「何故、貴方は眠るの」
 

 以前、長門さんにそう尋ねられた事があった。私が彼女と共に居るようになってから、大体数ヶ月ほどが経過した時のことだったと思う。
 

 「それはね、長門さん。人間は眠るものだからよ」

 「貴方には睡眠をとる必要はないはず」
 「そうね。私は人間でないもの」
 「貴方も、私も、限りなく人間に近い概念ではある。しかし、違う」

 
 横たわる私を見下ろす長門さんの口調は、いつもと変わらない、極端に温度差に乏しい、事務的なものだった。
 

 「私は人間のフリがしてみたいのよ」
 

 肩まで羽毛の布団に包まったまま、すぐ傍らに経っている長門さんを見上げていると、私はなんだか、この世界ごと、長門さんの手のひらの中に納められてしまったかのような気がした。
 

 「そう」
 

 私の言葉を聴いた長門さんが、一体何を思ったのかはわからない。あるいは、長門さんはただの一度も、何かを思ったことなんてないのかもしれない。
 私はそのときそう思ったけれど、考えても見れば、長門さんが何かを思うことがなければ、長門さんが私に、何故私が睡眠をとるのか。などということを訊ねかけてくるはずはなかったのだ。

 つまり、そのときからすこしづつ、長門さんには変化がおきていたのだと思う。
 ついでに言うと、だからこそ私は、こんなにも長門さんづくしになってしまったんだろうな。とも思う。
 何はともあれ。
 私はたまに長門さんに突っ込まれながら、長門さんのすぐ傍で、長い長い暇つぶしの日々を送っていた。

 ついでに言うと、私はけっこう冗談抜きに、この暇つぶしの日々が終わらなければ良いと何度か考えた。

 私にこんなことを考えさせるような采配をする情報統合思念体は、正直どうなんだろうとも考えたが、考えてみればこのときからして、長門さんはイレギュラーにやられつつあったわけで。
 でもって、私が長門さんに惹かれるようになったのは、要するに長門さんがイレギュラーと成りはじめてからであって。
 つまるところ、すべてはイレギュラーだらけだったのだ。
 思念体様のご意向なんてのは、相当の初期から台無しの一途を辿っていた。
 情報統合思念体とはかくも弱きものである。ついでに言うと、それに作られた私も。
 

 

     ◆

 

 

 そんなわけで、私は前々からたまに眠るという行為に及んでいたために
 その時、その場所に構築された瞬間、私はたった今『目覚めた』のだと思った。
 それがもしも本当に『目覚め』であったのなら、それはずいぶんと質のよい目覚めだっただろう。
 何しろ、たった今機能を取り戻したばかりという、あのぼんやりとした重みのようなものもなければ、長時間放り出していたことによるからだの痛みなどもひとつも伴わなかった。
 私は気がつくと、その薄暗い教室の中央に、直立の体制で存在していた。
 

 「……あは」
 

 正直言って、まったく意味が分からなかった。私の体に、一体何が起きたというのか。
 見るとそこは、私が以前キョン君を呼び出したあの教室だった。
 つまり、私が長門さんの手によって、情報連結を解除された場所でもある。
 ……さて。此れは一体、どうしたことかしら。
 私はそれまで、基本的に、意識の根底の部分に目的というものを植えつけられていた。
 今、自分がすべき最も重要なことがらが何であるかを見失うことは決してなかったし、つまり、自分が一体なにをすれば良いのかなどと迷ったことは一度もなかった。
 けれどその瞬間、私は見事なまでに空っぽだった。目的意識を持たないいまどきの若者だった。もういっそ、有機生命体たちの赤ん坊のようなものだ。はい、たった今生まれました。ああ苦しかった。って、何だろうここは。人がいっぱいいるし、いきなりお湯をかけられるわ、もう何がなんだか分かりません。たすけて……
 気分としてはそんなような感じ。うん、多分近い。
 一つだけ分かるのは。もし、私が、情報統合思念体の意思で再構築されたというのならば、彼らは私の中に、目的意識を植え付け忘れるなどという、平凡でつまらない手違いはしないはずだ。
 多分。
 つまり。私は情報統合思念体の意思とは無関係に、この場に再構築されたのだということになる。
 多分。

 

 

 

 数分はその場に留まっていただろうか。
 とにかくその場に居たところで何も話は進まないと気がついた私は、無人の教室を後にして、とりあえず、この薄暗い校舎を脱出することにした。
 しかし。此処でまず最初の問題に遭遇してしまった。
 

 「……あら?」
 

 廊下へ出るための唯一の経路である、教室の前後に取り付けられた引き戸は、何かによって固定されており、私がどれだけ引っ張っても、わずかに音を立てて揺れる程度で、一向に開いてくれはしななかった。
 何故? 私は自分に問いかけてみる。
 すると、私の中で息を潜めていた、常識的な女学生としての記憶がこう告げた。
 

 「深夜の教室には、普通鍵が掛かってるものよね」
 

 暗闇の中で一人呟き、一人納得する。何もおかしなことではない。どちらかというと、おかしいのは、その施錠された教室の中に存在してしまっている私のほうだ。
 

 「もう……」
 

 まったくもって何がおきているのかわからないこの状況下で、常識を突きつけられることになるとは思わなかった。私はすこしふてくされながら、引き戸の取っ手に手をかざし、情報操作を試みようとした。

 しかし。ここで問題がまた一つ発生する。なんというか、私はもっと早くにその事実に気がついても良かったんじゃないかと思う。
 手っ取り早く言えば、私は情報操作を行う能力を失ってしまっていたのだ。
 いつものように、私の指先がキラリと光ることもないし、物事が従順なペットのように、私の思い通りに動いてくれることもない。引き戸は引き戸だし、鍵は鍵。無機物たちは、依然として、私の行く手を阻むことをやめようとはしなかった。

 

 ―――な、何、これ、とじこめられたの?
 

 情報操作が行えないという事実が、急に私を弱気にさせる。感情が萎縮し、嫌な汗が滲み出てくる。
 つまるところ、私は今、普通のか弱い女学生とまったく同じだけの力しか持って居ないということだ。良くある物語のように、何の力も持たない女学生が、不思議な力を手にしてしまった上で、何がなんだか分からない世界に迷い込んでしまうとでもいうのなら、まだ話も分かるのだが
 力を持っていた私が、その力を失った上で、わけの分からない状況に放り込まれてしまうというのは、どんな神経を持ってしても納得できない。責任者を呼んでほしい気分だ。
 

 「だ、誰か、助けて!」
 

 ほとんど無意識のうちに、私はそう叫んでいた。
 この校舎中に声がいきわたり、誰かが助けてくれることを望んで、お腹の底から。
 持っていた力を奪われてしまうということが、これほどの不安をもたらすことだとは思わなかった。
 まったく、これでは冗談抜きに、私はそこらのか弱い女学生と同じじゃあないか。いや。自分が宇宙人であり、今はない力を以前は持っていたという意識を持っている事を考えたら、私は普通よりもすこし頭の温かい女学生のカテゴリに入れられてしまうかもしれない。
 そう考えると、情けないやら不甲斐ないやらで、涙さえ出てきそうだった。
 

 「勘弁してよ……」
 

 私は思わずその場にへたりこみ、頭を抱えた。まったく、寝起きには難易度の高すぎる冗談だ。
 下手をすればこのまま、夜が明けるまでこのまま閉じ込められたままかもしれない。じっと身を潜めていればそうそう危険があるとも思えないけれど……

 しあkし、そもそも今、この瞬間、私はどの時代に居るのだろうか? 状況が分からない以上、夜が明ければ、教師たちや生徒たちが学校に来てくれるかどうかは分からない。もしかしたら明日は休日かもしれないし……そもそも、この世界に有機生命体が存在しているかどうかも定かではない。
 

 「どうしろって言うのよ……」
 

 無知とは恐ろしいものだ。

 「訳が分からない事」ほど不安になる事は、もしかしたらこの世に存在しないかもしれない。
 すると私はあの少年に対して、こんな状況下に追いやった挙句、ナイフで刺し殺そうとしたというのか。
 ――なんという。

 

 

 不安さと絶望感にさいなまれ、いい加減私の視界が滲み始めたころだった。
 扉の向こうの廊下で、誰かの靴がリノリウムを打つ音がしたのを、私は聞き逃さなかった。
 

 ……誰か、いるのかしら。
 

 私の記憶の限り、この学校に宿直の教師というものは存在しなかったし、警備員を雇って夜間巡回をさせるほど裕福な学校でもなく、そもそもそんな必要があるほど風紀の乱れた学校でもなかったはずだ。
 もっとも、私が情報連結を解除されてから今までの期間で(それがどれほどの期間なのか、私には分からない)この学校の状況が変わったという可能性もなくはないのだが。
 足音はためらいがちで、ゆっくりと、何かを確かめるようなリズムで、すこしづつこちらに近づいてきた。自分の心臓が、一丁前に高鳴ってゆくのを感じる。
 さて、何が出るか。
 足音はやがて、私の居る教室の前で止まった。
 曇り硝子の向こうに、誰かのシルエットが浮かび上がる。
 よかった。少なくとも、人間の形をしているものが来てくれたらしい。
 

 「……誰か……いるの?」
 

 やがて扉の向こうで声がする。
 ああ。私はその声を耳にした瞬間、全身の筋肉が緩んでいくような安心感を覚えた。
 この声だ。私が今、もっとも聞きたいと思っていた声。
 

 「長門さん……ね?」
 

 私がその名前を呟くと、扉の向こうの人影がわずかに身を震わせるのがわかった。

 その瞬間、私の中に咲き乱た安堵の花吹雪の中に、一抹の違和感が芽生える。先ほどの長門さんの声は、私が知る長門さんが発するものとしては、いやに情感が篭っていた。加えて、扉越しにも分かる、奇妙なほどのたどたどしさ。彼女は大体にしてスローペースではあったが、それは決してためらいがちな低速ではなかった。彼女は急ぐ必要がないことを常に悟っていたのだ。
 しかし。今、扉越しに感じる、この違和感は。
 

 「……い、今、鍵をあけます」
 

 やがて、もう一度長門さんの声がする。その声を聴いた瞬間、私の中の違和感は確かなものとなった。
 この世界は、私の知っていた世界とは違う。
 少なくとも、長門さんに関しては。

 

 

つづく


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