「……おい、国木田、今、何と言った?」
 「え? ……だから、光陽園の、涼宮……

  あれ、この名前って、確かキョンが前に―――」
 「涼宮ハルヒって……あの、涼宮ハルヒかよ。あいつが、何だって!?」
 「し、知ってるの? だから……刺し殺されたって」
 「……マジかよ。信じられねえ……あの涼宮が?」
 「……そんな有名な人なの?」
 「有名も何も、あいつのことを知らないやつなんて、東中出身者には……

 

 
  ……おい、キョン?」
 
 
 
 
 
 俺の名前を呼ぶ、谷口の声がした気がした。
 が、それに反応を返す余力など、俺には残されていなかった。
 
 
 
 ―――ああ。
 俺は本物の大馬鹿者だ。
 
 
 
 北高にハルヒが居ない。
 ただそれだけで、この世界からハルヒが消えてしまったと、勝手に決め付けていた。
 
 俺はハルヒを見つけることが出来なかったのだ。
 
 
 
     ◆
 
 
 
 ずいぶんと長い時間が経過したのだろう。すでに窓の外は、夕暮れの闇の色に染まり始めている。
 昼休みから今までの時間に、俺の周りで何があったのかは、ほとんど憶えていない。その間俺はずっと、目覚めているより、眠っているほうに近いんじゃないかというような状態にあった。
 

 

 

 

 

 
 涼宮
 ハルヒが
 死んだ
 

 

 

 

 

 
 何故ハルヒが死んだのか?
 そんなことを考える余裕はなかった。
 俺は自分の犯した過ちの大きさに押しつぶされていた。
 できるなら、本当にそのまま押しつぶされて、虫けらのように潰されてしまいたかった。
 

 ああ。
 
 俺は何をしていた?
 ハルヒはあの日からずっと、俺の見つけ出せる場所に居たのだ。
 なのに俺は、ハルヒを探すこともせず……
 

 俺は、何をしていた?
 
 「……キョン君?」
 
 ふと、右方向から声を掛けられる。
 俺は長い時間をかけながら重く錆び付いた首の間接を回し、声のした方向に顔を向けた。

 
 
 「……長門」
 

 
 半開きのドアの向こうに、眼鏡越しの大きな瞳で俺を見つめる、長門有希の姿があった。
 
 「……あの……朝倉さんが、見つからなくて」
 
 長門は敏感にも、俺の様子が普段と異なることを察したのだろうか
 まるで何かにおびえるように、恐る恐ると言った様子で、俺にそう言った。
 

 朝倉。
 

 そうだ。朝倉涼子が消えた。そんなこともあったな。
 ……それにしても、長門は何故、こんな遅くまで、校内に残っているのだろうか。
 朝倉を探していたのだろうか。今の今まで?
 しかし、校内をいくら探しても、朝倉がいるわけがない。
 では、長門は何をしていた?
 
 「……あなたの携帯電話、つながらなかったから……」
 
 携帯電話。そんなものの存在は、今の今まで忘れてしまっていた。俺はたった今よみがえったばかりの死人のような手つきで、ブレザーのポケットから携帯電話を取り出す。そこには、長門からの着信の形跡が、確かに残されていた。ついでに時刻を確認する。午後七時。よくもまあ、この時間まで校内にいて、教師か用務員に見咎められなかったものだ。
 
 「俺を……探しにきたのか?」
 
 俺が訊ねる、長門は少しだけ、躊躇うようにうつむき

 
 「……あなたまで消えてしまうような気がして」
 
 そう、呟いた。
 いやな、長門。
 俺は丁度、いっそこのまま消えちまいたいと思っていたところだよ。
 俺はいい加減、自分のこのバカさ加減に嫌気が差してたところだ。
 
 「……どうし……たの?」
 「長門」
 
 なあ。長門。
 俺はどうしてこんな目に会わなきゃならないんだ?
 教えてくれよ。
 いつもみたいに、お前の力で助けてくれよ。
 出来るんだろ、本当は?
 
 「キョン君……」
 「……頼む、長門」
 
 何かを考えるには、あまりにも頭の中が散らかりすぎている。
 それはもう、二度と片付けようのない。取り返しのつかない有様だ。
 

 
 このまま全てを忘れて、眠ってしまいたい。
 これ以上なにもしたくない。
 

 
 俺にできることなど、もう、何一つないのだ。
 いや。はじめから、何一つなかったのかもしれない。
 

 
 こんな、大馬鹿者の俺にできることなど。

  
 何故俺はこんな場所にいる?
 何故、何一つできない俺を、こんな場所に連れて来たんだ。
 誰が。
 何の為に。
 

 
 わからない。
 何一つ。
 
 
 

 

 

 

 
 冷たい空気に触れ続けていた俺の耳が、ふと、温かい何かに触れた。
 同時に、やはり冷たくなってしまった俺の鼻腔に、降ろしたばかりの毛布のような匂いが触れる。
 凝り固まってしまった首が、何かに引き寄せられ、額が柔らかな何かに押し付けられる。
 
 「…………」
 「……長門」
 
 椅子に腰をかけたままの俺の頭を、いつの間にか傍らまでやってきていた長門が
 大事な何かを抱える子供のように、俺の頭に手を回し、胸に押し付けていた。
 
 「……ごめんなさい、私、何も……これくらいしか」
 
 頭の上で、長門の声が聞こえる。
 すこし鳴き声にも似た、震えた声。
 

 

 ……何故長門が、此処にいるんだっけ?
 
 
 ああ、そうだ。
 俺を探しに来てくれたんだったか。

 

 

 
 
 ……長門。
 そうだ、長門は……
 たった一人、この世界に迷い込んでしまった俺を、見捨てずにいてくれた。
 俺をもう一度、文芸部室の中に存在させてくれた。
 そうだ。
 

 
 長門はいつだって俺を、助けてくれた。
 いつだって、やり方は違えど
 長門は俺の助けになってくれた。
 そう、今も。
 
 

 

 
 俺は何がしたいんだろうか?
 元の世界に戻りたいのか。
 それとも……
 

 

 
 ―――ああ、もしかして、俺は。
 大馬鹿者の俺は。
 この世界に、早くも居心地のよさなんてもんを、感じちまってるのか。
 
 
 俺がいて、長門がいてくれる、この世界に。
 
 

 

 
 ……もう一度聞く。
 俺は何をするべきか?
 俺は何のために何をするべきなのか?
 
 分かるわけないじゃないか。

 

 
 俺のわからないことの答えは―――いつだってそこにあった。
 

 
 「長門」
 

 
 長門の胸から顔を起こし、眼鏡の向こうの瞳を見つめる。
 
 俺の行き先と、目指す場所―――
 大げさに言うならば、俺の運命は、いつだって。
 
 長門の示す先にあったじゃないか。
 

 
 「……お前は、何を望む?」
 
 しばらく考えた挙句、出てきたのは、そんな言葉だった。
 長門は一瞬だけ、俺を異様がるような表情を浮かべそうになったが
 次の瞬間―――大きな瞳の奥に、一瞬だけ、かつての長門に似た炎をともし―――はっきりと、こう言った。
 
 

 
 「……私は、あなたが悲しまなければ、それでいい」
 

 

 
 ……長門。
 本当にそんなんでいいのか?
 俺は大馬鹿野郎だから、今の気分だけで、簡単に決めちまうぜ?
 
 今、俺が悲しいこと。
 言ってもいいのか。
 
 
 涼宮ハルヒに会えない事だ。
 それ以外になにがあるというのだ。

 

 
 
 「長門」
 

 
 頼む。
 俺を導いて――
 
 いや。

 俺と一緒に、いてくれるか?
 

 
 長門は言葉を放つ代わりに、俺の頭を、もう一度自分の胸に押し付けた。
 暖かい。長門が触れた部分から、俺の体が溶けていってしまいそうだった。
 

 

 

 
 「私はここにいる」
 
 
 

 
     ◆
 

 
 
 
 そうだ。
 

 俺には長門がいてくれる。
 
 まだ全てが終わったわけじゃない。
 

 

 

 
 俺は、探すのだ。
 この世界のどこかに、今も未だ眠っているかもしれない、鍵を。
 
 俺の手で探し出すのだ。
 俺と、長門の手で。

 

 

 

 

  

  つづく

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最終更新:2008年09月06日 00:25