「……ぇ……起き……さいよ……」

寝ぼけた頭の中に誰かの声が聞こえてくる。

「…んぁー…? …あと…5分だけ寝かせてくれ……昨夜遅かったんだ……」

「あたしだって遅かったわよ」

「…そーなのかー…夜更かしは…いかんぞー…」

「コ、コイツ…誰と勘違いしてるワケ!?」

…今日は妹がうるさいな……。なんだかキンキンした声で……


ってちょっと待て。妹は病院だろ。


「起きないと…」

誰かがベットの上に乗って来た。
ソイツは俺の耳元に、冷たい声でそっと呟く。


「死刑よ」


ハルヒ!?

「おま!? なんでここにっ!? って、ちょ、うわっ!!」


ドスッ


「…あんた、朝から何やってんの?」

俺はベッドからズリ落ちていた。
というか慌てすぎて転げ落ちた。

…腰が痛ぇ。

「ハルヒ!? お前、人の家で何やってるんだ!?」

見ればハルヒはキッチリと制服を着込み、いざ学校というスタイルだ。
ハルヒと、俺と、俺の部屋。
…なんだこのアンバランス加減は。

「何って、あんたを起こしてやったんじゃない。ありがたく思いなさい?」

「…朝から不法侵入とは将来盗賊にでもなるのか。末は忍者か」

いしのなかに いなきゃいいがな。

「不法侵入とは失礼ね。ちゃんと入れてもらったわよ」

「って誰に」

「あんたのお父さん。お母さんは妹ちゃんに付いて病院なんですって?」

………朝から頭が痛い。
俺は親父にどんな説明をすればいいというのだ。
というか親父も、こんな訳の分からないトンデモ娘を家に入れるな。

「…そもそも、お前、なんで俺の家の場所知ってるんだ」

「谷口に電話で聞いたのよ。あっさり教えてくれたわ」

ハルヒが自慢気に答える。
………頭の痛みが更にひどくなった。つか、激痛だ。
今日はなるべく谷口に会いたくない。
無理だろうが。

「勘弁…してくれ…」

俺は一瞬で海よりも深く、山よりも高く鬱った。

「で? 例のモノはドコ?」

俺が頭を抱えてベッドに突っ伏すも、ハルヒは容赦なく自分の意見を押し付けて来る。

誰かコイツに常識を教えるヤツは居なかったのか。
…いや、居たんだよな。きっと居たハズだ。
このままじゃいかんと何度もハルヒを更正させようとしたハズだ。
だが、残念ながらハルヒが全く聞こうとしなかった。そうだろ? そういう事だろ?
分かる、分かるぞ、その気持ち。今、正に俺がそんな気持ちだ。

「例のモノってなんだ…?」

「だから誕生日プレゼントに決まってるじゃない! あんた昨日のコトも忘れちゃったワケ?」

おい。
コイツは朝から自分へのプレゼントをせしめるために人の家まで乗り込んできたのか。
ゆうしゃだな。マジで。俺の家にちいさなメダルは隠して無いと思ったが。

「カバンの中だ。勝手に持ってけ…」

「ふーん。これね?」

ハルヒは机の上に置いてあった俺のカバンを手に取り、その中身をベッドにぶちまけた。

…俺は本気で友人を間違ったのかも知れん。
人の家に上がりこんで来たかと思ったら、人のベッドに人のカバンの中身ぶちまけてんですよ?
いや、ホントに。なんだこれ。おい。

「あったっ! これねっ?」

そーだろーさ、そーだろーさ。
お前は数Ⅰの教科書がプレゼントに欲しいのか。
いくらでもくれてやるぞ。なんなら世界史A 改訂版学習ノートもセットでプレゼントしよう。

「ふっふーん、どれどれー?」

ハルヒはアクセサリー屋の袋を乱暴に開けると、中から小さな箱を取り出す。

「なんか…ちっちゃいわね…」

お前は「したきりすずめ」なら間違いなく妖怪つづらを選ぶタイプだな。

「文句なら中身を見てから言ってくれ…」

俺の言葉にハルヒがそれを開けた。

「…へぇー…ペンダント、ね。いいじゃない、なかなか!」

ハルヒは中身を摘みあげると、それを日の光にかざした。
ペンダントトップが鈍い光沢を放つ。

「これ、誰の趣味? みくるちゃん? それとも鶴屋さん?」

俺が選んだとは思わんのか。

「俺が自ら選んでやったんだ。ありがたいと思え」

「キョンが? …ふーん」

俺の言葉を聞いたハルヒは、じっとペンダントを眺めていた。
反射した光がハルヒの顔を照らす。

って、いつの間にかカーテンも全開になってやがる。
コイツはホントにこれを受け取るためだけに来たのか?
いくら暴走特急・涼宮ハルヒと言えど、線路の無い所を走るのはどーかと思うぞ。

「…ねぇ、キョン。あんたこれ、付けなさいよ」

ハルヒは俺を見下ろすとそう言った。

「…自分で付ければいいだろ」

「これはあんたからのプレゼントでしょ? だったらあんたが付けるのが当然じゃない! それが贈る側の義務ってもんだわ!」

ハルヒの理屈は常に全く意味が分からん。
そうして。ハルヒがそういう訳の分からん理屈を振り回す時は、反論しても無駄という事を身をもって知っていた。
…やれやれ。

「…ほら、寄越せ」

俺は立ち上がり、ハルヒからペンダントを受け取る。

「ん。お願い」

首を少し前に傾けるハルヒ。
俺はペンダントのチェーンを外し、ハルヒの首に腕を回した。
…って、無駄に接近するな、これ。

…というかアレだ。
はたから見れば俺がハルヒを抱きしめてるように見えないか?

…無いか。無いな。



「…中々難しいな」

ハルヒに接近しすぎ無いようにすると、手元の感覚がよく分からなかった。
チェーン同士は触れ合っているのだが、噛み合わせがうまくいかない。

「あ、髪、邪魔?」

ハルヒが両手で髪をふわっと上げた。

「別に髪はそんなに邪魔って訳でも無いんだ…が…」

俺がふとハルヒを見やると、思った以上に接近していた。
ハルヒが上目遣いに俺を見ている。
自然とその唇に視線が行った。

…って俺は朝から何を考えているんだ。
集中だ、集中。

「ねぇ、キョン…」

「な、なんだ?」

「…あんた昔、あたしが髪上げてた時、似合ってるぞ、とか恥ずかしいコト言ってたわね」

「…言ったかも知れんな」

「…そ」

急に何を言い出してるんだコイツは。
髪を上げてたから、思い出したのか?

そうしてしばらくカチャカチャやっていたが、ようやくチェーンがはまった。

「…出来たぞ」

ふー…無駄に疲れた。
ハルヒは髪をサッと整えると、自分の胸のペンダントを持ち上げてニッと笑う。

「なかなかいいわね、気に入ったわ。あんたにしちゃやるじゃない」

そいつぁどーも。
それじゃあ用事も終わった事だし、さっさと出てってくれるかね。

「じゃ、さっさと着替えなさい」

なんですと。

「ハルヒ、単刀直入に言おう。帰ってくれ」

「なんでココまで来てわざわざ帰んなきゃなんないのよ。一緒に行けばいいじゃない。どーせ、あんただって学校行くんでしょ?」

そりゃそーだが。

「ほら、早く。後ろ向いててあげるから」

そういうとハルヒは後ろを向いた。
…本気だ。コイツは本気だ。
俺はしょうがなく制服に着替え……って、ねーよ。

「いいから、出て行け。家の前で待ってろ」

「ふん、分かったわよ。出てけばいいんでしょ、バカ」

ハルヒは素敵に意味不明な捨てゼリフを残すと俺の部屋から出て行った。
…さも、ここがお前の家かのような振る舞いだな。
つーか、アイツ、結局何しに来たんだ…。

俺は親父への言い訳を考えながら制服に着替えた。












「遅い。」

俺が玄関から出ると、ハルヒが相変わらず偉そうに腕を組んで待っていた。
…先に行ってりゃいいものを。

「知らん。いきなり人の家に押しかけといて遅いは無いだろ」

「待ってろって言ったのはあんたじゃない」

…それもそうだが。

「まぁ、いいわ。寛大なあたしは哀れなドンガメキョンを許してあげる」

俺はどうやら許されたらしい。
嬉しくって涙が出るね。マジで。


「…さっさと行くぞ」

「あ、ちょ、待ちなさいよっ! あんた自転車通学じゃ無かったの?」

「最近ぶっ壊れたんだよ。そのまま修理に出す余裕も無くてな」

「ふーん。…残念ね。今日はラク出来ると思ったのに」

おい。
お前を乗せてあの坂を登らせるつもりだったのか。
それは死ねって言ってるのと同義だぞ、ハルヒ。

昨日あれだけ雨だった空は。アホみたいに真っ青だった。












そうして俺達は学校への道を一緒に歩く。
…そういえば通学路をコイツと一緒に歩くのは、あの不機嫌真っ盛りだった時以来だな。

しかし隣のハルヒを見れば、あの時の不機嫌さが嘘のようにニコニコ、もといニヤニヤしていた。
何度も胸元からペンダントを取り出しては眺めている。

…なんか悪いもんでも食ったのか?


「ねぇ、キョン。こんなに天気がいいと手、繋ぎたくならない?」


………突然ハルヒが故障した。
というか、ハルヒは言ってるそばから俺の手を握っていた。

「…何の真似だ」

辺りにはすでに北高の生徒が何人か居る。
こんな所見られたら、どんなウワサ立てられるか分かったもんじゃないぞ。

「何よ、こんな可愛いコと手繋いで一緒に登校出来るのよ? ありがたいと思わないの?」

「可愛いとか可愛くないとか、
ありがたいとかありがたくないとかいう話じゃない。
ハルヒ、気をしっかり持て。」

「…ふん。つまんないヤツね」

ハルヒはそう呟くと俺の手を離した。
…その表情が寂しそうに見えたのは明らかに俺の勘違いだろう。勘違いなハズだ。
あのハルヒが寂しそうて。
笑えるどころか、むしろ笑いどころが分からん。
















そうしてようやく長い坂道を上り終え、校門に差し掛かった頃。辺りに陽気な声が響いた。

「おっ、キョン君、ハルにゃん、おっはよぅさーん!」

鶴屋さんだ。
パタパタと駆け寄って来る。

「鶴屋さん、おはようございます。…よくここで会いますね」

しかも毎度、ハルヒと一緒の時に。

「だんね、登校する時間が一緒なのかも。…そっれにしても、今日はご夫婦仲良く登校ですかなー?」

鶴屋さんが俺とハルヒを交互に見て、にっしっしと笑う。

「えーとですね、鶴屋さん。あまり不穏な発言は止めていただきた―――」

「ちょっと鶴屋さん聞いてくれるっ!?」

…えぇい、かぶってくるな、ハルヒよ。
というかお前は今の話を聞いて無かったのか。

「ぅおぅっ。きょ、今日のハルにゃんはめがっさ燃えてんね…」

確かに。今日のハルヒはやたら元気だ。無駄に。
鶴屋さんが軽く引いてるじゃないか。

「さっきコイツと手繋いであげたの。そしたら普通喜ぶでしょ? でもコイツったら嫌がったのよ? おかしいと思わない!?」

人を指差すな。
つか、お前は公道で何をホザいているんだ。
…えぇい、こっちをチラチラ見るな、学生ども。って俺もだが。



「ほっほーぅ…これは…来ましたなぁ」

「えぇ…来ましたね」

鶴屋さんの発言に呼応するように、突然真後ろから声が聞こえた。
かと思えば俺の肩に手が置かれる。

「って古泉!?」

驚いて振り向いたその先、そこにはいつもの爽やかスマイル古泉一樹が居た。

「皆さん、おはようございます」

「…お前、いつから居たんだ?」

「キョン君、ハルにゃん、おっはようさーんの辺りからですね」

ド頭からじゃねぇかよ。
つーか、お前がハルにゃん言うな。おぞましい。

「おっはよ。ねぇねぇ、古泉君もそう思うかい?」

「えぇ、そう思います」

鶴屋さんと古泉は頷き合うと、ニヤニヤとこちらを見てきた。
…二人してなんなんだ。その生あったかい視線は。

…1対2じゃ分が悪い。
助けを求めハルヒを見れば、ハルヒは手を顎に当て、しきりに何かを考えているようだった。

「おい、ハルヒ、お前も何か―――」

「キョンって…ゲイなのかしら…」

お前はお前で何をのたまわっているんだ。


…もー知らん。


俺は呆れ半分、やるせなさ半分で校舎に足を向けた。

「あっ、ちょっと待ちなさいよっ!」

ハルヒが追いかけてくる。


「春ですなぁ…」

「春ですねぇ…」

最後に見た鶴屋さんと古泉は、まだしみじみと頷き合っていた。
どう見ても秋です。ありがとうございました。













「キョ、キョンっ!」

昇降口に入った途端、俺を呼ぶ声が聞こえた。
…今度はお前か、谷口。
来るだろうとは思っていたが。

「お前、どういう事だっ?」

「妹なら無事だぞ。昨日メール返しただろ」

「いや、それは何よりだったが…それより、今朝の電話だっ!」

どうでもいいがツバ飛んでるんだが。
ハルヒといい、谷口といい、朝から元気な奴ばっかりだな。

「あ、谷口。今朝はご苦労だったわね」

そのハルヒが追い付き、昇降口に姿を現す。
ナチュラルに偉そうだ。

「す、涼宮…!」

谷口はハルヒの姿を確認すると、たたらを踏んだ。
…どうでもいいがビビりすぎだぞ、谷口。
もうすっかりハルヒ恐怖症だな。

「ちょ、ちょっとキョンを借りてくぞ…!?」

無駄にチカラ入りすぎだから。

「ん? いいけど、ちゃんと後で返しなさいよ?」

俺はいつからハルヒの所有物になったんだ?
いや、マジで。












「それで、どういう事だっ!?」

「質問の意図がさっぱりだ」

というか谷口、声がデカいぞ。
わざわざ人目の付かない場所に来ている意味が全く無いんじゃないか。

「あ、そうか…。…いや、だな。実は今朝、オレの携帯に涼宮から電話があって叩き起こされた」

だろうさ。だろうな。

「で、だ。お前の家への道順をこと細かく聞かれた。しかも朝5時にだ」

不憫な。

「これはどういう事だ? それに…見た感じ今日は涼宮と一緒に登校してきてるみたいに見えたが…」
先手谷口、中々鋭い観察眼。

「ハルヒとは、さっきそこで偶然会っただけだ」
後手俺、あっさり嘘。

「そ、そうか…」
先手谷口、あっさり騙される。

「まぁハルヒの奇行は今に始まった事じゃないだろ」
後手俺、一般論。

「言われてみればそうだな…」
先手谷口、ちょっと可哀想になってきた。

「そういう訳だ。授業中にでもたっぷり寝るんだな」
後手俺、教室行き王手。

「…ちょ、ちょっと待てキョン! 一つだけ聞かせろ!」
先手谷口、待った。

「何だ?」
後手俺、様子見。

「その…涼宮とは…ヤったのか?」
先手谷口、………埋めるぞ。

つか、

「埋めるぞ」
後手俺。埋める。



後日、谷口は地下11階にてオヤジ戦車にチクチクいじめられている所を助け出された。

嘘だが。











谷口との会話じゃないが、確かにその日のハルヒの奇行っぷりはハンパ無かった。
メシ時、休み時間、部活中と、何かと俺に寄って来て…なんというか。懐いている感じだ。

古泉は古泉で四六時中、俺とハルヒを生暖かい目で見てくる。
朝比奈さんは、そんなハルヒに驚きながらも新作である紅茶を淹れてくれた。ハルヒのカップだけやたら豪華なのは仕方なかろう。
長門は…いつもと変わらない。もしかしたら変わらないから長門なのかも知れん。

どうでもいいが、ハルヒ。
明日になったら故障は直ってるんだろうな?
頼むぞ、ガチで。超ガチで。






















Θ 10月9日、雲ひとつない晴天 Θ


今日は朝からキョンの家に出向いてみた。
寝起きのキョンは思ったとおりボケボケ。
あたしの事、誰と間違えてたのかしら。
…妹ちゃん?

そこでキョンから一日遅れのプレゼントをもらった。
シンプルなデザインのペンダント。

やっぱり、嬉しかった。
誰かに相談したのかと思ったけど、一人で考えたみたい。
かなり可愛かったし、一目で気に入ってしまった。
なによりキョンが選んだってトコが嬉しい。
あのバカにもセンスとかあったのね。意外だけど。

肌身離さず身に付ける事にしよう。
キョンが側に居てくれる気がするから。
今もあたしの胸元で揺れている。



でも、付けてもらった時、キョンのヤツ、明らかに照れてた。
ちょっと至近距離になっただけであんなに照れるなんて、やっぱりあたしのコト好きなんじゃない。

…あたしが髪を上げてた時、あたしの唇を見てた。
…キスのコト、思い出してたの?

…ポニーテール萌え、か。
そーね。明日はそうしてあげよう。



でも許せなかったのは、せっかくこのあたしが手を繋いでやったってのにイヤがったって事。
本当に信じらんないわ!

もしかして本当にゲイなの?
ううん、いいわ、例えゲイだって。
そんなのあたしが直してあげればいいんじゃない!

…ってゆーか、ちょっと待って。
…ゲイって不思議で面白いかも知れない!

あ、でも、キョンがゲイのままだとあたしと付き合うってのは無理なのよね…
難しい問題。

相手は…やっぱり古泉君?























ハルヒの故障は一過性のものだと思ったが、それはどうやら誤りだったらしい。
翌日になっても、その翌日になってもハルヒの故障は直らなかった。
何かあると俺に構い、無駄にテンションが高い。
最近ではよく髪を上げている。中途半端に。
…俺がポニーテール萌えだって言ったからか?
…まさかな。

周りも始めはハルヒの変わりっぷりにずいぶん戸惑っていたが、一週間もすれば慣れたらしい。
…俺は未だに慣れん事もあるが。

あのハルヒが、お弁当でも作って来てあげようか、とおっしゃったんだぜ?
毒入りか、さもなきゃ針でも入ってるのかと。

そうしてそのブッチギレっぷりは妹の病院。
その見舞いに皆で行った時、遺憾なく発揮された。
















ガラララッ


「やっほー、妹ちゃん、元気してる?」

「あー、ハルにゃん! みんなも来てくれたの?」

「………無事?」

「妹さん、ほんとに良かったですっ」

「お体の具合は如何ですか?」

今日は学校が終わった後、皆で妹の病院に見舞いに来ていた。

ハルヒが、
「今日の部活は市内の病院探索とします!」
と言い切ったからだ。
俺に気を遣ってくれたのかも知れん。
そもそも病院など探索した所で出てくるのは病人と怪我人と尿瓶くらいのものだ。
ハルヒが熱烈な尿瓶愛好家で無い限りは、やっぱり俺に気を遣ってくれたんだろうな。
…ハルヒもそんな気の遣い方が出来るんだなと驚いたのは内緒だが。





「ねぇねぇ、ハルにゃん」

「ん? なに?」

「この間はおたんじょうびおめでとっ。それと、あの時はありがとねっ!」

「…ヘ? こ、こちらこそありがとう…。…ってなんであたしがお礼言われてるワケ?」

なんてくだりもありつつ和気藹々と過ごしていたら、その内に看護婦さんが食事が持ってきてくれた。
病院の晩飯ってのはやたら早い。
それを受け取ると妹のベッドを起こし、机の上に広げてやる。
妹は渋々といった様子でそれを口に運んでいたが、すぐに箸を置いた。


「なんだ、もう食わないのか?」

「うん…、もういらな~い」

「こんなに残ってるじゃないか。ちゃんと食わないと体も治らないし、大きくなれないぞ?」

妹の経過は順調だった。
頭の包帯と、吊られた足はそのままだったが、日に日に元気を取り戻している。

「だってぇ~、あんまりおいしくないんだもん」

妹が口をヘの字に曲げダダをこねる。
…まぁ病院のメシはマズイのが一種ステータスだからな。

「それは分かるが。頑張って食え。な?」

「ふみゅ~…」


「…うふふっ」

食べさせようとする俺にダダる妹。
そんな俺達の様子に朝比奈さんが笑った。

「キョンくんはお兄ちゃん、ですねっ」

「…えぇ、そりゃまぁ。…これでも10年ほど経験がありまして」

凄い当たり前の事を、凄い微笑ましそうに言われたんだが。
…今、何かおかしかったか?

「う~…じゃあじゃあキョンくん。食べたら、わたしもみくるちゃんみたいになれる?」

「ふ、ふぇっ? わ、わたしみたいに?」

引き合いに出された朝比奈さんが驚く。
妹は明らかに朝比奈さんの胸を見ていた。
…コイツは。

「お前の質問がどういう意味か分からんが、可能性は残されていると言っておこう」

無くは無いよな。
そりゃ今は妹はペッタンコだが、もしかしたらもしかするかも知れん。
希望の芽を摘むのは俺の趣味じゃない。
というか妹の胸が朝比奈さんクラスになったらそれはそれで…

…って俺は何を考えているんだ。
ロリコンは病気です。
ついでに言えばシスコンも病気です。
コンプレックス、イクナイ。

「そーなの? う~ん。じゃあわたし、ちゃんとがんばって食べるねっ」

妹が再び食事を始める。
…あぁ、こぼれてる。こぼれてるから。

ふと病室を見渡せば、長門はいつのまにか病室の長椅子に陣取り、本を広げていた。
長門はどこでだろうと、いつ何時であろうと長門だな。
古泉は妹にせがまれベッドの側の丸椅子に腰掛けている。
…古泉に懐く辺り、妹の将来が多少心配だ。

「あの…、キョンくん。わたしみたいにってどういう意味なんですか?」

とは、朝比奈さんの言。
…どう答えたものか。

「いやぁ、朝比奈さんみたいに優しく豊かな女性になって欲しいという願望ですよ」

俺は嘘はついてないぞ。断じてついていない。
……言葉はちょびっとばかし足りてないかも知れんが。

「ひぇっ!? あ、ありがとうございますぅ…」

朝比奈さんが照れる。
顔を両手で押さえ、いやいやをするように体を揺らしていた。
やっぱりその質量も揺れた。
というか、腕で挟みこまれている状態なので更に強調されている。


プ、プリン・アラモードッ!





「…ねぇ、キョン」

それまでじっと俺達の様子を伺っていたハルヒが話し掛けて来た。

「何だ、ハルヒ」

最近ではハルヒに呼ばれるのもずいぶん慣れた。
くだらない雑用から、理不尽な要求、どうでもいい世間話、全てガシガシ俺に押し付けてくる。
さすがにジュース買って来いという旨を、校内放送まで使って連絡された時には消えてしまいたいと思ったが。

「あんたさ」

「だから何だと言うに」

ハルヒが長門の手を掴んだ。
長門は「何?」と言った表情でハルヒを見上げていたが、ハルヒが立たせようとしているのが分かったのか、本を閉じ、おとなしく立ち上がる。
そうしてハルヒは長門と朝比奈さんを並べると、二人の肩にパシッと手を置いて言った。


「有希とみくるちゃん、どっちが好き?」


「バッ! お、お前! 急に何を言ってやがるっ!?」

「す、涼宮さんっ!?」

「………」


なんなんだコイツは急に。
ちょっとおとなしかったと思ったら突然これか。
付いていけん。
…付いていきたいと思った事も無いが。

「ほほぅ。それは僕も興味がありますね」

古泉、どうでもいいがそのねっとりとした視線を止めてくれ。スライム古泉って呼ぶぞ。

「だから、単純な事よ。有希とみくるちゃん、どっちがあんたの好みなワケ?」

「そ、そんな事お前に関係ないだろっ?」

「いいから答えなさいよっ! 簡単でしょ!?」

簡単な訳あるか。
何故、俺がそんな事を公言せねばならんのだ。

「そんな事答える義理はないね。そもそもそんなの二人に失礼だろ」

「そーなの? ねぇ、有希、みくるちゃん。聞きたくない? 聞きたいでしょ? 聞きたいわよね?」

えぇい、その二人に振るな。
そんなの聞きたくないに決まってるだろ。

「えと、えーと…わ、わたしはちょっと…聞いてみたいなー…? なんて…思ったり…」

朝比奈さんがやたらとモジモジしている。
その顔は赤い。
…朝比奈さん、あなたまで俺を追い詰めるのですか。

「でしょ? ほら、有希は?」

長門は普段と変わりなく淡々としていた。
…聞いちゃいないのか?
ただ、その視線はじっと俺を捕らえている。

「…わたしも」

長門が、喋った。

「…興味がある」

…その背中にズオッとオーラが立ち上るのが見えた気がした。



おいおいおいおいちょっと待て。
なんだこの状況は。

「あー、キョンくん、うわきものさんだねっ。どろどろ? ねぇどろどろなの?」

「どうでしょうかねぇ。ここは彼の出方を見守りたい所です」

そこの実況妹と解説古泉、ちょっと黙ってろ。

「えー…と、だな」

なんて答えりゃいいんだ。

「あぁ、もうっ、はっきりしないわねっ! どっちが好きかってだけでしょ!?」

この状況ではっきり出来る奴はお前だけだと思うぞ、ハルヒ。

「じゃあいいわ。10秒あげるからその間に考えなさい。いいわね? じゃいくわよ。10………9………8………」

って勝手にカウントダウンを始めるな。



…長門と朝比奈さん。
どちらも嫌いな訳は無い。

朝比奈さんは萌えキャラであり、何より優しい。
癒し、というべきか。元気を分けてくれる。
もし世界が荒れ果てた荒野だとしても、朝比奈さんが居れば頑張れそうな気さえする。

長門は長門で鉄壁無愛想な奴だが、頼れる奴だ。
それに完璧に見えて抜けてる所もあるからな。
保護欲をかき立てられる時もある。

「7………6………5………」

朝比奈さんを見れば、モジモジしながらもチラチラと俺の方を伺っていた。
…ほんのり染まった頬が可愛らしい。

長門は俺をじっと見ている。俺の顔に穴が開きそうだ。
…そう言えば、命を救ってもらった事もあったな。

「4………3………2………」

というか。
何を俺はマジに考えてるんだ。
こんな質問、答えなんて出る訳ないだろ。
馬鹿馬鹿しい。

「1………0! ほら、キョン、答えなさい!」

「…答えは」

朝比奈さんがコクッとノドを鳴らす。
長門が一度だけ大きくまばたきした。

「答えは!?」

どうでもいいが無駄に声張りすぎだぞ、ハルヒ。
お前はどこの三流司会者だ。
病院なんだからちょっとは静かにしてくれ。

「二人とも、だ」

「はぁ~?」

どうやら俺の答えがハルヒはお気に召さなかったらしい。
大きく口を開け、ぶー垂れると全身で不満を表した。

「何よ、それ。二人とも同じくらい好きって事?」

「あー、もう、そういう事にしといてくれ」

まぁ実際、二人とも仲間ではあるしな。
好きって感情とは違うと思うが。

「うー…この、チキン。チキンキョン」

チキンでもポークでもいいが、そんな質問するお前の方がどうかと思うぞ。


「ねぇ、古泉くん、今の答えって男の人としてどうなのかな?」

「そうですねぇ。典型的なプレイボーイの返答だと思われます」

お前が言うなイケメン。妹もそんな事聞くな。

朝比奈さんを見ればホッとしたような残念なような、そんな表情をしていた。
長門は…いつもと変わらないようでいて、その顔には微妙な違和感を感じた。


「じゃあいいわ! 質問を変えてあげる!」

おい。まだ続くのか。

「今度は有希と妹ちゃん。それだったらどっちが好き?」

…蝶野ハルヒが実況席まで巻き込んだ。

「わ、わたし? どうしよう古泉くん。わたしとキョンくん、兄妹なのにぃ。こまっちゃうよ~」

「いえいえ、愛に決まった形などありません。大丈夫です」

古泉が微笑みながら無駄に優しく妹に囁く。
…古泉、頼むから妹に変な事を吹き込まないでくれ。


「この二人だったら? どっちなの?」

ハルヒが答えを急かす。
何がしたいんだコイツは。

「知らん。答えはさっきと一緒だ」

「くーっ! このミジンコ! ミジンコキョン!」

チキンどころか微生物になってしまった。
進化の系統樹を順調に遡っているな。
末はボルボックスかミトコンドリアか。
……ボルボックス・キョン。
…意外といいかも知れない。





クイクイ

俺がくだらない事を考えていると、そっと俺の制服の裾が引っ張られた。
そちらを見やればそこには長門。

「…血は水よりも濃い」

当然の事を当然のように呟く。

「…肉親を、大切にしてあげて」

その視線が強い。
って、何でお前までマジになってるんだ長門。



「じゃ、じゃあこれが最後の質問よ!」

しかし三流司会者ハルヒは長門の話など聞いちゃいない。
おーおー、ようやく終わりか。
さっさとしてくれ。


「…あ、あたしと古泉君だったら…どっちが好き?」


………真性のアホだ、コイツは。
何で古泉なんだ。
しかも何で照れてんだ。

「えー、どうするの古泉くん、れんあいって男同士でもいいの?」

「えぇ、先程も言いましたが、愛に決まった形などありません。大丈夫です」

全然大丈夫じゃねぇよ。
お前ら、完璧に楽しがってるな。



「なぁこの花、誰が持ってきたんだ?」

ハルヒに構わず聞く俺。

「あ、うん、おかあさんが昨日もって来てくれたの」

答える妹。

「ちょ、ちょっとキョン! 聞きなさいよ!」

キンキンわめくハルヒ。

「そうか。じゃあ水替えて来るわ」

花瓶を手に取る俺。

「あっ、そういう事ならわたしが…」

手伝ってくれようとする朝比奈さん。流石だ。

「いえ、いいんですよ、朝比奈さんは座ってて下さい」

ジェントル・ザ・ボルボックス。

「こらー! キョン! 答えなさーい!」

ギャンギャンわめくゲルググ。

「じゃあな。適当にやっててくれ」


ガラガラガラ


俺は病室から出た。
…それにしても。それにしてもだな。

「何がしたいんだアイツは…」

妹の病室の前で、花瓶を持ちながら妙にくたびれている自分に気付いた。














Д 10月17日、曇り Д


今日は妹ちゃんのお見舞いに行った。
元気そうで何より。
きっとヒマしてるだろうし、またお見舞いに行こう。
でもなんであたしが、お礼言われたんだろ?


そっれにしてもキョンの態度って何であんなにハッキリしないの!?
おっきいのが好きなのか、小さいのが好きなのかって思ったから、みくるちゃんと有希を引き合いに出したのに。
それじゃ答えられないって言うから、ユキと妹ちゃんの二択にしてあげたのに。

バカ。

…キョンはおっきいのと小さいの、どっちが好きなの?
キョンがどっちが好きかによって、鶴屋さんからもらった機械を使うかどーか決まってくるってのに。
ハッキリしなさいよね。
…あたしぐらいが一番好きっていうなら…、それはまぁ…嬉しいんだけど。


でも古泉君とあたし、どっちが好きかって聞いたら慌ててた。
逃げてっちゃったし。
キョンのクセにあたしを無視しようなんて百年早いのよ!

あんなに慌てるって事はホントにゲイなの?
あたしのライバルは古泉君ってコト?
うう~ん…これは強敵かも。


そーね。
今まではちょっと手ぬるかったかも知れない。
明日はもっと強攻策に出よう。



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