スイング・バイ(寄り道)
「来て」
長門は俺をじっと見ている。
それは長門の、初めて見る顔だった。
「どこに」と俺。
長門の視線はまるで焼き付くようだ。
「わたしの家」
四分音符=60で、二分休符ほど沈黙してから俺は言った。
「……いいのか?」
一体どうしたことだろうか。
普段、他パートの1stやパートリーダーから呼び出される時は、こちらのパートの演奏について文句を言われるときだ。
「是非」
フルートのケースが輝き、揺れる。
そして長門は歩き出す。そのまま、闇に消える。
この調子だと、きついお説教が待っていそうだ。 俺は溜息をついた。
スイング・ボース・ウェイズ・前(どちらでもいい)
俺と長門の間に会話はなかった。
長門はまっすぐ前だけを向く。黙々と歩く。
延々歩き続け、ようやく長門が立ち止まったのは、信じられないほどの高級マンションだった。
長門は玄関のキーロックに暗証番号を打ち込んで施錠を解除し、そのまま後ろを振り返ることなく脚を進める。
7階の8号室のドアに鍵を差し込み、そのまま手招き。
それを合図に俺も上がり込む。
殺風景な部屋だった。リビングにはこたつが一つあるだけ。カーテンもない。
ただ、気になる部屋があった。そのドアだけ全面に黒いクッションが付いている。
「この部屋、見せてもらっていいか?」
急須と湯飲みを持ってキッチンから出てきた長門に訊く。長門はゆっくり瞬きをすると
「どうぞ」
「ちょっと失礼する」
重い扉が開いた。
数多くの穴と、クッションで囲まれた部屋だった。
大量の楽譜。一台のピアノ、音叉。(何故かベースも)
後ろを見て、リビングを見やる。殺風景な部屋と比べて、構成要素が多すぎる。
テーブルにおいてあるシリコンクロス(楽器を拭くときの布のようなもの)を見る。
緑の地に、いくつもの赤の点がついていた。
俺はドアを元の通りに閉めて、こちらを見守っていた長門のほうに近づいた。長門は何も言わず、こたつに湯飲みを二つおくと丁寧に正座してお茶を注ぎ始めた。その正面に俺は胡坐(あぐら)をかいて座る。
さて、たっぷりと怒られるか。
せっかく俺が腹を決めているのに、なにやら長門は躊躇しているようだ。口を開いては閉じ、意を決して俺を見上げたらまたうつむく。しかし、やがてあの強い視線に戻った。
「わたしはあなたに会ったことがある」
付け加えるように
「三年前」
どこだ。いつだ。
「覚えてる?」
何をだ。
「佐々木さん」
それを聞いて脳の奥にある歯車がきしんだ。中学時代の、とある友人の記憶がよみがえる。
スイング・スクール(サボリ)
中学一年生・春。
この年齢の男はふざけていても許される年頃で、実際ふざけないとどうかしている。
というわけで中学生になり、希望に燃えさかる俺が真っ先にしたのが、学校のさぼりだった。
ちゃんとした理由はない。
友人には事欠かない、そのように思えたから、わざわざ友人作りのために教室行ってくっちゃべる必要はなく、大体退屈な先公の話を延々と聞かされるなんて無茶苦茶だろ?
それに比べて。
周りを見回す。大きな喧噪、楽しそうな音。こちらの方が、面白そうだ。輝いてる。
小さな携帯トランペットがその傍らにあった。音。それさえあれば俺は楽しい。嬉しい。
街をはね回る。最高だ。
ま、すぐにパトに捕まるんだがな。
第四部 〆