※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

「すぐ戻ってくるから、ちょっと座って待っててくれる」
そう言い残して、ハルヒは先ほど俺たちが登ってきた階段を降りて行った。一人部屋の中に残された俺は動揺している心を落ち着かせるために小さく深呼吸をする。
胸の鼓動が速くなっているのが分かる。別に今日何かをしようという気があるわけではないし、ハルヒに自分の家に来るように誘われた、ただそれだけなのだが、妙に緊張する。何せ妹以外の女の子の部屋に入るのは初めてだからな。
おそらく谷口あたりも最初はそうだったんじゃないだろうか。いや、あいつは今でもそうかも知れない。それ以前に女の子の部屋に招かれたことが無いかもな。国木田は……なんだかんだで要領良さそうだから大丈夫なのかも知れないが……
目をつむって心を落ち着かせるように自分に言い聞かせる。しばらくそうしていると、胸の鼓動も通常に戻り、若干落ち着きを取り戻したように思えた。少し安堵の感がわいてくる。これでハルヒに邪な下心を持っていると勘繰られることもなかろう。
そんなことを考えながら部屋の中を見回すと、どこにでもある、とはいっても妹の部屋と今日初めて入るハルヒの部屋以外は知らないのだが、少女の部屋。
俺の部屋とは違い小奇麗に整理されている。本棚には参考書の他に少女漫画などが整然と並べられていて、ほんの少しだけ意外に思った。
普段は突拍子もないことを口走るハルヒも、案外可愛らしい一面を持っているんだな。などと微笑ましい気持ちになりながらキョロキョロと部屋の中を物色していると、ふと本棚の一番上を見て視線を止めた。そのまま大きく息を呑みこむ。
そこには黒い箱の上にちょこんと座ったテディベアのぬいぐるみがあり、傍らには白い布を被ったオルゴールが添えられていた。その光景を見て、俺はそれまでの動揺も忘れるほど本棚の上を凝視する。
別段、取り立てて驚くことのない光景。だが、それを見た瞬間、胸に熱いものがこみ上げてくるのが分かった。古泉や長門、朝比奈さんの顔が脳裏に思い浮かび、高校時代の淡い過去の記憶がよみがえる。
やがてそれは鮮明になりながら、俺を過去の想い出の世界へといざなった。誘われるままにあの日のあの出来事へと思いを馳せる。確かあれは卒業式を間近に迎えた2月の出来事だったと記憶している。
 
 
 
それは、ハルヒとつきあい始めて間もない日のことだった。いつもと同じようにSOS団の本拠地となった文芸部室へとやって来る。ハルヒとつきあい始めたからといって、別段いつもとなんら変わらない日常。まるでここに来ることが生活習慣の一部になっているかのようだ。
そんな自分の行動を疑問に思うことなく文芸部室の扉を開けると、部屋の中には隅で本を読んでいる寡黙な少女の姿もメイド服を着てお茶を淹れる可憐な少女の姿もなく、ただニヤけた顔をした超能力者の姿だけがあった。
「お前……だけか……」
一瞬、時間が静止したかのような錯覚に思わず立ち竦む。
「はい」
キョロキョロと部屋の中を見回しながら机の上にかばんを置く俺に、古泉はいつもと同じ笑顔で答えた。
部屋の中はいつもと変わらぬ日常、在るべきものが在るべき場所にあり、疑問に思うことは何ひとつない。ただ、長門と朝比奈さんだけがいないだけだ(ハルヒは掃除当番でまだ文芸部室には来ていない)
文芸部室に古泉が一人でいるシチュエーションにはいままでに何度も遭遇しているし、部屋の中を見回しても日常を揺るがすほどのものは何も無い。
 
だが、文芸部室の扉を開けた瞬間、そのときが来たのだと直感した。
 
「みなさん、まだ来られていないようですし、ひと勝負しませんか?」
動揺し立ち竦む俺に、普段となんら変わらぬ様子で声をかけてくる古泉。机の上にはオセロのボードが用意されていた。確かそのオセロは古泉と一番最初に勝負したゲームだったはずだ。
古泉を一瞥してから、いつもの指定席へと腰を下ろす。古泉は、ニコッと俺に微笑みかけた後、手馴れた手つきで盤面に駒を並べた。しばらくの間、俺達は一言も会話を交わすことなくゲームに興じた。部屋の中は静寂が支配し、窓の外から野球部の掛け声がときおり聞こえてくる。
「どうやら、あなたも薄々は感づいているようですね」
ゲームが中盤に差し掛かった頃、ずっと盤面だけを見つめていた古泉が顔を上げて、俺の顔をじっと見つめた。古泉につられて、俺も顔を上げる。
「長門と朝比奈さんはどうしたんだ?」
古泉は無言のまま両手を広げ、首を左右に振る。
「……朝比奈さんは未来に帰ったのか? だが、長門がいるべき世界はここだろう。お前と同じで、俺やハルヒと別れる必要はないはずじゃないか?」
じっと自分を見つめる俺を一瞥した後、古泉は何も答えることなく盤面に視線を戻し、何事もなかったかのように駒を置いた。その様子を見て、俺も古泉から目を逸らして盤面の勝負に意識を戻す。
また、そのまましばらくの間、お互い言葉を交えることなくオセロの駒を盤面に置いていく。時間がゆっくりと流れているような錯覚に陥る。
ふと、周りを見回すと、いままで見慣れたはずの文芸部室の風景、たくさんの本が並べられた本棚やメイド服をはじめとする朝比奈さんのコスチューム、団長と書かれた三角錐の置かれた机がとても懐かしく感じる。
SOS団設立が三年ほど前で、俺のさほど長くない人生と比較してもそれほど時は経っていないというのに、それらはまるで俺が生まれる前からそこにそうして在ったかのように思えてしまう。
開け放たれた窓から春の訪れを感じさせる暖かな風が吹き込み、カーテンをたなびかせる。窓の外に視線を向けると、季節外れの桜の花びらが舞っていた。
この時の俺は、現実の世界ではなく、まるでおとぎ話のような非現実的な世界にいるかと錯覚するぐらい、周囲の風景が幻想的に思えたのを覚えている。
「正直……」
不意に古泉が盤面を見詰めたまま沈黙を破る。同時に幻想的な感傷の世界から現実の世界に引き戻されて、俺は古泉へと視線を移す。
「僕は今、彼女達、長門さんや朝比奈さんが、宇宙人や未来人といった存在であったのかも疑っています。それどころか、自分が何者であるかすらも見出せない状態です」
「…………」
普段の俺であればなんと反論しただろうか。目の前で実際に長門や朝比奈さんが宇宙人、未来人である証拠を見ているのだから、俺にとって古泉のこの言葉は看過できない暴言のようなものだ。
もちろん、それらもすべてハルヒの力のなせる業だと言われてしまえばそれまでなのだが、それでも俺は古泉のこの言葉には賛同することができなかった。
だが、この時の俺は古泉に反論することなく黙っていた。古泉は俺には理解できない次元で、長門や朝比奈さんが宇宙人や未来人であるということに疑問を呈しているのだ。そしてそんな古泉の気持ちが、なぜかよくわかったからだ。
「寂しくなるな……」
口にして少し驚きを覚えた。もっと別れを惜しんでもいいはずなのに、なぜかこの時はありのままを受け入れようとしている自分がいたのだ。なにか見えない力に導かれるように、別れの言葉を口にする自分がいる。
もう長門と朝比奈さんには会えないのだろう。この部屋に入った瞬間、俺の中にあったそんな予感が古泉と言葉を交えることで確信へと変わった。そして、古泉と会うのもこれが最後なのだとわかった。
「そうですね。思えば色々ありましたから……」
顔を上げ、宙を見上げる古泉の表情からは、あくまでポーカーフェイスを崩すことなかったが、別れを惜しんでいるような寂しさのような感情が読み取れた。
長門も表情の変化に乏しく感情を読み取るのに苦労したが、古泉の感情をその表情から読み取れたのはこれが初めてだったかもしれない。いつもニヤケ面で何を考えているかわからない奴だったからな。
そんな古泉でも別れのときは愁傷な気持ちになるのだと知って、少し意外な感じがした。呆けたように古泉の姿を見つめていると、古泉は俺の視線に気づき、少し首をかしげて微笑む。
「どうかしましたか」
「い、いや……」
思えば、高校入学の日、ハルヒと出会って以来、俺達は、もちろん古泉だけでなく長門と朝比奈さんもなのだが、同じ目的を持って、常に行動をともにしていたように思える。
そう、俺達はただの高校のクラスメートという枠には納まりきらないくらいたくさんの思い出を共有した友人、いや、もはや同志とと言ってもよいくらいの関係を築いていたことにあらためて気づかされた。
そんな大切な仲間三人との別れが唐突に訪れたのだ。ただの平凡な一般人である俺に、この状況で冷静でいろというのは無理というものだ。
言葉にできない感情がこみ上げてくるのがわかった。話したいことはたくさんあるはずなのに、あまりにたくさんありすぎて何を話してよいかわからず沈黙したまま時間だけが過ぎてゆく。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、古泉は俺から盤面の勝負へと視線を移した。お互い言葉を交わすことなく、淡々と目の前の盤面に駒が置かれていく。やがて、古泉が盤面に最後の駒を置いて勝敗は決した。
「ようやくあなたに勝つことができましたね」
微笑みながら古泉は顔をあげて俺の顔を見る。盤面を見つめ、駒の数を何度か数えた後、俺も顔を上げて古泉を見た。
「……そうだな」
そう言うと、古泉は椅子の背にもたれかかり、宙を仰ぎ見た。
「嬉しい……とても嬉しいです。僕は今、言葉にできないほどの喜びで胸がいっぱいです」
突然、大仰に自分の気持ちを吐露し始めた古泉に、俺は奇異の視線を向ける。普段は何を言われてもポーカーフェイスで何を考えているのかわからない奴なのに。
「な、大げさだな、そんなに俺に勝ったことが嬉しいのか?」
古泉は俺を一瞥してにやりと笑いながら立ち上がると、何かに誘われるかのようにふらふらと窓際へ近づいて行った。あたたかい春の風が吹き込み俺と古泉の間を通り抜けた。
「僕はあの日からずっとこの時が来るのを待っていました。そしてようやくこの時が訪れたのです」
まるで演劇でも演じているかのように、古泉は俺の存在を無視して語り始める。
「あの日、涼宮さんはベッドの上で僕を抱きしめて泣いていました。彼女の胸の内にあった鬱屈した思いを僕に語ってくれました。日常の不満。周囲の無理解。たくさんの物事が彼女を苦しめていたのです」
窓の外を眺めながら、昔を思い返すように語る古泉。俺は唖然としたまま演劇の観客のように、ただ黙って古泉を見ていた。
「そして彼女は僕に自分の抱いている夢を語ってくれました。宇宙人や未来人、超能力者といった未知との遭遇を経験し、この世界の誰よりも退屈の無い面白い日々を送りたいと。夢を語る彼女の表情は、僕にはとても寂しく思えました。
なぜなら、賢明な彼女はそれが現実にはあり得ないことだとはっきりと理解できていたからです。だからこそ、彼女はその夢を僕たちに語ってくれたのです。僕はこの時ほど自分の無力さを呪ったことはありません」
普通に考えれば、古泉の語る内容は、俺との信頼関係を壊すに十分なものだった。いま俺とつきあっているハルヒが過去に自分と寝床を共にしていたと語っているのだから。だが、この時の俺はなぜかそんなことを心の片隅にも思いはしなかった。
「暗雲を取り払う風のように、彼女の心を曇らせるすべての憂鬱を取り除いてあげたかった。夏の太陽のような彼女の笑顔を取り戻したかった。でも、その時の僕には、眠る彼女の涙を拭ってあげることすらできなかったのです」
太陽が山際へと差しかかり、部屋の中は窓から射し込む黄昏で真っ赤に染まる。夕日を背にした古泉は、どこか人外の存在のように思えた。いや、いまいる部室そのものが現実世界から乖離しているよな感覚を覚える。
「でも、そんな僕の憂鬱も、どうやら終わりを迎えたようです。僕の代わりにあなたが、涼宮さんの心を覆う暗雲を取り除いてくれるようですから」
古泉はこちらに顔を向ける。その目はじっと俺の目を見つめ、俺の覚悟を問うているように思えた。
「ああ、約束する。お前に言われるまでもない。ハルヒは俺が守る」
じっと古泉を見つめ返し、力強く返答する。逆光でシルエットとなった古泉の表情をはっきりと伺うことはできなかったが、確かにその時の古泉は微笑んだように見えた。それも普段のポーカーフェイスのニヤケ面ではなく、もっと感情のこもった微笑みで。
「お別れの時間です。短い間でしたけど楽しかった。あなたと過ごしたこの三年間を、僕はずっと忘れることはないでしょう。涼宮さんをよろしくお願いします。では……」
そう言った古泉のシルエットが薄くなり、夕日が段々と透けて見えるようになった。その体は段々と小さくなり、最後は小さなクマの形になって、団長席の向こうに消えた。
「ぬいぐるみ?」
俺は席を立って、団長席の向こうを覗く。一瞬だけテディベアのぬいぐるみが見えたような気がしたが、そこには何もなかった。何もない床の上を、ただ茫然と見つめる。SOS団での想い出が走馬灯のように頭によみがえり、じっとその場に立ち竦む。
一筋の涙が頬を伝うのが分かった。悲しみの涙ではない。もちろん喜びの涙でもない。あえて言うならば、別れの涙。静寂が支配する部屋の中で、床を見つめたままずっと立ち竦んでいた。
やがて日が沈み、夜の闇が窓の外を塗りつくした。窓から射し込む月明かりに照らされた文芸部室には俺以外誰もいない。今日はどうやらハルヒも来なかったようだ。ただ机の上に置かれたボードゲームだけが、確かにいままで古泉がそこにいた証のように思えた。
そのボードゲームを片付けようと机に近づく。が、そのまま片付けることなく、俺は帰り支度を始めた。このボードゲームを片付けてしまえば、あいつ等がいた証が失われてしまう。そんな感じがしたからだ。
おそらく、明日になればSOS団の痕跡は跡形もなく消えているだろう。そしてあいつ等がいたという痕跡も……根拠はなくとも、確信をもってそう思えた。だから、今夜だけはこの証を残していくことにしよう。
そんなことを考えながら、俺は帰り支度を済ませる。部屋を出る間際、誰かに呼ばれたような気がして振り返る。だが、そこにはもう誰もいない。
「じゃあな」
誰もいない文芸部室に別れの言葉を残して、俺は帰宅の途についた。
 
 
 
階段を登ってくる足音が聞こえ、俺は想い出の世界から現実へと引き戻される。
「お待たせ~」
ハルヒの手にはお盆の上に乗せられたティーポットとティーカップが二つあった。満面の笑顔で俺を見るハルヒの姿は、入学した頃には想像できないほどだ。おそらくこれが古泉の取り戻したかったハルヒの笑顔だろう。
そんなことを考えながら、手際よくティーカップに紅茶を注ぐハルヒの姿を見つめていた。俺の視線に気づいたのか、ハルヒは少し怪訝な表情でこちらに視線を向ける。
「どうしたの?」
「いや、なんでも」
「ふーん」
ハルヒは何かに感づいたように俺の顔を見てにやりと笑った。
「もしかして緊張してる。女の子の部屋に入るのなんて初めてなんじゃない」
勝ち誇ったように俺を見つめるハルヒから目をそらし、ハルヒの持ってきた紅茶に口をつける。アールグレイか。なかなかいい趣味をしてるな。
「ハルヒ……」
一口紅茶をすすった後、再びハルヒを見つめる。ハルヒもいったんは紅茶に落とした視線を再び俺に向け、じっと俺の目を見つめた。
「愛してるぞ、ハルヒ」
「は!? バ、バカじゃないの」
一瞬驚いたような表情を見せた後、顔を真っ赤にして照れながら、怒ったように顔をそむけるハルヒ。そんな俺たちのやり取りを見て、本棚の上のテディベアが微笑んだような気がした。
 
 
~終わり~
 

|