快晴。今日を表すならそんな日だった。
夏らしくカラッとした空気と、透き通るようなスカイブルーの空、もくもくと流れる入道雲。でも風はあって、ほのかに夏の匂いがする。二十丸ついでにお花もあげちゃっていいぐらいの天気だ。
朝見たテレビの気象情報でも『最高のお出かけ日和』なんてお墨付きだし、ついでに星座占いではあたしの星座は一位だった。
だからかも知れない。告白しよう、そう思って、あたしはいつの間にか携帯を握りしめて、電話をかけていた。

 


「……切羽詰まった声で『急用だから』と言われて来てみたと思えば、またこの喫茶店か。
それからあんたはもう少し電話のマナーというものを学んだ方がいい。要件だけ言ってすぐさま切るなんて、まるで幼稚園児だ」
第一声がそれだった。
その人は、席に案内されて早々ソファーにふんぞり返り、いかにも不機嫌そうな面持ちでそうのたまった。電話の件に怒っているわけじゃなく、この人はいつもこうなのだ。魚が海を泳ぐとか、鳥が空を飛ぶぐらい自然なこと。
「きゅ、急用なのはほんとなのです。すっごーく大事なことなんだから」
「で、それはなんだ」
まだお冷も配られていないのに、腕を組んだ彼は傲然とそう言った。
「う、えっと、その……」
改めて面と向かったら、頭が沸騰して朝にたくさん練習した言葉が蒸気と共に抜けていくのが分かった。緊張してどもるあたしを見て、彼は訝しげな視線を矢のように送ってくる。うう。
そうだ、タイムだ。少し時間が欲しい。物事にはなんでも作戦が必要なんだってどっかで言っていた気がする。そう思ったあたしは、勢いよく顔をあげると、
「あ、あたしトイレ行ってきます。あの、あたしの分も何か注文しておいてください」
彼の返事も聞かずに立ち上がり、一目散にトイレに走った。途中にオーダー表を持ったウェイトレスさんとすれ違って、後ろから「ご注文はどうしますか?」なんて定型句が聞こえた。


「うう……」
個室に鍵をかけて、あたしは頭を抱えた。トイレに入り、チーターもびっくりの速さで個室に駆けるあたしを見て、鏡を見ていた人は唖然としてたけど、今はそんなことだってどうでもいい。
星座占いでは恋愛運が上昇って言ってたのに。ラッキーカラーがオレンジだったから、タンスをひっくり返してやっと見つけたオレンジ色の服を着てきたのに。初めの一歩が出なきゃ、意味がないじゃない。
「す、き、です。うん、そう。す、き。よしっ!」
ガッツポーズを決め、これからオリンピックの決勝戦にでる選手のような面持ちで勢いよくドアを開ける。さっきの人は、もういなかった。思えばトイレに向かって好きなんて言ってたら、変な人以外の何物でもないなぁ。

席に戻ると、彼はアイスコーヒーを飲みながら暇を持て余していた。あたしの席には、オレンジジュースが置いてある。それを見て、なんだかきゅんと心が締め付けられた。
あたしはあまりコーヒーが好きじゃない。ブラックを飲めるように練習したけど、ダメだった。気がついたらシュガーの袋が三つ開いていた。前のような大事な場面だったら皆に倣ってコーヒーを頼むけど、あの独特の苦みがどうしても好きになれなかった。
気づいてくれてたのかな、とふと思う。勘違いでも、思い上がりでもいい。でも、それを頼む時は少しぐらいはあたしのことを考えてくれていたはずだ。
「あの、注文、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げる。それに彼は「ふんっ」と鼻先だけで返した。そして話題をすり替えるように、
「それで、要件とはなんだ」
幸せな気分に浸っていたあたしは、思わずジュースを噴きそうになった。すんでのところで、ごくりと飲み込む。そうだ、舞い上がっちゃっててすっかり忘れてた。あたしはオレンジジュースを頼みに来てもらったんじゃなくて、告白しに来たんだ。
「えっとですね。……す、す、すー、す」
「す?」
どうしてだ。『き』が言えない。言おうとした瞬間に、緊張のロックがかかる。ああ、禁則事項ってこんな感じなのかなぁ、とくだらないことを考えながら、あたしは一生懸命言葉をつなぐ。
「す、す、すぅ……す、周防です」
「僕の認識に誤りがなければ、あんたは橘のはずだったが、いつの間に改名したんだ?」
「いや、あの周防さんがですね、……うう、なんでもないのです」
「はぁ?」
何言ってんだこいつと言いたげな顔を隠そうともせず、もうほとんど空になったアイスコーヒーの中をストローで混ぜる。この氷のぶつかる音は、結構好きだなぁ。……じゃなくて。
気持ちを落ち着かせるために飲んだオレンジジュースも底をつき、あたしは意を決してそれをいうために口を開いた。
「す……や、やっぱりダメです。こんなところで言えるわけないじゃないですか! チェンジです、場所変えましょう!!」
「いや、あんたがここに誘っ」
だめでした。


「いきなり呼び出して、ゆっくり何か飲む時間も与えずに場所変更か。大層な御身分だな。あんたは僕をなんだと思っている?」
「すみません……」
「ふんっ。あんたが凄い勢いで引っ張ってくれたおかげで服が伸びた。さっきも言った通り、あんたはもう少しマナーというものを学んだ方がいい」
「すみません……」
「それで、この路地裏に何があるというんだ」
そう言って、彼は辺りを見回した。人通りの少ないこの場所は、さっきとは打って変わっての静けさだ。それに、建物が陰になってくれているおかげですごく涼しい。緑の葉っぱがそよ風に乗せられ、夏の微香が鼻をくすぐって、何だか懐かしい気分になった。
ここなら、言えそうな気がする。
「えっとですね、す、す、す」
「す、はもう聞き飽きたぞ」
「違うんです。あの、すに、か行の二番目を足して、えっと、す……」
「か行の二番目? す、にき。すき?」
「すき、うん。あの、好きなのです」
やった、言えた! というよりは言わしただけど、それでも言えた。
どうしよう、顔がものすごく熱い。ああ、告白ってこんな緊張するものなんだぁ。うん、やっぱりあたしには向いてなかったのかな。心臓がばくばくとアドレナリンを放出しまくってます。ああ、あたしここで死んじゃうのかなぁ、なんて思えるほど。辞世の句、考えといたらよかったなぁ。でも、最後に言った言葉が『好き』なんてちょっとロマンチックですよね。
「…………」
「…………」
沈黙は、二人分。あたしはずーっと彼の靴元を見ながら、顔は完熟トマトのまま。
「…………」
「…………」
「…………」
「……な、何か言ってくださいよ」
さすがに耐えかねたあたしは、金魚のようにぱくぱくとカタコトの言葉を繋いだ。こういう時、どうしたらいいんだろう。誰か教えてください。できれば速達で。
てっぺんに重石を乗せられたように重たい頭をゆっくりと持ち上げる。そして彼の顔を見上げて、あたしは驚いた。
「……もしかして照れてます?」
「…………」
「あ、やっぱり照れてますよねっ! わ、やった。嬉し……あいたっ」
電光石火の速さで彼からチョップをくらい、あたしは頭をさする。それから、背中を向けた彼にはにかんだ。
後ろ向いてても、耳まで赤かったら意味ないですよ。

 

 

 


「ふふ、好きですよ。だーいすきです」
「うるさい。この時代の人間は口を開かなければ気が済まないのか」
「そういいながら、照れてるじゃないですか! あたしだって、その百万倍は恥ずかしかったんですからね!
あ、そうだ、あなたも言ってくださいよっ。そうじゃないと不公平です!」
「嫌だね。僕は知らない。あんたの独り言に付き合っている暇はない」
「もうー!!」

繋いだ手は、すごく恥ずかしくて、ちょっぴり暖かかった。

 

 

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最終更新:2020年03月12日 20:23