とある月のとある日、部室は無響室とまではいかないにしてもどことなく落ち着かない程度に静まり返っていた。
その理由を述べると以下のとおりである。
今日部室に居るのはハルヒと長門と俺の三人であり、それぞれが一言も話すことなく個々に自由行動をとっているのである。
朝比奈さんと古泉はそれぞれ用事があって遅れるとのこと。どんな用事なのかは気になったが、俺はプライバシーを詮索する様な趣味は持っていないので深く追求するようなことはしないのである。
ハルヒと長門には一人ですることがあるらしいが、俺は残念ながら暇つぶしをするスキルを持ち合わせていなかったようで、いつものアナログゲームの対戦相手である古泉がいない今、これでもかという程に退屈を持て余していた。
何もせずに時間を潰してしまうというのも勿体無いことである。とはいったものの、何をすればよいのやら。考えて暇つぶしが思い浮かぶなんてこともそう簡単にはないのである。どうやったら暇つぶしスキルを上げることが出来るのか誰か教えて頂きたい。
携帯を開いて閉じて、俺は頻繁にメールをすることはないので勿論こんな時に時間をつぶせるほどのメールが来ることもない。
時計や携帯でいちいち時間を確認すると、こういう時に限って時の流れは遅くなるから困ったものである。まだ5分しか経っていない。
古泉以外とゲームをすればいいじゃないか、目の前にあるチェス盤を見てそう思わないのか、ハルヒか長門とチェスをすればいいじゃないか。そういう考えもあったが、それは脳内会議で提案されると瞬く間に却下されてしまった。
長門は相変わらず読書に勤しんでいて、『今いいところオーラ』が見えるので邪魔は出来ない。
ハルヒはグーグル○ースで何か探しているそうだが、こっちも強烈な『邪魔したら死刑オーラ』を発しているので、ハルヒが画面に集中している現時点では近づくことさえ困難である。
で、暇つぶしの方法を考えることで暇つぶしをするしかなくなった俺は眠くもないのに寝ることにした。机に突っ伏して目を閉じたものの、当然のことながら眠れない。
ハルヒはさっきからずっと何を探しているのだろうか。無駄にマウスをカチカチするのは止めてもらいたい、静かな部室では十分うるさく感じる。
 
しかしその数分後には、俺の周辺を漂っていた退屈という二文字は弾丸のようにとんでもない初速で飛び去っていったのである。
突然、ガタンという音が部室に響いた。ハルヒが勢いよく立ち上がって椅子を壁に吹っ飛ばしたのだ。
不意を突かれた俺は飛び起き、椅子から数センチ浮上した。
ハルヒは立ち上がったままポカーンとした顔をしてモニターを見つめている。
何があったんだ? パソコンをしていてそんなに驚くということは、ドッキリ映像かグロ画像かそれに類する精神攻撃的な何かを踏んでしまったのだろうか。いやまさかグー○ルアースにそんなトラップはないだろう。
……等と原因を考えていたが、どうやらそのような心配は快晴の日の雨傘並みに不要だったらしい。
事実、ハルヒの目は爛々と輝いていた。
「遂に見つけたわよ!!」
いきなりなんだと言いたかったが、随分と興奮した様子なので俺も何を見つけたのか興味がわいた。
「どうしたんだ?」
「こぉーれはすごいわよ! 来てみなさい!
ハルヒが子供のようにぴょんぴょん跳ねながら手招きを繰り返すので、俺は立ち上がって団長席に向かう。
「じゃーん! ミステリーサークルを発見しちゃったのよ!!」
「どれどれ……、本当だ」
「これはSOS団の調査レポートを作成しなきゃね! もうちょっと近かったら現地調査もしたいんだけど難しいかしら」
得意げに語るハルヒの横で、モニターは複雑で巨大な幾何学模様が出来上がった麦畑の航空写真を映していた。
こんなに複雑な模様のはテレビでも見たことが無かったので、正直なところ俺も興奮しつつあった。
「こりゃ凄いな」
「でしょ!? 有希も来て来て! 見なきゃ損よ! 今世紀最大の大発見なんだから!」
モニターを覗いて感心しきっている俺の横で、ハルヒは長門を手招きしていた。
「見る」
それに応じた長門が、読んでいた本に栞を挟んで置いてこっちにやってきた。
ハルヒは急かすように長門の背中を押してこちらに連れてきた。
そして長門がモニターを覗いた時だった。
 
「え……?」
信じられないことが起こっていた。気付いたらミステリーサークルが無くなっていたとか変形したとかそういうことではない、それも十分驚くことかもしれないが、今起こっている驚愕の事態は画面の中ではなく現実サイドで起こっているのである。
長門がモニターを覗きこんだ次の瞬間には、ハルヒの首を絞めていたのだ。一体何が起こったのか、これは何かのドッキリではないのか、俺はそう思ってみた。
「有……希…………?」
いや違う、長門は本気だ。しかもかなりの強さで絞めているらしく、ハルヒの顔が真っ赤になっていく。
「おい長門!?」
俺はハルヒを助けるべく、長門の腕を離そうとしたがとんでもない力だったのでびくともしなかった。
長門は止めるどころか、首を絞めている手に爪を立てて抵抗していたハルヒを無言で殴り飛ばしたのである。ハルヒは突風にあおられた枝の如く飛ばされて倒れてしまった。
「おい!!」
ハルヒは倒れたまま起き上がることなく苦しそうな声を漏らすだけであった。
長門は俺の言葉を全く聞き入れようとしない。その目には床に横たわるハルヒしか見えていないようだ。
長門が俺の制止を無視して歩いて行く、何度も腕を掴んだがことごこく振り払われてしまった。そのまま前進すると、倒れたままのハルヒの髪を掴んで追撃を加えようとしていた。
もう説得云々では効果はない、そう察した俺は急いで羽交い絞めにして制止を試みた。
「ぐっ」
しかしほんの数秒しか効果が無かった。鳩尾に肘打ちを受け、苦しんでいた間に、顔面に衝撃を感じて俺も倒れてしまった。蹴られていたようである。
俺は床に転がりながら、どうしてこうなっているのか考えた。突然のことでまだ事態を理解できていない。
一体何がどうなって長門がこんなことをするんだ?
 
脳しんとうを起こしているせいか、腕に力が入らず平行感覚も失っていて、なかなか立ち上がれない。しかし早く起き上がらないと、横にいるハルヒが悲鳴を上げている。
「やめ……て……! 痛い……ってば……」
ようやく立ち上がった俺が見たのは、長門がハルヒの腹を踏みつけている光景だった。
「やめろ!!」
ホントに何してんだ長門は! 俺は心から痛む体に鞭打って立ち上がると、突進して長門を突き飛ばした。少々乱暴ではあるが、こうでもしないとハルヒが危険だった。
「ハルヒ! 大丈夫か!?」
苦しそうに咳き込んでいるハルヒの顔にはいたるところに痣があり、どこかを切ったらしく口から出血している。
「キョン、どうなってるの……?」
「分からん、だが長門が正常ではないのは明らkぐっ」
再び長門の標的になった俺は背中を殴られダウンした。まるで投げられた砲丸が直撃したかのような重い衝撃だった。
「キョン!」
「うぐ…………あ……」
腹部にまで伝わっていた痛みで呼吸がうまくできない。それでも何とか倒れることだけは回避して次なる攻撃に備えて振り返った。
その時見えた長門の表情といったら。こちらを睨んでいる長門は終始無言で、とにかく無表情であった。普段から表情は少ない方ではあるものの、その目の冷たさといったら液体ヘリウムどころか絶対零度であった。
豹変したということは、何かに操られていると考えても間違いではないだろう。だが何の予兆もなかったぞ? 原因は何だ? 暴走の原因が分からない以上、俺が止めることは困難だ。
「……」
色々と考える余裕があることだけは救いであった。幸い、長門の攻撃は一発一発が重いものの積極的ではない。今もじっと立ってこちらを見ているだけなのだ。これなら隙を突いてハルヒをここから逃がすことが出来るかもしれない。
「ハルヒ、立てるか?」
ハルヒにそう言ったが苦悶の表情を浮かべたまま首を横に振っていた。自力で立てるなら俺が引きつけてる間に逃げるチャンスがあるのだが。別の作戦を練る必要があるようだ。
古泉か朝比奈さんが来れば負傷したハルヒを避難させることは出来るのだが、俺が現在の長門に立ち向かったところで何分持つかは分からない。
今は長門がハルヒに攻撃の矛先を向けないよう出来るだけこっちに引きつけて必死に耐えるしか
「……!」
迂闊だった、作戦を練っているのに必死で、目の前に居る長門の動きに気付かなかった。
早い、とてもじゃないが俺の反射神経では回避できそうになかった。
またしても顔面に蹴りを喰らい、反動で壁に体を打ち付けた。顔面ばかり集中攻撃され、酷く頭が痛い。
長門はゆっくりと歩いて俺に近づいてくる。そして壁にもたれかかって何とか立っていた俺の脚を払った。
俺の身体は一瞬浮いた。まずいとは思ったのだが、柔道とかそういう格闘技には精通していないのでとっさに上手い受け身がとれることもなく、床にしたたかに打ち付けられた。
「いってぇ………うぉ……!」
倒れて腰を強打し、動けなくなっていた俺の顔を長門が踏みつけようとしてきた。俺はその攻撃を両手でなんとか防ぎ、それでも踏みつけようとしてくるのを必死に押し返していた。
この押し合いが続けば、時間稼ぎになる。ハルヒが脱出できる絶好の機会であった。
「ハルヒ! 今のうちに早く!!」
ハルヒもこのチャンスを逃すまいとしていた。何とか立ち上がり、片足を引きずりながらドアに向かっているのが見えた。
しかしドアノブはガチャガチャと音を立てるだけで一向に開かない。
「ちょっと、どうなってんの? 何で開かないの!?」
「鍵はどうした!?」
「開いてるわよ! なのにどうして!?」
ドアノブを掴んで引っこ抜けん勢いで激しくドアを前後に揺さぶっている。ハルヒはパニック状態に陥っていた。
だがそんな勢いにもかかわらず、壊れることさえなかった。
「早く逃げろ!!」
「でもキョンはどうするのよ!」
チャンスは破綻してしまった。恐らく長門が情報操作でもしたであろうドアは開かないし、ハルヒ自身が一人だけ逃げることを拒否していた。
ハルヒが逃げたいと一心に思っていれば、情報操作は破れたかもしれないがそうはいかないところが人間の心情というものなのだろう。
 
ふと、俺の顔を踏みつぶそうとしていた足が離れた。さっきまでこちらを睨んでいた長門は背を向けている。こう着状態が気に入らなかったのか押し合いに飽きてしまったのか、再び攻撃対象がハルヒに変わってしまったのだ。
俺は急いで起き上がったが、真っすぐハルヒめがけ走ってく長門を止める事は出来なかった。何でこんな時に限って走るんだよ! そんな不平もむなしく、長門の拳がハルヒへと向かっていく。
ハルヒはドアを開けようと必死だったのでとても防御なんて出来る状態ではなかった。
「ハルヒ!!」
「…………」
悲鳴を上げる間もなく殴られて、ドアに叩きつけられたハルヒは、そのままばたりと倒れてしまった。
ハルヒが気絶している。長門はそれを見下ろしていた。
間に合わなかった……。
「ハルヒ……」
 
今の長門はどこまでも非情だった。俺の背中を蹴ると、ハルヒから引き剥がした。そして布切れのように放り投げられた俺は椅子をなぎ倒して倒れた。
長門はまだ足りないのか、ハルヒの頭を踏み付けようとしていた。
「やめろ……!!」
もはや止めると言うよりもすがりつくと言う方が適切かもしれない。
取り押さえようとしているのだが、体のあちこちが痛くて力が入らず、渾身の力をこめても長門の制服を引っ張ることしか出来なかった。俺には洗濯バサミにも劣る力しか残っていなかった。
俺の手はあっさり振り払われ、次の瞬間には腹を蹴飛ばされて後ろにあった机と一緒に倒れた。
 
「いっ、てぇ……」
何度目かも忘れた頭部強打によって平衡感覚は完全に失われ、俺は這うことしか出来なくなっていた。
視界には、椅子を高く持ち上げて俺を睨んでいる長門の姿があった。
 
やばい、俺の直感がそう警告する。
 
あれで思いきり殴る気か? このままでは本当に殺されるんじゃないか?
 
椅子が下へと振り落とされる。
 
これはもうだめだ。
 
がしゃ
 
「……?」
 
俺に向かって落下していたはずの椅子は、予測進路を大きく外れて俺の横にあった机に激突した。
そして椅子の代わりに別の何かが俺の腹部にのしかかってきた。だが、今まで鉛のような重さのあったそれと比べれば明らかに弱く軽いものであった。
長門が倒れてきていたのだ。
……寝ている。
 
「……終わった、のか?」
呆れるほか無かった。
突然、何の前触れもなしに暴走した長門は、何の前触れもなしに倒れて暴走は終わった。
眠っている長門を起こさないようにゆっくりと床に寝かせる。
改めて自分の状態を確認したが、これは酷い。見ているとかえって痛く感じてしまいそうな傷があちこちにある。
軋む体を動かしてハルヒのもとへ這っていく。
「………ぅぅ」
ハルヒが意識を取り戻した。
「いったぁ……どうなってるのよ……」
震える両腕で何とか起き上がった。
「キョン……、どう、なったの?」
「お前が気絶した後に、突然眠ったように倒れちまった。どういうことか、さっぱり分からない」
「何なのよこれ……」
ハルヒがそう呟きながら部室を見回す。棚から本が落ち、机や椅子は好き勝手な方向にひっくりかえり、まるで大きな地震でもあったかのような光景だった。
 
部室には、二人の荒い呼吸だけが響いていた。負傷した俺とハルヒは、この事件が収束してから10分が経過しても立つことさえできなかった。
「何で有希がこんなことを……?」
「……考えたくないな」
この状態から5分ほど経過して、俺はようやく立ち上がることができた。ハルヒも立ち上がろうとしたが、俺が「無理すんな」と言って止めたので、壁にもたれて座っている。
お互いを確認する、顔も手も足も赤や紫の傷だらけになっていた。
「大丈夫?」
「お前こそ大丈夫か?」
「痛いけどもう大丈夫よ」
「ハルヒ、守れなくて、すまん」
これは事実だろう。俺が数発蹴られて床にぶっ倒れている間に、気を失うまで殴られていたのだから。
「……次にこんなことがあったらちゃんとしなさいよ」
「是非ともそうしたいが二度目が無いことを祈らさせてもらうよ」
 
「こ、これは……」
目を覚ました長門は、傷だらけの俺達を見て愕然としていた。どうやらさっきまでの記憶はないらしい。その方がありがたい、俺としてはこのことは無かったことにしたかったからな。
ここからが難題である、この状態をどのように説明すればよいのだろうか。破損したCPU(頭脳)ではなかなかいい案が浮かばない。
「えっとね……これは」
そりゃあ説明したくないだろう。あの長門が暴れたなんて言いたくないさ。
 
「遅れまし…………どどどどうしたんですかぁ!?」
そこへ朝比奈さんがやって来た。そりゃあ、荒れた部室と傷だらけの二人を見たら驚くのは当然である。問題は、どう説明するかだ。
「えっと……」
ハルヒは答えに迷っている。この妙な沈黙が続くのはまずい。ええい、俺が言うしかないのか!
「暴れん坊が部室に乱入してな、何とかして追い払ったんだ」
「そ、そうなのよ、真っ先に有希が狙われて……打ち所が悪かったみたいで一発で気絶しちゃってたのよ」
有難いことに、ハルヒが俺の創作した即興嘘ストーリーに乗っかってくれた。そうだ、その調子で頼むぞハルヒ。
「でもそれで良かった……んじゃない……? あたし達みたいにこんなことにならなくて済んだんだし……」
と、ここまではそれなりにうまくいったとは思うのだが、長門はその嘘にすぐに気付いてしまうだろう。実際、長門はずっと俺を見たまま動かなかった。
 
「じゃ、さっさと片付けないとな、こんなんじゃ何も出来やしないからな」
「いい。私一人でする」
そう言う長門は、明らかに落ち込んだような様子であった。
「な、長門?」
長門は床に散乱した本を拾い、埃を払いながら言った。その間、こちらを見ることはなかった。
「貴方達はその怪我の治療を最優先するべき」
俺もハルヒも、ここは素直に従うほかなかった。
 
「っー痛え!!」
「男なんだからそのくらい我慢しなさ、ぁぁぁぁぁ痛いってば! もうちょっと優しくしてよみくるちゃん!」
「すすすいません、でもこうしないと治りが遅くなりますから……我慢してください!」
「痛い痛い痛い痛い!!」
俺とハルヒは、朝比奈さんの治療を受けていた。
消毒液は傷にしみて痛い、それに強打した体の節々を動かすのも堪らなく痛い。因みにハルヒは前者、俺は後者の痛みで悲鳴を上げている。
長門はそれらを聞かないようにしているのだろうか、一人で黙々と荒れた部室を片付けていた。
 
さっきまでとは打って変わって、治療による痛みで何故かテンションの上がっている俺とハルヒの騒がしい声が響くこと数分、応急処置が終わって再び嫌な沈黙が漂い始めていた。
「全く、今日は災難だったわ……。もう帰りましょ」
この空気を打破するにはこれしかないと考えたのか、ハルヒがそう提案し、それに誰も異議を唱えなかったので、俺達はまだ集合すらしていないのに解散となってしまった。古泉には申し訳ないが、後々連絡することにしよう。
 
各々が帰宅準備を進める中、長門は本棚の方向を向いたまま動こうとしなかった。
「長門、帰らないのか?」
「……」
「有希ー」
ハルヒも、声を掛け辛い様子であった。
「ハルヒ、先に行っててくれ」
「二人きりになって変なことでもするんじゃないでしょうね」
ハルヒはそう言って見せる者の、いつもの威勢はまるでなかった。台本に書かれた台詞をただ読んでいるような、そんな不自然さが感じられした。
「……じゃ、先行ってるね。みくるちゃん、行こ」
「あ、はい」
 
二人の足音が遠ざかり、それが聞こえなくなったことを確認すると、ずっと横顔を見せていた長門がようやくこちらを向き、口を開いた。
「何があったか説明してほしい」
「やっぱりな……」
予測通りである。俺とハルヒが即興で立てたお話なんてすぐにバレてしまうのだ。
「貴方達は嘘をついていた。本当のことを……」
長門が急に黙った。目の前に喜緑さんが立っていた。いつの間に入ってきたのだろうか、扉は開いたままであったことはこの話をするには不用心であったとはいえ、ハルヒと朝比奈さんの足音を聞いていたわけだから周囲の気配には気づいてもおかしくないと思うのだが。俺は瞬時に身構えていた。
「攻撃するつもりはありませんので、警戒しないでください。先程報告を受けまして、こちらに来ました。長門さんの暴走について詳しく説明していただけますか?」
柔らかな笑顔でそう言うが、本心は何なのだろうか。
「それはどこからの報告ですか」
「貴方の想像どおりですよ」
「聞いてどうするんですか。長門を処分するつもりですか」
長門の表情が急変した。喜緑さんはその緩やかな表情を一切崩さずに答えた。
「状況によります」
長門を不利な状況にしないためにも、俺は一切合切を包み隠さず話した。長門が自らの意思でやったのではなく、操られていたんだという結果になってほしかった。
「そうですか。恐らく外部の攻撃と思われます。それならば対策を講じるのみでインターフェースへの処分は不要でしょう」
それを聞いた俺は一安心した。
長門は傷だらけの俺の顔を見ていた。そして俯いた。
「……ごめんなさい」
「いや、これは仕掛けた奴等が悪いんだ。お前が謝る必要はない」
それでも、長門の表情は晴れることはなかった。
「この暴走の原因は分かったんですか?」
「視覚侵入型ウィルスが確認されました。それは見ると同時にダウンロード・実行が行われるというものです。本来、端末自身の能力低下を狙ったものなのですが……」
あの複雑な幾何学模様を描いていたミステリーサークルにはそんな物騒な意味があったのか。ハルヒがミステリーサークルを探そうとしていたことまで予測していたのだろうか、恐ろしいほどに正確な先読みである。
「あの手の攻撃は今回が初めてではありません、しかしここまで巧妙に仕込んでいたケースは初めてでして、対応しきれなかったようです。第三者を巻き込むことになってしまって、本当にすみません」
「いやいや、喜緑さんが謝ることじゃ無いと思いますよ」
「大きな問題に発展するのを阻止してくださったこと、感謝いたします」
喜緑さんにそう感謝されてしまったところで、あれが下手をすれば長門の存続にもかかわることになっていたかもしれないのだろうかなどと思ってしまった。もう過ぎたことだからあまり考えたくはなかった。
「とりあえず、大問題にならなくて良かったです。じゃあ、ハルヒ達が待ってますので……」
「ちょっと待ってください」
そろそろ行こうかと思って別れの挨拶をしようとした時、急に呼び止められてしまった。
「貴方は重傷を負っていますのでそこだけでも治療しないと」
「へ?」
自分でも、身体のいたるところが痛むのは分かっているがそんな重傷なんて自覚はなかった。
「肩の骨が少し割れています」
「えっ……?」
どうしてそれを先に言ってくれなかったのだろうか……。床や壁に叩きつけられた時に、頭を守ろうとして腕や肩からぶつかっていったとはいえ、まさか骨折していたとは。
長門はますます表情を暗くして、うつ向いたいたままになってしまっていた。
そんな長門をよそに、喜緑さんは俺の肩に触れた。その瞬間、電撃が走った。
「うっ……!」
今までの鈍痛とは全く違う鋭い痛みが走った。だが喜緑さんは力を緩めるどころか更に強く絞めていく。
「少しずれてるみたいなので、それを治しますね」
そして俺に心の準備をさせる間もなく、肩に触れていたその手に、ぐっと力が入った。
「え、あのちょt痛ぁ!!」
それは一瞬ながら本日最大の痛みであったことを伝えておく。
「これで大丈夫です。今日一晩は出来るだけ動かさないようにしてください」
「は、はい、ありがとうございます……」
「それでは、失礼いたします」
肩を押さえて苦悶の表情を浮かべていたであろう俺に礼をすると、喜緑さんは部室から去って行った。
「……ごめんなさい」
喜緑さんがいなくなってから、改めて謝罪する長門は、相変わらず暗い表情である。
「まあ、引きずるような問題にならなかっただけ、良かったんじゃないか……?」
何と言ってやればいいのか、迷ってしまい口が動かなくなってしまっていた時だった。
 
「おっそーい! いつまで待たせんのよ!」
バタバタという足音とともに、こちらで何があったか知る由もないハルヒが怒った様子で走ってきた。
「こっちは寒い思いして待ってあげてるんだから、少しはこっちのことを考えたらどうなのよ! やっぱり変なことしてたんじゃないでしょうねー」
「どうしてそういう疑いをかけるんだ」
「……と、とにかく! さっさと行くわよ!」
そしてハルヒは長門の手を引いてもと来た道を戻って行ってしまった。一人取り残される形になった俺は、ハルヒと引っ張られていく長門の背中を追いかけて行った。
今日はハルヒに随分と助けられてしまった。次にこんなことがあった時は、もっと守ってやらないとな。
 

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最終更新:2009年11月21日 02:02