『巡りゆく秋の日』


「あたしはね、神様や仏様よりもね、SOS団の仲間を信じるの! だから絶対に人前式!」
「いや、わかってる、俺も同じ気持ちさ。一応言ってみただけ」
「もう、つまんないこといわないの。古泉くんとみくるちゃんと有希が立会人! これは絶対!」
「うん、そうだな。その通りだ」
ハルヒの言う通り。宇宙人と未来人と超能力者だなんて、これほど確実な立会人の下で結婚を誓い合うカップルなんてこの世にはいないさ。
俺たちの結婚式の詳細を考える中で、俺は念のためにハルヒに確認してみたわけだ。ひょっとして実は常識人でもあるハルヒは、普通にキリスト様や日本固有の神様の前で誓いを立てたいと考えているかもしれないと思ったからだ。たとえ自分自身が神だとしても、ね。
しかし、予想通りそんなことはなかった。もちろん、俺が考えていたことと一緒だ。俺とハルヒの結婚式の立会人はSOS団のメンバ以外にはない。あの三人にしっかりと見届けてもらわなければ、俺とハルヒの結婚は成立し得ない。

今、俺はハルヒと一緒に俺たちの結婚式の打ち合わせをやっている。そう、俺とハルヒはこの秋に結婚する。古泉に言わせれば、やっと落ち着くところに落ち着いた、ということらしい。
ここに至るまでは、確かにいろいろあったわけだが、今となってはみんないい思い出だった。俺は、結婚式場の担当の人との打ち合わせに戻ったハルヒの横顔を眺めながら、懐かしい高校時代のことを思い出していた。
そうだな、俺たちが、長らく続いた団長と雑用係という関係から一歩踏み出したのは、高校三年の秋になるのだろうか……。

――――――――――――

「もう、何回言ったらわかるのよ、ここは、こう! そんなことじゃ浪人どころか留年するわよ、マジで。ホントにもうちょっと何とかならないのかしら」
ふぅー、と大きくため息をついているハルヒの横顔をチラッと視線に収めながら、俺は、ノートの上の英文に目を落とした。
「留年はなんとかクリアしてると思うんだけどな……」
「それもこれも誰のおかげだと思ってるのよ」
「……わかってるよ、ハルヒ、お前のおかげだ」
「感謝しなさい、団長自ら雑用係のあんたに手ほどきしてるんだからね。とにかく、もうちょっとがんばらないと、みくるちゃんみたいに浪人することになるわよ」
そう言ってハルヒは少しばかり苦笑いをしている。
ハルヒの言葉通り、俺たちより一年早く卒業した朝比奈さんは、残念ながら浪人し、今は予備校に通っている。それが既定事項だったかどうかまでは知らないが、少なくとも高校時代にあれほどハルヒに振り回され続けたら、そりゃ浪人するわな。ただし、今でも時折部室に顔を出して、美味しいお茶を振舞ってくれているが。

そんな先例もあってか、夏休み頃からハルヒの俺に対する受験指導も本格的に熱を帯びてきた。
ハルヒは、どうしても俺の成績をハルヒの志望校レベルにまで引き上げたいらしい。それは俺にとっては地獄の日々であることには違いないのだが、もともとの成績が良くない分だけ、特訓の効果も目に見えて現れる。そんなわけで、ついつい俺もハルヒの熱血指導を受け続けている。俺って多少はMっけもあるんだろうね。
しかし、十月になり秋も深まりつつあるこの時期に来て、さすがに伸び悩んでいる。壁にぶち当たっていることは確かだ。そのせいか、俺もハルヒも少しばかりイラついていた。

それから数日の後、ついに俺たちのイライラが爆発してしまった。世の常としてきっかけは忘れてしまうほど些細なものであったに違いないのだが。
「もう、何度言ったらわかるのよ!」
「何度言われても、わからんものはわからん!」
「あたしがこれほど……」
「もういい、ほっといてくれ! あとは神頼みでもなんでもいいから俺がなんとかする!!」
「はぁ? あんたなんか神様だって見放してるわよ! もう、知らないから!!」
「ふん、お前より神様を頼りする方がましだ!」
「……くっ、勝手にしなさい!!」
勢いよく立ち上がったハルヒは、かばんを引っつかむとパイプ椅子を蹴倒して、部室を出て行ってしまった。

ふうー。ついにやっちまったか……。

「行楽の秋」真っ盛りの季節に勉強ばかりで出かけることもできず、最近お互いストレスたまっていたからなぁ。そろそろこうなるんじゃないかと考えていたが、なってしまったものは仕方ない。
古泉、スマン、久々の閉鎖空間でがんばってくれ。

俺はしばらく頭を抱え込んで座っていたが、やれやれ、とつぶやいて、帰り支度を始めた。


翌日。
窓際最後尾の指定席のハルヒは、さわやかな秋空とは対照的に一日中ぶすーっとして窓の外の羊雲を見上げていた。
結局、朝に「おはよう」と言葉を交わしただけで、その日は他に一言も会話はなかったし、ハルヒは部室にも寄らずに帰ってしまった。

俺はあんまり早くに家に帰る気にもならなかったので、いつも通り部室にやってきた。なぜかその日は長門の姿もなかった。たった一人で誰もいない静かな部室でぼんやりしていると、やっと古泉が疲れた表情でやってきた。
「よお、遅かったな」
「あなただけでしたか」
ゆっくりと室内に足を踏み入れた古泉は、いつもの俺の正面の席に腰を下ろした。
「涼宮さんと何かあったのですか」
「ん、まぁな。閉鎖空間、出たのか?」
「えぇ、昨夜は最近にしては特大のものがね。しかしいつもとはどうも様子が異なりました……」

古泉は少し遠い目をしながら、ゆっくりと続けた。
「久々の出動だったので、気合を入れて閉鎖空間に突入したのです。しかし、神人はいたのですが、彼らは暴れることもなく、ぼんやりと佇んでいただけでした」
「……?」
「あっけに取られた僕たちが、神人の周りを旋回して様子を伺っていると、やがて彼らは、僕たちに向かって寂しそうに手を振り、そして、静かに消えていきました。彼らの姿が完全に消えたとき、閉鎖空間も消えてしました」
そこまで話した古泉は、少しの間、目を閉じて何かを考えているようだった。やがて目を空けた古泉は、たっぷりの苦笑いを浮かべながら、静かに言った。
「その時、僕たちの超能力が消えました」
「なに?」
「そう、力を得たときと同様に、力がなくなったことを理解したのです。これがどういうことを意味するのか、わかりますか?」
「……ハルヒの力が……」
「そう、涼宮さんの力が、神の力が消えてしまったことを意味します」
なんということだ、ハルヒの力がなくなるなんて、信じられない!
「おかげで機関は朝まで大騒動ですよ。いまでも善後策を協議しているはずです」
古泉が疲れているのはそのせいでもあるのか。
「ひょっとして、長門も……」
「おそらく、情報統合思念体にも何かあったのではないでしょうか。それで長門さんも今日はお休みなのでしょう」
「ハルヒの力がなくなったんならそれでもいいじゃないか。これで変な世界改変を心配する必要もなくなったわけだろ」
「涼宮さんの力が自然に昇華されて消えたのなら確かにあなたのおっしゃる通りかもしれません。しかし、今回は、どうやら涼宮さんは自らの意思で力を封印されたようです。いつ復活するかわかりませんし、その時、どのような事態が発生するのか、想像すらできません」
そこで言葉を区切った古泉は、しばらくの間俺のことをじっと見つめていた。
「さて、昨日涼宮さんとの間で何があったのか、お話願いましょうか」
「…………」
「さぁ」
「わかったよ」

「ふふ、なるほどね」
俺が記憶に残る限りの正確さで、昨日のハルヒとの会話をトレースして古泉に話した。訳知り顔で頷いていた古泉は、俺の話が終わるとゆっくりと切り出した。
「今は何月ですか?」
「はぁ、何? 十月だが?」
「そう、十月です。別名を神無月といいます」
「あぁ、八百万の神様がなにやら会合をするため出雲の国に集合するので、世の中には神様がいなくなるんだったな」
「そう、まさしく今この状況です」
「……どういうことだ」
「あなたは涼宮さんにむかって、涼宮さんより神様を頼る、とおっしゃいました。その言葉にカチンと来た涼宮さんは、すべての神を封印してしまったのでしょう、自分自身の力も含めて、です。そう、神に嫉妬したんですね」
「な? そんなこと……」
「時はまさに十月、神無月です。神様がいなくなれば、きっとあなたは涼宮さんのもとに帰ってくるはず、また、二人で一緒に過ごすことができる、と」
「待てよ、そんな勝手なこと……」
「いや、ある意味涼宮さんらしいじゃないですか、僕はそう思いますよ」

古泉はほっとしたように、小さな笑いを口元に浮かべてた。
「どうやら状況は皆が心配したほど深刻ではなさそうですね。それに、ここまでわかれば解決に向けてやるべきことははっきりしています」
「いやだ、断る」
「僕はまだ何も言っていませんが……」
古泉の苦笑いも以前のペースが戻ってきたようだ。
「まぁいいでしょう、しばらくは待ちますよ。でも、今月末のSOS団のハロウィンパーティまでには何とかしてくださいね。この状況のままでは、せっかくのパーティを楽しむことができませんから」
「ふん、知ったことか」

しばらくして古泉は、機関に報告しますので、といって先に帰っていってしまった。残された俺は、主のいない団長席を眺めながら、大きく溜息をつくしかなかった。


次の日以降も、ハルヒと俺の関係は改善することはなかった。
朝には、おはようの挨拶を交わし、必要最小限の会話はあるものの、それらはそっけないものだった。もし、まったく会話もない状態なら、ちょっとした挨拶でも改善のきっかけになるのかもしれないが、わずかながらも会話があるもんだから、かえって進展につながらない。


結局そんな状態のまま、ハロウィン前日を迎えることになった。
ハルヒたち女性陣は明日のパーティの準備のためにと、一足先に部室をあとにして、長門のマンションに向かった。
残された俺と古泉は、この状況でなぜかオセロ勝負に明け暮れていた。
「結局、進展はなしですか」
白駒を置きながら、古泉が話しかけてきた。もちろん俺のほうが優勢であることには違いないのだが、いつもほどの大差はついていない。理由はいわずもがなだな。
「そうだ。状況は変わらず、だ」
「まったく、あなたも強情ですね」
「俺はいつだって素直だぜ」
俺は黒駒を置く。二枚裏返す。
窓側の空席にちらっと視線を向けてみた。しずかな部室にすっかり柔らかくなった日差しが差し込んでいる。

「そういえば、すっかり受験勉強も遅れてしまった。古泉、すまんが少しばかり俺に指導してくれないか」
「受験勉強も大事ですが、あなたにとって本当に大事なものはそれだけか、よく考えてください」
そう言って古泉は、ポケットから小さい包みを取り出した。
「これは、以前お話に出た、この時期、八百万の神々が集まっているという出雲大社のお守りです。おなたにお渡ししておきます」
俺は、古泉が差し出した白い紙包みを受け取った。
「天神さんのお守りじゃないんだな」
「たぶん朝比奈さんと長門さんから、涼宮さんにも同じものが手渡されている頃と思います。このお守りを手にして、もう一度あなたの本当の気持ちをよく考えてください。さてと」
古泉は白駒を置くと、パタパタとあちこちの黒駒を裏返していった。一気に白駒が増えた。大逆転だ。
「今の状態のあなたとオセロ勝負をする方が、力が均衡して面白いのかもしれませんがね。とりあえず明日はよろしくお願いします、では」
そういうと古泉は小さく一礼して、かばんを手にすると、俺を残したまま去っていってしまった。
俺は手の中の出雲大社のお守りをじっと見つめていた。
それは「学業成就」ではなく、もちろん「安産」でも「交通安全」でもなかった。
「縁結び」のお守りだった。


十月末日、今年もSOS団によるハロウィンパーティがやってきた。俺は気乗りしないまま、なかばやけくそ状態で長門のマンションにやってきた。
少し前に到着していた他の連中はすでに仮装済みだった。
長門は、例のとんがり帽子の似合う悪い魔法使いの宇宙人だった。一応、怪しげなほうきも手にしている。朝比奈さんは、頭に小さな角を生やし、背中にかわいらしい羽根をつけた小悪魔姿だった。黒のミニスカートと編みタイツが悩ましいね。
「どうですか、今年の仮装は」
俺とハルヒの状況を知っているだけに、できるだけ平静を装いながらも朝比奈さんは少しでも場を盛り上げようと、楽しげに話しかけてくれた。
「なかなかいいですね、朝比奈さん。古泉の骸骨姿もいいぞ」
「あはは、ちょっとこの全身タイツは抵抗あるのですが、そういっていただけると本望です」
そう、古泉は骸骨の被り物に、骨格標本みたいなプリントがなされた全身タイツ姿だ。すらりとした長身によく似合っている。
「どおかしら」
その時、和室のふすまが開いて、着替え終わったハルヒが現れた。
ハルヒは、頭の上に猫耳をつけて、背中には大き目のマントを揺らし、こうもりをかたどったマスクで目の部分を覆った女ドラキュラの姿だった。
「涼宮さん、かわいいですね」
「いいでしょ、みくるちゃん」
くるっと一回転したハルヒは、まだ仮装していない俺に気づくと、そっけなく言った。
「ほら、キョンもさっさと着替えなさい」

今年の俺の衣装は、ハロウィンの基本、かぼちゃ大王だ。首周りに緑の飾りがついた黒い衣装を着て、かぼちゃ顔の被り物をすっぽりと被る。目の部分が微妙に合わないので視界が狭いのは仕方ない。
おかげで着替え終わって和室を出たところでマントの裾をふんずけて、ド派手にすっころんでしまった。
「だ、大丈夫ですか、キョンくん」
あわてて駆け寄ってくれた朝比奈に起こされた俺は、かぼちゃ頭をぽりぽりと掻きながら答えた
「だ、大丈夫です、すみません」


「う、うまいな、鳥カラ」
「当然です、私たちが昨日から仕込みをしていたんですから」
朝比奈さんは自信たっぷりに答えた。
前日からハルヒと朝比奈さん、長門が仕込みをしてくれていただけに、わずかにカレー風味のする鳥の唐揚げも、具がたっぷりのクラムチャウダーもおいしかった。俺たちはわいわいと馬鹿話をして盛り上がってはいたが、どこか気まずい雰囲気が支配していることも明らかだった。

ひとしきり料理を食べ終え、一息をついていた時のこと。
ふと気がつくと、ハルヒは一人でベランダに出て夜空を見上げていた。
ドラキュラのマントをゆっくりと風にたなびかせているハルヒの後姿を窓越しにぼんやりと見つめて、俺は小さく溜息をついていた。
その時、朝比奈さんが俺に近づいてきた。
「ほら、キョンくん、チャンスですよ」
「な、なんですか」
「早く涼宮さんのところに行ってあげてください。とにかく話をしてあげてください」
「いや、ハルヒは俺のこと……」
「昨日、パーティの準備をしながら涼宮さんの愚痴をいっぱい聞きました。キョンくんのことも、そして涼宮さん自分自身に対することも……」
朝比奈さんはベランダでたたずむハルヒの後ろ姿を見つめながら続けた。
「涼宮さん、寂しいんですよ、キョンくんとこんな状態が続いていることが」
「あなたは行くべき」
「な、長門まで……」
「二人の関係改善は、情報統合思念体により切望されている。もちろん私も願っている」
「ほら、早く!」

追い出されるようにベランダに押し出された俺は、気まずさを隠すためにかぼちゃ頭を被って、ハルヒの隣に並んだ。
俺が隣に来てもハルヒは振り返りもしなかった。
「なに、キョン」
「ん、いや、ちょっとな。隣いいか」
「どうぞ」
やっぱり少しばかりそっけないなぁ。

ハルヒがどう考えているかはわからないが、俺としては、もう心のうちは決まっている。古泉や朝比奈さん、長門に言われるまでもなく、だ。
ここ一週間ほどの間で俺の中でハルヒが占める割合がとっても大きかったことが身に染みてわかった。
高校入学以来ハルヒには振り回され続けた。時間と空間を駆け巡ったこともある。死ぬ目にもあった。でも、なぜかハルヒの笑顔を見ていると何があっても大丈夫な気がしていた。
俺はやっぱりハルヒの笑顔を見たい。もう一度見たい。ずーっと見ていたい!
ポケットの中には昨日古泉に渡された出雲大社のお守りがある。頼むぜ、出雲大社の大国主命よ、俺に力を授けてくれ。

少し冷たい空気が支配する星空が俺とハルヒを包んでいる。俺ははるか遠くで輝いている星に話しかけるように、ゆっくりと話し始めた。
「ハルヒ、すまなかった。俺が悪かった」
隣のハルヒが体をぴくっとさせたのがわかった。
「もう一度、俺と……、俺にチャンスをくれないか。勉強、教えてくれ。ほんと、すまん」
俺は横を向くと、少しだけかぼちゃ頭を下げた。
「……いいの、あたしも言い過ぎた。ごめん、キョン……」
こうもりのマスクをつけているハルヒはそう言って星空を見上げている、ように見える。だって、俺はカボチャの被り物越しだったからな、ハルヒの表情まではよくわからない。
「あたしは、ただ、キョンとずっと同じ学校に行きたかったから、だから……」
そこでハルヒは少しうつむいて、次の言葉を捜しているようだった。
俺はポケットの中で、古泉に渡された出雲大社の縁結びのお守りを握り締めた。そして、時が来たことを悟った。

「ハルヒ、俺はお前のことがやっぱり好きだ。俺もできることならずっと一緒にいたい。お、俺と、付き合ってくれるか……」
俺は精一杯の想いをこめて告白し、そっとハルヒの方に体を向けた。こうもりのマスク越しにハルヒの瞳が俺を見つめているのがわかる。少しの間、俺たちは見つめ合っていた。
「……プッ、プ、は、あはははは」
「……くっ、く、ぶ、ぶははははは」
マジな告白をしたつもりなのに、衣装が悪すぎる。だって、じっと見つめ合っていたのは、かぼちゃ男とドラキュラ女だ。マジになればなるほど、笑いがこみ上げてきてしまう。
「もう、キョンったら、そのカッコで告白されても説得力無いわ」
「……す、すまん、でも……」
俺は少しうつむいて、どう言い訳しようか考えを巡らせようとした。
その時、視界の端でドラキュラのマントが翻ったかと思うと、ハルヒが俺の胸の中に飛び込んできた。
「やっと……やっと言ってくれたわね、キョン。あたしもあんたのことが好き、大好き!」
「ハ、ハルヒ!」
俺は少しばかり力をこめてハルヒのことを抱きしめた。俺の背中に回したハルヒの手にも力が入った。

 

少しの間、俺たちは、秋風が少し寒く感じられるベランダでじっと抱擁を続けていた。
しばらくして、ベランダのガラス越し、リビングの中から、古泉たちがニコニコしながらこっちを見つめているのに気づいた。
「ほら、もういいでしょう。中へどうぞ」
そういいながら、古泉たちは俺とハルヒをリビングに迎え入れてくれた。
「さぁ、仕切り直しです。お二人の門出を祝うパーティの始まりです!」

――――――――――――

結局、それまでの鬱憤を晴らすかのように、朝まで長門のマンションでお騒ぎをした高校三年のハロウィンパーティのことを思い出していた。
「で、ブーケのイベントね」
ハルヒの声で俺は再び打ち合わせの場に戻った。
「はい。その後は、司会者がブーケ・ブートニアの伝説の説明をします」
「なにそれ?」
式場の担当の人の説明を促すように俺は質問をした。
「昔、欧米では、男性は一生変わらない愛の証として野に咲く花を花束にして愛する女性に手渡して、プロポーズしたそうです。それを受け取った女性は、花束の中から一輪を抜き取り、その想いを受け入れる場合には、男性の胸に挿したということです。これが、ブートニアの始まりと言われています」
「ほぉ、そんな話があったのか」
「なに? キョン、知らなかったの?」
「う、まぁな」
「そういえば、お二人のプロポーズの言葉はどのようなものだったんですか?」
「え、えーと……」
「ちょっと、キョン、忘れたとは言わさないわよ」
「当たり前だ、まだ一年も経っていないからな」
そう、忘れるもんか。
俺がハルヒにプロポーズしたのは、去年の秋、やっぱりハロウィンの頃だった。

――――――――――――

腐れ縁といえばそうかもしれない。
ハルヒと俺の本当の初めての出会いをいつとするのかは、長門に言わせれば諸説いろいろとあるそうだが、とにかく、高校三年の秋に告白した以降も俺とハルヒの付き合いは粛々と続いている。
ハルヒの指導のおかげか、復活したハルヒの力のおかげか、俺は無事にハルヒと同じ大学へと進学することができた。いや、もちろん学部・学科はぜんぜん違うんだが。
ついでに言うなら、一浪した朝比奈さんも含めて、SOS団は全員同じ大学になった。どうやら朝比奈さんが浪人することも同じ大学に進学することも既定事項だったらしい。

大学の四年間もSOS団としてずいぶんバカなことをやってきた。大学のサークルには結構変なものも多いが、SOS団は別格だったね。今となっては誇りにさえ思える。
ハルヒとは当然の事のようによくケンカもした。その度に、古泉には苦労をかけ続けたわけだが、仲直りのきっかけを与えてくれたのも常に古泉たちSOS団の仲間だった。

俺と古泉、朝比奈さんは卒業してそれぞれ別の会社に就職した。多少機関の影がちらつくような気もするのだが、まぁいいさ。ハルヒと長門は教授に請われて大学に残った。妥当なところだな。
そして半年が過ぎ、そろそろ新しい生活にも落ち着いてきた頃だった。

「なぁ、ハルヒ、今度北高の文化祭に行かないか」
「なに、どうしたの?」
日曜日、一人暮らしのハルヒの部屋で一緒に晩飯を食っていた時だ。
「十月末にあるらしい。たまたま妹から話を聞いて、行ってみたくなってな」
「ふーん、いいじゃない、久々に。そういえば、あたしたちの頃とは時期が違うみたいね」
「俺たちの頃は十一月だったよな?」
すっかり大人になったハルヒの笑顔の中に、バニー姿で熱唱していた頃の面影を思い浮かべながら、俺は少しばかり目を閉じた。
「スキあり!」
ハルヒは一瞬の早業で俺と唇を重ねると、
「いいわ、楽しみにしてる」
といって微笑んでいた。


「あんまり変わってないわね」
「そうだな」
さすがに大学の学祭にすっかり慣れてしまっているので、高校の文化祭は少し物足りない感は否めない。そうは言っても、時期が時期だけにハロウィンを題材にした出し物でいっぱいの教室を回ったり、講堂で軽音の演奏を聞いたりしていると、気分はすっかり高校時代に戻った気がする。
「みくるちゃんたちも呼べばよかったわね」
「まさか、あのメイド衣装を着せようとかたくらんでないだろうな」
「あははは、でもあの子ならまだ似合うわよ、きっと」
朝比奈さんは、今ではすっかり朝比奈さん(大)のお姿に近づいているんで、ちょっと無理があるんではないだろうか。

ひとしきり模擬店やら占いやらの出し物を見て回った後、俺は切り出した。
「なぁ、部室に行ってみないか」
「うん」
旧館三階、部室棟内のいくつかの部屋では、机を並べて研究発表的なまじめな展示もあったが、当然のように見学者の姿はほとんどなかった。

「いまでも文芸部なのね」
俺たちの根城だったSOS団の団室こと文芸部室では、今でも存在しているらしい文芸部が作成した会誌などがいくつか並べられていたが、現役の文芸部員の姿はなく、ひっそりしていた。
ゆっくりと足を踏み入れて、室内を見回してみる。
がらんとした室内は、俺がハルヒに強引に連れ込まれた時と近かった。まだ眼鏡姿だった長門が窓辺にちょこんと座っていたのが、ついこの間のように思い起こされる。
「長門の蔵書がないのは寂しいな」
本棚は残されているが、並んでいるのは最近の流行の小説やら定番の文庫本が少しだけだった。もちろん、朝比奈さんのメイド衣装も、オセロをはじめとしたたくさんのボードゲームもあるわけがない。
ハルヒは団長席があったあたりで振り返ると、
「懐かしいわね、あの頃。ホントに楽しかった」
俺もいつも座っていたパイプ椅子のあたりから団長席のハルヒの方に視線を向けながら、
「まぁな。あんな経験は二度とはできないだろうな。もう一度したいとも思わないが」
「なによ、あたしは何度でもやりたいわよ」
そういってハルヒは楽しそうに笑っていた。
窓の外からはブラスバンドの演奏や歓声が聞こえてくる。
ハルヒは窓の方に振り返ると、体を乗り出すようにして秋空を見上げていた。高校時代より少し長くなった髪が風に揺れている。ひょっとすると今でもあの黄色のカチューシャが似合うのかもしれないな。

 

俺が北高の文化祭にハルヒを誘ったのは別にノスタルジーに浸るためだけではなかった。
働きだして半年、決して将来に展望が見えてきたわけでもないが、これ以上時期を延ばしてみても状況に大きな変化があるわけでもない。潮時といってしまえばそれまでだが、まぁそれもよかろう。
いつ、どこで、どんな風に、ってことを少し前から考えていたんだが、ハロウィンの時期に北高で文化祭があると聞いて、これしかない、と俺は確信した。
ここは、この部屋は、俺たちの原点だ。もうこの部室には魑魅魍魎はいないかもしれないが、今は、そんな諸々の不思議な存在たちの力を俺に貸して欲しい気分だった。

 

「なぁ、ハルヒ……」
「ん、なに?」
「覚えてるか、長門のマンションのベランダで俺が告白したときのこと」
「忘れるもんですか! あんたがかぼちゃで、あたしがドラキュラ、あんな間抜けな告白、聞いたことがなかったわ」
あきれたような笑いを浮かべるハルヒに向かって、俺はポケットの中から少し黄色く変色したお守りを取り出した。
「これ、古泉たちに渡された出雲大社の縁結びのお守り。あの時、いろいろ気まずい思いもしたし、その後も何回もケンカしたけど、このお守りで救われたような気がしている」
ハルヒは少し驚いたように俺の手の中のお守りを見つめていたが、やがて財布の中から、俺のものと同じお守りを取り出した。
「あたしも持ってる。みくるちゃんと有希から貰ったんだ……。うん、あたしもキョンと同じ、つらいことがあったときはいっつもこのお守りにお願いしてた。キョンと仲直りできますようにって……」
俺はうれしかった。ハルヒも俺と同じ想いを持っていてくれたことが。そして、SOS団の仲間たちの想いのこもったお守りの存在が。
「ハルヒ、これ……」
俺はそのお守りをハルヒに差し出した。ハルヒは怪訝な顔で俺のことを見上げている。
「なに?」
「ハルヒ、俺と、け、結婚してくれ……」
「えっ?」
俺を見つめるハルヒの瞳がひとまわり大きくなった気がする。
「結婚しよう、ハルヒ。一緒に幸せになろう」
「ふ、ふふ、あははは、キョンにしては、なかなか粋なことをするじゃない?」
「……?」
ハルヒは俺の差し出したお守りを受け取ると、代わりにハルヒが持っていたお守りを俺に差し出した。
「そうね、これからも大切にするわ、あんたのお守り。あたしのも大切にしなさいよ」
「……ハルヒ」
「キョンのことだからもっと待たされるものかと覚悟してたけど……」
俺がハルヒの差し出したお守りを握り締めた瞬間、ハルヒは俺の胸に顔をうずめた。
「……結婚しよっ、キョン。でもね、今でも十分幸せだったけど、これからはもっともっと幸せにしなさいよ!」
「はいよ、団長」
「よし!」
俺たちは思い出深い部室の中で、お互いのお守りを握り締めながら軽くて短いキスを交わした。
まさか、現役文芸部員に見つかるわけにはいかないからな。

――――――――――――

結婚式に至るまでには、何度か式場の担当者との打ち合わせがあったり、衣装合わせがあったりと、こまごました雑事が多かったが、その手の事はハルヒがてきぱきと片付けてくれた。基本的に企画モノの好きなやつだからな。

 

それでも最後の打ち合わせを終えようとする時には、さすがにハルヒでも少し疲れていたようだった。
「ふう、これで終わりかしら」
「そうですね、ほぼ完璧です。あとは当日のお天気だけが心配ですが、大丈夫です、きっと晴れますよ」
「あたりまえよ、あたしは晴れ女なんだからね」
式場の担当者の人に、ガシッと力こぶを見せながらハルヒは俺に向かってウインクしていた。

最後の打ち合わせからの帰り道、夕焼け空を眺めながら俺はハルヒに話しかけた。
「やっとここまでくることができたな」
「なに、式の準備? それともあたしたちの関係?」
「どっちもだよ」
「あんた、式の準備、たいして何もしなかったじゃない?」
「俺がやる前に、みんなお前がやってくれたんだよ。……あーあ、この分だと先が思いやられるなぁ」
「何言ってんの、あんたの立場なんて昔からわかりきったことじゃない」
ハルヒは振り向くと、俺に向かって人差し指をびしっと突きつけた。
「いい? あんたの仕事は、式当日を快晴にすることよ!」
そう言ったハルヒは、俺に突きつけた指で大きくアッカンベーをして、にっこり微笑んだ。
「わかったよ」
いざとなったら長門にお願いすればなんとかしてくれるはずだな。

――――――――――――

ハルヒの願いが通じたのか、俺が晴れ男だったのか、はたまた長門が人知れず情報操作してくれたのかどうかはわからないが、式当日は雲ひとつない秋晴れのいい天気だった。

ガラス張りの透明感あふれるチャペルには、両家の親族や友人知人が集まってくれている。谷口や国木田といった友人たちからブーケにするための花を一輪ずつ受け取りつつ、俺は式場前方の定位置に到着した。
最前列の少し横の席には、今日の立会人を勤めてくれる、古泉ときれいに着飾った朝比奈さんと長門が着席しているのがわかった。古泉はごく自然な笑顔で、朝比奈さんは少し緊張した面持ちで、長門は普段通りの無表情で、俺にそっと目礼をしてくれた。

「新婦のご入場です!」
参列の人たちの視線がさっと後方の扉のところに注がれる。
やや大げさにも思えるオルガンの音と共に、父親にエスコートされてゆっくりとバージンロードを進んでくるハルヒは、純白のすらりとしたウェディングドレスに身を包み、長く伸ばしたスカートとレースのヴェールがとても印象的だった。
やがて、俺の隣まで進んできたハルヒの手を俺はハルヒのお父さんから引き継いだ。

その後、司会の人が、開会の宣言やら人前式の説明などをしていたはずだが、俺は高まりつつある緊張感に押しつぶされそうだった。

「……というのが、ブーケ・ブートニアの伝説と伝えられています。この伝説にしたがって、新郎から新婦に向かって、あらためてプロポーズをしていただきましょう」

ついにこの時がきた。今さらこの場でプロポーズをするのも至極照れくさいのだが、いたしかたない。
俺は打ち合わせ通り、片膝をつき、手にしたブーケをハルヒに差し出しだした。そして、何度となく心の中で繰り返し練習したフレーズを、一言の間違いもなく搾り出した。

「私は、あなたのことを必ず幸せにします。結婚してください」

ハルヒはブーケを捧げる俺のことをじっと見下ろしていた。やがて、にっこり微笑んだハルヒは、透き通るような声で言った。

「いやよ!」

「な!?」
「ふへ?」
すぐ横に立っていた朝比奈さんが息を呑むような奇妙な声を上げたのが聞こえた。
こいつ、ここまで来て何を言い出すつもりだ、何をするつもりなんだ?

あっけに取られて思わず立ち上がった俺や、立会人の古泉や長門や朝比奈さん、たくさんの式の参列者を前にして、ハルヒは俺が差し出したブーケを奪い取ると、逆に俺に向かって突き出して叫んだ。
「あんたがあたしを幸せにするのは当然! そして、あたしも何があってもあんたを幸せにしてあげる。黙ってあたしについてくればいいの! だから……」
ハルヒはそこまで一気にまくし立てると、一瞬言葉を詰まらせた。そして、秋晴れの今日の天気のように晴れやかな笑顔で俺の目をじっと見つめて言った。

「あたしと、こんなあたしだけど、結婚しなさ……、結婚してください!」

その時、ハルヒの大きくて黒く澄んだ瞳から大粒の涙がこぼれ落ちていった。

ハ、ハルヒ、お前……。


やっぱり、ハルヒはハルヒであってハルヒでしかなかった。

わかったよ、ハルヒ、結婚してやる。だから、俺のことを引っ張っていってくれよ、これまでと同様に……。俺も全力でフォローしてやる。だから、これからもずーっとその笑顔でいてくれよ……。

俺は手渡されたブーケから白い花を一つ取ると、再びハルヒに手渡した。と、同時にハルヒも俺が手にしたブーケの束からはやり白い花を取ると俺の胸ポケットにそっと差し込んだ。
そして、二人の声がハモった。
「「はい、こちらこそよろしくお願いします!!」」

チャペル内は割れんばかりの拍手喝采だった。

司会の女性が、「こんなことは初めてです」とか何とか言っていたが、そこはプロだ、うまくまとめて、結婚証明書への署名へと進めてくれた。
俺とハルヒが署名した後、古泉と長門と朝比奈さんが署名してくれた。相変わらず書きなぐったような古泉の字、ころころと丸っこい朝比奈さんの字、そしてなぜかいつも明朝体の長門の字が燦然と輝く証明書には、例の二つのお守りも添えられていた。

「おめでとうございます、今ここに、立会人の皆様、参列の皆様を証人として、お二人がまさに夫婦となられました事をここに宣言いたします! もう一度大きな祝福の拍手をお願いいたします!」
結婚証明書を手にしたハルヒと俺と、古泉、朝比奈さん、長門の五人は、もう一度参列してくれた人たち向かって深々と頭を下げた。

――――――――――――

 

今年もこの季節、この日が巡ってきた。
毎年十月末日のハロウィンの日は、俺とハルヒが付き合い始めた記念日であり、プロポーズした記念日であり、もちろん結婚記念日であり、SOS団のみんなが集まって大騒ぎする日になった。

 

キッチンのカウンターの上には、結婚証明書を囲んで微笑むSOS団の五人の写真が飾られている。その向こうでは、ハルヒが大切な仲間たちを迎えるために自慢の料理の腕をふるっている。
俺は、リビングのテーブルに花の飾りつけをしながら、足元にまとわりつく小さな二つの影に話しかけた。
「ん? お手伝いしてくれるのか?」
二人は、よたよたとふらつきながらも、かぼちゃの被り物とこうもりのマスクを俺に手渡してくれた。

 

そう、今年からは俺とハルヒが授かった双子の女の子の誕生を祝う日でもあるのだ。

 

Fin.

 

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最終更新:2020年10月14日 03:52