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 では、お先に失礼します。
 そう言い残して席を立とうとした時、
「ちょっと待て」
 気の許せる相手しか居ない時の荒々しい口調で、彼は私を呼び止めた。
 普段から他人に気をかけない彼にしては珍しいその行為に驚いていると、彼は私の
席を指差して再び座るように促している。
 テーブルの上には食べ終えた昼食の皿が残っているだけで、私にはこの場に用は
残っていないのだけれど。
 不審に思いながらも大人しく席に戻ると、彼は満足そうに懐に手を入れた。
「……人の食事作法に一々口を挟むつもりはないんだが、もう少し食後の時間を楽し
んだらどうだ」
 残り少ないタバコを取り出し、彼はつまらなそうな顔でそれをくわえる。
 と、言いますと。
 あえて聞きなおす私に、
「気ぜわしいと言っているんだ」
 彼は溜め息と一緒にそう呟いた。
 気ぜわしいと言われても……残念ながら生徒会の建前も本音も知っている事務要員
は私しか居ない以上、限られた時間を有効に使わなくてはいけないんです。
 本音には本音で答えてあげるべき、そう判断した私に
「君の意見はわかった。だが、健康面からするとだ。食後、胆汁によって消化を促すと
いう観点から言っても暫くの時間の休息には意味がある。違うか?」
 ……くわえタバコの男性に言われても説得力はありませんが……。
 なんとか席を立とうとする私の気配に、彼が苛立つのがわかる。
 今日中に仕上げなければならない書類の山と、彼の心の内にある感情。
 その二つを天秤に乗せて……。
 一本、いただけますか?
 天秤が傾くまでもなく、私は選んでいた。
 私の要求に、彼は驚いたらしい。
「……どんな心境の変化なのか聞かせてもらおうか? あれほど匂いがつくから止めろ
とうるさかったというのに」
 私の健康を気遣うのに、御自分の体の事を考えない。そんな貴方に興味を持ったん
です。
 よほど私の返答が面白かったのだろうか、彼は苦笑いを浮かべてタバコの火を消し、
私に両手を挙げて見せる。
 そしてタバコとライターを取り出すと、私の目の前に置いた。
「降参だ。そいつは預ける、ついでに書類の作成も手伝おう。交換条件として、しばらく
食後の時間に付き合ってくれないか? 俺はこの時間を気の許せる奴と過ごすのが好
きなんだ」
 意外な程子供っぽい顔で彼はそう言い切ると、恥ずかしげに視線を逸らしてしまう。
 会長に手伝っていただくと、結果私の仕事は増えるのですが……そうですね、交換条
件はとても魅力的な内容です。
 私はタバコを一本手に取るとそれを口にくわえ
「おい、まさか本当に……」
 彼の仕草を真似て火をつけると、それを彼の口元へと差し出した。
 大人しく彼はそれを銜え、ゆるゆるとタバコの煙が舞い上がっていく。
 ……なるほど、タバコという物の価値が少しわかりました。
 言葉も約束も交わさなくても、少なくともこのタバコが燃え尽きるまでの間は一緒に居
る事ができる。
 そう思わせてくれる不思議な力が、タバコにある気がします。

 

 

 「胆汁」 ~終わり~

 

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