「………俺にドジっ子属性は無かったハズだが」

俺は解散した後、再び一人で部室に戻ろうとしていた。
途中で部室にカバンを忘れている事に気付いたからだ。

…カバンを忘れるなど、どれだけ学業をおろそかにしているか丸分かりだな。
普段からハルヒに振り回され、最近では休日まで付き合わされている。しまいには約束の無い日まで出会う始末。
勉強など、いつすればいいというのだ。

だが、俺以外の面子はすこぶる成績がいいらしい。
何だか不公平だ。俺もどうせなら宇宙人や未来人に生まれたかった。

…嘘だ。やっぱり俺は一般人でいたい。


…言っておくが、わわわ忘れ物~などとは言わんぞ。

知らんが。








ガチャ


「…長門」

俺が部室の扉を開けると、いつもの定位置にまだ長門が居た。
夕焼けの中で本を繰るその姿は、先程、俺が部室を出て行った時と全く変わらない。

「まだ帰って無かったのか」

「………(コクン)」

長門は本から目を外し、俺の方を見やると頷いた。

「…そうか、もうすぐ暗くなる。ほどほどにな」

俺は机の上の忘れ去られたカバンを手に取ると、部室を出て行こうと扉に手をかける。




「…誕生日」

その時、長門の呟きが聞こえた。

「…なんだって?」

俺は扉に手をかけながら、振り返るとそう聞いた。

「…先程言っていた、誕生日というもの」

「あぁ…それがどうかしたのか?」

「…よく分からない。朝比奈みくるは楽しそうにしていた」

長門は何が言いたいんだ?

「分からないって…お前にもあるだろ。誕生日」

長門の無機質な視線が俺を見る。
そうして彼女は静かに首を振った

「…覚えていない。わたしが創られたのは三年前。あるのはその記録だけ。
情報統合思念体はその端末に必要の無い事は記憶させない」


…自分の誕生日を知らないとはな。どこの狼少女だ。

しかし、俺は長門の発言に驚くと同時に納得すらしていた。
…コイツはコイツで今まで一人だったんだな。



「…何が知りたいんだ?」

「…誕生日を祝うという風習があるのは記憶されている。けれど、祝うという事。おめでたいという事。その本質」

「………難しい質問だな」

誕生日=祝うという事が当然のように。言うなれば強迫観念のように。
そんな暗黙のルールが全世界に存在しているが、長門にはそんな常識は通用しないだろう。
…そもそも何がめでたいんだ?

「あー…それは…だな」

長門が俺を見ている。それは何か興味がある時の目だ。
この前、部室に現れたネズミに向かって同じ目をしていたな。
あえなく、そのネズミはハルヒに締め出されていたが。

「…正直言って俺にも良く分からんが。
…そうだな。
ソイツが生まれて来てくれて嬉しい。ソイツと出会えて嬉しい。それを祝うものなんじゃないか?」

俺も随分と適当かつステレオタイプな事を言ってるな。
しかし、そんな俺の言葉を受け、長門は何やら考えているようだった。
その視線が大きく左に振られる。
そうして、逡巡のち。長門の視線が再び俺を捕らえた。


「…あなたは涼宮ハルヒが生まれて来て、涼宮ハルヒと出会えて嬉しい?」


長門が夕日をバックに無垢な瞳で俺を見つめる。

…………なんなんだ、その質問は。




rァ羞恥プレイの星の加護

すてる

それをすてるなんてとんでもない!


………えぇい、くそっ。いまいましい。




「…まぁ、アイツが居なければ俺の学園生活はどんなにか平和だったろうと思うが」

長門が続きを促すように大きくまばたきした。
………この先はあまり言いたくないんだがな。
長門にそれを察してくれというのは無理ってもんか。

「………でも、ただ。ハルヒが居なければ、長門や古泉、朝比奈さんとも出会えなかった訳だしな。
それを考えるとハルヒに会えた事も喜ばしい事なのかも知れん」

「…そう」

長門は淡々と答える。
…お前は人に相当こっ恥ずかしい事を言わせてる事に気付いてないな、長門。

「…今度、お前の事も祝ってやる。そうすればどういうものか分かるだろ」

それが一番手っ取り早い。
実感を伴った感覚だけが記憶でなく思い出になるハズだ。

「…わたしを?」

長門が意外そうな声を出す。
彼女の驚いた声を聞くのは久しぶりだった。

「あー、でもそうか。さっき誕生日が分からないって言ってたな」

「………(コクン)」

長門は深く頷くと、そのまま俯いてしまった。

…困った。長門の誕生日。
そんなもの俺が知るわけがない。長門も知らない。



だが、俯く長門を見ていたら、どうしてもコイツの事を祝ってやりたくなった。

恐らく長門はハルヒよりも寂しい誕生日を過ごして来たハズだ。
…いや、寂しいとすら感じなかったのか。
……分からなかったんだからな。



………分からないなら、新しく作っちまえばいい。




「…じゃあ…そうだな。俺にお前の正体を話した日。それは覚えているか?」

「………正確に記憶されている」

「じゃあその日だ。俺がお前を正しく認識した日。その日をお前の誕生日って事にしよう」

「…わたしの…誕生日」

長門がポソッと呟く。思わず漏れた感じだ。

「そう、お前の誕生日だ。…あぁでも、その日だと祝うのは来年になっちまうか。やっぱり別の日にするか?」

「…その日でいい。
………その日がいい」

長門は細く首を振るとそう答えた。

「そうか。じゃあ来年だ。盛大に祝ってやるからな。楽しみにしてろ?」

「…分かった」

そう答える長門の顔は先程よりも、微かに晴れやかだった。
疑問も解決されたみたいだな。

「それじゃあな、長門。あんまり遅くなるなよ」

俺はそれだけ言うと、部室の扉を開けた。











長門有希は、彼が出て行った扉をずっと眺めていた。
そうして彼の気配が学校から去るのを感じると、膝の上に置いた本を開く。

彼女が読んでいたものは、彼等が部室に居た時のものとは違っていた。
彼等が部室から出て行った後、図書館から拝借して来たものだ。

『ジュジュのおたんじょうび』

古いアメリカの絵本。
小さな女の子が優しそうな大人達に祝福され笑っている。

【Happy Birthday!】

そう書かれた文字を長門有希は壊れ物を扱うように、そっと撫でた。

「生まれて来てくれて…会えて…嬉しい…」


彼は長門有希の誕生日を祝うと言った。

「あなたは…わたしに会えて…嬉しい…?」

彼女の疑問に答える者は居ない。

「……わたしは…あなたに会えて…嬉しい。」

彼女の呟きに答える者もまた誰も居なかった。











翌日の夕方。

放課後になった途端、俺はいそいそと帰る準備、もとい朝比奈さんとデートの準備をしていた。
朝比奈さんとは校門で待ち合わせだ。
彼女はもう待っているだろうか?
女性を待たせるのは紳士として許されない。急がねば。

「…あんた、帰るの?」

俺がニヤけないようにしながら準備を急いでいると、後ろから声が掛かった。

「あぁ、今日はちょっと用事があってな」

ハルヒの機嫌は昨日に比べれば大分マシになっていたが、未だに細々と不機嫌継続中のようだった。
机にヒジを置き、頬杖をついている。
ハルヒの唯一といっていいかも知れない美点、その顔がぷにっとひしゃげていた。

今ここで、お前の誕生日の準備だと言ったら、ハルヒはどんな顔をするだろう。
相当バレるのを嫌がっていたからな。
…トップギア不機嫌になるか、キレるかどちらかだろう。

いや、その両方か。



「…何の用事よ?」

ハルヒが興味無さそうに聞く。

「ふっふっ。聞いて驚け」

「わぁーすっごーい」

とことん棒読みだな。しかもまだ何も言ってないぞ。
しかし俺は無視して続ける。

「俺は今日これから、朝比奈さんとデートなのだ」

「…みくるちゃんと?」

ハルヒの眉が片方だけ吊り上がる。
器用なヤツだな。

「どうだ、羨ましいか。羨ましいだろう。いいぞ、もっと羨ましがっても」

「…ベツに」

ハルヒが俺から目線を外す。
その声が途端に冷たくなった。
…やれやれ。

「お前も早いところ不思議探しなんて不毛な事は止めて、彼氏の一人でも作った方がいいんじゃないか?」

「………っるさいわね」

ハルヒが小声で何かを呟いた。
小さくてよく聞き取れない。

「…なんだって?」

「うるさいって言ったのよ、このバカキョンっ! さっさとデートでも何でも行けばいいじゃないっ!」

いきなり立ち上がったかと思えば、ハルヒが声を荒げる。
教室にいくらか残っていた生徒が驚いてこちらを見たが、あぁ、また涼宮か、と言った表情でそれぞれの雑談に戻っていった。
…面白い評価だな、ハルヒ。お前がいくら騒ごうが、このクラスにとっては日常茶飯事らしいぞ。
…良かったな、ハルヒ。この分ではお前が制服を引きちぎり、ウホウホ言いながら暴れだしても、また涼宮か、で収まるかも知れんぞ。

そんなヤツが後ろに座っていたら俺が嫌だが。



「…何をいきなり怒ってるんだ?」

「あんたには関係ないでしょっ!」

ハルヒは明らかにキレている。
彼女はカバンに乱暴に荷物を詰めると、俺よりも先に教室を出て行こうとした。

「今日も部室には行かないつもりか?」

俺がハルヒの背中にそう尋ねると、

「…ふんっ」

ハルヒはこちらを一度だけ振り返り、鼻を鳴らして帰って行った。
…テュポーン先生も真っ青だな。俺のかぜきりのやいばを返せ。











あたしは何だか学校に一瞬でも居たくなくて、気付けば走り出していた。
無性にカラダを動かしたかった。
毎年、この季節はなんだかイライラする。

…原因も分かってるの。
もうすぐあたしの誕生日。
…こんなんじゃいけないのよね。
分かってる。それは分かってるんだけど、この季節になるとどうしてもあの日の事を思い出してしまう。

靴を履き替え、校舎から校庭に飛び出すと少し胸がスッとする。
夕日に照らされた校舎は何だか神秘的にさえ見えた。



…この中にキョンも居るのよね。

「お前も早い所不思議探しなんて事は止めて、彼氏の一人でも作った方がいいぞ」

さっきのキョンの言葉が思い出したくも無いのに、アタマの中で勝手に再生された。
…何よ。あんただって、彼女の一人も出来ないクセに。



でも…今日はみくるちゃんとデートって言ってた。

あたしは思わずキョンがみくるちゃんと仲良さそうにしているのを思い浮かべてしまい、なんだか更にイライラした。

…あー、もうっ!
なんであたしがこんなにイライラしなきゃなんないワケ!?
それもこれもぜーんっぶキョンのせいに決まってるんだから!!

今日はゆっくりおフロに入ろう。
そうして嫌なコトは洗い流してしまおう。全部。
うん、そうしよう。



そう頭を切り替えると、あたしは校門に向かって歩き出す。
するとどこかから、聞き慣れた声がした。

「あーっ、涼宮さーんっ!」

…みくるちゃんだ。
あたしに向かって手を振ってる。
みくるちゃんが手を振るたび、そのおっきなおっぱいが揺れてるように見えた。
…やっぱり大きい。
思わず自分の胸を見下ろしてしまう。

…小さい…ワケじゃないと思う。
みくるちゃんがトクベツすぎるのよ。
有希よりはたぶんおっきいと思うし、鶴屋さんよりは…小さいかな、やっぱり。

それにしてもキョンのヤツ、校門で待ち合わせなんて恥ずかしいと思わないの? あのバカっ。


「…キョンならもうすぐ来ると思うわよ」

…あ。ダメだ。
なんだかイライラが声に出ちゃってる。
みくるちゃんが悪いワケじゃないのに。

「…ふぇ?」

みくるちゃんが首をかしげる。
その仕草はやっぱり可愛い。
キョンも…ううん、男ってのはきっと、みくるちゃんみたいなコが好きなんでしょうね。

「…今日、どっか行くんでしょ? あのバカと」

「ひぇ? ど、どうして知ってるんですかっ?」

「さっき嬉しそうに鼻の下伸ばして話してたから。今日、これから朝比奈さんとデートなんだーとかって」

…みくるちゃんは、内緒にしておきたかったのかな。
だとしたら…なんか…ヤダな。
…今までも二人でどこかに遊びに行ったりとかしてたの?

…ベツにキョンがドコで誰と遊んでようとあたしには関係ないけど。


「えと、えと、でもそれは、えっと…デートなんかじゃなくて…!」

みくるちゃんが慌ててる。
…やっぱり内緒にしておきたかったみたい。
そう考えた時、胸の奥に少し違和感があった。
…うー…やっぱりイライラするっ!

ダメだ。早く帰ろう。
このままだとみくるちゃんにまで変なコト言っちゃいそう。

「いい? みくるちゃん、あのバカに変なコトされそうになったら、すぐにあたしに言うのよ?」

「ひゃ、ひゃい!」

みくるちゃんが、直立不動で返事をした。
…なんだかあたしの方が年上みたい。

「…それじゃね」

あたしはみくるちゃんに手を振ると、家路についた。











俺が校門前に行くと、すでにそこには朝比奈さんが居た。
いかんいかん、待たせてしまったか。

「朝比奈さ………ん?」

近寄り声をかけようとした時、彼女が膨れているのが分かった。
ご立腹といった様子だ。
…何かあったのか?

「…キョンくん?」

その声は普段の甘い声と違い、低い冷たい声だった。
多分に怒気をはらんでいる。

「は…はい」

思わず敬語で答えてしまう俺。

「…めっ!」

………突然、朝比奈さんにビシッと指差されてしまった。

「えぇと…ごめんなさい」

条件反射的に謝ってしまう。
朝比奈さんのこんな表情を見るのは初めてに近かった。
俺はよっぽど悪い事をしてしまったのだろうか。
…遅れて来た事に怒ってる訳じゃないよな?
朝比奈さんはそんな事で怒るような人じゃない。

だが、他に思い当たるフシが無かった。


「…さっき涼宮さんが通りました」

「ハルヒが? あぁ…俺より先に教室を出ましたから」

「…寂しそうにしてました」

…誰が寂しそうだったって?
会話の流れからすると恐らくハルヒの事なのだろうが。
…ハルヒが寂しそう?

……うーむ……想像がつかん。

むしろ、ハルヒが近所の格闘家とストリートファイトしていたと言われた方がよっぽど想像出来る。


「女のコを悲しませてはダメですっ。だから、めっ!」

俺がキャノンスパイクを決めるハルヒを想像していると、再びビシッと朝比奈さんに怒られてしまった。

「…気をつけます」

思い当たらない俺はそう言うしか無い。
ハルヒよ。お前のせいで俺が怒られてしまったじゃないか。
今度から【ごきげん ♥♥♥♥】でも表示しといてくれ。

よっぽどの事が無い限り満タンにはならないだろうが。


「分かってくれたら嬉しいですっ。それじゃ、行きましょっ?」

朝比奈さんは急に普段と変わり無く、明るい声で話し掛けてくれた。

「…え、えぇ」

俺がその変わり身の早さに多少たじろいでいた。
…女性ってのは凄いもんだな。




「あ、そーだ。これ、今日のお昼に古泉くんから預かったんです」

二人並んで歩き出すと、朝比奈さんが俺に何かを差し出した。

「古泉から?」

見ればそれはどこにでもあるような茶色の封筒。
俺は中を開けてみる。

「こ・・・・・この重さ・・・・・・ッ!
おおおおおおおッ・・・・!
金・・・・・・・金の重さ・・・・・ッッ!!」

「え、えっと…キョンくん? そ、そんなに一杯は入って無かったと思うけど…」

朝比奈さんが俺のリアクションのデカさに驚いていた。

「いえ、気にしないで下さい。ただのマイブームなんで」

「そ、そうなんだ…」

何をやってるんだ俺は。
これじゃ変な人じゃないか。

改めて封筒の中身を確認すると、俺達学生からすれば多少高額な金額が納められていた。

「長門さんと古泉君からだってっ」

…この封筒に本当に長門からの金が含まれているのかは激しく疑問だったが、
これだけあれば、それなりのパーティが開いてやれるだろう。

……何ならプレゼントも捻出でき……それはマズイか。
曲がりなりにもアイツの誕生日だしな。それぐらいは自分で用意してやるとしよう。












「飲み物に…ロウソクと…あ、クラッカーも欲しいですよねっ」

俺と朝比奈さんは近所のディスカウントストアで、何が必要か相談しながら買い物をしていた。

ハルヒのためのサプライズパーティの準備だ。
…今更だが似合わない事をしているな。

「…あ、でもロウソクはいらないのかな…う~んと…」

しかし、朝比奈さんとお買い物。
なんだかドリーム、夢心地。

「…ねぇ、キョンくん。ケーキってどうしたらいいと思いますか?」

俺が朝比奈さんに見とれていると唐突に彼女がそう言った。

「ケーキ?」

「はいっ! やっぱりお誕生日といったらケーキですっ!」

…ケーキ。うーむ。
…必要なのか?
…あってもなくてもいいような気がするが。

だが、そんな事を朝比奈さんに言ったら再び怒られそうな気がした。


「…でも、お店に頼むと高くなっちゃいますよね…。うーん…よしっ! ここはわたしが作っちゃいますっ」

なななななにっ!?
朝比奈さんが自作するだと!?

「朝比奈さん、ケーキなんて作れるんですか?」

「あー、信用してないんですかぁ? こう見えてもお菓子作りは自信があるんですよ? ばーんと、まっかせてくださいっ!」

そう言うと、朝比奈さんは自分の胸を軽く叩いた。
物理法則に従い、その質量が揺れ動く。


………マ、マシュマロッ!


しかし、思わぬ所で朝比奈さんの手料理を頂ける事になった。
しかもケーキ。朝比奈さんの事だから激しくスゥイートでベッリィなケーキを作って来てくれる事だろう。
そう考えるとハルヒの誕生日ってのも楽しみになってくるから不思議だ。



「あ、そうだ! ねぇキョンくん?」

紙コップの棚を漁っている時、朝比奈さんが急に思いついたかのように言い出した。

「なんですか?」

「その、涼宮さんのお誕生日、鶴屋さんも呼んでもいいですか?」

鶴屋さんか。
そうだな、谷口や国木田となるとちょっと、…いや、かなり浮くだろうが、その点、鶴屋さんなら大丈夫だろう。
というか絶対に盛り上げてくれるような気がする。

「えぇ、構わないと思いますよ」

「えへっ、ありがとうございますっ! やっぱり楽しいのは大勢の方がいいですよねっ」

朝比奈さんがにっこりと笑う。
花が咲いたように、そんな表現がピッタリな笑顔だ。



「ふんふふんふーんふんふふーん♪」

鶴屋さんの参戦も決まり、隣の朝比奈さんを見れば、鼻歌さえこぼれていた。
…その音程が破滅的なのは愛嬌か。
……なんだよ、愛嬌だっつってんだろ。

「…朝比奈さん、楽しそうですね」

「ふぇ? そうですか?」

「えぇ、なんだかウキウキして見えます」

「だってお誕生日なんですから。楽しいのがいいですっ」

そう微笑む朝比奈さんは本当に嬉しそうだ。
なんだか、眩しい。
この人は本当にハルヒの誕生日が嬉しいんだろうな。
善悪とか、損得とか、そんな事考えずに。

「…昨日、長門に」

そんな朝比奈さんを見ているうち、俺は昨日の出来事を思い出してしまっていた。

「はい?」

「誕生日は何故祝うのかと聞かれました」

「…不思議な事聞かれちゃいましたね。それで何て答えたんですか?」

朝比奈さんが紙皿を選びながら言う。

「…正直言って困りました。そんなに深く考えた事が無かったんで。
それで…よくある話を。その人が生まれてきて嬉しいから、その人と会えて嬉しいから祝うと。ありきたりですけど」

「いいですね、そういうのっ。ありきたりなんかじゃないです。やっぱりお祝いってそういう気持ちが大事だと思いますよ」

朝比奈さんがにこやかに答えてくれた。
…良かったな長門。朝比奈さんのお墨付きだぞ。
俺の答えも案外、的確だったのかも知れん。

「朝比奈さんが同じ質問をされたら…どう答えますか?」

「ふぇ? わたしですか?
…う~ん…そうだなぁ…キョンくんの考えと大体同じですけど…」

朝比奈さんの指が彼女の顎に添えられる。

「けど?」

「…人の一生って時間平面から考えればすごく短いんです。
それも断続的ではあるけど、永続的連鎖では無く、いつどこで途切れてしまうか分からない。
そんな不安定な中で大切な人達と出会えたっていう奇跡。その事も一緒にお祝いしたいですっ」

…朝比奈さんの話はよく分からなかった。
…分からなかったが、朝比奈さんがハルヒと出会えた事、そうして俺達と一緒にハルヒの誕生日を祝える事。
それを喜んでくれているという事は伝わった。

…何だか、胸が温かくなる。
これが、真・みくるビームか。
シャインスパークなんてメじゃないぜ。



「あ…でも、わたしは未来人ですから、ちょっとズルしちゃってるんですけどね。
そんなわたしが言うのも変なのかも知れないですけど。…えへへっ…」

朝比奈さんはそう付け足すと、自嘲気味に笑った。

…朝比奈さんがそんな風に笑う事なんて無い。
そんな事…関係ないだろ。


「そんな事ないです。俺もハルヒも他の奴等も、朝比奈さんに会えて嬉しいって思ってます。絶対、思ってるハズです」


………朝比奈さんが何だかポカーンとしていた。

って、俺は今、何を口走ったんだ!?
…激しく恥ずかしい事を言ったような気がする。


「えーとですね…もしかして、俺は今、かなり恥ずかしい事言いましたか」

「…はい…かなり恥ずかしい事言いました」

まんま返される。
そう答える朝比奈さんの顔が少し赤い気がした。

…どうやら俺は、羞恥プレイに慣れ親しみ過ぎたようだ。
自ら羞恥プレイの星の海に飛び込むスキルを得てしまったらしい。
…激しくいらん。

「いえ…あの、忘れてください」

俺はそれだけ言うのが精一杯だった。

「…ふふふっ、ダぁメです。忘れませんっ」

朝比奈さんがイタズラっぽく笑うと俺の手を取る。

「…あ、朝比奈さんっ?」

俺は急に手を握られ驚いてしまった。
彼女は、俺の手がとても大事な宝物かのように両手で包み込んでいた。


「………キョンくん。…ありがとう」

朝比奈さんが目を閉じ、詩うような調子でそう言った。
…俺は感謝されてしまっているようだった。

「…えっと…」

俺は照れてしまい何も言えなかった。

「…さ、さぁ、お買い物の続き、しましょうっ」

その内、朝比奈さんが俺の手を離し、明るくそう言った。

「でもね、キョンくん、あんなこと色んな女の人に言ってはダメですよ?」

彼女の髪が柔らかく揺れる。
やっぱりその顔は赤い気がした。

「なんだか、ちょっと…期待しちゃいますからっ」











そうして。数日が過ぎ。
10月8日。朝。
空はあいにくの曇り空だったが、ようやくこの日が来た。


先日、俺はこの日のために慣れぬアクセサリー屋という場所に赴いた。
誰かと女子と一緒に、…長門は参考にならないかも知れんが、朝比奈さんや鶴屋さんに付いて来てもらう事も考えたが、
それは止めて置いた。

…恐らく。恐らくだが、プレゼントというのは自分で選んで意味が出てくるものだろう。
ハルヒへのプレゼントを、ひとり必死で考えている俺というのは、自分で思い返しても違和感ありまくりだが。

そうして、高額商品を勧める店員という名の刺客達をかわしながら、俺が選んだのは飾り気の無いペンダント。
ハルヒはあまりゴテゴテした物を好みそうに無いからな。

値段的には高くもなく、安くもなく。
…嘘だ。ちょっとだけ高かった。
カバンの中のプレゼントと引き換えに、俺の財布はずいぶん軽くなった。

まぁ、よくよく考えればハルヒにちゃんとした物を贈るってのは初めてだしな。
これぐらいは張ってやってもいいか。

…俺の誕生日になってもアイツは何も寄越しそうに無いが。








「うぅ…キョ~ン~…」

「ぬわっ!」

廊下を歩き、教室へ向かっていると、突然谷口がぬめっと現れた。
その顔は異常に暗い。やたらと影を背負っている。というかコイツ、泣いてないか?

「た、谷口…お前こんな所でどうしたんだ。…死相が出てるぞ」

「うるさい、ほっとけ…。それより…何とかしてくれ…」

何とか? 何とかって何をだ。

「教室に行けば分かる…俺には耐えられんかった…。残された最後の望みはキョン、お前しかいないんだ…頼んだぞ…」

そう言うと谷口はゾンビのようにフラフラと、どこかへ歩いていった。
…もうすぐ予鈴なんだがな。






ガラッ


「………なんだこりゃ…」

俺が教室の扉を開けた時、谷口の言葉の意味が分かった。

…教室の空気が異常に重い。
いや、重いどころか、黒くさえ見えた。
日の光を遮るかのように、教室全体が淀んでいる。

いつもはこの時間なら騒いでいるクラスの連中もおとなしく席に着いていた。
誰の話し声も聞こえない。全員、その表情は暗く沈んでいる。

…ここは冥府か? それとも腐海か?
その者、青き衣をまといて金色の野に降り立ったりすんのか?


「やぁ、キョン。おはよう」

俺にそう小声で話しかけて来たのは国木田だった。

「…国木田。お前は元気そうだな。これは…どうしたんだ?」

「あぁ…彼女だよ。ほら」

国木田が指差した方向。
そこにこの黒い空気を作り出している元凶が居た。

…やっぱりお前か、涼宮ハルヒ。



「今日は朝からあんな調子でね。涼宮さんが負のオーラを360度社交的に振り撒くもんだから、皆それに当てられちゃってさ」

そんなもん、振り撒くな。

「谷口がこの状況を何とかしようって、さっき涼宮さんに話しかけてたんだけど。えーと…なんていうか…惨殺? みたいな?」

そう国木田が笑った。
…コイツは大物なのか鈍感なのか分からんな。
どちらにしろ、谷口を心配していない事だけは分かった。
哀れ谷口。安らかに眠れ。

「まぁ正直な話、キョンを待ってたんだ」

俺を?

「この空気…っていうか涼宮さんに対抗出来るのはキョンしか居ないってんでさ」

よくよく見てみれば、沈んだ表情のクラスメイト達が何かを期待するようにチラチラと俺を見ていた。
…なんだその視線は。

「この空気が続くと誰か死人が出るかも知れないし。だから、キョン、頼んだよ」

あっさりそう言うと国木田は自分の席に戻っていった。
…そんな大げさな。



そうして俺は腐海の中心部に向かった。
何故ってそこに俺の机があるからだが。

「…うっ」

そこは不法投棄場のような毒気に満ちていた。
物理的な圧さえ感じる。
…こりゃ確かに人も死ねるかも知れない。

というかハルヒ。いくら何でも不機嫌で人を殺すな。

俺は何とか自分の机まで辿り着き、後ろの席を見た。
ハルヒは自分の机に突っ伏していて、その表情は見えない。
…が、その全身から殺気というか瘴気というか。そういったものが立ち上っている。

「………キョン、頑張れー………」

「………キョン君、頼んだわよー………」

…そんな声がどこからか聞こえてくる。
…なんなんだウチのクラスは。

俺は固有結界を張り続けるハルヒの背中に恐る恐る声をかけてみた。



「…あー…ハルヒ?」

「………」

反応ナシ。

俺が困り、周りを見渡すとクラスメイト達はそれぞれ、
「もっと頑張れ!」「いけっ、そこだ!」「ガンガンいこうぜ!」的なジェスチャーを繰り出していた。

お前らはいのちをだいじにって言葉を知らんのか。



「…えーと…だな…ハルヒ…?」

俺が再度声をかけた時、魔王が動いた。

「……………何よ」

顔を上げたハルヒの視線は
って、ちょ、何だその視線は。焼ける。マジ焼ける。マジでこんがり5秒前。

「お…おはよう…」

「………」

魂を燃やし尽くすようなハルヒの視線に射竦められ、俺がそれしか言えないでいると、彼女は無言でまた机に顔を突っ伏してしまった。
無理。っていうかリアル無理。

俺がクラスメイトに向かって×印を作ると、クラスから「はぁー…」と大きなため息が漏れた。
…俺だって命が惜しい。








そうして授業は進み今日の日程がこなされていく。
ハルヒはその間、ずっと不機嫌クライマックスモードだった。
鈍感な教師が教室の空気に気付かずにハルヒをあてた時は、そのトキメキ熱視線に半泣きになっていたのもいい思い出だ。

…それにしても今日のは凄いな。
ハルヒが不機嫌なのはいつもの事だったが、いくら何でもここまでってのは無かった。

…やっぱり今日がハルヒの誕生日って事に関係があるのだろうか。
もし、そうだとしたら、このまま誕生会なんて開いていいのか?
もしかしたら血の雨が降るんじゃないのか。主に俺の。



だが。
その心配は、杞憂に終わる。



それは、授業も終わりかけた、休み時間の出来事だった。








「キョ、キョンッ!」

谷口が凄い勢いで教室に入って来た。
なんなら土煙のエフェクトでも入れてやりたいぐらいだ。

「どうした?」

「い、いや…今…しょ、職員室に行ったたたたんだが…しししししたら…ででで電話が…」

メモリ不足のパソコンかお前は。



「谷口、少し落ち着け。何を言ってるのか分から―――」

「これが落ち着いてられるかッ!」



…突然、谷口が叫んだ。
…その怒声に教室の皆が、何事かと谷口に注目する。不機嫌魔人ハルヒも顔を上げ谷口を見ていた。
…コイツは、何をそんなに慌ててるんだ?

「キョン。落ち着いて聞け」

谷口が言う。やたら顔がマジだ。
落ち着くのはお前の方だと思うがな。

「…今、職員室に電話があった。お前の親御さんからだ」

……何?

「…今日の小学校の帰り、お前の妹さんが事故にあったって…それで、お前を出してくれって…」




………谷口は何を言ってるんだ?

……俺の妹が……なんだって?




「あんた何言ってんの!? つまんないウソつくとブッ飛ばすわよっ!」

ハルヒがガバッと飛び起きたかと思うと、谷口の首根っこを掴んだ。

「…ぐっ…う、嘘じゃねぇって…! さっきまで俺、職員室で説教されてて…それで電話があって…すぐにキョンを呼んで来いって……!」



俺は…頭の芯が急速に冷えていくのを感じていた。

「…ハルヒ、やめろ」

「でも、キョンっ!」

「…谷口は、そんな嘘をつくような奴じゃない」

…残念ながらな。

「職員室だな?」

「あ、あぁ…」

ハルヒに掴まれながらも谷口がそう答えた。

「…分かった」

俺は駆け出していた。

「ちょっと、キョンっ!!」

ハルヒの声が俺の背中を追いかけて来たが、俺に振り返る余裕は無かった。












妹が事故った?
学校の帰りに?
…大した事ないよな?
どうせ転んだとか…ヒザを擦りむいたとか…それぐらいだろ?
そうに…決まってる。



だが。電話口から聞こえる親の涙まじりの言葉は非情だった。



車。
吹き飛んだ体。
頭に。
意識不明。
骨折。
重体。



現実感が…欠片も無かった。






そうして教師に病院に送ってもらった俺を出迎えたのは、手術中の三文字。
赤いランプが、無機質に、灯っていた。



…真っ赤な時間が過ぎる。
俺は、手術室の前で呆然としていた。
勝手に妹の思い出がふつふつと湧き上がる。



初めて歩いた日のこと。
初めて俺の名前を呼んでくれた日のこと。
俺のランドセルにとんでもない落書きをされた日のこと。
お兄ちゃんだった呼び方が、いつのまにかキョンくんになっていたこと。
俺の部屋に来たかと思ったらベッドを占領してまで、ゆらりん・レボリューションを読んでいた時のこと。



…俺は…何を思い出してるんだ…?





どれぐらい時間が経ったのだろうか。
10分? 1時間? 3時間?



…時間の流れる感覚も分からず、俺はただ、そこに居た。
…その内、手術中のランプが消える。



中からは一人の医者。



…判決が。告げられた。

  • 前編3

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最終更新:2020年03月12日 10:52