最近、俺は充実している。何故かって?理由は至って単純なのだがな。先日、下校時にたまたま顔を合わせた成崎と一緒に下校して以来というもの、何故か最近一緒に帰ったり登校時にも一緒になる事もあったな。
一見大人しそうに見える彼女なのだが意外や意外、これがまた良く喋る。といってもそれが煩わしい訳じゃあない。むしろ心地好さを覚えるくらいだ。
自分の都合の悪い事は耳にも入らないハルヒや、やけに小難しい事をさも愉しそうに延々語り出すイエスマンこと古泉と比べると、俺も会話を楽しむ事が出来ている訳だ。
長門は長門で、あの独特な沈黙や人と話す事に慣れてない感じは、それはそれで落ち着くのだが。愛しのマイエンジェル朝比奈さんは、やはり手の届かぬ華というか、なんというか。如何、話しが反れたな。
成崎との会話は実に穏やかで、普遍的なものばかり成崎はチョイスしてくる。周りは俺の事を変わった女が好きな奴と言っているが、実際そうでもない。妙な連中の中で唯一の一般人、良心と言っても過言ではない存在としてあの部室に通い続けた俺は、何だかんだであの状況や不可思議現象を楽しんでいたが、別にハルヒみたいに変態的な趣味などを持ち合わせている訳でもない。まぁ、なんだ。とにかく、話しが合うというのは良いものだ。

 今、俺は嫌気がさすほどに毎日登っている急勾配の坂道を見上げ、目的地である北高へと歩いている。隣にいるのは、クラスメイトである成崎だ。
「さっきから何考え込んでるの?」
「あっえ?あぁ…すまん、ちょっとな」
怪訝な表情を浮かべ、俺の顔を覗き込んでくる彼女は、俺の顔を数秒見つめた後いきなり笑い出した。
「変な顔~」
まぁ確に、この寒い中顔を歪めていたかも知れないが。そこまで言うことないだろ。
「ごめんごめん、なんかおかしくてさ」
「そうかい、それより最近本当よく会うよな」
「不思議だよね、いつも通り来てるたけなのに」
成崎は頬を朱色に染め殊勝な面持ちで笑顔を浮かべている。そんな成崎を見ていると自然に笑みがこぼれた。しかし、何だろうね。彼女の笑顔を見ていると、不思議と癒される感覚がする。

 

 教室に着き成崎に一瞥した後、俺は自分の席に向かった。俺の後ろの席で机に突っ伏したまま腕の中に顔を埋め、まったく動く気配を見せない奴に挨拶だけはしておく。

しないと後で煩くて敵わん。
「よう、ハルヒ」
「……」
おもむろに顔を上げ、俺を見上げて来たが、すぐにまた腕の中に顔を伏せる。一体どうしたって言うんだこいつは。
最近、いつもこんな感じじゃないか?前みたくキテレツな事を突然言い出したり、あまつさえそれが当たり前の如く俺に押し付けたりしてくる事は無くなった。別にそれが心地良かった訳じゃないんだが、何だか物足りない気もする。ハルヒは心なしか生気が抜けたような面持ちをしていたが。
後で古泉にでも聞いてみるか。この時の俺は、ハルヒの事だしいつもの様にどうせまたろくでもない事を思い付く前の、嵐の前の静けさなんだろうなと思っていた。

 

 放課後、何も言わずに教室を出ていくハルヒの背中を見送り、俺も席を立ち久し振りにSOS団の団活に顔を出す事にした。何故久し振りなのかと言うと、最近俺はSOS団の団活にたまにしか顔を出さなくなっていた。その回数は次第に数を減らして行き、今では休日に行われる不思議探索すら呼ばれない様になっていた。
確に俺はSOS団の平凡な日常や非日常を楽しんではいたが、最近じゃあのトンデモ空間に居ることに違和感を感じていたわけさ。それで、美術部に顔を出して柄にもなく絵心のなんたるかを成崎に教わったりしてる訳さ。正式に入部した訳じゃないんだが、実際入ってみても良いかなと思ったりもする。だが、うちの団長様が後で何をしでかすか解ったもんじゃないからな。
そういえば、昼休みに古泉に色々聞こうと思っていた俺は、あいつが最近学校に来てない事を2年9組の奴から聞いたんだ。もしかすると、あれか?いや、考え過ぎだろう。しかし、ハルヒのあの挙動に古泉の不登校。何か妙に引っ掛かるものがあったが…おっと。

いつの間にかお隣のコンピ研の部室の前まで来てしまっていた。今ではSOS団の巣窟になってしまっている文芸部室の前を通り過ぎてしまっていた。前は考え事をしていても、蟻の帰巣本能並の正確さで文芸部室の前に辿り着いていたのに。妙な違和感を感じつつも、文芸部室の扉をノックした。
『はーい、どうぞ~』
と甘~いみくるボイスを確認した後、俺はドアノブを回し扉を開けた。久し振りに着た部室は変わり映えする事なく、独特な雰囲気をかもち出していたが、妙な違和感を感じずには居られなかった。それもそうだ、いつもは俺を見た瞬間飛び掛る勢いで俺に向かって騒ぎ出すハルヒが、柄にもなく窓から外を眺め黄昏ているからだ。
「キョン君、久し振り」
朝比奈さんが入り口の前で呆然と立っている俺に何処か神妙な面持ちで声を掛けてきた。
「そうですね、お久し振りです」
「あの…キョン君?ちょっと聞きたい…」
朝比奈さんは少し俯き口篭らせつつも、何かを言い掛け、はっとした表情になると誤魔化す様に手を振り言葉を続けた。
「あっあああの、その…いっ今お茶入れるから座ってて」
朝比奈さんの挙動不審な言動に疑念を覚えつつも、俺は自分の定位置になっている長机の席に腰を下ろした。カチカチと簡易ガスコンロに火を付ける音が聴こえたと同時に、思わぬ人物が口を開いた。
「みくるちゃん、そんな奴にお茶なんか出さなくていいわ」
今まで俺に視線を向ける事なく外を眺めていたハルヒが、まるで縄張りに踏み込んできた敵に対して警戒する虎の様に鋭い眼差しで俺を睨み付けてきた。余りの唐突な出来事に俺は唖然としていた俺に向かってハルヒは言葉を続けた。
「良く顔を出せたものね、キョン。もう来ないと思ってたのに」
その言葉と同調するかの様に、表情は冷め切り何の色もそこには無かった。どうしたんだよ、お前らしくもない。いや待て、今朝見た時こんな顔してたっけか…?駄目だ思い出せない。
困惑を隠せない俺にハルヒは追い討ちを掛ける様に、団長と書かれた三角錐が乗る机を叩いた。耳を劈く様な重い破裂音にも似た音が静まり返った部室に響く。
「女に現を抜かし団活を疎かにした上、最近じゃ連日の不参加。あんたが何考えてるかもう解らないわ…。もういい。団長の名によりここに除名処分を言い渡すわ!だから、もう来ないで」
声を怒りに震わせながら俺に向けられるハルヒの怒り。まさか…知っていたとは。
その言葉に、困惑と驚愕を隠せない俺は、ただ黙ってハルヒを見詰めていた。まさに驚天動地だ。今、俺どんな顔してるんだろうな。

 

 暫しの間、沈黙が三点リーダーをうち始めた時、それを断ち切るかの様に朝比奈さんが青い顔をしながら口を開いた。
「あっあのー…涼宮さん?わっわた…」
朝比奈さんが何かを言い掛けた時、ハルヒがそれを遮る様に強い口調俺に言葉を投げかけてきた。
「何で何も言わないのよ」
そう言うと、顔を俯かせた。前髪の隙間から覗く瞳は、光を失い焦点が合ってない様に見えた。
そんなハルヒを見て、胸が締め付けられる様に痛み出す。俺はその痛みを誤魔化す様に重く閉じられた口を開いた。
「お前がそう言うんだから仕方ない、今までありがとうな」
そう言うと、席を立った俺は此方を見詰めている長門を視界の端に捉えた。俺は分厚いハードカバーを片手に持ち、パイプ椅子に鎮座している長門に声を掛けた。
「長門…そのなんだ。今まで色々迷惑かけたな」
「いい…」
そう言うと顔を俯かせる様に、再び本に視線を落とした。無表情がデフォルトの長門の表情が少し哀しげに見えたのは俺の気のせいなんだろうか。
「早く出ていってよ!」
どうやら名残惜しむ暇すら与えてくれないらしい。

へいへい、と皮肉ったらしい言葉が思わず口から零れ落ちる。
「早く出て行け!馬鹿キョン!」
そう叫んだハルヒの頬を伝わる雫、目から零れ落ちる様に大粒の涙が流れていた。おいおい…何で泣いてるんだよ…。何か気の利いた言葉を言おうと思ったが、俺にはそんな事を言う資格すらもうない。自分の情けなさに歯を食いしばり、俺は鞄を片手に持ち、「じゃあな」と言い残し部室を後にした。

廊下に出ると虚しさと切なさが急に俺を襲う。自ら犯した行動に疑問を抱かずに過ごした俺への罰か。しかし…まさかこんなにも愛着が沸いていたとは自分でも正直驚いている。
文芸部室の扉の前に立つ俺の耳に、中から泣き叫ぶハルヒの声が飛び込んできた。
はは…どうしょうもねぇ奴だな俺。

 

 落胆する気持ちを隠せずにとぼとぼと歩き出し、部室棟と校舎を繋ぐ渡り廊下に差し掛かると、
反対側から成崎が歩いてくる。俺に気付いたのか小走りで駆け寄ってくる。

最初は笑顔でこちらに近寄ってきた彼女だったが、側まで来ると急に怪訝な表情を浮かべた。
何故そんな顔してるのか俺にはすぐに解った。俺が酷く落ち込んだ顔をしていたからだ。自分でも解るくらいのな。
「キョン君…どうしたの?」
心配そうに此方を見上げる成崎に悟られぬ様に、俺は無理矢理笑顔を作り言葉を返す。
「いやっはは、なんでもないさ。これから部活か?」
「うん…。でも本当になんでもないの?そうは見えないけど…。私で良ければ話し聞くよ?」
この優しい言葉に胸が苦しくなり、自分の中の何かが音を立てて崩れるような感覚が突如俺を襲った。気が付くと自分の頬を伝わる生暖かい雫が、自分の目から流れ落ちていた。
「ちょっと…なにがあったの?大丈夫?…ここじゃ人目あるからこっちにきて」
成崎が呆然と立ち尽くす俺の手を取り校舎の陰まで連れて来ると「もう大丈夫だよ」と言うと、
俺の両手を握り優しく微笑んでくれた。その瞬間、俺の頭の中をハルヒの声が木霊する。
『キョン…キョン…聞いてるの?ねぇってば…』
その瞬間、ハルヒと過ごした時間がフラッシュバックする。

子供のように笑顔を浮かべるハルヒ。
俺の胸倉を掴み凄い剣幕で叫んでくるハルヒ。

俺を見て腰に手を当て不敵な笑みを浮かべているハルヒ。

怒っているのか笑っているのか解らない様な器用な顔をするハルヒ。

唇を尖らせ拗ねるハルヒ。
気付けば俺の側に必ずハルヒがいた。ハルヒ…。ハルヒ!
自分が大切なものを失った事に気が付いた俺はうなだれる様に地面に跪き、声にならない叫びを上げ泣いた。そんな俺を見て成崎は迷惑そうな顔を一つもせずに、俺の背中を優しく擦ってくれた。その優しさが嬉しかった。だが、それと同じくらい辛かった。
「キョン君…何があったの?話してくれる?」
「俺…、俺は!どうしようも無い奴だ!自分から自分の居場所を壊して!悪戯に人の心を傷つけて!何も解っちゃいない!最悪の人間だ!」
自分の中にある蟠りを吐き出すように俺は叫んだ。
「そう…」
酷く悲しそうな表情を浮かべた成崎は、俺の身体を優しく抱き締め俺の耳元で呟いた。
「キョン君はね、凄く優しい人なんだよ。でもね、ちょっと不器用だから。キョン君の良いところ私が知ってる。駄目なところも受け止めてあげる。だからもう泣かないで、自分を卑下しないで…ね?私が傍にいるから」
彼女の言葉はとても温かくて、ボロボロになった俺の心に染み渡る様な言葉だった。俺の身体を抱き締める手を緩め、身体を離した彼女の顔が俺の目の前まで来る。優しく微笑む口元、艶かしく潤んだ瞳。俺の頬を伝わる涙を左手の人差し指で優しく拭うその手は、とても暖かかった。
そして流されるまま、俺は彼女の唇と自分の唇を重ね合わせていた。
「ちょっとしょっぱいね」
成崎は唇を離すと悪戯っぽく囁いた。頬を朱色に染め恥ずかしそうに微笑む彼女を、俺は堪らず抱き締めていた。
「痛いよ…、でもキョン君暖かい」
そっと背中に回された腕が俺を優しく包んだ。

 

 暫くして、落ち着きを取り戻した俺は取り敢えず成崎に謝る事にした。
「何で謝るの?」
と成崎は怪訝な表情を浮かべ首を傾げていた。それに恥ずかしい一面を見られた事により俺の羞恥心が悲鳴を上げ始めていると、更に追い討ちを掛けるように成崎は。
「私と…その、付き合ってくれるんだよね?」
と俺を上目遣いで見上げてくる。いやなんだ。正直、堪まりません。
俺がぎこちなく頷くと、成崎は安心したのか「ふぅ」と吐息を漏らしていた。
「それじゃ…その、よろしくね」
と満面の笑みを浮かべる彼女を見て、俺は複雑な心境に陥っていた。

もう、俺は必要ないんだもんな。ハルヒには。
脳裏に焼きついたハルヒの笑顔が俺の心を再び締め付けた。


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