『雪のきらめき』

 

 

二学期の期末試験も終わった、いろいろな意味で……。まぁいい、なるようにしかならないさ。

試験休みになってもわざわざ登校したうえに部室にやってきているのは今さら言うまでもない。やはり同じように部室に集まってきたSOS団の面々、ヒマなんだね、結局のところ。

今にも雨か雪が降りそうな、いかにも冬というどっしりと重たい雲に覆われている。そんな空が見える窓辺では、長門が厚い本を読書中だ。朝比奈さんはポットのお湯の温度をじっと気にしている。古泉は俺の目の前で、無駄に知恵を絞って次の一手を考えているが、どう転んでもあと数手で王手、詰みだ。

張本人のハルヒだけがまだやってきていないが、そのことに対して文句を言うような奇特なやつはここにはいない。遅れてきたことを問い詰めたところで、逆に追い詰められるのがオチだからな。

 

「涼宮さん、遅いですね」

やっとのことで歩を進めた古泉が盤面から顔を上げて切り出した。散々考えた挙句の予想通りの指し手だったので、俺は間髪をいれずに打ち返してやった。

「ん、いいじゃないか、平和でさ、その方が。だろ?」

「いやぁ、手厳しいですね、あいかわらず。将棋も、涼宮さんに対しても」

「やわな神経じゃ付き合っていられないからな」

「いかがですか、このあたりで一息入れませんか」

 ふと気がつくと、朝比奈さんが柔らかい香りを漂わせつつ、淹れたてのお茶を俺と古泉の前においてくれた。

「ありがとうございます、朝比奈さん」

「いただきます」

「どうぞ」

 そう、この時のために用もないのに部室に来ているといっても言い過ぎではない。やはり朝比奈さんのお茶は素晴らしい。この至福のひとときを堪能しているときに限って、飛び込んでくるのがハルヒなんだが。頼むぜ、もうしばらく、このままで……、

「ひゃっほー、遅れてごっめーん!」

 やはり、俺のささやかな願いはささやかなままで終わってしまった。

「なに、その顔。不満でもあるわけ?」

 がっくりと肩を落としている俺のことを一瞥しながら、ハルヒは定位置の椅子にどっかりと腰を下ろすと、

「みくるちゃん、お茶ちょーだい」

「はーい」

 そういえば朝比奈さんは受験だよなと、ふと思うわけだが、この時期にこんなところでこんなことをしていてもいいのだろうか。

 朝比奈さんは俺の心配をよそに、いつもの笑顔でハルヒの机にお茶を置いていた。

「うーん、いい香りね、ありがと、みくるちゃん」

「いいえー」

 そういって振り返った朝比奈さんは、俺にも笑顔を投げかけてくれた。受験のことは触れないでおこう。

 

「それにしても、遅かったな。何かあったのか?」

 結局、誰も触れないので、俺が猫の首に鈴をつけなければならない。

「駅前で阪中さんと一緒になっちゃって、少し話し込んだから」

「ほー、そうか」

 ルソーの一件以来、阪中とはすっかり打ち解けたような感じだ。駅前で女友達と出会って話し込むなってことは、過去のハルヒからすると信じられないような状況だ。

「で、何の話だったんだ?」

「ん、ま、いろいろとね。でも、キョン、女の子の会話の内容を詮索するものじゃないわよ」

「ふん、それはすまないな」

 女の子ねぇ。

「なに? なによ、その態度。言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」

「なんでもないよ」

「それはそうとさぁ……」

 すでに話の矛先が変わったようだ。ハルヒは、長門の方に振り向きながら話を続けた。

「変な話聞いたんだけど、有希のことを『宇宙人だ、アンドロイドだ』っていう噂があるんだって?」

 な、な、な、なにぃ!?

 思わず飲みかけていたお茶を吹き出すところだった。古泉も驚いて天井を見上げているし、朝比奈さんはおもわず両手を口に当てて目を見開いていらっしゃる。

 当の長門は、分厚い本からゆっくりと顔を上げて、俺のことをじっと見つめていた。

こらこら、こんな時に俺のことを見つめるなって。

「有希って、勉強もできるし、いろんなこと知ってるし、小柄で運動神経はそれほどでもないかもしれないけど、それでも何でもできるって感じじゃない?」

 ハルヒは椅子から立ち上がると、長門の隣に立った。

「でも、無口というかほとんどしゃべらなくて、表情の変化がないから、っていって、きっと宇宙人の作ったアンドロイドだ、って噂が流れているらしいわ」

 そこでハルヒは、長門の肩に手を置くと、

「失礼しちゃうわね、ホントに。有希ってこんなにいい子なのに」

 さらにハルヒは長門を後ろから抱きしめるようにして顔を寄せると頬ずりをはじめた。もちろん、そんなことをされても、長門は噂にたがわず無表情のままであったが。

「どう思う? キョン。ひどい話じゃない?」

「ん、い、いや、そうだな」

 急に話を振らないで欲しいな、答えに窮してしまった。だって、実際のところ噂で言われていることはおおむね真実だからな。その事実を知っているごく少ないメンバの一員として、このような事態に遭遇したときに、どのようなリアクションを取れば良いのかシミュレーションしておくべきだった。

「ねぇ、有希、前に笑ってたことあったわよね? また、あの時みたいに、笑ってみてよ。つまらない噂なんか笑い飛ばしてやって」

「お、おい、ハルヒ……」

 長門が笑っているところを見たことがあったって? いったいハルヒはいつそんなものを見たというのだ? しかも今ここで長門に笑ってみて、とは。

 朝比奈さんはすっかり怖気づいたように小さくなっている。古泉はやや興味深げに長門とハルヒのことを見つめていた。

「なぁ、ハルヒ、笑え、って言われて笑えるもんじゃないぜ」

「そぉ? 笑うことは健康にもいいらしいからね」

「そうかも知れないが、こう、無理やり笑うって言うのは……」

 ハルヒと俺があーだ、こーだと言い合いをしていると、突然、小さいけれどその場を和ますような柔らかい笑い声が聞こえてきた。

「えっ?」

「な、な、な?」

 その笑い声の主は長門だった。思わず振り向いた四人の視線の先には、いつもより一センチ近く多めに首をかしげながら、目を細めて微笑んでいる長門の姿があった。

「ユニーク……」

「ほら、キョン、バカなこと言ってるから有希も呆れてしまって、心のそこから笑えないじゃない、ね」

 長門のことを覗き込むように話しかけるハルヒに向かって、長門は答えた。

「大丈夫、わたしはこの状況を心のそこから楽しんでいるから」

「あはは、有希ったら」

 そんなハルヒと長門のやり取りを俺たち三人は唖然と見つめるしかなかった。

 

 

 三時を過ぎたところで、お茶でもして帰ろうかという話になり、俺たちは部室を後にして、いつもの坂道を歩いていた。 さっきよりさらに雲が低くなっている。のんびりしていると、雨に降られるかもしれない。

 先頭はハルヒと朝比奈さん。今日もハルヒが朝比奈さんのことをおもちゃにしているらしい。朝比奈さんが何か言いながらハルヒに手を振っている後姿が見える。そして、少し遅れて長門、さらにそのすぐ後ろに俺と古泉といういつもの順番だ。

 

「なぁ、長門、お前さっき……」

 ハルヒとは少し距離があるから聞き取られることはなさそうだが、それでも少し声を落として俺は長門に話しかけた。

「……確かに笑ってたよな。どうした、何かあったのか?」

「いやぁ、さすがの僕も驚きましたよ。長門さん、すごく自然に微笑んでいらっしゃったから」

「……実はわたしも驚いている」

 長門は少し歩みの速度を落として、俺の隣に並んだ。

「ひょっとしてまたあれか、ハルヒの力が発動したのか?」

 あの時ハルヒは、長門に対する宇宙人のアンドロイドと言う噂を否定し、普通の女の子に決まっているといって、長門に笑うように要求していた。それが例の力の発動に繋がったというのだろうか。

 俺の問いかけを聞きながら、隣で少しうつむき加減に歩く長門の横顔は、昔と変わらない無表情だった。

「わたしもそのことを疑ったが、どうやら涼宮ハルヒの願望、すなわち『わたしを笑わせたい』という願いは、単なるきっかけの一つに過ぎないことがわかった」

「どういうことだ?」

「わたしおよび情報統合思念体が今回の事態に対して検討を行い導き出された結論は……」

 そこで長門は俺と古泉の方に振り向くと、わずかに口元を緩めてそっと微笑みながら、ゆっくりと続けた。

「わたし自身が進化したということ」

 

 その時、ついに耐え切れなくなった空から白いものが舞い始めた。今シーズンの初雪だ。それは目の前の長門の笑顔のような控えめな降り始めだった。

「あっ、雪よ、雪! ちょっとキョン、有希! 降ってきたわよ!」

 いつの間にか少し開いてしまった距離など気にすることなく、前方からハルヒが駆け戻って来ると、あっという間に長門の手を引っ張って行ってしまった。その先にはうれしそうに空を見上げている朝比奈さんのお姿が。

「ほら、有希も連れてきたわよ。三人でこの状況を喜びましょうよ!」

 おいおい、お前は小学生か、幼稚園児か、と思わなくもないが、雪が降ってくると俺だってなんとなくうれしくなってくる。

「ふふふ、実は僕もなんですよ」

 お前はどうでもいいんだよ、古泉。

 

 坂道の少し下のほうでは、ハルヒと朝比奈さんと長門が丸く手を繋いでくるくる回りながら、雪が舞う空を見上げている。

 はじけるような笑顔のハルヒに、無邪気に笑う朝比奈さん、そして、まだ戸惑いを感じつつもうれしそうに微笑む長門……。

「いいですね、長門さんの笑顔」

「そうだな……」

 長門は『自ら進化した』と言っていたが、ひょっとすると神様がくれたクリスマスのプレゼントだったのかも知れない。できることなら少しずつでもいいから、このまま進化し続けて欲しいものだ。

 俺はきらきらと輝きながら舞い落ちてくる雪に負けないぐらいにきらめいている長門の微笑を見つめながら、来年はきっといい年になることを確信した。

 

 

Fin.

 

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最終更新:2009年09月05日 00:39