今、俺の目の前には、本日三杯目となる玄米茶の注がれた湯のみが置かれている。
 正確に言うならば。飲料として俺が今日摂取したものは、寝起きの麦茶二杯と、午前中の不思議探索で古泉に驕らせたコーヒー一本。加えて、ハーフタイムの昼食時に喫茶店で注文したアイスティー一杯。それらをすべて飲み干した上での、三杯目の玄米茶というのは、いささか腹に来るものが有る。もし出来るなら、どこかの砂漠で一滴の水を求めているどなたかに配って回ってやりたいくらいだ。
 
 「なあ、長門」
 
 俺は辟易しながらも湯飲みに口をつけ、俺の向かいに正座している、推定みずがめ座の宇宙人に向けて声をかける。
 
 「何」
 「見せたいものって、何なんだよ?」
 「……もう少し」
 
 もう少し。

 先ほどから俺は、幾度か同じ質問を長門に投げかけているのだが、還ってくる質問もまた、そのたびに同じ『もう少し』という漠然としたものであり、我慢強い事に関してはそれなりに自信のある俺としても、いささかうんざりしつつあった。
 
 「時間が関係有るのか?」
 
 そう訊ねながら、俺は携帯電話を開く。
 時刻は午後一時五十七分。土曜日の不思議探索の午後の部が始まって、そろそろ一時間と言ったところか。個人的に、一月の寒空の下を目的も無く練り歩くよりは、こうして長門の家で団欒をしているほうが、楽では有るのだが……特に心配は必要ないとは思うのだが、万が一ハルヒにばれたときに、でかいカミナリを落とされそうだ。
 
 「時間は関係ない」
 「なら、何がもう少しなんだ?」
 「心の準備」
 
 心の準備?
 それはまた、長門さんの口から飛び出す言葉としては、かなり予想外の域に入る。
 健康な成年男子としては、なんというか、宇宙人とはいえ、見目麗しい少女と二人きりの室内で、心の準備などと申されると、抗おうにもこう、不埒な想像をしてしまってならないのだが。
 
 「……ん」
 
 勝手な葛藤を始める俺をよそに、長門はなにやら決心をしたらしく、小さな声でそう呟いた後に、すっくと立ち上がり、部屋の片隅へと歩いて行った。
 そこに有るのは……かつて、俺や朝比奈さんが、永い眠りに着いたこともある。
 長門家の一角に門を構える、通称、眠り部屋。まあ、これはたった今、俺が思いつきでつけた名前なのだが。
 長門はその眠り部屋の襖に手を掛け、もう一方の手で、俺にこちらに来るようにと、ちょいちょいと合図をした。
 それに従い、ちゃぶ台から腰を上げ、襖の前へと歩いて行く。
 
 「……また、何か、時空を越えたものでも出てくるのか?」
 「違う。この部屋は、今はただの寝室でしかない」
 
 俺の問いかけに短く答えた後
 
 「……見て」
 
 そう言いながら、長門は小さく音を立てながら、閉ざされていた襖をそっと開いた。
 畳張りの和室。その中心に、これまたいかにも和風な寝具一式が敷かれている。
 布団の中心が盛り上がっているところを見ると、誰かがその中で眠りについているらしい。
 
 「……これは、どなたさんだ?」
 
 長門は俺の質問には答えず、変わりに、ぺたぺたと布団の脇へと歩み寄り、そして、敷布団をひといきに捲った。
 
 ……そこに横たわる人物を目にし……俺は第一声を発することが出来なかった。
 そいつは俺にとって、正直に言わせて貰えば、あまり、ほとんど、まったくもって良い思い出を伴わない人物なのだから。
 
 「……朝倉涼子」
 「いや、見れば分かる」
 
 見慣れた北高のセーラー服に身を包み、すやすやと寝息を立てているのは、俺に二度ナイフを向け、一度ナイフを突き刺した、あの黒髪のヒューマノイドインターフェース、朝倉涼子だった。
 
 「……なんでこいつがここにいるんだ?」
 「私が連れてきた。本来ならば、破棄される予定だった」
 「なんつーか……その、いや、大丈夫なのか? こいつ」
 「……朝倉涼子がとってきた、コレまでの異常行動は、すべて情報統合思念体急進派による意思操作によるものだった」
 
 長門はいつもの無表情のまま、いかにも気持ちよさそうに眠る朝倉の顔を見つめながら話した。
 
 「彼女は非常に有能なバックアップ。……私は、彼女を失うことは望まない」
 「……そんなに有能だったのか」
 「有能だった。しかし、今後、朝倉涼子は情報統合思念体の管理下から外される。
  ヒューマノイドインターフェースとしての一切の能力は失われてしまう…

  つまり、正確には、バックアップとしての役目は果たせない」
 「それでも……お前は、こいつにいて欲しかったのか」
 「そう」
 
 長門は朝倉の寝顔から視線を逸らし、俺の顔を見つめる。いつもの冷たい目。無表情。何も変わらないように見える。
 
 「プログラムは私が構成し、彼女はもう、情報統合思念体の管理下になくとも自立行動が可能になった。
  しかし……理由不明なエラーが発生し、彼女を起動することは出来ない。
  彼女は、眠り続けている。エラーの原因は完全に不明。プログラム上の異常は無いはず」
 
 長門は雨粒の結晶のような瞳で、俺を見つめている。
 ……えーと、それで。俺は一体、こいつを見せられて、どうしたらいいんだ?
 
 「……私と朝倉涼子にまつわる経緯を目にしてきた貴方なら、なぜ朝倉涼子が目覚めないのか、その原因がわかるかもしれない。そう思った。
  あるいは、貴方になら。彼女を目覚めさせることが出来るかもしれないと、思った」
 
 ……さすがに、そいつはちょっと俺を買いかぶりすぎじゃないだろうか?
 確かに俺は、朝倉と長門に関する出来事に、幾度か遭遇してきたが、そのうちの幾度か……というか、ほとんどすべてが、俺がこいつに襲われ、長門に助けられる……といった状況だったのだ。
 古泉のご高説のおかげで、若干のSF通になりつつある俺でも、この問題を解決に導くのは難しいように思われる。
 しかし、それ以前に……

 
 「……なんつーか、ぶしつけな質問で悪いんだが」
 「何」
 「どうしてお前はそうまでして……こいつに、目を覚まして欲しいんだ?」
 「朝倉涼子が」
 
 ……今、この瞬間。地球上で、とても珍しい現象の一つであろう現象が発生している。
 長門有希が、言葉に詰まっている。
 長門はほんの数秒の沈黙の後で……口を開いた。
 

 

 

 
 「朝倉涼子が、私と共に居たいと、願ってくれたから」
 

 

 

 

 「……そうなのか?」
 「そう」
 「……そうか」

 

  
 ……ああ、今の表情を見て、分かったよ、長門。
 やっぱりこいつは、俺に解決できる問題じゃない。
 お前とこいつのあいだには、俺の入る由などない……何か、大きなものが有るんだな。


 
 
 「……あー、長門。スマンがやっぱり、この問題は、俺に解決できるものじゃなさそうだ」

 「そう」
 「悪いな」
 「いい」
 「……でもな、長門。多分、いつかきっと……こいつは、目を覚ましてくれると、俺は思うぞ」
 「……本当?」
 「ああ。……お前と、こいつが、お互いにそう思ってるなら……きっとな」
 「……嘘ではない?」
 「ああ。地球人は嘘つかない」

 「そう」

 

 

 
 「……私には、夢がある」
 

 「そりゃ、どんな夢だ?」
 

 「涙を流してみたい」
 

 「……そうすると、どうなるんだ?」
 

 「私にも、理解できるかもしれない」
 

 「何をだ?」
 

 「彼女が私とともに居たいと願ってくれた、その理由を。」
 

 「そうか」
 

 「そう」
 
 
 
 

 

 

 

 
 END


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