『長門有希の計算』

 

 

去年の今頃に比べて今年はなんと平和なことだろうか。

古泉と長門のアドバイスにしたがって、夏の課題は早いうちに仕上げてしまった。もちろんハルヒや長門のサポートがあってこそのものだが。なんだか知らないが俺ん家で三日間にわたって実施した「さっさと課題を片付ける会」の間中、ハルヒはすこぶる機嫌が良かったしな。

 

とにかく例年、夏休み後半のお盆を過ぎた頃は宿題・課題の山に押しつぶされている時期なのだが、今年はアブラゼミの声を聞きながら一日一日をのんびり過ごすことができている。たぶん、同じ二週間を繰り返すという去年の二の舞になることもなさそうだ。もっとも気付いていないだけで実は去年のように繰り返している、ということはないと信じている。

 

そんな平和な毎日だったが、今朝は久々に学校への急坂を登っている。というのも、SOS団の部室に置いている野球盤が必要になったからだ。明日から親戚の小学生が我が家に遊びに来るのだが、残念ながら俺が持っていた男の子向けの遊び道具はあらかた処分されてなにも残っていない。そこで、SOS団が誇るボードゲームライブラリから少し借用しようと考えたわけだ。

 

盆過ぎの学校は、さすがに運動部の連中も少なくて静かだった。夏休みに入ってすぐの頃はブラバンや軽音のにぎやかな演奏が響いていた部室棟周辺もすっかり弱々しくなったセミの声が響くのみだ。

職員室に寄って部室の鍵を貰おうと思ったら、もうすでに鍵は無かった。

ふむ、こんな時期に部室に来ている物好きは……、

「よお」

ドアを開けた俺の視線の先、部室の奥の指定席にちょこんと座っていたのは予想通り長門だった。

珍しく文庫か新書サイズの小さい本から顔を上げると、少し驚いたような涼しげな瞳を俺の方に向け、わずかに首をかしげて挨拶してくれた。

暑かろうが寒かろうが、決まった位置に変わりない姿でいてくれるだけでなんとなく安心する。普段と変わらない日常的な光景だ。ただし、そこにいるのは読書好きな宇宙人製有機アンドロイドという非日常的存在なのだが……。

 

俺は来る途中のコンビニで買ったペットボトルのお茶を冷蔵庫に入れて、とりあえずいつもパイプ椅子に腰を下ろした。窓辺の長門は黙々と読書に励んでいる。

「休み中も毎日ずっと来てたのか?」

「たまに」

「読書なら家でもいいだろ?」

「気分転換」

よく言うよ。長門なら五年でも十年でもあのリビングで本を読み続けることも可能だろうに。

俺はあえて突っ込みはしなかった。ひょっとするとまた長門流のジョークかもしれないし、ここはマジレスする必要はなかろう。

 

定位置で本を読み続ける長門を少し眺めた後、俺は席を立つとキャビネットのドアを開けて、野球盤を取り出した。特別新しいものではなく、スタンダードな昔からあるようなタイプだ。

一応、中身を確認するため机の上に取り出してみた。野手の形をした薄いプラスチックの人形を守備位置に立たせた。ランナーの形のものも揃っている。

次にパチンコ玉より少し小さい銀色の球の一つをピッチャーのところにセットして、カーブとシュートの曲がり具合と消える魔球が消えるかどうかを確認した。バットもきちんと動くようだ。

うん、問題はないな。

と、ここで机の向こう側に長門が立っていることに気付いた。

「ん、どうした?」

「野球盤……」

俺はじっと野球盤を見つめる長門の姿を見上げていた。なんだ、なんだ、どうした、長門?

「……えーっと、勝負、するか?」

返事もせずに机の向こう側に腰を下ろした長門は、レバーをカチャカチャと引っ張ってバットを振り回している。

「お、やる気だな。じゃ、お前が先攻だ。いくぜ」

「……」

 

夏休みの二人だけの部室の中で、レバーのバネがはじける音と小さくカキンという金属の衝突音だけが響いている。野球盤ってのはわいわい言いながら攻守を繰り返して盛り上がるべきものだと思うのだが、ただ黙々と打って投げてを繰り返す長門と勝負するのはなんとなく調子が狂う。

それでも三対一で勝てたのは、古泉と鍛えていたおかげか。いや、古泉相手の勝負では、経験値を積んだことにもならないな。

 

俺は椅子の背に大きくもたれかかり両手を上げて「うーん」と背伸びをしながら、試合終了後もじっと野球盤のフィールドに視線を落としている長門に話しかけた。

「惜しいがまだまだだな、俺のかち……」

「もう一回勝負」

「へ?」

「もう一回」

「やるの?」

「やる」

 

結局その後、続けて二戦したが、五対二、二対〇、で俺の二勝だった。さすがに寡黙な野球盤勝負を三戦も続けると疲れがどっと出てきた。

「もういいだろ」

「把握した」

「何を?」

「玉の質量や反発係数、摩擦係数、バネの定数、バットのスィートスポットの状態、力のかけ方や転がり、変化球のための磁石の強さ……」

おいおい、また万能有機アンドロイドがなにかわけのわからないことを言い出したぞ。

俺はあっけに取られて、淡々と話し続ける長門を見つめるしかなかった。

「三試合にわたってあらゆるものを観察し記録した。パラメータは多かったが、何とか打つことに関する運動方程式を解くことができた」

「えーっと、運動方程式、って? Fとかmとかいう……」

「ホームラン、打つ」

「なに?」

「勝負」

どうやらこいつはホームラン競争がしたいらしい。俺をじっと見つめる長門の瞳がきらきらと輝いている。理論と計算を駆使してこの野球盤上でホームランを打つというのか? ふむ、おもしろそうだ。

「よし、じゃあ、勝負だ」

 

再び定位置につくと、俺は球をセットし、投球用のレバーを引いて少し待った。チラッと顔を上げて長門を見てみると、相変わらずの無表情だが、微妙にバット用のレバーを持つ手に力が入っているように見える。

こいつ、マジだな。妙なところで闘志を見せてくれる。

よし、それならこっちも少しばかり真剣に行くか。

 

一球目。

投球と同時に俺は消える魔球のレバーを引く。カチャンという音とともに球がホームベースの手前で消え落ちていく。

空振り。

俺は思わず小さくプッと吹き出して肩をすくめた後、そっと視線を上げてみた。そこには、絶対零度の視線で俺を見据えている長門の姿が……。

「…………」

げ、しまった、怒らせてしまったか……。いきなり消える魔球は反則だったかな。

「すまん、すまん。これも作戦さ」

俺はあわてて取り繕って言ってみたが、長門の視線は絶対零度のままだった。うへー。

「……二球目……」

「わかったよ」

 

こうなったら仕方ない。男は黙って直球勝負だ。

レバーを引っ張って二球目を投げる。

カキン!

心地よい打球音を残して転がっていった球は、バックスクリーン前のホームランゾーンに飛び込んだ、が、勢い余って跳ね返り、センターのアウト穴に入った。

「!」

「……」

うーむ、さすがだ長門。だがしかし少し読みが甘かった様だな。万能有機アンドロイドの完璧な解析と計算も、俺という偶然の要素を考慮するのは難しかったと見える。

「惜しかったな」

「あと一球」

「うむ」

 

三球目をセットする。

どうする、直球か、それとも変化球か。もう消える魔球は使えない。古泉相手ならいろいろと策を弄してやると面白いのだが、ここはやはり直球で勝負だろう。

長門は、じっとホームベースあたりを見つめている。また、複雑な運動方程式とやらを頭の中で解いているのだろうか。その知識と能力をちょっとは俺にも恵んで欲しいものだ。

カチャ。

投げる。少し速めの球が真っ直ぐホームベースの上へ。

カキッ。

長門が振ったバットは俺の直球を芯で捉え、打球はあっという間にセンター方向へ転がる。

「おっ!」

「……」

ホームランゾーンのわずかに右側の外野フェンスに当たった球は跳ね返って今度はきちんとホームランゾーンに転がり込んだ。おみごと!

「ううーむ、やったな、長門」

長門はゆっくりと顔を上げると、パチパチと素早く二回瞬きをし、三ミリほど左に首を傾けながら、

「少し詰まった」

と言って残念そうに目を伏せた。

「いや、俺には完璧に打たれたように見えたぜ」

「あなたの球には微妙にクセがある。次回はもう少しそのあたりのパラメータを修正して臨みたい」

「おいおい、またやるのかよ」

俺が少しあきれたように言うと、長門はすまなさそうにコクンと小さく頷くとはっきりとした口調で答えた。

「今日は楽しかった」

静かに立ち上がった長門は窓辺の定位置に向かって行った。そこで再び読書を始めた長門の姿を見ながら、実は俺も長門との勝負を楽しんでいたことに気付いた。古泉には悪いが、長門の方が野球盤はうまいかもしれない。

 

少ししてから俺は、冷蔵庫に冷やしておいたペットのお茶を取り出すと、ごくごくと半分ぐらい一気に飲んだ。冷房もない部室で行き詰る戦いを繰り広げていたので、すっかりのどが渇いていたようだ。

「長門、お茶いる?」

小さく頷いた長門の姿を確認した俺は、湯飲みにでも注ごうかと考えたが、結局ペットボトルごと長門に手渡した。長門は、少し躊躇う様にペットボトルの口元を見つめていたが、すぐにコクコクコクと美味しそうに飲み干した。

「ありがとう」

そう言った口元が少し微笑んだように見えた。ホームラン打てたこと、そんなに嬉しかったんだろうか。

長門は空っぽになったペットボトルを机の上に置くと、ホッと一息ついたかのように窓の外を見つめていた。

大きく開け放たれた窓越しに、遠くの方でわきあがっている入道雲も見える。そういえば窓辺に射す日がすっかり高くなり、暑さも増しているようだ。携帯を取り出して時間を見たら、もうお昼を少しまわっていた。

「長門、どうする? まだいるのか? 俺、昼飯食って帰るけど、一緒にメシ行かないか?」

長門は読みかけの本をパタンと閉じると、

「行く」

と一言だけ答えて立ち上がった。

「今日はわたしがごちそうする」

「お、それはそれは。じゃ、気が変わらないうちに行くか」

そう言って俺も立ち上がった。

「でもカレーはパスだぜ」

長門は一瞬ムッとしたように頬を膨らませながら答えた。

「だい・じょう・ぶ」

まさか昼飯をカレーにすることまで計算していたんじゃないだろうな。

俺は、そそくさと帰り支度をする長門の後姿を見つめながらそっとつぶやいた。

 

クセ球ですまないな、長門。

 

 

Fin.

 

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最終更新:2008年08月24日 01:04