直列ネタ、ネタバレ注意

 しんと静まり返ったマンションの一室。必要最低限の家具だけが置かれた部屋は酷く殺風景だ。
 その家具ですら使われた形跡は無く、人の住んでいる気配を感じさせなかった。
 部屋の中央には小柄な少女が一人。正座をしたままぴくりとも動かない身体は、精巧な人形のようだ。
 それは長い長い夏休みが終わり、少女――長門有希が膨大な量となった記憶を整理している最中だった。
 情報の取捨選択。溜まりに溜まった記憶の中の、不必要と判断された情報を隔離していく。
 とある夏の記録に差し掛かると、滞りなく行われていた作業が急に止まった。
 その夏はとびきりのイレギュラーで、他のシークエンスでは見られなかった様々な出来事が起こった。
 希少なケースではあったが今となっては重要性は限りなく低い。特別、記憶しておかなければならない事象は何も無い。
 学校での合宿。七不思議探し。それを記憶しているのは今はもう長門しかいない。
 ある夏、ある日、ある夜の出来事。長門は涼宮ハルヒと二人で真っ暗な校舎を歩いていた。
 長門の役割は涼宮ハルヒの足止め。その時、校舎内の空間は不安定で何が起こってもおかしくはない状況だった。ハルヒに異常を見られないよう、巻き込まれないようとにかく動きを止める必要があった。
 そのために珍しく長門からいくつも話を振った。そのうちのひとつに古泉一樹の友達についての話題を投げかけたことがあった。
 誰に対しても、当たりは柔らかいのにガードは固いのよね。学校内で友達ってあたし達SOS団メンバー以外ってどうなのかしらね。短い会話の応酬の後、今この場にはいない副団長のことを案じるようにハルヒは口元に手をあてて呟いた。
『有希も古泉くんとSOS団の仲間として、仲良くしてあげてね』
 呟きの後、笑顔で告げられたその言葉に。長門はわかったと答えた。それは確かに長門自身の意思によるものだった。
 涼宮ハルヒ本人さえも覚えてはいない、眩しく輝く夏に埋もれてしまったその言葉を。
「……」
 大きく瞬きをひとつ。思案するように視線を僅かに彷徨わせる。それから長門は静かに立ち上がった。


 チャイムの音と共にチョークの粉で白く染まった手を軽くはたきながら教師が授業の終わりを宣言する。
 それと同時に、一気にざわめきだす生徒たちの話し声をぼんやりと聞きながら古泉一樹は手に持ったシャープペンシルを筆箱の中にころりと放り入れた。
 夏休みの終わりから、一週間経った。もう授業は通常通り再開され、いい加減、生徒達から夏休み気分も抜けてきた頃である。
 筆記用具を片付けると立ち上がる。
 午前の授業が終わり、生徒が心待ちにしていた昼休みの時間だ。
 教室で弁当を広げている生徒もいるが、古泉はもっぱら学食で昼食を取っている。
 弁当を作ってくれる人などいないし、自分で作るのはどうにも手間だ。
 三年前。親元を離れて一人暮らしをはじめることになった。毎日食事を作ってくれた母親という存在がいなくなり、出来合いのものばかりが食卓に並ぶ日常に、いい加減うんざりして一時期自炊にこったこともあった。
 だが、料理というものは存外に時間がかかる。手間がかかる。それに、当時の古泉は料理なんてまともに作ったことのない男子中学生だ。手際も悪ければ、出来上がりの品はとても食べれたものにはならなかった。
 結局、まともなものが作れるようになった頃にはあまりの面倒くささに古泉の食生活は元のスーパーの惣菜やコンビニの弁当頼りの生活に戻ってしまった。最近ではサプリメントも各種取り揃えている。
 ……あんまりのんびりしていると食物と席の確保だけで短い昼休みを大幅に浪費することになる。
 妙なことを考えてしまったと軽く頭を振り、古泉は心持ち歩くスピードをあげながら教室を後にする、と。
「……、長門さん?」
 教室の真ん前、人の通行を妨げないよう廊下の窓にぴたりと背をつけて棒立ちしている長門有希と目が合った。
 その手には大きな弁当箱が二つ、布で包むこともせずに剥き出しのまま抱えられていた。アルミ製の、かざりっけが無い、長門の小柄な身体には不釣合いな大きな弁当箱。
 驚きに古泉の足が止まる。こんな場所で長門と顔をあわせるのは始めてのことだ。
 長門は古泉の姿を確認すると僅かに顔を上げる。そのまま古泉の方へと一歩踏み出す。
 待ち人を見つけたと、そう言わんばかりの態度に停止していた古泉の思考回路が今度は困惑と混乱で目まぐるしく起動しだす。
「古泉一樹。……今日の昼食は?」
 二の句を次げないでいる古泉に頓着する様子も見せず、いつも通りの無表情で、呟くような声量での問いかけ。
「昼食、ですか?」
 質問の意図が掴めない。長門の言葉を鸚鵡返しにすることしかできずに古泉は首を傾げた。
「そう」
 古泉の言葉に短く肯定の言葉を返してくれたが、一体長門がどんな返事を期待しているのかさっぱりわからない。
 問いかけ。今日の昼食。古泉は頭の中で長門の問いを何度か反復させる。
「そう、ですね。今日の昼食、は……ええ、学食で食べるつもりですよ。まだ何を食べるかまでは決めかねていますが。長門さんは今日はお弁当ですか?」
 あまり長門を待たせる訳にはいかないと古泉は考えもまとまらぬまま慌てて返答する。多分、見当違いなことは言ってない。
 二つも弁当箱を抱えているのに多少の疑問を覚えたが、自分が詮索するようなことでもないだろうと問いかけることはしなかった。
「……時間があるなら、ついてきて」
 古泉の返事を聞くとなんの説明もないままに話を切り上げ、長門は踵を返し歩き出す。
 古泉のことを振り返ることもせず進んでいく。その長門の背中を古泉は引き止めることもできずにぼんやりと眺める。あまりに突然すぎて、目の前の状況についていけない。しかし眺めているうちに小さな背中を見失いそうになり、慌てて小走りで長門の後を追いかけていった。

 脇目も振らずに前を向いて廊下を歩く長門の三歩後ろをひたすらに古泉はついていく。
 人の声を背に、会話を交わすこともなく歩く。他の生徒の姿をもう見当たらない。
 すぐに長門の目的地は見当がついた。元文芸部室…現SOS団の部室に向かっているのだろう。
 毎日のように利用する廊下だ。それはすぐにわかったのだが…わからないのは何故、今部室に行く必要があるのかということだ。
 長門の持つ二つの弁当箱から、実に高校生らしい、実に微笑ましいイベントが一つ思い浮かぶ。思い浮かぶが、すぐに打ち消す。
 相手は長門有希で、そして、自分は古泉一樹なのだから。
 ぐるぐると思考の渦に嵌っている古泉が我に返った時には、もう部室に到着していた。 
 部室に入ると長門はいつもならキョンと呼ばれる少年が座る位置・・・古泉の定位置の真正面に腰をかけた。
 腕の中の弁当箱を机に置くと、長門はようやく古泉の方を振り返った。
「……座って」
 どうしたものかと扉の前で立ち尽くしている古泉に声をかける。
 長門の声に促されて椅子に腰掛ける。と、ずいと古泉の前に弁当箱が差し出された。
「あなたの。食べて」
「……え?」
 今、自分はさぞ間の抜けた顔を晒しているのだろうなと古泉は論点のずれたことを逃避するように思う。
 長門の表情はやはり変わらない。何の変化もない無表情。少なくとも表面上は古泉の知る、普段通りの長門有希だ。
 だが行動が明らかにおかしい。らしくないどころではない。
「僕に、ですか?」
 先ほど打ち消したはずの甘ったるい、妄想としか呼べない考えが古泉の脳裏に復活する。
 そっと弁当箱を開けると、かざりっけの無い外見とは裏腹に中身は随分と綺麗だった。沢山の色鮮やかなおかずが敷き詰められ、艶やかな白いご飯がこれまたぎっしりと詰まっている。
 多分、これは長門の手作りなのだろう。市販品を箱に詰めただけなのかもしれないし、もしかしたら情報操作で作りました、なんてこともあるかもしれないが。長門有希が台所で一人、弁当を作る様子が古泉にはどうにも思い浮かばなかった。
 長門の方に視線を移すとすでに箸を手に持ち、弁当を食べ始めていた。弁当の中身は古泉のものと全く同じ。小さな口でちまちまと、ひたすらに食べる。これまた小さな手には薄紫の箸を持ち、機械的な動きで口と弁当の間を往復する。一口の量が少ない割に、弁当の中身が減るスピードは早かった。
 長門から視線を外し、古泉は改めて自分の分の弁当を見る。美味しそうだ。美味しそうではあるのだが、どうにも口に運ぶのには戸惑いがあった。
 弁当箱と一緒に差し出された箸ケースを開ける。中には深い緑色の箸。凝った装飾こそされていないが、安物の箸ではなさそうだ。
 これは長門の私物なのだろうかと古泉は頭の片隅で考えながら箸を手にとる。
 しばらく手の中の箸を持て余すように指先で転がしていたが、意を決したように箸で弁当のおかずをつまむ。
 卵焼き。弁当のおかずの定番だ。鮮やかな黄色と崩れることなく綺麗に巻き上がった形。洒落た小皿にでも盛ればそれだけで売り物として通用しそうだ。
 そのままゆっくりとした動作で口に運ぶ。一口食べると甘さとしょっぱさの絶妙なバランスと出汁の旨み、ふわりと柔らかい食感が口に広がる。見た目を裏切ることなく味も申し分ないものだった。
「……これ、長門さんの手作りなんですか?」
 卵焼きなんて食べるのはどれくらいぶりだろうか。刹那、望郷の念に駆られる。それに気を取られ、無意識に古泉の口から訊ねる気などなかった疑問が零れ落ちた。長門に問うべきことはもっと他にあるだろうと後悔するがもう遅い。
「……」
 箸を口にくわえたまま長門は首肯する。当たり前のように頷かれてどう反応すべきかと古泉は困り果てた。
 結局、何も言わず卵焼きをもう一口。美味しい。きっと長門さんは良いお嫁さんになるなと古泉は何気なしに考え、考えてから自分の思考のあまりの馬鹿馬鹿しさにひっそりとうなだれた。
 その妙な落ち込みを長門に悟られないよう古泉は意識的に顔に微笑みを貼り付ける。それと同時に今まで考えていたことを振り払い、気持ちを切り替える。
 長門に問うべきことは他にあるのだ。頭の中を整理して、一番に聞かなければならないことをようやく古泉は口に出した。
「長門さん。それで、用件はなんなのでしょうか?」
 黙々と自分の口に食物を運んでいた長門の手が空中でピタリと止まる。
「……」
 中途半端な位置で止まった手もそのままに、眼球だけを動かして無言で古泉のことを見つめてくる。普段、なんの感情も伺わせない瞳が僅かに揺れる。
「何か、僕に話があるからこのような場を設けたのでしょう? 少々過剰演出な気もしますがね。こんなことをしなくても、お話くらいなら一

言言って下さればいつでもお伺いしますよ」
 古泉は箸を一旦机の上に置く。背もたれにゆっくりと体重をかけると、椅子が微かに軋んだ音をたてた。目にかかった前髪をぴん、と指で弾いてからいつものように微笑んでみせる。
 やっと普段の調子を取り戻せたような気がする。狂いっぱなしだった思考が落ち着いていくのを感じて古泉は心の中で安堵の息をつく。要するに、宇宙人が超能力者に話があり、二人で話せる場を作りたかっただけなのだろう。
 方法が随分と長門有希らしからぬが、それも長門本人に聞いてみれば良いことだ。答えが貰えるかはわからないが。
 しかし、わざわざ自分に用事とは、一体何なのだろうか。好ましくない想像はいくらでもできた。
「なにもない」
 けれど古泉の言葉は否定され、長門の真意を探ろうと働いていた古泉の思考はその声に遮られる。ようやく長門も箸を置き、再び口を開いた。
「あなたが言うような、話すべきことはなにもない」
 再度繰り返される、不可解な言葉。想定外の返事に古泉は笑みを少し薄くする。
「おや。外れてしまいましたか。では、誰かから頼まれた、あるいは命令されたといったところでしょうか? そうですね、相手は……涼宮さん、あたりが妥当かな。涼宮さんから僕にお弁当を作るように命令された。そうでなくても、第三者から促されて今の状況がある」
 違いますか、と再び長門に問いかける。長門の意思によるものでないなら選択肢はこれしかないはずだ。
「……違う」
 一拍の間の後、長門はまたも否定の言葉を口にした。
 今度こそ肯定の返事しか予想していなかった古泉は言葉を失う。
 長門の意思ではなく、長門以外のものの意思でもない。ならば何故、今この部室で古泉は長門と二人きりで長門の手作り弁当を食べることになっているのか。
 どういうことなのかと古泉は改めて今までの会話を思い返す。と、ひとつのことに気がついた。
「ああ、なら……そうですね。僕と一緒にお昼を食べたかった、というのはどうでしょう?」
 長門は話すべきことはないと言っただけで、今回の誘いが長門の意思によるものではない、とは言っていない。
 ずっと切り捨てられずにいた妄想を、古泉は冗談めかして言葉にする。まさか肯定はされるまいと。
「そう」
 だが、あっさりと長門に頷かれ、古泉の表情がぴしりと固まる。なんとか微笑みは保っているが常の古泉のそれと比べれば随分と不完全なものだった。
「わたしが、あなたと一緒に昼食を食べることを望んだ」
 静かに言い切られる。長門のこちらを見据える視線に古泉の身体は金縛りにあったように動かすことができずにいた。
「……これはこれは。そう言って頂けるのは光栄ですが」
 なんとか声を搾り出す。長門の言葉は、普通であれば友達や恋人といった関係の存在に向けるものだ。
 ならば長門と古泉は友達なのだろうか。長門が古泉に何かしらの好感情を抱いていると。
 それを認めてはならないと湧き上がる衝動に身を任せ、古泉は長門を拒絶するよう殊更上等な笑顔を作ってみせる。
 長門有希は古泉一樹個人に関心など抱かないし、古泉一樹は長門有希個人に好意など抱かない。
 古泉はずっとそう思ってきた。長門の考えだって、古泉のそれとあまり変わらないものだったはずだ。
「つまり、こういうことですか。情報総合思念体の命令ではなく、彼や涼宮ハルヒからなにかを言われたわけでもない。あなたは自発的にお弁当を手作りして一緒に昼食をとろうと僕を誘ったと」
 すらすらと言葉を紡ぎながら、あまりの内容の嘘くささに笑いがこみ上げそうになる。
 だが長門の首はまたも縦に動かされる。
「……長門さん。もう一度言いましょう。こんなことをしなくても、何か僕に用があるなら一言言って下されば伺います。こんな茶番劇を演じ

る必要はどこにもない」
 何を言っているのだと心の片隅から微かな声が聞こえる。それでも古泉は構わずに、感情に任せて言葉を言い放つ。
 普段の古泉ならば笑顔で長門の言葉を受け流し、その裏で相手の真意に考えを巡らす。なのに、今はそれができない。何の考えもなしに自分の手札を曝け出すなんてどうかしている。
「……茶番劇?」
 その声には怒りも悲しみもない。長門はただただ無表情で古泉の言葉を聞き返す。
「ええ、茶番劇ですよ、こんなもの。我々は確かにあなたがたに敵意は抱いてはいない。これからもそれなりに良好な関係を築いていけたらと思います。ですが、こんな馴れ合いをする必要はありません。あなたの真意はわかりませんが、こんなあからさまな餌に食いつく程に我々は切羽詰ってもいません」
 お互いの立場の違いをわざと強調する。古泉自身も今までの会話の流れにそぐわないことを言っている自覚はあった。
 ああ、本当になんでこんなに踏み込んだ会話をしているのか。これで今の長門の行動になんの裏もなく、例えば長門のクラスメイトの入れ知恵が何かで長門はこんな突飛な行動をとってみただけだとか、そんな真相があったら今までの古泉の言動は笑い話にもなりはしない。
 言うだけ言ってようやく冷静さを取り戻しはじめた頭を古泉は回転させる。何故、自分は長門の言葉にここまで噛み付いているのか。甘噛みなんてレベルじゃない。力の限り、それはもう思いっきりである。なにがそこまで自分を駆り立てるのか。
「……それは誤解。わたしとあなたとの間にこの状況に対する認識の相違がみられる」
 だがあれだけ棘のある古泉の言葉を意に介すこともなく、やはり長門は揺らぎの無いトーンで冷静に口をひらく。
「わたしが、あなたと交流を持ちたいと思った。わたしとあなたはSOS団の団員であり、仲間だから。わたし個人はあなたを好ましく思って

いる。今回の件について、他の存在の介入は無い」
 いつになく長く喋り続ける長門の声を、遮ろうと古泉の喉が少し震える。だがその震えは声となることはなく、結局古泉は長門の言葉を大人しく聞いていることしかできない。
「情報総合思念体も関係ない。これは」
 そこで言葉を区切る。強く、古泉を射抜くような視線にも言葉にも一切の揺らぎはない。
「わたしの意思」
 言い切られた言葉に、凝り固まった心が動く。何故、あそこまで長門の言葉を否定しようとしたのか。古泉はようやく自分の心の動きを理解することができた。いや、最初から理解はしていたはずなのだ。ただ、それを受け入れたくなかっただけで。
 ようするにそんなことを言われたら、それを素直に受け入れてしまったら、自分もいい加減認めざるを得なくなってしまうからだ。
 ――古泉一樹が長門有希個人に、好意を抱いていると。
「ふ、ふふ。あはは。いや、すみません。まいりました。僕の負けです」
 小さく笑い声をあげながら降参だと両手をあげる。そんな古泉の様子を見て、不思議そうに長門の首が僅かに傾く。
「なんといいますか、ね。長門さんにそんな気がないのは勿論わかっているのですが、まるで熱烈に口説かれているような錯覚がしてきまして。女性に対して言うことではないですが……かっこいいですね、長門さん」
「……かっこいい」
 からかい混じりに古泉がそう言うと、長門の瞳がぱちくりと瞬く。邪気の感じられない長門の仕草を見て、古泉はくしゃりと前髪を掻き揚げる。一人気を張ってびくびくしていた自分が馬鹿みたいだ。
「まあ、そこまで言われて意地を張ってる僕が、逆に格好悪く思えてきましてね。人の好意にああも捻くれた解釈しか出来ないなんて、我ながら情けないと思ったわけです。ああ、それに折角のランチタイムにご飯がまずくなるような話題を振ってしまいましたね。つくづく面目がありません。申し訳ありませんでした」
 柔和な微笑みを浮かべ謝罪の言葉を口にする古泉に長門は首を振ってみせた。
「お詫びにお茶でも入れましょう。飲み物も無しにご飯を食べ続けるのは結構つらいですしね」
 古泉は立ち上がると、自分と長門の湯呑を戸棚から取り出す。普段は朝比奈みくる以外使うことのない急須を手に取ると茶葉とお湯を注ぎ入れる。
 胸に燻ぶる様々な感情を今だけは見ないことにして。この珍しい状況を楽しもう。古泉は急須を手にそんなことを考える。急須から指先に、火傷しそうな程の熱さが伝わった。

 それからはぽつりぽつりと他愛も無い雑談を交わしながら二人で昼休みの時間を過ごした。基本的に古泉が喋って長門が相槌を打つ。普段の長門の様子を思えば、信じられないくらい会話が成立している。時折、長門から古泉に話かけることもあった。話が盛り上がるということはないが、穏やかな時間がどこか心地良い。
 そんなこんなで、話役である古泉がようやく弁当を半分食べ終えた頃には長門の弁当箱の中身は空になっていた。
 古泉一人では時間内に食べきることはできそうになかったので、残った半分の弁当を長門とつつき合うことになる。他の誰かに見られたら一体なんと思われることか。誰も来ることはないとわかってはいたが古泉はちらりと扉の方に視線を向けた。勿論、扉が開くことも第三者の声が聞こえることもない。
 結局、その残りのほとんどを長門が消費することで昼食の時間は終わりを告げた。
 古泉の胸中に学食での涼宮ハルヒの食べっぷりを見た時と同じ疑問が湧き上がる。すなわち、あの小さな身体のどこにそんなに食物が入るのか。実に不思議だった。
 二人で机の上を片付ける。弁当箱は洗って返すという古泉の言葉にしばしの沈黙の後、長門は無言で弁当箱を古泉に手渡した。
 受け取った弁当箱は軽い。金属のひんやりとした感触を手の平に感じながら、長門に言いそびれていた言葉をふと思い出す。
「ああ、言い忘れていましたね。お弁当、美味しかったです。どうもありがとうございました」
 長門は心なし、いつもより大きく頭を動かして頷いた。
 ――先の長門の言葉を。古泉は完全に信じてはいない。信用できる立場にはない。それを長門も分かっているだろう。
 それでも、それでも思うのだ。
「そうだ。今日のお礼に、今度は僕がお弁当を作ってきましょうか? 長門さんほどではないですが、それなりのものは作れますよ。おかずのリクエストがあるなら今のうちに伺いますが」
 仲間のささやかな誘いを嬉しいと思うこと。その好意に何かを返したいと思うこと。……当たり前の感情を否定したくはないと思うこと。
 たとえ長門の言葉が全て嘘だとしても。今、古泉の胸にあるこの感情は嘘にはならない。
「……唐揚げが良い」
「了解しました。明日すぐに、という訳にはいきませんが、近いうちにまた一緒にお昼を食べましょう。機会があればSOS団の皆さんでそれぞれお弁当を作って持ち寄ってみるのも面白そうですね」
 長門が小さく頷く。長門の無感動な表情に一滴程の期待が混ざって見えるのは、はたして古泉の気のせいだろうか。
 ……きっと、気のせいなんかではないだろう。根拠はないが、不思議と間違ってはいないと確信できた。
 久しぶりに楽しい気分で料理ができそうだと、少し先の未来を想像して古泉は笑みをこぼした。


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