引き続き、市内パトロール後半戦である。


「どこに行きましょうかね」
 俺と朝比奈さんはファーストフードを出た後、どこへともなく歩を進めている。はたから見ればじらしい男女カップルのはずであり、まさか夢世界の存在を探してさまよい歩いているとはそれこそ夢にも思わないだろう。


「そうですねえ。お買い物は午前中に古泉くんとしちゃいましたしねえ」


 古泉で思い出した。


「そういえば古泉は何か言ってましたかね。あいつに昨日生徒会室で見つけたメッセージのコピーを渡したんですけど」
「いろいろ訊かれましたよ。昨日の学校の様子とか、未来がどうなっているかについても。未来のほうは解りませんとしか答えられなかったけど。まだねじれが元に戻る気配がまったくなくて先が見渡せないんです」


 そりゃ、長門が戻ってこない限り時空間のねじれも収まることはないだろう。というより、戻ってもらっては困る。それはようするに長門がいない未来が俺たちの未来だと決定されちまったってことだからな。分岐の選択を誤ってはならん。


「パスワードのことは何か言ってましたか? 何か解ったとか」
「うん。どこかのパソコンやデータにかかってるロックをはずすためのものだろうって言ってましたけど」


 そんくらいは俺でも見当がつく。


「他に何か言ってなかったんですか? 具体的にどこのロックを解除するとか、どんな意味を持ってるのか、とか」
「ううん。それ以上は解りません、って古泉くんは言ってました。……でも、もしかしたら本当は解ってるのかもしれませんね」
「あー。……えーと、どういう意味ですか?」


 朝比奈さんの口からこぼれた一言に付け入ってみると、朝比奈さんはうつむき加減になった。


「あたしたち、というよりは未来人と超能力者っていう区切りで言ったほうがいいと思うんだけど、この二つの勢力は完全な同盟関係にあるわけじゃないんです。今もお互いの動きを見張ってて、ふとしたことから関係が激化することもありえるって感じ。だから、たとえTPDDが使えなくて未来とコンタクト不可能な状態のあたしでも、古泉くんの組織が不用意にそんな貴重な情報を渡してくれるとは思えないんです。あ、もちろん古泉くんに悪気はないんですよ。ただ、どうしてもそうなっちゃってるだけで」


 俺はいつだったか、朝比奈さんと古泉がお互いの考えを信用するなと言ってきたことを思い出していた。映画撮影のときだっただろうか。朝比奈さんや古泉が言っているのは、あくまで一つの考え方を言っているいるだけだとお互い非難し合っていた。
 あれからずいぶんと経ったものだが、未来人と超能力者はいまだに信用しきれる関係までにはいたっていないらしい。


「それじゃ、古泉は朝比奈さんに何も教えてくれなかったんですか? ちょっとしたことでも」
「そうなんだけど……でもキョンくん、誤解しないで下さいね。古泉くんが本当に何も解らないこともありえるから」


 さあどうだろうね。あの説明好き古泉なら、正答でなくとも可能性のある考えぐらいは提示してくれそうだが。

 皮肉なものだ。

 目を伏せている朝比奈さんを見たらよけいそんな思いに駆られた。
 朝比奈さんが、未来人という立場からではなく独立した存在として俺たちを助けたいと決意してくれているのに、古泉の組織はそれを信用してくれない。朝比奈さんはあくまで未来人の一端であるという考え方を捨てないのだ。よって、朝比奈さんは行動を起こしたくても起こせない状況にある。
 古泉を非難しなければならないだろう。
 そうでなければ、未来に影響されることなく自分の思うように行動したいと言ってくれた朝比奈さんがあまりにも報われん。愛らしいからとかそういう感情を抜きにしても、こんな哀しそうな表情をしている朝比奈さんを放っておけるやつはいないぜ。




「あれ、もしかしてキョンかい? これは、なんと珍しいこともあるものだね」


 俺は不意に背後から投げられたひょうきんな声によって現実回帰を果たした。


「ひゃっ……」


 横で驚いたような声を出して俺の腕にしがみついてくる朝比奈さんを感じながら振り向くと、そこには見覚えのある顔が三つ。


「お前ら――」


 ヒントを出すと、男一人で女二人だ。


「同じ市内に住んでいるのだからさほど珍しくはないかもしれないが、こうしてかつての同級生と街中で再会するという偶然は何ともロマンチックなものだとは思わないかい? それとも、キミにとっての僕というのはかつての同級生扱いしてくれるうちには入らないのかな」


 こういう喋り方をするのは、俺の知り合いには古泉以外ではあと一人くらいしかいない。  ただの昔の同級生だったはずが、今年の春になって妙な連中を引き連れ、ご丁寧に自分のプロフィールまで書き換えて俺の前に再登場したやつである。神様アンド九曜騒動以来ご無沙汰かと思っていたら、こんなときにひょっこりと現れてくれた。
 そしてその横に伴われているのは微笑を浮かべる女とふてくされたようなツラをする男であり、嫌なことに両方とも顔見知りである。男のほうはいつでも不機嫌オーラ全開のために第一印象も最悪に近いものだが、女のほうは気だてもよさそうだし顔とスタイルだけ見ればもう少し惹かれるものがあったかもしれんな。どっちにしろ俺はそうではない出会い方をしちまったもんだから、この誘拐女に魅力を感じるとか感じないとかいう予測がシロウトのトランプ占い以上に何の役にも立たないことは知れているのだが。

 わざわざ引っ張る必要もないか。答えを言っちまおう。

 そこには、ハルヒ的パワーを持つ佐々木、朝比奈さん誘拐犯の橘京子、いけ好かない未来人野郎の藤原が、三者三様の表情をして立っていたのだった。





「ごめんね佐々木さん、この人に会うように少しだけ時間と歩くルートを調整させてもらってたんです。偶然ではないの」
 

 驚くべきことに、最初に橘京子の口から発せられたのは俺に対するものではなく佐々木に対する謝罪の言葉だった。
 俺は不快感を隠すことなく橘京子に向かって、


「何の用だ」
「ふふ。用があることは確かなんですけどね。そうだな……あの川沿いの公園に行きましょうか。お互い訊きたいことはいろいろあるでしょうけど、お話しするのはそこで腰を落ち着けてからにしましょう」


 いいですよね、というふうに佐々木と未来人(男)に目を向ける。佐々木は無言でうなずき、未来人野郎はふんと鼻を鳴らした。最後に俺と朝比奈さんに目をやる。
 俺は朝比奈さんに確認を取って首肯させてから、


「こちとらハルヒと集まって街探索の途中なんだ。変に時間を使うようなこととか、そういうのはなしにしてくれ」
「大丈夫です。せいぜい事実確認とこちらの方針をお伝えする程度ですから。時間をそんなにいただくつもりはありません」


 そう言うなり橘京子は先頭切って歩き出し、佐々木も藤原も後に続いたため俺たちも歩き出すほかなかった。

 約一名、つまり周防九曜の姿が相手方に見えないのは仕様だろうと片づけることにした。
 おかげでより確信が強まったね。誰か――それも九曜か、あるいはそれにかなり近い存在がどこかで采配を振っているに違いない。そうでなければ九曜がこの場にいない理由がないのだ。そして、そいつは間違いなく長門を消した張本人だ。そいつは長門の敵、ひいてはSOS団の敵である。

 何となく頼りなかったので、いったんは古泉も呼ぼうかと思っていた。しかし考えればあいつは運がいいのか悪いのかハルヒと二人で不思議探索中であり、古泉を呼んだつもりがオプションとしてハルヒまでついてこられては文字通り話にならないので俺は一度出しかけた携帯を上着ポケットにしまいなおした。


「キョンくん、この人たちって」


 俺とともに隊列の最後尾を構成する朝比奈さんが小声で不安げに尋ねてくる。


「ええ、春の時の連中です。約一名姿が見えませんけど」
「大丈夫かなあ……」


 朝比奈さんが呟きともとれるほど小さな声で呟いた。俺は反応するべきかしばし考えてから、


「大丈夫だと思いますよ。相手も九曜がいないらしいですし、何の話もなしにいきなり危害を加えてくることはないでしょう。それに、いざとなったらこっちには古泉もハルヒもいるんですからね。何のことはない、あいつらを頼ればいいんです」


 朝比奈さんははっとしたような感じで顔を上げ哀愁とも怒りともつかぬ微妙な表情をしていたが、やがて「そうですね」と言って顔を伏せてしまった。あれ、何か悪いことを言っただろうか、俺。  





 休日であるために公園内の人口密度はそれなりに高かったが、いるのはせいぜい何も知らないガキとそれを引き連れる親だけであり、スパイやエージェントはおろか普通の高校生の姿もなかった。当然と言えば当然か。
 超能力者と未来人と一般人という取り合わせの俺たちは、なるべく人気のない公園の隅に寄り集まった。周りはほのぼのした雰囲気だが、俺たちの間に流れる空気はそんなに柔らかいものではない。


「えっと、どう切り出していいか解らないんだけど」


 口火を切った橘京子はそう前置きし、


「とりあえず謝っておきます。ごめんなさい。二月の誘拐未遂といい春とといい、いろいろ迷惑をかけました。怒りたい気持ちは解るけど少し我慢してくれませんか? 今のあたしに敵意はありませんから。けど、そちらの未来人さん、もしあたしたちといて気分が悪いようなら席をはずしてもらってもいいですよ」


 誘拐女の目線が朝比奈さんを捉えると朝比奈さんはびくっとした感じで俺の腕にすがってきた。しかし動くつもりはないらしく、そのままの姿勢で固まっている。
 橘京子はそれを見てこほんとわざとらしく咳払いした。


「涼宮ハルヒさんを監視している宇宙人、つまり長門有希さんのような存在ですね。彼女たちや他の宇宙人さんが、二日前の金曜日からこの世界にいなくなっているのは気づいてるよね?」


 そうでなかったら橘京子と話す義務など皆無である。プライベートで会おうと言われたら二秒だけ考えてから断るね。    


「そうですね。じゃあプライベートの誘いは控えるようにします。ふふ、ちょっと残念かしら」


 どうでもいい。俺に色目使ったって、せいぜい喫茶店代くらいしか出てこないぜ。


「ごめんなさい。では話を戻しますが、実は最近いなくなってしまったのは、あなたがたが情報統合思念体と呼んでいる存在のインターフェースだけではなかったの。見たら何となく解るかもしれないけど、こちらでも九曜さんがいなくなってるのです。どのくらい経つかしら、先週の休日に集まったときはもういなかったわよね?」
「そうだね。彼女のことだから超能力的な力を使って透明人間になっているだけかもしれないが、少なくとも僕の目はここ一週間彼女を捉えてないよ」


 佐々木の反応に、藤原も面倒くさそうに首肯した。


「単純に休日の集まりに参加してないだけとか、そういうことはないのか?」
「それはないな、キョン」


 俺の説を佐々木はあっさりと否定し、


「彼女はね、なんだかんだ言って休日に僕たちが集まるときには必ず来るのさ。僕たちを観察しているつもりなのか知らないが、何も喋らないからよけいに興味を惹かれるんだ。稀に来ないのは藤原さんぐらいなものさ」 
「僕には毎度毎度律儀に集まるほうの気が知れないね。僕は無意味に動くようなことはしないんだ」


 佐々木は苦笑して肩をすくめた。
 まあ、そうか。実は俺もそうじゃないかと思ってたんだが、ただ聞いてみただけさ。

 なるほど長門から聞いたエピソードそのままである。一週間ほど前に周防九曜が地球から出ていって、そのために天蓋領域の位置も特定できなくなっているという。日数的にも橘京子が言ったことと長門が教えてくれたことは一致している。

 俺は驚く代わりに疑問をぶつけた。


「それが、長門たちが消えたことに関係してるって言うんだな?」


 橘京子は言いにくそうにして、


「あまり考えたくはないですけど、その通りだと思います。偶然にしては都合がよすぎるもの。九曜さんが消えた後にすぐ長門さんたちが消えていますし、彼女たちが敵対関係にあることを考えても何か関係がある可能性は高いです」
「関係とかそんなんじゃなくて、単純に九曜が長門の目の届かないところから攻撃しようとしたとかいうことなんじゃないのか?」


 俺は古泉に話してやった論説を橘京子たちにもう一度説明してやった。
 九曜が突然姿を消したのは長門たちの目をくらますためであり、敵に自分たちがどこにいるかを解らなくさせておいてから不意打ちをしかけるためだった。事実、長門は天蓋領域の位置特定ができていないと言っていたしな。そんでもってその作戦は見事に成功し、敵の居場所が解らなくて防御できなかった長門たちは消し去られてしまったのだ。古泉によると九曜には肝心の存在を消す力はないらしいが、面倒な話になりそうなのでここでは披露しなかった。

 橘京子と佐々木は興味深そうに、藤原はつまらなさそうに、朝比奈さんは驚きを交えながら俺の話を聞いていた。


「と、いうのが俺の推理だ」


 俺が言葉を切ると、真っ先に佐々木が反応した。


「いやあ、すごいなキョン。キミにこんなにも事実を鋭く捉える力があったとはね。それだけの材料が集まっていたとはいえ、なかなかできるものじゃないよ。たぶんいい線を行っているんじゃないのかな?」
「あたしもそう思います」


 橘京子が続く。


「最初はもしかしたら二人とも宇宙にある強大な力に消し去られてしまったんじゃないかと思っていたんですけど、確かに不意打ちという解釈ができますね。そう言われてみるとそんな気がしてきます」


 お世辞だか本気で言っているのか知らんが、そんなのは時間の無駄だからいい。藤原が俺の話を聞く気がなさそうなのも無視だ。


「それで、お前らはどうするつもりなんだ。仮に俺の言った推理――九曜が長門やSOS団を攻撃しようとしているってのが正しいとしたら、お前らの組織はどう動くつもりなんだ。お前も九曜の仲間だから、やっぱり加勢してSOS団を攻撃するつもりなのか?」
「冗談じゃない」 


 ひねくれた声を出したのは橘京子ではなく藤原だった。この未来人野郎は眉間に皺を寄せて俺を睨みながら、


「これはあの広域帯宇宙存在の手前勝手な行動だ。独断もいいところさ。時空間をさんざんねじまげたあげく、僕の未来にまで手を出してやがる。規定事項も変数乱数の状態だし、TPDDによる時間移動もあらゆる時間修正も不可能。たぶんあんたの未来もそうだろう?」


 藤原は朝比奈さんに目をやった。


「えっ、は、そうです。TPDDは使えないし、分岐が時間平面上に大量発生してて未来が確定されてません」
「もしかしたら意図してやってるのかも知れないが、わざわざ僕の邪魔までしてくれた。この時間平面上の時空間をこじらせるのならともかく、僕の未来まで改変するような奴を手助けするつもりはないね」


 俺には少なからずザマミロという感情が芽生えていたが、藤原は卑屈に笑って続けた。


「ただし、それがなかったら僕の判断は違っていたかもしれない。ある意味では、これは目障りな組織どもを一掃するチャンスさ。あの宇宙人が消えれば涼宮の力はほぼ無防備に晒されることになる。九曜の連中をどうにかして総攻撃をかければ、僕の未来がその力を抽出することも、それを使って何かをすることも可能になるわけだ。あいにく、その未来が封じられてしまった今はどうしようもないが」


 とんでもない妄想語りだ。
 ハルヒの力を手に入れられるだと? ふざけるな。あいつは無機質の物体ではなく有機移動物体だし、その頭ん中と行動力にかけては常識をはるかに超越している。だからまともな手段でハルヒに近づこうったってハルヒは大規模な閉鎖空間でも作って知らせてくれるだろうし、力尽くでってんならSOS団サイドが黙ってないぜ。藤原には到底無理な話だ。九曜なら、あるいはできるかもしれんが。
 
 ん?
 待てよ。何だこの感覚は。
 ハルヒの力を手に入れて、それを使って何かをすることができる。ハルヒの情報改変能力。強大な力。九曜ならば……?
 
 ダメだ。解らん。
 一回押し寄せた波が退いていくように、一瞬だけ俺の頭に現れた感覚もすうっと醒めていった。
 
 はたして、俺たちの間には沈黙が訪れた。周りのガキと晴天の空の雲だけが動き続ける、嘘っぽいほどのどかで暖かい風景。
 俺が考え疲れて、気晴らしに缶コーヒーでも買ってこようかと自販機に向かって踏み出そうとしたとき、


「あたしたちのこれからの動きについてなんだけど」


 橘京子が沈黙を破った。仕方ないので俺も橘京子に向き直る。


「実は、あたしたちの組織も混乱しているのです。古泉さんのところもそうだと思うけど、こんな事態は想定外です。九曜さんが独断を強行するなんて考えてもみませんでした。それに、たぶん未来人さんにも予測は不可能だったんじゃないかしら。彼らの言う、規定事項じゃない、ってことでいいのかな?」
「そうなんですか朝比奈さん」


 朝比奈さんはうつむいたまま、


「そうです。今みたいに未来がたくさんできちゃってるってことは、規定外のことが起こったってことなんです。あたしが知らされてないんじゃなくて本質的に予測不能のことだと思います」
「未来からすればこれはノイズみたいなものさ。九曜がやったのか九曜の上の立場の奴がやったのか、どっちにしろ余計なチャチャを入れてくれたもんだ」


 藤原の声が付け足した。


「未来人にも解らない突発的なものなんですね。うん、ノイズって言うのが正しいかもしれないわ。誰にも予測ができなかったのだから相当無理やりな行動です。はっきり言うと、あたしの組織はこの事態を歓迎していません。誰にどんな影響を及ぼすのか、その結果世界がどうなるのかまったく解らないもの。下手をしたら涼宮ハルヒさんも佐々木さんも、それを取り巻く人間もすべてこれを招いた人――九曜さんの可能性が高いけど――の手中に収まってしまいます。それだけは回避しないといけません」


 しかし、回避するったってどうするつもりなんだ。九曜じゃなくても長門の類の宇宙人を一夜にして地球上から抹消できるような奴なら、橘京子の一派や『機関』だけでは太刀打ちできそうにない。ハルヒの不思議パワーを使えばどうにかなるかもしれんが操縦しようとしたところで暴発するのが関の山だな。それに、悪いが未来と接続を絶たれた状態では未来人がそれほどの役に立ってくれるとは思いがたい。って、一番何もできない俺が言うのもアレだが。

 俺が何か他の可能性を模索していると、この超能力娘が古泉見習いのような微笑を称えてさらりととんでもないことを口にした。




「場合によっては、あたしやあたしの組織はあなた方に加勢します」




 笑ってやろうかと思ったが冗談ではない雰囲気なので放棄して、次に俺は耳を疑い、耳も安泰らしいと解ると俺はいよいよ絶句した。
 橘京子の組織がSOS団の味方になる? 

 ありえん。

 SOS団には古泉もいるんだ。こいつの一派は古泉の組織とはどこまで行っても平行線で対立してるんじゃなかったのか。決して交わることはない、と古泉は言っていた。
 まさかとは思うが、そんな大組織がコロッと寝返りでもしたのか。だったらやめといたほうがいい。俺はとてもじゃないが昨日の敵を信用する気にはなれん。昨日の敵は往々にして今日もまた敵なのだ。いきなり友になったりするもんじゃない。眉唾モノの極みである。


「そう言われるとは解ってましたけどね」


 橘京子は微笑のまま表情を固定して眉一つ動かさない。


「でも言ってみるしかなかったんです。あたしだって間接的に古泉さんのところと手を組むのはあまり嬉しいことではありません。けれど、共通の敵となりうる存在が現れたからそれに対処するために仕方なくです。でも、嬉しいことじゃないけどそんなに悪いことでもないと思うな。あなたはあたしたちの力を借りるのをよく思ってないみたいだけど、これはあなたたちだけでどうにかなる問題ではありませんよ?」
「何だそりゃ。まるで何が起こってるのか知ってるみたいな口振りじゃねえか」
「ふふ。いろいろ調査させてもらってますから。でもあなたたちだけで対処できる問題じゃないってのは本当よ。想像してみて。古泉さんの組織やここにいる朝比奈みくるさん、あなたが全力を注いだとして、九曜さんやそれに類似する宇宙人にかなうと思いますか?」


 思わんね。残念なことに。戦国時代の馬に乗った将軍が何十人いたところで、現代の戦車一台に太刀打ちできないのと同じ理屈だ。情報改変なんて技を使いこなすような九曜に勝てるとは思わん。
 しかしな、こちらには涼宮ハルヒと名付けられた最終破滅兵器があることを忘れてもらっちゃ困るぜ。九曜よりももっとタチの悪い爆弾だ。


「忘れてたわけじゃないんだけどね。これは古泉さんも同意見だと思いますけど、外部からの圧迫から逃れるために涼宮ハルヒさんの力を使うのは危険極まりないことなのですよ。彼女の持つ力はあくまで最終手段、八方ふさがりで地球の人間の力だけではどうしようもならなくなったときにのみ、相当のリスクを背負って使わないといけません。あたしたちで何かできるのならそれをしないといけないのです。それがあたしの場合はあなた方と手を結ぶことだったという、ただそれだけです」


 どうでもいいが、ハルヒのことをまるで無機質の核兵器みたいに言うのはやめてもらいたい。あながち間違いでもないのがさらにイラつくわけだが、そんなふうに言われると俺の心証が悪くなるのでね。
 俺は超能力娘から聞き役に従事しているひねくれ野郎へと視点を移動させた。


「お前はどうなんだ。仲間の超能力者がこんなことを言ってるが、お前も同意見でSOS団に味方するつもりなのか?」
「さあね」


 藤原は今度こそ嫌気がさしたように鼻を鳴らすと、すっくと立ち上がった。


「帰らせてもらう。どちらにしろあの宇宙意識が抜けた以上、僕にとっての仲間などというのは何の意味も持たない概念でしかない。ついでに言うと、僕はこの件に関わるつもりはないから安心するといい。面倒事には巻き込まれたくないのでね。そのうちどこかの未来と通信経路が復旧するまで大人しく待っていることにするよ。せいぜい愛しの宇宙人探しをがんばるといいだろう」


 後ろから奇襲を仕掛けたくなるような口調で言ってのけ、藤原はこちらを振り返ることなくさっさと公園から出ていった。俺が少なからず疑念のようなものを抱いてその後ろ姿を見送っていると、


「彼は放っておきましょう」


 橘京子が珍しくも醒めた声で言った。  


「無理に首をつっこませる必要はありません。事態が悪化するのはお互い嫌ですからね」


 そのお互いってのはお前と誰を指して言ってるんだ。


「さあ、誰でもいいんじゃないかしら。……あっ、と。そろそろ時間が厳しくなってきましたね。佐々木さん、休日に時間をとらせてしまってごめんなさい」
「いや、僕は構わないよ。実に面白い会話だったからね。むしろ、たいしている意味もないのにこんなところに誘ってくれたお礼を述べたいくらいだ」


 俺にとってはずいぶん気分の悪い会話だったのだが。
 そんな俺の様子を察したのか、佐々木は困り顔になって言った。


「すまないねキョン、僕はキミに悪意を持っているわけじゃないんだ。逆に憧れはする。一般人の傍観者の立場から入って今まで、キミはどんな葛藤を背負って生きてきたのだろうか、とね。僕のような無理やり与えられた当事者の立場ではないってところが重要なんだ」
「…………」


 俺は答えなかった。というよりか、答えたくなかったのかもしれん。理由なら訊くな。何となくだ。


「ますます気分を悪くさせてしまったかな。重ねて申し訳ない。申し訳ないついでに忠告しておくと、そろそろ駅前に帰ったほうがいいんじゃないだろうか。涼宮さんが怒ったところはずいぶん怖そうだからね」
「ああ」


 俺は腕時計に目をやった。もう約束の四時が差し迫っている。俺は帰るキッカケを得たなと思って立ち上がると、


「じゃ、俺たちも帰らせてもらうぜ。ほら朝比奈さん行きましょう。少し急がないとやばいですね」
「あ、は、はい」


 ぼうっとしていた朝比奈さんは俺の声で我に返ったようになり、佐々木と橘京子に向かってちょこんと頭を下げると俺の後についてきた。


「じゃあな、佐々木。あとそっちの超能力者、妙なことだけはするなよ」
 俺は釘を刺すと、それとなく朝比奈さんの手を引いて小走りに川沿いの公園を出た。 






 指定された駅前に戻ると、二分待ったと言ってしかめ面をするハルヒ、そしてその横でどっかのホストクラブから間引いてきたような顔をして立っている古泉がいた。
 夏が近づき、それに比例して日も長くなっているために外はまだ真っ昼間の様相を呈していたが、他に行くところもないので今日はこれにて解散ということになった。


「明日も九時に駅前集合だからね!」


 というのがハルヒから俺に向けられた唯一の言葉であり、あとは朝比奈さんに近づいて栗色の髪をいじったりしている。いつものことさ。今日はその横に伴われて黙々と歩く少女が足りていないだけだ。


「あなたからお借りしたパスワードのことについてですが」


 俺がそんな女子部員二人を見るともなしに眺めていると、俺の隣を歩く男がささやいてきた。古泉は困り笑顔になって、


「すみません、解りかねます。まったくわけが解りません。どこのロックを解除するためにあるのか、そもそもすべての始まりとは何なのか、いろいろ考えてみましたが全然ダメですね」


 俺はそんな言葉を吐く古泉に軽薄な目線を寄せ、


「何か可能性のある考えとか仮説は?」
「いえ、そんなものを立てようにも皆目見当がつかないんです。ただ、どこかのロックを解除するためのものだとしか」


 ちっ。 
 と、俺は内心舌打ちした。昼間に朝比奈さんが解らないそうですと言ってきたのは本当に解らなかったのか。考えも仮説もなし。何だ、せっかく古泉に考えるチャンスをくれてやろうと思ったのにな。いや、俺がここで残念がっても仕方ないのだが。


「参りましたね。おそらく僕が考えていても到底解りそうにありませんから、今日にでも『機関』のメンバーに助力を頼むこととします。ご安心下さい、僕が信頼を置いている確かな人物にしか見せませんから。ですから、このコピーはそれまでお借りしていてもよろしいですよね?」
「別に構わん」


 しかし、ということは昼間のは朝比奈さんの思い違いだったのか。超能力者はそんなに未来人を避けているわけではなく、朝比奈さんが被害妄想を抱いていたということなのか?
 いや、もしかすると今回のは偶然だったのかもしれん。もし古泉が午前の時点で解答を得ていたとして、その答えを朝比奈さんに教えるという保証はないのだ。とするとやはり超能力者と未来人の間にあるわだかまりはもう解消されていると考えるのは早計か、ううむ。


「何か懸案があるようですね」


 どきりとするようなことを言いやがる。勘が鋭いというか、まさかお前には人の心を読む能力でもあるんじゃないのか。


「ありませんよ。時々あったらいいなとは思いますが、やはりないほうが楽しいに決まってますね」


 相変わらず微笑みを崩さない古泉に、俺は仕方なく朝比奈さんと話したことをうち明けた。 ようするに、超能力者と未来人はお互いを信用して助け合うほどの間柄ではないのではないか、と。重要な情報は相手には握られたくないのではないか、と。俺はついでに昼に朝比奈さんが唱えていた超能力者と未来人に関する説も話してやった。
 古泉は俺の話を興味深そうに聞いていたが、俺が一種の居心地の悪さを感じて言葉を切ると見事なまでに苦笑した。何だよお前は。


「それは考えすぎですよ。確かに我々超能力者と未来人との間には乗り越えられない壁もありますが、一方で共通理解が可能な部分も非常に多いです。それに、以前あなたにお話ししたように、朝比奈さんは護ってあげるべき愛らしい上級生ですからね。これは本心ですよ。あと誤解されないために釈明しておきますが、僕はパスワードについては本当に何も解りませんでした。先ほどあなたにお話しした通りです。それに朝比奈さんがそんなことを考えているなど思ってもみませんでした。まだまだ精進が足りませんね」


 古泉の様子に嘘をついている素振りは一切ない。もっとも、ここまで来てまだ嘘をついているようだったら俺は心底古泉を見損なわなければならないのだが、よかったな。


「つうことは、去年の映画撮影のときからお前の組織や朝比奈さん派の未来人は多少なり考えを変えたってことか?」
「どうしてです?」
「いやお前、映画撮影のときに朝比奈さんの言っていることを否定しやがるようなことを言ってたからな。朝比奈さんもまたお前を信じるなって言ってきたが」


 古泉はわざとらしく驚いたような顔をして、


「よく覚えてらっしゃるんですね。忘れかけていました。その通りです。我々の『機関』と未来人は今やお互いに歩み寄って、間にある溝を少しでも減らそうと努力しあっている状態にあるんですよ。それの発端というのが面白いことに、このSOS団に僕と朝比奈さんという超能力者と未来人がちょうど居合わせたからなんです。そのおかげでずいぶんと変わりましたよ。朝比奈さんも長門さんもあなたも、そしておそらく僕もね。一年前とは比較のしようがありません」


 そんなことは言うまでもない。
 朝比奈さんは昔も今も変わらず可愛らしいし、長門にいたってはちっぽけな感情のかけらのようなものを獲得することに成功している。俺はともかくとして古泉だって何か変わっているはずなのだ。こいつはただそれを表に出さないだけでな。
 それはいいがお前、肝心の誰かを忘れてないか?


「やはり気づきましたか。わざとですよ。彼女、涼宮さんについては深くお話しようかと思いましてね。SOS団の中で一番変わったのが彼女ではないでしょうか」


 変わった変わったうるさい奴だ。終わる前からそういうことは言うべきでないし、ましてや順位づけするなんてもってのほかだ。ハルヒと朝比奈さんと長門に失礼である。


「夏休みのことなんですがね」


 古泉はそう言い出した。


「このまま順調に行けば、もうすぐ夏休みがやって来ますね。無論長門さんのいない今が順調に行っているなどと不謹慎なことを言うつもりはありませんが、彼女が見つかろうが見つからなかろうが夏休みはやって来ますから。それで、今日の不思議探索で涼宮さんが合宿のことを話題にあげたものですから、僕は提案してみたんです。せっかくだから今回も殺人劇のようなものを用意いたしましょうか、とね」


 余計なことを言うな。


「安心して下さい、あなたが望むとおり彼女の返答は否定形でしたよ。つまり、殺人劇はいらないと言われたわけです。合宿中はSOS団のメンバーや鶴屋さん、あなたの妹さんと一緒に遊び倒すから劇も推理ゲームも今回はいらない、とね。驚きです」
「何がだ」
「涼宮さんが合宿の期間中だけでもファンタジーの世界から手を引こうとしていることに、ですよ。あなたも御存知の通り、彼女は三年前――もう四年前ですね――からずっと宇宙人や未来人、超能力者と邂逅を望んできました。あなたは詳しくは知らないでしょうが、それはもう、ずいぶんといろいろなものを犠牲にしてまで彼女はそういったものを追い続けてきたんですよ。だから僕がここにいる。しかし、今回彼女はそれを夏合宿の間は封印するという心意気でいるんです。考えてもみて下さい、なんだかんだ言って涼宮さんはどんなことでも謎的存在と絡めたがっていたでしょう? 本当は興味が薄れていたのかもしれませんが、表向きだけでも、彼女は今まで不思議を探索するということにしていたんです。それが今回はどうでしょうか。驚くべきことに、彼女は仲間と遊び倒すと言っているのです。つまり、今回の合宿の目的は不思議探しではありません。仲間と友好を深めることなんです。どうです、こんなことは初めてでしょう?」
「そんなことはないだろ」


 俺は反論した。
 ハルヒの行動の裏付けに全部謎探しが入っていると思ったら大間違いだ。ハルヒが今日不思議探しなんて称してやってるのは周りの人間から見ればただのヒマな高校生が遊び回っているようにしか見えないだろうし、事実そうである。今日の午前中に俺とハルヒはデパートに行ったが、あれは不思議を探すためなんかじゃないと今なら断言できるね。不思議を探すことなんかじゃなく、SOS団のメンバーとぶらぶらすることに意味があるんだ。そんなことは、俺たちの前で悩み事など一つもないような顔して朝比奈さんをいじってるあいつの顔を見ればすぐに解る。
 そこらへんで、俺は形容しがたいムズ痒い感覚に襲われて黙りこくった。
 古泉はその様子を見て軽く笑い、


「あなたも解っているのか解っていないのか、僕からすれば謎のような人間ですよ。ええ、そうです。どのくらい前からかは知りませんが、彼女は本気で宇宙人やその他の存在と巡り会いたいとは思わないようになってきているんですよ。しかし彼女はそれを決して肯定しようとはしなかった。その葛藤も、時として閉鎖空間になって現れるわけです。あくまで市内の不思議探しの目的は不思議探しのままですし、涼宮さんには何をするにあたっても不思議というのが大前提でした。しかしそれを今回、彼女はあっさりとくつがえしたんですよ。自分の意識にある、仲間と一緒に遊びたいという思いに対して肯定的になったんです。そして逆に、不思議との邂逅ということはだんだんと価値を失っている」


 別に悪いことじゃないだろうよ。ハルヒがそんな妙なことに気を取られないよう、まっとうな女子高生として生きてもらうのがお前らの目標じゃなかったのか。あいつがただの何の変哲もない人間になることを、お前らの組織は願ったんだろ。


「あなたはそれで割り切れるのですか」


 古泉が俺に真面目な顔を向けた。古泉にしては強引ではっきりした切り口に、俺は少し動揺した。


「このまま、勢いを失ったろうそくの火がぽっと消えてしまうように、彼女が不思議を探さなくなったりしたら。もしそうなったとしたら、彼女が望まない以上、僕や僕の仲間は涼宮さんに与えられた能力を失うでしょうね。《神人》ともお別れです。確かに、それがいいことなのは解っているんです。彼女の精神は安定して、彼女の周りにいるあなたのような人間も静かに過ごすことができますから。しかしね、もしそうなったときに、そんな表面の理性だけでは割り切れない、何とも言えない虚脱感がこみ上げてくるのを僕はリアルに想像できるんです」


 そんな未来予知が何の役に立つのか知らないが、俺もたぶんそうなるだろうことは容易に想像できた。あえて口には出さないが。

 そんなん、非日常の世界に未練が残らないほうがおかしいのだ。よほど恐ろしい世界であるのなら別として、俺はSOS団での日常をそれなりにエンジョイしているつもりだし、これからもそうするつもりだ。

 まあ、これから何が起こるのかは考えたくもないけどな。
  しかし何が起ころうと、それを俺の死ぬ直前になればあああれは楽しい思い出だったなあと思い返す自信はある。というより、そうなるように今の俺は努力しなければならんのだ。


「同感です」


 古泉が同調した。


「こんな終わり方は嫌だと思いながらも断ち切られることほど屈辱的なことも数少ないですからね。それが嫌だったら、今から後悔しないための努力をしなければならないでしょうね」


 そこで会話はとぎれ、俺と古泉はしばらくハルヒと朝比奈さんを観察する作業に徹した。
 俺がああこいつも変わったもんだなとか意識外で思っていると、再度古泉が口を開いた。
 少し現実的な話につなげますが、と前置きして、


「たとえば今の状況です。見えざる何者か、もう周防九曜と断定してしまってもいいと思いますが、その力によって僕の能力が奪われたり、ポジションを追われたりするのは耐え難いことですよ。少なくとも、僕にとってはね。季節フォルダの話ではありませんが、僕はこのSOS団そのものやその活動にそれなりの愛着を抱いているんです。自分の精神を分析するのはあまり好きではないのですが、おそらくここまで来たらという思いが強いのでしょう。察するに朝比奈さんや長門さんも同じですよ」


 外部の力に屈する気がないのは俺も同じである。何より、SOS団には心強い人材がたくさんついてくれている。ハルヒ、朝比奈さん(小)……は微妙だが、他にも古泉、鶴屋さん、『機関』のメンバー、そして共闘宣言をしてきた橘京子。これだけ人材が集まれば周防九曜にも対抗しうる力があるだろう。
 俺が橘京子について訊くと、古泉は簡単に答えた。


「橘京子が味方すると言ってきたことについては、既に上から連絡をもらっています。そんなに危惧すべきことでもないでしょう。周防九曜の攻撃の標的がSOS団だけにとどまらないことから、動機も読みやすいですしね。裏はありませんよ」


 なぜ解る。奴は朝比奈さん誘拐犯だぞ。


「その事実にばかりにやたら固執するのもいかがなものかと思いますが」


 軽い冗談だ。気にするな。


「じゃあ未来人はどうなんだ。あの藤原とかいう、朝比奈さんとは別の未来から来た奴だ。あいつは橘京子とは違う考えのようで、俺たちに加勢するつもりはないらしいぜ」
「それは彼の任務外だからです」


 古泉はあっさり答えを出した。


「本来、過去の争いに未来人が手を出す必要はありませんからね。まあ、彼の任務はその余計な手を出して過去を自分の未来にとって都合のいいように変えてしまうことなのですが。しかし今回の場合は彼に命令を出す未来自体がねじれてしまっていますから。未来が無数に存在するために、どれが規定の未来か解らなくなってしまっているわけですね。どれが自分の正しい未来なのか解らないのですから、したがって彼は未来からのいかなる命令に従う必要もないわけです。一種の開き直りでしょうかね。放っておいて、現れた未来をそのまま受け入れるつもりなんでしょう」


 そういえば長門も以前同じようなことを言っていた覚えがある。自分は観測者の位置でしかないから、ここの人間を助けるために手出しはしない、と。どうせ昔の話さ。 
 だがしかし、そう言われると朝比奈さんがこの状況を自分の未来に束縛されることがなくなって自由に行動できるようになったと捉えるのは素晴らしいことのように思えてくる。わざわざ自分で行動を起こす必要などないのに、朝比奈さんはSOS団の、過去の人間のために動く覚悟でいるわけだ。そう考えるとこっちが申し訳ないくらいに思えてくる。


「それが、SOS団に所属している未来人と、そうでない未来人の違いでしょうね。僕はそう考えます」


 古泉は達観したような口調でそう言い、晴れ晴れしたような顔で言った。


「SOS団にいれば誰しも変わってしまうものなんでしょう。下地がどんな人間だったとしてもね」   





 次の日曜日である。
 どうせ今日も俺が奢りになることは最初から決まり切っているのでハルヒを怒らせるくらい遅刻してやってもよかったのだが、こんな時に限って早く起きてしまう自分が恨めしい。妹は二日間連続で自分で起きた俺が病気にでもなってるんじゃないかと疑いをかける目で見てくるが、そんなもんは無視だ。シャミセンだってたまには運動するような素振りを見せるのと同じで、俺もたまにはそんなことがあるさ。
 結論から言うと、この日は本当に何にもなかった。あると言えば長門が消えた時点からあるのでそこの解釈は微妙だが、少なくとも再び佐々木連中と鉢合わせしたり、朝倉が蘇ってナイフを振りかざしたり、九曜が突如として俺の目の前に現れることもなかった。その代わり、長門が現れることもなかったが。

 古泉の論説はどうやら真実味を増してきたようだった。

 

 今日のハルヒは不思議探しという言葉を忘れてしまったかのように、朝比奈さん以下二名を引き連れて延々とウインドウショッピングに従事していた。朝比奈さんは買い物どころではないような心なしか青い顔をしていたように見えたが、その心情は理解できないこともない。
 また、古泉が途中で、


「涼宮さんは今、不思議探しではなくSOS団の団員といることを楽しんでいるのですよ」
 

 などと知ったような口を叩いてきたが、それは面倒なので流しておいた。そんなことはいちいち口に出して確認するもんじゃない。知らぬ間に、嫌でも自然に精神の中に植え付けられるものなのさ。
 
 昼食は適当に探した中華料理店で食った。ハルヒにおいしいからと言われるがままに注文したら、やたら赤い食い物が出てきやがり、夏も近いために運動もしていないのに大汗をかくはめになったが、それも含めて昨日や一昨日よりは羽を伸ばせた一日だった。
 
 もっとも、そんなもんを伸ばしている暇はない。進展がない場合、それは往々にして水面下で事態が進行しており、気付いたときには手遅れになっていたりする。ガンにしたって、末期で発見されるよりは水面下で進行している状態で見つかったほうが手がほどこせるし助かる可能性も高いだろう。それと同じだ。
 
 そう解っていたのに。

 俺も朝比奈さんも古泉も、油断することこそが最大の危険だと解っていながら、この日ばかりは何もすることがなかった。朝比奈さんは未来が封印されているし、古泉も閉鎖空間がなければ業務はない。俺にしたって、向こうからアクションがなければ俺から動くことはできない。誰かに文句をつけられたとして、そんな謂われはないと言い返す自信はある。
 しかし、この時ばかりは何か少しでもできることをしておくべきだったと悔やまれてならんのだ。何もできなくても、せめて心持ちをしっかりしておくぐらいのことはしておくべきだったのだ。
 
 明けた月曜日、事態は急転した。


|