窓から差し込む太陽の残滓が、これから世界を支配する闇に一抹の抵抗を示すように、部屋一面を赤く染め上げる。
 そんな原色の暗がりで目を覚まして、まだおぼろげな意識の中で俺の目に留まったのは。斜陽にまっすぐ正対してなお劣らぬ存在感を示す、女神の白い横顔だった。

「あら、お目覚めになられました?」
 
 俺の視線に気付いたのか、女神は柔らかな髪を揺らしながらこちらに双眸を向け、やんわりと微笑む。その微笑みを受け流すように、俺は正面に向き直ってメガネを外し、鼻当ての当たっていた眉間の辺りを指先で揉みほぐしていた。

「…眠っていたのか、俺は」
「ええ、ぐっすりと」

 ちっ。生徒会会議が終わった所で、つい気が緩んでしまったか。この季節はイベント事が多く、許認可申請の書類に目を通すのもそれなりに面倒だとはいえ、会長席で居眠りとは。とんだ醜態を晒してしまったものだ。

「さっさと叩き起こせば良かったものを」
「会議も終わって、後は雑事を片付けるだけでしたから。大分お疲れのようでしたし、すげなく起こすのも忍びなくて」
「当直の教師は見回りに来なかったのか?」
「ええ、職務に忠実な先生がきちんと見回りに来られましたよ。ただ…」
「ただ?」
「なぜだか居残っているわたしたちの姿を見咎める事も無く、そのまま立ち去られてしまわれましたけれど」

 俺の前の机に横座りに腰掛けた彼女は、屈託の無い笑顔でそう答える。対して俺は椅子の背もたれに身を預けて、はー、と息を吐いた。おおよそ察してはいたが、まったく白々しい。
 メガネを掛け直した俺は一段高い所にある彼女の顔を、じろりと見上げた。

「喜緑江美里ともあろう者が、つまらん事に力を使ったものだ」

 揶揄した所で、顔色ひとつ変える訳でもない。まあ自分本位に力を行使して全く悪びれない、この女のこういう部分は一概に嫌いではないが。

「たまには良いものでしょう。こうして校舎の向こうに沈み行く夕日をのんびり眺めるというのも」
「宇宙人が感傷を語るか」
「あら、宇宙人だってちょっとしたいたずら心くらい持ち合わせています。そして今日は確か、そういういたずらが許される日ではありませんでしたか?」

 ハロウィン。ああ、そういえばそんなイベントもあったな。忙しさにかまけてすっかり忘れていた。


「Trick or Treat、お菓子をくれなきゃいたずらしちゃうぞ、という奴か。
 だがあいにく生粋の日本人である俺にとって、発祥もよく分からん西洋の祭りなど単純に馴染みが薄くてな。当然、菓子の持ち合わせも無い」
「あらあら、ではどんないたずらをされても文句は言えませんね」

 制服のスカートから伸びる、揃えた生足の上で身を屈めて、こちらを覗き込みながらそんな事を言う喜緑の隣で。俺は再び、はー、と面倒くさそうに息を吐いて席を立ち、校章入りのダサい学生鞄を引っ掴んだ。

「戯れ言は大概にしておけ。帰るぞ」
「まあ、気ぜわしいこと。こんなにも穏やかな夕暮れですのに」
「『枕草子』に楯突くつもりも無いが、心身が充実していなくては風雅を愛でる気にもなれん。まずはラーメンでも腹に詰め込めなければな」

 と、そう告げた途端。これまで浮世離れした傍観者のような笑みを浮かべていた喜緑が、あからさまに眉をひそめた。なんだ、その顔は。

「この流れで、ラーメンですか?」
「不服か」
「会長の今後のために、進言しておきますけれど。こういう場合、小洒落た喫茶店などでパンプキンパイなどを選択するのが展開として適切ではないかと」
「貴重なアドバイス、痛みいるな。ならば俺も、宇宙謹製コンタクト用ヒューマノイドインターフェース殿にひとつ教えて差し上げよう」
「はい?」
「いいか、地球人類にとって。一仕事終えた後のラーメンというのは、一度食べたくなったら絶対に我慢のならないものなのだ。ああ絶対に、だ!」

 ぐっと拳を握り締めて力説する俺に。しかしなぜか、喜緑は冷ややかな眼差しを向けていた。

「理屈になっていません。むしろ理不尽です。
 消耗した栄養分はきちんと補給するべきでしょうが、身体が疲労している所に脂っこくて塩分の多い食べ物というのは、消化吸収の面で適切とは言い難いのでは?」
「ふん、まだまだだな。クタクタな時だからこそ、とんこつラーメンに紅しょうがをごっそり乗せて啜り込む、あの背徳的な恍惚が理解できないとは。
 そうだな、今日は特別にそこへ餃子を付け加えてやってもいい。Trick or Chinese=Dumpling?、といった所か」
「『菓子』が無ければ『餃子』を食べればいい? まるっきり親父ギャグじゃありませんか、それ。
 だいたいラーメンに餃子って…会長はそんなにわたしを太らせたいんですか?」
「天高く馬肥ゆる何とやらだ。20キロや30キロ体重が増えた所で、誰も気にはせん」
「わたしが気にします!」
「俺は気にしない。
 とにかく俺の腹はもうラーメンで決まっている以上、異論は許さん。嫌なら別に無理して付いて来なくてもいいぞ」

 そう断じると喜緑は片手を頬に添え、まるで問題児を前にした保育園の保母さんのような表情で、ふぅと嘆息してみせた。

「仕方がありませんね。今回はそちらのご意向を尊重する事にいたしましょう。わたしがご一緒しなければ、会長は寂しさのあまり泣き出してしまわれかねませんし」
「情報を捏造するな。誰が泣くか」
「あら、そうですか? 今だって、目が覚めてこの生徒会室に一人きりだったら完全に涙目だったのではありませんか?」
「実際には一人ではなかったのだから、そんなifの話になど意味は無いな。それよりも今はラーメンだラーメン」
「はぁ。本当にもう、デリカシーという物が無い人なんですから…」

 その後もああだこうだとお互いに注文を付け合いながら、夕暮れを通り越して薄い闇夜となった坂道を下校して行った俺たちは。結局ラーメン屋で、一つの皿の餃子を二人で半分こして食べた。
 ハロウィンだからといって特にどうという事もない、それはいつも通りの当たり前な秋の一日だった。



秋は夕暮れ ~Trick or Chinese=Dumpling?~   おわり


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