古泉曰く、外見の変化に気づけないってのは何気に女子の機嫌を損ねる事らしい。
 そんな事を聞いたからって訳じゃないが俺はその頃、朝比奈さんや長門、ついでにハルヒの変化に多少ではあったが気を使う様にしてみていた。
 でもまあ、そんな一般常識が通用する相手じゃないよな。ハルヒは。


 ハルヒの髪、結構伸びてきたよな。
 放課後の部室、俺は朝比奈さんの髪型をいじっていたハルヒを見てそう呟いた。
 当たり前だが朝比奈さんの髪程長くはないにしろ、短かった髪はいつの間にか肩に触れる程度までの長さになっている。
「え、そうね。……また、前髪だけ切ろうかな?」
 前髪をつまみながら俺の顔を見て動きを止めるハルヒ。なんだろう、お前はいったいここでどんな台詞を期待してるんだ?
 しばらく誰も口を開かない時間が続いた後、ハルヒはつまらなそうな顔をして朝比奈さんの髪型いじりに戻っていった。
 さて、今のはなんだったんだろうな?
 ――結局その日は何事もなくSOS団の活動は終了した。
「じゃーみんな、また明日ね」
 早々と部室を飛び出していくハルヒ。
「お先に失礼します」
「……」
 無駄に愛想がいい古泉、悲しいほど愛想が無い長門と続いて部室を出て行き
「キョン君。さっきのはちょっと可哀相でしたよ?」
 何となく椅子に座ったままだった俺を見つめる朝比奈さんは、何故か少しご立腹の様だった。
 さっきの……さっきの。
 はて、本気で思い当たらないんだが。古泉相手のカードゲームでわざわざオーバーキルを狙ったなんて事は朝比奈さんにはわからないはずだぞ?
「涼宮さん、ここ暫くの間前髪しか切ってないんです」
 それは……そうなんですか。
 じれったそうに朝比奈さんが胸の前で腕を振る。
「えっと、その。だから……」
 申し訳ないですがその仕草めちゃくちゃ可愛いですよ、朝比奈さん。
「もう! 涼宮さんはキョン君にポニーテールを見せたいから髪を伸ばしてるんです!」
 我慢し切れなかったのだろう、朝比奈さんはそう言って俺に部室の鍵を押し付けて部室を出て行ってしまった。
 えっと、今の話を聞いても俺には正直状況がよくわかってないなんて事を言ったら朝比奈さんにまた叱られてしまいそうだな――それはそれで
俺にとってはご褒美なのだが、ちょっとさっきの言葉の意味を真剣に考えてみようか。
 1.ハルヒはポニーテールの為に髪を伸ばしている。そのポニーテールはどうやら俺に見せる為らしい。ここまでは簡単だ。
 2.「前髪だけ切ろうかな?」と言ったハルヒに対して俺がリアクションを取らなかったのは朝比奈さんによれば可哀想な事だと言う。
 3.2に捕捉で、髪を伸ばすのは俺にポニーテールを見せるという目的の為だから……あ、そうか。
 ようやく意味がわかった。俺に「そろそろポニーテール作れそうだな」って言って欲しかったって事なのか。今考えてみれば、最近朝比奈さんの
髪型をいじる時にやたらとポニーテールばっかり作ってたのも――俺にとっては目の保養でしかなかったんだが――ハルヒなりの前振りなんだろう。
 ……でもなあハルヒ。俺がポニテ萌えだって事は、あの閉鎖空間の中でしか言ったことがないんだぜ? こっちの世界では似合ってるぜ、としか
言ってないと思うんだが……まあいいか。
 明日、ハルヒと学校であったら久しぶりにポニーテールの話でもしてみよう。
 この話はこれで終わり……にはならなかったよ、残念ながら。
 なんせ翌日、ハルヒは学校に来なかったんだ。


「何かあった」
 平坦な音程だったが、多分それは疑問系だったんだと思う。
 ハルヒは居ないものの一応顔を出した放課後の部室、俺を見た長門の第一声がそれだった。
 何かあった……って特に何も無かったと思うぞ。
 実際問題、今日は本当に何も無かった。いつもと違うことといえばハルヒが居なくて静かだったって事くらいなんだが。
「昨日の22:13分から巨大な閉鎖空間が発生している」
 さらりと言い切る長門に、俺は古泉に見せられたあの灰色の空間を思い出していた。
 あの時俺が見たのは町ひとつ覆ってしまうような大きさの空間だったが、古泉はこれでも小規模だとか言っていた。じゃあ巨大なんて
表現の閉鎖空間だとどうなっちまうんだ?
 それで、今ハルヒは?
「涼宮ハルヒは時おり家の中を移動する意外は自分の部屋に閉じこもったままでいる。ただ、これまでの閉鎖空間と違い今回発生している空間は、
拡大する事無く一定の範囲で留まっている」
 万能元文芸部員をもってしても現状把握しかできないのか、そこまで喋った所で長門は黙ってしまった。
 って事は、今部室に居ない古泉や朝比奈さんはもしかして閉鎖空間に居るって事なのか?
「古泉一樹は閉鎖空間を不規則に出入りしている。朝比奈みくるは、まだ変化に気づいていない」
 それでお前は……と言い掛けて俺は言葉を止めた。
 長門は、ハルヒを観察する為に情報なんとかっていう上司に派遣されたヒューマノイドなんとか……だったよな。こんな状況だからこそ、観察って
仕事は大忙しなのかもしれん。
 でもな、長門。本当にお前がそれだけの為にいるのならわざわざ俺にハルヒの異変を知らせる必要なんてないんだし、今も俺を見るその目には
ハルヒへの心配って奴が見て取れなくも無い。
 大丈夫だ、そんなに心配するなって。
 俺は携帯を取り出し、電話帳を開いてハルヒを……待てよ、閉鎖空間が出てるって事は先に古泉に話を聞いておいた方がいいかもしれない。
 長門、今古泉は閉鎖空間の中に居るのか?
「……今は外に居る」
 流石に閉鎖空間の中に電波は届かないだろう、俺は先に古泉に電話をかけてみる事にした。


「お電話をお待ちしていました」
 なんだ、ずいぶん余裕じゃないか。大変なんだって? 怪我とかしてないか?
 電話越しに聞こえた古泉の声に、俺は胸を撫で下ろしていた。
「ご心配をかけて済みません。ですが今回に限って言えば怪我をする理由もないんですよ、実際に見てもらった方が早い気もするんですが……
貴方にはやっていただきたい事があるので口頭で説明します」
 やってもらいたい事だと?
 閉鎖空間関係で、お前が俺に頼むっていったら――
「ご心配なく、あの時と同じ事をお願いするつもりはありません。貴方がそれを望むのでしたら、別ですが」
 古泉、電話切っていいか。
「冗談です。現状ですが閉鎖空間は発生した時と同じ規模で停滞したまま、空間の中に神人も存在していないただの無人の空間です」
 なんだそりゃ?
「機関としてもこの状況を恐れればいいのか楽観視していいのかすら判断できていません。ですから交代で中の様子を確認しているのですが、
未だに何の変化もありません。正直な所を言いますと、貴方からの電話待ちだった……そんな所です」
 なるほどね、まあお前が交通量調査のバイトみたいな状況だって事はわかったさ。それで頼み事ってのはなんだ?
「涼宮さんに電話してあげてください」
 ――……っておい、それだけか?
「ええ、僕はそれで全てが解決すると思っています」
 話を聞く限り、そんな簡単な問題には思えないんだがな。っていうかそれならもっと早く俺に電話すればよかったんじゃないのか?
「貴方を頼るという事は、そのまま我々にとっての最後の手段でもあるんです。そしてもしも貴方がそれに失敗してしまったら……考えたくは
ありませんが、本当に世界の滅亡もありえますからね」
 ずいぶんとプレッシャーをかけてくれるじゃないか。
「我々も必死ですから。まあ、それはともかくこのままでは涼宮さんにも悪い影響が出るかもしれません。なにせ現状を例えて言うのであれば、
サンドバックを準備したのに叩かずにじっとしているような物ですから」
 ……そんな状態のハルヒに電話しろだと?
 どんな罰ゲームだそれは。
「正直な所、僕が貴方に電話できなかった一番大きな理由はそれです。こちらでも最大限バックアップはするつもりですが、貴方にかける
しかないと思っています」
 へいへい、まあやるだけやってみるよ。
「お願いします。それでは、また」


「なによ」
 不機嫌という感情を文章ではなく、言葉の響きだけで伝えるとしたらこんな声なのだろう……携帯から聞こえてきたハルヒの第一声は
そんな声だった。
 急に休んだりして風邪でも引いたのか?
「……そんなんじゃない」
 不機嫌なだけじゃない、ハルヒの声にはいつもの無駄な元気さがなかった。
 そうかい。
 沈黙――っておい? ハルヒが何も言い返さないだと? あんた団員として団長を気遣う言葉はそれだけ? だのと即座に言い返されると
思ったのに?
 古泉、俺の素人考えによるとどうやら電話しただけでは何ともならない様な気がするぞ?
 なあハルヒ。
「なに」
 話しかけておいて何だが、俺はなんて言えばいいんだろうな。電話越しに髪型がどうのなんて言えるわけもないし、特に話題もないんだが……。
 再びはじまる沈黙、これだけ黙っている時間が長ければ普段のハルヒならそのまま切っているだろうな。
 自分からは言わないが、何かあったのかもしれない。
 やれやれ。
 実はな、これからどこかへ遊びに行こうと思ってるんだがお前、暇か?
「はあ? あたしは学校休んでるのよ?」
 いいね、少し元気が出てきたじゃないか。
 それで?
「それで……って」
 別に体調が悪い訳じゃないんだろ? まあ、体調が悪いのなら無理にとは言わないが。
「……そうね。ちょうど気晴らしがしたかったし、付き合ってあげる。で、場所はどこにするの?」
 そうだな、どこにしようかね。
「あんたそんな事も考えないで誘ったわけ?」
 おいおいそんなに怒るな、しかもそのでかい声で落ち着くな俺。ああ、そういえば古泉がさっきサンドバックがどうのと言っていたっけ。
 ハルヒ、たまにはこんな場所はどうだ?


 長方形のテーブルの向い側で不敵に笑うハルヒ、その手には丸くて白いプラスチックのスマッシャーがあり俺のパックのコースを
塞ぐべく左右に動いている。
「何してんの? さっさと打ちなさいよ」
 ご機嫌なハルヒの挑発には乗らないぜ? なんせスコアは18:19で奇跡的にも俺が勝ってるんだ。残り時間はわからないがここは
慎重にいかせてもらう。
 ゲームセンターの一角。回収率の高いゲームに追いやられて奥の方においやられていたホバーホッケーの台で、熱戦を繰り広げる制服姿の俺と、
珍しく大きめのキャスケットをかぶった私服姿のハルヒが居た。
 ここで2点さに追い込めれば勝機はある、俺はじわじわと台の横へ移動しつつパックを運んで行く。
 俺が相手とはいえ流石のハルヒもプレッシャーって奴を感じるのだろう、表情に真剣さが増してくる。
 ハルヒは右手でスマッシャーを――ああ、スマッシャーってのはパックを打つ時に使うあれの事だ――を持っている。人体の構造上、
左側への移動の方が遅いはずだよな。
 俺はハルヒの右側に打ち込むフェイントを入れて、すかさず逆方向へ――フィーバータイム!軽快な電子音と共に中央のスローター
からハルヒのフィールドの上に滑り落ちてくる3枚のパック。
 嘘だろ?
「チャーンス!」
 ガションガションガション……瞬く間に無人だった俺のゴールへ叩き込まれるパック、そしてゴールに入った事で再び
スローターから投入されるパック、さらに叩き込まれる……エンドレス。
 ――急いで防御に戻った俺なのだが、すでに勝敗は決していた。
「ま、あんたにしては善戦したじゃない」
 ハルヒ、驕る平家は久しからずって言葉知ってるか?
「知ってるわよ。つまりは勝ち続けろって意味でしょ?」
 諺の新解釈を披露しながら、ハルヒはご機嫌で俺の奢りで買ったパックのジュースを飲んでいる。
 サンドバック代りにパンチングマシーンを求めてゲームセンターで待ち合わせた俺とハルヒが見たのは、店内の殆んどを埋め尽くす
プリクラコーナーと大型筐体の対戦ゲームだった。これも時代の流れって奴かね?
「次は何にする?」
 飲み終わったジュースのパックをゴミ箱に入れたハルヒが笑顔で聞いてくる。
 あ、お前全部飲んじまったのかよ? 俺も飲みたかったのに。
「だったら先に言いなさいよ?」
 思わずごみ箱を睨んだ後、口を曲げるハルヒ。
 正論だな。じゃあもう一回ジュースを賭けて勝負だ。
「受けてあげるわ。でもあたしはもうジュースはいいから違うものを奢ってもらうわよ?」
 もう勝った気かよ? まあいい、このゲームセンターの中なら好きに選んでいいぞ。
「その言葉、後悔しないようにね」
 そもそも駅前のゲームセンターにそんなに高い物な売ってはいない、しかしなんとかして連敗は避けたい所だ。
 ハルヒ相手に互角に戦えるゲームを求めて店内をぶらついてみると、いわゆる音ゲーと呼ばれるコーナーが見えてきた。
 ん、めずらしい。DDRも置いてるのか、この店。
 DDRってのはドイツ民主共和国……じゃないぞ、もう存在しないしな。ダンスダンスレボリューションの事だ。
 ゲームの内容を簡単に言えば、正面の画面に音楽に合わせて出てくる矢印を見ながら、地面に置かれた4つのパネルを
タイミング良く足で踏んでいくゲームである。
「これで勝負するの?」
 お前、DDR知ってるのか?
「知らない、けど簡単そうだから別にいいわよ」
 スニーカーを履いてきているハルヒは、デモ画面を見ながらさっそくパネルを試しに踏んでみている。
 正直に言えばこのゲームで勝負するのは避けたい所だ。何故だって? 以前谷口達とゲームセンターに行った時にこのゲームを
実際にプレイするのを見たことがあるんだが、上級者のプレイは見ていてカッコいいものだった。
 が、続いてプレイした初心者だった谷口はなんというかもう見ている方も辛い程の出来というかなんというか……。
 それ以来、俺達の間でDDRは禁句になっていた。まあ、ある程度大きな店でなければ置いてないゲームだから避ける程の事でも
なかったんだがな。
 まあちょうど今は谷口達も居ない、一度くらいは経験してみるのもいいだろう。
 俺はハルヒの隣のパネルに立ち、投入口に百円硬貨を入れた。
 画面は切り替わり、ゲームの説明や安全上の注意等が3Dのキャラクターで説明されていく。
「……なるほど。見たとおりのゲームなのね、キョンはこのゲームやった事あるの?」
 実は見た事があるだけの初心者だ。
「ふ~ん、馴れたゲームで挑んでもよかったのに」
 余裕じゃないかハルヒ、このゲームを甘く見ない方がいいと思うぜ?
 俺は対戦モードを選び、難易度は初心者モードを選択した。
「あ! なんで初心者モードなのよ?」
 俺もお前も初心者だからだ。
「上級からでもよかったのに」
 不満げなハルヒは無視して、俺はなるべく難易度を示す足のマークが少ない曲……練習も兼ねて難易度1の曲を選択した。
 一曲目、馴れた人なら片足でもなんとかなってしまうような難易度の曲に、お互い恐る恐る足を動かしていく。
 多少、GOODがあったもののお互いそれなりのスコアで終了した。
「ねえキョン、これってどうやって対戦するの?」
 お前、今更それを聞くのか。まあスコアでいいんじゃないか? ここに出てる数字だ。3曲プレイできるから、最後にでる合計で
勝負しようぜ。
「ふ~ん……。このGOODって何?」
 パネルを踏むタイミングがいいと、その上にあるPERFECTかGREATにカウントされるんだ。この二つは連続すればするほど
得点にボーナスがつくみたいだな。で、GOODとそれ以下の評価が出るとその連続したポイントがリセットされるんじゃないのか?
「とにかく完璧に踏めばいいってこと?」
 そうだな。
「簡単じゃない! 次の曲いきましょ!」
 ……それが簡単な事かはもうすぐわかると思うぜ? 
 俺はハルヒの慌てる姿が見たかったのもあって2曲目は難易度3の曲を選んだ。
 環境音楽の様だった1曲目と違い、2曲目はアップテンポなリズムで始まった。画面に出てくる矢印はあきらかに速くなっていて
その数も多い。
 よろけながらもなんとかステップを刻む俺の隣で……ああ、やっぱりハルヒはハルヒなのか。すでに滑らかな動きで踊るように
足を動かすハルヒがそこに居た。
 中盤に差し掛かり矢印が一気に増えてきた所で、奮戦空しく俺の連鎖は途切れてしまった。
 こうなってしまうと、ハルヒがミスでもしない限り挽回は無い。
 その可能性にかけてなんとか足を動かす俺だったが、2曲目が終わった時点でスコアを大きく引き離されてしまっていた。
「まあこんなもんよね。白旗でもあげる?」
 勝負は最後まで諦めない主義だ。しかし、こうなってしまうと簡単な曲を選んだのでは逆転の可能性は殆どない。
 となれば……ここは賭けに出るしかないな。
 ハルヒ、最後の曲はこのモードで一番難しい曲にしないか?
「キョンにしては珍しいじゃない、望むところよ」
 その言葉、後悔するなよ?
 俺は谷口が初めてのプレイで選び、そして玉砕したその曲を選択した。
 最初の2曲と違い、歌ではなくトランス系の曲が筐体から流れ出す。
「パラノ……あ、消えちゃった。キョン、これってなんて曲?」
 俺も知らん、すぐにはじまるぞ?
「え、あ! 何これ?」
 画面を流れる矢印の速さ、量、複雑さ。どれをとっても1、2曲目とは段違いの難易度。
 流石のハルヒも慌てて足を動かしていく、そしてそれ以上に無様なステップを俺は踏んでいた。
 ええい! あ、くそ! ……く~駄目だ。頭と足の動きが一致してくれない。あの時見た谷口と変わらぬ見ていられない動きをする
俺がそこに居た。賭けに出たのは間違いだったぜ。
 半分諦めて隣を見れば、笑顔を浮かべて踊るハルヒの姿がある。
 足の動きひとつ見ても俺とは段違いだ、次の動きに入れるように考えて踏み位置や体の向きまで変えてやがる。
 俺の視線に気づいたハルヒが微笑む。ああそうだ、お前の勝ちだよ。
 動かせる範囲で足は動かすものの、殆ど観客になった俺の見る中でハルヒは最後のラッシュを踏みぬいていく。
 連続するステップの途中、タイミングをずらして流れてくる記号に気づいたハルヒは軽くジャンプして足が下りるタイミングを
ずらそうとした。
 その時、何かに気を取られたのかハルヒは帽子を手で押さえて急に動きを止めてしまい、画面にMⅠSSの文字が連続する。
 なんだ、足がつったのか? 心配する俺を余所にすぐにハルヒの動きは復活し、程なく曲は終了した。
 結果? 聞くまでもなかろうよ。
 お疲れさん、最後は惜しかったけどかっこよかったぜ。
「ま、まあね。このくらい簡単よ」
 何故か慌てた口調のハルヒが気になるが、まあいいか。
 それで、俺は何を奢ればいいんだ? 
「えっと……そうね、あれ奢って」
 そう言ってハルヒが指差したのは、プリクラのブースだった。


 ふ~ん、400円か。結構な値段するもんなんだな。
 ハルヒの選んだプリクラの中はやけに明るくて眩しい。まあ、どれもそうなのかもしれんがよく知らないんだ。
 俺は敗者の責務として財布から硬貨を取り出す。
「ちょっとどこ行くのよ?」
 へ?
 入金を終え、ブースを出ようとした俺の袖をハルヒが掴んでいる。
 どこって外さ、俺がいちゃ邪魔だろ?
「な! 一人でプリクラなんか撮っても仕方ないじゃない!」
 そーゆーもんなのか?
 さっき、他のブースに一人で入っていく奴が居た気がするんだが……。
「そうなの!」
 ここまで言い切るんだ、多分そうなんだろう。
 俺はハルヒが何か画面をタッチペンで操作するのを見ながら、落ち着きなくブースの中を見回していた。なんていうか、広くて
綺麗な無人の証明写真機みたいな感じだな。値段もそれほど変わらないし、ここで証明写真を撮ってもいいんじゃないだろうか。
「準備完了! さあキョン、ひざまずきなさい!」
 ……俺をここに残した理由がやっとわかったよ。
 それから数分間、ハルヒは俺に次々と屈辱的なポーズを要求していき、まあハルヒ相手に勝負しておいて400円で済む訳が
なかったんだ等と自分を慰めつつもそれに従う俺が居た。
 チョークスリーパーをかけた状態だの、四つん這いになった俺の上に座るだの、足を組んで座るハルヒの前で膝をついて
頭を下げるだの、クラークの「少年よ大志を抱け」みたいなポーズで横を向くハルヒの脇に座ってはやし立てるように両手を
上げさせるだのと……よくもまあこれだけ思いつけるもんだね。
「あ、次で最後ね。最後のポーズはあんたの好きにしていいわよ」
 へいへい、ありがとよ。
 さて、どうしようか。あまり時間は無いだろうし、無茶なポーズをさせると後が怖い。
 普通に並んで撮ろうぜ。
「え……うん」
 なんだ、急に大人しくなって。今頃疲れが出たのか? 俺はもうぐったりだ。
 カメラの下の画面には、疲れた顔の俺の隣に俯いて何故か少し赤くなったハルヒの顔がある。
 画面の上部に数字が出てきた、どうやら撮影まで残り数秒らしい。ふと思いついた俺は隣に立つハルヒの頭にかぶさった
キャスケットを借りようと手を伸ばした。
 不意の事に動けないハルヒから俺がキャスケットを取った瞬間、ブース内にフラッシュが光った。
 口を開けたまま固まっているハルヒ。
 どうしたんだ?
「……」
 言葉にならないのか、ハルヒは口をパクパクとさせている。
 ん、何かハルヒの髪形がいつもと違う気がする。
 帽子をかぶっていたせいだけじゃなくて、なんていうか前髪がいつもより短い様な?
 俺の視線に気づいたのか、両手で自分の髪を隠した後、ハルヒは勢いよく俺の手から帽子を取り戻した。今更隠すのも
どうかと思ったのか、ハルヒの手に戻った帽子は無残なほどに握りしめられている。 
 ハルヒ、それ。
「なによ。笑いたければわら
 変ってるけど、意外に可愛い髪型だな。
「ふぇ?」
 間の抜けた声を出すハルヒ、そんな俺達の会話を気にする事もなく機械音声は落書きブースへ移動するように伝えてくる。
 ああ、こっちだよな。のそのそとブースを出る俺の後をハルヒは何か言いたそうで言えないままついてきた。
 落書きブースの画面にはさっき撮ったばかりの俺の屈辱ポーズ画像がずらりと並んでいる。ここまでくると壮観だな。
 そしてその画像の中の右下には、帽子をもった俺と驚きに固まるハルヒの顔もちゃんとあった。
 なるほど、実際に現像する画像はこの中から選ぶのか。
「ちょっとキョン! ここはあたしだけで選ぶから!」
 無駄に強い力でハルヒが俺を押し出そうとしてくる、わかったわかった出て行くよ? でもこれだけは言わないとな。
 ハルヒ、小さくていいからこの右下の画像を残してくれ。
「なんでよ?」
 なんでって……よく撮れてるじゃないか。俺は好きだぞ、これ。
 その後、無言の押し出しをくらい俺は落書きブースから撤退を余儀なくされた。
 あ、しまった。考えてみれば画像を選んだ後はらくがきの時間だって説明に書いてあったじゃないか? 一番楽しい
時間であろうその落書きタイムをハルヒに独占された事に俺は今更気がついた。
 ――数分後。
「はい、これ」
 そう言ってハルヒに渡されたのは……よくもまあこれだけ小さいサイズがあったもんだぜ、と逆に感心したくなる程小さな
例の画像だった。あんまり小さいもんだからハルヒの表情も見えないし、俺も何をしているのかよくわからない。
 ありがとうよ。
 俺は素直に礼を言って定期入れの中にそれをしまった。
「ねえ、本当に変じゃない?」
 プリクラを出てから帽子をかぶっていないハルヒが、髪をいじりながら聞いてくる。
 何がだ。
「何がって」
 ああ、前髪か? 変じゃないし、少なくとも俺はそう思うぜ。
「そ、そうかな」
 前髪を整えたり、後ろ髪を触るハルヒを見ていて俺は思い出した。
 あ!
「な、なによ変な声だして」
 あ、その。ポニーテールを頼むのを忘れたなって。
 せっかくプリクラを撮ってたってのに、俺は何をやってるんだ。
 無言のままハルヒはポケットの中から髪ゴムを取り出すと、すっと後ろ髪を束ねてポニーテールを作り出した。入学当初に
見たあの長さは無いが、ハルヒが動くたびに後頭部では可愛い尻尾がゆらゆらと揺れている。
 ……ハルヒ。
「何?」
 なんていうかその、なんだ。
 ハルヒは俺の言葉を待つように黙っている。
 いきなりの事に気の利いたセリフはどう考えても出てきそうにない、元よりそんなセリフなんぞ知らないもんな。となれば
そうだな、思ったままを伝えてやるしかないだろう。
 似合ってるぜ。
 俺の言葉を聞いたハルヒは数秒固まっていたが、やがて俯いて俺の手を握るとそのまま店の外へと歩き出した。
 そんな行動を予測していた訳もない俺は、壁や機材や色んな物にやたらとぶつかりながら倒れないようにとにかく足を動かす。
 ハルヒが俺の手を放したのは、結局店の外に出てからの事だった。
「ありがと」
 そう呟いた。
 何がだ?
 っていうか、俺としては今の行動についてむしろ聞きたい。
「気晴らしにつきあってありがとうって言ってるの!」
 礼を言うにしても、後ろを向いたままってのはどうかと思うぞ? 
「また明日ね」
 結局ハルヒは一度も振り向かないまま、俺を残してそのまま帰って行ってしまった。
 やれやれ、結局俺は何しにここへ来たんだっけな?
 理解できない俺がため息をつく中、ポケットの中にある携帯に古泉から閉鎖空間消滅の連絡が届いていた。


 ――翌日、俺は少しの期待をもって早めに家を出た。
 それはまあなんだ、もしかしたらハルヒがポニーテールで登校してくるかもしれないというほんの小さな期待さ。
 しかしどうやら神様は俺の期待を裏切るのがお好きなようだ。
 教室の入り口を見つめる俺の目に入ってきたのは、普段通りの髪形で登校してきたハルヒの姿だったよ。そしてそれ以降もハルヒはポニーテールで学校に
来ることは無かった。
 古泉曰く、外見の変化に気づけないってのは何気に女子の機嫌を損ねる事らしい。
 だが、気にした所で自分が望んだ方向へ変化してくれるって訳でもないみたいだな。

 学校に行きたくない○○ 終わり

 

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最終更新:2020年07月08日 09:14