「その条件なら駅裏の店だな。余程の童顔じゃなきゃまず止められないし、品揃えもまずまずだ」
「あの小さな店か?」
「ああ。ただ、たまにいる女子大生のバイトには気を付けろ。こちらを高校生だと判断したら無言でブツを脇にどけてくるからな」
「……それは辛いな」
「あとは趣味に合うかは分からないがゲームが豊富なA店もオススメしとこう。こっちはほぼフリーパスだ」
「ゲームか、存在は知っているが、そういったものは少しな……」
「一度試してみろって。ジャンルやシチュも豊富だし、あれはあれで悪くない」
「む……そうか」
「他には……」
 とめどなく自分の知識を披露する、迷彩メイクのこの男……谷口と言ったか……。 
普段ならありえない話だが、このふざけた格好の男に俺は僅かながら敬意のようなものを抱いていた。
 教室など他人の目がある場所で猥談に興じるようなタイプの人間を俺は軽蔑している。そういった類の出版物を知り合いと一緒に見るなどもってのほかだ。
 しかし、こいつはその開けた交流によって俺よりも多くの知識を得ている。
 ……己の性癖を暴露するなど愚の骨頂だと思っていたが、メダカの鱗一枚分くらいは目から落ちた思いだ。
「それで、だ。さっきの件なんだが……」
 谷口はややわざとらしく言葉を詰まらせ、暗にこちらからの発言を促す。
 ……はあ……気は進まないが仕方あるまい。約束は約束だ。
「分かっている。北欧美女シリーズは持っていけ」
「へへ、悪いな。他にも聞きたいことがあるなら聞いてくれ。この辺りの店なら大体分かるからよ」
 約束がどんな内容かは流れで分かるだろう。察しろ。
「……汚すなよ?」
「へいへい。あと他にも何点か借りたいのがあるんだが……」
「ちょっと待て。そんなに一度に借りても、その、なんだ……」
 ……全部見きれないというか、処理しきれないというか……。
「一日にオ○ニーの二回や三回は余裕だろ?」
「こ、こちらが言葉を選んでいるのにはっきりと言い切るな!」
「言葉を選ぶって……マ○タベでも自○でも別に変わらないだろ?」
「そういう意味ではない!」
「あ、そうそう。ちなみにオ○ニーってのは――」

 ピリリリ……

「お?」
 俺の携帯が一度だけ着信を告げる。それと同時に、今まで知性のかけらもない発言を続けていたこの男の口もぴたりと止まり、急に張りつめた空気が部屋に広がっていった。
「……合図だ」
「……おう、やっと来たか」
 着信は二階で監視している味方からのものだ。ワンコールで切られたそれが意味するものは……敵側の侵入成功。
「んじゃ、行くか」
「……ああ」
 壁に立掛けておいた銃を手に取り、待機していた部屋から外の廊下へと出る。今から戦場へと変わるだろう見慣れたこの廊下を、俺は複雑な気持ちで眺めた。
 正面玄関からまっすぐ上の階を目指すには、ここの廊下を通り抜けるのが一番早い。廊下を渡り切り、ドアを開けばすぐに階段だ。
 ならば敵のリーダー……あの女は必ずこのルートを選ぶ、というのが古泉の弁だ。

 コツ……コツ……

 緊張した空気のためか、普段なら全く聞こえない足音が、ドアを越えてやけに鮮明に伝わってきた。

 コツ……

 この廊下へと繋がっているドアの前辺りまで来て、足音はそこで歩みを止める。
 ……いよいよか。
 きゅうっと胃を締め付けられるような不快感。認めたくはないが、今の俺は奴らを……主に、喜緑君を恐れているようだ。
「ふうぅ……」
「なんだ? 緊張してるのか?」
 横から軽口を叩いてきた谷口をじろっと睨む。否定の言葉を口にするつもりだったが、谷口の様子を見て言葉に詰まった。
 緊張とは無縁と言いたげな余裕のある視線。むしろ楽しそうであるかのように弛まった口元。その表情は俺とはまるで正反対の自然なものだ。
 この状況で笑っていられるその胆力に驚きを覚えたが、すぐに思い違いだと気付く。
 ……そう言えば、こいつは涼宮ハルヒたちが特殊な人間だということを知らなかったな。
「……なるほどな」
「なんだよ?」
「いや……」
 だからと言って見下したり馬鹿にしたりするつもりは毛頭ない。時に無知が強みになることは、まだそれ程長くはない俺の人生でも幾度となく実感してきた。
 解決出来そうもない困難に面した時、知識があり思慮深い人間より何も考えていない人間の方が得てしてうまく乗り越えてしまうものだ。
「…………」
 ……だからだろうか? 今の俺にはその強さが羨ましく、まさに……これから戦いが始まるまさにこの時に、こんなことを尋ねてみたくなったのは。
「……なあ、さっきの話の続きはなんだ?」
 視線は前方のドアを見据えたまま、谷口に問いを投げ掛ける。
「ん、さっきのって?」
「携帯が鳴る前に話していたヤツだ」
「……ああ、あれか」
 我ながら唐突な発言だと思ったが、谷口もすぐに質問の意味を思い当たったようで、すぐにこちらが望む回答を口にした。
「ちなみにオ○ニーってのは――」
 ドアノブがゆっくりと回った。
「――ドイツ語らしいぜ?」

 ガチャ……

 ……そいつは知らなかった。



「動くな。そこまでだ」
 ドアが開くと同時に銃口を向けフリーズを促す。
「げ……」
「ひゃうっ!」
「あらあら」
 開いたドアから覗いたのは三人の侵入者。そのメンバーは事前に古泉が予想していた通りだった。
 涼宮ハルヒ、朝比奈みくる、そして…………喜緑君だ。
「おっと、それ以上こっちに近付くなよ? 一歩でも入ってきたらぶっぱなすぜ?」
 じりっと床を踏み締め、臨戦態勢の涼宮ハルヒだったが、谷口の警告にふんっと鼻を鳴らして緊張を緩める。
 相手のリーダーがリーダーなので、いきなり戦闘開始となるかと思われたがそうはならなかった。意外にも三人は丸腰に近い。涼宮ハルヒが木刀を持っている他は、あとの二人が鞄を持っているだけだ。
 そのためか三人ともこちらの指示におとなしく従って……は、いないな。
 ……動くなと言っているんだから動いてくれるな……。
 おろおろと落ち着きない様子で一人挙動不審な動きをする朝比奈みくる。
 どうぞ撃って下さいと言っているような、ふざけた態度だが……何か事を起こそうという雰囲気では全くないので、撃つに撃てない。
「あー、ほら、あたしの後ろに隠れてなさい」
 と、涼宮ハルヒが朝比奈の腕を掴み自分の背後へと回す。
 ……張りつめた空気が一気にグダグダなものへと変質したのは、撃たなかった俺たちのせいか、空気の読めない相手のせいか……。
 このしらけた空気を仕切り直すように、涼宮ハルヒが短く息を吐いてから、シリアスな雰囲気の続きを再開した。
「ちっ、会長と谷口か。ハズレね」
 わざとらしい舌打ち。面と向かってハズレ呼ばわりとは相変わらず失礼な女だ。
「残念だったな、愛しのキョンは別の場所にいるぜ」
 と、皮肉で返すのは谷口。ふむ、奴の目当ては古泉ではなくあの男か。
「はぁ? 馬鹿じゃないの? その余計な形容詞はなによ?」
「とか言いながら図星なんだろ?」
 谷口はくくっと小悪党風な笑いを洩らす。
「馬鹿だとは思っていたけど、ここまでとはね。頭の悪そうなメイクをしてるだけはあるわ」
「これだから女は……この男のロマンが分からんとは……なあ?」
 いや、同意を求められても、それについては俺も分からん。
 ……そんなことよりも俺には気になる存在があった。言うまでもなく喜緑君だ。
 彼女はいつもと同じ、何を考えているのかいまいち掴めない表情で谷口たちのやり取りに耳を傾けていた。
 ……君は本当に俺のコレクションを処分するつもりでやって来たのか?
 ふと、彼女と目が合う。
「…………」
「…………」
 ……何故か笑顔を向けられた。
 そ、それはどういう意味なんだ、喜緑君!?
「……と・に・か・く!」
 谷口との会話のドッジボールを展開していた涼宮ハルヒが、それを打ち切るように語気を強めた。
「どっちにしろあんたたちは雑魚確定」
 不敵な笑みを浮かべながらそう続ける。
「あん?」
「だって最初に出てきちゃったしね。あんたたちはドラクエで言う所のスライムのポジション」
 ……むっ?
 よく見ると先程まで朝比奈みくるの腕を掴んでいたはずの涼宮ハルヒの右手に、いつの間にかソフトボール程の球状の物体が握られていた。
「……という訳で――」
 俺の頭はその何かを危険だと判断したが、
「待て、動くな」
 脳から発せられた命令は口頭での警告という愚かしい選択だった。
 当然、相手の動きはそんなことでは止まらず、奴は野球の投球フォームのように振りかぶって

「――ここは通らせて貰うわ……よ!」

 それを放り投げた。
 投擲された物体は放物線を描きながら俺たちの元へ。
 奴の行動に先に反応したのは谷口だった。
「てめえ! 妙な真似を!」
 台詞と同時に引き金に掛けた谷口の指に力が込もる。
 ……が、
「手榴弾よ! 怪我したくなきゃ伏せなさい!」
 その言葉と同時に、手榴弾は床で大きく跳ねた。
「なっ!?」
「げっ!?」
 コロコロと転がってくる手榴弾から逃げるように、反射的に壁際へと飛び退く。

ブシュ!

 手榴弾は音を立てて自らの役割を忠実にこなし、
「くぅっ……!」

 『真っ白な煙』を勢いよく吐き出した。

「…………は?」
「…………け、煙?」
 顔を守るような縮こまった防御姿勢のまま、間抜けにもその様子を見守る。
 これは……一体?…………あっ!
「違う!」
「ただの煙幕だ!」
 俺と谷口が同じタイミングで叫ぶように声を上げたが、もう遅い。呆けている内に煙は天井まで充満し、視界は完全に奪われてしまった。
「ふん……これも手榴弾には違いないわよ!」
 調子に乗った、こちらを馬鹿にした声が目の前を通り過ぎる。
 しまった! このまま走り抜けるつもりか!?
「くそ……!」
「野郎!」
 すぐさま声が聞こえた方へ向け引き金を引く。

 ガガガガガガッ!

「つっ!?」
 しかし、何故か敵に向かって撃ったはずの弾が自分のすぐ頭上の壁に着弾した。
「うおぁっ!?」
 同時に谷口の方からも驚きの声が上がる。
 そうか! 谷口も同じように声に向かって撃って……!
「待て! 撃つな! 同士討ちになる!」
「ちぃっ!」
 後手に後手にと回され、思考が追い付いてこない。完全に奴の思うツボだ。
「と、とにかく少しでも煙を逃がせ! 部屋のドアを開けろ!」
「お、おお!」
 手探りで廊下脇の部屋のドアノブに手を掛け、乱暴にこじ開ける。
 くそ!……最初に躊躇いなく撃ってさえいれば……!
「みくるちゃん! 喜緑さん! 早く!」
 やや離れた位置から聞こえる涼宮ハルヒの声。奴はもう階段へと続くドアにまで到達したようだ。混乱で気が付かなかったが、二人分の足音もこちらに近付いて来ていた。
「くっ……ここは通さん!」
 その音だけを頼りに、二人の進路を塞ごうとする。
 後ろの二人だけはなんとしても……!
 俺が自分の体を壁にしてでもミスを取り返そうとした、その時、

 ドシン!

「きゃうん!」

「え?」
「は?」
 どこか情けない声となんとなく間抜けな音が聞こえてきた。遅れて喜緑君の驚いたような声。
「あ、朝比奈さん!?」
「うぅ~……」
 やや晴れてきた視界に目を凝らすが、何がどうなったのかは分からない。
 少なくとも俺は何もしていないが……ん?
 コツンと爪先に何かが当たる。足元を見ると先程の手榴弾が何故かここまで転がってきていた。
「…………」
 転がってきた方向を視線で追う。その先には、薄くなった煙の中で仰向けで倒れている朝比奈みくると、その横で心配そうにしゃがんでいる喜緑君。
 ……これは……つまり……?
「こ……」
 こ?
「転んじゃいました……あの、手榴弾踏んじゃって……」
「……………………」
「ば、ばかああああっ!」
 涼宮ハルヒの絶叫が廊下に響いた。
「何やってんだ!? 会長!」
「……はっ!」
 あまりにもお粗末過ぎる展開に我を忘れていたが、谷口の声で現実に呼び戻される。
 俺はすぐさま二人の元へ駆け寄ろうとした涼宮ハルヒに向けて引き金を絞り、続けて、谷口も朝比奈みくるに向けて発砲。

 ガガガガガガッ!

「ちっ!」
「朝比奈さん! こっちです!」
「ひぃぃぃぃぃぃっ!」
 朝比奈みくるは喜緑君に引っ張られスタート地点の入り口へ、涼宮ハルヒは二人とは反対方向の階段へと続くドアへと身を隠す。結果的に俺たちを挟んで相手の戦力を分断する形となった。
 一旦状況が膠着したと見て、背中を合わせた谷口が呟く。
「……形勢逆転……か?」
「…………相手の自爆だ」
 まったく、いちいち調子を狂わせてくれる。
 ……それと、
「こちらが有利になったかはまだ微妙なところだ」
「どういうことだ?」
 恐らく最初から撃ち合いをしなかったのは戦力的にあちらが不利だったからだろう。奇襲が失敗した今、真っ向勝負なら俺たちに分があるはずだ。
 その一方で、挟み撃ちのこの形は向こうに行動の選択肢がある。迂濶に動くと取り逃したり、返り討ちに合う可能性まで出てくる。
「……なるほどな。要するに相手の出方次第か」
「そういうことだ」
 そして、この場合鍵となるのはやはり……。
「涼宮、だな」
「ああ……」
 こちらの様子を窺うように、涼宮ハルヒがドアの後ろから少しだけ顔を覗かせる。苦虫を噛み潰したような表情をしているところを見ると、奴も自分の立場を理解出来ているのだろう。
 奴が取れる行動は大きく分けて二つ。ここで戦うか、二人を置いて先に進むか。
「…………」
 誰も動けない。誰も動こうとしない。ついさっきまでの騒乱が嘘のように戦場が静まり返った。
「……ちっ」
 長い長い沈黙が続き、じわりと染みが広がるようにゆっくりとこちらにも焦りが出てくる。
 しかし、睨み合いで無駄に時間だけを浪費するというのはお互い避けたいはずだ。この状況はお前たちも望むところでないだろう?
「…………」
 階段側のドアからは、こちら睨む一対の瞳が再び覗いた。先程より真っ直ぐで、真剣な視線。
「……どうやら、腹を括ったようだな」
 木刀を握り直し、肉食獣が獲物に襲いかかる直前の如く、奴のその姿勢がぐぐっと低く沈み込む。
 来るか……!?

「うぇ?」
「ん?」

 だが、奴が行動に移るより先に、水を差すように、全く予想だにしなかった人物が動いた。

 パン! パン!

 両手に小型の銃を持ち、へっぴり腰で目を瞑ったまま無茶撃ちを始めたその人物は、

「て、てえぇぇぇぇい!」

 ……朝比奈みくるだ。
「おっと」
「ちっ」
 とっさに脇の部屋に身を隠した俺たちは難無くそれを回避、そのまま谷口が反撃に移る。

 ガガガッ!

「あわわわわっ……」
 朝比奈もそれを倒れ込みながら避けて、再びドアの後ろへと逃げ帰った。
 その味方の無謀な行動に、涼宮ハルヒが二度目の絶叫を上げた。
「な、なに無茶してんの!? 怪我するわよ! みくるちゃん!」
 どうやら完全な独断専行だったようだ。その証拠に今が突撃の好機だったが、奴はそれすら見逃している。
「だ、大丈夫です!」
「どこがよ!?」
 先程までの緊迫感はどこへやら。涼宮ハルヒは突撃態勢をすっかり解いて、朝比奈に食ってかかる。
 ……何やら朝比奈みくるのせいで、また空気がおかしくなってきた。これで何度目だ? ここまで空気が読めない奴も珍しい。
「……ああ、もう! 今からこいつら倒してそっちに行くから! おとなしくしてなさい!」
 と、敵である俺たちにまで宣言する涼宮ハルヒ。奴の選択肢は残って三人で戦う、に決定したようだ。
 ……まあ、この女に仲間を見捨てるなんて行動は選べないだろう。こちらとしても古泉の策のこともあるし、遊撃部隊を呼ぶことも出来るので、下手に二手に分かれられるよりは対応が楽だ。
 もうミスはしない。イレギュラーがなければ予定通り事が進む。そう思った。
 ……しかし、
「ダメです!」
 朝比奈みくるが、はっきりと、力強く、涼宮ハルヒの言葉を否定した。
「ダメって……なら、どうするつもりなの!?」
「あたしと喜緑さんだけで戦います! す、涼宮さんはキョン君たちの所へ行って下さい!」
「む、無茶よ! あなたたちだけでなんて――」
「涼宮さんは! あたしにも覚悟を決めろって言いました!」
「……ッ!」
「あたしも戦う覚悟は出来ています!」
「み、みくるちゃん……」
 ……雲行きが怪しくなってきた。また……そう、『また』だ。またあの女のせいで空気が変わる。根拠も何もないが、このままではこちらのシナリオが狂う予感がする。
「…………」
 二人の会話に口を挟む者はなく、谷口に到っては驚いた表情のままで会話に聞き入っている。
 ……俺が動いてみるしかないのか。
「きょ、キョン君と古泉君を止められるのは、涼宮さんしかいないんです!」
「…………」
 ……ええい! ままよ!
「そろそろ黙って貰おうか!」
 調子に乗って、隠れもせずに語り続けていた朝比奈みくるに照準を合わせる。
「みくるちゃん!」
 だが、俺が顔を出すと、間髪を容れずに相手も二人がかりで撃ってきた。
「えぇい!」
「させません!」

 パン! パン! パン! パン!

「会長! 危ねえ!」
「くっ……!」
 寸での所で部屋の中へと逃げ帰る。
「大丈夫か?」
「…………ってきた」
「会長?」
「……あ、いや、問題ない」
「……ならいいけどよ」
 …………今は考えるな。
「……それより、一対二は流石に厳しい。次は二人でかかるぞ」
「おう」
 そんな俺と谷口の会話を尻目に、朝比奈みくるに続いて、今度は喜緑君が語り始めた。
「涼宮さん、御覧の通りです」
「喜緑さん……」
「私たちのことを心配する必要はありません。どうぞ先に進んで下さい」
「そ、そうです! 平気です!」
「う~……でも……」
「いざと言う時は逃げます。大丈夫です」
「た、たまには年上の言うことを聞きなさい!」
 朝比奈みくるの裏返った声。それが決め手になったようだ。
「……ぷっ」
 涼宮ハルヒが吹き出した。
 ……今度こそ選択肢が決まったらしい。俺たちが望まない方へと。
「……分かったわ」
 よく言えばふっ切れたように、悪く言えば自棄になったように、
「ただし、一つだけ命令していくから!」
 だが、面白そうに宣言した。
 ……忌々しい奴だ。

「絶対に勝ちなさい! いいわね!?」

「は、はい!」
「分かりました」
「そうそう、みくるちゃん? さっきの面白発言は忘れないから、覚えときなさい!」
「え?…………あ、いや、あれはつい!」
「言い訳はちゃんと勝ったら聞いてあげるわ! じゃあ、またあとでね!」
「ふぇぇぇぇ……」

 バタン、と廊下の終着点のドアを閉じ、涼宮ハルヒが走り去る。
「追うか?」
 その方向を指差しながら谷口が尋ねてきた。
「……やめておこう。この場にとどまりながらならともかく、追撃しつつ背後からの攻撃に対応するのは無謀だろう」
 援軍と合流出来ればまだ分からないが、それまで俺たちが保つかは甚だ疑問だ。
「つーことは?」
「ああ……」
 二人で逆方向へ向き直す。視線の先には喜緑君と朝比奈みくる。
 ……こうするしかないか。
「こっちを片付けてから追い掛ける」
「だな」

「……涼宮さん、行きましたか?」
「はい。でも、これでよかったんですか?」
「涼宮さんには一人で行って貰わなきゃダメなんです」
「それも既定事項ですか?」
「えっと、禁則事項です」
「そうですか……それにしても見事な手際でした。あくまで脇役で道化を演じながら、敵味方全てを自分の脚本通りに動かすなんて」
「ふぇ? なんのことですかぁ?」
「……なかなか食えない人ですね」
「……ふふ」

続く

 

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最終更新:2020年06月06日 12:44