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第3周期 汚れたオセロと赤錆びたブランコ
翌朝も長門が廊下で俺の登校を待っていた。やはり昨日のことで動きがあったらしい、逆に無反応な方がおかしいとは思っていたが。
ハルヒがただ能力を自覚したり分裂しただけじゃない。ハルナに強力な闇が付加していることはこちらにとってはかなり不利になる。
「長門、昨日のことで反対派が増えるってことはあるのか?」
「既に涼宮ハルヒの力の異変については分かっていたため大きな変動は無い模様」
ちなみに、この時間帯は人通りは少なく教室が騒がしくなり始めるのでこんな話をしても大丈夫である。
「そうか、そりゃあ良かった」
「でも」
安心したかと思えば、まだ付け足しがあるようであった。
「その程度が想定を超えていたことが問題となる恐れがある」
「お前のパトロンでもあの規模は想定してなかったと?」
「違う、今後さらに強力な闇が発生することを危惧している」
おい、危惧してるってことはあれよりももっとヤバいのが発生する確率が高いってことか?
「そう。気をつけて」
それだけ言うと教室へと消えた。
俺は昨日と同様、廊下のど真中で突っ立っていた。
おい、俺に警告とはどういうことだ? まさか俺がそのもっと強力な闇に巻き込まれるのか? そうなったら昨日の朝倉みたいに何かに襲われてしまうのではないかと不安になった。
そうではないことを祈りつつ教室へ入った後は、昨日とまるで一緒だったので省略してしまおう。
不安が見事に現実となってしまったたのは、2限目を終えた休み時間だった。
古泉が鞄を持って廊下を歩いているのが見えた。早退のようである。それを見た瞬間、ハルヒが教室から出て行った。
「古泉君」
ハルヒが古泉を呼び止めた。
「はい、何でしょうか」
「あたしも一緒に行っていいかしら」
そう言っているのが聞こえた。ハルヒが機関に同行? 仕事の様子の見学でもするのだろうか。
「……構いませんが非常に危険ですよ、どうしてですか?」
「今発生しているのはの閉鎖空間じゃないわ。まだそれを知らない機関の人たちが入ったら大変なことになるわ」
「そうなんですか?」
「機関の人たちに待機するように連絡しておいて、お願いね」
するといったん戻ってきてカバンに教科書を詰め始めた。ってお前も早退するのか。
「そうよ。キョン、アンタも来なさい」
え? あの、さっきのがちゃんと聞こえていたならば機関の人たちですら危ないと言っていた気がするのですが。
「言ったわよ。詳しくは後で話すからとっとと行くわよ」
そう言って拒否権発動の暇も与えずに俺のカバンの持って廊下に出て行ってしまった。
「おいこら待ってくれ」
俺はその後を教科書やらノートやらを抱えて追いかけた。
古泉に俺とハルヒというおまけがついていたことには、車で待っていた新川さんもビックリであった。説明も軽く済ませて車に乗り込んだ。
現場へ向かう車内ではハルヒが今回発生したものについて話していた。
「その空間はどういった危険があるのですか」
「あれはあたしじゃなくてハルナの空間なのよ」
「アイツも閉鎖空間を作るのか」
「そう、だからちょっと勝手が違うのよ。ハルナの空間は入る人を選ぶのよ、見ず知らずの人が入ろうとしたらハルナが拒むかもしれない。今の段階で入れるのはあたし以外にアンタしかいないと思うの」
「え、俺が?」
後部座席でリアクションをしていた俺を、助手席に座っていたハルヒがミラー越しに見ていた。
「今のところ一番信用されているのはアンタなのよ」
「そ、そうなのか」
残念ながら本人にはその自覚がないのである。
「とにかく、あんたに協力してもらわないといけないのよ」
「ああ、協力はするが、どんな状態なんだ?」
「説明するより見た方が何億倍も分かりやすいわ」
それだけ言うと、視線を前方に戻した。
古泉に俺とハルヒというおまけがついていたことには、車で待っていた新川さんもビックリであった。説明も軽く済ませて車に乗り込んだ。
現場へ向かう車内ではハルヒが今回発生したものについて話していた。
「その空間はどういった危険があるのですか」
「あれはあたしじゃなくてハルナの空間なのよ」
「アイツも閉鎖空間を作るのか」
「そう、だからちょっと勝手が違うのよ。ハルナの空間は入る人を選ぶのよ、見ず知らずの人が入ろうとしたらハルナが拒むかもしれない。今の段階で入れるのはあたし以外にアンタしかいないと思うの」
「え、俺が?」
後部座席でリアクションをしていた俺を、助手席に座っていたハルヒがミラー越しに見ていた。
「今のところ一番信用されているのはアンタなのよ」
「そ、そうなのか」
残念ながら本人にはその自覚がないのである。
「とにかく、あんたに協力してもらわないといけないのよ」
「ああ、協力はするが、どんな状態なんだ?」
「説明するより見た方が何億倍も分かりやすいわ」
それだけ言うと、視線を前方に戻した。
目を閉じている間も引っ張って歩く速さが変わらないため転びそうになりながらも足を動かすこと十数秒。
「いいわよ」
目をあけると、なんとも見覚えのある灰色の世界が広がって、
「ってここはただの閉鎖空間じゃないか」
俺達は灰色の無音空間にいた。
静かな街並みを見回す。今のところ神人が現れる気配はないようだ。そもそもハルヒが制御出来ているとしたら現われることはないかも知れない。
「これはあたしの空間だもの、見覚えがあって当然よ。古泉君達も来れるんだけどね、いろいろと面倒だから外で待ってもらうことにしたの」
「目的地にはまだ到着してないのか」
「そう、これから先はあたしとキョンだけが入れる領域よ」
遂に長門が言っていた強力な闇とやらに突入するのか。
「この先に、か」
「これから入るのはハルナの精神世界よ」
精神世界? それは閉鎖空間とはまた違うものなのか?
「心理の影響を強く受けてるの。昨日のあれよりも強烈な世界よ」
まじか……。あれより強烈とは、あまり具体的には想像したくないような。
「下手をすれば、生きて帰れないかもね」
「きつい冗談だなそれは」
「そう聞こえる? あたしでも大変だったんだから」
ハルヒですら危ういとは……どうか冗談でありますように。
しばらく灰色の空の下で呼吸を整えていたハルヒがこちらを向いた。行く決心をしたらしい。俺に手を差し出した。
「行くわよ、もう一回目を閉じて」
再び手を繋ぐ。そしてさっきと同じ様に目を閉じたまま手を引かれて歩く。入り方はやっぱり一緒のようだ。
何も見えないが、ハルヒに手をひかれて歩いていると地面の感触が変わったことが分かる。
足音もアスファルトから砂利へと変化したのが分かった。頼むから不安が的中しないでほしい。
「また随分と荒れてるみたいね……」
まだ目を閉じたままの俺にとってその台詞は不安を掻きたてる以外の何物でもなかった。
「ハルヒ、もういいか?」
「いいわよ、心の準備が整ったら目を開けて」
言われた通り、軽く深呼吸をして心拍数を整えてから目を開けた。ハルナの精神世界とやらを目にした瞬間の俺のリアクションは、
「は? な、なんだこれは……」
ビックリ仰天とかそう言うレベルじゃなかったね。思わず悲鳴をあげそうになった。
確かに、言葉で説明されるのと実際に見てみるとの分かりやすさの違いは、地球とベテルギウスの大きさを比べるくらいに桁違いだった。
さっきまでいた灰色の世界にはビルが建っていたのにそれらは一切姿を消していた。
少し経過して、自分が立っていたのはグラウンドであると判明したのだが、遠方に見える荒れ果てた校舎は廃墟以外の何物でもなかった。
空は濁り、雲のようなモヤモヤが激しく渦を巻いて流動していた。遠くに見える街を見ていると、明るさ以外の「暗い」ものを感じた。
視線を下に向けると、足元の砂を汚していたのはまぎれもない血であることに気付いた。
どいつもこいつもおかしい。長門が警告してくれた通り、昨日のあの世界を更に強化したようなものだ。
「驚くのも当然よね……こんなに狂ってるもの」
このよどんだ暗い空気のせいか、ハルヒのテンションも氷点下である。
「これは何がどうなってるんだ」
「ハルナがうなされてる悪夢よ」
「夢? こんなのに毎晩うなされてるのか」
「そうなのよ、あたしも何とかしたいけど、解決には至っていないわ」
こんな夢を毎晩見るくらいなら寝ない方がマシだ、そう思ってしまうくらいに居心地の悪い空間であった。
しかし、どうしてこんな夢を見てるんだ?
「あたしが世界を壊したときの終末がこれなのよ」
「これが……そう、なのか……」
これはただの悪夢ではなく、現実に起こったことを再現していたのだ。
「ハルナは崩壊を止められなかったことを今でも悔やんでるのよ」
その後は黙ってしまい、何か地鳴りのような音だけが響くだけになったまま時間が流れて行った。
「あたしね」
その沈黙をようやく打ち消して話し始めた。
「この風景の中で777日を過ごして少しづつ自分の中にできた闇を自浄していったの」
世界崩壊後ってことはハルヒとハルナ以外は誰もいなかったのだろう。どれだけ寂しい思いをしたのだろう、俺には知る由もない。
「そんなに長い時間がかかったのか」
俺は足が震えそうになっていたが平然を保っていた。
出来ることならこの空間からダッシュで逃げ出したかったが逃げる場所もないからどうしようもない。
「自分の能力を使って一気に出来なかったのか?」
「何度もやったわよ、でも出来なかった。それどころか逆に闇に染まってしまうこともあったわ」
「自覚はあるのにコントロール出来ないのか」
「あのねえ、取扱説明書をいきなり渡されて見たこともない機械を使いこなせると思う? それよりも難しいのよ?」
「さっき言ってたよな、これはその時のを再現してるって。つまりは…」
「気付いちゃったのね」
残念ながら、今ばかりは頭が冴えてしまっているみたいだ。
「お前もこの世界n」
「世界の壊し方も忘れてはいない」
認めた。
ハルヒにもまだ、こんなのにしうる力が残っているのだ。
「まだあたしの闇も消えてないの」
そう言って自分の胸に手を当てる。
「どうやっても全て浄化することは出来なかった。何回消そうとしても0にならないのよ。だから、またあれを繰り返しそうで……」
段々と声が消えていった。
「怖い……」
最後の方は聞き取れないほどに小さな声であった。
震える小さな影を見ていた。
「なあハルヒ、俺達は少しでも支えになってるか?」
「……」
無言か。まあいい、これからなってやればいいんだからな。
震え始めた小さな体を抱いていた。
次第にハルヒの震えはおさまっていったが、俺もこの方が落ち着いていられた。
異性と密接してるとかいう青春チックなものはなく、この狂った世界に一人じゃないという安心感が先行していた。
だからお互いにいつまでも離れようとせず、相手の鼓動を感じていた。
「こんなところで何やってるのよ」
二人しかいないはずなのに、後ろから声がした。
「へ!?」
驚いて振り返ると、そこにもう一人ハルヒがいた。その姿を認めたところで二人は離れた。
「何の用よ?」
ハルヒは少し乱れた髪や制服の裾を直しながらそいつに問いかけた。
「あたしの話をしてたから来てみたんだけど、どうやらお呼びでなかったようね」
そいつはハルヒの問いかけに対して挑戦的な口調で答える。
「ってことは……、お前が闇なのか?」
「そうよ、あたしは黒。簡単にいえば力が擬人化とか具現化とかしたっていう感じね。名前とかそういうのが無いからこういう区別しかないのよね、はぁ」
黒はわざとらしくため息をついた。
「その『闇』っていうのは『悪』なのか?」
「あのねぇ、勝手にあたしを悪者扱いしないで頂戴。それは偏見っていうのよ、へ・ん・け・ん!!」
「すまん」
「あたし自身はそうは思わないけどね。そうなっちゃうんだから仕方ないわ」
そう言って悲しげな笑みを見せる黒の髪は地面を擦る程に長い。
「あのな、黒とやら」
「なによ」
あえてそこに触れていなかったんだが本人もハルヒも気付いていないらしいので今更ながら言わせて貰うと、黒は一糸まとわぬ姿であるというのにそれを平然としていた訳で……。
「羞恥とかないのかお前は」
「あ」
気付くのが遅いんだよ二人とも。
俺はずっと視線を反らしていたのである。そこ、視野で見えてるだろとか言うなよ、見てないと言ったら見てないんだ。ようやく気付いた黒は今更ながら背中を向けて座り込んでいる。
「なっ………く……この……後でぶっ殺すからね……」
ここで殺されたらこの景色に見事なまでに似合った死体が完成してしまいそうなので是非ともご遠慮願いたい。
「これでいいでしょ」
次の瞬間には黒はどこで拾ったのかカーテンのような大きなボロ布をまとっていた。古代ギリシャ人のあの服装のようであった。
「お前はその事件のときもいたのか?」
「そうにきまってんじゃない、その時にあたしが生まれたんだもの。あ、待って、ちょっと生まれたってのは語弊があったわね、うーん、そう、分裂分裂」
「その分裂とやらがあった後に、お前は何をしてたんだ?」
「何も。ただ目茶目茶になった街をぶらぶらしてただけ」
「主犯はあたしだもの」
ハルヒが呟いた。
「まあ落ち込まないで頂戴、あたしはふらついていただけで実害があったのは間違いないし、あたしがあんたの闇を加速させちゃったのも事実なんだし…」
そしてハルヒをフォローした黒のテンションも低下しつつある。
こんなとこで二人に落ち込まれても困るので話題転換を行った。
「ところで、黒がいるなら白はいないのか? 反属性とかありそうな気がするんだが」
「もういないわよ」
さっきから回答自体は一言で非常に端的である。だが事件について知らない俺からすればもう少し詳しい説明が欲しいものである。
「『もう』ってどういうことだ」
「白はあの状況の中でわずかに残った純粋な善だった。だから自ら進んで統合を選んだのよ」
そう言った瞬間、ハルヒが表情を変えたような気がしたが視野的によく見えなかった。
「統合?」
「あたし達はもともとは一人。あたしも白も、一人の涼宮ハルヒの人格の一つみたいなものよ」
「白は分離後の状況を見てとても悲しかった、だから『涼宮ハルヒ』にもどったのよ。暴走した後に後悔してたのがその証拠」
「白が統合したのなら、お前はしないのか?」
「それはないわ。あたしはあたしだもの、吸収されちゃうなんて御免よ」
この辺りは白との性格の違いが現れているのだろう。
「なぁハルヒ、ここに来た目的を聞いてなかったな」
俺はずっと黒と向かい合っていたが、改めてハルヒの方を向いた。
「ハルナがここに籠っちゃってるのよ。この空間の時間は昨日の11時で止まったままなの」
おいおい、時間を止めることも出来るのか。つまりハルナは現在にはいないということか。随分と壮大な引きこもりだな、そんな悠長なこと言ってられないか。
「キョン、お願いがあるの。校舎に居るハルナを連れてきて」
「あの廃墟同然の校舎にハルナがいるのか?」
「あそこから出てこないのよ。お願い、あたしにも出来ることが限られてるのよ」
まあ、協力はすることは勿論だが、神的能力を持っているお前が出来ないことを俺に出来るのか?
「あたしにハルナの説得は出来なかった。無理矢理連れ戻すことも出来ないことはないけど、そうしたところで解決出来る問題じゃないのよ」
そう言うと、申し訳なさそうな視線が……
え?
まさか俺一人で行くのか?
「あたしはあそこには入れないのよ。また闇に汚染されそうで怖いの」
「そうね、貴方は入らない方がいいわ」
黒がそれに同意している。それなら仕方あるまい。
「ごめんねキョン」
「ってことでよろしく!」
ハルヒ、謝らなくていい。そして黒は笑顔で親指を立てんな。
「じゃ、いってくるか」
「お願い」
ハルヒに背を向けて歩き出した。まさか一人であの廃虚を探検するなんて思わなかったが、これもハルヒとハルナのためだ。
「あ、ちょっと待って」
黒に呼び止められた。折角行く気になったのに止めないでくれよ
「忘れてた、これを持っていくといいわ」
そう言って手渡したのは懐中電灯だった。
「見た目は古いけど心配しないで。じゃ、頑張ってね」
そしてまたハルヒのところへ戻っていった。
ぽつんと残されたような状態の俺の右手にある懐中電灯は、懐かしい単1マンガン乾電池が入っていそうな古いものであった。
動作確認のためにスイッチを入れてみる、ちゃんと点灯するようなので壊れてはいないようだ。
だがこれを渡すくらいなら、もっと便利なものをくれてもいいのではないだろうか。
例えば……護身用の武器とか。いや、だってあんなお化け屋敷のような校舎に入るんだぞ、何か身を守る術があった方が安心だろ
そういえば、黒は元々闇なんだから汚染の心配はないだろうし、俺についてきても大丈夫なのではないのか?
振り返って黒を呼べばまだ間に合う、がそれを実行にはうつさなかった。
「いやまてよ」
黒をお供にする案が浮かんだものの、あの性格じゃあ協力どころか逆に弄ばれる可能性があるので断念したのである。
後ろを振り返ることなくまっすぐ歩いていくと、徐々に大きくなってくる廃墟の姿がおのずと視界を占領し始める。
それを目にしながら、本来の綺麗な校舎の姿を上に重ねて精神ダメージ軽減を試みていた。結論から言うとあまり効果はなかったんだがな。
で、校舎内部を見て早速、出鼻をくじかれたのであった。
「……まじか」
目的はハルナを連れて来ることから生き延びることへ変更となったのである。
昇降口から見たくないものが早速あるという展開に、俺の足は地面に根を張ってしまっていた。
血っていうのは、グロの代表格であると俺は考えている。
そうだろ? 違うだろうか。
しかも天井から染み出すように壁や床に流れている光景を目にしたら誰だって足がすくむさ。
それらはまだ新しく、俺が歩くと御叮嚀にぺたぺたと赤い足跡が残されるという演出つきである。
「うぐ……」
充満したその鉄のようであってかつ生臭いにおいに胃袋が締め付けられている。
が、それらがあるところを通っていかなければならないのである。
靴底の気持ち悪い感触をないものと考え、今にも暴れそうな胃袋を抑えながら歩いていく。
「ハルナはどこにいるんだ?」
ハルナがどこに居るのか、ハルヒは言っていなかった。
本人にも分からないのだろうか。だが、ハルナがこの校舎で来たことがある場所は最初に会った部室と朝倉と対峙した教室だけだからそのどちらかと考えていいだろう。
どっちから先に行こうか、あんまり長い時間こんな場所を歩き回りたくはないからな。早くこっから出ないと胃が持ちそうにない。
まずは教室へ向かうことにした。
「しかし気持ち悪いな」
どこもかしこも真っ赤っかである。いくら見てもこればかりは慣れないし慣れたくない。
空気が湿っていて(乾いていない血の池のせいである)蒸し暑い。
滴る汗は乾くことなく服に染み込み、不快感をもたらす。
「ハルナー、かくれんぼは止めて出て来ーい」
ずっと黙ってこんなところを冒険なんてしていたら気が狂ってしまいそうなので独り言を連発していた。
その時、突然チャイムが鳴った。
「なっ!?」
突然の大音量に驚いてしまい、血でベタベタであることも忘れて壁に背中をくっつけて周囲を警戒していた。
待ち構えていたが後ろからも前からも何かが迫ってくるなんてことはなかった。
反響していたチャイムの音も次第に消え、また静かになった。だめだ、無音は落ち着かない。
「しまった、背中が……ああやっちまった」
そして今更自分の行動を悔やむのである。
ベタベタになってしまった背中のことは諦め、壁から離れて360度見回したが、今のところ特に変化は見られない。
「何の合図だったんだ?」
頭上からパラパラと粉が降ってきた。
「ん?」
見上げると、天井にひびが入っていた。
瞬く間にそのひびが壁に、床に拡散していった。まさか、倒壊するのか!?
「おいおいおいおいおいおい!」
がれきの下敷きになるなんて御免なので一刻も早く校舎から脱出すべく昇降口へ引き返した。
しばらく必死に走っていたのだが、不意に足を止めた。
「?」
いつまでたっても倒壊することはなかった。表面が崩れるだけで骨組はしっかり残っていたのだ。
表面のセメントやらリノリウムやら石膏ボードやらが剥がれ落ちて粒子となって消えていった。
どうやら倒壊するのではなく、ハルナの精神世界が本気を出し始めてしまったようであった。
「おいおい……」
床も壁も天井も、赤く錆びた金網になっていた。そして外はそれなりの明るさがあったにもかかわらず、その光は一切入ってこなくなって暗闇になった。
骨組みだけに等しいこの校舎に光が入ってこないとすれば、外が夜になったとしか考えられない。しかしそんなに瞬間的に太陽が沈むとは思えない。ここが別の空間になっていると考えるのが妥当だろうか。
暗闇に浮かぶその金網の廊下は、とてもこの世のものとは思えぬ光景だった。
「こうなることを知ってたのかあいつは」
そう呟きながら懐中電灯に仕事をさせる。
「思ったより明るいな」
その光を壁や天井にあててみる。古い電球だからか、遠くまで照らすことが出来ないが、この真っ暗闇では貴重な明かりであることに変わりはない。
この金網がところどころ赤いのは錆かと思っていたたが、ずっと消える事のない生臭さからすると錆だけではないらしい。
立ち止っていてもこの景色が変わることはないので、再び歩き出した。こういうのは最初の一歩に勇気が要るんだよな。
一歩踏み出すごとに金網がかしゃかしゃと音を立てる。
こんなおぞましい空間でも辺りを見回してしまうのは、辺りを警戒しているからか、それとも怖いもの見たさというものなのだろうか。
俺が見た感じでは、現在のこの校舎を構成するパーツの9割が金属という状態で、残りの1割はひび割れながらも残っている窓ガラスくらいだ。
壁も勿論金網なので教室の中が丸見えになっていた。
机や椅子は整列されたままだったり、山のように一か所に積み重なっていたり教室によってばらばらであった。
別にそんな変化があったところで何の面白さもないのし、いちいち止まって観察している暇はないので止まることなく進んでいく。
「……気味が悪い」
独り言を繰り返しながら、気味が悪いとしか言いようがない廊下を進んでいた。
どれくらい歩いたころだったか、昨日と同じような激しいノイズが突如として俺の視界を奪った。
「な……、またかよっ!」
やはり耳を塞いでも意味はない。
眩しい、というよりは視界が真っ白になって
「おいおい、またここかよ……」
見覚えのある荒野に立っていた。昨日のあれだ。
「ハルナー、ここにいるのかー……?」
もう一度ノイズが起こり、荒野に何かが現れた。
それが俺を震撼させた。
今までとは全く違うベクトルの恐怖だった。
今俺がいるのは、事件の後、つまり崩壊した世界なのだろう。
その判断材料は、荒野に一人ぽつんと立っているハルヒである。
空をぼんやりとみているハルヒは、その細い身体に何もまとっていなかった。
だがそれを見たところで、恐怖以外何も感じないのは自分でも不思議であった。
俺の意識はその横にある遺体に向いていた。
誰のだろうか。骨だけになっていて誰か判断出来るような状態ではなかった。
血の池に横たわるそれの端にわずかに制服の生地が見える。
そしてまた一瞬真っ白になった次には、ハルヒに近づいていた。
距離は大体10メートルくらいだろう。それでもまだ俺には気づいていないようだ。
血の池が複数、ハルヒの周りに現れていた。
合計……四つ。
一つだけ、他とは違って身体がちゃんとした形で残っている(ただしあらぬ箇所であらぬ方向に折れ曲がっていた)のがあった。
古泉だ。間違いない。
つまり、他の原形をとどめていない三人は長門と朝比奈さんと、俺だ。
いったいどんなことが起これば、あんな骨だけ残してみんな吹っ飛んだような死に方をするんだ。
そう考えていた時だった。
ハルヒがこちらに気付き、歩いてきた。
「おいおい、ちょっとまて……」
俺の言葉は聞き入れられず、ハルヒはどんどん近付いてくる。
逃げ出したかったが一歩どころか数ミリも自分の意思で動くことができなくなっていた。
足が震えている。立っているのがやっとである。
これは幻覚だ、悪い冗談なんだ。そうだろ?
そう言ってくれ。まだ間に合うから、な?
だがそううまくはいってくれないらしい。
「おい……」
ハルヒは泣いていた。
そうだ、ちょろっと舌を出して「冗談に決まってるでしょバーカ」とでも言ってくれればいいんだ。
なのに、目の前にいるハルヒの口は、こう動いた。
『ごめんね』
「ウソだろ、俺は絶対に信じないからな……」
信じないではなく、信じたくないと言った方が適切だったな。
元の金網地獄に戻された後も、俺はそんなことを言い続けていた。
「見ちゃったのね」
驚いて振り返ると、黒が立っていた。いつからいたのだろうか。
なんで俺一人に任せておいて今更現れるんだよ、という突っ込みをする前に尋ねた。
「あれが、俺の死に方か」
「そうよ」
えらく簡単に答えた。
「みんな、死んだのか」
「そうよ、みんな殺されたの」
その軽い受け答えに、苛立ちを覚えていた。
「もうちょっとマシな言い方ってのは出来ないのか?」
「まあまあ、そう怒らないの」
黒はそう言うと表情を引き締めた。
「ちょっとだけ教えてあげる、世界が崩壊した後のこと。彼女には内緒ってことで」
「崩壊した後っていうと、ハルヒとハルナが自分の能力を少しずつ浄化してたっていう時のか」
「そうね、だけどその前にひと騒ぎあったのよ。崩壊直後、彼女は『神』を生み出してその強大な邪悪な力でもって無理やり世界をリセットしようとしたの」
神を生み出す……か。何か想像しにくいな。
「その『神』の生贄にしようとして別の世界のアンタを閉じ込めたんだけど逆に自分が殺されて失敗、そこでようやく正気を取り戻して自分の闇を自浄することにしたっていうことがあったのよ」
闇を浄化したって言ってたけど、その前にそんなことをしてたのか。
あいつ、異世界までも巻き込んでたなんてな、そこまで広い範囲に影響があったとは。
「生憎だけどそれについて詳細は話したくないわ、あまりに残酷だったから。でも彼は無事だから安心して」
「その『俺』がどんな目にあったかについて、俺が知りたいと言ったらどうする?」
「かなりのトラウマになるからお勧めしないわ。それにあたしだってあんなの二度と……」
突如として懐中電灯が消えて真っ暗になった。
「あらら」
「え? ちょっとまて……」
いくら手探りでスイッチをいじったり電池を確認しても無駄であった。強制的にアイテムを使用できなくするイベントでも発生したようである。
「これって……非常にやばいんじゃ……ないのか?」
「まあ、これが安全とは言えないわね」
「何が起こるか分かってるんだな」
「だいだいね。出来るだけのことはするけど」
どうやら黒が護衛をしてくれるそうだ、何が起こるのか不安ではあるがそれは頼もしい。
遠方の金網がかしゃかしゃと音を立てている。何かが走ってくるような音だ。
次第にそれは大きくなり、がしゃがしゃがしゃと金網を振動させていた。
「来たわね……アンタは動かないで」
「何が来たんだ?」
「異形、あたしたちはそう呼んでる。気持ち悪ーい姿をした恨みの集合体よ」
金網の音からすると、走っているように聞こえる。何も見えないような暗闇でそんな積極的に襲って来るなよ……。
「動かないで!」
次の瞬間、手が届きそうな程に近い距離で何かの呻き声がした。そして何か温かいものが顔にかかった。
言うまでもなく悲鳴が漏れ、それを必死で拭き取ろうとしていた。
「お願いだからじっとしてて!」
そう怒鳴られたが、この状況で一切抵抗せず大人しくしろなんて無理言うんじゃない出来るわけがない早く何とかしてくれおかしくなっちまいそうだ。
「今やってるわよ!!」
何かが俺の腕を掴んだ。それはすぐに離れたが、心臓が握り潰されたような思いがした。
いっそのこと、そのまま卒倒してしまいたかった。
「しつこいわね……!」
黒は異形の相手をしているようだが、数が多いらしい。
手首を掴まれた。勿論俺は絶叫して振り払おうと必死になっていた。
「離さないで!」
「い、今掴んでるのはお前か……?」
パニック寸前だったので気付かなかったが、俺の手首を掴んでいるその手は先ほど掴んできた異形の手とは感触がまるで違っていた。
「そう、だからじっとしてて。今から始末するから動かないで」
風とは違う、なにか波のようなものを感じた。
それと同時に水の入ったバケツをひっくり返したようなばしゃっという音がして、呻き声がぱったりと止んだ。
危機が去り、すっかり静まり返っていた。聞こえるのは乱れたままの自分の呼吸だけだった。
黒は掴んでいた俺の手首を放した。そこでようやく恐怖から解放された俺は大きくため息をついた。
「た、助かったのか。何をしたんだ?」
「破壊、それ以外に言いようがないわ」
黒はそれだけ言うと黙った。
どうやら戦闘イベントをクリアしたらしい。
その合図のように、懐中電灯がいきなり復旧した。
再び点灯した明かりは、足元に骨だけになった死体が5つ6つ転がっていたのをはっきりと照らしていた。
一安心して油断していた俺は、それを目の当たりにして言うまでもなく絶叫(二回目)していた。
「ぅぉあああああああああああっ!!」
「骨だけ……ってこれは」
「今日のアンタ、やけに冴え過ぎじゃない?」
「残念ながらそのようだ」
「アンタの推測通りよ。さっきのは過去のアンタが殺されたのと方法は変わらない」
「だから使いたくなかったのよこんなの……」
小さな声でそう呟いていた。今までのはっきりした物言いからすればえらく弱気な発言であった。
「なあ、もう危機は去ったわけだし、進んでもいいよな」
歩くことにさえ同意を求めるほどに恐怖で動けなくなっていた。
「まだ待って」
「えぇぇ、まだ来るのかよ……」
がりがりと金網を削る音がしている。またしても異形らしきものが近付いてきているわけだが、黒の表情を見る限りさっきとは事情が違うらしい。
「ああ、もう最悪。アンタは逃げて」
黒が頭を抱えてそう言う。
「いいのか?」
「アイツは無差別に攻撃するからあたしにもなかなか手に負えないのよね」
さっき物凄い勢いで来た異形とは違う。足音がゆっくりであることからして相当な自信でもあるのだろうか。
恐らく現れるのはボスクラスの奴だ。
「お前も一緒に逃げたらだめなのか?」
「ダメ。アイツはしつこいからここで足止めしないとアンタが危険なの」
やがて暗闇から姿を現したのは……、俺?
「姿はね。性格は似ても似つかないけど」
俺そっくりの何かが持っていたのは錆びたツルハシだった。それが金網を削って音を立てていた。
「ハルナは部室にいるはずだからそこに行って。あの子と一緒にいればこいつは絶対に襲ってこないから」
「本当にいいのか?」
「早く行きなs」
次の瞬間、ツルハシが黒の頭を襲った。
見てなかったことにしていいよな。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
本日最高のデシベル数を記録するほどの声で絶叫して逃げた。
リアルに死の恐怖が目の前およそ数十センチまで迫っていた。
それから逃れるために、先ほどの恐怖で疲労しきっていたはずの身体で全速力で走っていた。
ひたすら部室を目指して走った。途中に居る異形にいちいち反応している暇などなかった。それらを蹴飛ばし踏みつけ、猪の如く真っすぐに走り続けた。
部室の扉が見えてきた。
「もう少し……!」
いつものハルヒに負けず劣らずの勢いで扉を開けて部室に駆け込む。
と同時に景色が変わっていた。
「はー、はー……。またどっかに飛ばされた、のか……?」
俺は荒れ果てた街の中にある、荒れ果てた公園にいた。
振り向くとそこには半開きの扉だけが立っていた。この空間自体が変化しているようである。ならばあのツルハシからは完全に逃れられたわけだ。
だがまだ安心は出来ない。
俺は深呼吸をして呼吸を整えた。ここからがようやく本題なのである。
錆びたブランコにあいつが座っている。
それが揺れる度に、鎖がキイキイと悲鳴のような音を立ててきしんでいた。
後ろ姿を見ただけで身の毛がよだつとは思わなかったな。長い黒髪、血で染めたのではないかという赤色のワンピースを着た少女、ハルナだ。
俺はゆっくりと前進した。その後ろ姿が大きくなっていく。
「ハルナ」
「キョン……さん?」
俺の呼びかけに反応してハルナが振り返った瞬間、眩しい光が押し寄せた。
気付くと、いつも見ている部室に戻っていた。あの錆びくさい金網地獄ではない、清潔感が漂っていた。それがハルナの血の色の服を更に目立たせていた。
ハルナはブランコではなく団長席に座っていた。
「『さん』はいらん。さっさとここから出ようぜ」
そう言って俺は手を差し出したがハルナはうつ向いたまま動かない。
「どうした、帰らないのか?」
「帰りたいです、でも……」
綺麗だった壁に、黒いカビのようなものが発生していた。それがざわざわという音を立ててどんどん広がっていく。
「私はみんなに迷惑ばかりで……」
どうやらハルナがローテンションになるとこの世界も暗くなっていくらしい。
更にハルナに近付く。ノイズが増え、段々目がぼやけてきた。
「子供はとっくに寝てる時間だぞ」
「でも……」
参ったな、目の奥が焼けそうに痛い。その激しい痛みで倒れてしまいそうなので、パイプ椅子を引っ張ってきてそれに座り、ハルナと対面した。
「事情なんか知らん。お前はまだ子供なんだから早く寝なさい」
「私は……」
痛みに苦しんでいる様子を見せないように必死であったが、恐らくバレていただろう。
「お前が常識外れの力を持ってるとかそんなの関係ない、ただの子供だ」
「ただの……?」
「何か悪いこと言ったか? 要するにへぐぉ!」
座っていたパイプ椅子が腐食していたらしく、突如として俺の体重に耐えられずに折れてしまった。
「いてぇ……」
折れた金属に触れてケガをするのは回避できたらしいが、床に尻を強打していたので悶えるには充分な痛みであった。
「……………っ」
それを見たハルナが笑っている。大きく肩を揺らして、それでも声は出すまいと涙目になりながらも必死に堪えていた。
いつの間にか、ひどい頭痛はなくなっていた。ハルナが笑っているからだろう。
これを好機と考え、俺は行動に出た。
「行くぞ」
俺はまだ肩を揺すっているハルナを持ち上げた。
「わ、あ、たたたた」
「何言ってんだ?」
いきなり『高い高い』をされて焦っているのか、足をばたつかせている。
しばらくそのままでいると抵抗を止めた。手足はだらんとしたままこちらを見ている。
このままでは俺の中の良からぬものがどうにかなってしまいそうなのでそのまま抱っこした。
「あの……」
「寝ろ」
「……」
俺はそのまま扉を開けた。相変わらず壁や床は汚いままであったが、あの金網地獄に比べればもう焦るようなものではない。ちょっと怖いけどな。
抱っこをして廊下を歩いている間、ハルナは何も言わなかった。
「なぁハルナ」
「……」
返事が無い代わりに、周期的な呼吸の音が聞こえる。どうやら寝てしまったようだ。
その証拠だろうか、カビは熱したフライパンにのせられたバターのようにとけて透明になり、無機質なセメントやペンキの壁へと戻っていった。
相変わらず静かではあるが、もうこれはただの静けさに過ぎない。
もう終わったも同然だ。だが遠足のように帰るまで注意を怠らないことが大切なんだぜ。
「は……?」
正面にツルハシを持ったアイツが立っていた。
が、ツルハシが手から離れて床に落ちた。かと思うとそのまま倒れてしまった。
静まり返る廊下。俺にどうしろというんだこの状況は。
校舎から出るには廊下のど真中で倒れたこいつの脇を通っていかなければならないのである。
避けられないのならば……、ゆっくりと足音を立てずに歩いていく。
「起きるなよー……」
後もう一歩d
お前さ、それ、狙ってただろ、絶対。
見事に足首を掴まれた。
(どぅぉあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ………………!!!)
脳内ではハルナを起こさないことが第一に優先されたらしく、俺は心の中で絶叫した。
身体を電流が走った。痙攣に等しいようなとんでもない動きでその手を蹴り飛ばすと簡単に離れた。
数歩後ずさってしばらく様子を見ていたが、動く気配がなかった。
その後俺は逃げるように廊下を駆けて行った。情けないとかいう奴がいたら体験してみろ。
てなわけで、ホラーゲームの主人公のようにカッコよく帰還するなんてことは到底出来ず、ゼーハ―言いながらよろよろと情けない状態でハルヒの元へと何とか無事に帰って来たのである。
昇降口にを出ると、そこにハルヒが待っていた。
「大丈夫だった?」
「ああ、何度か脅かされたがな」
それを聞いたハルヒは、やっぱりといった表情でため息をした。
「でしょうね……、アンタは鈍感だったから助かったのよ」
「どういう意味だ」
「ったく、これだからこのバカは」
いちいち『バカ』にアクセントを付けないでいただきたい。
「事実だから仕方ないじゃないの」
これ以上言われると路上に捨てられた空き缶の如く凹んでしばらく立ち直れなくなってしまいそうなので、ハルヒのガトリングガントークを止めることにした。
「静かに、ハルナが寝てるんだよ」
「あれ、寝ちゃったのね」
ハルナの寝顔を見た途端、表情が柔らかくなる。俺がこうなるとたちまちロリコン呼ばわりなんだぜ。俺がダメなのか?
「急に浸食が止まったみたいだけど、ハルナが寝ちゃったから?」
「その通りのようだな。こいつが寝た途端に侵食とやらは止まった。まだまだ根本の解決には至っていないとしても、何か糸口は見つかったんじゃないか?」
相変わらず眠っているハルナをハルヒに預ける。ハルヒはその髪をなでていた。
「あたしがもっと力になればいいんだけどね、迷惑ばっかで」
「そのマイナス思考がいけないんだよ。ハルナも後ろ向きになっちまうからなあ、今までみたいにアグレッシブで猪突猛進で俺達を振り回るぐらいの勢いで行っちまえよ」
「振り回されたいってこと? アンタMなの?」
「さあ」
ここで白黒はっきり答えてしまうと今後のことに影響しかねないので茶を濁した。
「否定しなさいよ」
どうやらMということになってしまったらしい。不覚。
そうやって色々と(黒に教えてもらったことなどは言っていないが)話していると、足音が聞こえてきた。
まさかこんな時に異形がやってくるとは思っていなかったので焦っていたが、ハルヒの表情からしてそれは俺の判断ミスだったようである。
「ちょっと、大丈夫?」
そこには、ツルハシで滅多刺しにされたはずの黒の姿があった。
が、ハルヒが心配するほどにぼろぼろであった。
その足取りはおぼつかないもので、ここまでは何とか自力で歩いて来たようであったが、俺達の目の前まで来たところで倒れてしまった。
「お、おい、大丈夫なのか?」
「うー、心配いらないわ……。はぁー疲れた……あいつほぼ無敵なんだもの、参っちゃうわよ全く……」
あのツルハシ野郎との死闘で体力を消耗しきったらしい。
でも黒はあの時、思いっきり頭をツルハシで……ダメだ、思い出しただけで吐き気がしてきたので考えるのは中止。
しかしあのツルハシ野郎、俺の姿をして滅茶苦茶しやがって、名誉棄損で訴えたいくらいである。
地面に横たわる黒の腹部には、大きな穴が空いた跡が3つ縦に並んでいた。これもツルハシでやられたのだろうか。アイツはどんなにむごいことしてるんだよ。
「その傷、大丈夫なのか?」
「ああ、これ……?」
そこまで言うと、何も言わずにしばらくその傷跡を見つめていた。ツルハシで刺された時のことを思い出してしまったのだろうか、だとしたら俺は相当申し訳ないことそしている。
「………………………………」
「どうした、大丈夫か」
そう言ったとこで俺は頭を抱えそうになっていた。一体俺は何回『大丈夫か』と尋ねれば気が済むのだろうか。このボキャ貧めが。
「いえ、何でもないわ、まあこんなものよ」
そう言うと何事もなかったかのように立ち上がった。さっきまでのフラフラが嘘のようである。尋常じゃない回復の速さだ、長門にも負けす劣らずだな。こんなものって、ツルハシでメチャクチャにされたというのに。
「あんなくらい大したことないわ。あたしを舐めないで頂戴」
なんか物凄い怖い目つきでこっち見てくるんですが。目を見ただけで俺の動きを止めるには十分なくらいだ。
「すいません」
「じゃ、そろそろ戻りましょう」
「それもそうだが……、黒、お前はこれからどうするんだ」
すると黒は『何訊いてるの』とでも言いたそうな嘲笑を浮かべていた
「あたしは能力の化身だもの、現実世界に出ることはないわよ」
「出られないってことか」
「勘違いしないで頂戴。あたしにだってそれなりの役割があるのよ、ただ閉じ込められてる訳じゃあないんだからね」
そして再びあの目で睨まれるのである。
なんというか、本当に心臓に悪いほどに怖いのでその目つきだけは控えていただきたいです。
「じゃあね、二人共お幸せに」
それだけ言うと、俺達に背を向けて歩いて行ってしまった。
黒が去った後、ハルヒが俺の方を向いて言った。
「ありがと」
「んー……まぁ上手くいってよかった」
照れてんじゃねぇよ俺、もうちょっとしっかりしろ。
空がまるで巨大なドーム状の建物の天井であったかの様にひびが入っていく。
ようやくもろもろも恐怖から完全に解放されたので、改めて深く呼吸した。
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最終更新:2010年01月05日 17:50