
「なんでって……当然だろ? 空白があるってことはお前がやり残した未来があるってことだ。そこを終わらせないと行くとこがないじゃないか」
「じゃあ……あたしが慌てて戻って来なくても、月曜日を全部終わらせて、木曜日の夜に戻ってきて、それも終わらせれば、元に戻ったのね」
あたしは、自分で言っていて、ひどく後悔した。
「それは違う」
有希が首を振った。
「『空白があるうちは終わらない』からと言って、『空白がなくなれば終わる』とは言えない」
「どうして? 同じ事じゃないの?」
「それは後で説明する」
「ところで、月曜日目覚めたら、頭が痛かったって言ったな?」
「そうよ。たんこぶが出来てたわ……月曜日が空白だったのは、そのせいかしらね?」
「かもな……。それで、どこでぶつけたんだ?」
「わからないわ」
あたしは、首を振った。
「それじゃあ、いつぶつけたんだ?」
「それも分からないの。まったく覚えがないわ」
「……月曜日の朝はちゃんとベッドから始まったんだな?」
「ええ、そうよ」
「そうすると前日だな。日曜日だ。日曜日ハルヒはなにをしていた?」
「え? 日曜日?」
あたしは戸惑った。これまで、月曜日以降の事しか考えていなかったからだ。
「えっと……SOS団のみんなで市内探索をしたじゃない」
「その後は?」
「家に帰ったわよ。あ、でも……本屋に寄ったわね。欲しい本があったから」
あたしは本棚から小説を一冊取り出した。
「ほら、これよ」
二人はそれをちらっと見てすぐにあたしに視線を戻した。
「どこで買った?」
「駅前の本屋よ。でかいのがあるでしょ」
「それは何時ごろだった?」
「市内探索が終わったのが、五時ぐらいだったから。五時半ってところね」
「それでどうやって帰ってきた?」
「歩いてよ」
「そうじゃない。道順を聞いているんだ」
「だから、本屋から出て大通りに出るでしょ?それから国道沿いに歩いて、土手沿いに出ると―――――」
「日曜日もそう帰ったの?」
有希がキョンに代わって聞いてきた。
「そうよ」
「間違いない?」
「だって、それが最短距離だもん。いつもそうしてるわ」
「『いつも』はどうでもいい。日曜日にどうだったか聞いている。帰り道になにがあったか教えて、どんな細かい事でもいい」
「えっと……」
あたしは思い出してみた。
「本を買って大通りに出たわ、国道にね」
「それから?」
「ずっと国道沿いに歩いたわ。そして、そう森林公園に入ったわ。ショートカットしようと思って、道はないけど塀をよじ登るとすぐなのよ」
「公園に入って?」
「入って……それから……」
あたしは口をつぐんだ。思い出せない、必死に思い出そうとしたが、それから先がどうしても思い出せなかった。
「思い出せないの?」
「ええ……タイムリープが始まったのは、月曜からだと思ったけど……日曜日からだったのね?」
「おそらく。でも、おかしい」
有希はあたしを見据えたまま視線を動かさない。
「それより前、本を買う前は覚えている筈。その前の時間も、前日の土曜日も、金曜日も」
「ええ」
あたしは頷いた。そうでなければ、火曜日の一番最初に『今日は月曜日』などとは思わなかった筈だ。
日曜日までの記憶があったから、そう勘違いしたのだ。
「そう。ならば、あなたはそこでなにがあったのか覚えている筈」
「え? でも、タイムリープしたのなら、記憶がないのは当然じゃない?」
「違う」
有希は首を振った。
「今訊いてるのはタイムリープ現象が起きた前の事。そもそもの原因を訊いている」
「……でも……」
「あなたはそれを知っている筈。忘れているだけ、思い出して」
「だ……だめ……よ……駄目なのよっ! 思い出せない! なんにも思い出せないのっ!」
あたしは自分でも訳がわからず叫びながら、体を抱いた。
「もういい。止すんだ長門」
「……」
「ハルヒ……もういいんだ。無理に思い出さなくていい」
キョンが言った。驚くほど優しい声だった。
「だが、その日。公園でなにかがあったのは確かだ。そしてそれは、ハルヒにとってとてつもなく恐ろしいことだったんだ。
タイムリープ現象を起こしてしまうほどに。頭を打ったのもその時だろう」
「…………」
「そして、その恐ろしさの余り、ハルヒの意識はそれを思い出すのを拒んでいるんだ」
「…………」
「困ったぞ……なにがあったのかわからないとその恐怖を取り除けない。タイムリープ現象を終わらせられない」
「……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「ハルヒが謝る事じゃない」
キョンは笑いながら言った。その笑顔はいつも見せるような皮肉げな笑いではなく、本当にあたしのことを思いやっての笑顔だった。
とてつもなく怖い事。それでいて怪我を(後頭部のたんこぶは除く)しないような事。それはいったいなんなのだろうか?
なんとか思い出したかったが、思い出そうとすると原因不明の感情が浮かんでくる。
「えっと……」
キョンは、スケジュール表を取り、ふと気が付いたように言った。
「明日……金曜日の下校途中に、ハルヒはバイクに轢かれそうになるんだったな?」
「そうよ」
あたしは頷き、震え、思い出した。忘れていた恐怖を今の言葉で思い出してしまった。
「バイクのナンバーを覚えているか?」
ぶるぶるとあたしは首を振った。そして、言い訳のように付け足した。
「暗かったから……」
「ナンバープレートってやつは、暗くても見えるように作ってあるんだぞ?」
「出会い頭にいきなりだったし……。それにバイクの前にいたから見えないわよ。……大体なんでそんな事訊くのよ?」
「それが偶然の出来事なのかと思ったんだよ」
「……どういう意味よ?」
「ハルヒのタイムリープの回数が気になってたんだ」
キョンはスケジュール表を突きつけた。
「たかだか一週間の出来事にしては、『危ない目』が多すぎやしないか?水かけは、まあ無視してもいいけど」
「そういえば、そうだけど…………まさかキョン?あたしを誰かが狙ってるなんて言うんじゃないでしょうね?」
あたしは自分が思いついた推測を、否定してもらいたいと思いながらも言った。
「可能性はある」
「ちょっと……やだ……やめなさいよ」
あたしは笑おうとしたが、体がこわばってうまく笑えなかった。するとキョンは急に口元を緩めた。
「まあ、想像に怯えても仕方ないな。あんま気にするなよ」
そんなこと言われても、今更無理だ……。
「だったら最初から、そんなこと言うんじゃないわよ……」
「ごめんな。ハルヒを不安にさせたかったわけじゃないんだ」
キョンは頭を下げた。
「……それじゃあ今日はここまでにしよう……」
「帰るの?」
「ああ、もうこんな時間だしな。金曜日の夜にまた話し合おう。それまでにさっきの問題も、俺たちで何とかしておく」
「でも、金曜日の夜は……」
筆記用具を鞄に詰めているキョンの服をあたしは掴んだ。
「分かってるさ」
キョンはあたしを力づけるようにはっきり頷いた。
「下校途中に轢かれそうになるんだろ? 大丈夫だ。必ず、俺が助けてやる。安心しろハルヒは護る」
「そんなこと言って、来てくれなかったじゃないのよ」
「え?」
「あたし一人置いてどっか行ってんのよ! あんたたちはっ!!」
「そうか。ハルヒの記憶じゃそうなんだな……。でも、俺達がどこに行ってたのかハルヒは知らないんだろ? ハルヒが知らないだけで、すぐ後ろにいたのかも……」
そう言って急にキョンは動きを止めた。どうしたのかしら?
薄く笑っている。
「そうか……それなら確かにそうだ……!」
「何か分かったの?」
「ああ。さっきのハルヒの指摘したミスについてだよ。あれはあれでよかったんだ。ミスじゃなかったんだ」
「? どういう事よ?」
「つまりだな……いや、それも明日話す。説明に時間がかかりそうだし……少し煮詰めてもみたいしな」
「夜分遅くまでお邪魔してすいませんでした。失礼しました」
玄関まで送りに出てきた母さんにキョンは、挨拶している。
「いいのよ、またいつでも来てちょうだいね」
「そこまで送るわよ」
あたしは靴を履いた。
「ね、キョン、有希」
夜道を歩きながらあたしは、横にいる二人に訊ねた。
「なんだ?」
「今夜眠ったとしたら、あたしはどこに行くのかしら?」
普通なら金曜日の朝だ。だが、その時間は既に終えている。また、どこかの時間にリープする筈だ。
「可能性としてあるのは、日曜日の夜、月曜の残り、金曜の夜。そのどれでもなければ……おそらく土曜日の朝」
有希が答える。
「その中で一番安全だと、あなたの無意識が判断したところに、リープすることになる」
「……そう。それで一番安全なのは『いつ』なの?」
「それを訊かれても困る。判断するのは、あなた」
「……あ、そっか。そうなるのよね」
「それでだ……」
キョンが、不意に真面目な顔になって言ってきた。
「ハルヒ、頼むから金曜日の夜に行ってくれないか?」
「え?」
「金曜日の夜はバイクに轢かれる寸前だ。今のハルヒにとって一番『避けたい』筈の時間だろう。
だけど、それを承知で頼む。金曜に行ってくれないか?」
「でも……あたしには決められないわ……」
「そうでもないだろ? さっきハルヒは月曜日に行って、しっかり『この時間』に帰ってきたじゃないか。全然制御できないわけじゃないんだ」
「あの時はそうだったけど……」
「ハルヒ」
キョンは、強く断言した。
「約束する。ハルヒは轢かれたりなんかしない。俺が必ず守ってやる。ハルヒが心の底からそれを信じてくれれば、ハルヒは間違いなく金曜日に行ける」
あたしはしばらくの間、キョンをじっと見詰めた。
「……ほんとう?」
「ああ、必ずだ」
「じゃ、もう一度、約束して」
「もう一度?」
キョンは疑問符を浮かべたが、あたしが今一番聞きたかった台詞を言ってくれた。
「ハルヒは轢かれたりなんかしない。必ず俺が護ってみせる」
あたしは、にっこりと微笑んだ。
「しょうがないわね。信じてあげるわよ」
「頼むぞ。……じゃあ戻るぞ」
キョンは、あたしの家の方を指差した。
「今度は俺が送るよ。帰る途中に暴漢にでも出くわしてまたリープしたらややこしくなるからな」
「だったら学校の行き来も危ないんじゃない?」
あたしは笑いながら上目遣いに言った。
「分かってるさ。この件が片付くまで俺はハルヒから離れない。明日の朝もハルヒを迎えに行くよ。ハルヒの記憶のままな」
その後、あたしはベッドの中で一心に念じた。
「金曜日……金曜日……キョンは必ず来てくれる……必ず護ってくれる……」
第5章 了。