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本当に会わないままでいいの?
僕はそう聞いたけど、彼女の答えは聞くまでも無く分かっていた。
「うん。ここから見てるだけでいいんだ」
橙色の光がこぼれるイベント会場の中で涼宮さんから逃げ回っているキョンの姿を、彼女はずっと目で追っている。
その顔はとても穏やかで、僕はそんな彼女の顔をずっと見つめていた。
――会えばキョンもきっと喜ぶよ?
それは、僕の本音。
2人が会えば実際にそうなるだろうって本気で思ってる。
でも、彼女は友達としての再会を望んではいない。
だから、僕もその事を言わない。
やがて会場の人だかりの中、キョンが涼宮さんに押し倒された所で彼女は目を閉じた。
「……来てよかった。最初は乗り気じゃなかったけれど今は本気でそう思っている、誘ってくれた君には感謝しないと
いけないね」
そんなの気にしなくていいよ。
僕に向けられた視線は優しく、優しいが故に僕は歯痒かった。
「そろそろ僕は帰る事にするよ。ごめん、せっかくのパーティーを抜け出させてしまったね。それじゃあ、また」
小さな手を振って、彼女は僕に背を向けた。
その背中は、引き止めないで欲しいと言っている様に見える。
見える……見えるけどさ。
待って!
走りよった僕は、返事が来る前に彼女の手を握っていた。
振り向いた彼女はとても驚いた顔をしている。そして多分、僕も驚いた顔をしているんだと思う。
ねえ、急ぎの用事とかが無いんだったらちょっと付き合ってくれないかな?
今でも信じられない、僕の口から飛び出したのはまるで谷口みたいな酷い口説き文句だったんだ。
「え? あ、ああ。別に構わないが」
よし、じゃあ行こう!
呆然とする彼女の手を引いて、僕は自分の歩幅で歩き出していた。
行く宛ても無かった僕が彼女を連れて行ったのは、イベント会場の裏手にあった小さな公園――
「……それにしても驚いたよ。君がこんな行動をとるとは思いもよらなかった」
街灯の下に置かれたベンチに座った所で、彼女は笑いながらそう言った。
僕も驚いてるよ。
自分でも信じられない、思い出すだけで顔から火がでそうなくらいさ。
「気を悪くしないで欲しいんだが、僕はできれば1人になりたかったんだ。君もそれには気づいていただろう?」
……うん。
「だから驚いてるんだ。僕の知っている君であれば、1人になりたい相手を無理やり連れまわしたりしないだろう
からね」
責める様な口調なのに、彼女の顔はとても楽しそうだった。
「いつまでも、同じままではいられない……」
星空を見上げて呟いた彼女が言っているのは僕の事なんだろうか? それとも……。
視線を僕に戻し、彼女は真面目な顔で聞いてきた。
「率直な意見で構わないから一つ聞かせて欲しい。君から見て、やはり僕も変わってしまったのかい?」
記憶の中で、キョンに笑顔を向けている彼女を思い出す。その姿を遠くから見ていただけの自分も。
うん。凄く綺麗になったよ。
自分が即答した言葉の意味がわかったのは、彼女の顔が真っ赤に染まってからの事だった。
「君は親しい人間に対しても一定の距離を保つ事で、自らの安定を得るタイプなのだとばかり思っていた」
ん~……そうだね、当たってると思う。
「実は僕も自分の事をそんな人間だと思っている。中学の頃からそう思っていたんだ、失礼かもしれないが君と
僕はとてもよく似ているってね」
それが本当なら、僕にとっては褒め言葉だよ。
――薄暗い公園が、僕に無謀なまでの勇気をくれていたんだ。そうとしか思えない。
だって、僕は中学の時から貴女の事が好きなんだから。
誤魔化しようも無い告白を終えた後も、僕は瞬きを繰り返す彼女の顔をずっと見つめていた。
「……今日は、君に驚かされてばかりいる」
本当だね。
何故か落ち着いたままでいる僕だったけど、彼女は落ち着き無く視線を彷徨わせていた。
「その、なんだ」
ようやく彼女がそう口に出した時、
僕の気持ちはすぐに忘れてくれていいよ、今でもキョンの事が好きな事は知ってて言ったんだから。
笑顔で言い切る僕に、彼女は寂しげな表情を浮かべて
「……困ってしまうな」
そう呟いて俯いてしまった。
――こんな状況なら、普段の僕なら何も言えなくなると思う。
これが勢いって奴なのかな? 何故かその時は思いがそのまま言葉になっていたんだ。
ねえ。僕と貴女が似ていると思うのなら、貴女の本当の気持ちをキョンに伝える事ってできないのかな?
僕の言葉に、彼女は何も言わないまま俯いている。
ごめん、急に変な事言ったりして。
「さっきから君は変だ」
うん。
「変で……そうだね、憧れてしまう」
そう言って、彼女はようやく顔をあげてくれた。
僕に憧れる?
「そうさ。僕の事が好きだと言いながら、君は自分にではなく彼に告白する事を進めている。自分の気持ちよりも
相手の気持ちを優先するなんて、恋愛感情に捕らわれた人間にできる事じゃない」
そうなのかな。
「これはあくまで僕の持論さ。真実は人の数だけ存在しているのだろうけれど……そうだね、世の中に居るのが君
みたいな人ばかりだったら、恋愛感情というものに流されるのも悪くないのかもしれない」
それじゃあ!
「それでも。僕は君ほどに優しくも強くもないようだ。……彼に気持ちを打ち明ける事は、きっとこれから先も
ないんだと思う。不思議だね、彼には言えない事でも君には何でも話せてしまえる」
彼女の言葉はとても優しい。
とても優しい、友達としての言葉。
「そろそろ……帰ろうかな」
彼女を引き止める言葉はすぐにいくつも浮かんだけど、僕はそれを口にしなかった。
僕は彼女より先にベンチから立ち上がって、そんな僕の顔をしばらく見上げた後、彼女も静かに立ち上がった。
「ありがとう、君と話せてよかったよ」
僕の方こそ……あ、そうだ。
上着のポケットから小さな袋を取り出して、彼女の手元に差し出す。
「これはなんだい?」
キョンの作ったお菓子だよ。一つだけ食べてみたけど凄く美味しかったから、よかったら食べてみてよ。
すぐ触れられる位置にある袋をじっと見つめた後、
「じゃあ、ひとつだけ」
彼女は袋の中に手を入れて、クッキーを一枚取りそっと口に運ぶ。
小さなクッキーが口の中に消え、やがて彼女の肩が小さく震えだした。
「……くっくっくっ……甘くて涙が出るお菓子なんて……生まれて初めてだね」
大粒の涙を流しながら笑う彼女を、僕は何も言わずに抱きしめた。
オア・トリート ~終わり~