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~ the first person : from the gentleman ~

 

  


 

 窓の外の風景がどんどんと後ろのほうへと流れていく。
 厚い雲に覆われた街は音を閉ざされた空間からでもその静けさが伝わり、沈黙が支配する世界は色というものを忘れたかのような灰色一色だった。
 建物に、街路樹に、道路に積もる真っ白の雪はこの街にとっては珍しいものであるはずなのに、自分はその光景にどこか懐かしさを憶えずにはいられなかった。
 雪が支配する世界の朝には人の影などどこにも見当たらず音を、色を、存在を忘れたその姿はどこか淋しげで虚ろでそれでいて記憶の中の彼女の姿と否応にも重なった。
 記憶が戻るのを防いでくれていたラジオの音を自ら消すと、エンジンの音だけが自分の鼓膜を震わせていることに改めて気づいた。
 この状況の中でも自分と同じように車を駆る人々はいたが、それも疎らで時折見かけては交差点で錯綜するだけだった。
 まさかこんな形でこの車を披露するとは、ね。
 俺は自嘲気味に笑みを零した。
「いやいや、俺なんて言葉は彼らの前では使えないな」
 彼らはそんな私なんて知りもしないのだから。
 冗談を言うことによって少しでも自分の思考を平常でいさせることに俺は――自分は努めていた。
 この車はもっといい形で魅せたかったな。
 もし、全く何も変わっていなかったらの話だけれど。
 彼の、彼女の驚く顔を見れたらと何度も想像したけれど、そのとき思い浮かべていた風景はこんな凍ったものじゃなかった筈なのに。
 カーナビの端に表示された時刻を確認する。
 正直言ってあの場所まで行くのにナビゲーションなんて一切必要なかった。
 何で自分はこうして車を走らせているのか。
 さてどうしてでしょうか。
 分かってしまうのだから仕方ありません、か――。
 今思い返してみてもあの言葉は実に傑作だった。
 見事なまでに状況を言い表した言葉。
 多分この言葉は我々だけじゃなく未来人にも宇宙人にも当てはまっていただろう。
 今更確かめる術はありもしないが。
 さて――。
 自分は今こうしてただなんの当てもなくあの場所へと車を走らせている。
 朝、目醒めて私の視界に飛び込んできたこの銀白の光景は私にある想像を閃かせた。
 それはこうして私を寒い世界へと駆り立てるのに充分過ぎる考えでもあった。
 まだ充分時間はある。
 タイミングが重要だ。
 ――もしも私の想像が間違っていなかったらの話だが。
 この暖かい温室の中から見える凍りついたような世界。
 ただ周りをちらつく雪の舞がその光景を和らげていた。
 銀白の雪に覆われた世界――。
 この街がそのような様相を取るのは今日が初めてではなかった。
 この街――かつて私が住んだ街――に今日のような大雪が降り、そしてそれが世界を一転させることはとても稀有なことである。
 そう、それは自分にとって二度目の記憶。
 この地域一帯では四年間に一度、そしてそれもごく少量の雪が降ればよく振ったほうであり、――もう少し山のほうへ行けば毎年それなりに薄い雪の層は出来、その向こうも確かに真っ白には積もるが――その雪が世界を停止させることなどありえなかった。
 しかし記憶の中の一度目、前回の大雪は決して自然界が引き起こしたものではなかった。
 だからこそ、自分を珍しく直感だけが突き動かしているのかもしれない。
 言うなれば前回が前回なだけにとは言えるのだが、そんな情緒の欠片もないことは考えたくなかった。
 もっと心を揺さぶる何か――そんなことを言えば彼なら笑うだろう。
「お前がか?」と。
 けれど――今の貴方は私を知らない。
 貴方の記憶の中にあるのはかつて古泉一樹と称していた別の自分に過ぎないのだから。
 彼女なら尚更だろう。
 もっとも私が彼らに今の自分を曝け出すなどとみっともないことはしないでしょうが。
 今自らはどこに向かっているのか。
 私の母校、かつて私達が全ての始まりとした場所。
 そして、全ての終わりとなった場所。
 あの後、すぐ――といってもこの年間からしての――私は彼らと会わなくなった。
 彼とは連絡を取り合ってはいたものの、既にその繋がりを失ったSOS団をもう一度惹き合わせるほどの絆はなかった。
 彼女とは、全てを打ち明けてから暫くは機関として連絡をとってはいたけれど、それもすぐにどちらからともなく立ち消えとなった。
 あのときの涼宮ハルヒの精神状態はとてもではないが平静などと呼べる代物ではなく、もしも彼女がまだその力を保持していれば私達はとてつもない労力を強いられていただろうと気づかざるを得なかった。
 それも無理はないかもしれない。
 最後の最後で、全てを明かされ、世界を反転させられたまま、彼女にとって何ものにも代え難い二人の友達と思っていた人物が手の届かないところへと消え去ったのだから。
 まして彼女にとって秘密とされていたことは全てに裏切られていたに等しく、その荒れ方は眼を覆いたくなるようなものだった。
 あのとき、何が起こったのか。
 それは今でもありありと思い浮かべられる。
 もちろんあのときの彼女、涼宮ハルヒと彼の決断には大いに感謝している。
 2人の力がなければ今のこの世界があるかどうかさえ分からない。
 けれどそれはあまりにも大きな痛手だけを残した。
 全く、誰があのようなエンディングを予想したのだろうか。
 予想ではあるが未来人にとってもその未来は定まっていなかったのだろう。
 だからこそ、物語はバッドエンドでその幕を閉じた。
 どちらが悪いなどとは言えない。
 自分自身も2人が結ばれることは必然でもあるとさえ考えていた。
 だが2人はまるで決裂したかのごとく分かれて終わった。
 そしてそれを……私達は望まない。
 自分は一体何度涙を呑んだのだろうか。
 何度も同じ命題をループし、そして何度も同じ結論へと繋がった。
 その役目を担うのは自分ではない――。
 それは何度も私自身の心を打ちのめした。
 私が、『私達』が、陥ったディレンマ。
 ハッピーエンド何ていうものは実は紙のように薄っぺらく、それ自体を構成する定義は自身の主観でしかない。
 全てにとってハッピーエンド何ていうものは、御都合主義が生み出した矛盾と辻褄合わせの極限であり、それは作者が用意した現実からあまりにもかけ離れた屋敷、舞台と何ら変わりはない。
 我々が生きる現実は、物理法則を捻じ曲げる空想が世界の裏で支配していても、紛れもなく現実であるのだ。
 単純なことじゃないか、と彼はあのときから数え切れないほど繰り返した自嘲の笑みを浮かべながら思った。
 誰かが喜ぶその裏側では、誰かが悲しむ。
 勝負がそこにあって勝敗が決するとき、そこには勝者がいて敗者がいる。
 だったらこれは勝負ではない?
 いや違う、紛れもなくこれは戦いだと彼は感じた。
 それもまるで不戦敗が用意されているような。
 『神』は『人間』であった。
 彼女は何よりもハッピーエンドを望んだ。
 それは深層で、自分達ではなく自分と貴方なのだ。
 もういい――。
 これ以上結末について考えることはよそう。
 どうせ決まっているじゃないか。
 俺は、自分は、僕は、何をしに行くんだ?
 ――歳月を隔てたハッピーエンドをわざわざ創りに行くんじゃないか。
 今更このハンドルを切って引き返そうとは思わない。
 私は彼女に選ばれた役目を全うしなければいけないからだ。
「――ありがとう、涼宮さん」
 車が平坦から坂になりはじめた道路を登っていく。
 私は未来を切り開くために過去を切り捨てにいくのだ。
 もう迷いはない。
「くっくっ。私に台本なんて、必要ないんですよ」
 貴方は憶えておられるでしょうか――私が高校生だった頃貴方に告げた数少ない本心の言葉。
『私は貴方が羨ましくて仕方がないんですよ』
 そろそろ自分の言葉を彼らが知っていたそれに合わせておこう。
 二人に余計な想いを抱かれては困りますから。
 彼らには余計なものを取り払って、高校生のときを思い出して貰わなくてはいけませんから。
 そろそろ近づいてきた。
 前を覆う雪のなか前方を注視する。
 ブレーキを徐々に踏む。
 そして降雪のなか道を挟んで佇む2人の影を――見つけた。
 やはり、自分の考えは間違っていなかった。
 そして同時にもう引き返せないことも私は分かった。
 登場は少し芝居がかって行いましょうか。
 二人がこちらに気づいたのを確認して、私はライトを点滅させて停車することを示した。
 そして減速しながら、ちょうど二人の間に車を停めることに成功した。
 さぁ、三人目の登場人物ですよ。
 彼女が少し口元を押さえるのを横目で確認しながら、私は車のエンジンを落とした。
 そしてゆっくりとドアを開けながら、舞台に降り立った。
「おい……まさか、だろ?」
 懐かしい再会の彼が半笑いの表情で問いかける。
「ええ。そのまさか、でよろしいかと。お久しぶりです。貴方にも、」
 そして反対側を振り向いて、
「もちろん同じくらい涼宮さんにも」
 駆け寄ってきた彼女にも軽く頭を下げた。
「ホントに古泉くんなのね!」
 道を越えて周って来た彼女――涼宮ハルヒの瞳は私に高校生の頃の彼女をを彷彿とさせた。
 彼女特有の感嘆符も懐かしく私の鼓膜を振るわせた。
「本当に久しぶりだな、古泉。一体何年ぶりだ?」
「さぁ、どのくらいでしょう。七、八年くらいはお会いしていませんよね」
 私は彼に微笑を浮かべたまま答えた。
 けれど彼は現れるはずの動揺を隠したまま、
「かもしれないな。……まさかとは思うがその車、お前のか?」
 どうやら貴方もそれなりに大人の知恵を身につけたようですね。
「ええ、間違いなく僕のです。自分で購入したんですよ。流石にローン、ですがね」
「それだけでも、大違いだ。俺なんか高校出て取りあえず免許取ったペーパードライバーだ」
 本当はもっと別の形で披露したかったのですがね、私はその言葉を飲み込んだ。
 彼女の前で吐いてはいけないだろう。
「ねぇ、何で今日ここに来たの? もしかして……監視とか?」
「いえいえ、機関は既に解体されています。僕一人じゃなんともできませんよ」
 私は彼に視線をやった。
 どうやら自分の過去を冗談で言えるほどに彼女は落ち着いたようですね。
「何となくです。この天気、ですから。……彼が毎年ここにやってきているというのは知っていましたが」
 私は再び彼に目線を向けた。
 しかし今度は違う意味を込めて。
 彼が毎年ここにやってきているなんてのは――私の鎌掛けだ。
 そんなことを私が知るはずはない。
 けれど――。
「良いだろう、個人の自由さ。……あぁ、今更なんでそんなことを知ってるかなんて訊かないぜ」
 まさか。
「相変わらずの配慮、恐れ入ります」
 急いで私は会釈をして顔に現れた動揺を隠した。
 そして再び顔を上げて彼に、高校生の頃顔に張り付いたかと思うほど繰り返した微笑を向けた。
 彼は否定しなかった。
 ――貴方という人は。
 とんだ罪作りです。
「でもさぁ、何で来たの?」
 涼宮さんは今の対話を意に関せずと違う質問をぶつけてきた。
 もっとも、同じことを繰り返したことで彼女の心の揺れは感じられてしまいましたが。
「涼宮さんがそれを訊かれるのですか?」
 あっ、と小さく洩らす。
 彼女はその瞳を僅かにけれど分かりやすく左右に揺らすと、彼女を見つめている彼のほうにきっ、と向き直って、
「な、何ニヤニヤしてるのよ、バカキョン!」
 しかし涼宮さんのその場凌ぎにも彼は巧く交わして冷静に答えた。
「まったく、相変わらずだなお前のその動揺っぷり。バレバレだぜ」
 彼女は口を噤むと噛み締めたがすぐそれを緩めた。
 彼からは見えないでしょうが――私は間違いなく彼女が微かに目尻を下げたのが分かった。
 そしてまた、御二人は――互いに閉じ籠もった。
 全く――。
 もどろかしいにも程がありますよ。
 貴方も、涼宮さんも。
 ……それとも私がこの場にいることが邪魔なのでしょうか。
 ――いいえ、まだ暫く私には最後の演技が残っています。
 少なくとも私が手がけた脚本の中には。
 それまでは神様もこの舞台に立つことをお認めになるでしょう。
 視線を宙に上げると自然と北校の白い校舎が眼に映った。
 運命、ですか。
 まさかそんなものを私が教えることになろうとは……全く思いもしませんでしたよ。
 何かを伝えようとして口を開き、そしてそれをまた唐突に諦めた彼女は、その場にしゃがんで足元の雪に触れた。
 彼女は――涼宮さんはまた面倒なことを思いついたようだ。
 手のひらに雪を何層も乗せそれを手袋をした手で丸めると、私のほうをちらと見たあと、いきなり立ち上がって彼に雪球を投げつけた。
「それっ!」
「ぐはっ!」
 顔面にクリーンヒットした雪に身体を後に退けずらせる彼。
「ナイスヒット」
 彼への憐れみも込めて口笛を吹く。
 彼が私に恨みの籠った視線を投げたその隙にすかさず三発、彼の顔面にぶち当たった。
 体勢を整えると、勢いをつけて雪を掬いそのままの勢いで彼女にそれを投げはなつ。
 横に華麗に飛んでそれを避けると、涼宮さんは小悪魔めいた表情で舌を覗かせた。
 再び雪を掴みそれを振りかぶると、彼はまっすぐその雪球を――。
「しまっ……た」
 腕を解いて黒のコートを見下ろすと裾に白い雪の塊が寂しく砕けていた。
 わざとらしく、聞こえるように溜息をつくと私はその雪を払い落として、
「宣戦布告もなしに奇襲攻撃とは……それでは、私も!」
 ――まさか、避けましたか!
「ふっ、甘いな古泉。これくらい、」と得意げに言ったのも束の間、
「ぐほわぁ!」
 腰に手を当て仁王立ちする涼宮さんは言葉に合わせて人差し指を横に振った。
「ちっちっちっ。あんた気を取られすぎよ」
「くっ、ならば――」
 そうして暫く自分を含めて三人で今更の雪合戦をした。
 皮肉を言うのであれば前回の大雪のときはそれどころではなかったから。
 振り返ってみればこうしてこのグループで雪遊びをしたことは高校時代なく、確かにそれは新鮮であった。
 もちろん私が特別な背後関係に縛られず一つのゲームが出来たことも、もちろんその要因の一つではあるでしょうが。
 あぁ、今思えばこれも遠き日の思い出、と呼べるものでしょうが、機嫌を損ねぬようにゲームをするほど知恵を振り絞ったものはなかったといえる。
 よっぽど台本作りより先の先まで考えたものだった――。
 こうして合いまみえて、やはり彼女のずば抜けた運動神経は少しも衰えていず、彼はゲームの途中からほとんど傍観者の体を取りつつあった。
「ねぇ、キョンと古泉くん」
 突然彼女の声が鼓膜を振るわせた。
 間髪入れず雪球を投げ返す。
「何でしょうか」
「何だ」
 彼女の声は少し気だるげ気味だったが私の鋭敏な耳はその奥の震える小さい心の声を察知した。
 とうとう、その気になりましたか。
「もしさぁ……私が気がつかなかったら、」
 今度は彼のほうへと雪球が飛ぶ。
 そして彼女が続けた問いは私の予想を裏切った。
「二人はずっと……本当のこと、黙ってた?」
 私の動揺が乗り移ったかのように、放った雪が左へ右へ弱々しく逸れてボスッと音を立てて静寂の中、落ちた。
「どうなのかなぁって、思って」
 ――私は貴方にそんな小賢しい真似は求めていないというのに。
 けれども彼女の未熟な言葉が六年間で培われた私の強靭な心を必要以上に揺らせられるはずもなく、彼女が落ち着くのを待つ意味も込めて雪球に私は手を伸ばした。
 彼は怪訝な表情で私のほうを一瞥すると何を思ったか一緒に雪球を投げはじめた。
 貴方も大概ですよ。
 暫くそうすることで私は時間を作りながら物語の最終段階への『足掛かり』を組み立てていた。
 私がこの場所にやってくる前から二人は居たことからも、もうそろそろの時間である。
 私は必ず成し遂げなければいけなかった。
 どうして――俺が?
 ……そんなことを分かるはずがありませんよ、私の頭が。
 ただ私の頭が心のことを分かりたい、分かったつもりになっているだけに過ぎないのです。
「ねぇ、どうなの?」
 流石に涼宮さんも痺れを切らしたか、それとも心にけりをつけたのか、身体の動きを止めて私達――彼にしっかりと目線を向けた。
 どうやら、誤魔化せないと察したか彼は私の方に視線をよこした。
 因果なものです。
 ――結局、私に頼るのですか?
 いいでしょう。
 私に舞台を貴方は譲ってくれるのでしょう?
 最後の役ぐらい、スポットライトの中で遂げたいものです。
 私は彼に肩を竦め返した。
 ――多分、何も伝わってはいない。
 彼が、彼女がそのことに気づくのは――
「正直言いましょう、涼宮さん」
 私は軽く咳払いをした。
 ……おっと、これは演技中はしてはいけませんでしたかね。
「どちらか分からない、などとは誤魔化しません」
 彼に掌の先を向ける。
 ……軽やかな手振りも役者には求められるのです。
「彼はともかく、」
 そして私を指す。
 ……ここは、欧米式で行かせてもらいますよ。
「少なくとも私には涼宮さんに真実を告げるつもりはありませんでした」
 涼宮ハルヒの大きな瞳がいつも以上に見開かれた。
 一瞬それに吸い込まれそうになる自分の衝動を押さえつつ、彼女を見つめ返す。
 やはり予想外だったか私の言葉に明らか動揺を隠せず、一度足元に眼をやると、今度は彼のほうを見定めた。
「……キョンは?」
 ――一瞬、そう呼ばれる彼に嫉みを感じる。
 だめだ、もうすぐだ、今ここで壊してはいけない。
「俺は……古泉とは違う。いつか明かせる日が来るはず、そう……信じていた」
「……そう」
 そう告げた彼の言葉は残念ながら理想を謳ったものに私は聞こえていた。
 多分、それは彼の本心。
 けれど私のあとでは彼女もそう素直には受け取れないだろう。
 さぁ、どうするか。
 ――これが貴方たちへの私からの最後の楔です。
「どうして秘密のままなの? 古泉くん」
 ほんと、どうしてでしょうね。
 もしかしたら私自身、『そう』思いたかっただけなのかもしれない。
 私が答えを溜めていると、山の頂のほうから鋭い風が下りてきた。
 はぁ――。
 さぁ……お別れです。
「それは……この自分は決して『鍵』たる存在ではないからです」
 私は自分自身の言葉がそれを意味するところを充分彼らに効果を与えるまでゆっくりと待った。
「私は彼の存在にはなりえません。ただ答えを導く者達の一人というだけです」
「なによそれ――」
 彼女が今日はじめて嗚咽を漏らしながら呟いた。
 誠に光栄ですよ。
「貴方に全てを打ち明けるのは、この私が奪う役目ではない。この意味がお分かりですか?」
「そんなの……答えになって、ないじゃない」
 今度はコートの袖で眼元を拭った。
 正直私は満足していた。
 二人は、特に彼女は予想以上の好演技を披露してくれている。
「かもしれませんね。ですが、私にとっては答えとしてそれで充分なんです。これ以上ないほどに」
 自分特有の節回しをつけて告げてから、私は自らの最後の舞台、スポットライトの中央へと足を運んだ。
 ――さぁ、私の独壇場です、天よ照覧あれ。
「今、この世界は大きな閉鎖空間の中にあります。ご存知でしたか?」
 主役には背を向け、観客のほうへ視線を投げる。
 そして、腕を大きく振り上げ、世界へ話しかけた。
「この世界を覆い尽くすほどのとてつもなく巨大な閉鎖空間が今、構築されていることに」
 私の声が、言葉だけがこの広い舞台を制する。
「そして面白いことですが、確かにその中でも時の針は止まらず進み続けているのです」
 それは私が自らのために用意した最後の台詞。
 こんなもの――その気になればいくらでも紡げますよ。
「ですがこの世界に未来はありません。あのときからずっと――何故でしょうか。我々が望んだはずの、そして苦労して繋げたはずの世界は、未来は、この閉鎖空間で包まれた世界には訪れないのです」
 何せ私は稀代の詭弁家ですから。
 今度は宙へと伸ばしていた腕をズボンのポケットに入れる。
「それは、この世界に存在するはずの『神』とその心の扉を開くことの出来る『鍵』。その二つの存在がこの空間を、この時間を、この世界を閉ざしてしまっているからです。ですが、超能力者はそれを認めません。お分かりですね。そう、閉鎖空間の拡大を許した世界はいずれ破滅を迎えるからです」
 そこまで言い切ると聞こえぬよう一息吐いてから、私は初めて二人のほうへ振り返った。
 もちろん二人には分かっているはずだ。
 私のメタファー仕掛けの台詞の意味を。
「もちろん私もそれを認めません。昔、私は言ったことがあります。この世界に愛着があると。今のこのかけがえのない世界が好きだと。だからこそそれを、神様と救世主のわがままで終わらせたくないんです」
 自然と、彼と彼女の視線が交錯したのを私は見つめた。
 我儘、そんなもので割り切れるのかは私には判らない。
 ひょっとするとこの私自身もそう呼ばれる存在かもしれません。
「幸か不幸か、今我々を閉じ込めているこの閉鎖空間は何故か、その拡大をあと一歩のところで止めています」
 そろそろ私の退場の時間です。
 あぁ、実に惜しい、しかし――私には私の役目がある。
 私はこの場所へと彼女の言う運命というものによって引き寄せられた。
 『長門有希』が消失した日と同日に降ったこの大雪。
「幕は、お粗末ながらこの私が引きましょう。結末は、お二人でお決めください」
 そう私はただ促すだけ。
 未来を定めるのは二人の負わなければならない役目だ。
 我々三人はその糸によって、この日にもう一度引き寄せられた。
 最後のチャンスだけを与えられて。
 ――やはりなんだかんだ言って、執筆者は自らの作品が愛しいものです。
「心から僕は、この世界の平穏を願っています。――それでは、また逢う日まで。さようなら」
 そういったときには私の身体は既に漆黒の愛車の中に納まっていた。
 エンジンをかけ、アクセルを全開で踏む。
 さようなら――涼宮さん。
 もう振り返ってはいけない。
 私はそのために、自分の未練を断ち切るためにここへと来たのだから。
 そして私には彼らの行く末を見届けなければいけない役目を負っている訳ではない。
 ――どうしてか。
 明快、何故なら二人はもう――大人なのだから。
 SOSなんて必要ありませんよね。
 ――私の最後の芝居、演技力は充分まかなえていたでしょうか。
 私は黄色く光る時刻を確認した。
 窓の外を散り散りに粉雪が舞っていた。

 


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